『ヤノマミ』国分拓(NHK出版) その2
■医師会の仕事が忙しくて、更新せずにそのままになっていたのだが、ずっと気にはなっていた。
医院の方はこのとこころ暇で患者さんが少ないから、昨日も午前11時半前には待合室に誰もいなくなったので、自宅リビングに戻って水出しアイスコーヒーを飲みながらテレビを付ける。チャンネルが、何故かCSになっていて、画像にに映し出されたのは、日本映画専門チャンネルで放送中の『台風クラブ』相米慎二監督作品だった。
封切り当時から、相米監督の最高傑作と言われながら、ぼくは今日まで「この映画」を観たことがなかった。でも、ふとオンしたチャンネルから映し出されたこの「映画」に吸い込まれるように、ぼくは思わず見入ってしまったのだ。なるほど傑作だ。映像にとてつもなく勢いがある。
映画はすでに終盤に達していた。台風が通過するという、中学生たちの「非日常」の興奮が、見事にフイルムに焼きつけられていたな。相米監督の不自然な「長まわし」が、いつもはすっごく気になるのに、この映画では全く気にならないのだ。もう一度最初からちゃんと見てみよう『台風クラブ』。
■ところで、NHKのドキュメンタリー映像「ヤノマミ」を見ただけでは、全くわからなかったことが、「この本」にはいっぱい書かれている。そのことが、すっごく重要だと思う。
1)この番組のディレクター、国分拓氏が、帰国後に嘔吐や下痢、夜尿症などの心身不調に長らく悩まされたこと。(ある種のカルチャー・ショックのためか?)
2)取材したヤノマミの集落では、当たり前のように「嬰児殺し」が実の母親の手(足)によってなされているが、重要なことがテレビカメラからは全く伝わってこなかった。というのは、他の集落に比べて、NHKが取材したこの集落での「嬰児殺し率」が際だって高いこと(本書にはその記載がある。197ページ)は、テレビ番組では全く触れられなかったからだ。
たぶん、以前は「嬰児殺し」の必要性はそうはなかったのではないか。でも、村の近くにブラジル政府が支援する「保健所」ができて、生まれた子供たちには必要な予防接種が全て行われるようになった。その結果、それまでは早死にしていた子供たちが生き延びる確率が飛躍的に伸びてしまったのだ。だから、文明人が介入する以前には、何も「人為的な作為」は必要なく、子供たちを育てることができた「ヤノマミ」だったのに、集団生活を行う仲間たちの生活を守るためには、新たに「人為的な作為」を「正しいこと」として、彼らの文化に組み込まれていったに違いないのだ。
そのことを思うと、ぼくは何とも複雑な気持ちになってしまう。
3)国分氏が滞在した集落ワトリキの酋長(村長)は、シャボリ・バタという老人だ。皆から尊敬されている偉大なるシャーマン。彼は30年以上も前からわれわれの文明と既に接触しているのだが、他のヤマノミと違って便利で楽な文明の力に溺れることなく、家族や仲間たちを率いて1万年以上前から続く伝統的な彼らの生活・文化を守り続けてきた。
ワトリキ集落の精神的支えであるシャボリ・バタが死んだとき、扇の要が外れたように皆バラバラになってしまうのではないか。そう国分氏は危惧していた。はたして、いま現在のワトリキ集落はどうなっているのだろうか?
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