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2019年11月17日 (日)

英国在住の保育士「ブレイディみかこ」さんて、何モノ?

英国在住の保育士「ブレイディみかこ」さんて、何モノ?

 北原こどもクリニック 北原文徳

 (「長野県小児科医会会報:最新号」に投稿した原稿より)

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 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ(新潮社)が、ベストセラー爆走中です。僕も出てすぐ読みました。テンポのよいパワフルな文章に引き込まれ一気読みでした。たまげました。傑作です。特に小児科医は絶対に読むべき本だと思いました。

 日本よりもずっと貧富の格差が進み、移民が次々と流入するイギリス。本来先住の「ホワイト」の方が貧困にあえぎ、反対に、努力した移民が中流住宅街に住んで子供たちを中上流小中学校に通わせているとう現実。その結果として、移民が「ホワイトのアンダークラス」をヘイトし差別するという「ねじれ」が生じています。

 そんな中、彼女の息子(11歳)は、地元のアンダーな白人だらけの「元底辺公立中学校」に入学し、学校が力を入れている音楽部に入部します。最初に仲良くなったのは、ハンサムで歌も上手く、見事ミュージカル『アラジン』の主役を射止めたハンガリー移民の子ダニエル。レストラン経営で成功した父親がとんでもないレイシストで、その影響から息子も当然レイシスト。差別発言だらけのダニエルと何故か友情を育む息子。

 ところが、ダニエルは学校内で次第に陰湿な「いじめ」に会うようになります。正義が悪を懲らしめるのは当然だという理由で。それでも、彼は毎日学校へ通い続けます。父親に怒られるからです。そんな彼に、彼女の息子はずっと寄り添い続けます。

「いじめているのはみんな(彼に)何も言われたことも、されたこともない、関係ない子たちだよ。それが一番気持ち悪い。僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」(p196)

 クールでスマートな息子の言動に、読んでいて胸がすく思いがしました。もう、すっかり真っ暗闇の世の中ですが、彼のような若者が世界を変えてくれる希望の星なのかもしれません。そんな彼は、どんな両親のもとで生まれ育ってきたのでしょうか?

 ブレイディみかこさんが世間で認知されるようになった契機は、内田樹先生の「それ」とよく似ています。二人とも遅咲きのコラムニスト・批評家で、40歳代までは全くの無名人だったのに、当時アップしていたネット上のブログ記事が一部で話題となり、注目したプロの編集者がコンタクトを取って書籍化、それが次々とベストセラーになったのです。

 ただ、ブレイディさんの場合は「この本」が世に出て初めてブレイクしたと言ったほうが良いかもしれません。

 彼女は1965年6月、福岡県福岡市に生まれました。先祖に隠れキリシタンや殉教者がいるカトリック教徒でしたが、極貧家庭に育ち、荒廃した中学校でイヤイヤ学び、地元でヤンキー娘として一生を終えるはずが、担任教師の強引な薦めで福岡一の有名進学校、県立修猷館高校に見事合格。ところが……。

 

「70年代から80年代にかけての『一億総中流時代』が政府とマスコミによってクリエイトされたまことに愚かなスローガンであった。でも一番愚者だったのはそれを本気で信じていた一般市民であり、『親が定期代を払えないので学校帰りにバイトしている』という10代の少女に『遊ぶ金欲しさでやってるくせに嘘をつくな、いまどきの日本にそんな家庭はない』と断言した福岡の某県立高等学校の教諭などは、その最たる例であった。

少女はバカたれは許すが愚者は許さん性質だったので、翌日には髪を金髪にしてつんつんにおっ立てて登校した。担任の生徒管理能力の低さを世に示すために」

p221(『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』みすず書房より)

 当時からとんでもなくトンガリ・パンク少女だった彼女のアイドルは、大正時代に名を馳せた同郷のアナキスト伊藤野枝でした。彼女は関東大震災直後の戒厳令下、同志であり愛人であった大杉栄と甥の宗一と共に甘粕大尉率いる憲兵隊に惨殺されます。ちょうど同じ頃、大逆罪容疑で恋人の朝鮮人パクヨルと共に警察に逮捕され、死刑判決から一転恩赦がおりたにも関わらず獄中で自死した金子文子もまた、彼女のアイドルでした。

 ゴミのように親に捨てられ戸籍にも登録されなかった金子文子は、日本における闘う女性の元祖と言ってもよいかもしれません。ブレイディさんは、授業をサボっては図書館に入り浸り、この2人を発見したのだそうです。

 高校卒業後、彼女は大学へは進学しませんでした。親にその資金がなかったことはもちろん、彼女がパンクロックにはまっていたことも関係しています。当時の彼女が生きる糧にしていたのは、アイルランド移民で労働者階級出身のジョン・ライドンが率いるイギリスのパンクバンド「セックス・ピストルズ」でした。彼女は福岡の中洲や銀座でバイトして金を貯めては渡英し、パンクロックのシャワーを全身で浴びました。渡英を何度も繰り返すうち、1996年に入国した際、空港の入国審査官が、ニコッと笑って「ようこそ!英国へ」と言ってくれたのだそうです。この時彼女は電撃的に「私はここに永住するのだ」と確信しました。

 ロンドンではキングスロードに下宿し、某日系新聞社のロンドン支店で事務員として数年間勤務。そうこうするうちに、金融街で働くアイルランド移民で9歳年上の銀行マンと結婚。ロンドンから南へ列車で1時間の海辺の保養地ブライトンに移り住みます。ところが、旦那は銀行をリストラされ、自らミドルクラスから転落して、子供の頃から憧れていた「大型トラックの運転手」となるのでした。

 日本でも英国でも貧困に喘ぐ日々。しかも亭主はガンに罹患。彼女の最初の著書『花の命はノー・フューチャー』(ちくま文庫)を読むと、こんなことが書いてあります。

 

「先なんかねえんだよ。あれこれ期待するな。世の中も人生も、とどのつまりはクソだから、ノー・フューチャーの想いを胸に、それでもやっぱり生きて行け。」(p18)

「わたしも子供が嫌いである。なぜなら、小さな人々とは、文字通り、人間の未熟なものだからだ。純粋だのイノセントだのという言葉で彼らのことを表現する方々もおられるが、子供がよからぬことや邪なことばかり考えて生きていることは、大人と呼ばれる年齢の人間であれば、自らの経験から誰しも知っているはずである。そもそも、子供には人生における挫折の経験がない。」(p199)

 

 そこまで言っていた彼女が、何故か40歳を過ぎて体外受精で男児を高齢出産しました。そして生まれたのが彼です。そしたら、わが子は可愛いし面白い!

 2008年、その乳飲み子を抱えながら彼女は地域のアンダークラス(失業者、生活保護受給家庭)を支援するセンター付属の「無料底辺託児所」にボランティアとして参加します。そこには「幼児教育施設の鑑」と専門家からもリスペクトされている責任者アニーがいて、彼女の元で幼児保育の実践教育を受けながら2年半かけて保育士の資格を取りました。

 当時、労働党のトニー・ブレア政権は抜本的幼児教育改革を行い、移民保育士を積極的にリクルートしました。ブレア政権では多様性(ダイバーシティ)を大切と考え、子供たちがいろんな人種の外国人と共に生活することに、小さな時から慣れて行く必要があるとし、外国人移民の保育士養成費用を政府が負担したのです。

 ところが、2010年に保守党が政権を握ると一気に緊縮財政へと梶を切り、労働党が作った福祉制度を次々とカットしたため、底辺託児所の様相は一転します。『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)には、保育士として働くブレイディさんのリアルな毎日が綴られていて、こちらも必読です。水泳が得意なリアーナの凶暴だった幼児期の記載もありますよ。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、そんなパンクでホットなかあちゃんとクールでワイズな息子の成長物語でもあります。しかも現在進行形で新潮社の月刊PR雑誌『波』に続編が連載中です。

 僕は椎名誠の名作『岳物語』『続岳物語』(集英社文庫)のことを思い出していました。ただ『続岳物語』は岳君が中学入学の場面で終わっていて『続々岳物語』が書かれることは残念ながらありませんでした。なぜなら……。

 

「もうこれ以上彼のことを小説の題材として書いていくのは申し訳ない、という気持ちをじわじわと感じていたからである。そしてそれとまったく同じ時期に、岳本人からそのことを言われたのであった(中略)猛烈に怒っていた。その怒り方は、親の私が萎縮してしまうくらいだった。それはそうだろうな、とその時私は思った。中学ぐらいになれば彼の友達もいろんな本を読む。『岳物語』はベストセラーになり、教科書などにも載りはじめていた」(椎名誠『定本岳物語』あとがき より)

 岳君本人も「『岳物語』と僕」という文章を寄せています。

「残念ながら、僕はまだ『岳物語』を読んだことがありません。読めないのです。過去に何度か挑戦してみたこともあるのですが、成功したことはありません(中略)

僕はこの本が嫌いでした。大嫌いでした。トウサン、あなたはいったい何てことをしてくれたんですかい、何度もそう思いました。ある時期には、この本、そしてこれを書いた父親のことを真剣に憎んでみたりもしました。」

 (『定本岳物語』p452、『本人に訊く(壱)よろしく懐旧篇』椎名誠・目黒孝二:集英社文庫 p230〜236 )

 

 ブレイディさんの話では、日本語が読めない息子ケン君も「この本」のことが気になっていて、スマホで接写すると日本語を英語に自動翻訳してくれるソフトを使って密かに内容をチェックしているらしいというのです。それはちょっとマズいんじゃないか? 

でも、椎名父子と違って、母親と息子だから険悪な親子関係に陥る危険性は少ないかもしいれないし、そもそも彼の生活の基盤はイギリスです。だから、寛大な彼のこと、きっとパンクな母ちゃんを許してくれるに違いありません。

 

2019年10月29日 (火)

『将軍の子』佐藤巖太郎(文藝春秋)を読む

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■高遠町の生まれなので、保科正之を主役に NHK「大河ドラマ」を作って欲しいとずっと思ってきた。署名もした。数々の「大河ドラマ」を手掛け、あの司馬遼太郎『坂の上の雲』をドラマ化した、NHKプロデューサー西村与志木は、伊那市長谷村の出身。でも、未だ実現していない。

■保科正之と言えば、作家・中村彰彦氏だ。ぼくも『保科肥後守お耳帖』(平成5年刊・双葉社)『保科正之』中村彰彦(中公文庫 1227)1995/1/25 発行『名君の碑』中村彰彦(文藝春秋)1998年10月刊 を読んだ。正直言って、保科正之に関する歴史小説は、中村彰彦氏がとことん絞り尽くした感がある。

ところが、令和の時代に入って思わぬ伏兵が登場した。

福島県出身で福島県在住の作家、佐藤巖太郎だ。『将軍の子』(文藝春秋)は、著者が雑誌「オール讀物」に連載した、保科正之を巡る連作短編集なのだが、これが実にいい!

各短篇の主人公は、保科正之の脇に存在した人々だ。彼・彼女等は、保科正之と出会うことによって、己の人生が変わってゆく。いい意味でも悪い意味でもね。どの短篇でも、イメージとしてはラストに一陣の風が吹く感じだ。すると、主人公は「あっ!」と思う。「風」は保科正之ね。そのため、なんとも鮮やかで爽やかな読後感を残すのだ。

つまり言うなれば、三谷幸喜の『古畑任三郎』的な演出が施されているのだよ。

■以下、ツイートより。多くは改変編集ありです。

『将軍の子』佐藤巖太郎(文藝春秋)を読み始める。保科正之を巡る連作短編集だ。巻頭の「将軍の子」の主人公は、武田信玄の娘で穴山梅雪の妻。ああ、こういう語り口があったのか!じつに上手い。乳児が着る祝い着の小袖が描かれる。誰かがこの小袖を母親には内緒で幼子に着せようとしている。そんなシーンで小説は始まるのだ。

小袖は、黒地に白く武田菱が染められている(裏表紙に絵がある)。70歳を超える主人公(見性院:けんしょういん)は、この稚児を養子に迎える覚悟を決めるのだ。武田氏の末裔を途切れさすことを防ぐべく。折角この世に生まれたのに、お江からは殺されそうになり、父親から歓迎されなかった保科正之を、見性院が救った。実に鮮やかな短篇。

『将軍の子』佐藤巖太郎(文藝春秋)より「跡取り二人」「扇の要」「権現様の鶴」を読む。いやあ上手いなあ。保科正之の連作短編集なのだが、各々の主役は、高遠藩主保科正光の先の養子左源太、徳川忠長、そして徳川家光。各々が保科正之と出会うことで、自らが変わってゆくのだ。

「跡取り二人」では、高遠・建福寺の階段を小日向左源太が上がってゆく場面で始まる。建福寺和尚・鉄舟に仏の木彫りを指導してもらっているのだ。高遠藩の正当な後継者に指名される日も近い。武術の鍛錬だけでなく、精神修練のために鉄舟の教えを請うたのだ。だが、心が惑わされている彼のノミ裁きは普段とはあまりにかけ離れていた。

何故なら、高遠藩主・保科正光の元に、新たな養子が来ることを知ったからだ。

「扇の要」の視点は保科正之だが、この短篇の主役は、駿河大納言忠長だ。兄(家光)より先に、静岡まで養父と共に会いに来てくれた弟(正之)に、彼はこう言うのだ。

「よいか、この国を治めるのは徳川家なのだ。われらは二代将軍の息子ぞ。他の大名たちの上に立ち、諸侯を束ねる役割がある。亡き権現様(家康)もそれを望んでおろう。

わしもいま以上に、領国を増やすつもりだ。55万石では少なすぎる。前田や伊達より少なくては、面目が立たぬ。そうではないか。居城は大坂城でもよいくらいだ。多くの領国を治め、国の要となる。手柄を立て、名を馳せなければ、徳川家に生まれてきた甲斐がない」

幼い頃から病弱で小心者で吃音だった兄と違って、利発で活発だった国松(忠長)は父親母親から溺愛されて育った。秀忠配下の家臣たちも、三代目は家光ではなく忠長に違いない、誰もがそう思っていた。ところが、春日局が家康に御注進したことで、状況は逆転する。皮肉なものだ。

そんな思いの兄と会った正之も、兄に感化されてこう思う。「徳川の血筋として生きる人生を最初から与えられたとしたら-----。」

・「権現様の鶴」の主役は、徳川家光。家光はいつ保科正之が異母兄弟だと知ったのか? 中村彰彦氏は、新井白石『翰譜』の記述より、家光が目黒方面へ鷹狩りに行った際に休憩で立ち寄った寺「成就院」の住職より偶然知らされたと書いている。じつに劇的だ。でも本当だろうか? 駿河の忠長は、正之が会いに行く前から知っていた。

生まれた正之を武田信玄の娘「見性院」の養子とし、さらに高遠藩主保科正光に委ねたのは、幕府大老の土井利勝だ。家光の側近中の側近が、母親「お江」の死後もずっと秘密にしていたとは思えない。

著者の佐藤巖太郎氏は、家光は土井利勝から異母弟の存在を既に知らされていたとし、さらには、茶会に正之を呼んで、その人柄を確かめたとする。ただそうなると、家光が成就院で劇的な思いに打たれた史実が一致しなくなる。そのあたりを著者はじつに上手く処理していて感心した。

あと、家光と忠長の確執がある中で、家光は「忠長はどうしようもない嫌な奴で大嫌いだが、保科正之は本当に兄想いのイイ奴だ」と直ちに思ったのだろうか? 突如現れた正之だって、忠長と同じく家光の地位を追い落とす危険な存在と思うはずだ。それに、家光は忠長に本当に「死ね!」と言ったのだろうか? そこまで冷酷だったのか? 「権現様の鶴」では、そのあたりのことも納得できる解釈がなされている。

続く「千里の果て」は、土井利勝が主人公。この一篇を読んで初めて「この本」のタイトルが『将軍の子』であることを理解した。将軍の子は、保科正之だけを指すワケではないのだ。忠長、家光、それに土井利勝だって「将軍の子」だった。じつは、土井利勝は徳川家康のご落胤だったのだ。

土井は、自らの出生と保科正之を重ね合わせたに違いない。

『将軍の子』佐藤巖太郎より「夢幻の扉」を読む。この一篇だけ書かれた時期が早い。2011年の第91回オール讀物新人賞受賞作で、福島県出身在住である著者のデビュー作。語り手は、江戸町奉行加賀爪忠澄。彼が裁く牢人を巡るミステリ仕立ての短篇なのだが、いやあ鮮やかなラスト!予想できない展開だった

佐藤巖太郎『将軍の子』より、ラストの「明日に咲く花」を読む。主役は「知恵伊豆」こと老中松平信綱。明暦三年(1657年)の冬、本郷丸山の本妙寺から出火した火災は、江戸の町を3日3晩焼き尽くし、江戸城も本丸と天守閣が焼け落ち、大名屋敷160軒、旗本屋敷793軒、町屋800町が消失した。

家光の死後、殉死しなかった信綱に世間の風当たりは強かった。なぜ彼は殉死しなかったか? 家光が死の床で彼にまだ幼い家綱の政道を補佐することを、彼に託した(託孤寄命)からだった。ただ、同じ命を受けた人物がもう一人いた。家光の異母兄弟の弟、保科正之だ。
 
 
だから信綱にとっては、保科正之はちょっと面倒で厄介な存在だったワケだ。正之は信綱に言う。「この大火は、前代未聞の尋常ならざる厄災。多くの命が公儀の救済に委ねられたものと存ずる。いまは、手段は選ばずに被害を抑えることこそ何より大切。この際、平素の懸案には構わますな」と。
 
 
信綱は、島原のキリシタン蜂起では総大将となって一揆を兵糧攻めにして鎮圧した。意気揚々と原城内に乗り込んだ時に目にした光景を、焼け野原となった江戸で思い出す。その信綱に正之は言う「江戸の建て直しは、武家だけでなく民の力をどれだけ活かすかにかかっておりましょう」「民の力を活かすとは……」「この状況で、江戸の民にそのような力がござりましょうか」「なければ、支えればよかろうと存ずる。さればこそ、市中への救済金として金16万両の支払いの裁可を、それがしより上様に進言いたしまする」「ご金蔵を空になさるおつもりか」
 
 
信綱は黙考した。金16万両で物が買われれば、職人や農民にお金が回る。彼らが物を買えば、それを売る者が潤う。お金は回り続ける。正之は、町人を町の建て直しの導火線にして、江戸繁栄と言う灯を灯すつもりだ。
 
 
これって、反緊縮政策そのものではないですか! 今の政治家さん(与党も野党も。特に立憲の方々)に、是非とも保科正之の治世を学んで欲しいものです。
 
 
明暦の大火は、NHKが 2016年1月3日に放送した『ザ・プレミアム 歴史エンターテインメント「大江戸炎上」』の中で再現ドラマにして、信綱を柄本明、保科正之を高橋一生が演じた。
■ところで、佐藤巖太郎氏が『オール讀物』に連載していた「保科正之もの」の中で、何故か『将軍の子』に収録されなかった一篇がある。『オール讀物』2018年1月号に掲載された「所払い」だ。
 
年代的には、正之の青年時代。まだ高遠で養父のもと治政を学んでいた頃の話。当時も今も、治水は政治の要だ。高遠藩で水を争う農民たちの闘争が描かれる。あの、先の養子だった、真田左源太とその妹も登場するらしい。
 
この本が文庫化された際には、是非とも「所払い」も収録してほしいものだ。

2019年9月12日 (木)

映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

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■最初に、先だってからツイートしてきたものを再録します(一部改変あり)

映画『ニューヨーク公共図書館』を塩尻市の「東座」で観てきた。3時間25分のドキュメンタリー。途中休憩あり。噂に違わず面白かった。何やかや言ってもアメリカの民主主義は「当たり前」なのが凄いな。「図書館は本の置き場ではない。図書館とは人」「図書館は民主主義の柱。図書館は雲の中の虹」
 
 
続き)映画の冒頭、図書館司書が電話で「ユニコーンについて教えて欲しい」という市民に答えている。言わば『人力Google』だ。「中世のある僧がこんなことを書いています。男は外見はオオカミだが、心にユニコーンを飼っている」(ちょっと違うかも?)このシーンから一気に映画に引き込まれていった。
 
 
続き)エルヴィス・コステロの公演インタビューでは、彼の父親(ジャズ歌手)が『天使のハンマー』を歌うビデオが流れた。親子でホントそっくり! あと、コステロが鉄の女サッチャーをケチョンケチョンにけなしていて痛快。(映画ではモノクロ映像で、YouTube とは違う時の演奏だった)
 
 
 
 
続き)アメリカにも「歴史改ざん教科書」問題があったとは驚いた。奴隷をアフリカから働くために移民してきたと記載されていたという。子供たちに奴隷制も公民権運動のことも正しい歴史をきちんと伝えて行かなければならないと、黒人文化研究図書館長は力説する。
 
 
 
 
追補)映画『ニューヨーク公共図書館』。 何でも直ちに検索できるこのネット時代に、図書館なんて存在意義あるの?と思う人はいるだろう。ところが NYPL(ニューヨーク公共図書館)はそれを逆手に取って活動を進める。ネット民はむしろ孤立している。彼らが実際に集まって情報交換する場所を図書館が提供しようと。
 
 
追補)それから、映画を観ていてニューヨークに行った気分になれるのもいい。ぼくは行ったことないけれど。場面のつなぎに必ず街の風景がカットインされていて、○○番街○○丁目という標識がアップで映る。で、ここはハーレムかとか、チャイナタウンかとか何となく分かるのだ。
 

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追補)視覚障害者のための「点字・録音本図書館」で『ロリータ』で有名なウラジミール・ナバコフ『マルゴ』の録音本収録場面。役者志望の青年ボランティアが、感情を込めて「濡れ場」を朗読する。思わず照れてしまって直ちにカット。取り直し。ちょっと笑った。
 
 
追補)ガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』の読書会のシーンもよかったな。もうろくしたジジババばかりの読書会だけど、ちゃんと作品を読み込んで来ていて、みな適確な発言をしている。なんてハイブロウなんだ、ニューヨークは。
 
 
追補)ニューヨーク市民の 1/3 が未だにネットにアクセスできないという。このため、NYPLは期限付きだが無料でポータブルWiFi を貸し出している。
 
後半、若き詩人でラッパーのマイルズ・ホッジスが自らの詩をステージ上で暗唱する場面。フロアで赤ん坊が大泣きしている。でも詩人はラップを続ける。その赤ん坊の親も退出しない。他の観客もブーイングもなく真剣に聴き続けている。ニューヨーカーは日本人と較べてなんと寛大なんだ!
 
 
あと、ニューヨークにおける初期のユダヤ人コミュニティが「デリカテッセン」を中心に築かれたという話も面白かったな。
 
 
追補)『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス博士の講演「アメリカ国民の20%が無宗教で一番多いのに、政治家はキリスト教原理主義者の顔色ばかり伺っている」と怒っていた。「マクロの宇宙もミクロの細胞も突き詰めれば科学的にも詩的にもいっしょだ」とも。
 
 
追補)18世紀のアフリカ・セネガルでムスリムが革命を起こした話。それから、あのマルクスが共和党のリンカーンに奴隷制が労働者の権利を迫害していると手紙を送ったという話。いずれも初めて聞くことばかりで、興味はつきない。
 
 
追補)印象的だったシーン。SF『火星シリーズ』で有名なウイリアム・バロウズの直筆書簡をチェックしている人。詩人イエーツの書簡も NYPL本館に保存されている。それが無料でアクセスできるのだ。凄いぜ! 写真アーカイヴも豊富だ。テーマごとに分類されていて、アンディ・ウォーホルはその写真を何度も盗んだとのこと。
 
 
映画『ニューヨーク公共図書館』を検索していたら発見したサイト。hatenanews.com/articles/2019/ 対談者は「図書館は民主主義の柱」って言うのはどうよ? と発言をしているが違うだろ。ホームレスでもブラックでもメキシコ人の移民でも、アメリカ国民なら誰でも NYPL が収集した知的財産に無料でアクセスできて当然。アメリカ市民はその権利がある。その権利を守り維持してゆくのがニューヨーク公共図書館の義務であるという決意であり心意気なんじゃないのか。それこそ「民主主義」でしょ。
 
 
 
『未来をつくる図書館』菅谷明子著(岩波新書)読了。映画『ニューヨーク公共図書館』に映っていた、そのほぼ全てに関して、この本の中では既に詳しく解説されていた。映画ではよく分からなかった寄付金収集方法も詳細に載っている。2003年刊行で16年前の本だが、図書館のデジタル化に関する記載も映画と同じだ。その情報は、決して古びていない。驚いたな。
 
■映画を観た人は「この本」は必読の書だ。映画のパンフレットよりも断然分かりやすい。あのシーンはこういう意味があったのか! と読みながらいちいち合点がいくのだから。
 
■とにかく長い映画なので、1回しか観てないから記憶違いもたぶん多いと思う。でも、この映画は本当に面白かった! 観察映画の巨匠フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画は、今回初体験だった。彼のことを師匠と仰ぐ想田和弘監督の『演劇1』『演劇2』は観た。どちらも、とにかくナレーションも文字テロップも BGMも何もない観客にははなはだ不親切な映画なワケだが、そのためか、逆に観客は真剣にスクリーンを注目せざろう得なくなり、画面に集中することができるのだ。
 
 
映画『ニューヨーク公共図書館』では、頻回に「スタッフ・ミーティング」の場面が繰り返されるのだが、映画では何の解説・テロップっもないから、いったい誰が図書館長なのかが分からない。パンフレットを買って見て、あ、あの饒舌なオジサンが館長さんだったのか! と、初めて分かった。そういう映画なのだ。
 
「ユニコーン」の検索を図書館司書に依頼する男性に続いて、自分のルーツを調べている中年の太った女性が登場する。彼女の祖先は、いったいヨーロッパ大陸の何処から来たのか? すると、図書館司書はいとも簡単にこう言うのだ。「たぶん判ると思いますよ。その人がアメリカに上陸した年月が判れば、当時の移民登録台帳を確認すれば、彼がどの船に乗って来たか判るから、その船が何処から出港したか、たぶん判ります」と。
 
 
ビックリですよね。図書館司書がそこまで調べてくれるとは!
 
図書館の使命はそれだけではありません。失業者のための就職ガイダンスが無料で開催されていて、しかも! 履歴書の書き方から、面接時における対応の仕方まで講師が指導してくれる。「とにかく、大きな声でハキハキと答えましょう!」ってね。
 
 
■大切なことは、NYPL を運営しているのが、ニューヨーク市ではなくて、NPO法人であることだ。図書館の運営資金の半分は、確かにニューヨーク市から貰ってはいるが、あとの半分は、理解ある個人〜法人の寄付金に寄っているということが重要なのだ。
 
だからこそ、時の政府に忖度することなく、右も左も平等に資料を収集し、それを市民に公開している。このことは、本当に重要だと思う。
 
映画の中で、ハーレム135丁目にある『黒人文化研究図書館』の館長が確かこう言っていた(違うかもしれない。ごめんなさい)「赤狩り激しかったころの共和党元代議士○○氏が、当図書館を訪れて公民権運動に関する資料を見て苦虫を噛みつぶしたような顔をした。でも歴史の真実は、未来の子供たちのためにちゃんと保存されて行かなければならない」と。
 
 
 
 

2019年7月 8日 (月)

TBSラジオ アナウンサー 林美雄

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■『長野医報6月号』にぼくが書いた文章を、こちらにも転載させていただきます。

【ラジオは友だち】

 いつだって「これは!?」と耳をそばだてた楽曲は、決まってラジオから流れてきたように思います。

ぼくが中学・高校生だった1970年代は、ラジオの深夜放送が大人気でした。糸居五郎の「オールナイト・ニッポン」、落合恵子の「セイ!ヤング」そして、林美雄の「パック・イン・ミュージック」。初期にはラジオ局の専属アナウンサーがDJを務めていました。皆が寝静まった深夜、彼らはラジオから僕だけに語りかけてくれているように感じたものです。

伝奇漫画の巨匠、諸星大二郎の新作『オリオンラジオの夜』(小学館)では、深夜の星空の下、主人公が「異次元ラジオ」に耳を傾けると、昔懐かしい音楽が次々と流れてきます。しかし、いつしか時空はねじ曲がり、読者は不思議な諸星ワールドに引き込まれて行きます。

最近では、パソコンやスマホで「radiko」「らじる★らじる」を通じて雑音のないクリアな音でラジオ番組を聴くことができるようになりました。しかも、過去1週間さかのぼった放送まで、いつでもどこでも何度でも聴けるのです。夢のような時代がやって来ました。一方、AM電波は廃止される憂き目にあります。

 懐かしき「ラジオデイズ」の想い出、今のラジオの楽しみ方、おすすめのラジオ番組など、ラジオの魅力を再発見していただけたら幸いです。

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『東京人 2011年3月号 No.294』12〜13ページ

(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)


YouTube: Booker T. & The MG's - Time Is Tight

【TBSラジオアナウンサー 林美雄】

 1973年11月20日。荒井由実のデビューアルバム『ひこうき雲』が満を持してリリースされた。アルファの社長で、「翼をください」の作曲者でもある村井邦彦は、当時彼女にこう言ったという。「荒井由実というルーレットの目に会社ごと賭ける」と。それから6年後、村井は「YMO」の世界進出のため更なる大博打に打って出ることになる。

 ところが、社長の期待に反し彼女のレコードはまったく売れなかった。歌謡曲でもフォークでもアイドルでもない荒井由実の歌を、どう売ったらよいのか誰も分からなかったのだ。当時はまだ、ニューミュージックやシティポップというジャンルは存在しなかった。

 アルファ宣伝担当の布井育夫は困ってしまい、学生時代から愛聴していたTBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」金曜日第2部(午前3時〜5時)担当だった林美雄アナウンサーにサンプル盤を届ける。彼なら荒井由実の魅力をラジオを通じて拡散してくれるに違いない。林はすぐにアルバムを聴き、直感で素晴らしいと思った。その翌週から自分の番組で「八王子の歌姫。この人は天才です!」と絶賛し、毎週『ひこうき雲』から3曲、4曲とかけまくった。特に「ベルベット・イースター」がイチオシで、半年間毎週かけ続けた。

 当時ぼくは中学3年生で、受験勉強にも身が入らず、深夜ダラダラとただラジオを聴いていた。すると突然、聴いたこともない歌声が聞こえてきたのだ。「ベルベット・イースター」だった。「誰?これ!」衝撃的だった。その少し後だったか、林美雄のラジオに荒井由実がナマ出演し、スタジオのピアノで「ベルベット・イースター」「ひこうき雲」「雨の街を」をライブで弾き語りした回のことを今でも鮮烈に記憶している。翌朝学校に行って「ねえねえ、荒井由実って知ってる?」と訊いても、誰も知らなかった。当時は、吉田拓郎や井上陽水、カーペンターズ、ミッシェル・ポルナレフが全盛だったのだ。 

 

 ぼくがラジオの深夜放送を本格的に聴き始めたのは中学2年生の頃だ。部活に疲れて帰宅し、夕飯を食べ終わるとまずは寝る。夜11時過ぎに母親に起こしてもらい、それから午前4時くらいまで勉強。もう一度寝て、朝8時に登校。そんな毎日だった。

 皆が寝静まった深夜に、一人だけで起きているととても淋しい。居たたまれなくなってラジオをつける。すると、DJの声が僕だけに語りかけてくるのです。「おい、元気かい? 大丈夫だよ、明日も頑張れよ!」と。

 あの頃からアマノジャクだったぼくは、SBCラジオでネットされていた「オールナイト・ニッポン」は聴かずに、東京都港区赤坂六本木TBSのスタジオから東京タワーの電波塔を介して山越え谷越え南アルプスも越えて届いた「パック・イン・ミュージック」954kHzのAM電波を、長野県上伊那郡高遠町でキャッチしていた。深夜3時過ぎにになると、不思議と電波状況が良くなって、案外聴きやすかったのだ。

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 林美雄アナは、マイナーな日本映画が大好きで、特に藤田敏八監督の『八月の濡れた砂』に惚れ込んでいた。石川セリが歌う主題歌は、まだレコード化されていなかったので、日活でサントラからテープにダビングしてもらい「パック」の冒頭で毎週しつこくかけ続けた。荒井由実の前は、石川セリ。自分で「これはイイ!」と感じた映画、音楽、芝居を、林はとにかくラジオで熱くプッシュしまくっていたのだ。そんな林美雄にぼくは圧倒的な影響を受けた。中学2年生の夏休み、「新宿文化」の地下にあった「アンダーグラウンド蠍座」で『八月の濡れた砂』のリバイバル上映を観ている。以来ずっと日本映画大好き人間だ。

 林が次に惚れた映画が、神代辰巳監督、長谷川和彦脚本、東宝映画『青春の蹉跌』だった。ぼくは伊那映劇で観た。檀ふみの水着姿がまぶしかった。テーマ曲を作曲したのは、元ザ・スパイダースの井上堯之。以降「林美雄パック」のエンディングでは、まず『青春の蹉跌のテーマ』が流され、続いてミア・ファロー主演、キャロル・リード監督作品の映画『フォロー・ミー』の主題歌(ジョン・バリー作曲)が流れて番組が終わるというフォーマットが出来上がった。

 この頃、林美雄を通じて長谷川和彦と知り合った菅原文太は、沢田研二と組んで『太陽を盗んだ男』を撮ることになる。原田芳雄と松田優作は、二人してよく深夜のTBSスタジオに顔を出し、林の前で「リンゴ追分」や「プカプカ」をギターを弾きながらナマで唄っては帰って行ったものだ。

 1974年8月30日。スポンサーの付かない「パック・イン・ミュージック」金曜日第2部は廃止されてしまう。憤懣やるかたない思いでラジオを降板した林のために、荒井由実は感謝の気持ちを込めて曲を書いた。それが『ミスリム』に収録されている「旅立つ秋」だ。

 

 1975年6月11日。熱烈な林美雄リスナーたちの署名運動が実を結び、林は「パック」に復帰する。今度は水曜日の午前1時〜3時。ぼくは高校2年生になっていた。以前より聴き易い時間帯に移ったので、毎週欠かさず聴いた。

 この頃の人気コーナーに「苦労多かるローカルニュース」がある。ちょうど今の『虚構新聞』のような風刺を効かせた冗談記事を、林美雄がNHKのアナウンサーのように真面目くさって読むのだ。ニュースの前後には、下落合本舗(これも架空の会社)のパロディCMが流された。どちらもリスナーからの投稿葉書で作られていて、ぼくも試しに投稿してみた。そしたら何と採用され、ぼくのCMがラジオから聞こえてきたのだ。たまげた。聴きながら心臓がバクバクした。

いや大して面白くはない。国鉄のストライキで飯田線が遅れて皆困っていた。電車の車体にはアジテーションの文字がペンキで大きく描かれた。これ消すの大変だろうなあと思い、時間で消える「ストラインキ」を使った「遵法塗装」はいかが? というくだらないCM。

採用されると、TBSのネーム入りライターがプレゼントされる。ぼくは友達に自慢しようと学校へ持って行き、廊下で見せびらかしていたら、ちょうど通りかかった現国の伊藤先生に見つかって、ライターは取り上げられてしまった。

 タモリをラジオで初めて聴いたのも「林パック」だ。博多のビジネスホテルで、山下洋輔トリオに偶然発見されたタモリは、この年の7月に上京し、赤塚不二夫のマンションに居候しながら、夜な夜な新宿「ジャックの豆の木」で密室芸を披露していた。10月22日、漫画家の高信太郎に連れられて「林パック」に登場したタモリは、林が読む「苦労多かるローカルニュース」をデタラメの中国語やドイツ語で同時通訳した。さらにお得意の四カ国親善麻雀も披露。まだテレビ・ラジオに出演していない頃のことだ。

 おすぎとピーコを知ったのも「林パック」だ。山崎ハコ、上田正樹、憂歌団、南佳孝、橋本治『桃尻娘』、野田秀樹、ムーンライダーズ、RCサクセション、そして佐野元春。みんな林美雄が教えてくれた。

 

 1977年2月。毎年受験シーズンになると、林は黄色い短冊に緑色のマジックで「みどりブタ大明神」の御札を自ら手書きして希望する受験生に送っていた。ぼくも返信用封筒に切手を貼って同封し御札を送ってもらった。何でも合格率80%以上を誇るありがたい御札だ。そしたら、模試ではずっとD判定だった大学に奇跡的に合格することができた。ぼくは今でも林美雄のおかげだと思っている。

 しかし現金なもので、大学生になると彼への恩もすっかり忘れ「林パック」をほとんど聴かなくなってしまった。映画情報は『ぴあ』を見れば載っていたし、知らないレコードを友達が次々と貸してくれた。ジャズ喫茶に入り浸り、ジャズばかり聴くようになった。もう林美雄の「目利き情報」は必要でなくなったのだ。

 

 1980年9月30日。この日「林美雄パック」は最終回を迎える。ぼくは聴いていない。エンディングが近づくと「青春の蹉跌のテーマ」が流れ出す。このテーマに乗せて林は毎週自分の個人的な思いをマイクに向けて話すのが恒例となっていた。しかし、最終回のこの日「3分16秒間」林は沈黙した。音楽が終わったあと、林はおもむろにこう言った。「音としては(音声に)出ていませんでしたけれど、いろんなことを言いました」と。

 ぼくより2つ年上の劇作家・宮沢章夫は、1970年代が終焉し1980年代の波に乗ることが出来なかった林美雄の無念と絶望が、その沈黙にあったのではないかと分析する。彼が構成したラジオ番組『林美雄 空白の3分16秒』が、2013年12月27日にTBSラジオで放送された。ぼくはradikoでエンディングの「フォローミーのテーマ」を聴きながら、ただオイオイと泣いた。林アナ。ごめんなさい。今でもYouTube で聴くことが出来るので、興味を持って下さったなら是非聴いてみて欲しい。

 1970年代。かつて林美雄という深夜放送のカリスマ・アナウンサーがいた。林はいつもラジオのリスナーに向かってこう言っていた。「いい音楽を自分の耳と感性で探し出せ! 芝居を観ろ!映画を観ろ! 本当にいいものは隠れている。だから自分で探さないといけない。自分でいいと思ったものを信じて、それを追いかけるんだ」

 

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『東京人 2011年3月号 No.294』40〜41ページ

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YouTube: 林美雄 空白の3分16秒

2019年3月 3日 (日)

昨年読んだ本、観た映画、お芝居、聴いたCD

■YouTube で「第9回ツイッター文学賞」の発表を見た。今回は、投票できる本がなかった。

それで思い出して、1月初めにツイートしたものを、一部補足して、こちらにも残しておきます。

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■2018年に読んで、印象に残ってる本。ベスト本は、チムニク『熊とにんげん』。あと、図書館の本なので書影はないが『甘粕正彦乱心の曠野』は面白かったな。それから、寺尾紗穂さんが編纂した『音楽のまわり』。

2018/09/12

「赤石商店」で買ってきた、寺尾紗穂さんが編集して自費出版した『音楽のまわり』を読んだ。10人の個性的なミュージシャンが、音楽以外のエッセイを書いている。ユザーンや浜田真理子さんみたいに、よく知っている人やぜんぜん知らない人もみな読ませる文章だ。伊賀航、植野隆司、折坂悠太、知久寿焼、マヒトゥ・ザ・ピーポーの文章は初めて読んだが、感心したな。ユザーンや浜田真理子さんは期待通りの安定感。寺尾さんは、読者の期待の外し方が絶妙で、めちゃくちゃ上手い。各執筆者への編者からのコメントも面白い。

あと、『心傷んでたえがたき日に』上原隆(幻冬舎)、『颶風の王』河崎秋子(角川書店)もよかった。

■2018年に観て、印象に残ってるお芝居。木ノ下歌舞伎舞踊公演『三番叟(SAMBASO )・娘道成寺』まつもと大歌舞伎(市民芸術館 6/18)。ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出『百年の秘密』(まつもと市民芸術館 5/13)。同『修道女たち』(兵庫県立芸術文化センター 11/23)。ケラさんて、凄いな。

2018/10/10

今日は、飯島町文化館大ホールで『ペテカン』のコント9本+スペシャル・ゲスト柳家喬太郎師の落語2題。いや面白かった!以前観た「 ザ・ニュースペーパー」や「鉄割アルバトロスケット」とは違って、健全でほのぼのした笑いに場内は満たされた。4人の女優陣が頑張ってたな。あと喬太郎師も超熱演。

喬太郎師匠は、あと、毎年駒ヶ根市の安楽寺である「駒喬落語会」。今年は師匠「柳家さん喬」師との「親子会」だった。8月27日(月) よかったなあ。柳家さん喬師をナマでそう何回も聴いているワケではないけれど、さん喬師のベスト3と言えば「妾馬」「幾代餅」「片棒」だと思っていて(軽いネタ「棒鱈」とか「初天神」も絶品だが)

この日、さん喬師は「幾代餅」と「妾馬」をかけてくれたのだ。うれしかったなあ。涙が出たよ。

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■2018年に観て、印象に残ってる映画。見た順。『ラモツォの亡命ノート』『タレンタイム』(これは二度目の鑑賞)。『わたしたちの家』『枝葉のこと』『菊とギロチン』『カメラを止めるな!』『日々是好日』。7本のうち、何と!5本を「赤石商店」の蔵のミニシアターで観た。

あ、忘れてた! 是枝裕和監督の『万引き家族』は、岡谷スカラ座と伊那旭座で2度見ている。安藤サクラに惚れた映画だ。それから、佐藤健に驚いたのが、瀬々監督の『8年越しの花嫁』。これは伊那映劇(昔の)でみた。脚本もよかったな。『ひよっこ』の岡田惠和。じつに丁寧に作られていたな。

2018/08/16

昨日は、伊那通町商店街「旧シマダヤ」で、マイトガイ小林旭主演、浅丘ルリ子共演の日活映画『大森林に向かって立つ』野村孝監督(1961年・未DVD化)を見てきた。意外と面白かった。美和ダム、伊那市駅前での盆踊り大会、旧八十二銀行伊那支店に浅丘ルリ子が入っていくシーンなどが登場し、会場が湧いた。

出演者が豪華。敵役に金子信雄、深江章喜、安部徹。そして「キイハンター」の出で立ちそのままの丹波哲郎。脇役で高品格、長門勇、下条正巳。あと、スパイダース以前の、ムッシュ・かまやつひろしがギターを担いで登場。これには笑った『居酒屋兆治』の細野晴臣さんみたいで。

当時同棲していた小林旭と浅丘ルリ子。この映画が公開された頃にどうも別れたらしい。ホンモノの大型トラックを谷底に転落させたり、ちょっと『恐怖の報酬』みたいな感じで、結構お金をかけて作っていて驚いた。こちらのサイトに紹介記事が。

若かりし頃の金子信雄を見ていて、誰かに似てる? と思ったのだが、あそうか。爆笑問題の田中だ。

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■2018年によく聴いたCD。七尾旅人の『STRAY DOGS』は、結局CD買ってしまった。これは良いわ。ハンバートハンバートの『 FOLK2』も、さんざん聴いたが、CDが見つからない。誰かに貸したっけ?

それから、南佳孝の『ボッサ・アレグレ』。このCDには救われた。

2019年1月23日 (水)

村井邦彦の友人であり、ビジネス・パートナーであった川添象郎


YouTube: YMO 40 TALK ABOUT YMO 村井邦彦×川添象郎

■この動画を見て、ぼくは「誰?これ。脳天から発せられたような、かん高い声して、脳梗塞後の古今亭志ん生みたいな喋りをしている爺さんは?」そう思った。彼が『音楽家 村井邦彦の時代』に何度も登場した「川添象郎」だったのか。いや、驚いた。初めて見た。 (じきに続きを書きます。)

2019年1月 6日 (日)

『長野医報』2017年10月号(あとがき)に書いたこと

 月刊誌『文藝春秋』(2016年12月号)に掲載された、脚本家・橋田壽賀子さん(92歳)のエッセイ「私は安楽死で逝きたい」は、読者の大きな反響を呼びました。

28年前にご主人を亡くし、子供もなく、親しい友人もいない天涯孤独の身で、いまも元気で熱海の田舎に独り住まいの橋田さん。仕事はすでにやり尽くし、世界一周旅行は3回、北極点にも南極へも行った。やり残したことはもう何もない。とうに断捨離は済ませ、エンディング・ノート(死んだことも公表せず、葬式や偲ぶ会もしない)も完璧です。

 ただ、病気になったり、認知症になったりして、人さまに迷惑をかけながら死んでゆくことだけは耐えられないと彼女は言います。そうなる前に、合法的に安楽死が認められているスイスへ渡航して、逝かせてもらいたいと。「生まれる自由はないのだから、せめて死ぬ自由は欲しい」そう彼女は結んでいます。

 もちろん、日本では「安楽死」は認められていません。積極的延命治療は行わないが、苦痛を和らげるために十分な緩和ケアは施す「尊厳死」も日本では法制化されておらずグレーゾーンのままです。しかし安易な制度化は、家族による「姥捨て」や自殺の推奨、さらには相模原障害者施設殺傷事件の犯人の主張「役に立たない人間は死ぬべきだ」という優生思想とも結びつく恐れもあります。

 経済的にも健康面でも恵まれた橋田さんはレアケースです。認知症や持病を抱え、経済的にも貧窮した高齢者が多くを占めるようになる超高齢者社会を目前にして、これからの終末期医療はどうあるべきなのか?

 力のこもった投稿が多数寄せられた今月の特集「終末期医療について思うこと」は、たいへん読み応えのあるものとなりました。ご執筆頂いた皆様ありがとうございました。

 さて私事、この7月から新しく広報委員を拝命いたしました。長年広報委員を務められた春日謙一先生、そして先輩広報委員の先生方から優しくご指導いただきながらも、任務の重責に緊張しています。どうぞよろしくお願いいたします。11月号の特集は「私の好きなことば」12月号は「在宅医療と介護の先に見えるもの」です。ふるってのご寄稿をお待ちしております。

 広報委員 北原文徳

2018年12月31日 (月)

『音楽家 村井邦彦の時代』(その2:『キャンティ』の続き)

すっかり更新が遅れてしまいました。

なんと、大晦日の夜です。石川さゆりが「天城越え」を歌っています。

■「キャンティ」のことを、村井邦彦氏が書いた文章がある。『村井邦彦の LA日記』(Rittor Music)193~232ページに載っている。

2015年9月27日28日に渋谷 Bunkamura オーチャードホールで開催された『ALFA MUSIC LIVE』のプログラムのために、アルファの始まりから終わりまでを彼自身が書いた「この美しい星、アルファ」という文章だ。

 川添浩史・梶子夫妻もアルファの先祖だ。そもそもバークレイ・レコードへの道筋をつけてくれたのも川添さんだった。イタリアンレストラン、キャンティの創業者として知られているが、レストランは副業で、本業は国際文化交流だった。

 川添さんは、1930年代のパリに遊学し、ロバート・キャパやアンリ・カルティエ・ブレッソンといった写真家を始め、多くの芸術家たちとの交友を深めた。戦争後、日本が独立を取り戻すと、早くも1954年には、舞踏家・吾妻徳穂の「アヅマ・カブキ・ダンス」の団長として一行を率い、ニューヨークを始め7都市のアメリカ・ツアーを成功させた。翌年は10ヵ月かけてイタリア、イギリス、ドイツ、アメリカなどをツアーしている。

 イタリアでエミリオ・グレコに師事して彫刻を学んでいた梶子さんと会い、十二単衣(ひとえ)を着て舞踏の内容を手短にイタリア語でナレーションする役を頼んだら、観客に大好評だったので、引き続きパリ、ロンドンでも頼み、結局全行程を共にした。日本に戻って結婚している。

 以前、川添さんは戦前のパリで出会ったピアニストの原智恵子さんと結婚していた。川添象郎・光郎の兄弟は原さんと結婚していた時の子だ。僕は川添兄弟と知り合って高校生の時からキャンティに出入りしていた。梶子さんは(中略)何かと相談相手になってくれた。

 川添さんはその後、文楽のアメリカ公演、『ウエスト・サイド・ストーリー』のオリジナル、ブロードウェイ・キャストによる日生劇場の1ヵ月公演など、数えきれないほどのイベントをプロデュースしている。ファッション界では、クリスチャン・ディオールやディオールの後継者でのちに独立したイヴ・サン=ローランを日本に紹介し、梶子さんはサン=ローランの日本代表を務めた。

 僕や川添象郎にはそうした川添夫妻のDNAが流れているから、現代日本のコンピューター音楽、YMOを世界ツアーに出すという発想はごく自然なものだった。細野やユーミンもよくキャンティに来ていた。

 梁瀬さん、古垣さん、川添さんご夫妻はそれぞれに個性があったが、共通項を挙げれば、世界中に真の友人を持っていたこと、どの国のどんな人にも等しく接し、正々堂々としていながら、偉ぶるようなことは一切なかったことだ。それで僕のような若輩の者でも、一人の友人として扱ってもらえたのだと思う。持つべきものは良き先輩たちだ。(『村井邦彦 LA日記』p226〜228)

2018年8月12日 (日)

最近読み終わった本(2)『レコードと暮らし』田口史人(夏葉社)

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「赤石商店」で、田口史人「出張レコード寄席」を聴いてきた。いやあ、面白かった。最後まで聴いてみないと判らないさまざまなドラマが、人知れず作られたシングル盤レコード、ソノシート、ラッカー盤一枚ごとに確かにあった。あと、ポータブル・レコードプレーヤーの音が案外良くって驚いた。

昨日「明石商店」で、高円寺「円盤」店主:田口史人さんのお話を聴いていて、TBSテレビ『マツコの知らない世界』に呼ばれるんじゃないかと思った。そしたら「タモリ俱楽部」に既に出演されていたのだね。

7月13日

先日「赤石商店」で聴いた、田口史人さんの「レコード寄席」の最後にかけてくれたレコード、豊中市立第五中学校校長・田渕捨夫先生が退職する時の、あの感動的な言葉が、36ページに書き起こされて載っていたよ!『レコードと暮らし』

続き)田渕捨夫校長先生のことば抜粋「いつも言う『過去』というものはみなさんの記憶にあるだけである。『将来未来』っちゅうものはみなさんの想像にだけある。実際に存在する実在は、今そこにあるみなさんそれだけなんだ」(『レコードと暮らし』田口史人著・夏葉社 37ページより)

続き)でも、田渕校長の言葉は、文字に起こした活字を目で追って読んでいても、伝わって来ないんだよなあ。ソノシートのレコードを、あの小さなポータブル・プレーヤーに乗せて、田口さんが神妙に神社の神主みたいな感じで、厳かにレコード針を落とすと、聞こえてくるのです。あの、田渕校長の声がね。

続き)先だって「赤石商店」にカレーを食いに行ったら、店主の埋橋さんが言った。「田口史人さんが帰る時、飯田線の時間がまだあったから、伊那北駅近くのレコード店『マルコー』に寄ってみたんです。そしたら、2階に案内されて、引き出しから「お宝」のレコードが次々と見つかった!」とのことです。

(以上は、ツイッターでの発言より再録)

■高円寺で、インディーズ・レコードや自作の自費出版本を扱う店「円盤」を経営する田口史人さんは、1967年の生まれだ。ぼくより9つも若いのが信じられないような、年期を重ねたこだわりのアナログ盤愛好家だった。肩まではかからない中途半端な長髪で、牛乳瓶の底のようなメガネをかける田口さんは、どことなく早川義夫の雰囲気があった。

レコード店に勤務したあと、音楽ライターとして活躍されていただけあって、とにかく文章が読ませる。淡々と書いているようでいて、対象物への限りない愛と慈しみが溢れ、内に秘めた熱情がメラメラと燃え出すような、読者のココロを鷲づかみする文章を書く人だったのだ。

■田口さんは車の運転免許を持っていない。だから、全国津々浦々、フーテンの寅さんみたいに、売り物のCDと本を詰め込んだトランクをぶら下げ、肩にはポータブル・レコードプレーヤーやレコードがたくさん入ったショルダーバッグという大変な出で立ちで、電車で移動巡業販売の旅を続けている。

営業の旅でありながら、レコードの仕入れ買取の旅でもある。その地方ならではの貴重な「出物」があるからだ。でも、彼が探しているレコードは、駅から遠く離れた郊外の「古道具屋」でしか扱っていない。古物商は、売れない在庫をたくさん抱えているから、その保管場所が必要だ。当然、地代の高い市街中心地に倉庫は持てない。へんぴな郊外にバラック仕立ての店を構えることになる。

伊那でいえば「グリーンファーム」であり、西春近広域農道沿いの古道具屋がそれだ。車を運転できない田口さんが、いったいどうやって「そんな店」を見つけ実際に訪れているのか、謎だ。そのあたりのヒントが、当日購入した「ホチキスでとめただけの簡易自主製作本:店の名はイズコ」に書かれています。この冊子も実に面白かった!

■前日の松本から飯田線に乗って伊那を訪れた田口さんは、赤石商店の埋橋さんに駅まで迎えに来てもらって、そのまま「グリーンファーム」へ。田口さんは以前にも訪れて中古レコードを多数見つけたのだそうで、今回も一枚 100円で購入したシングル盤を、当日の「レコード寄席」の始まりでまずはかけてくれた。

でも、激レア盤はそうは見つからない。田舎でも全国的に膨大な量が流通したソノシートがあふれている。中でもよく見かけるのが「佐渡交通」が製作して配った、佐渡観光記念ソノシートだ。全国各地から佐渡旅行に来た人たちが、地元へ帰って想い出にはじゃまなレコードだけ処分する。レコードの内容はほぼ同じなのだが、レコードジャケットは何故か100種類以上存在するという。

『レコードと暮らし』41ページには6枚だけカラーで載っている。切手収集みたいな感じなのか。田口氏は「全ジャケット」収集を目指していて、今回帰りに寄った「イチコー」で持っていなかった「佐渡交通レコード」を1枚見つけたのだそうだ。

田口さんの探究心は凄まじい。実際に佐渡まで行って佐渡交通本社を訪れ、いったいどんな人たちが「このレコード」を作っていたのか訊きに行ったのだそうだ。ところが、本社にはすでに担当者は勤務しておらず、分かる人が誰もいなくて「なんだか変な人が東京からやって来て困ったぞ」というドン引きの冷たい空気に包まれた田口さんは、結局「佐渡交通」では何も情報を得ることができず、淋しく会社を後にしたのだそうだ。せっかくはるばる佐渡までやって来たのにね。

そんな『レコードと暮らし』には載っていないエピソードの数々を、田口さんの「出張レコード寄席」で聴くことができます。瀬戸内海の直島で、村木謙吉の「おやじの海」が生まれた裏話も傑作だった。本には p106〜p114 まで大々的にフィーチャーされているけれど、当日の話では、それらのレコードにまつわる、さらに不思議なエピソードを披露してくれた。

という訳で、この本を読む前に田口史人さんの『出張レコード寄席』を実際に聴いてみると、本が10倍楽しめると思うワケです。

■いずれにしても、今年読んだ本の中では一番印象に残った「傑作本」です。(おわり)

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■追伸)本の表紙絵は、加藤休ミさんだ。彼女の細密クレヨン画はほんとうに凄い。絵本『きょうのごはん』(偕成社)以来のファンだ。

2018年8月 4日 (土)

最近読み終わった本。『幸福書房の四十年』『レコードと暮らし』

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■『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』岩楯幸雄(左右社)を読んだ。

今年の2月に代々木上原駅南口店を閉店した、街の本屋さんの語りおろし本。『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)もよかったけど、この本もしみじみよいなあ。

「小田急線代々木上原駅前で、20坪の小さな書店「幸福書房」を、この2月で閉店することにしました。約40年前、私と弟の2人ではじめた店を閉める直接のキッカケは、店舗の賃貸契約の終了なのですが、やはり売上不振が決断した一番の理由です。

「本が売れない」。専門家がいろいろいっていますが、全部当たっていると、店番でお客様の様子などを見ているとそう感じます。

 閉店のお知らせのポスターを店舗に貼りだしたところ、思っていた以上の反響がありました。驚いた。残念だ。続けてくれ。何とかならないか。少しならお金は出す。これらの言葉がこれからの人生にどれほどのはげましになるでしょう。」(p6〜7)

■「幸福書店」の営業時間は、午前8時から夜23時まで。お休みは正月元旦のみ。あとの364日は休まず営業。店主の岩楯幸雄さんと奥さん、それに岩楯さんの弟夫婦の4人で家族経営を続けてきました。北口店と南口店を営んでいた時は、正社員2人とアルバイトを雇っていた時期もありました。

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「昔も今も小さい書店へは本があまり入って来ません。書店の要望が通らないということです。そのため私たちは、最初の仕入れの段階からトーハンの店売というものに行きました。」(p17)

「書棚の一番下は引き出しになっています。店が元気な頃は在庫でぎゅうぎゅうになっていました。現在は、返品がはばかれるような『しょれた本』が入っています。もう時間が経ちすぎて返品が不能の本を『しょれた本』と呼んでいます。」(p28)

「仕入れについては、店の傾向、お客様の好み、自分の好みなど、結局は全てさじ加減です。お客様の顔を思い浮かべながら仕入れたからといって、『○○さん! この本入れておきましたよ!』なんてことはやりません。そんなのは嫌ですよね。行く度に声をかけられたり、定期購読を提案されたりしたらたまったものではありません。私がお客様ならそれは嫌です。」(p31)

「それと、当たりが良いのはやはり鉄道ファンの方々です。幸福書房のお客様で鉄道ファンの方は現在26人か27人です。顔もすぐ思い浮かびます。そして、雑誌が軒並み部数を減らしている中で、鉄道ファンの方々は絶対といっていいほど買ってくださる。とてもありがたいですね。」(p32)

「約40年の時代の時代の中で、出版業界は盛り上がり、そして苦しくなってきました。それは、私たち書店にも同じ事がいえます。ピカピカでなくなってしまったのは、本や雑誌が売れず仕入れのお金がないからです。ただ、それだけです。

 ここ10年で、雑誌の売上部数は驚くほど減り、様々な雑誌が廃刊となりました。」(p40)

「10年前まではとても文庫がよく売れました、いや、5年前までは文庫は売れました。そのよく売れた文庫本のスリップを正直に出版社に送ると、がんばりましたと文庫がたくさん送られてきます。しかし、最近では文庫が売れません。逆に、送られてくると困ります。どうしても欲しい本なら良いのですが、いらない本まで送られてきて、売れるかどうかも分かりません。なので、スリップは送らないのです。

 過去に送ったスリップの数によって、出版社からの本の入りやすさが決まります。幻冬舎には1回も送ったことがないので、入ってきにくいです。」(p53)

「本屋にもよりますが、毎日坪1万円売ることができたなら優秀な本屋といわれます。

この基準で幸福書房を考えるとどうなるか。幸福書房(20坪)の家賃は35万円です。2017年での1日あたりの平均売上は15万円なので、2日分の売り上げでは家賃を支払うことができません。これが今の幸福書房の現実です。とにかく苦しいのです。」(p55)

「幸福書房ではみすず書房、白水社、青土社の書籍をよく置いています。けれども、その置き場所は最初あった場所から徐々に移動して現在のレジ前の位置になりました。なぜ、場所が変わったのかといいますと、プロがいるのです。万引きのプロが。」(p71)

「大型書店でも(万引きが)結構頻発しているという事をいわれました。しかも、みすず書房の棚の担当の人がお休みの時を狙って万引きをされるそうです。(中略)

「万引きされて困るのは書店です。幸福書房で万引きが起こったら、幸福書房が売上として計上するだけです。それが出版社の売上になるので、損をするのは書店。」(p73)

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