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2016年1月 8日 (金)

詩人、加島祥造さん逝く

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■詩人の加島祥造さんが亡くなった。80代後半になっても精力的に創作活動(詩作・水墨画)を続け、毎年夏になると、バリ島まで泳ぎに行かれるくらいお元気だったのに。謹んでご冥福をお祈りいたします。

■加島さんの本で一番最初に読んだのが『タオ ヒア・ナウ』(PARCO出版)だったように思う。同じころに読んだ『伊那谷の老子』(朝日文庫)も好きだが、やはり繰り返し繰り返し読んだ『タオ ヒア・ナウ』に最も愛着を感じる。

■一度だけ、加島祥造さんとお会いして、直接お話ししたことがある。何かのパーティーだったか、駒ヶ根市中沢の加島さんの自宅「晩晴館」。夏の終わりの夕暮れ、広い庭の片隅には「夕菅」が花を咲かせていた。BBQにワイン、日本酒。地元はもとより、遠く東京からも大勢の人たちが訪れ、華やかな雰囲気の中、みな庭で談笑していた。

場違いな僕が、どうしてその場にいたのかよく思い出せないのだけれど、自宅縁側で招待客と和やかにお話している加島氏の所へ行って、確か、当時昭和伊南総合病院の院長だった宮澤先生に紹介してもらって、ご挨拶した。加島さんは僕に言った。

「イギリス現代詩を訳した『倒影集』はいいよ。イェーツ、エリオットとかね。ぜひ読んでみて。」

■その少し前だったか、「上伊那医師会報」に「この文章」を載せるにあたって、著作権の関係から加島さんに載せてもいいかどうか許可申請の手紙を出した。加島さんはこころよくOKしてくださった。うれしかったな。

Tao



■加島さんには、お元気なうちに是非とも実現して欲しいことがあった。

それは、ご自身の若い頃の仲間たちとの日々をつづった「回想録」を執筆することだ。詩人集団『荒地』には、鮎川信夫、北村太郎、黒田三郎、田村隆一、それに加島祥造氏も参加していた。その創造的詩作活動はもとより、『荒地』で有名なのは、そのスキャンダラスな女性関係だ。

その一部は、ねじめ正一氏が『荒地の恋』という小説にしたためてはいるが、加島さん以外はみな故人になってしまったため、本当の経緯は誰も判らない。でも結局、加島さんはあの世まで、口をつぐんだまま秘密を抱えて旅立ってしまった。本当に残念でならない。

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