しろくま通信
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小児科開業医のひとりごと
ja-JP
2024-02-04T23:19:18+09:00
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今月のこの一曲 「貝殻節」
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2024/02/post-a0ca.html
■伊那市民会館に「西岡たかしコンサート」を聴きに行った時、僕はまだ中学生だったよ...
<p></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2024/02/04/img_3504.jpg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=900,height=1200,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-59357679 image-full" style="display: block;" title="Img_3504" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2024/02/04/img_3504.jpg" alt="Img_3504" border="0" /></a></p>
<p></p>
<p><strong>■伊那市民会館に「西岡たかしコンサート」を聴きに行った時、僕はまだ中学生だったように思う。</strong><strong>西岡さんが</strong><strong>五つの赤い風船を解散して、ソロ活動を始めた時だから、1973年 かな。</strong></p>
<p><strong>「血まみれの鳩」「これが僕らの道なのか」「もしもボクの背中に羽根が生えてたら」「まぼろしの翼とともに」「遠い世界に」といった『五つの赤い風船<strong>』の代表曲と共に「ジャンジャン町ブルース」「満員の木」「大阪弁」などの新曲も歌ってくれた。</strong></strong></p>
<p><strong>ただ、この日ぼくが一番印象に残った忘れられない曲は、鳥取県民謡を彼がアレンジし哀感を込めて唄った『貝殻節』だったのです。何て悲しくて美しいメロディだろう!そう思いました。</strong></p>
<p style="text-align: center;" class="youtube"><iframe width="425" height="355" src="https://www.youtube.com/embed/MYc515jYFLc" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> <br /> <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=MYc515jYFLc" target="_blank" class="title" rel="noopener">YouTube: 五つの赤い風船「貝殻節」</a></p>
<p style="text-align: center;" class="youtube"></p>
<p style="text-align: left;" class="youtube"><strong>■ところが最近「民謡クルセイダーズ」が演奏する『貝殻節』のプロモーションビデオを見てたまげてしまいました。なんと! サルサじゃん。これはミスマッチなんじゃないの? って最初はちょっと否定的な感想を抱いたぼくでしたが、聴き込むうちに、これもありかな。いいじゃん!と変化した次第。</strong></p>
<p style="text-align: left;" class="youtube"><strong>PVよりも、2022年10月15日「多摩あきがわLiveForest」でのライヴ演奏が好きです。</strong></p>
<p style="text-align: center;" class="youtube"><iframe width="425" height="355" src="https://www.youtube.com/embed/jPQk7xXOOsE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> <br /> <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=jPQk7xXOOsE" target="_blank" class="title" rel="noopener">YouTube: 民謡クルセイダーズ「貝殻節」ライブ@多摩あきがわLiveForest自然人村「トーキョーマウンテン"森と踊る”」</a></p>
<p></p>
<p><strong>■YouTubeを検索していたら、もっと凄い「貝殻節」を発見したぞ。なんと!坂田明、ジム・オルーク、山本達久のトリオによる、迫力のパンク・フリージャズだ。2015年6月29日(月) 盛岡「すぺいん倶楽部」にて収録。坂田さん、カッコイイなあ。</strong></p>
<p style="text-align: center;" class="youtube"><iframe width="425" height="355" src="https://www.youtube.com/embed/wabPOBNqMeg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> <br /> <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=wabPOBNqMeg" target="_blank" class="title" rel="noopener">YouTube: sakata/O'Rourke/yamamoto / 貝殻節</a></p>
<p style="text-align: center;" class="youtube"></p>
<p style="text-align: left;" class="youtube"><strong>■本家の民謡以外でも、いろんなヴァージョンが存在する『貝殻節』だが、そうは言ってもぼくが一番好きなのは、浜田真理子さんが唄う「貝殻節」だ。儚なさと哀愁の中に冬の日本海の荒々しさが目に浮かぶような迫力も感じる歌声。ほんと凄いです。</strong></p>
<p style="text-align: center;" class="youtube"><iframe width="425" height="355" src="https://www.youtube.com/embed/_CFwly0CVjs" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> <br /> <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=_CFwly0CVjs" target="_blank" class="title" rel="noopener">YouTube: 貝殻節/浜田真理子/鳥取県民謡/東京文化会館小ホール</a></p>
<p></p>
今月のこの1曲
音楽
ぶん
2024-02-04T23:19:18+09:00
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映画『こちらあみ子』を観て思ったこと
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2023/07/post-7e16.html
■ じつに8ヵ月ぶりの更新です。『長野県小児科医会会報 77号』の編集が終わりよ...
<p></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2023/07/10/fmvy_2vauamph6t.jpeg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=900,height=1200,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-59080581 image-full" style="display: block;" title="Fmvy_2vauamph6t" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2023/07/10/fmvy_2vauamph6t.jpeg" alt="Fmvy_2vauamph6t" border="0" /></a></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>■ じつに8ヵ月ぶりの更新です。『長野県小児科医会会報 77号』の編集が終わりようやく校了した。</strong></span><span style="font-size: small;"><strong>フライングになってしまうけれど、「会報77号」に僕が書いた文章(一部改変あり)をこちらに転載させていただきます。会報の発行部数は220冊。一般の人は読むことができない冊子なのでどうかお許し願います。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■2023年1月18日、休診にしている水曜日の午後、伊那市東春近「赤石商店」の土蔵を改装した「映画館」で 2022年7月公開の日本映画<a href="http://akaishi-shouten.com/archives/12454" target="_blank" rel="noopener">『こちらあみ子』</a>を観ました。すごい映画を見た! そうは思ったものの、感想をすぐに文章にすることができず、ずっと「この映画」のことを考え続けていて、ようやっと書き上げた文章です。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>====================================================</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>映画『こちらあみ子』を観て思ったこと 北原こどもクリニック 北原文徳</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>====================================================</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 下校のチャイムが鳴って、教室から小学生たちが一斉に外へと駆け出す。珍しい構造の校舎で、廊下はマンションのような外廊下だ。カメラは校庭から4階建ての校舎を正面に捉え、まるでマスゲームのような子供たちの動きを遠景でフレームに収める。傑作を予感させる映画『こちらあみ子』のファースト・シーンだ。外廊下へと移動したカメラは、遠ざかって行く子供たちに逆らってカメラに向かって近づいて来る1人の少女を映し出す。何か言っている。「ねえ、のり君知らん?」主人公あみ子(11歳)だ。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 芥川賞作家 今村夏子の衝撃のデビュー作『こちらあみ子』を新人監督の森井勇佑が原作をほぼ忠実に映画化したこの作品は、昨年度キネマ旬報ベストテン第4位を獲得し、映画通で知られるライムスター宇多丸氏が2022年のベストワンに挙げた評価の高い映画だ。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 瀬戸内の美しい海をバックに、ちょっと変わった小学5年生の少女が広島弁で大活躍するほのぼのとしたファミリー映画かと思ったら大まちがい。じつは自閉スペクトラム障害(ASD)に軽度知的障害(境界知能?)を伴った女の子の「当事者」目線で描かれた世界が、見事に活写された映画なのだ。(ただし、原作も映画も彼女の障害名への言及は一切ない)</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 例えば過剰な音。母親の書道教室を襖のすき間から覗き見していて偶然のり君と目が合い一目惚れするあみ子。思わず手に持つトウモロコシを握り締めると、ボタボタと音を立てて大量の汁が畳を濡らす。あり得ない。でも彼女の感覚ではそうなのだ。真夏の炎天下、母親が退院してくるのを玄関先でじっと待つあみ子。顎の先から止めどなく滴り落ちる汗が、焼けた道路に落ちてジュッという。あり得ない。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 帰ってきた母親は、あみ子の顔を両手で挟んで執拗に撫でくり回す。触られることが嫌で嫌でたまらない感じがリアルに伝わってくる。あみ子がずっと気になって仕方のなかった母親の顎のホクロも、大きくなったり小さくなったりするぞ。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 自分の心と他人の心が違うことが分からないあみ子だから、良かれと思って取った行動がことごとく周囲を傷つけ、母親も父親も優しかった兄も、のり君さえも次第に壊れてゆく。「応答せよ!応答せよ!こちらあみ子」と、誕生日にもらったトランシーバーに向かって彼女が何度呼びかけても誰からもどこからも応答はない。 </strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> プレゼントの使い捨てカメラであみ子が家族の記念写真を撮る場面も印象的だ。小津安二郎の『麦秋』や候孝賢『悲情城市』でも、家族がバラバラになってゆくのを惜しむように記念写真を撮るシーンが映画の終盤に出てくるが、この映画ではメインタイトルが出たあと、あみ子が1人キッチンで天井に夏みかんを投げる場面からのワンショット長回しに続いて早くも登場する。しかも写真はちゃんと撮られないまま終わる。何かこの後の展開を象徴しているかのように。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400; text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 映画の中盤からあみ子を悩ませる音。「コツコツ、ぐる、ササササ、ぼぶぼぶ」2階の自室ベランダから聞こえてくるこの正体不明の奇妙な音は、次第にどこにいても聞こえてくるようになる。「霊のしわざじゃ。幽霊がおるんじゃろ」坊主頭の男子にそう言われて、あみ子は「ある歌」を大声で歌うことで頭の中から奇妙な音を消し去ることに成功する。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 歌いながら音楽室に行くと、壁に掛かった額の中からゾンビになった歴代校長先生にモーツァルトやバッハ、トイレの花子さんまで出てきてあみ子に取り憑き、行列になって行進する。現実逃避したあみこが一人ファンタジーの世界に没入するシーンだ。この何とも楽しい場面は原作にはない映画オリジナル。あとで幽霊たちは再度登場し遠く海上からあみ子に手招きする。自死への誘惑では?という感想をネットで読んだが違うと思う。空想の中だけで生きて行けばそれもいいじゃん、ということなのではないか。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400; text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 原作の小説では、あみ子が10歳の誕生日から中学卒業後まで描かれるが、映画は2021年夏の1ヵ月間でクランクアップし、主演の大沢一菜(10歳)が一人で演じた。だから彼女が中学の制服を着るとちょっと不似合いで、幼さが際だってしまう。でも逆に発達障害児と定型発達児の差異が視覚的に露わになったとも言える。残酷なものだ。このあたりから後半は映画を見ていて正直辛くなってくる。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> ここで大切なことは「発達障害児だって発達する」という事実だ。もちろん障害が消失する訳ではない。努力して補うようになるのだ。中学生になったあみ子は、学校で自分だけ一人浮いていることに気付いている。学校は行きたい時だけ行き、久々に登校したら下駄箱の上履きがなくなっていて、仕方なく裸足で過ごす。守ってくれる兄もいない。唯一のアジールは保健室だ。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 雨の日に映画『フランケンシュタイン』(1931年版)をビデオで見るシーンがある。ビクトル・エリセ監督の映画『ミツバチのささやき』の冒頭、村の移動映画館で少女アナが魅せられる映画だ。異物として排除される怪物の哀しみ。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 原作は三人称一視点で書かれているため、読者はあみ子に感情移入しやすい。しかし映画だとカメラはあみ子だけの視点にならない。『鬼滅の刃』みたいに主人公が自分の気持ちをモノローグで説明することはしないから、映画の観客の中には「のり君視点」であみ子に(この映画自体に)強烈な拒絶反応を示す人もいるだろう。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 終盤に野球部で坊主頭の男子がもう一度登場する。あみ子は何故かこの男子とはコミュニケーションが成立するのだ。その証拠に二人の会話は通常のカットバック手法で撮影されている。あみ子が訊く「どこが気持ち悪かったかね」「おまえの気持ち悪いとこ? 百億個くらいあるで! いちから教えてほしいか? それとも紙に書いて表作るか?」「いちから教えてほしい。気持ち悪いんじゃろ。どこが?」 教えてやれよ!坊主頭。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400; text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400; text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> この映画の問題点を挙げるとすれば、原作者や監督が子供時代の話ならともかく、いま現在の設定(書道教室で生徒が二人Nintendo Switchを取り出す)だと、絶対にあり得ないということだ。 </strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 令和の日本なら、あみ子は小学校入学前に就学指導委員会で取り上げられ、その後の教育支援体制が確立されているはずだし、本人や家族への生活ケア・医療面での援助も当然すでに行われているに違いない。それを知りながら観客をミスリードした罪は大きい。このことを厳しく批判した文章を、成人になった当事者として映画を観た nohara_megumi さんが、</strong></span><span style="font-size: small;"><strong>2023年3月27日のブログに<a href="https://nohara-megumi.hatenablog.com/entry/2023/03/27/104638" target="_blank" rel="noopener">「映画『こちらあみ子』と発達障害(概要篇)」</a>というタイトルでアップしている。これは必読。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> とは言え、ASD当事者がこの人間社会をどのように感知しているのかをリアルに示した文芸作品は今まであまりなかったから、その点は評価してよいと思う。自閉症の人が登場する映画はたくさんある。『レインマン』(1988)『ギルバート・グレイプ』(1993)『旅立つ息子へ』(2020) などなど。ただ、いずれも弟として兄として父親として当事者に接する側のストーリーだ。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400; text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 当事者自らが自分の内的世界を文章で表現した例で有名な著作は、『我、自閉症に生まれて』テンプル・グランディン(1986)、『自閉症だったわたしへ』ドナ・ウィリアムズ(1992)、日本では『自閉症の僕が跳びはねる理由』東田直樹(2007)が主たるところか。僕は、脳神経科医のオリヴァー・サックスがテンプル・グランディンにインタビューした『火星の人類学者』(ハヤカワ文庫)を読んで知った。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong>「彼女は人間どうしの言葉にならない直感的な交流や触れあい、複雑な感情やだましあいが理解できない。そこで、何年もかけて『厖大な経験のライブラリー』をつくりあげ、それをデータベースとして、ある状況ではひとがどんなふうに行動するかを予測している。まるで火星で異種の生物を研究している学者のようなものだ」(p402)</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2023/07/11/unknown1.jpeg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=184,height=274,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-59080606 image-full" title="Unknown1" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2023/07/11/unknown1.jpeg" alt="Unknown1" border="0" /></a></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> テンプル・グランディンは人間が相手だと緊張と不安に苛まれるが、家畜には愛情と安らぎを覚え、その動物がなにを感じているか直感的に判るという。そして彼女は動物心理学、動物行動学のコロラド州立大学教授になった。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 「絵本」に登場するのは、たいてい擬人化された動物たちだ。二本足で立って服も着て、日本語を話している。なぜ人間ではなく、わざわざ動物に変換する必要があるのか? 『絵本論』瀬田貞二(福音館書店)にはこう書かれている。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong>「子どもは、なぜ動物が好きか、また動物文学が好きか。この質問に対してフランスのすぐれた児童文学者ルネ・ギョーが、明快にこう答えています。</strong></span><span style="font-size: small;"><strong>『子どもは、大人たちのなかにはいっていくよりも、ずっとずっと、動物のなかにはいっていくほうが、安心がいくんだ』</strong></span><span style="font-size: small;"><strong>まさにそうなのです。安心がいくからです」(p64) </strong></span><strong><span style="font-size: small;">僕はこの「安心がいく」が今ひとつ分からなかったのだが、『火星の人類学者』を読んで、なるほど!と初めて合点がいった。</span></strong><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2023/07/11/5b435c3a2a31419ca99b1e19081327c1__c.jpg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=150,height=300,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-59080607 image-full" style="display: block;" title="5b435c3a2a31419ca99b1e19081327c1__c" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2023/07/11/5b435c3a2a31419ca99b1e19081327c1__c.jpg" alt="5b435c3a2a31419ca99b1e19081327c1__c" border="0" /></a> <span style="font-size: small;"><strong> 司馬遼太郎が昭和51年〜54年に新聞連載した小説『胡蝶の夢』の主人公、島倉伊之助(司馬凌海)が典型的なASDとして詳細にリアルに描かれていることは案外知られていない。幕末の日本で蘭方医療を先導したのは、大阪の緒方洪庵率いる適塾と東国では佐藤泰然の佐倉順天堂であった。泰然の息子、松本良順に弟子入りした伊之助には天才的な語学習得能力があり、長崎医学伝習所でオランダ人医師ポンペが行う講義を瞬時に理解し仲間に再度講義した。しかし奇行や人間関係のトラブルが相次ぎ、良順に破門されてしまう。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>ASDの概念を知る由もない司馬遼太郎が伊之助をビビッドに描けたのは、彼の近くにモデルとなる人物が実際にいたからに違いない。もしかすると、司馬遼太郎自身にその傾向があったのかもしれない。「適塾」の塾頭だった村田蔵六(大村益次郎)の生涯を描いた『花神』は昭和44年〜46年に朝日新聞で連載された。僕は未読だが、村田蔵六もまさしくASDであったという。</strong></span></p>
<p></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> あみ子は左利きだ。アイザック・ニュートンもルイス・キャロルも、ベートーベン、グレン・グールドも左利き。エグニマ暗号を解読し思考型コンピュータの出現を予言したチューリング、それにビル・ゲイツも左利き。イーロン・マスクはASDであることを公言したが「自分は左利きではない」と言っている。あみ子は見事な連続側転を披露する。でもASDの子はそんなに運動神経よくないよ。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 近ごろは大人のASD当事者や同伴者による書籍・マンガであふれている。それだけ世の中の認知度が上がった証拠だ。しかし、SNSで呟かれる映画『こちらあみ子』の感想を読むと、まだまだ誤解や無理解だらけなことにショックを受ける。nohara_megumi さんの悲痛な訴えは実にもっともな話だ。「ボクシングもはだしのゲンもインド人も、もうしないって約束できますか?」という、尾野真千子の説教にも正直笑えない。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400; text-align: center;"></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2023/07/11/ebookjapan_b00164051285_i_202304_3.jpeg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=320,height=320,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-59080639 image-full" style="display: block;" title="Ebookjapan_b00164051285_i_202304_3" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2023/07/11/ebookjapan_b00164051285_i_202304_3.jpeg" alt="Ebookjapan_b00164051285_i_202304_3" border="0" /></a></p>
<p style="font-weight: 400; text-align: center;"></p>
<p></p>
<p style="font-weight: 400; text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> 最近出た本で、これは!と思ったのが『凸凹あるかな?わたし、発達障害と生きてきました』細川貂々(平凡社)。ベストセラー『ツレがうつになりまして。』で知られる漫画家は、子供の頃から何事も「フツウ」にできない生きづらさを感じ、まるでジャングルの中をさまよっているような人生を送ってきた。彼女は48歳になって初めて自分が発達障害だと知る。幼児期から現在まで順を追って著者の経験談が四コマ漫画で具体的に丁寧に描かれ、読者もいっしょに追体験することになる。これがいい。さらに、同じ生きづらさを抱えた仲間たちのエピソードも載っていて、みな微妙に違っていることがよく分かる。大人になった「当事者」にとっては大きな救いと安心が得られるのではないか。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400; text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 前述のテンプル・グランディンは、講演の最後をこんな言葉でしめくくっている。</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong>「もし、ぱちりと指をならしたなら自閉症が消えるとしても、わたしはそうはしないでしょう ---- なぜなら、そうしたら、わたしがわたしでなくなってしまうからです。自閉症はわたしの一部なのです」(『火星の人類学者』p391)</strong></span></p>
<p style="font-weight: 400;"><span style="font-size: small;"><strong> 映画のラストシーン。あみ子が遠く海を見つめ浜辺に凜として立つ姿を見て、僕は同じ決意を感じた。</strong></span></p>
こども
映画
読んだ本
ぶん
2023-07-10T23:48:00+09:00
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クリエイティブハウス『AKUAKU』のこと
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/11/akuaku-96f2.html
『長野医報』11月号「特集:一杯のコーヒーから」が発刊されました。 11月号は...
<p><span style="font-size: small;"><strong>『長野医報』11月号「特集:一杯のコーヒーから」が発刊されました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong><strong> 11月号は県医師会広報委員のぼくが</strong>編集担当で、テーマもぼくが決めたのですが、原稿がなかなか集まらず、自分も書かなければならなくなってしまいました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>=======================================================</strong></span></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>クリエイティブハウス『AKUAKU』のこと</strong></span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: small;"><strong>上伊那医師会 北原文徳</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 中央自動車道を飯田方面に南へ下って座光寺SAで下車し、西の山麓へずんずん上って行くと「信州たかもり温泉」にたどり着き、その北隣にちょっと硬派なジャズ喫茶<a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/01/jazz-0dab.html" target="_blank" rel="noopener">「リデルコーヒーハウス」</a>があります。店主こだわりの自家焙煎コーヒーをメインにアルコール類の提供はなし。小学生以下、3名以上での来店お断り。おしゃべり禁止。完全禁煙。店内には、高級オーディオシステムの巨大スピーカーからジャズが大音量で鳴り響いています。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> <a href="https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20220915-OYT1T50246/" target="_blank" rel="noopener">令和4年9月16日付の読売新聞14面</a>に、1960〜70年代に流行したジャズ喫茶が再び注目を集めているという特集記事が掲載されました。<a href="https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20220905-OYT1T50034/" target="_blank" rel="noopener">最近のレコードブームでアナログ特有の暖かい深みのある音色に魅せられた海外の音楽ファン</a>や日本の若者たちが、イヤホンでサブスク音源を聴くのが当たり前の現代、高級オーディオで大音量の音と向き合うことに新鮮な喜びを感じたのではないかと分析していました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> ああ懐かしのジャズ喫茶。1977年〜1983年3月まで大学生だった僕もジャズ沼にはまり全国各地のジャズ喫茶探訪の旅に出て、記事に載っている<a href="https://www.yomiuri.co.jp/local/michinoku/20220905-OYT8T50099/" target="_blank" rel="noopener">東北の名店</a>「ベイシー」「<a href="https://www.yomiuri.co.jp/local/michinoku/20220111-OYT8T50209/" target="_blank" rel="noopener">カウント</a>」「<a href="https://www.yomiuri.co.jp/local/michinoku/20220719-OYT8T50116/" target="_blank" rel="noopener">オクテット</a>」も実際に訪れました。土浦から常磐線経由青森行き夜行列車に乗ると東北方面は案外アクセスが良いのです。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 僕は筑波大の4期生で、当時の研究学園都市は茨城県新治郡桜村の地籍にあり、あちらこちら工事中。一雨降れば道路に水があふれ長靴は必需品でした。東大通り(ひがしおおどおり)沿いに中華丼が美味い「珍来」はありましたが、ジャズ喫茶みたいな文化的施設は皆無でした。「つくば万博」が開催されるまであと8年、「つくばエクスプレス」の開業は28年後なので、東京へ出るにはバスに30分以上揺られて土浦に出てから常磐線で上野までさらに70分かかりました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> ジャズと映画に飢えていた僕は、週末になると上京して、池袋文芸座の土曜オールナイト上映で「大島渚特集」や「寺山修司特集」を観ました。夜明けの映画館を出て、始発の山手線に乗り込みそのまま熟睡して2〜3周もすれば、街はすでに賑やかになっていました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 午前9時半からやっているジャズ喫茶は渋谷百軒店の奥にあった「ブレイキー」だけで、ここにはよく通いました。日曜日でも安価なモーニング(たまごサンド付き)をやっていて、暗い座席で煙草を吸いながら2〜3時間ねばれば、レコード片面ずつ5〜6枚を聴くことができました。ビリー・ホリデイ『レディ・イン・サテン』、ワーデル・グレイ、ウディ・ショウ。ここで初めて聴いて大好きになったレコード、演奏家がなんと多いことか! まさに僕にとってのジャズ道場でした。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 所持金にゆとりがある時は、大槻ケンヂ『行きそで行かないとこへ行こう』(新潮文庫)にも登場する<a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2012/01/post-2c3b.html" target="_blank" rel="noopener">カレーの老舗「ムルギー」</a>でムルギー玉子入りカリーを食べました。美食家の山本益博氏が絶賛したラーメンの「喜楽」と共に、なんと今でも現役営業中です。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 新宿ではもっぱら「DIG」です。二幸(今の新宿アルタ)裏の雑居ビル3Fにありました。和歌山県新宮市の出身で日大芸術学部写真学科卒業のオーナー中平穂積氏が、植草甚一氏と知り合い1961年に開業した老舗のジャズ喫茶です。ビルの1階はレストラン「アカシア」。ホワイトソースのロールキャベツが有名で、当時確か380円でした。「DIG」の不味いコーヒーは400円しました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> そんな僕が大学3年生になった夏の終わり、1979年9月9日のこと。筑波大学平砂学生宿舎共用棟の東側に隣接する商用地の2階に、突如<a href="http://www.midi.co.jp/~akuaku/" target="_blank" rel="noopener">『クリエイティブハウス AKUAKU』</a>は出現しました。縦長の店内には、巨大なスピーカーJBL4343が左側面に設置され、中央にはグランドピアノ、奥は一段高くステージになっていました。昼間はジャズ喫茶、夜は食事もできるカフェバーで、遅くまで多くの学生たちで賑わいました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> オーナーの野口修さんは地元桜村の出身で、音楽に限らず演劇・映画・現代美術にも造詣が深く、オープン1年前から当時まだ筑波大3期生の学生だった<a href="http://yoichiroyoshikawa.blog65.fc2.com/blog-entry-322.html" target="_blank" rel="noopener">吉川洋一郎</a>さん(作曲家・編曲家)<a href="https://danceryugaku.wixsite.com/main/iwashita" target="_blank" rel="noopener">岩下徹</a>さん(舞踏「山海塾」ダンサー)浅野幸彦さん(アート・プロデューサー)の3人と協力して、この文化不毛の地にサブカルチャーの発信基地を立ち上げたのでした。「アクアク」というのは南太平洋の孤島イースター島の言葉で「何かを創造しようとする欲求」を意味するのだそうです。野口さんは当時「個人的な自由を離れた自由な場所が欲しかった」と語っています。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> オープニングライヴには山下洋輔トリオが呼ばれました。以後9月9日の山下トリオ公演は毎年の恒例となります。週末にはジャズに限らずロック、フォーク、ブルース、パンクの有名ミュージシャンたちが東京から海外からもライヴに訪れました。またギャラリーとして幾多のアーティストが個展を開き、<a href="http://www.midi.co.jp/~akuaku/gallery/suzuki_koji/KO-JI.html" target="_blank" rel="noopener">スズキコージ</a>氏や<a href="http://www.midi.co.jp/~akuaku/gallery/morikawa/morokawa.html" target="_blank" rel="noopener">森川幸人</a>氏はライヴペインティングのイベントを開催したりしました。さらに、演劇、舞踏、ダンス公演やワークショップ、詩の朗読会、各種講演会、映画上映など、その活動は実に多岐にわたります。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 当然のごとく、僕は「アクアク」に入り浸ることになります。いつしかスタッフの末席に加えてもらって、ライヴの手伝いをしながらタダで演奏を聴かせてもらい、打ち上げの宴会にもちゃっかり参加して、持参のレコードにサインしてもらいました。写真は、武田和命、森山威男、山下洋輔のサインが入った僕の大切なレコードたちです。</strong></span></p>
<p></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/11/03/img_2904.jpg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=1200,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-58710248 image-full" style="display: block;" title="Img_2904" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/11/03/img_2904.jpg" alt="Img_2904" border="0" /></a><strong>(写真をクリニックすると、大きく拡大されます)</strong></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> マスターの野口さんは「アクアク」という空間を使って新たに何かやってみたい学生が持ち込む企画を寛大に積極的に受け入れました。僕が提案した「日活ロマンポルノ上映会」も、映写技術がある野口さんが16ミリフィルムと映写機を借りてきて難なく実現しました。特設スクリーンに映し出されたのは、僕が大好きな映画<a href="https://eiga.com/news/20220910/16/" target="_blank" rel="noopener">『㊙色情めす市場』</a>(1974年/監督:田中登 キャスト:芹明香、花柳幻舟、宮下順子)です。客席も満員になり嬉しかったなあ。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 演劇では「転形劇場」を主宰する太田省吾氏が劇団員の佐藤和代、大杉漣と共に訪れて、<a href="https://spac.or.jp/culture/?p=591" target="_blank" rel="noopener">無言劇『小町風伝』</a>の一部を上演してくれました。能舞台をさらに超スローモーションにした役者さんの緊張感溢れる身体の動きは驚異的でした。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 僕が一番忘れられないのは、若松孝二監督をゲストに迎え彼が監督した映画『性賊 /セックスジャック』(1970年)を上映した時のことです。たしか野口さん自身のセレクトで「いまの学生たちにぜひ見てもらいたい映画」と言っていました。「あさま山荘事件」の2年前に作られた映画です。赤軍派の学生たちを模した武装革命グループが敗走して潜伏した先は、川向こうの貧民窟に住むまだ十代の青年の木造アパート。彼らは「薔薇色の連帯」と称してセックスに明け暮れる日々。青年は決して加わらず夜な夜な一人どこかへ出かけて行きます。彼はなんと孤独なテロリストだったのです。青年は河原でグループの男に呟きます。「天誅って、いい言葉ですよね」と。ラストで画面はモノクロからカラーに変わり、青年が真っ赤なジャンパーを着て颯爽と橋を渡って行くシーンで終わります。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> この赤いジャンパーは若松孝二監督が撮影時に着ていたもので、頭でっかちで何も出来ない学生たちを嘲笑うかの如く去って行く青年は、若松監督自身であり野口さんの分身であったに違いありません。僕は頭をハンマーで殴られたような衝撃を覚えました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 卒業すると直ちに信州大学小児科学教室へ入局させていただいたので、僕はその後の「アクアク」の様子は分かりません。マスターの野口さんは、学生だけでなく地元地域住民との交流を深める中で、文化的活動をさらに広範囲に展開するためには直接政治にコミットする必要があると思い立ち、1992年につくば市議会議員選挙に初当選。以後8年にわたり市議会議員を務めつつ店を経営しました。ただ彼は、当初から「アクアク」は20世紀のうちにお終いにすると決めていて、2000年12月に数々の伝説を生んだ名店「アクアク」は、出演者からも観客からも惜しまれつつ閉店しました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 今年の2月末のことです。ツイッターのDMに野口さんから連絡が入りました。「アクアクのスタッフだった横沢紅太郎が、串田和美『キング・リア』の舞台監督を務めるから、松本まで観に行こうと思っている。おい北原、折角だから会えないかな?」そうして茨城から奥さんと軽自動車に乗って、はるばる松本まで野口さんはやって来ました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> お会いするのは実に40年ぶり!でも、気さくで飄々とした佇まいは昔とぜんぜん変わらない。同期生の<a href="https://www.meiji.ac.jp/bungaku/teachingstaff/teacher_y/yamatohiroyuki.html" target="_blank" rel="noopener">山登敬之</a>君と以前アクアクの話をしていて、彼が「野口さんて、1955年生まれだから僕らと年そんなに違わないんだよ」と教えてくれて驚いたのを思い出しました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 観劇のあとロビーにいたピアニストの谷川賢作さんとヒカシューの巻上公一さんを見つけると、野口さんは「よう」と気軽に声をかけ、彼らも「あれ、野口さん!」と旧知の親しい間柄であることが知れました。暫し話し込んだあと彼らとは別れて「しづか」に場所を移し、郷土料理を食べながら昔話に花が咲きます。じつに楽しい一夜でした。</strong></span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: small;"><strong>(『長野医報』11月号 p14〜18 より転載。一部改変あり)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>=======================================================</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>長野医報11月号用 医師会会員にFAXで送った「原稿募集のための招請文」</strong></span></p>
<p></p>
<p style="text-align: center;" class="youtube"><iframe width="425" height="355" src="https://www.youtube.com/embed/nz-UNcT-W7E" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> <br /> <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=nz-UNcT-W7E" target="_blank" class="title" rel="noopener">YouTube: 一杯のコーヒーから 霧島昇・ミスコロムビア</a></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>特集「一杯のコーヒーから」</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 「一杯のコーヒーから、夢の花咲くこともある〜」ミス・コロンビアと霧島昇が昭和14年に歌ってヒットしたこの曲は、服部良一が作った明るく爽やかな曲調が今聴いてもモダンで新鮮に感じます。日中戦争は泥沼化し、日本が太平洋戦争へ突き進もうとしていた当時の流行歌とは、とても信じられないです。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 現在に目を向ければ、新型コロナウイルスの流行は一向に収まらず、ロシアのウクライナ侵攻は長期化、国内情勢も円安と統一教会問題で揺れていて、ますます不安で暗い気分の毎日です。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> さて皆さん。ここはひとつ美味しいコーヒーでも飲みながら「ほっ」とひと息入れませんか? 毎朝ぼくは、ケニアかエチオピアの豆を碾いて実験用のフラスコみたいなケメックスのコーヒーメーカーで入れた一杯を飲み干してから「よし」と診察室に向かいます。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> コーヒー関連の楽曲には他にも「コーヒールンバ」ザ・ピーナッツ、「学生街の喫茶店」ガロ、高田渡が京都イノダコーヒーのことを唄った「珈琲不演唱」、海外では「Black Coffee」ペギー・リーがありますね。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p> <span style="font-size: small;"><strong>という訳で、コーヒーにまつわる投稿を募集します。お気に入りのコーヒー豆について。スタバでスマートに注文する方法。隠れ家にしている喫茶店。むかし通った名曲喫茶。文筆家の平川克美氏は荏原中延で<a href="https://tonarimachicafe.jp" target="_blank" rel="noopener">『隣町珈琲』</a>を営みながら新たな「共有地」の可能性を模索しています。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> いろんな切り口があるかと思います。皆様のご投稿を切にお待ちしております。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: small;"><strong>広報委員 北原文徳</strong></span></p>
お芝居
ジャズ
映画
音楽
ぶん
2022-11-03T09:55:08+09:00
-
さようなら ファラオ・サンダース
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/09/post-5595.html
■旧「しろくま通信」今月のこの一曲 に載せた、ファラオ・サンダースの文章です。 ...
<p><strong>■旧「しろくま通信」<a href="http://www.clio.ne.jp/home/kita/cd2.htm" target="_blank" rel="noopener">今月のこの一曲</a> に載せた、ファラオ・サンダースの文章です。</strong></p>
<p><strong> 2003年10月14日 に書いたものです。</strong></p>
<p style="text-align: center;"><strong>・</strong></p>
<p style="text-align: center;"></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/09/25/img_2905.jpg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=1200,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-58642341 image-full" style="display: block;" title="Img_2905" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/09/25/img_2905.jpg" alt="Img_2905" border="0" /></a></p>
<p style="text-align: center;"><strong>-----------------------------------------------------------------------------------</strong></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>よく言う「無人島に持っていく1枚のレコード」ってヤツがあるでしょ。ぼくは迷わず(いや、たぶん(^^;)コレを選びます。</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>それほど、人生のある時期、一番大切にしていたアーティスト&レコードでありました。間違いなく。それがこの、 新宿西口「オザワレコード」で買った、2枚組輸入盤『Journey To The One』Pharoah Sanders( Theresa Records)。 </strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>あれは、1980年代の初頭。いつものように新宿西口を出て、「オザワ」でジャズ・レコードを物色。それから地下道を潜って東口に向かいます。二幸ビル(今のアルタ)裏にある雑居ビルの1F「アカシア」 で、¥380の「ロールキャベツ定食」を食べて腹を満たしたあと、同じビルの狭い階段を上りはじめました。すると、3Fのジャズ喫茶「DIG」からピアノの音が聞こえてくるワケですよ、 ジョン・ヒックス のピアノが。もの凄くスイングして。</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>階段を駆け上がってドアを開けると、レイ・ドラモンドのベースが「ブンブンブンブン」と、地響きのように「ずんずん」おなかに振動してきます。そこに被さって、突然、ファラオ・サンダースの吹っ切れたサックスが咆吼しました。「パパラ、パパッパー、パパッ! パパラ、パパッパー!!」 って。これって、ものすごく気持ちいい!!</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>この曲が、『Journey To The One』(Side Three) 1曲目に収録された、かの名曲!『 You've Got To Have Freedom 』だったのです。 </strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>当時、ファラオ・サンダースって、ほとんど注目されていませんでした。23年前のことです。ぼくは、ごうを煮やして、「スイングジャーナル」に</strong></span><br /><span style="font-size: small;"><strong>投稿しました。それはこんな文章でした。(つづく)</strong></span><br /><span style="font-size: small;"><strong>(2003年10月14日 記)</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<blockquote><span style="font-size: small;"><strong>■気分はファラオ・サンダース</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>ジャズを聴いていると、急に力が湧いてきて、何かしなきゃという気持ちになるとおっしゃったのは植草甚一氏であった。でも最近はそういうのが少ないんだよねぇと、わしは森山威男ばかり聴いておった。去年の夏のことだ。</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>そんなある日、相変わらずの新宿の人混みに驚きながら『DIG』の狭い階段を昇って行くと、熱い音がゆっくりとうねりながら降りてくる。実に久々の快感。</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>「おぉっ、なんだこれは」とかけ上がってみると、ファラオ・サンダースの新作『Journey To The One』。わしは驚いた。これがあのファラオ? 実に大らかに、ゆったりと吹いている。しかも力強く。何かスパッと吹っ切れた感じだ。</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>今までなんでコルトレーンはファラオなんか使ったんだろうと、わしは陰口をたたいていた。実際、彼はいつの間にかジャズ界から消されてしまっていた。でも一番悩んでいたのは彼自身だったんだな。</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>この春にでた「Rejoice」にはこんなことが書いてある。</strong></span><br /><span style="font-size: small;"><strong>「ジョー・ヘンダーソンみたいにもっとテクのあるヤツはいくらでもいただろうに、何で彼は俺なんかが良かったんだろうって、不思議に思ったよ。でも、彼には一度も聞いてみなかったな。なぜって、俺たち二人ともとても無口だったからさ。」</strong></span><br /><br /><span style="font-size: small;"><strong>(後略)</strong></span><br /><span style="font-size: small;"><strong>『スイングジャーナル』1981年7月号より(なんだか、当時愛読していた椎名誠さんの文体のモロまねですねぇ(^^;;)</strong></span></blockquote>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>●そんなファラオだが、不思議なことにここへ来てにわかに活気づいてきた。先月と今月、インパルス時代の傑作3枚、テレサ時代の名盤『Journey To The One』を含む4枚が、国内盤でCD発売されたのだ。しかも、『Meditation - Pharoah Sanders Selections Take 2 』は、その「テレサレコード」のベスト盤になっていて、もちろん『 You've Got To Have Freedom 』も収録されています。紙ジャケのデザインもなかなかだし、このベスト盤はお買い得だな。(2003年10月20日追記)</strong></span></p>
<p style="text-align: center;">-------------------------------------------------------------------------------------</p>
ジャズ
今月のこの1曲
音楽
ぶん
2022-09-25T19:53:38+09:00
-
映画『プリズン・サークル』
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/08/post-b415.html
■長野県医師会の月刊誌『長野医報8月号』が発刊されました。今月の特集は「おススメ...
<p></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/08/07/fp_eev0aiaipfus.jpeg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=680,height=510,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-58579622 image-full" style="display: block;" title="Fp_eev0aiaipfus" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/08/07/fp_eev0aiaipfus.jpeg" alt="Fp_eev0aiaipfus" border="0" /></a></p>
<p><strong>■長野県医師会の月刊誌『長野医報8月号』が発刊されました。今月の特集は「おススメの映画」です。ぼくも寄稿しました。以下に転載させていただきます。</strong></p>
<p><strong>=================================================</strong></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>ドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』</strong></span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: small;"><strong>上伊那医師会 北原文徳</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> このコロナ禍で観ることができなかった評判のドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』坂上香監督作品(2019年/日本/136分)の自主上映会が、3月13 日に茅野市民館マルチホールであり観に行ってきました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 映画の舞台となる「島根あさひ社会復帰センター」は、2008年に新しく開設された最大収容者数2000人のれっきとした刑務所で、犯罪傾向の進んでいない、初犯で刑期8年までの男性が収容されています。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>従来の高く厚いコンクリートの壁はなく、2重のフェンスで囲われるだけで外からはとても刑務所には見えません。しかし、最新鋭の監視システムを備えた超厳重保安施設には違いなく、その一番の特徴は官民協働で矯正教育や職業訓練を行い、受刑者の就労支援に取り組む「更生の場」として位置づけられていることです。</strong></span></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> しかし本当の新しさは、TC(Therapeutic Community:回復共同体)という教育プログラムを日本で唯一導入している点にあります。円座(サークル)になって受刑者同士が「対話」を繰り返すことで、自ら犯罪の原因を探り、問題の対処法を身につけることを目指します。参加できるのは希望者の中から条件を満たした40名のみ。彼らは半年から2年程度このユニットに在籍し、寝食や作業を共にしながら週12時間のプログラムを受講します。運営するのは、アメリカで研修してきた民間の支援員で、心理・福祉の専門家たちです。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 取材撮影許可が下りるまで6年、撮影に2年、公開まで10年を要したこの映画では、4人の若い受刑者にカメラが向けられます。拓也(22歳)はオレオレ詐欺の受け子をして逮捕されました。刑期は2年4ヵ月。真人(24歳)は、オヤジ狩り(強盗致傷)窃盗で刑期は計8年。翔(29歳)は傷害致死罪で刑期はこの刑務所では最長の8年。健太郎(27歳)は強盗傷人で5年の刑期です。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 彼らには自分の気持ちを表現する「言葉」がありません。怒り、憎しみ、妬み、劣等感、寂しさ、不安、自己憐憫、被害者意識。こうした様々な感情をどう解釈すればいいのか分からないまま、自分の感情を言葉にする代わりに「暴力」がその発露となりました。また逆に、自分の感情に蓋をして特に何も感じなくなってしまった(感盲:emotional illiteracy)受刑者たち。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 彼らの多くが幼少期に親から虐待され、学校では壮絶ないじめを受けていました。その逆境体験の苦痛を封じ込めるために、感情を麻痺させることで彼らは何とか生き延びてきたのです。「暴力」は学び取られた行為(learned behavior)だと言われています。人は突然暴力的になるのではない。彼らの多くは加害に至る以前に暴力の被害者であったのです。だからこそTCでは暴力を「学び落とす:unlearn」授業が必要になります。また「感情の筋肉」を鍛えるために、気持ちを感じて、言葉にして、相手にきちんと伝える訓練を繰り返します。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 新入りの健太郎は当初「鉄仮面」と仲間から呼ばれるほどの無表情、感情鈍麻でしたが、</strong></span><span style="font-size: small;"><strong>先輩の発言に耳を澄まして語り方を学び、語彙を増やし、自分の拙い言葉でも真剣にちゃんと聞いてアドバイスしてくれるサークルの仲間がいることで、彼は着実に変わって行きます。受刑者たちが安心して本音で語り合える場所(サンクチュアリ:安全基地・避難所)の形成と維持がTCでは何よりも重要となるのです。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 映画の終盤に印象的なシーンがありました。健太郎が犯した事件の関係者をサークルの仲間がロールプレイする場面です。健太郎は彼自身を演じ、被害者とその妻、それに妊娠中だった彼の婚約者の役の受刑者が次々と厳しい言葉を彼に投げかけます。すると、健太郎はうつむいて身体をよじり、右手の鉛筆を強く握りしめ感極まって泣き崩れてしまいます。彼を問い詰めた被害者役の受刑者も涙をぬぐっていました。</strong></span></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 幼少期の過酷な体験は心の奥底に封印され、自覚されず言語化されない記憶として自らを傷つけ、他者を傷つける行為につながって行きます。サンクチュアリという安全な場所があって初めてその封印は解かれ、彼らは辛い過去を思い出し語り始めるのでした。その語りに耳を傾ける仲間たちもまた、彼の話に感応することで自分の気持ちも解放されるのでしょう。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 現在4人の若者はみな刑期を終えて出所しています。日本の刑務所は再犯率が50%と言われていますが、「島根あさひ」でTCを受けた受刑者の再犯率は20%以下なのだそうです。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>3人は坂上監督と連絡を取り合っていますが、健太郎だけが消息不明とのことでした。出所したTC修了生には「くまの会」というサンクチュアリの場が用意されており、元支援員やボランティアと共に定期的な会合が持たれています。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 映画上映後、1年2ヵ月前に出所した翔君と上映会実行委員長で富士見町在住の スクールソーシャルワーカー山下英三郎さんがリモートでオンライン対談した映像がネット配信されました。映画では顔にボカシが入っていた翔君は素顔を出していました。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> TCを体験したことの意味を訊かれて「ちゃんと、しっかり人と話すことができるようになったことを一番実感している。自分はこのまま幸せになっていいんだろうか?とずっと問い続けている」と答え、配信画像を見ていても、相手の話を傾聴し誠意をもって適確に解答する姿がとても印象的でした。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 「会話:Conversation」と「対話:Dialogue」は異なります。会話は、すでに知り合った者同士の楽しいお喋りであり、対話は、理解できない「他者」と交わす新たな情報交換や交流のことであると平田オリザ氏は言います。また、歴史的に日本という「狭い閉じた社会」では、人々は「他者」とは出会わなかった。そこから生まれる言語は、同化を促進する「会話」であり、差異を許容する「対話」は必要とされて来なかったと指摘します。 ---『対話のレッスン』平田オリザ著(講談社学術文庫)より---</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> いま精神科領域では、フィンランドで始まった「オープンダイアローグ」が注目されています。この映画のキーワードも「対話」だと思います。興味を持って下さった方に是非映画を観て頂きたいのですが、実際の受刑者が登場するため、残念ながら今のところネット配信やDVD発売の予定はありません。すみませんが全国各地で続く自主上映会をチェックしてみて下さい。この3月末には、監督自身による映画の副音声解説とも言える書籍『プリズン・サークル』坂上香著(岩波書店)も出ましたので、読んでから観るというのもありだと思います。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 最後に、映画のパンフレットに載っていた著明人のコメントの中で印象的なものを2つご紹介してお終いにします。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<blockquote>
<p><span style="font-size: small;"><strong>「人の苦しみがすべて他者との関わりから生まれるものなら、それを癒すのもまた他者との関わりでしかあり得ない。他者と関わる手段は『会話』であること、暴力へのカウンターは『言葉』であることに改めて思いを巡らせました。全刑務所でTCが導入されればと思います」</strong></span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: small;"><strong>ブレイディ・みかこ(ライター)</strong></span></p>
</blockquote>
<p><span style="font-size: small;"><strong> </strong></span></p>
<blockquote>
<p><span style="font-size: small;"><strong>「加害性だけを自覚し、強い意志で新しい生き方を目指そうとすることは、必ずしも罪を償うことにつながらない。むしろ、蓋をしてきた痛む過去を受け入れ、受け入れられることで、はじめて加害の意味に気づく。傷ついていた、という認識は、傷つけていた、という認識に先行するのだ。償うことは、過去を清算することではなく、過去とともに生き続けることだということを、この映画は教えてくれる」</strong></span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: small;"><strong>熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター教授/小児科医)</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p></p>
</blockquote>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: small;"><strong>『長野医報』2022年8月号(722号)p21〜24より転載</strong></span></p>
映画
読んだ本
ぶん
2022-08-07T23:09:45+09:00
-
戦争反対! 待合室と自宅にあった絵本から
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/03/post-31c9.html
■3月6日:戦争反対! 手持ちの絵本も、これでおしまい。そっちもお終いにして欲し...
<p><span style="font-size: small;"><strong>■3月6日:戦争反対! 手持ちの絵本も、これでおしまい。そっちもお終いにして欲しい。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>『こどもたちはまっている』荒井良二の表紙は、ウクライナの国旗の色だ!</strong></span></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/03/26/fngui4cauaujrxs.jpeg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=680,height=510,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-58375755 image-full" style="display: block;" title="Fngui4cauaujrxs" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/03/26/fngui4cauaujrxs.jpeg" alt="Fngui4cauaujrxs" border="0" /></a></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>■3月3日:戦争反対の絵本(その3)</strong></span></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/03/26/fm2yj3yvqauwssn.jpeg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=1200,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-58375756 image-full" style="display: block;" title="Fm2yj3yvqauwssn" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/03/26/fm2yj3yvqauwssn.jpeg" alt="Fm2yj3yvqauwssn" border="0" /></a></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>(写真をクリックすると大きくなります)</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>■2月27日:</strong></span></p>
<div class="css-1dbjc4n">
<div id="id__utl4xbjse4q" class="css-901oao r-18jsvk2 r-1tl8opc r-a023e6 r-16dba41 r-rjixqe r-bcqeeo r-bnwqim r-qvutc0" dir="auto" lang="ja"><span style="font-size: small;"><strong><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-bcqeeo r-qvutc0">ロシア軍のウクライナ侵攻に反対します。古い絵本が多くなってしまったけど<a href="https://book.asahi.com/article/14301496" target="_blank" rel="noopener">『もっと おおきな たいほうを』</a>二見正直・作(福音館書店)は、おすすめデス!</span></strong></span></div>
</div>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/03/26/fmixopiaiaenm9p.jpeg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=680,height=510,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><br /><img class="asset asset-image at-xid-photo-58375757 image-full" style="display: block;" title="Fmixopiaiaenm9p" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/03/26/fmixopiaiaenm9p.jpeg" alt="Fmixopiaiaenm9p" border="0" /></a></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>■2月25日: 戦争反対!</strong></span></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/03/26/fmb2aznakaiu3vk.jpeg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=680,height=510,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-58375758 image-full" style="display: block;" title="Fmb2aznakaiu3vk" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/03/26/fmb2aznakaiu3vk.jpeg" alt="Fmb2aznakaiu3vk" border="0" /></a></p>
<p style="text-align: center;">・</p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>■以上、ツイッター上に2月25日〜3月6日にかけてアップした我が家にあった絵本たちです。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>あと、『へいわってすてきだね』安里 有生/長谷川義史(ブロンズ新社)『せかいでいちばんつよい国』デビッド・マッキー(光村教育図書)を持っているはずなのだが、どうしても見つからなかったのでした。</strong></span></p>
絵本
ぶん
2022-03-26T20:45:36+09:00
-
ジャズ喫茶、渋谷「DIG」にレコード泥棒が入った!! その顛末
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/03/dig-cb9d.html
■『BRUTUS 特別編集:完本 音楽と酒。』を買った。ピーター・バラカンが選ん...
<p></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/03/24/fmkix2juuaebbpb.jpeg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=680,height=510,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-58373387 image-full" style="display: block;" title="Fmkix2juuaebbpb" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/03/24/fmkix2juuaebbpb.jpeg" alt="Fmkix2juuaebbpb" border="0" /></a></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>■『<a href="https://brutus.jp/mook_music_alcohol/?heading=1" target="_blank" rel="noopener">BRUTUS 特別編集:完本 音楽と酒。</a>』を買った。ピーター・バラカンが選んだ 96枚のレコード紹介がまずは読みどころだが、p202〜p</strong></span><span style="font-size: small;"><strong>207 には「60s - 90s 時代を象徴する music & drink な4軒」として、古い順に「新宿DIG & DUG」「渋谷ブラック・ホーク」「西麻布レッド・シューズ」「渋谷公園通り カフェ・アプレミディ」の4軒が紹介されている。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■新宿DIG & DUG に関して語るのは、オーナーの中平穂積氏だ。和歌山県新宮市出身(中上健次や児童精神科医 小倉清先生と同郷)日大芸術学部写真学科に入学後は、高校生の頃から大好きだったジャズが聴きたくて東京のジャズ喫茶巡りの日々。大学5年生の時、植草甚一氏と知り合い、彼のバックアップもあって、かねてからの夢であった自分の店「DIG」を新宿二幸ビル裏の3階にオープンする。1961年11月7日のことだった。翌年3月に挙げた結婚式では、植草甚一夫妻が仲人を務めた。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>BRUTUS には「そして 1967年、紀伊國屋裏にジャズバー<DUG>をオープン。」と書かれていて、中平氏が 1963年7月10日に、渋谷百軒店にオープンさせた「DIG渋谷店」の事には一切触れられていない。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>じつはこの<strong>「DIG渋谷店」が、<a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/02/post-3f03.html" target="_blank" rel="noopener">以前にも紹介したように</a>、そのまま「ロック喫茶ブラック・ホーク」となる。1969年のことだ。BRUTUS では<ブラック・ホーク>のことを萩原健太氏(1956年2月生まれ)が紹介している。彼が高校生の時(1973年)に初めて渋谷百軒店を訪れ、大学生になると、この界隈に入りびたることになるのだった。</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong><strong>・</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■<strong>中平穂積氏が、なぜ「渋谷DIG」を手放したのか? これは以前にも少し書いたが、その詳細は<a href="https://www.amazon.co.jp/新宿DIG-DUG物語―中平穂積読本-高平-哲郎/dp/4380042073" target="_blank" rel="noopener">『新宿DIG DUG物語』</a>高平哲郎編(三一書房)に載っていて、たしか持っていたはずなのだが探しても見つからずあきらめていたら、先だって「戦争関連の絵本」をいろいろと探して納戸の奥の方から絵本を引っ張り出したりしていて、偶然その本がいっしょに見つかったのだった。以下、その真相部分を転載する。(p60〜p62)</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong><strong>=================================</strong></strong></span></p>
<blockquote>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong><strong> 1966年秋のことでした。渋谷店のレコードが大量に盗難にあったんです。あのころ、渋谷店には2000枚のレコードを三段の棚に整理してありました。ある日、出勤した従業員の鈴木彰一が、二段目の棚の1000枚が消えていることに気づいたんです。鈴木は、現在は中野の「ジニアス」のオーナーです。そのときは、鈴木も、犯人は手の届きそうなところにあったレコードを無差別に持っていったと思っていました。</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong><strong> 連絡を受けて駆けつけてみると、二段目の棚にケニー・ドーハムの『マタドール』一枚だけが残っていました。このレコードは幻の名盤といわれていて、1964年にケニー・ドーハムが来日したときに、本人からサインをもらったものだったんです。売ったって高い価値のある名盤なのに、その価値が判らなかったのかあわてて残していったのかは判りませんでした。</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong><strong> これはメッセージじゃないかって、ぼくは冗談半分に言いました。「『マタドール』を残したのは『また盗る』の意味じゃないのかな。怪盗ルパンみたいに」</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong><strong> でも、この事件は幸いなことに解決するんです。事件から3ヵ月が過ぎたころ、「DIG」渋谷店近くの寿司屋に行ったときの話です。その店の主人がこんな話をしたんです。</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong><strong> 「そういえば、3ヵ月前の朝方、店の前に白い車を止めて、荷物を運んでいたのがいたよ。運転していたのは、そこの喫茶店の男だったよ」</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong><strong> この目撃情報を聞いて、すぐに渋谷署に連絡して、喫茶店の男が捕まって、一挙に事件が解決しました。男は「ある人に頼まれてレコードを運んだ」と自供しました。それから間もなく犯人グループ4人が逮捕されました。「DIG」渋谷店に一時期、出入りしていた不良グループが犯人だったんです。事件の後、ぱったり来なくなったんで怪しいとにらんでいた男たちでした。1000枚のレコードも無事帰ってきました。</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>盗難事件の直後に、渋谷署から「盗まれたレコードのリストを作って欲しい」と言われて、鈴木彰一と二人で、アメリカのレコード・カタログの「シュワン」を見ながら、900枚以上のリストを数日かかって作ったんです。戻ってきたレコードと照合したら、二、三枚ぐらいしか違っていませんでした。警察にも凄い記憶力だと誉められましたよ(笑)。</strong></span></p>
</blockquote>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<blockquote>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>「DIG」渋谷店が繁盛したんで。店の大家が渋谷「DIG」の二階でジャズ喫茶を開店したんです。でも木造でしょう。一階と二階の音が混じり合って、ひどい状態になった。盗難事件に音の問題で、ぼくも嫌気がさしてきました。それで1967年に、渋谷「DIG」を閉めることにしたんです。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> 店を売りに出したら手元に500万円が残りました。これを新宿の日本相互銀行に預けたんですが、これが幸運の始まりになりました。そこの支店長がたまたま日大の先輩ということもあって、「事業を拡大するなら融資しますよ」って話になって、それが紀伊國屋裏のビルに「DUG」を開くきっかけになったわけです。</strong></span></p>
</blockquote>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong> ==================================</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> <strong>『新宿DIG DUG物語 --中平穂積読本-- 』高平哲郎編(三一書房)p60〜p62 より転載</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"></p>
<p style="text-align: left;"></p>
ジャズ
読んだ本
音楽
ぶん
2022-03-24T23:08:34+09:00
-
小林信彦『日本橋に生まれて/本音を申せば 23』
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/02/23-e891.html
<写真をクリックすると大きくなります> ・ ■小林信彦の小説以外の代表作『日本の...
<p></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/02/27/img_2656.jpg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=1200,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-58334452 image-full" style="display: block;" title="Img_2656" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/02/27/img_2656.jpg" alt="Img_2656" border="0" /></a><span style="font-size: small;"><strong><写真をクリックすると大きくなります></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■小林信彦の小説以外の代表作『日本の喜劇人』の最新改訂版<a href="https://www.shinchosha.co.jp/book/331828/" target="_blank" rel="noopener">『決定版 日本の喜劇人』</a>(新潮社)が 2021年5月20日に発刊されたが、ぼくはまだ買ってない。じつは、2015年10月に「日本の古本屋」で検索して、箱入りの『定本 日本の喜劇人(全2冊)喜劇人篇・エンタテイナー篇』を 6,000円(+送料500円)で購入していたからだ。ただ、手に入れただけで満足してしまい、まだ読んではいない。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>それなのに「決定版」が出るのか! 悔しい。幸い、小林信彦氏は「決定版」用の追加原稿を新潮社のPR月刊誌『波』に連載しており、バックナンバーは伊那市立図書館で借りることができたので全てコピーした。だから買わなくてもよいのだ、と負け惜しみ。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■小林信彦氏は、1932年(昭和7年)12月12日生まれ(小津安二郎、フランク・シナトラ、E・G・ロビンソンと同じ誕生日)だから、今年90歳になる。2017年4月に脳梗塞で左半身不随となり、その後さらに2度、左大腿骨骨折を起こし度重なる入院とリハビリの日々が続いた。その間、20年近く続いている週刊文春の連載「本音を申せば」は中断された。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>「週刊文春」は買ってきて最初に読むのは、決まって小林信彦「本音を申せば」だったから、連載が載っていない週刊文春は買わなくなってしまった。そしたら、知らないうちに連載は再開され、2021年7月8日号で終了してしまっていた。(まだ続く)</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■小林信彦『日本橋に生まれて/本音を申せば 23』の前半は、「奔流の中での出会い」(週刊文春/ 2018年11月1日号〜2019年6月20日号収録)後半は、「最後に本音を申せば」<strong>(週刊文春/ 2021年1月14日号〜2021年7月8日号収録)</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・野坂昭如に関して: 永六輔に「ああいう人物とつきあわない方がいい」と言われびっくりした。(p13)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・渥美清さんには、いろいろな噂があった。まずは、かつては浅草界隈の暴力団のような所にいたのではないかということ。(p25)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・長部日出雄: なんだか分からないモヤモヤした暗雲は彼が直木賞をとったころから始まっていた。そのために、私が何重にもひがんでいたと彼が考えていたのは、おそらく正しい。(p43 小林信彦は、芥川賞も直木賞も何度も候補に上がりながら、結局どちらも取れなかった)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・大瀧詠一: 小林信彦に彼のことを教えたのは、相倉久人。大瀧詠一が小林信彦のファンになったのは、以前から彼のファンであった伊藤銀次の影響によるらしい。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・井原髙忠: 「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」の「ゲバゲバ」という言葉は、そのころ流行していた「ゲバルト」から小林信彦が「ゲバゲバ大行進」というタイトルを思いついたのを、代理店が変えた。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・江戸川乱歩: ここが一番読み応えがあった。詳細は別に本があるらしいが。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・坂本九: 彼があの日、大阪行きの日航機に乗ったのは、自民党議員の選挙応援のためであった。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・伊東四朗: <重厚さ>と<軽薄さ>のあいだに漂っている人 ---- 芸人。(p147) 市川崑監督が、伊東さんを「からだとセリフのタイミングが見事。おもしろい」と評していた</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・平野甲賀:「平野さんの文字は、人名だけでも<甲賀流>というぐらい、書店に常にある。それがない世の中はおかしい。一度、私が自分の名前を<正字にして>みたい、と言ったところ、平野さんは笑って言った。『小林信彦の彦を正字にすると<彥>になるんですよ。名前を途中から変えるというのはおかしいですよ』と平野さんは言った。」</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>とあるが、小林さんは<旧字>にしてくれと言ったのではなくて、明朝体とかの活字体にして欲しいと言いたかったのだと思う。これには笑ってしまった。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>・ただ、同じ話は以前にも何度も読んだ気がするなあ。年寄りだからまあ仕方ないか。でも、彼のかつての友人知人はみな、とっくに鬼籍に入ってしまっている。淋しいいんだよ。彼は。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>p196 を読むと、彼は週2回のデイサービスに通っているという。左半身マヒと2回の大腿骨骨折で、移動は車椅子と思われる。介護認定では要介護どれくらいなのだろうか?</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■『決定版 日本の喜劇人』出版にあたって、<a href="http://www.cinemavera.com/schedule.php?id=255" target="_blank" rel="noopener">「</a></strong></span><strong><a href="http://www.cinemavera.com/schedule.php?id=255" target="_blank" rel="noopener">小林信彦プレゼンツ これがニッポンの喜劇人だ!」</a>という、小林信彦が太鼓判を押す日本の喜劇映画の数々が(</strong><strong>2021/05/22 ~ 2021/06/04)に「シネマヴェーラ渋谷」で特集上映された。</strong></p>
<p style="text-align: left;"><strong>・小林旭の代表作:『東京の暴れん坊』(助監督は神代辰巳!)『仁義なき戦い・頂上作戦』『縄張はもらった』(芝山さんは、あと『大草原の渡り鳥』を挙げている)</strong></p>
<p style="text-align: left;"><strong>・クレイジーキャッツ:『ニッポン無責任時代』『大冒険』(「リオの男」のカバー?)</strong></p>
<p style="text-align: left;"><strong>・森繁久弥: 『三等重役』『喜劇とんかつ一代』</strong></p>
<p style="text-align: left;"><strong>・フランキー堺:『人も歩けば』</strong></p>
<p style="text-align: left;"><strong>・伴淳三郎:『名探偵アジャパー氏』</strong></p>
<p style="text-align: left;"><strong>その他いろいろ、amazon prime で見れるのは、どれくらいあるのかな?</strong></p>
<p style="text-align: left;"></p>
<p style="text-align: left;"></p>
<p style="text-align: left;"></p>
<p style="text-align: center;"></p>
<p></p>
読んだ本
ぶん
2022-02-27T21:15:21+09:00
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佐々木昭一郎のラジオドラマ『都会の二つの顔』
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/02/post-bf0c.html
■先週の土曜日の夕方、伊那の「黒猫 通り町店」に行ったら、犬風さんは関東演奏ツア...
<p><span style="font-size: small;"><strong>■先週の土曜日の夕方、伊那の「黒猫 通り町店」に行ったら、犬風さんは関東演奏ツアー中で居ず、田口さんが一人店にいた。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>このあいだ久々に見た、佐々木昭一郎の『さすらい』の話をしてみたら、田口さんは、そんなのもちろんご存じで、「遠藤賢司が出ているヤツね。佐々木昭一郎は、ラジオドラマで面白いものがありますよ。若い男女が出会って魚河岸に行く話。街頭録音でドキュメンタリーみたいな。何てタイトルだったかなあ? 確かレコードにもなっているんですよ」</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>ややっ、ぜんぜん知らない。佐々木昭一郎のラジオドラマは全くノーチェックだった! </strong></span><span style="font-size: small;"><strong>まるで赤子の手を捻るみたいに、簡単に田口さんにかわされてしまったぞ。<strong> 正直悔しい。</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong><strong>・</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>帰って『創るということ』佐々木昭一郎(青土社)を調べてみたら、<a href="https://www.1101.com/sasaki_shoichiro/2014-11-06.html" target="_blank" rel="noopener">『都会の二つの顔』</a>という題だと判った。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■</strong></span><span style="font-size: small;"><strong><a href="https://www.nicovideo.jp/watch/sm22507087" target="_blank" rel="noopener">『都会の二つの顔』</a>(30分ラジオドラマ)1963年12月制作。語りとピアノ:林光、脚本:福田善之+佐々木昭一郎 / 出演:宮本信子、横溝誠洸 <ある日出会った若い男女の一日の物語。魚河岸で働く若者と舞台を夢見る少女。二人は人生を語る></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>YouTube にはなかった。でも、「ニコニコ動画」にあったのだね。さっそく聴いてみたよ。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>主演の二人。役柄も実際にも、境遇のまったく異なる二人。若者は、佐々木昭一郎の高校時代の親友で、都内北区滝野川で魚屋を営業している。俳優ではない。ずぶの素人。少女役の宮本信子は、あの伊丹十三の妻の宮本信子で、当時まだ高校を卒業したばかりの18歳。文学座の研究生になって役者の勉強を始めたばかりの頃だ。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>【ストーリー】師走の夜11時過ぎ。青山のボウリング場。初めて来た若者が、友だちを待っている女の子をナンパする。すっかり意気投合した二人。深夜の六本木、レストランに入って若者はビールとビフテキを注文する。「すげえな、このビフテキ。わらじみたいだ、チューチューいっちゃってんの」。そうすると女の子がコロコロ笑い出す。今度はナイフで切りはじめる。「この、のこぎり全然切れねえや」「のこぎりっていうんじゃないの。ナイフ」。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>深夜のスナック(クラブ?)へ移動する二人。女の子の顔見知りの男女がすでにいる。男はラリっている。話が合わず、その場にまったく馴染めない若者。「おれ、ちょっと失礼して、トイレに行ってくらあ」と行って店を出てしまう。あわてて追いかけてきた女の子。「なんでそんなに怒ってるの?」「なんでえ、今のやつら」「あれはああいう人たちなの。ああいう人たちもいるのよ」。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>もう午前3時近くか。二人は六本木飯倉片町の交差点から東京タワーに向かって歩いて行く。神社に寄ってお参りして、浜松町を過ぎて竹芝桟橋まで海を見に行く。東京オリンピックの前年だから、深夜でもトラックが行き交う。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■2年後の1965年。椎名誠『哀愁の町に霧は降るのだ(上)』を読むと、この頃の椎名誠は六本木のピザ屋「ニコラス」で皿洗いのバイトをしていた。『東京アンダーワールド』に登場するマフィアのボス、ニコラ・ザペッティの店だ。仕事は夜8時から午前3時半まで。終了時には、バスも地下鉄も動いていないから、バイト仲間と連れだって歩いて浜松町まで行って、始発に乗って更に1時間かけて帰ったという。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>「10月から始めたこの皿洗いのアルバイトもいつのまにか12月になって、冬の夜明けの通りはものすごく寒かった。飯倉の角から東京タワーの下を通り、長い坂道を下りながらおれたちはわりあいいつも黙りこんで歩いた。」(<strong>『哀愁の町に霧は降るのだ(上)』(情報センター出版局)166ページ</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong><strong>・・・</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■<a href="https://www.amazon.co.jp/創るということ-佐々木昭一郎/dp/4791768191" target="_blank" rel="noopener">『創るということ』佐々木昭一郎</a>(青土社)81ページで、佐々木はこう言っている。</strong></span></p>
<blockquote>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> 魚屋の青年の中を流れている意識が快活でね、非常にいいんだよ。今でも思い出すけど宮本信子と二人で寒い六本木の街を歩くんだね。そうすると向こうからバーッとダンプカーが来たりする。それから”火の用心”なんて書いてある。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>寒いから「寒いなあ!」なんていうと「息がまっ白」なんて言うんだ。耳が冷たいっていうと魚屋が耳にパッとさわるんだ。「わァ、手があたたかい」って宮本信子がまた言う。そういうところ、今テープを聞き返してもいいなあと思うところなんだね。</strong></span><span style="font-size: small;"><strong>それは自然のうちに出てきた会話なんだ。ぼくは二人腕組んで歩いてくれって注文しただけ。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
</blockquote>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>竹芝桟橋で、夜明け前の東京湾を見つめる二人。「浜のにおいがする! 空が大きい!」と宮本信子。なんだか桂三木助の『芝浜』みたいだな。この時まで彼女は知らなかったのだが、実際に彼は勝五郎みたいな江戸っ子の魚屋なのだ。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>ほんと、この若者の口調は落語の主人公みたいで、江戸前の気っぷの良さと、べらんめえだけど爽やかさがあって、彼の声は聴いていて実に気持ちがいい。裕次郎みたいに歌も上手いぞ。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>それから、宮本信子もいい。飾らなくて自然で、明るくて。場面は変わって築地魚河岸。若者の仲間が大勢いる。六本木とは打って変わって、水を得た魚のように生き生きしだす若者。そうすると今度は女の子が置いてけぼり。午前11時。待ちくたびれた女の子。「わたし帰る。さよなら」って言う。また会いましょうとも言わない。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>「どこだっけうち? トラック乗っていくか?」「じゃあ乗っけてもらおうか」「どこまでだよ」「どこまで?」「どこまでだっていいよ」(おしまい)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> 【参考文献】</strong></span><span style="font-size: small;"><strong>『創るということ』佐々木昭一郎(青土社)</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■<a href="https://www.1101.com/sasaki_shoichiro/2014-11-06.html" target="_blank" rel="noopener">「ほぼ日」の佐々木昭一郎インタビュー</a> にもあるけれど、このラジオドラマ『都会の二つの顔』が「彼の作風の原点」になっているんだね。なるほどなあ。黒猫の田口さんに教えてもらって、ほんとよかったよ。ありがとうございました。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>「ニコニコ動画」には、佐々木昭一郎のラジオドラマがあと2本アップされていた。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> ・『おはよう、インディア』(1964)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> ・『コメット・イケヤ』(1966)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>こちらも聴いてみよう!</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>それから、<a href="https://synapse-magazine.jp/television/2201tobeta/" target="_blank" rel="noopener">「てれびのスキマの温故知新 〜テレビの偉人たちに学ぶ〜」戸部田誠(第27回)2022/01/26</a> で、ちょうど佐々木昭一郎が取り上げられている。そろそろまた、NHKBSP で『さすらい』をはじめ、佐々木昭一郎の作品群が再放送されないかな。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"></p>
<p style="text-align: left;"></p>
お芝居
映画
ぶん
2022-02-13T23:15:53+09:00
-
渋谷・百軒店・『さすらい』 追補
http://kita-kodomo.dcnblog.jp/top/2022/02/post-3f03.html
■百軒店にあった「ブラックホーク」には、僕は入ったことはない。店の前は何度も通り...
<p></p>
<p><a href="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2022/02/04/img_2640.jpg" onclick="window.open( this.href, '_blank', 'width=1200,height=900,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0' ); return false"><img class="asset asset-image at-xid-photo-58305432 image-full" style="display: block;" title="Img_2640" src="http://kita-kodomo.dcnblog.jp/photos/uncategorized/2022/02/04/img_2640.jpg" alt="Img_2640" border="0" /></a></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>■百軒店にあった「ブラックホーク」には、僕は入ったことはない。店の前は何度も通りすぎたけれども。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>この店に関しては『渋谷百軒店 ブラック・ホーク伝説』(音楽出版社)そして、松平維秋『</strong></span><strong><span id="productTitle" class="a-size-extra-large" style="font-size: small;">SMALL TOWN TALK~ヒューマン・ソングをたどって</span><span style="font-size: small;">』(VIVID BOOKS)の2冊が出版されているが、僕はどちらも未読。</span></strong></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>以下は、『渋谷系』若杉実(シンコーミュージック)10〜11ページより。</strong></span></p>
<blockquote>
<p><span style="font-size: small;"><strong> ブラック・ホークを開業することになる水上義憲は、大学在学中に父の知人である金融業者から「これからの時代は日銭商売がいい」と教唆されるように指南され、出物の話を持ちかけられる。それはジャズ喫茶の名店として知られていた「渋谷DIG」。</strong></span></p>
</blockquote>
<p><span style="font-size: small;"><strong>(しろくま注:新宿DIG の姉妹店としてオーナーの中平穂積氏が、1963年7月、渋谷百軒店に出店したが、1966年の秋、店に泥棒が入り一枚だけを残しレコードがすべて盗まれてしまう。残ったレコードがケニー・ドーハムの「マタドール」。犯人は捕まりレコードはすべて戻ったのだけれど、残った一枚のレコード「マタドール」が、泥棒からのメッセージ「また盗る」と不吉に思ったのか、嫌気がさしたオーナーの中平穂積氏は店を手放すことにしたのだという)</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<blockquote>
<p><span style="font-size: small;"><strong>スタッフ(レコード係の松平維秋)とレコード一式を残し店を畳むことになっていたのだ。つまり、それをもとに新しい店をやれ、と。水上は姉のサポートをもと在学中にジャズ喫茶のオーナーになる。</strong></span></p>
<p></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong> 百軒店にはジャズ喫茶であふれ返っていた。ブラック・ホークが入るビルの2階に「SAV」。ライヴを中心としていた「オスカー」。メインストリーム系の「スイング」「ブルーノート」。そして名前どおり、こぢんまりとした「ありんこ」。百軒店のすこし手前、恋人横丁のそばにも老舗「デュエット」があった。(中略)</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> だが皮肉なことに、それからほどなくして世間でのジャズ喫茶ブームに陰りが見えはじめる。こうした時勢に鑑み、水上は「DIG」から「ブラック・ホーク」と名前を変え、ロック専門の喫茶店へとリニューアルする。1969年のことだった。(中略)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> ブラック・ホークに流れるロックは一筋縄ではいかないものばかりだった。ジョニ・ミッチェルやレナード・コーエンなどシンガーソングライターはもとより、ガイ・クラーク、ガストリー・トーマスのようなカントリー系、ベンタングルやフェアポート・コンヴェンションといったブリティッシュトラッドなど、まるでフォークの世界地図を目にしているようだった。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> そのフェアポート・コンヴェンションがバックを務めるニック・ジョーンズの『バラッズ&ソングス』がきっかけでトラッドに開眼したという松平維秋は、渋谷DIG 時代からレコード係としてブラック・ホークを支えてきた人物。店内に流れた音楽をみずから”ヒューマンソング”と命名する。</strong></span></p>
</blockquote>
<p style="text-align: center;" class="youtube"><iframe width="425" height="355" src="https://www.youtube.com/embed/_kxbK46Ql8g" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> <br /> <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=_kxbK46Ql8g" target="_blank" class="title" rel="noopener">YouTube: Nic Jones - Ballads and Songs</a></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■ジャズ喫茶のマッチコレクションで知った、豊丘村在住のムッシュ松尾氏の 2022/01/18 のツイートにこんなことが書いてあったぞ。勝手に転載してごめんなさい。</strong></span></p>
<blockquote>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>僕が東京のジャズ喫茶巡りをしていたのにはちょっとした訳がありますそれは渋谷にあったロック喫茶に行く為そこで聴いたレコードをレコード店で探す為。当時音楽雑誌ニューミュージックマガジンの広告に載っていた見た事も聞いたこともない音楽に出会う為。その音楽一言で言えばヒューマンソングという</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>その店でブリティッシュトラッドと言う音楽を覚えた。昔ながらの伝統のフォークトラッドと新しい若者たちが試みるエレクトリックトラッドと言う音楽。ペンタングルを始めフェアポートコンベンション、スティーライスパンなどのエレクトリックトラッドに心を奪われていく。そう伝説のブラックホークだ!</strong></span></p>
</blockquote>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>なるほど、この父親のもとで育ったわけなのだな。妙に納得してしまった。スタジオジブリ『アーヤと魔女』挿入歌「The House in Lime Avenue 」 by GLIM SPANKY。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;" class="youtube"><iframe width="425" height="355" src="https://www.youtube.com/embed/w1s8QOIc7EY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> <br /> <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=w1s8QOIc7EY" target="_blank" class="title" rel="noopener">YouTube: The House in Lime Avenue</a></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■「佐々木昭一郎」の初期の作品には、プロの役者はまったく登場しない(「はみだし劇場」と『紅い花』は除く)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>カメラの前で、素人に演技をさせるのだ。しかも、手持ちカメラだから画像は揺れるし、いきなり人物に寄るし、急にパンするし、まるで「ドキュメンタリー」のような映像が映し出される。緊張感とリアリズム。それでいて、詩情あふれるシーンも随所に挿入され、そこには必ず印象的な音楽が使われるのだ。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> 『夢の島少女』→ 「パッヘルベルのカノン」</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> 『四季・ユートピアノ』→ 「マーラー交響曲4番」</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> 『川の流れはバイオリンの音』→ 「チャイコフスキー弦楽セレナーデ」</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> 『紅い花』→ 「ドノバン:ザ・リヴァー・ソング」</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong> 『さすらい』→「ザ・バーズ /イージー・ライダーのバラード」</strong></span></p>
<p style="text-align: center;" class="youtube"><iframe width="425" height="355" src="https://www.youtube.com/embed/JmRkWxmlCcs" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> <br /> <a href="http://jp.youtube.com/watch?v=JmRkWxmlCcs" target="_blank" class="title" rel="noopener">YouTube: The Byrds (ザ・バーズ) / Ballad of Easy Rider 「イージー・ライダーのバラード」</a></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■『さすらい』の主人公「ヒロシ」は、横浜の山手通りで他人のバイクを勝手にエンジンふかしてイタズラしているところを佐々木昭一郎に発見されスカウトされた。15歳だった。父はアメリカ人で母は日本人。混血孤児で、エリザベス・サンダースホームの出身。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>栗田ひろみも、佐々木が発見した。佐々木の友人(池田)の知り合いで「妹っていうイメージで12,3歳の子供が要るんだけど、ちょっと色が黒くて目がクリクリしているような子いないかって言ったら、あの子連れて来た」「放送終わったらものすごい電話が鳴るんだ、今の女の子誰ですかって」「1,2年後に大島渚の『夏の妹』っていうのに出た。初出演って、まあ大島さんが見つけたみたいになってたけど、いちゃもんは全然つける気はないけど、ぼくのに最初に出した。」(『創るということ』佐々木昭一郎より)</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>「笠井紀美子は、アメリカに出発する直前だった。彼女が演じた、さすらうシンガーのシーンは、出発3日前に撮った」<strong>(『創るということ』佐々木昭一郎より)</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong><strong>・</strong></strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■佐々木昭一郎の作品の中では、ぼくは『さすらい』が一番好きだ。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>主人公ヒロシは孤児。おとうさんも、おかあさんもいない。兄弟もいない。だから、さすらいながら探し、そして出会う。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>友川かずきは兄貴だ。栗田ひろみは妹。キグレサーカスの綱渡りの女は母親のイメージか。笠井紀美子は、唄をうたう「お姉さん」だ。「交流」するためにアメリカへ行こうとしている。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-bcqeeo r-qvutc0">「</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-b88u0q r-bcqeeo r-qvutc0">ここ</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-bcqeeo r-qvutc0">じゃ</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-b88u0q r-bcqeeo r-qvutc0">ない</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-bcqeeo r-qvutc0">。他のところ。この人じゃ</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-b88u0q r-bcqeeo r-qvutc0">ない</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-bcqeeo r-qvutc0">、他の人。今</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-b88u0q r-bcqeeo r-qvutc0">で</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-b88u0q r-bcqeeo r-qvutc0">は</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-b88u0q r-bcqeeo r-qvutc0">ない</span><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-bcqeeo r-qvutc0">、他のとき。自分じゃない、他の自分……。」</span></strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-bcqeeo r-qvutc0">主人公の青年<span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-b88u0q r-bcqeeo r-qvutc0">は</span>、海から出てきて、また海に帰って行く。</span></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong><span class="css-901oao css-16my406 r-1tl8opc r-bcqeeo r-qvutc0">・・・</span></strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・・・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>■渋谷に生まれ、渋谷で育ち、いま現在も渋谷に暮らす、井上順さん。彼のツイートは、このところ毎朝の楽しみになっている。進行形の渋谷の街並みに溶け込む彼の写真とお決まりのダジャレ。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>そのダンディな装いとは逆に、飾らない人柄が溢れ出た笑顔がなんとも素敵な人だ。最近出たばかりの本『グッモー!』井上順(PARCO出版 2021/10/14)は、変わりゆく渋谷の写真も満載で楽しい一冊だ。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>井上順は、1947年2月、渋谷区富ヶ岡1丁目にあった「井上馬場」に生まれた。少し北へ行くと代々木八幡宮がある。祖父は獣医師で、サラブレッドの輸入にも関与し、経営する馬場には宮様方も乗馬に訪れたという。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>3人兄弟の末っ子だった彼がまだ幼い頃に両親は離婚。やり手の母親は自ら会社を立ち上げバリバリ働いた。今で言えばジャニーズ系のイケメンだった彼が中学1年生の時、母親は彼が将来芸能界で活躍できるかも? とでも考えたのか、彼を「六本木野獣会」に入れる。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>川添浩史・梶子夫妻の評伝『キャンティ物語』野地秩嘉(幻冬舎文庫)にも、120ページに「六本木野獣会」が登場する。渡辺プロダクションの副社長、渡邊美佐が目を付け選んだタレント候補生の集まりで、ジェリー藤尾、田辺靖雄、大原麗子ら約20人のメンバーが、六本木飯倉片町の「キャンティ」近辺にたむろしていたのだった。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>井上順は峰岸徹の弟分となり「キャンティ」隣の写真家の立木義浩氏の自宅にも、よく遊びに連れていってもらったという。そして、彼が16歳の時に、ザ・スパイダースの最年少メンバーとして加入することになる(少し先に加入した堺正章は、彼と同学年だが 1946年8月生まれ)。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>ザ・スパイダースは、リーダーの田邊昭知のマネージメント能力とリーダーシップ、それから、かまやつひろしの新しいものを直ちに取り入れるシャープな感性と音楽センスによるところが大きかったと。メンバーの大野克夫、</strong><strong>井上堯之は、のちに作曲家としても大きな功績を残した。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>田邊昭知はいまや、タモリも所属する田邊エージェンシーの社長だ。奥さんはあの、小林麻美。</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><strong>・</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>追補)井上順さんのツイートを読んでいて驚いたのは、彼が海外ミステリー、ハードボイルド、冒険小説のファンで、新刊も欠かさずしっかりフォローしていることだ。</strong></span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;"><strong>ハヤカワの「暗殺者グレイマン」のシリーズ、講談社文庫マイ</strong></span><span style="font-size: small;"><strong>クル・コナリー「ハリー・ボッシュ」シリーズ、そのほか最近の人気シリーズものや、創元推理文庫のシブいところまで、とにかくよく読んでいてビックリしてしまったぞ。すごいな!</strong></span></p>
<p style="text-align: center;"></p>
<p style="text-align: left;"></p>
ジャズ
映画
音楽
ぶん
2022-02-04T22:56:20+09:00