絵本 Feed

2024年7月28日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その 141 )飯島町図書館 2024/07/28

■今日の午前中は、飯島町図書館のイベント「おはなしの森 夏休みスペシャル」に呼ばれて4人で絵本を読んで来ました。子供たちの反応も良くて楽しかったなあ。

【本日のメニュー】

1)『はじめまして』

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2)『このかみなあに? トイレットペーパーのはなし』谷内つねお(福音館書店)→伊東


YouTube: 「どうぶつしりとりえほん」 おはなし絵本237

3)『どうぶつしりとりえほん』薮内正幸(岩崎書店)→北原

4)『かごからとびだした』

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5)『うみやまがっせん』長谷川摂子 文・大島英太郎 絵(福音館書店)→坂本

6)『いっぽんばしにほんばし

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7)『オニのきもだめし』岡田よしたか(小学館)→倉科

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8)『ふうせん』

9)『世界中のこどもたちが』

2024年7月10日 (水)

伊那のパパズ絵本ライヴ 『みのわこどもフェスタ 2024』

■7月7日(日)は、まる1年ぶりの「伊那のパパズ絵本ライヴ」。

昨年に続いて『みのわこどもフェスタ 2024』で呼んでくださったのだ。ありがたい。

【今日のメニュー】

1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

2)『せんのはっけん』鈴木康広(かがくのとも 2019年2月号)→伊東

3)『たぷの里』藤岡拓太郎さく・え(ナナロク社)→北原

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4)『かごからとびだした』(アリス館)→うた手遊び(全員)

5)『けっこんしき』鈴木のりたけ(ブロンズ新社)→坂本

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6)『わがはいは のっぺらぼう』富安陽子ぶん 飯野和好え(童心社)→宮脇

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7)『いっぽんばしにほんばし』(アリス館)→うた手遊び(全員)

8)『ちゃいますちゃいます』内田麟太郎ぶん、大橋重信え(教育画劇)→倉科

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9)『ふうせん』(アリス館)→うた(全員)

10)『世界中のこどもたちが』→うた(全員)

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■昨年の7月16日(日)『みのわこどもフェスタ 2023』での絵本ライヴのもようは、ブログにアップするのを忘れてしまっていました! ごめんなさい。

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1)『はじめまして』

2)『おきにいりのしろいドレスをきてレストランにいきました渡辺朋・高畠那生(童心社)→伊東

3)『あっちむいて ほい』中村征夫(こどものとも年少版 2023 7月号)→北原

4)『かごからとびだした』

5)『ぞうさんのおとしあな』高畠純(ポプラ社)→坂本

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6)『カ どこいった?』鈴木のりたけ(小学館)→宮脇

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7)『うんこしりとり』

8)『かばくん』(ひさかたチャイルド)→うた(全員)

9)『オニのサラリーマン じごくの盆やすみ』

   富安 陽子 文 / 大島 妙子 絵(福音館書店) →倉科

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10)『ふうせん』

11)『世界中のこどもたちが』

 アンコール

12)『パンツのはきかた』岸田今日子・佐野洋子(福音館書店)

2022年3月26日 (土)

戦争反対! 待合室と自宅にあった絵本から

■3月6日:戦争反対! 手持ちの絵本も、これでおしまい。そっちもお終いにして欲しい。

『こどもたちはまっている』荒井良二の表紙は、ウクライナの国旗の色だ!

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■3月3日:戦争反対の絵本(その3)

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(写真をクリックすると大きくなります)

■2月27日:

ロシア軍のウクライナ侵攻に反対します。古い絵本が多くなってしまったけど『もっと おおきな たいほうを』二見正直・作(福音館書店)は、おすすめデス!


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■2月25日: 戦争反対!

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■以上、ツイッター上に2月25日〜3月6日にかけてアップした我が家にあった絵本たちです。

あと、『へいわってすてきだね』安里 有生/長谷川義史(ブロンズ新社)『せかいでいちばんつよい国』デビッド・マッキー(光村教育図書)を持っているはずなのだが、どうしても見つからなかったのでした。

2021年8月18日 (水)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その 139 )飯島町図書館 2021/05/01

■じつは今年の5月、なんと1年半ぶりに「伊那のパパズ絵本ライヴ」があった。

アップするのをすっかりサボってしまっていました。すみません。呼んでくれたのは「飯島町図書館」。このコロナ禍の中、万全の対策を取って(家族限定15組?)開催して下さったのだ。ありがたいことだ。

われわれも十分な距離を取って、フェイスシールドを付けての読み聞かせ。

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【本日のメニュー】

 1)『はじめまして』新沢としひこ(鈴木出版)→ 全員

 2)『うえきばちです』川端誠(BL出版)→ 伊東

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 3)『これなーんだ?』のむらさやか 文、ムラタ有子 絵(福音館書店:こどものとも012 /2006/1月号)→ 北原

 4)『かごからとびだした』いぬかいせいじ文、藤本ともひこ絵(アリス館)→全員

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 5)『まわる おすしやさん』
藤重ヒカル(福音館書店こどものとも/2020/1月号)→坂本

 6)『おーい かばくん』中川ひろたか(ひさかたチャイルド)→全員


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 7)『ようようしょうてんがい』環 ROY(こどものとも2020年12月号)→倉科


YouTube: 絵本『ようようしょうてんがい』プロモーション動画

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 8)『ふうせん』湯浅とんぼ/作 森川百合香/絵(アリス館)→ 全員

 9)『世界中のこどもたちが』中川ひろたか・新沢としひこ(ポプラ社)→全員

■フェイスシールドしてると、自分の声がシールド内にこもっちゃって、ちゃんと客席まで声が届いているのかどうか、すごく不安でした。

早くこんなの付ける必要ない「絵本ライヴ」が行いたいものです。

2020年11月 3日 (火)

『物語を売る小さな本屋の物語』鈴木潤(晶文社)

■このところずっと、元気のいい女性が書いた「エッセイ」を続けて読んでいる。

ブレイディみかこさん、伊藤比呂美さん、そして、鈴木潤さん。

『物語を売る小さな本屋の物語』鈴木潤(晶文社)を 110ページまで読む。四日市のメリーゴーランド本店店主の、増田善昭さんとの掛け合いが面白いな。少林寺の師匠にして、はちゃめちゃな上司。苦労が絶えない。(2020/10/31 のツイートより)
 
■でも、落語家の一門と同じなんだね。入門が許された弟子は、師匠から芸と作法を習い教えてもらって、自分流にアレンジし、その芸をさらに高く発展させて行く。ただ、あくまでもオリジナルの基本を身につけ、それを継承してゆくことも大事。
 
だけれども、師匠をそっくり真似してたんじゃあダメだ。師匠の完全コピーなんて、誰も期待しない。
私と増田さんは性格が似ているところがあって、お互いの言い分をぶつけて喧嘩になることがしょっちゅうだった。(中略)天真爛漫ですぐに調子のいいことを言ってあとで自分やスタッフの首を絞める社長にイライラしつつも、(少林寺拳法の)道場ではやっぱり尊敬すべき存在ということを再認識できるのだ。(p83〜84)
 長く一緒にいたからなのか、私と増田さんは呆れるくらい似ているところがある(p87)
しょっちゅう喧嘩をするし、ぶつかり合うけれど増田さんの思想や思いは私の中にしっかりと詰まっている。
 
私たちはとにかくよく働き、よく遊び、よく旅をし、よく話し、よく読み、よく食べ、たくさんの人に会った。増田さんは社長で少林寺拳法の師匠である。そして本に対する情熱、子どもの本専門店として在り続ける意義、縁を大切にすること、恩義を忘れないことなど本当にたくさんのことを増田さんから学んだ。
 
気が付けば全て自分らしく生きることに繋がっているのだ。私にとって増田さんは父親のようであり、親戚の叔父さんのようでもあり、憧れの先輩のような存在でもあり、今でも一番のライバルなのだと思っている。(p89)
 
 

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■京都一の繁華街「四条河原町」を南へ少し下った東側の「寿ビル5F」に、鈴木潤さんが経営する『メリーゴーランド京都』はある。河原町通りに面した一等地。でも、地元京都の人たちはこう言う。

「河原町でも、四条より下へはよう行かへんわ」

■増田善昭さんがやっている、三重県四日市にある児童書専門店『メリーゴーランド』の初めての支店として、2007年9月17日に『メリーゴーランド京都』はオープンした。従業員兼店長の鈴木潤さんが、ひとりだけで業務(現在は2人体制)する。

支店とはいえ、まったくの独立採算制。本店からの経済的支援はない。

赤字が続いて、店長がくじけてしまえば、それでお終い。キビシイ世界だ。

  だけど彼女はくじけない。

  泣くのはイヤだ、笑っちゃお

  進め〜〜!

 「私のモットーは『当たって砕けろ』だ。」

■もともと、京都の店も、社長の増田さんがある日突然「京都に店出すぞ。潤、京都に行くやろ?」と言い出して、彼ひとりだけの突然の思いつきで始まったプロジェクトだ。

 増田さんはきっと今までだって目に見えない何かに突き動かされて、まだ見えないどこかに向かってきたのだろう。書店の経験も全くない25歳の増田青年がある日突然「子どもの本屋をやりたい!」と言い出し、どんどんいろんな人を巻き込みながら店を作ってきたことだってきっとそういうことなのだ。

 私にはこの「根拠のない自信」がとてもよくわかる。(中略)

 私たちは目の前に波があったらとりあえず乗りたいタイプで、その波が大したことなくても、怪我をしたとしても「乗った」ことが大事。「逃した」ことで後悔したくないのだ。

そういえば増田さんはサーファーでもあった。(p97)

■本の後半、京都での仕事・生活が落ち着いてきた彼女は、京都の男性と出会い恋をし、結婚した。そして2人の男の子の母親になる。

ただ普通の人とちょっと違っていたのは、その男性が「徳正寺」という有名なお寺さんの後継ぎであったことだ。住職で父親の秋野等氏は陶芸家で、その母「秋野不矩」(あきのふく)は大変有名な日本画家という芸術一家だ。

■おおっ! 秋野不矩。以前に浜松を訪れたさい、旧天竜市にある「秋野不矩美術館へ行ってきたのだ。不思議な外観、内装の超個性的な美術館で、設計はあの藤森照信氏。

ちなみに、京都「徳正寺」にも、藤森照信氏が設計した茶室「矩庵」がある。

■大変な芸術一家のお寺さんだから、当然、潤さんの夫「迅くん」もただ者ではない。彼は僧侶という本業のかたわら、

文章を書いたり本の編集やデザインをしたりしている。古本屋めぐりが大好きで、仲間内から「ブッダハンド」と呼ばれている。古書善行堂の山本善行さんさんが古本屋の均一台から煌めくような本を探し出すことから、「ゴッドハンド」と呼ばれていていたことがあり、迅くんも時々そんなことがあったので神に対して仏ということで「ブッダハンド」と呼ばれるようになったのだとか。(p154)

 お互いに好きな作家も読む本も全く違うのだけれど、私は迅くんの言葉や本に対する思い、縁を大切にする人との付き合い方などとても尊敬している。なので時々私の書いた文章を「ええやん」「面白かったわ」と言ってもらえるととても嬉しいのだ。違うけれど同じ方向を向いている。同じだけれど時々違う方向も向く。

わたしたちはそんな夫婦だと思っている。(p157)

その続きを読んで行くと「荻原魚雷さん」の名前が!

おお、迅くんと友だちなのか。しかも、荻原魚雷氏は潤さんと同郷(三重県)なのだ。さらに、ぼくはいまちょうど『中年の本棚』荻原魚雷(紀伊國屋書店)を読み始めていたところだったのだ。

なんか、妙なシンクロニシティだな。

よのなか、不思議な縁でつながっているのかな? 

 ■以下、付箋を貼ったところなど。

もし学校生活に満足していたら、彼氏ができてバイトで稼いだお金で楽しく遊んで暮らしていたら、今のように本屋をやっていなかったかもしれない。

 人生は間違いなく繋がっている。「一生の汚点」と思い出したくないようなできごとも、「一生の不覚」と誰にも話せないようなできごとも含めて、その点と点が繋がって蛇行する川の流れだ。ボタン一つでリセットなんてできるわけがないのだけれど、人は良くも悪くも「忘れる」のだ。

私は自分に都合の悪いことや嫌だったことはちょっと隅っこに置いておいていつもは忘れているのかもしれない。「忘れたいこと」「絶対忘れたくないこと」「自慢したいこと」「つまらなかったこと」などなど全部ひっくるめて私の人生なのだ。(p47〜48)

美味しい料理の条件はまず第一に素材の良さ。次にどんな器に盛り付けるか、つまり見せ方。そして場の雰囲気だろうと思う。

 つまり、味はほどほどであれば良い。どんなに美味しい料理だって重苦しい雰囲気の中でそんなに好きでもない人たちと食べれば味も半減だろう。(p174)

 親は子どもが独り立ちするまでに色んなことを伝えたいと思うだろう。それには様々な方法がある。野生動物ならそれが狩りの仕方だったり、安全な寝ぐらを確保する生き抜くための術なのだろう。

 けれど本で伝えたいのは目には見えないものだ。それは薄ぼんやりした気持ちの揺らぎだったり、人に話さずにはいられないような感動だったりするだろう。それを言葉で話して伝えようとするのはとても難しい。けれど本でなら、すぐには確信できないかもしれないけれど心のどこかにそっと種をまくことができるのだと、私はブッククラブや店に来てくれるお客さんから教わったのだ。(p180)

 本は決して特効薬ではない。けれど行き場のない思いやどうしようもない悲しみ、何だか落ち込んでしまっている状況を少しだけ方向転換するきっかけをもらえたりするのだ。(p186)

 何気ない会話だったけれどみなさんとても仲よさそうで、楽しげで私までなんだか嬉しくなった。こんな風に一言二言だけでいいのだ。旅行で訪れた人も地元の人もさり気無いやりとりだけでいい一日が過ごせるような気持ちになるものだ。

道ですれ違う人みんなと会話するわけにはいかないけれど、店に来てくれた人が「今日は良い一日だった」と思えるひとかけらをメリーゴーランドで感じてもらえたらこんなにうれしいことはないと思う。(p229)

■「おわりに」を読むと、これまた驚いたことに NHKの歴史番組でよく拝見する磯田道史先生とは、息子さんたちの小学校で兄弟ともに「同じクラス」で、家族ぐるみのお付き合いをしているとのこと。

■それから、これは最初にツイートして失礼かと削除してしまったことだけれど、「この本」の表紙の色が、何とも懐かしい見覚えのある色合いなのだ(思い出した! ぼくの実家の便所の便器の色と同じ色なのだった。失礼いたしました、ごめんなさい。 あと、うちのブログの背景色も、なんだ同じ色じゃん!)

Blue In Green」は、マイルス・デイヴィスの名盤『カインド・オブ・ブルー』A面3曲目に収録された、ビル・エヴァンス作の印象的な楽曲だが、「それ」に「薄い灰色」を混ぜた感じの色なんだな。

どうして「この地味な色」が表紙のカラーに選ばれたのか? その答は 115ページに載っていた!

「メリーゴーランド京都」のお店に並ぶ本棚の色がみな、この色なのだった。

■前回京都へ行ったときは「古書善行堂」と「ホホホ座」には行ったのに、「メリーゴーランド京都」は訪れなかった。すぐ近くの、四条河原町の高島屋前にはいたのにね。残念。

追記)2020/12/09 

■録画してあった NHKBSP『英雄達の選択』「100年前のパンデミック〜“スペイン風邪”の教訓〜」を見る。大正時代、パンデミック下の京都で 12歳の少女が日記を付けていた。司会の磯田道史氏が訪れたのは、京都市の徳正寺。応対する住職は、井上迅(扉野良人)さん。なんとも優しそうで穏やかな風情の人だ。

続き)そう「メリーゴーランド京都」店主、鈴木潤さんの夫で、磯田道史先生とは家族ぐるみで友だち付き合いをしてるって、本にも書いてあったな。扉野良人(とびらのらびと)さんて、後ろから読んでも同じトマトみたいな回文になっているんだ!

『絵本といっしょに まっすぐまっすぐ』鈴木潤(アノニマ・スタジオ)を読んでいる。こんなふうに読み手に届く文章を書きたいものだ。例えばこんな文章。 「私が本を好きな理由のひとつに、『しあわせなため息』があります。一冊の本を読み終わり、本を閉じるのと同時に、体の中に言葉がおさまっていく

続き)というか、染み込んでいくのをじっと待つとき、思わずもれるため息。この感覚を何度も味わいたいけれど、なかなか出会えるものではありません。」32ページより。(2020/11/10)

『中年の本棚』荻原魚雷(紀伊國屋書店)を読んでいる。面白い! これは!と思ったのが「上機嫌な中年になるには」p32〜40。取り上げられている本は、田辺聖子の『星を撒く』。中でも「余生について」と「とりあえずお昼」それと、1つしかない不機嫌の椅子を夫婦で椅子取りゲームしてること。(2020/11/05)

ある程度の長さの文章を、毎日書き続けることが案外大事なんだな。ジムに通って筋トレするみたいに、日々の鍛錬が「読んでもらえる文章」を書くコツなのかもしれない。そのことは、黒猫の田口さんの文章を読んでいて、しみじみ実感することだ。見習わなければな。

140字以内のツイートばかりじゃ、ダメなんだよ。(2020/11/05)

2020年5月30日 (土)

演者と観客とが「息を合わせる」ことについて

■気がついたら、前回の更新から1ヵ月以上過ぎてしまった。

最近「書きたい」って思うことが何もないのだ。情けない。

コロナのせいだ。

この3ヵ月、小説がまったく読めなくなってしまった。

漠然とした不安に常時覆われていて、小説世界に没入することが出来なくなってしまったからだ。それと、フィクションなら有り得ないような信じられないくらい「くだらない、人をバカにしたような」(アベノマスクとか、スピード感をもってとか、賭け麻雀とか、ブルーインパルスとか)不条理でリアルな毎日の堪え難い苦痛を連日我慢していたら、いつしかすっかり慣れてしまって、小説世界の「リアルさ」が、逆に嘘っぽく思えてきたからかもしれない。悲しい。

■そんな中でちょっと「これは!」と思った文章。

「斎藤環氏の note」

山田ズーニー「おとなの小論文教室」Lesson 966 失われた「息」

■「息を合わせる」ためには、ステージ上の演者同士、それから演者と客席の観客とが、同時に息を吸ってそれから吐く動作が必要だ。

その簡単な例が「お笑い」だ。息を吸いながら笑うのは、明石家さんましかいない。普通、人は笑う時、息を吸って貯め込んでから思い切り「わはは!」と息を吐き出す。それが「笑い」だ。

それで思い出したのが、国立こども図書館の松岡享子さんが、語りの「間」について語っている文章だ。『お話しを語る』松岡享子(日本エディターススクール)98〜101ページ。

ずいぶんと前に書いた(本文を引用・抜粋した)文章(2005/04/05)だが、以下に再録します。

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●彼女は、「間」には基本的にふたつの働きがあると言っている (p98)


 ひとつは、語り手がそれまでに語ったことを、聞き手に受けいれさせる働きです。語り手が、「おじいさんとおばあさんがいました」といえば、聞き手は、「ああ、おじいさんとおばあさんがいたんだな」と思い、心のスクリーンに、おじいさんとおばあさんを描きだします。これに必要な時間が間です。(中略)

 間のもうひとつの働きは、聞き手の気持ちを話の先へつなげていく働きです。さきほどの例でいえば、聞き手が、「ああ、おじいさんとおばあさんがいたんだな」と、その事実をのみこんで、さらに「そして、その人たちがどうしたの?」と、問いかける時間です。つまり、聞き手が、語り手に、話を先へすすめるよううながす時間です。(中略)

語り手に話の先をうながす間は、同時に、聞き手に能動的な聞き方をうながす間でもあることがおわかりいただけるでしょう。間が与えられてはじめて、聞き手は、疑問をもったり、予想をしたり、期待したり、要するに、自分の中で話についてさまざまに、思いめぐらすことが出来るのです。これは、聞き手の側からの話への参加です。


『子どもへの絵本の読みかたり』古橋和夫(萌文書林)を伊那市立図書館から借りてきて読んでたら、また、間の働きのはなしがでてきた。「読みかたりでの「間」について 『間で聞き手を魔法にかける』 



「人間的感動の大部分は人間の内部にあるのではなく、人と人との間にある」

フルトヴェングラー、芦津丈夫訳『音楽ノート』(白水社)

◆2つの「間」について
「間」の取り方というのは、休止のことです。この休止については、「論理的休止」と「心理的休止」があると言ったのは、演出家のスタニスラフスキー(『俳優の仕事』千田是也・訳、理論社)です。(中略)

スタニスラフスキーによりますと、「論理的休止」とは、「いろいろの小節や文を機械的に分けて、その意味をはっきりさせる」休止のことです。文章には、句読点がありますが、それが意味のひとまとまりをつくっています。論理的休止とは、この句読点のところに置かれる「間」のことです。

もうひとつの「心理的休止」とは、「思想や文や言語小節に生命を吹きこみ、その台詞の裏にあるものがそとにあらわれるようにする」「間」のことです。(中略)

たとえば、『おおきなかぶ』を例にとりますと、「おじいさんは かぶをぬこうとしました。『うんとこしょ どっこいしょ』……」というところで、「間」をとります。「うんとこしょ どっこいしょ」という言い方は、おじいさんが力を込めてかぶをにいている様子です。それにつられて、聞き手の方も思わず力が入ってしまいます。「ぬけるかな」という期待が高まります。

このような「間」を置いてから、「ところが かぶは ぬけません」といふうに語りますと、その場のイメージに力を感じていた分、抜けないという事実との落差に意外性を感じていくのです。また、それが楽しくおもしろい読みの体験です。このような「間」が「心理的休止」であるといってよいでしょう。(p64 ~ p74)

●何だか、分かったようなわからんような解説だが、またまた出ました、有名なスタニスラフスキー・システム。このあたりのことを、松岡享子さんは、もっと直感的に分かりやすく説明してくれます。例えば、こんなふうに……


 ところで、間には、ここに述べたふたつの基本的な働きのほかに、もっと微妙な、もっとおもしろい働きがあります。たとえば、場面転換に使われる間とか、聞き手の気持ちをひとつにまとめる間などです。


 お話には、パッと場面が変わるとか、長い時間が経過するとかいったように、そこで話が大きく変わるときや、生まれたときある予言をされていた女の子が、時が経ってその予言の成就する年頃になりました……といったときなど。これは、お芝居でいえば、いったん幕が下がったり、暗転したりするところです。

ただ、お話では、それができませんから、そこで十分に間をとることで、場面の転換を表現します。こうした間は、いわば聞き手の心のスクリーンをいちど白紙にして、そこに新しいイメージを迎え入れる準備をする働きをしているといえるでしょう。


 もっと強力な、もっと効果的な間は、話のクライマックスで用いられる間です。これは、緊張を盛りあげるための間といえばよいでしょうか。たとえば、風船をふくらますときなど、強く息を吹きたいとき、わたしたちは、いったん息をとめて、それから勢いをつけて息を吐きだします。

それと同じように、話のおしまいなどで、だんだん積みあげられていったサスペンスが一挙にくずれるとき、あるいは大きなどんでんがえしがあるときなど、もちあげられ、ふくらんだエネルギーが一気に開放される場面では、この「息をとめる」間がとられます。「エパミナンダス」の話のおしまいで、「エパミナンダスは、足のふみ場に気をつけましたよ、気をつけましたとも」のあとに来る間などがそれです。

 この間は、語り手と聞き手の呼吸を共調させる動きをもっています。わたしは、音楽の演奏でも、物語の語りでも、演劇でも、演者と聴衆が時間を共有して行う芸術では、両者の間に一体感が生み出されるときには、両者は同じ呼吸をしているのではないかと思います。

ともあれ、少なくとも、さきの述べたような、”劇的”瞬間には、両者の呼吸は一致していなければなりません。聞き手は、このときの語り手の一言で、ホーッと緊張をといたり、「ワァーッ」と笑ったりするわけで、そのときには、そろって息を吐かなければなりません。そのための時間、それが間なのです。つまり固唾をのむ時間というわけです。

 このことについて、亡くなった落語家の柳家金語楼が、たいへんおもしろいことをいっていました。金語楼は、あるインタビューで、「人を笑わせるこつはなんですか?」と聞かれたのに対し、言下に、「それは、人が息を吐く寸前におかしなことをいうことです」と、こたえていました。そして、「人間というものは、息を吸いながらでは笑えないものですよ」と、いっていましたが、なるほどと思いました。

そういえば、落語の下げの前には、必ず、たっぷりした間があります。その瞬間、聴衆が揃って、「……?……」と息をとめるからこそ、次の瞬間、一斉にドッと笑えるのです。間には、まちまちに吸ったり吐いたりしている聴衆の呼吸を一致させる働きもあるわけです。(p99 ~ p101)『お話を語る』(日本エディタースクール)

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■この柳家金語楼のはなしが大切なことの「すべて」を「たったひと言」で言い表していて素晴らしいですね。

■同じ頃(2005/1月)書いた文章を読んでたら、こんなのもあった。

「落語」と「絵本」の読み聞かせは、よく似てる?(その1)2005/01/04

松岡享子さんの『お話を語る』については、このページの 2005/01/20、01/21 にも記載があります。

2019年12月24日 (火)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その138)箕輪町役場「子ども未来課」

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■箕輪町「子ども未来課」は、毎年12月欠かさずに「伊那のパパズ」を呼んでくださる。ありがたいことです。12月は「クリスマス・バージョン」のコスプレでの登場だ。去年も呼ばれたはずだが、このブログには記録がない(その134回)。ということは、僕が欠席だったのだ。インフルエンザ・ワクチンの「まとめ接種」の日だったかもしれない。

■それからやはり毎年11月に呼んでくれているのが、飯島町「子育て支援センター」だ。今年も呼ばれた。11月17日(日)。「ぼくも出席OKで〜す!」と皆に返信してあったのだが、なんと「その日は当番医」だった。スケジュール帳の記載もれだったのだ。ごめんなさい。ぼくは欠席でした。

■で、今年は12月15日(日)午前10時〜11時に「松島コミュニティセンター」で絵本ライヴが行われたのでした。

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           ■ <本日のメニュー> ■

1)『はじめまして』新沢としひこ →全員

2)『らくがきボール』鈴木のりたけ(小学館)→伊東

3)『たいこ』樋勝朋巳ぶん・え(福音館書店)→北原

4)『かごからとびだした』→全員

5)『まわる おすしやさん』藤重ヒカル(こどものとも 2020年1月号)→坂本

6)『おならまんざい』長谷川義史(小学館)→倉科&坂本

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7)『どうぶつれっしゃ』しのだこうへい(ひさかたチャイルド)→全員

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8)『へんなおでん』はらぺこめがね(グラフィック社)→伊東

9)『じゃない!』チョーヒカル(フレーベル館)→北原

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10)『ねこガム』(福音館書店)→坂本

11)『メリークリスマスおおかみさん』みやにしたつや(女子パウロ会)→倉科

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12)『ふうせん』(アリス館)

13)『世界中のこどもたちが』新沢としひこ&中川ひろたか(ポプラ社)

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2018年11月19日 (月)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その135 ?)飯島町子育て支援センター

■昨日は、まるまる1年ぶりの「パパズ」。あ、それは僕個人的な話。僕が参加しなかった「パパズ」は、1月に山梨県石和でもあった。今年はオファーも実際少なかったのだけれど、メンバー皆が忙しく、折角オファーがあっても、ほとんど断ってきたのも事実。5人のうち3人がダメなら請けられないのだ。

今日は久々に3人だけ(伊藤パパは手良小の収穫祭で欠席、宮脇さんも市役所のお仕事で欠席)そろってのライヴと相成った。

< 本日のメニュー >

1)『はじめまして』

2)『たたんぱたたんぱ』のむらさやか・文、川本幸・製作、塩田正幸・写真(こどものとも 0.1.2. 2018年9月号) →北原

3)『もりのおふとん』(こどものとも年少版 2018年12月号)西村敏夫→坂本

4)『かごからとびだした』(アリス館)

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5)『あれこれたまご』(福音館書店) →倉科

6)『おかおみせて』ほしぶどう(福音館書店) →北原

7)『パンツのはきかた』岸田今日子(福音館書店)

8)『けっこんしき』鈴木のりたけ(ブロンズ新社) →坂本

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■なんだか、水野晴郎みたいな坂本さん。妙に似合ってるなあ。

9)『山んばあさんとむじな』山姥が登場する怖い絵本。→倉科

10)『ふうせん』(アリス館)

11)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

12)『おーいかばくん』(アンコール)

■ほんと久しぶりで、三線もギターもさわるのもメチャクチャ久しぶり。歌を歌うのも久しぶりで、歌詞も間違えてしまったよ。ダメだな。ごめんなさい。

2017年11月 6日 (月)

伊那のパパス絵本ライヴ(その133)上伊那郡「飯島町・子育て支援センター」

■11月3日(金)文化の日は、飯島町図書館の東側に新しくできた「飯島町・子育て支援センター」へ。

   <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ →全員

2)『どっとこ どうぶつえん』中村至男・さく(福音館書店)→北原

3)『いろいろおんせん』増田裕子・文、長谷川義史・絵(そうえん社)→全員

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4)『万次郎さんとおにぎり』本田 いづみ 文 / 北村 人 絵(こどものとも年少版)→坂本

5)『かごからとびだした』(アリス館)→全員

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5)『へんしんおてんき』あきやまただし(金の星社)→宮脇

6)『おーいかばくん』(うた)→全員

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7)『なんでやねん』中川ひろたか・文(世界文化社)→倉科

8)『おふろで なんでやねん』鈴木翼・文、あおきひろえ・絵(世界文化社)→倉科

9)『ふうせん』(アリス館)→うた全員

10)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)→うた全員

11)『うんこしりとり』(白泉社)→うた全員

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

平成29年11月5日(日)付「長野日報」より

2017年9月10日 (日)

伊那のパパス絵本ライヴ(その132)下伊那郡「豊丘村」

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