2011年2月 8日 (火)

『どろんころんど』北野勇作(福音館書店)読了

■福音館書店がなぜ「ボクラノエスエフ」というジュブナイルSFシリーズを始めたのか謎だった。ただ、祖父江慎の装丁がオシャレなのが気に入って、まずは『海竜めざめる』ジョン・ウィンダム・著、星新一・訳、長新太・絵を購入した。この長新太氏の挿画は、ぼくが小学性のころ学校の図書館で何冊も読んだ、岩崎書店の「SF世界の名作シリーズ」の中の『深海の宇宙怪物』に描かれたものが使用されているのだそうだ。でも、この本は読んだ記憶ないなぁ。星新一訳はハヤカワSF文庫版で、福音館版は「この2冊」をハイブリッドしたものなのだ。じつは、買ったまま未読。

■続けて入手したのが『すぺるむ・さぴえんすの冒険』小松左京コレクション。巻頭の「夜が明けたら」だけ読んだ。これは怖いわ。そうして、「ボクラノエスエフ」シリーズ初の書き下ろし作品が、この『どろんころんど』北野勇作・作、鈴木志保・画(福音館)なのだった。この本も買っまま安心してしまって、ずっと未読だった。ごめんごめん。ようやく読んだよ。面白かったな。


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■この本のポイントはやはり、祖父江慎氏の装丁だ。図書館から借りてきたのでは分からないが、本のブックカバーを外すと、ピンク地の表紙に、いろんなポーズをとるヒロイン「アリス」が銀色のインクで切り抜きになって描かれている。これが何ともオシャレなんだな。50すぎのオヤジが、カバーを外したピンクの本を、例えば山手線の車内で一心不乱に読んでたら、周囲の人たちはちょっとは注目するのではないか?(いや、ドン引きかもな。)


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■物語は、長い眠りから目覚めた少女型ロボット(アンドロイド)アリスが、お供にレプリカメ「万年1号」とヒトデナシの係長を従えて「どろんこだらけに変貌した世界」を旅するロードノベルであり、ビルドゥングスロマンだ。


正直、前半はなかなか乗れなかった。でも、短い章立てが心地よいテンポとなって知らず知らずにくいくい読めた。鈴木志保の挿画もよいな。物語の中盤、皆で地下鉄(これがまんま、桂枝雀の『夏の医者』なのだ。)に乗って都市に向かうあたりから俄然面白くなる。おっと、そう来たか! 何となく予想はしていたが、なんか急にリアルな気分に襲われて、しみじみ哀愁しつつも、そこはかとない怖さも同時に感じた。


「君がいない」は、後述する予定の、佐野元春最新CD『月と専制君主』のキーワードだが、この小説の主題も、自分にとって「大切な人」の不在だ。


内田樹先生はよくこう言っている。「存在しないもののシグナルを聴きとる」「存在しないものに対してメッセージを送ることができる」ということが、人間だけの優れた特性であると。物語の主人公アリスは、人間ではなくてアンドロイドなのだが、旅を続けるうちに、彼女は「それ」ができるようになるのだな。ここがよかった。しみじみよかった。


そうして「万年1号」だ。このラストは想定外で、ぼくは「ええっ?」と驚いたのだが、10ページに物語の副題として「あるいは、万年1号の長い旅」とあるのを発見して、そうか、これは必然なのだなって、納得した次第です。

読了後、不思議といつまでもあとを引く小説であるなぁ。


ちなみに、書評家の豊崎由美さん主宰「Twitter 文学賞」国内部門で、堂々の「第9位」に入ったよ。

2011年2月 2日 (水)

外食に対して、次第に保守的になってゆく自分を感じる今日この頃

■先週の土曜日、週末だし家族で外食を提案したのだ。子供らも妻も同意してくれた。「ところで、何処行くの?」次男に訊かれた。

「いや、じつは前から気になっていた広島風お好み焼きが食べたかったんだよ。ほら、父さん毎朝 NHKで『てっぱん』見てるだろ。」 というワケで、伊那図書館駐車場に車を停めて、歩いて「錦町新地」へ。


しかし、この場末の路地ほど健全な家族連れに似合わない場所はない。でも、この路地の右奥には居酒屋『いろり』があって、ここには家族で数回来ている。だから大丈夫と思ったのだ。でも、その「広島風お好み焼き」の店のドア(スナックの居抜き)を開ける勇気は、ぼくにはなかった。子供らも妻も、思いっきり引いてしまっていたから。


仕方なく諦めて、飯田線の線路を渡ってマルトキ前の路地を右へ。ここにも、最近気になっていたカウンターでオムライスが食べられるオシャレなバーがあるのだ。店の前に家族4人で立つ。でも、オシャレすぎるのだ。子連れで入る店ではないのだな。ぼくらが立ち去ると、小綺麗な女の子が二人、店に入っていったよ。

厳寒の夜空の下、ぼくら家族4人は結局路頭に迷ってしまった。

「じゃぁ、しょうがないから『鳥でん』にでも行くか。1000円のクーポン券の期限が1月末までだったし」僕は言った「車、いなっせの駐車場に移動しとくから、先に行ってて。」


ちょうど電車が来て、踏切がふさがってたりしたので、駐車場を移動して1階に降りたら、妻がイライラして待っていた。子供らは西澤書店で立ち読み中。「鳥でん、満員だって! こうゆう時って、いつもそうよね。どこも入れないじゃん。」「あっちゃ〜!」


というワケで、結局この日は合同庁舎前の「佐榮」で、「ぶたたま」「キムチぶたたま」「もちチーズ」「五目やきそば」「イカ焼き」を注文する。子供らも妻も機嫌が悪い。みな無口なまま、お好み焼きが焼き上がるのをじっと待っている。辛いなぁ。そんなつもりじゃぁなかったんだ。ただ、新たな店を開拓したかったんだよ。冒険してみたかったんだよ。


これは家族のせいだけではないが、外食に対して自分がどんどん保守的になっていることを、最近しみじみ感じるのだ。気に入った「行きつけの店」がすでにあれば、なにも新たに店を開拓する必要はないじゃん。「一見さん」で冒険して、店主から冷たくされて失敗するよりは、馴染みの店でくつろいだほうがどんなにいいか。そうでしょ。


わが家の場合、もうだいたい決まってるのだ。中華なら『美華』か『満月』だし、ラーメンは『二八』。蕎麦は『こやぶ』しか行かないし、カレーは南箕輪の『アンナプルナ』か、宮田の『アルッカマゲ』小町屋『アシャンティー』で、寿司は『ちむら』。焼肉は『宝船』か『権兵衛』。滅多に行かないフレンチは、茅野の『ディモア』か、伊那旭座手前の『伊勢屋』。そうして、うなぎは『小林』か辰野の『小坂』だな。

あと、たまに飲みに行くのは、桜町の『Kanoya』だ。


これだけ決まってれば、もういいじゃんね。そういうことだ。


最近、Twitter で教えてもらったサイトに、「グルメサイトの功罪」というのが載っていた。なるほどなぁ。そのとおりだよ。

2011年1月29日 (土)

スケジュール帳は、やっぱり使い慣れたヤツがいい

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ここ数年、スケジュール帳はずっと博文館の「デスクブロックB5ルージュ」を使ってきた。1ヵ月見開きで、その月の予定が一目で分かり、しかも版が大きいので、空欄にいっぱい書き込めるのがうれしい。

例えば、昨年11月の予定はこんな感じだった。

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■今年も、博文館のデスクブロックにしようと、年末「いなっせ」の西澤書店に買いに行ったら売ってない。えぇっ! そりゃ困るぞ。で、仕方なく高橋書店の「リベルデュオ3」を買った。ポケットに入るサイズでコンパクトなのはいいのだが、日曜始まりだし、小さな字で書き込まなくちゃならず、しかも、表紙がソフトでくねくねして思いのほか使いづらいのだ。

さて困ったぞ、と思ったら、1月に入ってから TSUTAYA にあったんだ、博文館の「デスクブロックB5ルージュ」。よかったよかった。「ほほ日手帳4月始まり」も持ってはいるのだが、スケジュール帳は、やっぱり使い慣れたヤツがいいな。

2011年1月23日 (日)

パパズ絵本ライヴ(その73)辰野町子育て支援NPO法人

■昨日の1月22日(土)、午後3時から辰野町で伊那のパパズの公演があった。
ぼくは欠席。インフルエンザ流行拡大で、この日の診療が終了したのは午後4時半過ぎだった。


<本日のメニュー>

・『でんしゃはうたう』三宮麻由子・文(福音館書店)→ 伊東
・『かえるをのんだととさん』日野十成ぶん斎藤隆夫え(福音館書店)→ 坂本

・『おーいかばくん』中川いつこ・文、あべ弘士・絵(ひさかたチャイルド)全員

『ながいいぬのかいかた』矢玉四郎(ポプラ社) → 宮脇
『おにがきた』はたよしこ(偕成社)→ 倉科

・『ふうせん』中川ひろたか(アリス館)
・『いっぽんばしにほんばし』中川ひろたか(アリス館)
・『世界中のこどもたちが』新沢としひこ・文、篠木眞・写真(ポプラ社)

■夕方6時からは、パパズのファミリーがみな伊東パパ邸に集合して「パパズ新年会」。ママも子供たちも全員集まっての宴会は数年ぶりのことだ。子供たちがみな、どんどん大きくなっていることにビックリ。倉科さんとこと宮脇さんとこの一番上の子はもう高校1年生。伊東パパんとこの女の子「琴ちゃん」は、初めて会った時にはまだ0歳児だったのに、この春からはもう小学2年生だ。

結成して7年になろうとしているだもの、その間に子供らも成長するワケだ。しみじみ。
「みしま」の仕出しがほんと、美味しかったよ。


楽しい時間と場所を、ありがとうございました、伊東パパ。

2011年1月21日 (金)

小鳩園で絵本を読んできた

■水曜日の午後は、園医をしている「小鳩園」(心身障碍児・軽度発達障碍児の母子通所施設)へ行って、年2回の親御さんのための「おはなし会」をしてきた。

発達障碍児だから、その話が聴きたいかというと、ぜんぜんそうじゃない。だって、その分野においては僕以上にずっとずっと、患児のご両親が詳しいのだから。お母さん方が知りたいのは、そうじゃなくって、もっと一般的な「子供のカゼ」の話だったりするのだ。だから、事前にお母さん方から質問事項を募っておいた。


(その1)病気を予防する具体的な方法を教えて下さい。


(答) まずは「手洗い」です。そうして、それが何よりも大切なのです。





YouTube: あわあわ手あらいのうた ビデオコンテスト

「これ」をご覧下さい!■



YouTube: 花王 ビオレu あわあわ手洗い教室 えほん


■おはなし終了後に、子供たちを集めて絵本を読んだ。


1)『かんかんかん』のむらさやか(福音館書店)
2)『だっだぁー』ナームラミチヨ(主婦の友社)
3)『たちねぶたくん』中川ひろたか(角川書店)
4)『おひさま あはは』前川かずお(こぐま社)

子供たちにはとっても受けて、うれしかったな。

2011年1月15日 (土)

わたしが一番きれいだったとき(その2)

■(前々回のつづき)ところで、「わたしが一番きれいだったとき」は、詩人・茨木のり子が1950年代末に発表した有名な詩だ。ぼくが持っている彼女の詩集は『おんなのことば』(童話屋)と『椅りかからず』(筑摩書房)の2冊だけだが、その中でぼくが一番好きな詩が「わたしが一番きれいだったとき」だ。もちろん、「ばかものよ!」と、茨木のり子さんに叱ってもらいたい時には『自分の感受性くらい』を繰り返し読むが……。


■茨木のり子さんは、1926年大阪に生まれた。一昨年の秋に他界したぼくの母が、1928年(昭和3年)生まれだから、ほとんど同じ世代だ。だからぼくは「この詩」を読むたびに母のことを想う。


ぼくの母は、伊那高等女学校(現・伊那弥生ヶ丘高校)を昭和20年3月27日に卒業している。母はまだ16歳で、昭和19年から学徒動員で名古屋の軍需工場でずっと働かされていた。卒業式は、伊那から卒業証書を抱えてやって来た校長先生を迎えて名古屋の寮の修養室の畳の上で行われたという。その間に東南海大地震が昭和19年12年7日に名古屋を襲い、連日連夜のB29の空襲で学友の飯島さんの命が奪われた。


母は名古屋の軍需工場で「ゼロ戦」を作っていた。


 昭和十九年、サイパン島玉砕の悲しい知らせが本土に届くころ私達四年生にもいよいよ学徒動員命令が下りました。今の高校一年生と同じ年頃だった私達は、まるで出兵兵士のような見送りを受けて何か悲壮な思いで動員の地名古屋へと向かいました。ものすごい暑さの中で二週間の訓練を受けた後、私達270人は、三つの小隊に分かれて、三菱航空機製作所の翼、胴体、総組立の三工場に配属されました。

 ジュラルミンの板に電気ドリルで穴をあけそれにエアハンマーで鋲を打ち込んだり、ドライバー片手に計器の取り付け等々、中々むずかしい仕事でした。中でも翼工場の人達は、方向舵を自分達だけの手で作り、伊那高女報国隊とネーム入りで機体に取り付けられているのを見るのは、他の工場の者には羨ましい限りでした。

今でこそ戦闘機などと聞いただけで身震いする程いやな思いですが、当時の私達は、毎日対岸の飛行場へと舟で運ばれる「零戦」や「爆撃機」を、まのあたりに見て、すっかり感激し、ずい分張りあいのある毎日でした。然し一日一生懸命働いて寮に帰りホッとしたとたん襲ってきたホームシックには、皆々すっかり参ってしまいました。毎晩先生方が夜回りにいらっしゃる頃を見はからっては、寝床の中から一、二の三で声を張りあげて「家へ帰してー」と叫んだこともありました。

『いのちありて 学徒勤労動員の記録 第二集』p186「戦争の中に過ごした女学生時代」北原妙子(加納)より。

■生前の母は、つらい当時のことをそれほど詳しくはぼくに語ってはくれなかったが、ぼくが未だ小学校1年生くらいの時だったか、母が話してくれたことが何故か印象に残っていて忘れられないのだった。

 まだ残暑が厳しい昼休みに、母たちが働く工場に一人の将校がやって来た。
女学生全員を集めて整列させ、その将校は敬礼したあと、悲壮な顔でこう云ったという。

「あなた方が作った零戦が、飛ばないのであります!」


小学性のぼくは大笑いしてしまった。
だってそうでしょう。女学生が作った零戦で、日本は戦争に勝てるわけがないもの。


でも、実際は、母たちが作ったゼロ戦に乗って、学徒動員で志願した優秀な大学生が多数、鹿児島の知覧基地から片道だけの燃料を積んで飛び立って行ったのだった。

ほんとうに、なんていう話だ。いまから、たかだか65年前のことだ。


2011年1月13日 (木)

『妙高の秋』島村利正を読む

『奈良登大路町 妙高の秋』島村利正(講談社文芸文庫)から「焦土」と「妙高の秋」を読む。どちらにも高遠がでてくる。やはり、高遠が舞台となる小説「仙醉島」「庭の千草」「城趾のある町」、それに「奈良登大路町」と読んできたので、まさにその続きのような私小説「妙高の秋」が特にしみじみと心に沁みた。いいなぁ。すごくいい。


島村利正氏は、江戸時代後期の内藤高遠藩で御用商人も務めた、高遠町本町にある老舗の海産物商店の長男として生まれた。明治45年3月25日のことだ。その日、彼の父親は秋葉街道沿いの下伊那郡大鹿村まで集金に行っていて留守だった。


 父は二日がかりの集金から帰ってきて私の出産を知り、女児ばかり三人続いたあとなので、両手をあげて喜んだそうである。そして首からかけていた財布をはずすと、懐中時計も一緒に枕もとへ置いて、これも坊のものだ、これも……と、云いながら、覗きこんだという。(p130)


老舗の商家の長男である。父親は島村氏が小学校を卒業したら、松本か諏訪の問屋へ見習い奉公に出すことに決めていた。家を継ぐ長男には学校はむしろ邪魔だったからだ。父親の期待も相当大きかったのだろう。

でも、長男の島村氏は家を継がずに、奈良の飛鳥園に行ってしまう。


そんな、父親と長男との確執と和解が「妙高の秋」の主題だ。

2011年1月12日 (水)

今月のこの1曲「わたしが一番きれいだったとき」ワサブロー

■まったく偶然に、ワサブローさんという京都出身の男性シャンソン歌手のことを知った。 と云うのも、ワサブローさんが、高遠町出身の作家、島村利正氏のことをぼくが書いたブログを読んでコメントを寄せて下さったからだ。「ここのコメント欄参照」 ワールドミュージック・ファンを自認するぼくだが、シャンソンは素人だ。 レコードで持っているのは、ジョルジュ・ムスタキと、宮崎駿『紅の豚』挿入歌「桜んぼの実る頃」で有名なコラ・ヴォケール、それに大御所エディット・ピアフ。それに、金子由香里ベストのみ。ダミアは持ってない。 そんなもんだから、ぼくは全く「ワサブローさん」のことを知らなかった。 で、どんな歌い手さんなんだろう? と、さっそく YouTube で検索してみた。あったあった。見つかった映像がこれだ。


YouTube: ワサブロー 『私が一番きれいだったとき』


YouTube: ワサブロー 『ヌガ』


YouTube: ドリプラジオ・2010/12/21放送 ワサブロー

2011年1月 9日 (日)

2010年、読んだ本のベスト(ノンフィクション編)

■さて、続けて「ノンフィクション編」です。
こちらは豊作だったなぁ。面白い本、凄い本が目白押しだ。


1)『ヤノマミ』国分拓(NHK出版) (その1)(その2)

 これは本当に凄い本だった。読み終わったあと、著者に罹った呪術がそのまま伝染したような気がしたし、実際にそうだった。それでさらに、ほんとうに怖ろしくなった。コンラッド『闇の奥』のクルツの言葉ではないが、ただ「おそろしい、おそろしい」と一人つぶやくだけだった。


2)『空白の五マイル・チベット世界最大のツアンポー峡谷に挑む』角幡唯介(集英社)(その1)(その2)(その3)

 さすが、元朝日新聞記者だけのことはあって、タイトでスピーディで、無駄のない畳みかける文章で、本当にぐいぐい読ませる。それでいて、そこかしこに「ボケ・ツッコミ」のユーモアが入るのだから、これはもう一つの話芸ですかね。傑作です。


3)『哲学者とオオカミ』マーク・ローランズ著(白水社)

 さて、そろそろ本当に犬を飼おうか。


4)『白鍵と黒鍵の間に』南博(小学館文庫)(その1)(その2)


5)『もぎりよ今夜も有難う』片桐はいり(キネマ旬報社)


6)『赤ちゃんと絵本をひらいたら ブックスタートはじまりの10年』NPOブックスタート編著(岩波書店)
(その1)(その2)(その3)


7)『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』岡本和明(新潮社)(その1)(その2)(その3)


8)『ジャズ喫茶論』マイク・モラスキー著(筑摩書房)(その1)(その2)


9)『考えない人』宮沢章夫(新潮社)(その1)(その2)


10)『落語の世界』五代目・柳家つばめ(河出文庫)

2011年1月 8日 (土)

2010年、読んだ本のベスト(フィクション編)

■昨年も、小説をあまり読めなかったような気がする。

話題本はいっぱい購入したのだけれど。積ん読ばかりだ。
いったい、いつ読むつもりなんだ? 死ぬまでに読めるのか?

でも、毎年の恒例なのでアップしておきます。


1)『残菊抄』 『奈良登大路町』 島村利正・著

 昨年は何と言っても、郷土・高遠町に生まれ育った作家「島村利正」を発見したことが一番だ。
 ブログでは言及していないが、『残菊抄』の主題は、最近読み終わった、『音もなく少女は』と同じ「母と娘が、男と運命に翻弄されながらも前向きに凛として生きる」だった。その不思議な一致にちょっとビックリした。


2)『音もなく少女は』ボストン・テラン著、田口俊樹・訳(文春文庫)

 これは読むのに時間がかかったなぁ。文章が濃いのだ。しかも重く暗い内容が辛くて、一気にはとても読めなかった。ぼくは気に入った文章があるページを折る癖があるのだが、読み終わってみたら、この文庫本には 200ページ近く折り込みがあった。アフォリズムに満ちているのだよ。だから気軽に読み飛ばすことができない小説なのだ。結局、ラストまでそうだった。


この小説はミステリーとは言えないが、紛れもないハードボイルド小説だ。それそれ別々に男に虐げられてきた女たちが、あまりに理不尽な現実世界に耐えて耐えて耐えて、最後にとうとう堪忍袋の緒が切れて立ち上がる、っていう話だからだ。言ってみれば、ニューヨーク・ブロンクス版『昭和残侠伝』だな。ただ違うのは、高倉健・主演、池部良・助演じゃぁなくって、主演・助演・共演者がみな「女性」である、ということだ。

それにしても、いわば池部良役(ちょっと違うか?)の「フラン」がカッコイイ。もう痺れてしまうぜ!

3)『身の上話』佐藤正午(光文社)


4)『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎(新潮社)


5)『愛おしい骨』キャロル・オコンネル(創元推理文庫)


6)『密やかな花園』角田光代(毎日新聞社)


7)『老人賭博』松尾スズキ・著(文藝春秋)


8)『横道世之介』吉田修一(毎日新聞社)


9)『八月の暑さのなかで――ホラー短編集』金原瑞人・訳 (岩波少年文庫)


10)『さよならまでの三週間』C.J.ボックス(ハヤカワ文庫)

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