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2010年4月27日 (火)

『老人賭博』松尾スズキ(文藝春秋)

■ラジオ日本『ラジカントロプス2.0』で放送された「大森望・豊崎由美 文学賞メッタ斬り!(芥川賞 / 編)」を、いま聴いているところです。なんか最近は読むよりも聴いたほうが楽だな。今日初めて聴いたのだが、掛合漫才みたいでホント面白い。文化放送の木曜日「大竹まこと・大竹紳士交友録」で大森望氏の声を毎週聴いているので、こうやってポッドキャストを聴くほうが、耳に馴染んでいて思いのほか自然と頭に入ってくるのだな。これは発見。

■という訳で、ぼくはこの小説を一昨日帰りの東北新幹線「盛岡→東京」車中で読み終えた。小説の終盤、ぼくが「クククッ」と笑いを噛みしめながらページを急いで捲っているその左隣で、学会でポスター発表し終えたであろう小児科の女医さんは『1Q84, Book3』を「カバーも掛けずに」黙々と読んでいた。これって、案外驚きの事実かもしれない。だって、混み合う電車内では「買った本のブックカバー」をして他人には何を読んでいるのか知られたくはないのが今までの常識だったからだ。

つまりは、「読書」というのは個人的な体験であって、べつに他人に追体験して欲しいわけではないのだよ、本来は。でも、時代が求めるものは「ぼくがいま、読んでいる本をフォローして欲しい!」てなワケもありなんだね。そういう時代なのか。
まぁ『1Q84 Book3』だったから特別だったのか?

そうは言いつつも、ぼくだって『老人賭博』にカバーをかけずに読んでいた。だって、高遠町図書館で借りてきた本だったから(^^;;

■で、ようやく『老人賭博』松尾スズキ・著(文藝春秋)のはなし。


トヨザキ社長は例の小関老人を関根勤がよくものまねする名優、大滝秀治を思い浮かべながら読んだらしいのだが、ぼくは違った。やっぱり、バイプレイヤーの老人といえば、殿山泰司さんでしょう!(でも、このポッドキャスト聴いたら、大滝秀治のような気がしてきたぞ!)

なにゆえ、トヨザキ社長がこれほどまでに「この小説」に入れ込むのかと言うと、主題がギャンブルだからだ。

ぼくはギャンブルをしない。

だから、競馬・パチンコで身上潰しそうになったトヨザキ社長の気持ちはわからないし、この小説に登場する人たちが実にくだらないトトカルチョに熱中する気持ちが理解できない。ホントのことを言えば、ぼく自信は「ギャンブルは病気」だとさえ思っている。


それでも『老人賭博』松尾スズキ(文藝春秋)は、めちゃくちゃ面白い!
ラスト近くでは、読者も緊張感が高まってページを繰る手ももどかしいほど面白い!


バカらしいけれども、いのちを賭けているんだ。みんな。

それから、センセイを筆頭に、ほとんど精神的な「こども」しか登場しない小説だ。
唯一「大人」なのは、まだ未成年のくせしてタバコが止められないグラビア・アイドル「いしかわ海」だけだったりする。


人間て、なんて愚かでダメダメで、狡くてあざといんだろうと思いつつ、くだらないことに真剣に取り組んでいる人間の姿が妙に愛おしくて感動してしまったりもする実に不思議な感触の小説でした。芥川賞とれなくて残念だったね。


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