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2017年1月 7日 (土)

東田直樹氏と、重度自閉症児を子に持つ親の思い

■トランプ氏が次期アメリカ大統領に決まってしまったため、当初NHK総合テレビで放送予定だった『自閉症の君が教えてくれたこと』の本放送を見逃してしまったのだが、深夜に再放送されたものを録画して見ることができた。その時のツイートから。

@shirokumakita
12月13日
『自閉症の君が教えてくれたこと』NHKスペシャル再放送を見ている。凄いな東田直樹君。さらに思索を深めている。東田直樹君を見ていると、松尾スズキ『永遠の10分遅刻』(ロッキング・オン)に収録されたNHKラジオドラマ脚本『祈りきれない夜の歌』を想う。驚異的に豊かな内的言語世界の存在。

この番組は、自閉症の作家:東田直樹くんを取り上げた「続編」で、最初の番組は『君が僕の息子について教えてくれたこと』だった。この放送を見て、ぼくは衝撃を受けた。見たところ重度の自閉症としか考えられない東田直樹くんの頭の中には、こんなにも膨大な「ことば」で溢れていたのか!

■当院にも重度の自閉症の子が5人以上通ってくれているが、申し訳ないけれど、彼らが東田直樹くんみたいな「知性」を垣間見せることはない。古典的自閉症である「カナー型」は重度の知能障害が必然と言われていて、実際に診察していて「ことば」が彼らの中でどれほどの意味があるのかと訝しく思ってしまうこともしばしばある。だって、彼らから意味のある言葉が発信させることは決してないのだから。

そのことは、ぼく以上に毎日「彼ら」と接している「親御さん」が切実に感じることだと思う。自分の息子と「ことば」を通じて意思疎通ができたら、どんなに嬉しいか……。

だからこそ、3歳前後の患児と共に養育施設へ毎日母児で通所する。で、その努力の成果は確かに出るのです。そういった親御さんを身近で見ていて、親子の愛着形成が日に日にできあがって行く様子や、親子の意思疎通が「ことば」によって飛躍的に進んでいく場面に出くわすことも確かにある。彼らは「確かに」ぼくの話す言葉を理解して反応してくれている! でも、残念ながら彼らは東田くんとは違った。彼らの自閉症が、どんなに熱心な養育によっても、治ることは決してないのだ。

東田直樹君は、同じ自閉症という診断名であるけれども、実は、かなり特殊(レア・ケース)なのだ。めちゃくちゃ特別な人なのだ。もちろん、東田くんが抱える自閉症の幾多の症状は、決して治ることなく存続しているが。

カナー型自閉症児の親御さんは、東田直樹くんをテレビで見ると、自分の息子にも言葉が溢れているに違いない! そう思ってしまうのだろうなあ。実際、アイルランドの作家さんは、重度自閉症児の自分の息子に、東田直樹くんのような「言葉」があるに違いないという「過度の期待」を抱いてしまったのではないか。

自閉症というのは結果であって、その原因は多岐にわたるし、その脳内異常はブラックボックスで、それぞれに全然違うのだけれど、アウトプットは「自閉症」という同じ結果に見えてしまう。そのあたりのことが分かっていながら、自分の息子とは明らかに違う東田直樹くんに嫉妬してしまう親御さんたちが出てきてもしかたないのかもしれない。

そういった親御さんの中には、東田君に昔から疑念を抱いていた人もいた。[そらまめ式]のお父さんがまさにそうだ。さらには、放送作家でかつ大学院で自閉症の研究をしている高橋英樹氏の、Facilitated Communication(FC)なのではないか? という「疑問」も「この続編」放送終了後にでた。なるほど、仰りたいことはよくわかりました。

ただ、それだから「東田氏のコトバはインチキだ!」って、どうして断定できるのか? 高橋英樹氏は、東田くんと直接会って話したことがあるのか? ないに違いない。

けれども、そうした周りからの伝聞で、あるいは配下からの告げ口によって、本来、当事者である自閉症児の側に立つべき専門家の児童精神科医の中に、東田直樹氏は「まゆつば」だ! と決めつけて、昨年の第57回「日本児童青年精神医学学会」で企画された教育セッション「当事者との対話:東田直樹&山登敬之」を中止するよう理事会にご注進した人物がいたらしい。

驚いたことに、このご注進にびびってしまった理事会メンバーは、誰一人も東田くんに会ったことがないにも関わらず、学会の4ヵ月前に「中止」の決定がなされたのだ。ええぇ? なんで?

■ことの真相は、月刊誌『こころの科学』(日本評論社)最新号 2017 1月号(No.191)特別企画「"コミュ障"を超えて」の中で、当事者であるところの山登敬之先生が「"コミュ障"とは誰のことか」(p27〜p32)の中で、その口惜しい思いのたけをセキララに告発している。清々しいなぁ。

山登先生によると、東田くんと同じように Facilitated Communication(FC)を経て、その後は介助者を介さずに自身の言語表現、コミュニケーションを可能にした自閉症児が他にも何人も報告があるのだそうだ。

このタイプの自閉症(言葉の理解はあるが会話のできない「言語失行」を有する自閉症)は、40年も前に日本で名古屋大学精神科の若林慎一郎先生が「書字によるコミュニケーションが可能となった幼児自閉症の一例」として、1973年に症例報告しているという。東田くんのように「しゃべれなくても言葉はある」自閉症児は確かに存在するのだ。

この山登先生の文章は必読です! ぜひとも、たくさんの人たちに読んで欲しいな。

松尾スズキの NHKラジオドラマ『祈りきれない夜の歌』。YouTube に音声がアップされていたぞ。


YouTube: 祈りきれない 夜の 歌 NHK FMシアター




 

2016年8月26日 (金)

永六輔さんのこと

■前回の続きを書く予定でいたのだけれど、このところ、ギターの練習が忙しくて書けない。

というワケで、しばらく前のツイッターに連投した「永六輔さん」の話題をまとめておきます。

永六輔さんといえば、奥さんとの最初の結婚記念日。まだまだ貧乏だったし、めちゃくちゃ忙しかった永さんに、奥さまは「あの東京タワーを私に頂戴」と言ったのだそうだ。その真偽を検索したら、自分のHPが出てきて驚いた。2002年12月22日の日記に書いてある。clio.ne.jp/home/kita/0301… 合掌。

ぼくが中学2年生ぐらいの頃だったか、『遠くへ行きたい』の取材で、大和田伸也さんと永六輔さん、それに『話の特集』編集長だった矢崎泰久氏が高遠町にやって来た。当時、キンキン(愛川欽也)のラジオ深夜放送を聴いてすっかりファンになった僕は、永さんに会いに行って色紙にサインしてもらった。

中坊の依頼に、嫌な顔ひとつせず永さんは筆ペンで絵入りのサインをしてくれた。「僕がね、一番に尊敬している淀川長治さんの言葉です」そう言って書いてくれたのが「私はかつて嫌いな人に会ったことがない」という言葉だった。赤マジックで印字も押してくれた。

律儀な永さんは、訪れたその土地でお世話になった人に、東京へ帰ってから(もしくは次の旅先から)必ず絵葉書を出した。高遠で蕎麦をご馳走した僕の父宛にも絵葉書が届いた。感動した僕は返事の手紙を書いた。住所が判らないので、TBSラジオ宛てとした。

当時、TBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」火曜日の愛川欽也DJの時に、よく永六輔さんが出演していたのだ。TBSラジオでは、遠藤泰子アナウンサーと『誰かとどこかで』という番組を長年続けていた。だから、ぼくはTBS気付で永六輔さんに手紙を出したのだ。

今でもよく憶えているけれど、もえぎ色の便箋を買ってきて、冒頭「あなた様」と書こうと思って辞書を引いたら、「貴様」と載っていたので、そのまま「貴様」で書き始めて投函したら、奇蹟的に「その手紙」が永六輔さんの手に渡って、翌々週くらいの何かのラジオ番組の中で永さんが、こう言った。

「あのですね。先日、とある中学生から手紙をもらったんです。開封してみたら、巻頭いきなり『キサマは』って書いてあって、たまげてしまったんですね。世も末だなって。」忘れもしない。ぼくはそのラジオ番組を聴いていたのです。(終わり)

■40年以上前の記憶はいい加減だ。兄に訊いたら、大和田伸也が高遠に来た時と、永六輔&矢崎泰久の2人が訪れたのは別の時で、日テレ『遠くへ行きたい』収録のあと、番組ディレクターから「高遠に変な田舎医者がいるよ」と聞いて、永さんがやって来たんだそうだ。その昔、黒柳徹子の恋人だった(?)劇作家、飯沢匡の足跡を辿る旅でもあったらしい。

2016年7月 4日 (月)

ロックて、何だ?(その2)『奇跡の人』→『ガケ書房の頃』

■5月中旬から読んでいる『項羽と劉邦』司馬遼太郎(新潮文庫)が、なかなか進まない。一昨日ようやく「上巻」を読み終わった。まだ(中)(下)の2冊が残っている。さらには、ケン・リュウ『蒲公英王朝記(1)』も続く。

それにしても「この本」は勉強になる。「バカ」の語源が書いてあったのだ。446ページ。秦の始皇帝が死んだあと、暗躍した宦官の「趙高」が実質的な権力の頂点に今はいる。

咸陽の宮廷で趙高がやっていることというのは、恐怖人事である。(中略)趙高は人々から心服されることを望むほど人間を愛してもおらず、信じてもいなかった。(中略)

あるとき趙高はこれら臣官と女官を試しておかねばならないと思い、二世皇帝胡亥の前へ鹿を一頭曳いて来させた。

「なんだ」

胡亥は、趙高の意図をはかりかねた。

「これは馬でございます」

 と、趙高が二世皇帝に言上したときから、かれの実験がはじまった。二世皇帝は苦笑して、趙高、なにを言う、これは鹿ではないか、といったが、左右は沈黙している。なかには「上よ」と声をあげて、

「あれが馬であることがおわかりなりませぬか」

 と、言い、趙高にむかってそっと微笑を送る者もいた。愚直な何人かは、不審な顔つきで、上のおおせのとおり、たしかに鹿でございます、といった。この者たちは、あとで趙高によって、萱でも刈りとるように告発され、刑殺された。群臣の趙高に対する恐怖が極度につよくなったのはこのときからである。

権力が人々の恐怖を食い物にして成長してゆくとき、生起る(おこる)事がらというのは、みな似たような、いわば信じがたいほどのお伽話ふうであることが多い。

『項羽と劉邦』(上)司馬遼太郎(新潮文庫)より

この話、リアルすぎてめちゃくちゃ怖いぞ。今から2300年も前の中国の話なのに、誰かさんに言われて、鹿を「馬でございます」と白々しくも言っている人たちが、いま現在如何に多いことか……。

■NHKBSプレミアムドラマ『奇跡の人』の脚本は岡田惠和氏で、登場人物にやたら「アホ」「バカ!」言わせているが、もう一つ出演者の口から頻発する単語がある。それが「ロック」だ。

■『奇跡の人』(第6話)。一択(峯田和伸)にとって、東京でたった一人の友人である馬場ちゃん(勝地涼)が、いつもの居酒屋で一択の愚痴を聞いてやっている。そこへ大家の風子さん(宮本信子)がやって来て、「訊きたいことがあるんだけど…」って、2人に切り出す。そのあと、

「ロックて、何?」って訊くのだ。

で、馬場ちゃんはこう答えるんだな。

「俺、じつは、ロックの原点てのは、アイツだと思ってんだ。外人は外人なんだけど、少年?『裸の王様』に出てくるさ、『あれっ? 王様はだかじゃね? 何やってんの笑っちゃうんだけど。じゃ、俺も脱ごうかな』。

みんながさ、分かってるのに『それ言う?』みたいなさ。軽くぽーんと言うワケよ。

(ビクビクした感じで)『みんな平気なんですか? 王様はだかじゃないんですか?』みたいな言い方するとさ、『うるせーな黙ってろよ』みたいな感じになっちゃって、世界は動かない。王様ははだかのまま。

でもさ、『あれっ? 王様はだかじゃね? はだかはだか! 裸の王様ヌード・キングじゃね?』みたいな言い方するとさ、みんなが『だよな。そうだよな!』みたいなふうにして世界は動く。それがロックでしょうよ。

ロックが空気読んじゃダメ。空気を切り裂くのがロックでしょうよ。ロックはうるせぇって言われ続けないと。だからみんなが、大きな音に慣れている感じだったら、さらに爆音出すワケでしょ。『どうだ、うるせーだろ、ざまー見ろ』みたいなね。」

「でもぉ、男と女のロックはこれが違うんですよねぇ。これがまた。

女のロックはね、すぱーっと行くのよ。前ぶれもなく、いきなり行く感じ。でも男は違う。男のロックはね、もう、うじうじうじうじグジャグジャグジャグジャして、ためてためて最後の最後にドカンと行くワケですよ。」

■まぁ、ぼくは中学高校生の頃はフォーク、大学生になってジャズに没頭したから、じつは「ロック」がよく分からないんだ。つい最近読んだ本に、その「ロック」の定義が書いてあって、「なるほどな」と思った。それが、『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)だ。以下は、ツイッターに載せたもの。

行ったことはないけれど、僕でも名前は知っている、京都にあった有名な本屋さん店主の半生記『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)を読み始める。面白い! 淡々とした筆致なのに不思議とぐいぐい引き込まれる。最初の「こま書房」「初めて人前で話したこと」で「つかみ」は完璧だ。(2016/06/16)
 
『ガケ書房の頃』つづき。家出して横浜に出て来た18歳〜29歳までの、様々な職業を転々としていた頃の話が凄まじい。つげ義春の漫画みたいな印刷工の話「むなしい仕事」。学習教材の訪問販売員だった「かなしい仕事」。
「僕は、その場所でしか通用しない悪しき暗黙のルールというものが世の中にはたくさんあるということを学んだ」(70ページ)
引き続き『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)を読んでいる。いいなぁ。実にいい。この人の文章が好きだ。淡々と醒めているようでいて、情にほだされる描写もする。「ライブはじめる」p142。友部正人さんに飛び込みの直談判で、PAなしの生音ストア・ライヴをオファーする場面。すっごくイイぞ。(2016/06/22)
店主の山下さんは、高校時代に大好きだったんだそうだ。友部正人。145ページに、最初の「友部正人・ガケ書房ライブ」フライヤー写真が載っている。アパートの汚いキッチン流し台の写真に、店主の手書き文字で「にんじん」の歌詞。「ダーティー・ハリーの唄うのは/石の背中の重たさだ……」
 懐かしいなぁ。ぼくも「この曲」が大好きなんだ。中学三年生の時、この曲が収録されたレコード『にんじん』(URC)を買って、高校時代もずっと何度も何度も聴いた。レコードを聴く環境がなくなって、すっかり忘れてしまっていたら、昨年思いがけなくナマで「この曲」を聴くことができた。
南箕輪村の酒店「叶屋」のご主人が友部正人の長年のファンで、毎年店で「友部正人ライブ」を行っていて、去年初めて僕も参加したのだ。知らない歌のほうが多かったけれど、突然あの「ダーティー・ハリーの唄うのは」で始まる『にんじん』のフレーズに僕はゾクゾクしたのだった。
 じつは、今度の日曜日。午後4時から、その酒屋「叶屋」で「友部正人ライヴ」があるのです。上田で小児科学会地方会があるので、行けないなと諦めていたのだけれど、地方会サボってライヴの方に行こうかな。(2016/06/22)
南箕輪村の酒店『叶屋』へ友部正人のライヴを聴きに行ってきた。パワフルでエネルギッシュで、若いなぁ、ロックだなぁって、感嘆した。『はじめぼくはひとりだった』(レコード持ってるぞ)に始まって、1st セット最後の曲『歌は歌えば詩になって行く』は初めて聴いたがいい曲だなぁ。最新CDのか。(2016/06/26)

Tomobe

それにしても、中学高校時代に大好きだったミュージシャンは、一生涯大好きなまま続いてゆくのだなぁ。しみじみそう思った。今日もサインしてもらおうとレコードとCDを持参したのだけれど、やめてしまった。来年は10回目とのこと。次回こそ!(2016/06/27)
 ちょっと追加。『ガケ書房の頃』140ページより引用。「そのころの僕は、物事の判断基準に<ロックかどうか>を用いていた。僕にとって、ロックという概念は、音楽のジャンル以上に、あり方や考え方を指す言葉だったからだ。それは、存在としての異物感、衝動からくる行動、既存とは違う価値の提示、といういくつかの要素を、どれか一つでも兼ね備えているものを指した。」(2016/06/22)
     この<ロックの定義>はいいんじゃないか。
p141「案の定、今かかっているのは誰ですか? とよく聞かれた。一番よく聞かれたのは、デビュー間もないハンバートハンバートだった。」(2016/06/22)
すごく久しぶりに『10年前のハンバートハンバート』を聴いている。2枚目のCD『道はつづく 特別篇』の15曲目『gone』。曲が始まる前のMCで、遊穂さんが、京都の本屋さん「ガケ書房」でライブやったねって、言ってた。2006年の録音だな。(2016/06/25)
「嘘みたいな話だが、ずっと動きが悪い本を棚から一度抜き出して、また元の位置に戻すだけで、その日に売れていくこともある。僕は何度もこれを経験している。人が触った痕跡というものが、そこに残るのだと思う。」『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)224ページ。
(2016/07/09)
わが家には、小沢健二のCDも本も全くないが、おとうさん「小澤俊夫」の昔話関連本と、おかあさん「小沢牧子」さんの児童心理学関連本は何冊もあるぞ。(『ガケ書房の頃』229ページ) (2016/07/09)
『ガケ書房の頃』(夏葉社)読了。圧倒的な満足感と共に深い余韻が残る稀有な読書体験だった。248ページの、いしいしんじさんとの対話を読んで泣けた。オザケンとのやり取りとか、人との出会いの大切さをしみじみ感じる。経営難にあがいてもがいて、めちゃくちゃ格好悪いところが逆にカッコイイぞ!
 特に、ラストの3行。まさに、「ロック」じゃないか! 『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)(2016/06/23)
       「めちゃくちゃ格好悪いところが逆にカッコイイぞ!」

 というのは、もちろん「早川義夫さんのレコードタイトル」にかけている。著者の山下さんは、辞めてしまった本屋の大先輩として絶大なリスペクトを早川さんに送っているワケだが、ぼくの感じでは、加島祥造さんのイメージに重なるのだ、早川義夫氏。よく言えば「老子」。悪く言うと「エロじじい」ごめんなさい。

■この本には、「著者あとがき」がない。まぁ、こうもカッコイイ最後の文章の後には、たしかに「あとがき」は書けなかったのだろう。でも、『ホホホ座』のサイトに「あとがきにかえて」という文章を見つけた。「バンス」のはなし。泣ける。

2016年6月24日 (金)

ロックって何だ?

■毎週すっごく楽しみにしていたテレビドラマ『重版出来』(TBS)と『奇跡の人』(NHKBSプレミアム)と『トットてれび』(NHK総合)が、相次いで終わってしまった。生き甲斐をなくしてしまったみたいで、ほんと空しい。あとは『真田丸』だけか……。

『奇跡の人』(第7話)で、光石研さんが演じる「八袋さん」が、「いい夜だぁ。生きててよかった」と、しみじみ言うシーンがある。このセリフは『泣くな、はらちゃん』で彼が演じた課長さんにかけた呟きでもあり、映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』で、松田龍平と決闘する峯田和伸に、ボクシングの決め技を伝授する小林薫と同じ役割(光石さんはレスリングだが)を果たしたからでもある。

『重版出来』(第9話)。デビューの決まった新人漫画家:中田伯(永山絢斗)も言う。「生きててよかった! 生まれてきてよかった」と。

『奇跡の人』(第8話)。山形から上京してきた ばあちゃん(白石加代子)が、一択(峯田和伸)にこう言うのだ。

「どうやって生きていったらいいか、そんなもんに答えはねえんだ。生きてくしかねんだ。人間は。あとは上等に生きるかどうかだ。わかっか?」

『奇跡の人』ラストシーン。一択は、海に向かって叫ぶ。

「生ぎででよがっだ! これからも、生ぎでぐぞぉ〜!」

「LOVE & PEACE & ROCK & SMILE だぁ〜!」

■以前にも書いたが、毎週日曜日の夜、このドラマを泣いて笑ってまたボロボロ大泣きして見終わると、何とも言えない「シアワセ」な気分になって、こんなバカが堂々と一直線に突っ走って生きてるんだから、どうしようもなくダメでクズな俺でも生きてていいんだって、カミサマに許してもらえたような気がしてきて、翌日のブルーな月曜日もなんとか頑張って乗り切ってこれたのだった。

この感じ、何かに似てる。そうだ、寄席とか落語会に行って、大笑いして、ちょっとだけ泣いて、満足して家路につく時にいつも感じる「シアワセ」な気分といっしょなのだ。落語の世界には、与太郎をはじめとして、とにかく「どうしようもないバカ」しか登場しない。

みんなに「バカ」「バカ」って言われながらも、じつは心底心配され、支えられ、愛されている存在。ドラマでは、峯田和伸が演じる亀持一択がまさに「それ」だ。映画でいえば、柴又帝釈天「とらや」の、おいちゃんが「寅はほんとにバカだねぇ」って言うセリフも同じだな。

映画『男はつらいよ』も、観客は見終わって映画館をあとにするとき、何とも言えない「シアワセ」な気分に浸っていたはずだ。でなければ、盆と正月は必ず「寅さん」を観に行こうなんて思わないもの。(まだまだ続く)

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2016年6月11日 (土)

『奇跡の人』(その3)オマーラ・ポルトゥオンド

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5月28日
神社で風子さんが着ている、緑色のTシャツ。女性の横顔がプリントされているが、オマーラ・ポルトゥオンドじゃないか? キューバの美空ひばり。このCD、持ってるんだ。『奇跡の人』BSプレミアムで再放送を見ている。

6月5日
昨日の夕方のNHKFM『岡田惠和:今宵、ロックバーで』(再放送は、6月14日・火・午後8:05から、NHKラジオ第一)のゲストは、宮本信子さんだった。彼女のリクエストで最初にかかったのが、オマーラ・ポルトゥオドだったので、もしや?と思ったら『奇跡の人』第5話の神社で風子さんが着ていた緑色のTシャツ。やっぱりオマーラだったんだ!判るヤツには判る。
6月5日
あっ、そうか! 光石研さんが、映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の小林薫の役をするのか。NHKBSプレミアムドラマ『奇跡の人』待機。

6月5日
うわっ、また着てるよ。風子さん。オマーラ・ポルトゥオンドの緑のTシャツ。『奇跡の人』見ている。

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2016年6月 4日 (土)

今月のこの1曲。RCサクセション『スローバラード』と、NHKBSドラマ『奇跡の人』(その2)


YouTube: スローバラード-RCサクセション

オリジナル・LPレコード・ヴァージョンには、梅津和時(as)の、むせび泣くサックス・ソロが入っているぞ!(これはシングル盤のほうか?)

■脚本家・岡田惠和さんがDJを務める、NHKFMの番組『今宵、ロックバーで』。次回(本日午後6時〜)登場は、BSドラマ『奇跡の人』の大金持ち(なんと、ブラックカードを持っている!)大家「風子さん」役で出演中の宮本信子さんだ。

前回は「花子さん」役の、麻生久美子が登場した。でも、タイマー録音に失敗してしまい、結局聴けなかったのだが、来週火曜日の午後8時から、NHKラジオ第一で再放送があるので、今度こそ聞き逃さないのだぞ。

番組では、このところずっと『奇跡の人』出演者特集が続いていて、山内圭哉さんの回は聞き逃したけれど、峯田和伸さんが出た回は、それこそ奇蹟的に、録音に成功した。今日、改めて聴いてみたら、RCサクセションの名曲『スローバラード』がかかったのだ。

なんでも、峯田さんが「もう歌うのやめようか」と思うくらいメチャクチャ落ち込んだ夜に乗ったタクシーの「カーラジオ」から流れてきたのが『スローバラード』だったんだって。彼はあわてて運転手さんに頼んで、ラジオのヴォリゥームを最大にしてもらい、2人して大盛り上がりだったんだって。峯田さんは、カーラジオから流れてきた忌野清志郎に救われた。出来すぎじゃね!

「この曲」に関しては、カップルの男と女とで、感覚がぜんぜん違うと思うのだ。車を運転していた男にとっては「最低な夜」だ。今夜も一発きめてやろうぜぃ! って「ラブホ」目指して国道に出たやさき、車はパンクして、仕方なく市営グランド駐車場になんとか車を入れた。結局、彼女とは出来なかったワケさ。歌詞の雰囲気では、その夜の車中では何もなかったんじゃないか。

でも、女のほうからの視点で考えると、ぜんぜん違う。すったもんだの末、パンクした車を押して深夜の駐車場へ。大好きな彼氏との思いがけない大冒険。おまけに、その彼といっしょに毛布にくるまって、手つないで、シートを倒した狭い車中で横になっている。絶対的な愛に包まれた感じ。今夜、世界一幸せな女は私よ! そう思っているに違いない。

だから、「悪い予感のかけらもない」からこそ、彼氏といっしょで安心しきっていたんだろうなぁ。じゃないと、「ねごと」なんか言うわけないもの。

歌詞だけ読むと、男の視点なのに、女の気持ちが語られていて、そこが変なのだ。幸せの絶頂のはずなのに、清志郎が唄うのを聴くと、どうしてこんなに悲しく泣けてくるのか? それは、清志郎が「男」だからで、「悪い予感のかけらもないさ」って、無理矢理自分に信じ込ませている(それは、男も女も同じだ。何故なら、それが恋というものだから。)嘘の哀しみを、聴いていて感じ取ってしまうからなのだろう。

ところで、RCサクセションの『スローバラード』と言えば、まっ先に思い浮かべるのは、作家の角田光代さんだ。清志郎さんが亡くなった時の追悼文は、ほんと心に沁み入った。『これからはあるくのだ』角田光代(理論社→文春文庫)の巻頭に収録されたエッセイ「わたしの好きな歌」で、彼女は「この曲」を取り上げている。以下引用。

 この歌を初めて聴いたのは十五歳のときだった。ライブハウスで、あるバンドがコピーしていた。そのときは、いい歌じゃん、とそれしか思わなかった。けれど三年後、本物のスローバラードを聴いて私は実に驚いた。同じメロディ、同じ歌詞の歌が全然違ったのである。泣きそうになった。声、というものがいかに力を持つものかそのとき知った。

 何度も何度も繰り返して聴き、ようやく泣きそうにならずに落ち着いて聴くことができるようになったとき、私は一つの決心をした。好きなひとができたら、絶対車の中で毛布にくるまって寝よう。絶対そうしよう。運のよいことにそう決心した私は女子校を卒業して大学生になり、同い年の男の子というものに接する機会を与えられた。

いきなりたくさん現れた若い男の子たちに緊張しながらも、「車の中で一緒に手をつないでラジオを聴いて寝てくれるようなひと」を捜した。(中略)

 年を重ねるにつれ、私の中でこの歌の意味はいろいろと変わり続けた。確かに恋愛は、ドライブした車の中で仲良く手をつないで寝るだけのものではなかった。愛しさも涙も嫉妬も汚さも美しさも、全部を乗せて時間はどんどん過ぎ去ってしまう、その残酷さも、この歌には全部つまっていた。

一番最初に聴いたとき、どうして泣きそうになったのかわかった。恋愛がどんなものか知らなかった私にも、この歌の持つかなしさだけはちゃんと届いたのだ。声とメロディとがとけあって、こんなにも饒舌な歌を私はほかに知らない。

 この歌を聴き続けてもうずいぶん時がたち、さすがに「スローバラード実戦作戦」を真剣に練ったりはしてないが、「毛布にくるまってラジオを聴きながら車の中で一緒に眠れるひと」、つまりこの歌の良さを共有できるひとが好みなのは変わっていない。『これからはあるくのだ』角田光代(理論社)7ページ〜10ページ。 


2016年5月22日 (日)

今月のこの一曲。安藤裕子&峯田和伸『骨』そしてNHKBSドラマ『奇跡の人』


YouTube: 安藤裕子 / 「骨」M.V. ‐(Short ver)-

■ブログの更新を1か月半以上サボってしまった。なんか文章を書くのが億劫になってしまって、書かずに日々が過ぎれば、ますます書くのが面倒になってしまったのだった。すみません。

■これまたしばらくお休みしていた「今月のこの一曲」だが、今回取り上げるのはなんと! 熱狂的なファンを持つPunk Rock グループ「銀杏BOYZ」のリードヴォーカル、峯田和伸が作った楽曲『骨』だ。この曲のセルフカバーを、峯田和伸自身が主演するNHKBSドラマ『奇跡の人』のエンド・クレジットで峯田が熱唱していて、聴く度に心にずんずん沁み入るのです。

このドラマに関しては、すごく期待していることを以前にも書いたのだが、いやいや期待以上にめちゃくちゃ素晴らしい。これはホント傑作だ。

毎回、登場人物のセリフひとつひとつが僕の心の奥底を激しく揺さぶるから、ドラマ見ながら泣いて笑ってまた泣いて、でも不思議と「俺でも生きてていいんだ」って許されたような気分になれて、日曜日の夜に「よし! 明日の月曜日からの一週間、またがんばって生きてくぞ!」って、前向きな気持ちになれるのだ。このドラマが、日曜日の夜に放送されるってことが、案外重要なのかもしれないな。

一週間後の放送が待ち遠しくて堪らない、こんなテレビドラマは今までなかったぞ。

■とにかく、峯田和伸演ずる「亀持一択」は、あの映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』に主演した峯田意外の配役は考えられないようなピッタシの役で、クズでどうしようもないバカで、子供の頃から「この世界」に間違って生まれてきてしまった、生きてても意味のない人間だと自分でずっと思いながらも惰性でただ生きてきてしまったダメダメ男。

でも、でもでもでも、ロックなんだよ。生きざまがね。今どき呆れるほどの「純なココロ」の持ち主なのだ。特に「第5話」はそう思った。

それにしても、本当に「奇跡の配役」だ。『泣くな、はらちゃん』や『ど根性ガエル』でお馴染みの、レギュラー陣、白石加代子、光石研、勝地涼に「越前さん」の麻生久美子。それに、今回あらたに「NHK朝ドラ陣」が加わる。

夏ばっぱ、宮本信子。『マッサン』サントリー社長:堤真一の長男役だった浅香航大。彼は、映画『亀岡拓次』のファースト・シーンに登場し、逃亡途中にピストルを乱射して、安田顕を(それと知らずに)撃ち殺す役も演じていた。ふと、「亀田一択」と「亀岡拓次」は似た名前だと思う。それから、印象に残ってはいないけれど、海ちゃんも『マッサン』に出ていたんだってね。

あとは『まれ』で、パティシエ・小日向文世の娘で、柳楽優弥の腹違いの妹役を演じた中村ゆりか。彼女は「まれ」よりも、この美大生役のほうが数十倍輝いているな。

そして、「アホの正志」役の、山内圭哉さん。スキンヘッドは『民王』で見慣れていたけれど、ゴミの分別もちゃんとしないと気が済まず、タバコのポイ捨てとか絶対に許せない、変に潔癖で世の中に正しいことにこだわるのは、『あさが来た!』加野屋の大番頭「雁助」さんのキャラが被るのか?

ドラマの出演者がみなそれぞれに愛しい。でも、一番愛しいのが「亀持一択」だ。愛嬌があって、笑顔が可愛くて、バカなんだけど、どこか憎めない。この役は、峯田和伸にしか演じられないよな。絶対に。

あなたって、あなたって、あなたって、ロックね。

抱きしめたい、抱きしめたい、抱きしめて「あむあむ」したい。

夢が叶うなら、命も惜しくないわ

愛しちゃいたい、愛しちゃいたい、愛しちゃいたい

オー、ベイベェ。

きもいね。しゃあないね。骨までしゃぶらせて。

東京タワーのてっぺんから、三軒茶屋までジャンプするぅ〜うぅうぅ〜!

ベイベェ!

そうさ。この世界で信じられることは、唯一。「無償の愛」なんだ。

■この『骨』に関する「峯田和伸・安藤裕子 対談」を読むと、じつは、母親が自分の娘のことを歌っている曲であることが判明する。びっくりだ。まさに「無償の愛」だな。


2016年3月18日 (金)

麻生久美子の舞台『同じ夢』。それから映画『亀岡拓次』のこと

■女優・麻生久美子を初めて意識したのは、テレ朝で深夜に放送されていた『時効警察』だった。すっとぼけた演技のオダギリ・ジョーとの丁々発止のやり取りで大いに笑かせてもらった、キュートで清楚なコメディエンヌが彼女だったのだ。こんな女優さんがいたのか! 正直驚いた。

しかし、彼女の魅力がフルパワーで全開したのは、なんと言っても、日テレ土曜9時台のドラマ枠で放送された『泣くな、はらちゃん』の「越前さん」役だったと思う。


YouTube: 泣くな、はらちゃん ♪♪

神奈川県三浦半島の先端に位置する三崎町。その漁港近くにある蒲鉾工場で働く、婚期をちょいと過ぎた越前さん。彼女の唯一の楽しみは、モヤモヤとした鬱憤をマンガを描くことで晴らすことだった。

それにしても、麻生久美子には「制服」がよく似合う。お巡りさんはもちろん、蒲鉾工場の作業衣だって妙に様になってるじゃないか。

Img_2833

■そんな麻生久美子は、映画界では引っ張りだこで、田口トモロヲ『アイデン&ティティ』、大根仁『モテキ』、園子温『ラブ&ピース』などなど、いっぱいありすぎてきりがないな。美人だけれど、幼年期に苦労があったに違いない不穏な陰があって、年増域に入って既婚で子持ちの女優になってしまったのに何故か(原田知世とはちょっと違った)ピュアで清廉潔白な雰囲気が漂うという、この血液型B型の摩訶不思議な女優を、映画監督は「俺ならこう撮る」っていう自負が出てしまうんだろうなぁ。

同じことが舞台の演出家にも言えて、「俺ならこういう役を彼女に演じさせたい」っていう欲望がふつふつと湧き上がってくるのであろう。岩松了がそうだし、今回『同じ夢』を作・演出した赤堀雅秋がそうだったに違いない。でなければ、あの「麻生久美子」に寝たきり老人の通いの介護士「ホームヘルパー」役なんて振るわけないもの。


YouTube: 「同じ夢」 スポット動画!


YouTube: 『同じ夢』 trailer movie 2016/2 シアタートラム

■このお芝居が松本でも公演されると知って、年末にネットで予約を入れたのだが、1週間以内に「まつもと市民芸術館」チケットセンターで現金支払いのことだったので、年末年始で忙しかったのに、12月29日にわざわざ松本まで出向いて行ったら、もう年末年始休業でお金を払えず。従って、松本公演のチケットは流れてしまったのでした。

仕方なく、チケットを取り直したら、小ホールの最後部席。正直、もっと前の席で「麻生久美子さま」のおすがたを拝みかたったなぁ。

でも、このお芝居は本当に面白かった!

ここ1〜2年で僕が観たお芝居(そんなに見てはいないが)の中では、ピカイチだった。

舞台俳優ではあるけれど、生身の人間が舞台上から「はける」には、それなりの必然性が必要だ。この舞台では、後ろから前への動線が4つ。肉屋の店先から奥の勝手口への動線と、中央奥の右側にあるらしいトイレ。それに、中央やや左にある階段を上った先にあるであろう2階の部屋と、舞台下手リビングの奥に「ふすま」で隔離された介護部屋(この動線はめったに使われないが重要だ。)

それに、舞台上手(かみて)に用意された勝手口。

麻生久美子は、最初この扉から登場する。

■その佇まい、話し方は「越前さん」そのままなのに、このお芝居での麻生久美子の発言・行動は、ことごとく僕のイメージをぶち壊してくれたのだった。(項を改めて、さらに続く)



2015年5月31日 (日)

NHK 朝ドラ『まれ』は、どうして面白くなっていかないのか?

■NHK朝の連続テレビ小説のファンだ。

あの傑作『ちりとてちん』以降、だいたいフォローしてきた。

中でも、『カーネーション』と『あまちゃん』の2本は、名作と言ってよいと思う。脚本家と演出家そして役者さんたちのタッグが、ほんとうに上手く噛み合っていた。いや、直近の『花子とアン』と『マッサン』だって、なかなか強かに練られた脚本で、最後まで緊張感が途切れることなく毎日楽しみにしていたものだ。

ところがどうだ。今シーズンの『まれ』は。

能登編も横浜編も、渋くてイイ役者さんをたくさん使っているにも関わらず、なんだか画面がいつもワサワサと、とっ散らかっていて落ち着きがない。この人、このシーンに必要なの? って感じの人ばかりいて、その脇役の役者さんたちが、いっこうにメイン・ストーリーと噛み合ってこないのだ。

例えば、門脇麦。彼女は今週になってようやく表舞台に出てきたのだが、ぼく個人的には「こういう使われ方」をするために、彼女はキャスティングされたのかと思うと、ものすごく残念でならない。たぶん、彼女の役割は『ちりとてちん』で言えば「貫地谷しほり」の小浜での親友、ジュンちゃん(宮嶋麻衣)に相当するのだろうが、だとしたら、今週の展開はあまりにその場しのぎの場当たり的すぎて、今後の発展は何も期待できないのではないか? 予想では、来週から画面から消え去って、今後登場の機会は「三つ子」でも生んだ時しかないものと思われる。

キャストが使い捨てなんだな。初めのころ登場した田中泯と田中裕子の息子夫婦(池内博之)だって、反省して東京へ帰ったきり、その後はぜんぜん登場してこない。

つまりね、脚本家の思いつきで、その度に登場人物たちが人形のようにただ動かされているだけなので、見ていて血の通った生身の人間としてのリアリティが全く感じられないのだ。たぶん、脚本家は「それまでの朝ドラの定石」を踏襲する振りをして、ことごとくオフ・ビート的にワザと外しているのかな。

これって、『純と愛』と同じだ。『純と愛』もずっと見ていたが、あれは本当に凄かった。主人公を次々と不幸が襲うのだ。母親(森下愛子)は若年性アルツハイマーで、父親(武田鉄矢)は溺れて死ぬ。就職したホテルの同僚(黒木華)は腹黒で、兄ちゃん(速水もこみち)は根なし草のフリーター。夫である風間俊介の家族はみな病気持ち且つサイキックの持ち主。

主人公が次に務めた大阪の簡易宿屋は火事で全焼し、宮古島で新に始めるプチ・ホテルも、オープン前に台風の襲来でボロボロになってしまう。風間俊介は脳腫瘍に冒され、結局、最終回まで昏睡状態のまま目覚めることなく終わった。毎朝暗い気持ちにさせられながらも、最後まで見てしまったという、めちゃくちゃな朝ドラだった。

『まれ』を見ていて思うのは、『純と愛』を見ていた時とおんなじ。あれじゃぁ役者さんたちが可哀想だ。

(もう少し続く)

2014年12月 7日 (日)

佐々木昭一郎『さすらい』と、ピーター・フォンダの『イージーライダー』

■録画しておいたNHKアーカイヴス「佐々木昭一郎特集」を、少しずつ見ている。初めて通しで見た『夢の島少女』は、思いのほかエロくて驚いた。ただ、感想を語るにはもう2〜3回見ないと言葉にできないような気がしている。

こちらも初めて見たのだが『さすらい』(1971)は面白かった。すごく気に入っている。これはいいな。

■常に無表情で淡々とした主人公の青年が北海道の孤児院から上京して来て、渋谷で映画の看板屋に就職する。その後、ふらふらと東北を旅して廻るのだ。いろいろな人たちと出会う。看板描きの職人、歌い手を目指すフォーク青年(友川かずき、遠藤賢司)「いもうと」みたいな中学生の少女(栗田ひろみ)サーカスのブランコ乗り(キグレ・サーカス)アングラ旅芸人一座(はみだし劇場)、氷屋、三沢米軍基地近くに住み、渡米を夢見るジャズ歌手(笠井紀美子)などなど。でも、結局なにも起こらない。

彼はただ、「ここ」ではない「ほか」の場所、「ここ」ではない「ほか」の人を求めて旅に出るのだ。

あぁ、わかるよ。すっごくわかる。だって、俺も「そう」だったから。

オープニング。海岸の画面下から、ふいに青年がひょこっと現れる。なんか変。そこから『遠くへ行きたい』みたいな映像が続く。でも、どことなくユーモラスで、妙に軽い。深刻なようでいてぜんぜん暗くない。不思議な乾いた感触が心地よいのだ。ラストシーン。青年は浜辺に棒を一本立ててから再び夕日が沈む海に戻って行く。見ていてすごく「すがすがしい」ラストだ。

ドラマに何度も挿入されるBGMの影響があるのかもしれない。バーズ「イージーライダーのバラッド」。これだ。

The Byrds / Ballad of Easy Rider
YouTube: The Byrds / Ballad of Easy Rider

The river flows
It flows to the sea
Wherever that river goes
That's where I want to be
Flow river flow
Let your waters wash down
Take me from this road
To some other town

All he wanted
Was to be free
And that's the way
It turned out to be
Flow river flow
Let your waters wash down
Take me from this road
To some other town

■で、ふと思ったのだが「この曲」がエンディングで流れる(こちらは、ロジャー・マッギンのソロ・ヴァージョン)映画『イージーライダー』を、今までちゃんと見たことがなかったんじゃないかと。アメリカン・ニューシネマの傑作なのに、何故か映画館でもビデオでも見た記憶がない。

町山智浩さんの『映画の見方がわかる本』は読んでいたから、この映画の知識はあった。本に書かれた内容は、「町山智浩の映画塾!」予習編・復習編でほぼ語り尽くされている。これだ。

町山智浩の映画塾! イージー・ライダー <予習編> 【WOWOW】#83
YouTube: 町山智浩の映画塾! イージー・ライダー <予習編> 【WOWOW】#83

■で、TSUTAYAに行って借りてきたんだ、ブルーレイ・ディスク。返却日の深夜にようやく見たのだが、いや実に面白かった。それにしても、デニス・ホッパー、若いなあ。1969年の公開作。

スタントマンのピーター・フォンダとデニス・ホッパーの2人組が、メキシコで仕入れたコカインを金持ちのぼんぼんに売りつけ、儲けた金を改造バイクのガソリン・タンクに隠して、LAからニューオーリンズまで気ままなツーリングの旅を続ける。途中、インディアンを妻とした子だくさんの白人や、ヒッピー・コミュニティのリーダー、アル中弁護士(ジャック・ニコルソン)など、いろんな人たちと出会うというお話し。

ラストの、ヘリコプターによる空撮。これ、『夢の島少女』のラストカット。あの、ヘリコプター空撮による驚異的な長回しのヒントになったんじゃないか? 『さすらい』(1971)も、この映画から大きなインスピレーションを受けているように思った。音楽の使い方とか。

ドラマ『紅い花』のオープニングで使われたドノバンといい、佐々木昭一郎は「川の歌」というか「川の流れ」へのこだわりを、ずっと持ち続けた人だったんだなあ。

■渋谷の街中にたびたび登場した、巨大なモノクロの少女のヌード写真。あの少女はやはり、栗田ひろみ本人だ。

『創るということ』佐々木昭一郎(青土社)で、佐々木氏は『さすらい』の主人公「ヒロシ」に関してこんなふうに言っている。

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『さすらい』はヒロシって主人公がよかったね。このヒロシはオートバイをいたずらしているとこ見つけたんだけど、今は静かに実生活者として横浜で生きている。彫金師になって、奥さんもらって。必ず年に一回電話して、ぼくに会いに来るんだ。「どうしてますか」って、世間話して帰っていく。

ヒロシに会うのは救いだね。(中略)

ヒロシも、彼は実生活ではサンダース・ホーム出身なんだ。で、ハーフでどこかに捨てられてひきとられて、セント・ジョセフっていう横浜の学校に通って、英語が非常に達者でね、日本語もよくできて、学習能力も抜群で、感性がそういうわけだから周囲がなんとなく違うなってことを感じながら生きてるんだ。

ぼくらにはそんなこと言わないけれど、だから孤独っていうのも顔によく出てたし、少年期特有の反抗心も、その反対の優しさも出てたしね。(『創るということ』p117〜p120)

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あ、渋谷道玄坂、百軒店の入り口だ。右手に「道頓堀劇場」。成人映画の看板を運ぶ2人。ずいぶんと昔の渋谷。佐々木昭一郎『さすらい』を見ている。



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