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2023年7月10日 (月)

映画『こちらあみ子』を観て思ったこと

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■ じつに8ヵ月ぶりの更新です。『長野県小児科医会会報 77号』の編集が終わりようやく校了した。フライングになってしまうけれど、「会報77号」に僕が書いた文章(一部改変あり)をこちらに転載させていただきます。会報の発行部数は220冊。一般の人は読むことができない冊子なのでどうかお許し願います。

■2023年1月18日、休診にしている水曜日の午後、伊那市東春近「赤石商店」の土蔵を改装した「映画館」で 2022年7月公開の日本映画『こちらあみ子』を観ました。すごい映画を見た! そうは思ったものの、感想をすぐに文章にすることができず、ずっと「この映画」のことを考え続けていて、ようやっと書き上げた文章です。

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映画『こちらあみ子』を観て思ったこと  北原こどもクリニック 北原文徳

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 下校のチャイムが鳴って、教室から小学生たちが一斉に外へと駆け出す。珍しい構造の校舎で、廊下はマンションのような外廊下だ。カメラは校庭から4階建ての校舎を正面に捉え、まるでマスゲームのような子供たちの動きを遠景でフレームに収める。傑作を予感させる映画『こちらあみ子』のファースト・シーンだ。外廊下へと移動したカメラは、遠ざかって行く子供たちに逆らってカメラに向かって近づいて来る1人の少女を映し出す。何か言っている。「ねえ、のり君知らん?」主人公あみ子(11歳)だ。

 芥川賞作家 今村夏子の衝撃のデビュー作『こちらあみ子』を新人監督の森井勇佑が原作をほぼ忠実に映画化したこの作品は、昨年度キネマ旬報ベストテン第4位を獲得し、映画通で知られるライムスター宇多丸氏が2022年のベストワンに挙げた評価の高い映画だ。

 瀬戸内の美しい海をバックに、ちょっと変わった小学5年生の少女が広島弁で大活躍するほのぼのとしたファミリー映画かと思ったら大まちがい。じつは自閉スペクトラム障害(ASD)に軽度知的障害(境界知能?)を伴った女の子の「当事者」目線で描かれた世界が、見事に活写された映画なのだ。(ただし、原作も映画も彼女の障害名への言及は一切ない)

 例えば過剰な音。母親の書道教室を襖のすき間から覗き見していて偶然のり君と目が合い一目惚れするあみ子。思わず手に持つトウモロコシを握り締めると、ボタボタと音を立てて大量の汁が畳を濡らす。あり得ない。でも彼女の感覚ではそうなのだ。真夏の炎天下、母親が退院してくるのを玄関先でじっと待つあみ子。顎の先から止めどなく滴り落ちる汗が、焼けた道路に落ちてジュッという。あり得ない。

 帰ってきた母親は、あみ子の顔を両手で挟んで執拗に撫でくり回す。触られることが嫌で嫌でたまらない感じがリアルに伝わってくる。あみ子がずっと気になって仕方のなかった母親の顎のホクロも、大きくなったり小さくなったりするぞ。

 自分の心と他人の心が違うことが分からないあみ子だから、良かれと思って取った行動がことごとく周囲を傷つけ、母親も父親も優しかった兄も、のり君さえも次第に壊れてゆく。「応答せよ!応答せよ!こちらあみ子」と、誕生日にもらったトランシーバーに向かって彼女が何度呼びかけても誰からもどこからも応答はない。 

 プレゼントの使い捨てカメラであみ子が家族の記念写真を撮る場面も印象的だ。小津安二郎の『麦秋』や候孝賢『悲情城市』でも、家族がバラバラになってゆくのを惜しむように記念写真を撮るシーンが映画の終盤に出てくるが、この映画ではメインタイトルが出たあと、あみ子が1人キッチンで天井に夏みかんを投げる場面からのワンショット長回しに続いて早くも登場する。しかも写真はちゃんと撮られないまま終わる。何かこの後の展開を象徴しているかのように。

 映画の中盤からあみ子を悩ませる音。「コツコツ、ぐる、ササササ、ぼぶぼぶ」2階の自室ベランダから聞こえてくるこの正体不明の奇妙な音は、次第にどこにいても聞こえてくるようになる。「霊のしわざじゃ。幽霊がおるんじゃろ」坊主頭の男子にそう言われて、あみ子は「ある歌」を大声で歌うことで頭の中から奇妙な音を消し去ることに成功する。

 歌いながら音楽室に行くと、壁に掛かった額の中からゾンビになった歴代校長先生にモーツァルトやバッハ、トイレの花子さんまで出てきてあみ子に取り憑き、行列になって行進する。現実逃避したあみこが一人ファンタジーの世界に没入するシーンだ。この何とも楽しい場面は原作にはない映画オリジナル。あとで幽霊たちは再度登場し遠く海上からあみ子に手招きする。自死への誘惑では?という感想をネットで読んだが違うと思う。空想の中だけで生きて行けばそれもいいじゃん、ということなのではないか。

 原作の小説では、あみ子が10歳の誕生日から中学卒業後まで描かれるが、映画は2021年夏の1ヵ月間でクランクアップし、主演の大沢一菜(10歳)が一人で演じた。だから彼女が中学の制服を着るとちょっと不似合いで、幼さが際だってしまう。でも逆に発達障害児と定型発達児の差異が視覚的に露わになったとも言える。残酷なものだ。このあたりから後半は映画を見ていて正直辛くなってくる。

 ここで大切なことは「発達障害児だって発達する」という事実だ。もちろん障害が消失する訳ではない。努力して補うようになるのだ。中学生になったあみ子は、学校で自分だけ一人浮いていることに気付いている。学校は行きたい時だけ行き、久々に登校したら下駄箱の上履きがなくなっていて、仕方なく裸足で過ごす。守ってくれる兄もいない。唯一のアジールは保健室だ。

 雨の日に映画『フランケンシュタイン』(1931年版)をビデオで見るシーンがある。ビクトル・エリセ監督の映画『ミツバチのささやき』の冒頭、村の移動映画館で少女アナが魅せられる映画だ。異物として排除される怪物の哀しみ。

 原作は三人称一視点で書かれているため、読者はあみ子に感情移入しやすい。しかし映画だとカメラはあみ子だけの視点にならない。『鬼滅の刃』みたいに主人公が自分の気持ちをモノローグで説明することはしないから、映画の観客の中には「のり君視点」であみ子に(この映画自体に)強烈な拒絶反応を示す人もいるだろう。

 終盤に野球部で坊主頭の男子がもう一度登場する。あみ子は何故かこの男子とはコミュニケーションが成立するのだ。その証拠に二人の会話は通常のカットバック手法で撮影されている。あみ子が訊く「どこが気持ち悪かったかね」「おまえの気持ち悪いとこ? 百億個くらいあるで! いちから教えてほしいか? それとも紙に書いて表作るか?」「いちから教えてほしい。気持ち悪いんじゃろ。どこが?」 教えてやれよ!坊主頭。

 この映画の問題点を挙げるとすれば、原作者や監督が子供時代の話ならともかく、いま現在の設定(書道教室で生徒が二人Nintendo Switchを取り出す)だと、絶対にあり得ないということだ。   

 令和の日本なら、あみ子は小学校入学前に就学指導委員会で取り上げられ、その後の教育支援体制が確立されているはずだし、本人や家族への生活ケア・医療面での援助も当然すでに行われているに違いない。それを知りながら観客をミスリードした罪は大きい。このことを厳しく批判した文章を、成人になった当事者として映画を観た nohara_megumi さんが、2023年3月27日のブログに「映画『こちらあみ子』と発達障害(概要篇)」というタイトルでアップしている。これは必読。

 とは言え、ASD当事者がこの人間社会をどのように感知しているのかをリアルに示した文芸作品は今まであまりなかったから、その点は評価してよいと思う。自閉症の人が登場する映画はたくさんある。『レインマン』(1988)『ギルバート・グレイプ』(1993)『旅立つ息子へ』(2020) などなど。ただ、いずれも弟として兄として父親として当事者に接する側のストーリーだ。

 当事者自らが自分の内的世界を文章で表現した例で有名な著作は、『我、自閉症に生まれて』テンプル・グランディン(1986)、『自閉症だったわたしへ』ドナ・ウィリアムズ(1992)、日本では『自閉症の僕が跳びはねる理由』東田直樹(2007)が主たるところか。僕は、脳神経科医のオリヴァー・サックスがテンプル・グランディンにインタビューした『火星の人類学者』(ハヤカワ文庫)を読んで知った。

「彼女は人間どうしの言葉にならない直感的な交流や触れあい、複雑な感情やだましあいが理解できない。そこで、何年もかけて『厖大な経験のライブラリー』をつくりあげ、それをデータベースとして、ある状況ではひとがどんなふうに行動するかを予測している。まるで火星で異種の生物を研究している学者のようなものだ」(p402)

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 テンプル・グランディンは人間が相手だと緊張と不安に苛まれるが、家畜には愛情と安らぎを覚え、その動物がなにを感じているか直感的に判るという。そして彼女は動物心理学、動物行動学のコロラド州立大学教授になった。

 「絵本」に登場するのは、たいてい擬人化された動物たちだ。二本足で立って服も着て、日本語を話している。なぜ人間ではなく、わざわざ動物に変換する必要があるのか? 『絵本論』瀬田貞二(福音館書店)にはこう書かれている。

「子どもは、なぜ動物が好きか、また動物文学が好きか。この質問に対してフランスのすぐれた児童文学者ルネ・ギョーが、明快にこう答えています。『子どもは、大人たちのなかにはいっていくよりも、ずっとずっと、動物のなかにはいっていくほうが、安心がいくんだ』まさにそうなのです。安心がいくからです」(p64) 僕はこの「安心がいく」が今ひとつ分からなかったのだが、『火星の人類学者』を読んで、なるほど!と初めて合点がいった。5b435c3a2a31419ca99b1e19081327c1__c  司馬遼太郎が昭和51年〜54年に新聞連載した小説『胡蝶の夢』の主人公、島倉伊之助(司馬凌海)が典型的なASDとして詳細にリアルに描かれていることは案外知られていない。幕末の日本で蘭方医療を先導したのは、大阪の緒方洪庵率いる適塾と東国では佐藤泰然の佐倉順天堂であった。泰然の息子、松本良順に弟子入りした伊之助には天才的な語学習得能力があり、長崎医学伝習所でオランダ人医師ポンペが行う講義を瞬時に理解し仲間に再度講義した。しかし奇行や人間関係のトラブルが相次ぎ、良順に破門されてしまう。

ASDの概念を知る由もない司馬遼太郎が伊之助をビビッドに描けたのは、彼の近くにモデルとなる人物が実際にいたからに違いない。もしかすると、司馬遼太郎自身にその傾向があったのかもしれない。「適塾」の塾頭だった村田蔵六(大村益次郎)の生涯を描いた『花神』は昭和44年〜46年に朝日新聞で連載された。僕は未読だが、村田蔵六もまさしくASDであったという。

 あみ子は左利きだ。アイザック・ニュートンもルイス・キャロルも、ベートーベン、グレン・グールドも左利き。エグニマ暗号を解読し思考型コンピュータの出現を予言したチューリング、それにビル・ゲイツも左利き。イーロン・マスクはASDであることを公言したが「自分は左利きではない」と言っている。あみ子は見事な連続側転を披露する。でもASDの子はそんなに運動神経よくないよ。

 近ごろは大人のASD当事者や同伴者による書籍・マンガであふれている。それだけ世の中の認知度が上がった証拠だ。しかし、SNSで呟かれる映画『こちらあみ子』の感想を読むと、まだまだ誤解や無理解だらけなことにショックを受ける。nohara_megumi さんの悲痛な訴えは実にもっともな話だ。「ボクシングもはだしのゲンもインド人も、もうしないって約束できますか?」という、尾野真千子の説教にも正直笑えない。

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 最近出た本で、これは!と思ったのが『凸凹あるかな?わたし、発達障害と生きてきました』細川貂々(平凡社)。ベストセラー『ツレがうつになりまして。』で知られる漫画家は、子供の頃から何事も「フツウ」にできない生きづらさを感じ、まるでジャングルの中をさまよっているような人生を送ってきた。彼女は48歳になって初めて自分が発達障害だと知る。幼児期から現在まで順を追って著者の経験談が四コマ漫画で具体的に丁寧に描かれ、読者もいっしょに追体験することになる。これがいい。さらに、同じ生きづらさを抱えた仲間たちのエピソードも載っていて、みな微妙に違っていることがよく分かる。大人になった「当事者」にとっては大きな救いと安心が得られるのではないか。

 前述のテンプル・グランディンは、講演の最後をこんな言葉でしめくくっている。

「もし、ぱちりと指をならしたなら自閉症が消えるとしても、わたしはそうはしないでしょう ---- なぜなら、そうしたら、わたしがわたしでなくなってしまうからです。自閉症はわたしの一部なのです」(『火星の人類学者』p391)

 映画のラストシーン。あみ子が遠く海を見つめ浜辺に凜として立つ姿を見て、僕は同じ決意を感じた。

2021年8月18日 (水)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その 139 )飯島町図書館 2021/05/01

■じつは今年の5月、なんと1年半ぶりに「伊那のパパズ絵本ライヴ」があった。

アップするのをすっかりサボってしまっていました。すみません。呼んでくれたのは「飯島町図書館」。このコロナ禍の中、万全の対策を取って(家族限定15組?)開催して下さったのだ。ありがたいことだ。

われわれも十分な距離を取って、フェイスシールドを付けての読み聞かせ。

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【本日のメニュー】

 1)『はじめまして』新沢としひこ(鈴木出版)→ 全員

 2)『うえきばちです』川端誠(BL出版)→ 伊東

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 3)『これなーんだ?』のむらさやか 文、ムラタ有子 絵(福音館書店:こどものとも012 /2006/1月号)→ 北原

 4)『かごからとびだした』いぬかいせいじ文、藤本ともひこ絵(アリス館)→全員

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 5)『まわる おすしやさん』
藤重ヒカル(福音館書店こどものとも/2020/1月号)→坂本

 6)『おーい かばくん』中川ひろたか(ひさかたチャイルド)→全員


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 7)『ようようしょうてんがい』環 ROY(こどものとも2020年12月号)→倉科


YouTube: 絵本『ようようしょうてんがい』プロモーション動画

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 8)『ふうせん』湯浅とんぼ/作 森川百合香/絵(アリス館)→ 全員

 9)『世界中のこどもたちが』中川ひろたか・新沢としひこ(ポプラ社)→全員

■フェイスシールドしてると、自分の声がシールド内にこもっちゃって、ちゃんと客席まで声が届いているのかどうか、すごく不安でした。

早くこんなの付ける必要ない「絵本ライヴ」が行いたいものです。

2020年3月 7日 (土)

「保育園で感染拡大を防ぐためにできること」2019/12/6 上伊那保育協会未満児部門での講演会のスライドより

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■「空気感染」が、一番感染力が強い!

■「不顕性感染」(症状がない・軽度なのにウイルスを排出している児童や保育士)が多いほど、潜伏期間が長いほど、保育園で感染拡大を防ぐのはほとんど不可能に近い。

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■「1つのウイルスに罹ると」とスライドにはありますが、現在進行形で「1つのウイルスに罹っていると」という意味です。例えば、ウンコがしたくなってトイレへ駆け込んだら、大便所(個室)にすでに人が入っていてウンコができない。というイメージです。

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■新型コロナウイルスにも、油の膜「エンベロープ」がある。だから、石鹸やアルコールが有効!

しかし、ノロウイルスには「エンベロープ」がないため、アルコールは効きにくい。(石鹸と水道水で、しっかり手洗いすれば洗い落とすことはできます)

だから、ノロウイルスは胃の中でも胃酸で失活せずに小腸まで行って、小腸の粘膜細胞に感染し、嘔吐下痢症を発症することができるのです。

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■新型コロナウイルスも、ライノウイルスに近いので、数日は失活せずに体外で「生きて」います。乾燥にも強いという報告もあります。ドイツの文献では、9日間経っても活性があったとの報告もあります。

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■右側の値段は、当院で仕入れている「検査キット」1回分の仕入れ値です(医療機関によっては、金額は異なります)

■開業の一般小児科医院の多くは、3歳未満児の医療費は「定額制」です。つまり今で言うところの「サブスク」ですね。この4月からは「6歳未満」に引き上げられる予定です。

当院では3歳未満の場合、迅速検査の保険適応の有無に関わらず、必要とあらば検査を行っています。例えば、RSウイルスの検査は当院では保険適応はありません。

ですので、価格の高い検査キットを一度に何種類もすると、正直「赤字」になってしまいます。保育園の先生は、熱が出るとすぐ「小児科へ行って検査してもらってきて!」と言います。

いまの時期だと「ヒトメタニューモウイルス」の検査をしてもらって! ですかね。

でも、ヒトメタの迅速検査は値段が高いんですよ! しかも、3歳以上で肺炎の臨床診断がないと保険適応がありません。

■それから「感度」と「精度」の問題も大切です。いま、新型コロナウイルスのPCR検査でも言われていることですね。「擬陽性」と「偽陰性」の問題。そのキットが、どの程度信頼できるか? ということです。

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YouTube: 花王 ビオレu ビオレu泡ハンドソープ 「あわあわ手あらいのうた」練習編 CM

2019年12月24日 (火)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その138)箕輪町役場「子ども未来課」

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■箕輪町「子ども未来課」は、毎年12月欠かさずに「伊那のパパズ」を呼んでくださる。ありがたいことです。12月は「クリスマス・バージョン」のコスプレでの登場だ。去年も呼ばれたはずだが、このブログには記録がない(その134回)。ということは、僕が欠席だったのだ。インフルエンザ・ワクチンの「まとめ接種」の日だったかもしれない。

■それからやはり毎年11月に呼んでくれているのが、飯島町「子育て支援センター」だ。今年も呼ばれた。11月17日(日)。「ぼくも出席OKで〜す!」と皆に返信してあったのだが、なんと「その日は当番医」だった。スケジュール帳の記載もれだったのだ。ごめんなさい。ぼくは欠席でした。

■で、今年は12月15日(日)午前10時〜11時に「松島コミュニティセンター」で絵本ライヴが行われたのでした。

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           ■ <本日のメニュー> ■

1)『はじめまして』新沢としひこ →全員

2)『らくがきボール』鈴木のりたけ(小学館)→伊東

3)『たいこ』樋勝朋巳ぶん・え(福音館書店)→北原

4)『かごからとびだした』→全員

5)『まわる おすしやさん』藤重ヒカル(こどものとも 2020年1月号)→坂本

6)『おならまんざい』長谷川義史(小学館)→倉科&坂本

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7)『どうぶつれっしゃ』しのだこうへい(ひさかたチャイルド)→全員

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8)『へんなおでん』はらぺこめがね(グラフィック社)→伊東

9)『じゃない!』チョーヒカル(フレーベル館)→北原

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10)『ねこガム』(福音館書店)→坂本

11)『メリークリスマスおおかみさん』みやにしたつや(女子パウロ会)→倉科

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12)『ふうせん』(アリス館)

13)『世界中のこどもたちが』新沢としひこ&中川ひろたか(ポプラ社)

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2019年11月17日 (日)

英国在住の保育士「ブレイディみかこ」さんて、何モノ?

英国在住の保育士「ブレイディみかこ」さんて、何モノ?

 北原こどもクリニック 北原文徳

 (「長野県小児科医会会報:最新号」に投稿した原稿より)

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 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ(新潮社)が、ベストセラー爆走中です。僕も出てすぐ読みました。テンポのよいパワフルな文章に引き込まれ一気読みでした。たまげました。傑作です。特に小児科医は絶対に読むべき本だと思いました。

 日本よりもずっと貧富の格差が進み、移民が次々と流入するイギリス。本来先住の「ホワイト」の方が貧困にあえぎ、反対に、努力した移民が中流住宅街に住んで子供たちを中上流小中学校に通わせているとう現実。その結果として、移民が「ホワイトのアンダークラス」をヘイトし差別するという「ねじれ」が生じています。

 そんな中、彼女の息子(11歳)は、地元のアンダーな白人だらけの「元底辺公立中学校」に入学し、学校が力を入れている音楽部に入部します。最初に仲良くなったのは、ハンサムで歌も上手く、見事ミュージカル『アラジン』の主役を射止めたハンガリー移民の子ダニエル。レストラン経営で成功した父親がとんでもないレイシストで、その影響から息子も当然レイシスト。差別発言だらけのダニエルと何故か友情を育む息子。

 ところが、ダニエルは学校内で次第に陰湿な「いじめ」に会うようになります。正義が悪を懲らしめるのは当然だという理由で。それでも、彼は毎日学校へ通い続けます。父親に怒られるからです。そんな彼に、彼女の息子はずっと寄り添い続けます。

「いじめているのはみんな(彼に)何も言われたことも、されたこともない、関係ない子たちだよ。それが一番気持ち悪い。僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」(p196)

 クールでスマートな息子の言動に、読んでいて胸がすく思いがしました。もう、すっかり真っ暗闇の世の中ですが、彼のような若者が世界を変えてくれる希望の星なのかもしれません。そんな彼は、どんな両親のもとで生まれ育ってきたのでしょうか?

 ブレイディみかこさんが世間で認知されるようになった契機は、内田樹先生の「それ」とよく似ています。二人とも遅咲きのコラムニスト・批評家で、40歳代までは全くの無名人だったのに、当時アップしていたネット上のブログ記事が一部で話題となり、注目したプロの編集者がコンタクトを取って書籍化、それが次々とベストセラーになったのです。

 ただ、ブレイディさんの場合は「この本」が世に出て初めてブレイクしたと言ったほうが良いかもしれません。

 彼女は1965年6月、福岡県福岡市に生まれました。先祖に隠れキリシタンや殉教者がいるカトリック教徒でしたが、極貧家庭に育ち、荒廃した中学校でイヤイヤ学び、地元でヤンキー娘として一生を終えるはずが、担任教師の強引な薦めで福岡一の有名進学校、県立修猷館高校に見事合格。ところが……。

 

「70年代から80年代にかけての『一億総中流時代』が政府とマスコミによってクリエイトされたまことに愚かなスローガンであった。でも一番愚者だったのはそれを本気で信じていた一般市民であり、『親が定期代を払えないので学校帰りにバイトしている』という10代の少女に『遊ぶ金欲しさでやってるくせに嘘をつくな、いまどきの日本にそんな家庭はない』と断言した福岡の某県立高等学校の教諭などは、その最たる例であった。

少女はバカたれは許すが愚者は許さん性質だったので、翌日には髪を金髪にしてつんつんにおっ立てて登校した。担任の生徒管理能力の低さを世に示すために」

p221(『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』みすず書房より)

 当時からとんでもなくトンガリ・パンク少女だった彼女のアイドルは、大正時代に名を馳せた同郷のアナキスト伊藤野枝でした。彼女は関東大震災直後の戒厳令下、同志であり愛人であった大杉栄と甥の宗一と共に甘粕大尉率いる憲兵隊に惨殺されます。ちょうど同じ頃、大逆罪容疑で恋人の朝鮮人パクヨルと共に警察に逮捕され、死刑判決から一転恩赦がおりたにも関わらず獄中で自死した金子文子もまた、彼女のアイドルでした。

 ゴミのように親に捨てられ戸籍にも登録されなかった金子文子は、日本における闘う女性の元祖と言ってもよいかもしれません。ブレイディさんは、授業をサボっては図書館に入り浸り、この2人を発見したのだそうです。

 高校卒業後、彼女は大学へは進学しませんでした。親にその資金がなかったことはもちろん、彼女がパンクロックにはまっていたことも関係しています。当時の彼女が生きる糧にしていたのは、アイルランド移民で労働者階級出身のジョン・ライドンが率いるイギリスのパンクバンド「セックス・ピストルズ」でした。彼女は福岡の中洲や銀座でバイトして金を貯めては渡英し、パンクロックのシャワーを全身で浴びました。渡英を何度も繰り返すうち、1996年に入国した際、空港の入国審査官が、ニコッと笑って「ようこそ!英国へ」と言ってくれたのだそうです。この時彼女は電撃的に「私はここに永住するのだ」と確信しました。

 ロンドンではキングスロードに下宿し、某日系新聞社のロンドン支店で事務員として数年間勤務。そうこうするうちに、金融街で働くアイルランド移民で9歳年上の銀行マンと結婚。ロンドンから南へ列車で1時間の海辺の保養地ブライトンに移り住みます。ところが、旦那は銀行をリストラされ、自らミドルクラスから転落して、子供の頃から憧れていた「大型トラックの運転手」となるのでした。

 日本でも英国でも貧困に喘ぐ日々。しかも亭主はガンに罹患。彼女の最初の著書『花の命はノー・フューチャー』(ちくま文庫)を読むと、こんなことが書いてあります。

 

「先なんかねえんだよ。あれこれ期待するな。世の中も人生も、とどのつまりはクソだから、ノー・フューチャーの想いを胸に、それでもやっぱり生きて行け。」(p18)

「わたしも子供が嫌いである。なぜなら、小さな人々とは、文字通り、人間の未熟なものだからだ。純粋だのイノセントだのという言葉で彼らのことを表現する方々もおられるが、子供がよからぬことや邪なことばかり考えて生きていることは、大人と呼ばれる年齢の人間であれば、自らの経験から誰しも知っているはずである。そもそも、子供には人生における挫折の経験がない。」(p199)

 

 そこまで言っていた彼女が、何故か40歳を過ぎて体外受精で男児を高齢出産しました。そして生まれたのが彼です。そしたら、わが子は可愛いし面白い!

 2008年、その乳飲み子を抱えながら彼女は地域のアンダークラス(失業者、生活保護受給家庭)を支援するセンター付属の「無料底辺託児所」にボランティアとして参加します。そこには「幼児教育施設の鑑」と専門家からもリスペクトされている責任者アニーがいて、彼女の元で幼児保育の実践教育を受けながら2年半かけて保育士の資格を取りました。

 当時、労働党のトニー・ブレア政権は抜本的幼児教育改革を行い、移民保育士を積極的にリクルートしました。ブレア政権では多様性(ダイバーシティ)を大切と考え、子供たちがいろんな人種の外国人と共に生活することに、小さな時から慣れて行く必要があるとし、外国人移民の保育士養成費用を政府が負担したのです。

 ところが、2010年に保守党が政権を握ると一気に緊縮財政へと梶を切り、労働党が作った福祉制度を次々とカットしたため、底辺託児所の様相は一転します。『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)には、保育士として働くブレイディさんのリアルな毎日が綴られていて、こちらも必読です。水泳が得意なリアーナの凶暴だった幼児期の記載もありますよ。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、そんなパンクでホットなかあちゃんとクールでワイズな息子の成長物語でもあります。しかも現在進行形で新潮社の月刊PR雑誌『波』に続編が連載中です。

 僕は椎名誠の名作『岳物語』『続岳物語』(集英社文庫)のことを思い出していました。ただ『続岳物語』は岳君が中学入学の場面で終わっていて『続々岳物語』が書かれることは残念ながらありませんでした。なぜなら……。

 

「もうこれ以上彼のことを小説の題材として書いていくのは申し訳ない、という気持ちをじわじわと感じていたからである。そしてそれとまったく同じ時期に、岳本人からそのことを言われたのであった(中略)猛烈に怒っていた。その怒り方は、親の私が萎縮してしまうくらいだった。それはそうだろうな、とその時私は思った。中学ぐらいになれば彼の友達もいろんな本を読む。『岳物語』はベストセラーになり、教科書などにも載りはじめていた」(椎名誠『定本岳物語』あとがき より)

 岳君本人も「『岳物語』と僕」という文章を寄せています。

「残念ながら、僕はまだ『岳物語』を読んだことがありません。読めないのです。過去に何度か挑戦してみたこともあるのですが、成功したことはありません(中略)

僕はこの本が嫌いでした。大嫌いでした。トウサン、あなたはいったい何てことをしてくれたんですかい、何度もそう思いました。ある時期には、この本、そしてこれを書いた父親のことを真剣に憎んでみたりもしました。」

 (『定本岳物語』p452、『本人に訊く(壱)よろしく懐旧篇』椎名誠・目黒孝二:集英社文庫 p230〜236 )

 

 ブレイディさんの話では、日本語が読めない息子ケン君も「この本」のことが気になっていて、スマホで接写すると日本語を英語に自動翻訳してくれるソフトを使って密かに内容をチェックしているらしいというのです。それはちょっとマズいんじゃないか? 

でも、椎名父子と違って、母親と息子だから険悪な親子関係に陥る危険性は少ないかもしいれないし、そもそも彼の生活の基盤はイギリスです。だから、寛大な彼のこと、きっとパンクな母ちゃんを許してくれるに違いありません。

 

2018年11月19日 (月)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その135 ?)飯島町子育て支援センター

■昨日は、まるまる1年ぶりの「パパズ」。あ、それは僕個人的な話。僕が参加しなかった「パパズ」は、1月に山梨県石和でもあった。今年はオファーも実際少なかったのだけれど、メンバー皆が忙しく、折角オファーがあっても、ほとんど断ってきたのも事実。5人のうち3人がダメなら請けられないのだ。

今日は久々に3人だけ(伊藤パパは手良小の収穫祭で欠席、宮脇さんも市役所のお仕事で欠席)そろってのライヴと相成った。

< 本日のメニュー >

1)『はじめまして』

2)『たたんぱたたんぱ』のむらさやか・文、川本幸・製作、塩田正幸・写真(こどものとも 0.1.2. 2018年9月号) →北原

3)『もりのおふとん』(こどものとも年少版 2018年12月号)西村敏夫→坂本

4)『かごからとびだした』(アリス館)

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5)『あれこれたまご』(福音館書店) →倉科

6)『おかおみせて』ほしぶどう(福音館書店) →北原

7)『パンツのはきかた』岸田今日子(福音館書店)

8)『けっこんしき』鈴木のりたけ(ブロンズ新社) →坂本

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■なんだか、水野晴郎みたいな坂本さん。妙に似合ってるなあ。

9)『山んばあさんとむじな』山姥が登場する怖い絵本。→倉科

10)『ふうせん』(アリス館)

11)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

12)『おーいかばくん』(アンコール)

■ほんと久しぶりで、三線もギターもさわるのもメチャクチャ久しぶり。歌を歌うのも久しぶりで、歌詞も間違えてしまったよ。ダメだな。ごめんなさい。

2017年11月 6日 (月)

伊那のパパス絵本ライヴ(その133)上伊那郡「飯島町・子育て支援センター」

■11月3日(金)文化の日は、飯島町図書館の東側に新しくできた「飯島町・子育て支援センター」へ。

   <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ →全員

2)『どっとこ どうぶつえん』中村至男・さく(福音館書店)→北原

3)『いろいろおんせん』増田裕子・文、長谷川義史・絵(そうえん社)→全員

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4)『万次郎さんとおにぎり』本田 いづみ 文 / 北村 人 絵(こどものとも年少版)→坂本

5)『かごからとびだした』(アリス館)→全員

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5)『へんしんおてんき』あきやまただし(金の星社)→宮脇

6)『おーいかばくん』(うた)→全員

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7)『なんでやねん』中川ひろたか・文(世界文化社)→倉科

8)『おふろで なんでやねん』鈴木翼・文、あおきひろえ・絵(世界文化社)→倉科

9)『ふうせん』(アリス館)→うた全員

10)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)→うた全員

11)『うんこしりとり』(白泉社)→うた全員

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

平成29年11月5日(日)付「長野日報」より

2017年9月10日 (日)

伊那のパパス絵本ライヴ(その132)下伊那郡「豊丘村」

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2017年9月 1日 (金)

絵本作家「のむらさやか」さんが新作絵本を届けに、わざわざ石川県から当院を訪ねて来てくれたのだ!

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■長年ファンだった絵本作家さんに会いに、各地の「絵本美術館」でのサイン会とか、図書館の講演会とか、ずいぶんと足を運んだものだが、まさか、ぼくが昔からファンである絵本作家さんが自ら、当院「北原こどもクリニック」をたずねてくださるとは。

しかも、わざわざ石川県白山市から、軽自動車を運転して、富山県→岐阜県高山市→安房峠→松本市→中央道→伊那市と、めちゃくちゃ長距離なのに訪ねてきて下さるとは、思いもよらなかった。なんという光栄であろう!

■のむらさやかさんは、福音館書店(こどものとも)から4冊絵本を出している。

1)『これなーんだ?』のむらさやか・文、ムラタ有子・絵

    (こどものとも 0.1.2. /2006/1月号)

2)『かんかんかん』のむらさやか・文、川本幸・制作、塩田正幸・写真

    (こどものとも 0.1.2. /2007/2月号)

3)『はなびがあがりますよ』のむらさやか・文、折茂恭子・絵

    (こどものとも年少版 /2014/8月号)

4)『ぐるぐるぐるーん』のむらさやか・文、サイトウマサミツ・絵

    (こどものとも 0.1.2. /2015/9月号)

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■のむらさやかさんのご実家は上越市だ。御尊父の市川信夫氏は、養護学校・盲学校で教鞭を執りながら児童文学作家として数々の作品を世に出した。中でも児童福祉文学賞を受賞した『ふみ子の海』(理論社)は映画化もされている。(すみません、ぼくは未見)

■夏休みの息子さんを連れて実家に帰るなら、日本海沿いに北陸自動車道を走れば2時間もかからずに到着するはずだ。でも、ニンジャと亀好きの息子さんが「忍者村へ行きたい!」と言ったんだそうだ。忍者村は戸隠にある。戸隠は長野県だ。北原こどもクリニックがある「伊那市」も長野県だ。じゃあ、伊那市に寄ってから忍者村、そのあと上越ならいいんじゃないか? そう思ったのだそうだ。

西から、上越・中越・下越と連なる新潟県も案外広いけど、長野県は南北にメチャクチャ大きい。忍者村は、長野県の北の端、当院は、そこから100km以上南に離れた南信地区に位置する。あのね、とんでもなく遠回りなんですけど。

でも、どうしても「北原こどもクリニック」に寄って、彼女の新作絵本『なかよしなかよし』を届けたかったんだって。ありがたいなぁ。どうして「うち」なんだろう?

のむらさんにお訊きしたら、彼女の処女作絵本『これ なーんだ?』(こどものとも 0.1.2. /2006/1月号)に関して、ネットで取り上げてくれたのが「北原こどもクリニック」のホームページだけだったんだって。それがとってもうれしかったのだそうだ。

■で、自分のサイト内を「のむらさやか」で検索してみたんだよ。こちらです。

おぉ、旧サイトでは10回も取り上げているではないか! 最初はどれ?

「これ」の一番下(2006年2月1日)か。なんだ、たいして大きく取り上げてはいないじゃないか。こんなんで、作家さんは喜んで下さったのか。ありがたいなあ。あと、2006年5月25日にも記載があった。

その次に取り上げたのは、2007年1月20日の「これ」か。

■久しぶりにむかし書いた文章を読んでいたら、2006年2月5日の日記にこんなことが書いてあった。

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●先日送られてきた『母の友 2006/3月号』(福音館書店)をめくっていたら、毎月楽しみにしていた連載「絵本のとびら」伊藤明美(浦安市中央図書館司書)が、今月号で最終回だった。残念だなぁ。その一部を引用させていただきます。

ゆたかな本の世界へ

子どもが本を好きになるためには大人の力が必要です。その一つは心の栄養になる本を選ぶこと。もう一つは、子どもに本を読んであげること。三つめは、共に楽しむこと。最後は、本を身近においてやることです。(中略)

 今、目の前にないものを想像すること、今この瞬間に違う人生を生きている人々がいること、自分と違う考えを持っている人がいること、どうしてそうなったか思い巡らすこと、それが想像力です。本のなかに描かれたたくさんの人生は、子どもたちに、自立した人生を生きてゆくエネルギー=想像する力を養います。

 ちいさいおうちをたてたひとはいいます。
「どんなに たくさんの おかねを くれるといっても、このいえを うることは できないぞ。わたしたちの まごの まごの そのまた まごのときまで、このいえは、きっと りっぱに たっているだろう」

 この「いえ」は、「想像する力」と置き換えることはできないでしょうか。お金では買えず、どんな権力でも曲げることのできない、想像する力こそ、人間を真に自由にします。孫の孫のそのまた孫のときまでも、しっかりと心の中に、想像する力が育っているように、子どもたちに本の扉を開き、さあ、本の世界に一緒に行こうと誘うことができるのは、子どもたちの身近にいる大人、わたしたちです。

 どうぞ、子どもたちに、本を。 (p84)

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■さて、新作『なかよし なかよし』(こどものとも 0.1.2. / 2017年9月号)だ。これまでの4作と違って、今回は のむらさやかさんが一人で絵も文も担当した。しかも絵は描いたのではなくて、さまざまな素材の紙を探してきて、切り絵・貼り絵で造形してある。

その抽象的な形は、ちょっと元永定正の絵本を思わせるが「色合い」がね、ぜんぜん違う。なんかね「和菓子」のような、渋い「和のテイスト」なのだ。

それぞれの「かたち」を「ことば」にしたテキストも楽しい。

  のっとりさん と とことこさん、ぱっくりさん と もじゃもじゃさん。

  もくもくさん と ちゃぷちゃぷさん、ぐるんぐさん と るるんぐさん。

ここで想い出すのは、シェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』なのだけれど、ちょっと待てよ。お互いの「欠落」を補完するはずの相手は、のむらさんの『なかよし なかよし』の場合、完全には一致していない。ずれているんだよ。

このことは案外重要なんじゃないかって思ったんだ。

しょせん他人なんだから、完全に一致するワケないじゃん!

2017年3月28日 (火)

『親子で向きあう発達障害』植田日奈・著(幻冬舎)

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■あれは、医者になって2年目のことだ。信州大学小児科に入局させていただき、1年間大学病院で研修した後、ぼくは厚生連北信総合病院小児科に配属された。優秀な3人の先輩小児科医のご指導のもと、貴重な症例を含め、たくさんの患者さんを受け持たせていただいた。

大学病院では未経験だった新生児の主治医にもなった。今でもよく憶えているのは、ダウン症の女の子のご両親に、生後1ヵ月して染色体検査の結果が出てから「その事実」を告げた時のことと、重症仮死で生まれて、脳室周囲白質軟化症(PVL)になってしまった赤ちゃんのご両親に、早期療育の必要性を説明した時のことだ。

その時ぼくは、いずれも同じことを口にした。

「確かにこの子は、生まれながらに大きなハンディキャップを背負ってしまいました。でも、ご両親の献身的な療育によっては、もしかするとこの子だって、将来は日本の首相になれる可能性だってあるのです。だから、どうか前向きに、この子と共に生きて行ってください!」と。

その当時、ぼくは自分の言葉に酔っていた。いま考えれば、あまりに無責任な言葉だよな。医者になって2年目、まだ何もできないくせに、何でも出来るような錯覚に陥っていた。

■再び大学に戻って、下諏訪町にある、身体障害児・心身障害児療育施設「信濃医療福祉センター」へパート出張した時のことだから、あれから更に3年後のことだ。センター小児科医長の八木先生に病院を案内してもらって、館内を廻っていた時のことだ。

母子入院をして初期療育をしている、障害がある乳児が多数いる病棟を訪れたのだが、八木先生がふと、「この子には無限の可能性がある! みたいな、過度の期待を親に持たせて『ここ』へ送り込んでくる小児科医がいるんだけれど、ハッキリ言って迷惑なんだよ。」

あ、それを言ったのは俺だ……。

ぼくは、八木先生に申し訳なくて、そのとき何も言えなかったのだった。(まだ続く)

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