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2021年4月 7日 (水)

熊本在住の男女2人ユニット「flexlife」がイイぞ!(その2)

■怒濤の連続連夜更新だ!!

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(写真をクリックするとデッカくなります。)

■むかしから「男女二人のペアユニット」が好きだ。

ハンバートハンバートは20年以上前からファンだし、羊毛とおはなも大好き。千葉はなさんは乳がんで亡くなってしまったけれど。最近では、NHK総合『あさイチ!』近江さん登場の最終回にナマ出演ナマ演奏を披露した「T字路's」も、お気に入りだ。

ちょっと思い出してみると、このユニット形態は伝統的なものがあるな。ヒデとロザンナ、チェリッシュ、ダカーポ、赤い鳥だった紙風船。それに、トワエモア。あ、それから地元の伊那市高遠町には「亀工房」前澤夫妻がいるぞ!

■東京は下北沢あたりを根城に、地道な音楽活動を続けていた「flexlife」が何故、いまは熊本で生活しているのか?

大倉健さんと青木里枝さんは、結婚したあとしばらく音楽活動を休止していた。男の子(勘太郎クン)が生まれて、子育てに専念していたからだ。そこへあの、2011年3月11日がやって来る。福島第一原発はメルトダウンした。

彼らは子供を抱えて逃げた。東京からずっとずっと西へ。そうして九州は熊本の田舎に辿り着いたのだった。熊本県宇城市豊野町。(現在は熊本市内へ転居)

そしたら今度は、2016年(平成28年)4月14日。熊本地震が発生。ほんと大変だったんだね。

熊本には、ぼくが個人的に注目している人たちが他にも住んでいる。詩人の伊藤比呂美さんと、坂口恭平さんだ。

彼らが熊本へ移住した後に作ったCD『Wild Cat Blues』を(ごめんやはり中古で)購入して聞いてみた。驚いた! それまでの、アーバンでポップでソウルフルで格好いい音楽はそこにはなかったのだ。正直がっかりした。

■たとえば、ハンバートハンバートの新譜を購入すると、ぼくは処置室に置いてあるラジカセで診療時間中ずっとリピートして延々と聴いている。看護師さんたちはさぞや迷惑してるに違いないのだが、そこは院長の特権で、とにかく繰り返し繰り返し聴き続けるのだ。数週間から1ヵ月近く同じCDを聴き続けることもあるよ。

そうすると、噛めば噛むほど味が出る「スルメ」みたいに、聞き込んで初めて「その曲」のよさが分かってくることが多いのだ。

flexlifeのCD『Wild Cat Blues』も、そんなふうに繰り返し聴いた。地味な曲ばかりだ。演奏もシンプル。ぜんぜんソウルじゃない。でも、10回くらい聴いたあとかな、突然「ことば」がズシンと僕の心の奥底に響いたのだ。その曲は「ノスタルジア」。歌詞を引用すると、JASRACが突然やって来てブログを削除してやるぞ!と脅してくるのだが、すみません、以下引用です。


YouTube: flexlife ノスタルジア

泣いたり 笑ったり

そんな風に過ぎてく日々が

いつまでも続くだろう

そんな風に思っていた

■「あっ!」これって、「コロナ以前」のぼくらが当たり前に過ごしていた生活じゃん!

そう思ったら、涙が流れてきたのだ。それから「らんなうぇい」


YouTube: らんなうぇい。from Wild Cat Blues

"あの日" から らんなうぇい。 出口探す人よ

"あの日" から ふぁらうぇい。 歌ってよ Boy Friend!

負け犬だと 指さされても

おそれていい 逃げ出していい。

君は君のため。らんなうぇい。

たぶん直接は、放射能から逃げ出した時の歌なのだろうけど、いま思うともっともっと大きな大切なことを言っていたんだね。学校で陰湿な「いじめ」を受けている子供たち。夫からのDVに悩まされている妻たち。ブラック企業の犠牲になっている若者たち。生真面目すぎて会社に尽くしてきたがために鬱病になってしまった企業戦士たち。

そうさ、現状から逃げ出していいんだよ。そう、君のために。

それから「時計仕掛けのステップ」も不思議な歌だ。自発的には一切行動できないで、ただ操り人形のように人生が国家から制御された、ジョージ・オーウェル『1984』か、テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』のような世界。 でも、


YouTube: BE THE VOICE LIVE///WGT farewell party

(1時間21分後あたりになって、リモートで登場します!)

踊ろ 踊ろ 時計仕掛けのステップで

踊ろ 踊ろ Rock Stedy, Samba, New Orlens

すきな服 すきな色 すきな様に着飾って

いざ進め! 時計仕掛けでも

ぼくはこの曲を聴いて、小坂忠の名作「機関車」を思い出したよ。 

あと、タイトル曲の『Wild Cat Blues』。ドラムスとピアノが入ってくる瞬間が、いつ聴いてもじつに気持ちイイ! なんだろう。凄く疾走感がある曲だ。ちょっと、クラムボンの演奏を彷彿とさせる。「せーの」で一発録音したというライヴ感、臨場感のなせるワザか。


YouTube: flexlife wild cat blues

でも、なんて言うかな。「地べたにしっかり足が着いている」演奏なんだ。東京にいた時は「重力に逆らって遊んで」ふわふわと漂っていたのに、ぜんぜん逆で、プリミティブでシンプルで、力強い音楽が出来上がっていたことに、ちょっと感動してしまったのだ。

これはイイぞ!

■ぜひ一度、生ライヴで聴いてみたいものだが、熊本は遠いなあ。

でも、FDAが熊本空港から名古屋小牧空港に飛んでいるので、時間的にはそれどかからない。名古屋→岐阜→信州ライヴ・ツアーとか、いつの日かできるといいなあ。

(おしまい)

2021年4月 5日 (月)

熊本在住の男女2人ユニット「flexlife」がイイ!(その1)


YouTube: 夢で逢えたら( 大瀧詠一/吉田美奈子)・yume de aetara ( minako yoshida/ eiichi ohtaki ) by flexlife

■前々回かな、吉田美奈子の「ラスト・ステップ」を取り上げた時に、YouTube で発見した「flexlife」。

いまや世界中で大注目の「ジャパニーズ・シティポップ」を次々とカヴァーして、YouTube にどんどんアップしている。ヴォーカルは、青木里枝、ギターは大倉健の男女2人組だ。別姓だが、夫婦みたい。ハンバートハンバートといっしょだね。

まったく知らなかったミュージシャンだが、ウィキで調べると 1998年のデビュー。結成23年じゃないか!

ということは、ハンバートハンバートより古いのか?


YouTube: エイリアンズ(キリンジ)/Aliens(Kirinji)covered by flexlife


YouTube: ルビーの指環 (寺尾聡) × THE ROLLING STONES ( MISS YOU ) COVERED BY FLEXLIFE

■彼らのCDを聴いてみたくなって、ほんと、すまぬ。Amazon で安かった中古盤をまずは購入した。『メロウグルーヴ』(フレックスライフ)だ。

カヴァーではなくて彼らのオリジナル曲。これがめちゃくちゃ良かった! ネオ・ソウルって言うの? ふわふわと漂うような浮遊感がじつに気持ちイイのだ。アコースティックだけれど、ハンバートハンバートや、羊毛とおはなみたいな「フォーク」じゃない。R&Bだ。グルーヴ感っていうヤツ? リズムがね、黒いんだよ。でも、T字路's ほど真っ黒じゃあない。例えば、こんな曲。

 ・


YouTube: flex life / 寝ても醒めても (flex life : Nete mo samete mo)

■このPV。凄いよね。まるでウッドストックだ。1970年代初め。まだヒッピーが日本各地に集団で住んでいた頃の感じだ。モノクロだし。長野県でも入笠山の麓に集落を作っていた。青木さんは、スーパーフライがデビューするずっと前に「ほぼ同じ衣装」で歌っていたのか!

ちょっと癖になる歌い方だよね。エリカ・パドゥみたいな、松倉如子のような不思議な響きがある。

エレピを弾く大倉さん(若いぞ!!)は痩せていて、中川ひろたかじゃなくて、まるで「松尾スズキ」だ。あはは!

彼らのオリジナルは、基本ギターの大倉健:作曲、ヴォーカルの青木里枝:作詞で出来ている。大倉のお洒落なメロディセンスに先ずは驚くが、ここで注目したいのは、青木里枝の「言葉」の感覚だ。

愛が途切れる音がする

夜毎悪魔が囁いた

光と闇 月と太陽

混ざりあうわけがない

(中略)

寝ても醒めても頭の中はおとぎ話ねあなたは

夢から醒めた日々の世界は多くを語りかける

寝ても醒めても疑いや嘘、憎しみは続く

重力に逆らって遊ぶ

「寝ても醒めても」

夢紡ぎ歩く二人 何処を目指すのだろう

行く宛て など何もない 長い道

照りつける太陽

揺れる蜃気楼

広がる砂丘に つづく足あと

二人探してる 霧の向こうの”それいゆ”

見失わないように あぁ 歩いていく

「それいゆ」

■なんかね、文学的なんだ。詞がね。アーバンでポップなメロディに被さって、寺山修司みたいな、1960年代末の雰囲気むんむんの言葉たちが綴られてゆくのだ。彼女は、自らの名前のローマ字表記を「Rie Aoqi」と書いていて、これってもしかして、早世したジャズ評論家「間章(Aquirax Aida)」の影響を受けているのではないか?

これは僕の想像でしかないのだけれど、きっと彼女は「大島渚」の映画が好きに違いないし、漫画は永島慎二の『フーテン』と『黄色い涙』がお気に入りだと思うぞ。僕よりずっと若いはずなのにね、何故か60年代のレトロ趣味。不思議だ。

(その2)に続く!


YouTube: 日曜日よりの使者(ザ・ハイロウズ・THE HIGH-LOWS)covered by flexlife

2021年2月21日 (日)

今月のこの1曲 吉田美奈子『ラスト・ステップ』


YouTube: last step 山下達郎・吉田美奈子 /covered by flexlife

■このところの「ヘビロテ」楽曲が、吉田美奈子『Flapper』に収録されている「ラスト・ステップ」。

山下達郎が提供した曲だ。聴いていてホント、気持ちイイ!

YouTube には、残念ながらオリジナルの吉田美奈子ヴァージョンはなかった。代わりにアップしたのは「flexlife」という、青木里恵(Vo)、大倉健(g) という男女2人組のユニットのカヴァー。雰囲気はよく出ているな。しかも、ギターの大倉さん。絵本作家で「トラや帽子店」メンバーだった「中川ひろたか」さんにそっくり! 最初見た時、てっきり中川ひろたかさんが弾いているとばかり思ってしまったよ。

■この曲は、山下達郎がシュガーベイブ時代に作った曲らしい。本家、山下達郎ヴァージョンが上がっていた。これだ。


YouTube: Tatsuro Yamashita (山下達郎) - ラスト・ステップ

 
YouTube: 山下達郎 - Last Step

■ところで、この「んぱ、んぱぱっ」というリズムは、一般的には「シャッフル・ビート」と呼ばれている。オフ・ビート(2拍、4拍)が強調されて跳ねる感じのリズムなのだが、ジャズの「スウィング」と違うのは、スウィングが4拍子の単なるあと乗りビート(んぱ、んぱ)なのに対して「シャッフル」は同じ4拍子なんだけれど、3連符が「タタタ、タタタ、タタタ、タタタ」と細かく刻んでいるのが違う。

スティーヴィー・ワンダーの「Isn't She Lovely」を聴くと、この3連符がよくわかる。マービン・ゲイ(ジェームス・テイラー)の「How Sweet It Is (To Be Loved By You)」も、おんなじだ。ドナルド・フェイゲン『ナイト・フライ』の1曲目「I.G.Y」も、レゲエっぽいけど、同じだね。


YouTube: Isn't She Lovely

この、決めの「タタタ、タタタ、タタタ。タッタ!」がね、気持ちいいんだよ。


YouTube: James Taylor - How sweet it is (to be loved by you)


YouTube: I.G.Y.

シャッフル・ビートを取り入れた楽曲は、他にもいっぱいあるぞ。

検索したら「こんなサイト」が見つかった。

https://sakkyoku.info/theory/shuffle-rhythm-songs/

2021年2月 6日 (土)

水谷浩章(ベース)× 夏秋文彦(鍵盤ハーモニカ+α)at the 「黒猫」

■2年半前のツイートを探し出してまずは以下に再録。
 
今夜は、赤石商店で「助川太郎 ソロギター ワールド」のライヴ。
 
オープニングアクトで、赤石商店で毎週土曜日の夜に出張カレー食堂「マクサンライズ」を開いている(めちゃくちゃ美味しい!)幕内純平さんが「口琴」の即興ソロを3曲披露してくれた。初めて聴いたが、これまた凄かったな。完全アコースティックなのに、ピコピコの電子音楽みたいな不思議な響き
 
続き)なんていうか、初めてエヴァン・パーカーのソプラノ・サックスを聴いた感じと同じような音楽だった。そう「倍音」の響き。口琴て、奥深いんだ。
 
 
続き)エヴァン・パーカーと言えば、最後に助川太郎さん、幕内さんと共にゲストとして登場した不思議なおじさん。3人で完全な即興演奏を繰り広げたが、一人アートアンサンブルオブシカゴを演じている感じの「このおじさん」も凄かったぞ。「鍵盤ハーモニカ」を「循環奏法」で吹いていたんだよ。
 
続き)ぼくは知らない人だったので帰宅後に検索したら、夏秋文彦さんだった。この伊那谷で農業をしつつ演奏活動を続けているとのこと。鍵盤ハーモニカでサーキュラー・ブリージング(循環呼吸)奏法とは、ビックリ。
 
この人です!
 
 
 
■で、今夜は伊那市「黒猫本店」で、その噂の、夏秋文彦さんと、2年前から伊那市在住のプロのジャズ・ベース奏者:水谷浩章さん(大友良英s' New Jazz Orchestra や、ジャズピアニスト:南博カルテットなどに参加)の完全な即興デュオ演奏のライヴがあって、聴きに行ってきた。
2年半ぶりでの夏秋文彦さんのナマ演奏だ。いや良かった凄かった。期待以上だった。ジャズのインプロヴィゼーションとはちょっとアプローチが違うので、最初は、夏秋文彦さんが勝手に自分のペースでずんずん演奏するのを、手探りながらも水谷浩章さんのベースが絡んでゆく感じ。
 
リズム感・タイム感覚がちょっと違う? でも、中盤から後半は二人の波長が次第に合ってきて、はっとする瞬間が何度もあった。心地よい緊張感。寒かったけれど、ああ、聴きに行ってホントよかったよ。
それにしても、夏秋文彦さんて、鍵盤ハーモニカ界の「ローランド・カーク」& 一人アート・アンサンブル・オブ・シカゴだよなあ、って改めて感動しました。 凄いぞ! 鍵盤ハーモニカの「サーキュラー・ブリージング」奏法(まったく息継ぎせずに、延々と吹き続ける奏法。鼻から息を吸いながら同時に口から息を吐く。そんなこと出来るのか? いや、できるのです)。
 
さらには、口琴、親指琴(カリンバ)、木の物差し?、ストレッチ用の板状ゴム(両手で伸ばしたり縮めたりしながら、まん中を口にくわえて、ビヨンビヨン音を出す)などなど、様々な楽器?も次々と演奏した。
 
あとラストの前の曲では、いきなり四国八十八ヵ所巡礼に持つ「弘法大師の杖」みたいな不思議な長い楽器をトントン地面に突きながら、やおらリードをくわえると、実はこれが「バスクラ」のオバケみたいなリード楽器(既製品)だったんだ。その不思議な音色といったら。
 
ちょっと、太古の地球に住んでいた人類の祖先が奏でた音を想像してしまったよ。
今回は、主役の夏秋文彦さんを立てる形で、サブに徹した水谷浩章さんだったが、もっともっとハイ・テクニックなベース・ソロを聴いてみたかったぞ。
観客の中には、伊那谷が誇るジャズ・アルトサックス奏者の太田裕士さんや、ギターの北川哲生さんも聴きに来ていた。次回は、富士見町在住のジャズ・ドラマー、橋本学さんも交えて、皆でセッションして欲しいな。期待しています!
 
追伸:あ、そうそう! 終演後「北原さんですよね!」と声をかけてくれた男の人がいた。マスクが大きくて僕は誰だか分からなかったのだが、「幕内です。赤石商店で『マクサンライズ』ってカレー食堂をやってた。」「あっ!! あの、口琴奏者の幕内さん? 八ヶ岳の向こうに引っ越した?」
 
そう、あの僕らが大好きだったインドカリーを作ってくれていた、幕内純平さんだったのだ。久々の再会。いや、嬉しかったなあ。
 
それにしても、あの絶品カレーをもう一度ぜひ食べてみたいものだ。
■このライヴを「伊那ケーブルテレビ」が取材に来て録画して行った。前半終了後の休憩時に、演者にインタビュー。「今回の演奏は全くの即興演奏だったのですか? 前もって何も打ち合わせとかせず」「ハイ。そうです」
 
 
インタビュアー:「夏秋さんが演奏する音楽は、民族音楽なのですよね?」 夏秋:「いや、違います。現代音楽です!」このやり取りには笑ってしまったよ。
 
「お名前と年齢を教えていただけますか?」 夏秋:「今年還暦です。」水谷:「58です」
 
なんだ、ぼくより若かったのか! まいったな。 
 
 
 

2020年4月14日 (火)

串田和美とオンシアター自由劇場の『上海バンスキング』

■長野県医師会が毎月発行している広報誌『長野医報』の4月号が、先月末に配布されたので、同誌に掲載していただいた、ぼくの文章「串田和美とオンシアター自由劇場の『上海バンスキング』」を、こちらにも転載させていただきます。

(一部改変あり)

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串田和美とオンシアター自由劇場の『上海バンスキング』

上伊那医師会 北原文徳

 

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(写真をクリックすると、画像が大きくなります)


 

 設定は1945年11月の上海。舞台上に一人残され佇む吉田日出子。静寂。静かに幕が下りる。オンシアター自由劇場の音楽劇『上海バンスキング』の終幕だ。万雷の拍手。カーテンコールに応え彼女だけが登場し再び幕。すると、ステージから劇団員の生演奏が流れ出しまた幕が上がる。劇の冒頭でも演奏された、串田和美(くしだかずよし)作詞、越部信義作曲による『ウェルカム上海』だ。

 

     ああ、夢が多すぎる

     にがい夜明けの 朝もやのように

     幻の”ウィ・ムッシュ” なつかしき上海

 

 黒のチャイナドレスに着替えた吉田日出子が唄いながら螺旋階段を降りてきて、各々楽器を手に演奏する劇団員たちが白のタキシードで横一列に並ぶセンター前に合流する。観客一人一人の脳裏には、このお芝居の印象的なシーンが走馬灯のように次々と浮かんでいることだろう。何とも言えない幸せに満ち溢れた瞬間だ。と、その時。

「どんどんつたどん、どんつたつたどん」と、ジーン・クルーパばりの印象的なドラムソロが鳴り出す。ベニー・グッドマン楽団で有名な「シング・シング・シング」だ! 今でこそ、伊那中学校吹奏楽部も十八番にしているこの楽曲は、映画『スウィングガールズ』(2004年公開)で取り上げられ広く知られるようになったのだが、この映画は明らかに『上海バンスキング』のやり方を真似している。主演の上野樹里や貫地谷しほりは、映画の撮影前に数ヶ月間合宿してサックスやトランペット演奏の特訓を受けたという。役者が実際に楽器を演奏するリアルさを監督が要求したからだ。

 1966年に六本木の硝子屋さんの地下室で誕生した「アンダーグラウンド自由劇場」では、新人が入団するとまずは地下劇場の床にずらっと一列に並べた楽器から好きなのを選ばせた。不思議と役者の個性に合った楽器をみな選ぶという。自由劇場の稽古は凄まじくキツイことで有名だったが、さらに楽器の練習が加わり、プロのミュージシャン並の演奏技術が役者たちに求められた。

 小日向文世はアルトサックス、笹野高史はトランペット、主宰の串田和美はクラリネットを担当した。地方を巡る長期公演ではダブル・キャストで応じるので、役者さんは別の役、別の楽器にも対応しなければならないから大変だ。

 

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 大興奮の中「シング・シング・シング」が終わると、曲は「オーバー・ザ・ウェイブ」に変わり、メンバーは次々にステージを降りて演奏しながら客席の合間を行進し、劇場最後部のドアからみな外に出て行ってしまう。そして劇場入口のエントランスで更に演奏を続けるのだ。

 観客はあわてて座席を立って劇場外へと急ぐ。すでにスタンバイした吉田日出子がお立ち台に上り、おもむろに「林檎の木の下で」を唄い始める。観客の目の前で。芝居が終わって劇場の外に出たのにまだ夢の続きの世界にいる陶酔感。しかも、ステージ上にいた役者さんたちが手を伸ばせば触れそうな近距離で唄い演奏している。

 

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 僕はこのお芝居を1984年11月の初めに長野市民会館で観た。猛烈に感動した。お芝居って凄いな!ただただ驚嘆した。

 当時の僕は、大学病院で1年間の研修を終え、厚生連北信総合病院で2年目を迎えた新米小児科医だった。何をやっても上手くいかず出来損ないの小児科医で、日々ただ悶々と過ごしていた。暗く落ち込んだ僕に手を焼いていた先輩の安河内先生は、奥さまと入会していた長野市民劇場の特別公演『上海バンスキング』に僕を誘ってくれたのだ。本当にありがたかった。このお芝居にどれだけ救われたことか。あの時は本当にありがとうございました!

 

 この年、9月〜12月にかけて「オンシアター自由劇場」は全国52ヵ所で『上海バンスキング』を87回公演している。1979年の初演以来、評判を呼んだ舞台は大ヒットし、1996年に自由劇場が解散するまで、日本全国各地で435回も公演が繰り返され驚異的なロングランとなった。更に2010年には、ほぼオリジナル・メンバーによる奇跡的な再演が実現し、渋谷のシアターコクーンで20回の公演が行われている。

 当時ミュージカルと言えばみなブロードウェイから輸入された翻案ものだった。ところが『上海バンスキング』は完全な日本オリジナルだ。この戯曲は斎藤憐(さいとうれん1940 - 2011)が手掛けた。彼は、戦前の日本人ジャズに詳しい服部良一らに取材し、昭和初期に日本を離れ上海でバンスキング(前借り王)の異名を取っていたジャズ・トランペット奏者、南里文雄をヒントに芝居のタイトルとした。

 斎藤憐は、この舞台で演出・美術・主役の波多野四郎を演じた串田和美の2つ年上で幼なじみだった。共に小学校から高校まで成蹊学園に学んだ。斎藤は早稲田に進学したが、串田は演劇がやりたくて日大芸術学部に入った。串田の父親は、哲学者で詩人、山岳随筆家でもあった串田孫一。祖父は三菱銀行初代会長の串田万蔵。母方の高祖父は土佐藩上士の佐佐木高行で、祖父は伊勢神宮大宮司を務めた佐佐木行忠。言わば由緒あるいいとこのお坊ちゃんだ。

 理想とかけ離れた大学を1年で辞めた串田は、1962年俳優座養成所に第14期生として入所。同期には、佐藤信、吉田日出子、原田芳雄がいた。既成の劇団では飽き足らず、1966年に串田と斎藤らは自分たちの劇団と劇場を立ち上げる。「アンダーグラウンド自由劇場」だ。1975年には「オンシアター自由劇場」と改め、吉田日出子、笹野高史の他に、小日向文世、佐藤B作、下條アトム、柄本明、ベンガル、綾田俊樹、萩原流行、高田純次、イッセー尾形、岩松了が当時のメンバーに名を連ねている。

 

 『上海バンスキング』が大成功を収めた後、串田は是非にと請われて東急Bunkamura「シアターコクーン」の芸術監督に就任する。ここでは、亡くなった中村勘三郎とコクーン歌舞伎、平成中村座を手掛け、2003年からは、建設中の「まつもと市民芸術館」の芸術監督に就任。当時松本では有賀市長4選を阻止するべく「劇場などいらない!」と建設反対運動が盛り上がっていて大変だったという。

 しかし、2008年7月から隔年で「平成中村座信州まつもと大歌舞伎」が開催されるようになると、期間中に歌舞伎役者や俳優たちを乗せた人力車が松本市内をお練り行列する行事が恒例となり、一般市民も「まつもと大歌舞伎」の役者として大勢参加した。こうして、松本はいつしか演劇の町として広く知れ渡るようになっていったのだ。

 僕は2014年、2016年、2018年と観に行っているが、注目したのは小ホールで同時開催された「木ノ下歌舞伎」の『勧進帳』と『三番叟』『娘道成寺』だ。京都造形芸術大学出身の木ノ下裕一(1985年生まれ)が主宰する新進気鋭の若手集団で、斬新な演出により歌舞伎という古典芸能が、いま・ここで鮮やかによみがえっていた。客席には中村七之助ほか若手歌舞伎役者たちや笹野高史さんが僕のすぐ近くの席でじっと舞台を見つめていたのが、とても印象的だった。

 

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 ただ、松本での串田和美の真骨頂は、歌舞伎の行われない年の夏に隔年で開催される『空中キャバレー』にある。地下のアンダーグラウンドで始まった自由劇場が地上に出て「オンシアター」となり、松本の地でとうとう「空に浮かんだ」のだ。この舞台は構造的に「まつもと市民芸術館」でしか上演できないように出来ている。

 観客は普段シャッターで閉ざされた大道具搬入口から建物内に入る。するとそこは遙か異国の露天商通り(空中マルシェ)になっていて、いろんな食べ物やビールにワイン、雑貨やアクセサリーも買うことができる場所だ。通りでは出演者たちが楽器演奏をしたりサーカス団のメンバーが大道芸を披露していて、観客はいきなり異次元の祝祭空間に紛れ込んだ感覚に陥るのだ。

 しばらくして串田さんが登場し、舞台の開演を宣言する。音楽監督のアコーディオン奏者cobaがピアソラの「リベルタンゴ」を生演奏し、フランスからやって来たジェロ率いるサーカス団が空中ブランコや綱渡り、アクロバティックな曲芸を次々と披露する。串田和美と大森博史がゴドーを待っていると、実際にゴドーが登場するし、自由劇場のメンバーだった小西康久・内田伸一郎・片岡正二郎(撥管兄弟:バチカンブラザーズ)の3人が、松本出身の秋本奈緒美を加えてサボテン・ブラザーズとなり、達者なマリアッチを演奏しながらショートコントを演じる。劇場専属劇団「TCアルプ」メンバーも頭にサバを被って、フランス語で「サヴァ、サヴァ」言う不思議なエチュードを披露する。

 観客は客席ではなくステージ上に体育座りして演目ごとに舞台上を次々と移動し、真上の空中ブランコを見上げ、振り返って本来の大ホール客席を眺める。時には出演者と手をつないで輪になって踊ったりもする。信じられないくらい演者と観客が近い。こんな舞台は観たことがない。いや、観るというよりも体験したと言ったほうがよいか。前半のラストでは、片岡正二郎と『怪力男オクタゴン』の歌を皆で大合唱する。「人にはそれぞれ才能がある。その才能は放棄できない」と。

 観客の中には幼子を連れた若夫婦も多い。串田さんの演技中に、退屈した子供たちがバックステージを走り回ったりするのもご愛敬。とにかく、演者も観客もみな実に楽しそうで幸せな顔をしている。ああ、これが串田和美が目指したお芝居だったのか。

 

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写真:串田明緒『幕があがる。Vol.53』 p4〜5より転載

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 1977年に初演された自由劇場の『もっと泣いてよフラッパー』は、吉田日出子の役を松たか子が演じ歌って2014年に再演された。僕も松本まで観に行った。とってもよかった。松たか子さんは、ホテルから劇場まで歩いて行く途中にある「ポンヌフ」でパンを買って食べるのが楽しみだと終演後のアフタートークで語っていた。じゃあ『上海バンスキング』のマドンナ「正岡まどか」役を松たか子で再演できるかというと、それはもう絶対に無理だ。

 吉田日出子さんは頭部打撲のあと高次脳機能障害(short-term memory loss)を合併し、現在も闘病中だという。いつの日か奇跡的に彼女がステージ上に復帰して、数多のジャズ歌手よりも圧倒的に雰囲気のあるその歌声を、是非ともまたナマで披露して欲しいと切に願っている。

 

  最後に吉田日出子さんの言葉を引用してこの文章の幕引きとさせて頂きます。

「テレビや映画にたくさん出て、何万人もの人に好かれるよりも、たった一人のお客さんでもいいから、その人が一生忘れないような舞台を仲間たちと一緒につくれたら……。そう願って、『劇場でまた会いましょう』というひと言で締めくくりました。」吉田日出子著『私の記憶が消えないうちに』(講談社)より。

(おわり)

【参考文献】

 1)『わたしの上海バンスキング』写真・文 明緒(愛育社)2013年

 2)『私の記憶が消えないうちに』吉田日出子(講談社)2014年

 3)『幕があがる。Vol.53』まつもと市民芸術館「季刊誌」2020年冬号

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【参考映像】

   BSスカパー!「STAGE LEGEND」2016年6月1日放送。

   オンシアター自由劇場公演『上海バンスキング』1991年、渋谷東急 Bunkamura「シアターコクーン」にて収録。

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2020年3月20日 (金)

『栃東の取り組み見たか』吾妻光良とスウィンギンバッパーズ

■長野県医師会「広報委員会」で随分とお世話になった、松本の野村先生が、先月CDを貸してくれた。

というのも、野村先生が引退する最後の広報委員会の時に、僕が強引に「Jポップの原点」となるCDたち(荒井由実、細野雅臣、大瀧詠一、矢野顕子、大貫妙子、シュガーベイブ、竹内まりや、はちみつぱい、小坂忠)を無理矢理貸した。そのCDたちを先月「ゆうパック」で返却してくれた際、オススメのCDを同封してくれたのだ。

そのCDたちとは、パット・メセニーが4枚、熊谷幸子が3枚、そして、吾妻光良とスウィンギンバッパーズのCDが4枚だった。ちょうど、ライル・メイズが亡くなった次の日だったから、レコードは持っていたがCDはなかった『トラベルズ』を心して聴いた。めちゃくちゃ良かった。

熊谷幸子もよかった! あの『夏子の酒』のテレビドラマ主題歌を歌った人だ。

■そうして、最後に聴いたのがこの曲。ぶったまげた! のりのりのジャイヴ&ジャンプ! カウント・ベイシー・ビッグバンドも真っ蒼じゃん!! それに、まるで平家の落ち武者みたいな、ハゲなのに長髪の「変なオッサン」誰? 彼が吾妻光良なの? デビュー40周年を迎えたバンドなのに、僕は今まで一度も聴いたことがなかった。なんと恥ずかしい!

 


YouTube: 吾妻光良&The Swinging Boppers "最後まで楽しもう"

■ジャズ好きを自認する俺が、なぜ「吾妻光良とスウィンギンバッパーズ」を今まで一度も聴いたことなかったのか? 60過ぎても聴いたことのない「めちゃくちゃ凄い音楽」が、まだまだいっぱいあるのだなあ。

野村先生! 教えて頂いて、ほんと有り難うございました。

ちょっと調べたら、吾妻光良氏はアマチュア(日テレで音響関係の社員として勤務されているらしい)を貫き、学生時代(早稲田大学理工学部に5年いたらしい)に既にブルース・ギターの教則本を出版したらしい。お〜、ギターめちゃくちゃ上手いじゃん!


YouTube: 『Player』6月号 ぶるーすギター高座 特別編 吾妻光良meets KORG KR-55 Pro

■で、彼らのCDを聴いてきて最後の4枚目に収録されていたのが、かの名曲『栃東の取り組み見たか』だったのだ。ただ、オリジナルは YouTute にない。全て著作権(原曲管理者がアメリカで五月蠅いのだ)の関係で削除されてしまった。

見つけたのは、憂歌団みたいな関西のバンドがカバーしたこれ。


YouTube: 栃東の取り組み見たか

おお! ニコニコ動画には、オリジナル残ってたのか!

https://www.nicovideo.jp/watch/sm24361739

う〜ん。うまく画像が貼れないぞ。

この曲は彼らのライヴでは昔から有名な定番曲だったが、原曲の著作権管理者から許可がなかなか下りず、音源化されなかった。でようやく認可されて『シニア・バカナルズ』に収録されたのだった。

ラストの歌詞は、当初「栃東は次は優勝だ」だったのが、→「栃東はすぐに横綱だ」に変わり、CD収録時には、とうとう「栃東は今や親方だ」になってしまった(^^;

2007年5月に渋谷クアトロで行われた「吾妻光良とスウィンギンバッパーズ」のライヴに、なんと引退直後の栃東が聴きに来ていたとのこと。もちろん『栃東の取り組み見たか』が演奏されたよ。


YouTube: Tochiazuma vs. Asashoryu : Hatsu 2002 (栃東 対 朝青龍)

■「この曲のオリジナルはなに?」ってツイッターで訊いたら、すぐに教えて下さる方がいた。ありがとうございました!

原曲は、"Did you see Jackie Robinson hit that ball ?" 1949年カウント・ベイシー楽団&タップス・ミラー(Vo) で、アメリカの黒人メジャー・大リーガーの草分け「ジャッキー・ロビンソン」讃歌だ。これです。


YouTube: Did You See Jackie Robinson Hit That Ball? (1949 Version)

■彼がドジャーズで黒人としてメジャーデビューを果たした4月15日は、毎年「ジャッキー・ロビンソン・デイ」として大リーガー全員が彼の背番号42 を付けたユニフォームを着て試合をする。「42」は、米球界全体で永久欠番となっているそうだ。



YouTube: "SENIOR BACCHANALS" Trailer

■ ほんと、そう思うぞ! 「カッコイイよね福田さん!!」


YouTube: 吾妻光良トリオ 福田さん

2019年7月 8日 (月)

TBSラジオ アナウンサー 林美雄

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■『長野医報6月号』にぼくが書いた文章を、こちらにも転載させていただきます。

【ラジオは友だち】

 いつだって「これは!?」と耳をそばだてた楽曲は、決まってラジオから流れてきたように思います。

ぼくが中学・高校生だった1970年代は、ラジオの深夜放送が大人気でした。糸居五郎の「オールナイト・ニッポン」、落合恵子の「セイ!ヤング」そして、林美雄の「パック・イン・ミュージック」。初期にはラジオ局の専属アナウンサーがDJを務めていました。皆が寝静まった深夜、彼らはラジオから僕だけに語りかけてくれているように感じたものです。

伝奇漫画の巨匠、諸星大二郎の新作『オリオンラジオの夜』(小学館)では、深夜の星空の下、主人公が「異次元ラジオ」に耳を傾けると、昔懐かしい音楽が次々と流れてきます。しかし、いつしか時空はねじ曲がり、読者は不思議な諸星ワールドに引き込まれて行きます。

最近では、パソコンやスマホで「radiko」「らじる★らじる」を通じて雑音のないクリアな音でラジオ番組を聴くことができるようになりました。しかも、過去1週間さかのぼった放送まで、いつでもどこでも何度でも聴けるのです。夢のような時代がやって来ました。一方、AM電波は廃止される憂き目にあります。

 懐かしき「ラジオデイズ」の想い出、今のラジオの楽しみ方、おすすめのラジオ番組など、ラジオの魅力を再発見していただけたら幸いです。

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『東京人 2011年3月号 No.294』12〜13ページ

(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)


YouTube: Booker T. & The MG's - Time Is Tight

【TBSラジオアナウンサー 林美雄】

 1973年11月20日。荒井由実のデビューアルバム『ひこうき雲』が満を持してリリースされた。アルファの社長で、「翼をください」の作曲者でもある村井邦彦は、当時彼女にこう言ったという。「荒井由実というルーレットの目に会社ごと賭ける」と。それから6年後、村井は「YMO」の世界進出のため更なる大博打に打って出ることになる。

 ところが、社長の期待に反し彼女のレコードはまったく売れなかった。歌謡曲でもフォークでもアイドルでもない荒井由実の歌を、どう売ったらよいのか誰も分からなかったのだ。当時はまだ、ニューミュージックやシティポップというジャンルは存在しなかった。

 アルファ宣伝担当の布井育夫は困ってしまい、学生時代から愛聴していたTBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」金曜日第2部(午前3時〜5時)担当だった林美雄アナウンサーにサンプル盤を届ける。彼なら荒井由実の魅力をラジオを通じて拡散してくれるに違いない。林はすぐにアルバムを聴き、直感で素晴らしいと思った。その翌週から自分の番組で「八王子の歌姫。この人は天才です!」と絶賛し、毎週『ひこうき雲』から3曲、4曲とかけまくった。特に「ベルベット・イースター」がイチオシで、半年間毎週かけ続けた。

 当時ぼくは中学3年生で、受験勉強にも身が入らず、深夜ダラダラとただラジオを聴いていた。すると突然、聴いたこともない歌声が聞こえてきたのだ。「ベルベット・イースター」だった。「誰?これ!」衝撃的だった。その少し後だったか、林美雄のラジオに荒井由実がナマ出演し、スタジオのピアノで「ベルベット・イースター」「ひこうき雲」「雨の街を」をライブで弾き語りした回のことを今でも鮮烈に記憶している。翌朝学校に行って「ねえねえ、荒井由実って知ってる?」と訊いても、誰も知らなかった。当時は、吉田拓郎や井上陽水、カーペンターズ、ミッシェル・ポルナレフが全盛だったのだ。 

 

 ぼくがラジオの深夜放送を本格的に聴き始めたのは中学2年生の頃だ。部活に疲れて帰宅し、夕飯を食べ終わるとまずは寝る。夜11時過ぎに母親に起こしてもらい、それから午前4時くらいまで勉強。もう一度寝て、朝8時に登校。そんな毎日だった。

 皆が寝静まった深夜に、一人だけで起きているととても淋しい。居たたまれなくなってラジオをつける。すると、DJの声が僕だけに語りかけてくるのです。「おい、元気かい? 大丈夫だよ、明日も頑張れよ!」と。

 あの頃からアマノジャクだったぼくは、SBCラジオでネットされていた「オールナイト・ニッポン」は聴かずに、東京都港区赤坂六本木TBSのスタジオから東京タワーの電波塔を介して山越え谷越え南アルプスも越えて届いた「パック・イン・ミュージック」954kHzのAM電波を、長野県上伊那郡高遠町でキャッチしていた。深夜3時過ぎにになると、不思議と電波状況が良くなって、案外聴きやすかったのだ。

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 林美雄アナは、マイナーな日本映画が大好きで、特に藤田敏八監督の『八月の濡れた砂』に惚れ込んでいた。石川セリが歌う主題歌は、まだレコード化されていなかったので、日活でサントラからテープにダビングしてもらい「パック」の冒頭で毎週しつこくかけ続けた。荒井由実の前は、石川セリ。自分で「これはイイ!」と感じた映画、音楽、芝居を、林はとにかくラジオで熱くプッシュしまくっていたのだ。そんな林美雄にぼくは圧倒的な影響を受けた。中学2年生の夏休み、「新宿文化」の地下にあった「アンダーグラウンド蠍座」で『八月の濡れた砂』のリバイバル上映を観ている。以来ずっと日本映画大好き人間だ。

 林が次に惚れた映画が、神代辰巳監督、長谷川和彦脚本、東宝映画『青春の蹉跌』だった。ぼくは伊那映劇で観た。檀ふみの水着姿がまぶしかった。テーマ曲を作曲したのは、元ザ・スパイダースの井上堯之。以降「林美雄パック」のエンディングでは、まず『青春の蹉跌のテーマ』が流され、続いてミア・ファロー主演、キャロル・リード監督作品の映画『フォロー・ミー』の主題歌(ジョン・バリー作曲)が流れて番組が終わるというフォーマットが出来上がった。

 この頃、林美雄を通じて長谷川和彦と知り合った菅原文太は、沢田研二と組んで『太陽を盗んだ男』を撮ることになる。原田芳雄と松田優作は、二人してよく深夜のTBSスタジオに顔を出し、林の前で「リンゴ追分」や「プカプカ」をギターを弾きながらナマで唄っては帰って行ったものだ。

 1974年8月30日。スポンサーの付かない「パック・イン・ミュージック」金曜日第2部は廃止されてしまう。憤懣やるかたない思いでラジオを降板した林のために、荒井由実は感謝の気持ちを込めて曲を書いた。それが『ミスリム』に収録されている「旅立つ秋」だ。

 

 1975年6月11日。熱烈な林美雄リスナーたちの署名運動が実を結び、林は「パック」に復帰する。今度は水曜日の午前1時〜3時。ぼくは高校2年生になっていた。以前より聴き易い時間帯に移ったので、毎週欠かさず聴いた。

 この頃の人気コーナーに「苦労多かるローカルニュース」がある。ちょうど今の『虚構新聞』のような風刺を効かせた冗談記事を、林美雄がNHKのアナウンサーのように真面目くさって読むのだ。ニュースの前後には、下落合本舗(これも架空の会社)のパロディCMが流された。どちらもリスナーからの投稿葉書で作られていて、ぼくも試しに投稿してみた。そしたら何と採用され、ぼくのCMがラジオから聞こえてきたのだ。たまげた。聴きながら心臓がバクバクした。

いや大して面白くはない。国鉄のストライキで飯田線が遅れて皆困っていた。電車の車体にはアジテーションの文字がペンキで大きく描かれた。これ消すの大変だろうなあと思い、時間で消える「ストラインキ」を使った「遵法塗装」はいかが? というくだらないCM。

採用されると、TBSのネーム入りライターがプレゼントされる。ぼくは友達に自慢しようと学校へ持って行き、廊下で見せびらかしていたら、ちょうど通りかかった現国の伊藤先生に見つかって、ライターは取り上げられてしまった。

 タモリをラジオで初めて聴いたのも「林パック」だ。博多のビジネスホテルで、山下洋輔トリオに偶然発見されたタモリは、この年の7月に上京し、赤塚不二夫のマンションに居候しながら、夜な夜な新宿「ジャックの豆の木」で密室芸を披露していた。10月22日、漫画家の高信太郎に連れられて「林パック」に登場したタモリは、林が読む「苦労多かるローカルニュース」をデタラメの中国語やドイツ語で同時通訳した。さらにお得意の四カ国親善麻雀も披露。まだテレビ・ラジオに出演していない頃のことだ。

 おすぎとピーコを知ったのも「林パック」だ。山崎ハコ、上田正樹、憂歌団、南佳孝、橋本治『桃尻娘』、野田秀樹、ムーンライダーズ、RCサクセション、そして佐野元春。みんな林美雄が教えてくれた。

 

 1977年2月。毎年受験シーズンになると、林は黄色い短冊に緑色のマジックで「みどりブタ大明神」の御札を自ら手書きして希望する受験生に送っていた。ぼくも返信用封筒に切手を貼って同封し御札を送ってもらった。何でも合格率80%以上を誇るありがたい御札だ。そしたら、模試ではずっとD判定だった大学に奇跡的に合格することができた。ぼくは今でも林美雄のおかげだと思っている。

 しかし現金なもので、大学生になると彼への恩もすっかり忘れ「林パック」をほとんど聴かなくなってしまった。映画情報は『ぴあ』を見れば載っていたし、知らないレコードを友達が次々と貸してくれた。ジャズ喫茶に入り浸り、ジャズばかり聴くようになった。もう林美雄の「目利き情報」は必要でなくなったのだ。

 

 1980年9月30日。この日「林美雄パック」は最終回を迎える。ぼくは聴いていない。エンディングが近づくと「青春の蹉跌のテーマ」が流れ出す。このテーマに乗せて林は毎週自分の個人的な思いをマイクに向けて話すのが恒例となっていた。しかし、最終回のこの日「3分16秒間」林は沈黙した。音楽が終わったあと、林はおもむろにこう言った。「音としては(音声に)出ていませんでしたけれど、いろんなことを言いました」と。

 ぼくより2つ年上の劇作家・宮沢章夫は、1970年代が終焉し1980年代の波に乗ることが出来なかった林美雄の無念と絶望が、その沈黙にあったのではないかと分析する。彼が構成したラジオ番組『林美雄 空白の3分16秒』が、2013年12月27日にTBSラジオで放送された。ぼくはradikoでエンディングの「フォローミーのテーマ」を聴きながら、ただオイオイと泣いた。林アナ。ごめんなさい。今でもYouTube で聴くことが出来るので、興味を持って下さったなら是非聴いてみて欲しい。

 1970年代。かつて林美雄という深夜放送のカリスマ・アナウンサーがいた。林はいつもラジオのリスナーに向かってこう言っていた。「いい音楽を自分の耳と感性で探し出せ! 芝居を観ろ!映画を観ろ! 本当にいいものは隠れている。だから自分で探さないといけない。自分でいいと思ったものを信じて、それを追いかけるんだ」

 

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『東京人 2011年3月号 No.294』40〜41ページ

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YouTube: 林美雄 空白の3分16秒

2019年6月28日 (金)

今月のこの1曲:友部正人&パスカルズ『6月の雨の夜、チルチル ミチルは』

■6月22日(日)の夕方、今年も南箕輪村の酒店「叶屋」に友部正人がやって来た。

なんと! 今年で12年目なんだそうだ。ぼくもここ5年間は毎年聴きに来ている。この日歌ってくれた曲。メモを取っていたワケではないので、歌ってくれたのに忘れてしまった曲がいくつもあるけど、だいたいこんな感じのセットリストでした。

【First Set】

・地獄のレストラン
・6月の雨の夜、チルチルミチルは
・追伸
・こわれてしまった一日


・愛の賞味期限
・愛について


・Like A Rolling Stone

【Second Set】


・密漁の夜
・誰も僕の絵を描けないだろう
・日本に地震があったのに
・マオリの女
・スカーフ
・サン・テグジュペリはもういない
・一本道
・1月1日午後1時(盛岡「クランボン」高橋さんに捧ぐ)

・大阪へやって来た
・ブルース
・遠来
・夕日は昇る

■この日、ぼくが一番聴きたかった曲が『6月の雨の夜、チルチル ミチルは』だ。悲しい歌だ。これから死にに行くカップルのはなし。


YouTube: 06 友部正人 MASATO TOMOBE - 6月の雨の夜、チルチルミチルは

■ツイッターにも書いたけれど、この曲には謎が多い。チルチルには子供が2人いる。で、古くからの友人である友部正人は、チルチルから深夜のファミレスに呼び出されるわけだ。歌詞には、できるだけ明るいお店のテーブルに4人座って話をしたと。

ぼくはてっきり、子供たちを道添にして、これから一家心中をする家族の話だとばかり思っていたのだけれど、どうも違うみたいなんだよね。その事がわかったのは、平川克美氏のブログを読んだから。

深夜のファミレスで向かい合った4人とは、チルチルミチルと、友部正人と彼の奥さんの小野由美子さんであると。そう、平川氏は断定しているんです。正直ビックリしました。ぼくはてっきり、チルチルミチルは正当な夫婦だとばかり思っていたのだが、実は不倫のカップルだったのですね。驚きました。

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■友部は、解散する前の「たま」と親交が深くて、いっしょにCDも出している。『けらいの一人もいない王様』だ。このCDには収録されていないけれど、「たま」の知久さんが友部正人の大ファンで「たま」が発展的解消をしたあたと出来た「パスカルズ」で、この「6月の夜、チルチルミチルは」を演奏しているヴァージョンを発見した。

ネットで検索すると、「この曲」は実話なんだそうです。少し前に、友部はエッセイを連載していた読売新聞で、チルチルミチルとの顛末を掲載したのだそうだが、ぼくは読んでいない。ずっと読まないほうがいいと思っている。

      知らないことで まんまるなのに

      知ると 欠けてしまうものがある

      その欠けたままのぼくの姿で

      雨の歩道に いつまでも立っていた


YouTube: 02 友部正人 MASATO TOMOBE - 愛について

当日のツイートより。

今日は、南箕輪村の酒店『叶屋』で 友部正人のライヴ。今年で12年目だって。僕は5年前から毎年聴きに来ている。新しい曲もずいぶん覚えた。懐メロじゃなくて、いまここの友部が聴きたいし、その思いは毎回裏切られることなく今日もまた彼の歌とギターとハーモニカ演奏のパワーに圧倒されたのだった

最初の1曲目が「地獄のレストラン」。おお今日は攻めてるな。2曲目は、是非とも今日は聴きたいと願っていた「6月の雨の夜、チルチルミチルは」だ。念じてたのが通じたのか? 思わず左目尻から涙がこぼれおちて、恥ずかしかったな。なにせ、最前列の正面だったから。

あと念じたのは、矢野顕子さんがピアノの弾き語りしているのを聴いて好きになった曲「愛について」。友部さんのライヴでは初めて聴けた。うれしかった。ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」も良かった。原曲より、日本語訳詞のほうがいいぞ。それから「ブルース」。今日一番沁み入った一曲。

続き)懐かしい曲も聴けた。「密漁の夜」と「誰も僕の絵を描けないだろう」だ。この2曲は、友部正人還暦記念トリビュートライブ(2010年5月23日、下北沢「ガーデン」)で、あの遠藤ミチロウが歌った。オープニングは、ハンバートハンバートが「あいてるドアから失礼しますよ」次に峯田和伸が登場。

峯田は「なんでもない日には」ともう一曲。あと、「たま」の知久寿焼が「一本道」を歌っている。メチャクチャいい! CD2枚組『ミディの時代』友部正人の付録DVDに収録されている。

続き)友部正人のレコード『にんじん』は、中学2年の冬に買った。何度も何度も聴いた。だからなのか、60歳を過ぎたいまでも、ずっと好きが続いている。これは前にもツイートしたが、中2で影響を受けた「モノ・ヒト」は一生自分を支配し続けるのだな。TBSラジオアナウンサー、林美雄もその一人。

2019年5月10日 (金)

今月のこの3曲:ASAYAKE 01『ギター』と、中村佳穂『忘れっぽい天使』〜『そのいのち』

■いつだって「これは!?」と耳をそばだてた楽曲は、決まってラジオから流れていたように思う。

あれは、2週間前の土曜日の夜。4月28日だった。「らじる★らじる」で NHKFMを聴いていたら、アジカンGotch こと後藤正文の番組後藤正文のCROSS THE GENERATION』を放送していた。

この日のゲストは、京都在住のミュージシャン中村佳穂だった。かかった曲は「そのいのち」。「お!?」と思った。ちょっと今までに聴いたことのない楽曲。「イケイケいきとし GO GO!」って、何なんだ??

その次にかかった曲は、ASAYAKE 01 『ギター』。これです。力強い歌声。それに、めちゃくちゃギターが上手い。


YouTube: ギター

ASAYAKE 01。ぜんぜん知らない人だった。なんでも中村佳穂さんが師と仰ぐ、大阪では伝説のシンガー・ソングライターなのだそうだ。活動歴は長いのだが、このところずっと演奏活動は休止していて、大阪扇町のライヴハウス「パラダイス」の裏方として働いていた。

ところが、とある人からのオファーをきっかけに、再び演奏を再開したのだという。この異様なパワーに圧倒されたぼくは、YouTube で彼の他の楽曲を検索してみた。で、見つかったのがこれだ。


YouTube: ASAYAKE01 # コオロギとレディデイ アンド ジョンコルトレーンat HOKAGE 2010/6/21

■そこには、友部正人の正当な後継者がいた。一直線に突き刺さって来る歌と言葉。ちょっと、感動した。ナマで是非見たいと思った。

■それから、中村佳穂。(続きは、また書きます)


YouTube: Kaho Nakamura SING US - Wasureppoi Tenshi / Sono Inochi [live ver]


YouTube: 中村佳穂 TBSラジオLIVE

2019年3月 3日 (日)

昨年読んだ本、観た映画、お芝居、聴いたCD

■YouTube で「第9回ツイッター文学賞」の発表を見た。今回は、投票できる本がなかった。

それで思い出して、1月初めにツイートしたものを、一部補足して、こちらにも残しておきます。

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■2018年に読んで、印象に残ってる本。ベスト本は、チムニク『熊とにんげん』。あと、図書館の本なので書影はないが『甘粕正彦乱心の曠野』は面白かったな。それから、寺尾紗穂さんが編纂した『音楽のまわり』。

2018/09/12

「赤石商店」で買ってきた、寺尾紗穂さんが編集して自費出版した『音楽のまわり』を読んだ。10人の個性的なミュージシャンが、音楽以外のエッセイを書いている。ユザーンや浜田真理子さんみたいに、よく知っている人やぜんぜん知らない人もみな読ませる文章だ。伊賀航、植野隆司、折坂悠太、知久寿焼、マヒトゥ・ザ・ピーポーの文章は初めて読んだが、感心したな。ユザーンや浜田真理子さんは期待通りの安定感。寺尾さんは、読者の期待の外し方が絶妙で、めちゃくちゃ上手い。各執筆者への編者からのコメントも面白い。

あと、『心傷んでたえがたき日に』上原隆(幻冬舎)、『颶風の王』河崎秋子(角川書店)もよかった。

■2018年に観て、印象に残ってるお芝居。木ノ下歌舞伎舞踊公演『三番叟(SAMBASO )・娘道成寺』まつもと大歌舞伎(市民芸術館 6/18)。ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出『百年の秘密』(まつもと市民芸術館 5/13)。同『修道女たち』(兵庫県立芸術文化センター 11/23)。ケラさんて、凄いな。

2018/10/10

今日は、飯島町文化館大ホールで『ペテカン』のコント9本+スペシャル・ゲスト柳家喬太郎師の落語2題。いや面白かった!以前観た「 ザ・ニュースペーパー」や「鉄割アルバトロスケット」とは違って、健全でほのぼのした笑いに場内は満たされた。4人の女優陣が頑張ってたな。あと喬太郎師も超熱演。

喬太郎師匠は、あと、毎年駒ヶ根市の安楽寺である「駒喬落語会」。今年は師匠「柳家さん喬」師との「親子会」だった。8月27日(月) よかったなあ。柳家さん喬師をナマでそう何回も聴いているワケではないけれど、さん喬師のベスト3と言えば「妾馬」「幾代餅」「片棒」だと思っていて(軽いネタ「棒鱈」とか「初天神」も絶品だが)

この日、さん喬師は「幾代餅」と「妾馬」をかけてくれたのだ。うれしかったなあ。涙が出たよ。

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■2018年に観て、印象に残ってる映画。見た順。『ラモツォの亡命ノート』『タレンタイム』(これは二度目の鑑賞)。『わたしたちの家』『枝葉のこと』『菊とギロチン』『カメラを止めるな!』『日々是好日』。7本のうち、何と!5本を「赤石商店」の蔵のミニシアターで観た。

あ、忘れてた! 是枝裕和監督の『万引き家族』は、岡谷スカラ座と伊那旭座で2度見ている。安藤サクラに惚れた映画だ。それから、佐藤健に驚いたのが、瀬々監督の『8年越しの花嫁』。これは伊那映劇(昔の)でみた。脚本もよかったな。『ひよっこ』の岡田惠和。じつに丁寧に作られていたな。

2018/08/16

昨日は、伊那通町商店街「旧シマダヤ」で、マイトガイ小林旭主演、浅丘ルリ子共演の日活映画『大森林に向かって立つ』野村孝監督(1961年・未DVD化)を見てきた。意外と面白かった。美和ダム、伊那市駅前での盆踊り大会、旧八十二銀行伊那支店に浅丘ルリ子が入っていくシーンなどが登場し、会場が湧いた。

出演者が豪華。敵役に金子信雄、深江章喜、安部徹。そして「キイハンター」の出で立ちそのままの丹波哲郎。脇役で高品格、長門勇、下条正巳。あと、スパイダース以前の、ムッシュ・かまやつひろしがギターを担いで登場。これには笑った『居酒屋兆治』の細野晴臣さんみたいで。

当時同棲していた小林旭と浅丘ルリ子。この映画が公開された頃にどうも別れたらしい。ホンモノの大型トラックを谷底に転落させたり、ちょっと『恐怖の報酬』みたいな感じで、結構お金をかけて作っていて驚いた。こちらのサイトに紹介記事が。

若かりし頃の金子信雄を見ていて、誰かに似てる? と思ったのだが、あそうか。爆笑問題の田中だ。

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■2018年によく聴いたCD。七尾旅人の『STRAY DOGS』は、結局CD買ってしまった。これは良いわ。ハンバートハンバートの『 FOLK2』も、さんざん聴いたが、CDが見つからない。誰かに貸したっけ?

それから、南佳孝の『ボッサ・アレグレ』。このCDには救われた。

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