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2010年8月22日 (日)

『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』岡本和明(その3)

さて、ようやく『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』岡本和明(新潮社)の感想。


・ちょうど、NHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』と同じ感じ、とでも言えばよいか、400ページ近い本の全体の 2/3近くが、売れる前の下積み時代の話が続く。これが読ませるのだ。

・歌笑は、他の貧乏な落語家の幼少時代とは異なり、いいとこのお坊ちゃんだった。東京の西の外れ五日市で、歌笑の父親は女工50人以上も抱える製糸工場の社長で、地元でも屈指の裕福な家だった。

・本来なら、御曹司として(次男ではあったが)父母の元で愛情に満ちた幼少時代を送るはずだったのだが、生来の斜視と弱視と出っ歯による特異な顔貌のために、母親からは「何であの子だけがあんな顔で生まれたのか……」と嫌われ、すぐに里子に出されてしまう。だから彼は、ほんとうの「母の愛」を知らない。母親との愛着形成ができなかったのだ。


・彼は家族からも疎まれ、近所の子供たちから虐められ、それはそれは惨めな子供時代だったのだが、里子に出された先の「ヒサ」を母のように姉のように慕って育った。ヒサとの間には、確かに愛着形成ができたのが彼には幸いだったと思う。戦後人気者になった歌笑は、実の母親とは最後まで疎遠だったという。その代わり、育ての親のヒサには何度も会いに行ったし、師匠の三代目三遊亭金馬の女将さんや、妻となった二二子さんには、まるで幼児に戻ってしまったような感じで甘えていたという。


・この本に載っているさまざまな面白いエピソードは、前述の『なつかしい芸人たち』色川武大(新潮文庫)や『高座奇人伝』小島貞二(ちくま文庫)にも載っている。でも、三者それぞれ微妙に違っていて、いったいどれが真実なのかよく判らないところが面白い。もちろん、最後に出版された「この本」が一番正確なのであろうが、必ずしもそうじゃないかもしれない? と読者に思わせてしまうところが、「この本」の一番の弱みだと思った。

・というのは、「この本」は読んでいて、まったく暗くないのだ。とにかく美談やいい話に満ちている。しかも、悪人が一人も登場しない。みんないい人。そんな訳ないだろ! 読んでいて、そう思ってしまうのだな。もしも、歌笑の評伝を色川武大が書いていたとしたならば、きっと、もっと主人公に対しての「毒」があったんじゃないかと思う。この本には、その「毒」がないのだ。そこが不満だ。

・でもたぶん、こんな時代(平成22年夏)だからこそ、著者は殺伐とした戦争末期から敗戦後の未来も希望もない時代であった「たった5年間」に、パッと花開いて瞬く間に散っていった、奇跡の「あだ花」歌笑のことを、努めて明るく描ききったのかもしれないな。


・他の本にはない記載で特筆すべきことは、歌笑がどんなに同じ噺家仲間からバカにされ虐められても、彼のことを認めて支えた人たちがいた、ということだ。まずは、彼の師匠、三代目三遊亭金馬。弟子にはもの凄く厳しくて「このバカヤロウ!」と絶えず拳骨を飛ばしていたと言われた師匠だが、この本を読んでみて、大好きな金馬の落語以上に、この人のことが好きになったよ。本当に弟子思いでいい人だ。歌笑がしくじった、愛犬「寿限無」のくだりには、ほんと泣けてしまったな。


・それから、五代目・柳家小さん。歌笑より1つ年上の小さんとの友情も泣かせる。本に書かれている彼の口調が、まさに「小さん」そのものなのでリアリティがあるのだ。桂三木助との兄弟愛といい、歌笑との友情といい、小さんていう人は本当にいい人だったんだなぁ。泣かせるぜぃ。


・あと、歌笑が師匠をしくじって「お前は破門だぁ!」と金馬に言われる度に、実家の五日市に帰り、長兄の照政氏が同行して金馬師匠に詫びを入れたという。不出来ながらも、弟の才能を信じてずっと援助してきた兄、照政。彼なくしては、あの歌笑の絶頂時代はなかったであろう。

・それからもう一つ。歌笑の弟弟子。二代目桂小南との関係。これは、他の本には書かれていない。著者は、生前の桂小南師匠に取材しているという。だからの記載なのだ。これは貴重だったな。歌笑は弟弟子・金太郎(桂小南)と本当に仲が良かったようだ。

・これも有名な話だが、三遊亭金馬の三番弟子、桂小南はずいぶんと苦労した人だ。京都出身で、上京したあと日本橋の呉服問屋に丁稚小僧として修行に入り、みるみる商才を示して頭角を現し、わずか17歳で番頭に抜擢されるほどの実力があった。店主から上野の店を任せられるほどになっていたのに、その全てをなげうって、彼は好きな落語の道に入ることを決意し、金馬の門を叩く。金馬の家にいたのは、当時内弟子であった歌笑だ。

歌笑も「なまり」に苦労したが、桂小南はその京都弁のためにもっと苦労した。ただそれはまた別のはなし。


・ところで、三遊亭歌笑の肉声が、ネット上で聴けるのです。

昭和24年に録音されたSPレコードの復刻盤。


<こちらのサイト>の下のほうにある、「三遊亭歌笑・音楽花電車」をクリックしてみて下さい。そうすると、前編・後編が聴けます。

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