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2010年8月26日 (木)

島村利正の小説に登場する、古きよき高遠の人と街並み

■『奈良登大路町』島村利正(新潮社)に収録されている「庭の千草」がよい。『島村利正全集・第二巻』(未地谷)では、p109〜p164に収録。この小説は、昭和44年2月「新潮」誌上に発表された。

島村氏は「あとがき」の中で、こう書いている。

 私はながい間、私小説風の作品が書けませんでした。確たる材料をもとに、虚構を組立てる苦しみと喜びのなかに、自分の小説があると、いつも考えていましたが、私は私小説も好きでした。この小説集のなかには、はじめての、私風の私小説も何篇かあります。いちばんながい「庭の千草」は、瀧井孝作先生と「新潮」編集部の激励と叱咤がなければ、できなかったかも知れません。


「庭の千草」は、四季折々の高遠の祭りと街並みの風景を織り込みつつ、高遠でも屈指の富裕な家の一人娘として生まれながら、大正・昭和(戦前・戦中・戦後)の大半を、ただただ悲しみと苦しみの中で生きた島村氏の叔母の数奇な半生が描かれている。


 私の家は横町をくだってきた突き当たり、本町の丁字路のところにあった。屋号が杉村屋という魚屋だった。魚屋といっても東京風の魚屋でなく、塩物、乾物類を扱う店といった方が当たっているかも知れなかった。魚の量より氷の量が多いような樽詰、箱詰で、他国からはいってくる生物の鮪類は貴重品で、その他はほとんど塩物、乾物類が多かった。


 この「杉村屋」は、江戸時代は高遠藩の御用商人としてずいぶん繁盛した老舗なのだが、明治になって店を継いだ一人息子の亀太郎は、いわゆる二代目の若旦那で身上を潰しかけた(詳しくは『仙醉島』参照)。島村氏の祖父母にあたる、この亀太郎とウメには子供がなかったので、横町の「高遠でも屈指の富裕な家」から養子を迎えた。それが、島村氏の父親だ。だから、この小説の主人公の叔母は父の実の妹に当たる。


■小説は、島村氏が生まれ故郷の高遠へ帰って来た場面で始まる。

 

 車の行手には仙丈ヶ岳が見えていた。木曾駒とは反対に、重厚な肩からしぼられたような山頂は高く鋭くそびえ、やはり頂きに初雪をのせた黒っぽい巨大な山容は見事であった。私は伊那市から八キロの道をはしりながら、いつもこのふたつの岳を眺め、帰って来たな、と思うのだった。

 やがて、むかしは鉾持桟道とよばれ、古戦場のひとつであり難所であった町の入口までくると、私は新宿を発つときから考えていたように、そこで車を降りた。荷物はショルダーバッグひとつであった。そこに立って眺めると、故郷の町、高遠は、晩秋の陽ざしのなかで、屋根、屋根が肩をよせ合い、周囲の山々の、燃えるような紅葉の色につつまれながら、こぢんまりとくすんだ表情をして沈んでいた。大きな洋館は役場のほか一、二軒しかなく、むかし風に屋根の上に石を載せた家も何軒か見えて、私はあらためて、変わらない町だな、と思った。

この後もうしばらく続く、鉾持桟道から見た高遠の街並みの描写がすばらしい。見事な導入部だ。


■島村利正は女性の心理描写が実にうまい。様々なタイプの女性が登場するが、みな鮮やかに描き分けてみせる。そうして、もうひとつの特徴。島村氏の文章からは、読みながら「その景色」がまざまざとリアルに目の前に立ち上がってくるのだ。すごく視覚的な文章。もちろん、ぼくが高遠町の出身だから当然なのかもしれないが、でも、ぼくの目の前に浮かぶその景色は、ぼくが生まれる30年も40年も前の高遠の街並みなのだった。


明るく子供好きな(でも子供がいない)叔母さんが、その夫、藤田とサーカスを見に肩寄せ合って天女橋を渡って来る場面がいい。その藤田が、桜町の芸者の鶴代をお行馬橋(おやらいばし)の向こうに妾として囲う。四月、鉾持神社の祭礼。御輿行列の先頭には、大なたを持ったお面の赤天狗が露払いに立った。その役を担った「安さ」が、鶴代の家の庭仕事をしていて、著者と従兄弟とが鶴代の家に石を投げ入れたところを、その「安さ」に捕まってしまうのだった。


四月下旬になると、城趾公園の桜が満開になる。その夜桜見物のシーンが、まるで映画のようだ。偶然、小学性の著者と叔母が、向こうからやって来る鶴代一行とすれ違う場面。すごい緊迫感。読みながら匂いがしてくる。女の人の淫靡な匂いが。


そのつぎは、秋の「灯籠祭り」のシーン。鶴代の次に藤田は花柳界の仕込みっ娘だった素朴な田舎娘「お兼」を囲って子供を作る。


 燈籠祭りは、伊那谷でも珍しい風雅な祭りだった。その日はどの家でも、丈の高い孟宗竹を一本ずつ切取ってきて、家の前にすこし前かがみに立て、それに小さな滑車で動く麻縄をつけ、その縄に赤い提燈を上から下まで十くらい吊して、夕刻から一斉に燈を入れるのだった。
 青竹に赤提燈のならんだ町通りは、ながい夢のトンネルのようで、その夜の本町、仲町、霜町とつづくながい通りは、不思議なひかりで彩られる。(中略)

 本町通りのなかほどに、桜町の方からあがってきた暗い路地の口があった。片方は黒弁という醤油屋の蔵と塀で、反対側は伊吹屋という料理屋の板壁になっていた。

 叔母はそこまできて、人通りのなかでふと立停り、路地の入口から通りの賑わいを珍しそうに見ている、四、五歳の女の子に気づいた。紅い小綺麗な着物をきて、切下げ髪にしていた。叔母は色の白い、眼鼻立ちの美しいその子を見てハッとした。お兼の囲われている家が、その路地をくだっていった裏通りにあることも、頭のなかにあったかもしれない。叔母は瞬間的に、藤田の子だ、お兼の子に違いないと思った。


ぼくは、このシーンが一番好きだ。「その路地」とは、今で言えば「牛山文房具店」と「にんべん酒店」の間の路地に違いない。通りを挟んで反対側には、酒造「仙醸」の蔵元がある。


■登場人物たちが交わす会話も、読みながらしみじみしてしまう。

「そうだに」 「〜だなえ」 いまではあまり聞かれない言い回しだ。意外と「ずら」を使っていないことが面白い。


■著者が小学性のころ、深夜近くになって、高砂町から嫁入り行列がやってくる場面、同じく、新内流しが三味線を弾きながら、高砂町から横町に曲がって、新町、袋町の料亭方面へ向かっていく夜の闇の暗さ。まだ寂れ行く前の、大正時代の高遠の町の賑わい。そういった諸々が、じつに見事に描かれている。ほんとうに美しい小説だ。


ラストシーンは、著者が月蔵山に登って、頂上から遙か夕暮れの高遠の町を見下ろす場面で終わる。実に、しみじみと美しい描写だ。


■せっかく「高遠ブックフェスティバル」が開催されるなら、高遠が生んだ偉大なる「昭和の文士」島村利正氏の「この小説」もしくは他の小説『城趾のある町』『仙醉島』などに描かれた「高遠の各地・場所」を巡るツアーみたいな企画が、あってもいいのではないかな? ふとそう思った。 


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コメント

しろくまきたさんの文章も、視覚的で、情景が浮かびますよ。今も灯籠祭りは高遠で続いているのですね。風情がありますね。

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