旅行 Feed

2017年10月 1日 (日)

中川村の陣馬形山(1445m)登山

■日曜日は天気がいいようだったので、4月に守屋山へ行って以来の山登りを決行。目指すは、頂上から360度の展望が素晴らしいと噂の、中川村「陣馬形山」1445m。

午前8時半に家を出て、9時23分に麓の駐車場を出発。登山口までの2kmの車道の登りが結構キツくて、登山道に入る前にすでにバテ気味で情けない。

じつは、陣馬形山の山頂は「村営キャンプ場」になっていて、舗装された林道を頂上の直近まで自動車で行くことができるのだ。それを徒歩で登る登山道は、この林道を6回横切って直登する。2時間かかった。キツかったな。

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■写真は、登山口から登り始めて60分で到着する「丸尾のブナの木」。樹齢600年! 文明元年(1469年)に、地元の庄屋・宮沢家が諏訪大社へ御神木となるよう植林し、奉納したという。その頃の世の中は、ちょうど「応仁の乱」で京都は荒んでいた。そう室町時代だ。

凄いねぇ。そういえば、長谷川義史さんの絵本デビュー作『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』(BL出版)について書いた時に、同じ思いをしたのだった。

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■丸尾のブナから、さらに登ること45分。ようやく山頂に到着。人がいっぱい。みな自動車で来た人ばかりなんだけどね。

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

■噂に違わず、素晴らしい眺めでした。眼下の伊那谷河岸段丘。正面には中央アルプスの空木岳と南駒ヶ岳。振り返れば、南アルプスが北の端の鋸岳から仙丈ヶ岳→北岳→間ノ岳→西農鳥岳→塩見岳→悪沢岳→荒川岳→赤石岳→聖岳。みんな見えたよ。

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

■午後2時過ぎに下山して、車を駐車した麓の喫茶店「base camp COFFEE」でアイスコーヒー。美味しかった! 他のお客さんたちはみな「スープカレー」を食べていたぞ。これまた美味しそうだったな。

ここは、JAのスーパー「Aコープ」があった場所で、「この紹介記事」とか、最近出た朝日新聞の記事が、なかなかいいんじゃないか?

この次は、スープカレーを食べに来よう!

2017年7月11日 (火)

映画『バンコクナイツ』を観てきた。+『満月』豊田勇造


YouTube: 豊田勇造「満月」

■この間の日曜日、松本へ映画を観に行ってきた。以下は帰宅後寝る前、酔っぱらって一気に連続ツイートしたので、恥ずかしい間違いだらけだったのだが、訂正して再び載せます。

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松本シネマセレクト企画、富田克也監督作品『バンコクナイツ』を、まつもと市民芸術館へ観に行ってきた。3時間強の上映時間だったけど、今日は座蒲団持参だから尻は痛くない。それにしても見終わった頭の中が未だカオス状態で、うまく言葉に出来ない。それに、じつはタイへは一度も行ったことないんだ。(7月9日)

今まで見たことのない不思議な映画だったな。角田光代の旅エッセイを読みながら、行ったこともない東南アジアの熱帯夜を体感したような。いや違うな。牯嶺街少年たち「外省人」家族が、台湾で生きてゆくしかない閉塞感に苛まれたように、もはや日本に帰ることはできない「沈没組」の菅野の言葉にこそ「リアル」を感じた。

映画『サウダーヂ』は観てないんだ。ただ、菊地成孔氏が絶賛しているのをブログで読んでたし、ラジオで菊地さんが『バンコクナイツ』にはクラウドファンディングで、そこそこのお金を出していると言ってるのも聴いた。さらに、作家の山田正紀氏がツイッターでめちゃくちゃ褒めているのも読んだ。だからこそ見に来たんだ。

 

上映後のアフタートークに登壇した共同脚本の相澤虎之助さんの話が示唆に富んでいたなぁ。一つは「楽園&桃源郷」の意味するもの。それから、元自衛隊員オザワが、パタヤビーチで元ベトナム帰還兵の老人から購入した45口径(9mm)の拳銃の使いみちに関して。あのラスト、荒井晴彦氏からは怒られたとのこと。

監督の富田克也氏が自ら演じた、PKOでカンボジアに投入された元自衛隊員オザワだが、彼が醸し出す不思議と醒めた(諦めきった)雰囲気。以前にもどっかで観た気がして家に帰るまでずっと気になっていたんだ。あ、そうだ。日活ロマンポルノの傑作、田中登『まる秘色情めす市場』の主人公、芹明香がシャッターが閉まったアーケード商店街で出会った、指名手配の殺人犯そっくりの男だ。

芹明香は、いまだに同業(娼婦)を営んでいる母親(花柳幻舟)を心底憎んでいる。そんな母親が産み落とした弟は白痴だ。飛田遊郭街を死ぬまで出て行くことが出来ない諦め。そのとき「ここより他の場所」へ彼女を連れ出してくれるかもしれなかったのが、あの指名手配の殺人犯そっくりの男だった。

バンコク「タニヤ通り」で日本人相手に体を売るヒロイン「ラック」と、飛田新地で売春する「トメ」(芹明香)は、じつは境遇がよく似ている。そういうことに思い至った。

映画『バンコクナイツ』。カメラがね、とにかくすばらしい! バンコク夜の歓楽街。国北イーサン地方の、とうとうと流れるメコン川を高所から見下ろすシーン。夕闇。いつも満月。ラオスの田舎の山。ベトナム戦争の時、アメリカ軍が空爆して出来たラオスの沢山のクレーター。ぜひとも行ってみたいと思ったよ。

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■この『バンコクナイツ』という映画は、観客を選ぶと思った。若い頃、国内外を彷徨った経験のある、かつてのバックパッカーは、圧倒的共感をもって激賞するだろう。間違いない。だから、ぼくは映画を見終わった直後に思い浮かべたのは、作家の角田光代さんであり、6つ年が離れた成田の兄貴のことだった。

兄貴は学生時代から世界各国を旅して廻っていた。ヨーロッパも東南アジアも。60を過ぎたいまだに旅を続けている。南米マチュピチュ、カンボジア、イギリス、ポルトガル。未だ行ったことのない所は、南極大陸ぐらいじゃないか。

兄貴がなぜ旅に出るのか? よく分からなかった僕は、大学3年生の夏休みに兄貴のバックパックを借りてヨーロッパ1周1ヵ月半の旅に出た。いろいろなことがあったよ。貴重な体験だったと思う。

そんなようなことを、小児科医になってから当時の助教授に偉そうに話したんだ。そしたら、助教授は言った。「君は、インドへ行ったことはあるか? 俺は行ったことがある」と。

 

恥ずかしかったなぁ。何を偉そうに「旅」を語っていたんだ、オレは。

ぼくは東南アジアを旅したことがない。そんな奴に「旅」を語る資格なんかないのだ。間違いない。

 

この映画『バンコクナイツ』を観ながら、あの時の助教授の言葉をリアルに思い出していたよ。

旅とは何か? そのことは長年の謎だった。

日本各地を旅して廻っていた学生の頃、ぼくが考えていたその定義とは、

   旅行:おみやげを買って帰る 

   旅: おみやげは買わない

つまり「旅」とは、非日常の中に「日常」をたぐり寄せる作業。だからもちろん、おみやげは必要ない。その観点からすると、映画『男はつらいよ』の主人公「寅さん」には、お土産を買って「帰って行く場所」が常にあった。

■この、結局は失敗しても常に帰る場所があるってことが、寅さんの甘えだったワケだ。でも、映画『バンコクナイツ』に登場する日本人はみな、帰る場所がない。そのことは重要だと思う。

ぼくはとっくの昔に「旅すること」を止めてしまったのだけれど、いまだに諦めきれず「ここより他の場所 = 楽園」を夢見て、異国のバンコクで蠢いている日本人たち。あぁ、哀れなのか? それとも……。

■映画『バンコクナイツ』には、何度も夜空に月が出ている。しかも、いつも「満月」なんだ。少し前に観た、急逝したマレーシアの女性監督の映画『タレンタイム』にも、満月が何度も登場した。

月は女性の象徴だ。そう思ったよ。

それから、『タレンタイム』と『バンコクナイツ』の重要な共通点が「音楽」だ。ワールド・ミュージック好きを自称するこのぼくが、聴いたこともない超ローカルな地元音楽にあふれているんだ。これ、ちょっと凄いよ! 

タイの東北部、ラオス国境に近いヒロイン「ラック」の生まれ故郷「イーサン地方」にカメラが移動すると、彼女は祈祷所のような部屋に行って、イタコのおばさんが古い物語を語り出すんだ。「モーラム」という語り芸なんだって。このオバサン、次第に語りが「謡い」みたいになって朗々と唄い出す。このシーンはゾクゾク来たな。

あと、メコン川のほとりでオザワが出会う革命詩人の幽霊。ミスター・マリックみたいな風貌で飄々としていて、なかなかに味わい深かった。

■で、映画の最後。エンドロールもそろそろ終わりかと思う頃、流れ出すのが、この豊田勇造さんが唄う『満月』って曲。タイでは誰でも知ってる名曲なんだって。沁みるよね。

■検索したら、監督の富田克也氏への「ロングインタビュー」があった。ビックリだな。最初は、映画作りに関してまったくの素人だったんだね。

 

2015年6月28日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その115)東京都大田区南千束「大岡山幼稚園」

■これまた、ずいぶんと前の話になってしまいましたが、さる 6月7日(日)われわれ「伊那のパパズ」の5人は、朝7時に「やまめ堂」に集合し、宮脇さんの運転するホンダ・ステップワゴンに同乗させてもらって、一路「東京」へと向かったのでした。

めざすは、東急目黒線と大井町線が交差する「大岡山」の東京工業大学キャンパス近くに位置する「福音ルーテル協会:大岡山幼稚園」だ。なんと! 今回ぼくらは東京初進出なのだった。

日曜日の「中央道」上り線は案外空いていて、順調に都内に入った宮脇ステップワゴンは、高井戸インターを下りて「環八」を南下。田園調布が近づくと、高級外車のショールームばかりが目に付く。東横線を横切って、さらに南へ。途中で左折し、ナビの指示どおりに狭い一方通行の道路を何度も曲がってゆくと、あーら不思議。一度も迷うことなく、午前10時過ぎに「大岡山幼稚園」の正面に到着したのでした。すごいぞ、宮脇さん。

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■そうして、この日の会場となったのが、なんと! 教会の礼拝堂なのでした。

おいおい、神さまの前でやるのか。やっていいのか? (^^;;

やりましたよ。『うんこしりとり』。ごめんなさい。

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    <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ

2)『このすしなあに』塚本やすし(ポプラ社)→伊東

3)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→伊東

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4)『ふってきました』もとしたいずみ・文、石井聖岳・絵(絵本館)→北原

5)『かごからとびだした』(アリス館)

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6)『ねぎぼうずのあさたろう』飯野和好(福音館書店)→坂本

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7)『バナナ事件』高畠那生(BL出版)→宮脇

8)『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)

9)『おーいかばくん』

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10)『じごくのそうべえ』田島征彦(童心社)→倉科

11)『ふうせん』(アリス館)

12)『世界じゅうのこどもたちが』(ポプラ社)

13)『大阪うまいもんのうた』長谷川義史(佼成出版社)→アンコール

終了後、再びステップワゴンに同乗し、首都高目黒線から新宿に向かって再び中央道。夕方7時まえに伊那に帰り着きました。宮脇さん、行き帰りの運転、ほんとうにありがとうございました。

ぼくは後ろの席に乗ってるだけで楽だったワケだけれど、そうは言っても、東京日帰りは正直つかれたな。ほんと。みなさまお疲れさまでした。

2013年4月 3日 (水)

日曜日は、野沢温泉村→飯山市→飯綱町→長野市と移動

■春休みに何処へも出かけないのは淋しいって、息子たち(高1&中2)が言うのだ。でも、休みに入ってほぼ毎日「部活」がある彼らは忙しい。少なくとも、3月24日(日)の「春の高校伊那駅伝大会」が終わるまでは、2人とも身動きが取れないのだった。

で、ようやく予定のない週末(3/30〜3/31)に野沢温泉まで行ってきた。スキーはしないで、ただ「温泉三昧」に浸りたいというご所望だったのだ。


■野沢温泉で我が家が定宿としているのは「村のホテル住吉屋」だ。でも、息子等の予定が決まらないうちに、3/30(土)は何時しか満室になっていた。仕方ないので「大湯」の手前にある「常盤屋」を予約した。ここの内湯は、なかなかに良いのだよ。実は、20年近く前に一度泊まったことがあるのだ。

■伊那から野沢温泉までは案外近い。車で2時間とちょっとで着いた。車から降りると、周囲に硫黄の臭いがたちこめている。この臭いは渋温泉にはない。予想外に雪が少なくて驚いた。あれだけの豪雪地帯なのにね。ぼくが中野市や飯山市に住んでた頃のほうが、もっとこの時期残雪は多かったんじゃないか?

「常盤屋」では、3階の角部屋しか空いてなかったから、ちょっと高くついたが、お料理が予想外に美味しくて大満足だった。京風の上品な薄味で統一されているんだよ。なかなかの板前さんだと思った。

夕食後は手拭い肩に「外湯」巡りだ。「大湯」→麻釜で足湯と温泉玉子→「麻釜の湯」→「上寺湯」→「河原湯」と廻って帰宿。部屋に戻って、もう一度内湯に入る。やっぱ、掛け流し温泉は最高だなぁ。


■翌日の日曜日、チェックアウトして飯山「仏壇町」へ。ここには「高橋まゆみ人形館」があるのだ。初めて訪れたが、ここはいい! なるほど、団体観光バスが必ず寄る飯山新名所だ。

飯山を後に、一路三水村へ。あ、今は牟礼村と合併して「飯綱町」になったんだった。ここには「サンクゼール」のワイナリーがある。

ここのレストランで、一昨年の秋に姪が結婚式を挙げた。思い出に残る、素晴らしい結婚式だった。で、もう一度行ってみたくなったのだ。予約はしてなかった。季節外れのシーズンだからね、レストランがやってるかどうかさえ不安だったんだ。

ところが、次から次へとお客さんがやってくる。いつしかレストランのテーブルはほとんど満席になっていた。驚いたね。そうして、出てきたお料理の美味しかったことといったら! いや、ほんとビックリ。キッシュとビーフシチューのコースだったのだが、これほどのキッシュも、ビーフシチューも食べたことはないな。ここのシェフは、ちょっと凄いんじゃないか?


あと、アフリカのタンザニアから三水村の農家に嫁に来た、フィディアさん がいいんだよ。明るくってさ。あの笑顔と不思議な髪型。うちの妻はすっかりフィディアさんと打ち解けていた。アンドレア先生みたいな感じでね。
帰りに駐車場に駐められた車のナンバープレイトを見たら、そのほとんどが地元「長野」ナンバーだった。愛されているレストランなんだね。

さて、それから長野駅前までは40分くらいだったか。長電の立体駐車場に何とか車を駐めて、妻と息子たちは「東急シェルシェ」に買い物。ぼくは早足で「平安堂長野本店」に向かう。この日、午後2時から3時半まで、平安堂3Fのカフェで「岸本佐知子&松田哲夫 トークショー&サイン会」が開催されるからだ。(これからようやく本題に入ります。すみません)


2011年12月31日 (土)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!(その2)

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■翌日は、大槌町から釜石を通過し、さらに南下して陸前高田へ。

陸前高田には全国的に有名な「日本ジャズ専門店・ジャズ喫茶ジョニー」があった。日本のジャズにとことんこだわった照井顕、由紀子ご夫妻の店だ。ぼくが訪れたのはお昼ころだったか。ジャズ喫茶といっても食事もできる。ダジャレばかり言うマスターと、素敵なママが歓待してくれた。うれしかったなあ。スピーカーも日本製の名器、ヤマハNS1000。


ジョニーという名前は、五木寛之の短編小説『海を見ていたジョニー』からきている。だから、同名タイトルで陸前高田ジョニーでライブ録音された坂元輝トリオの演奏を「Johnny's Disk Record」という自主レーベルでレコード化した。ぼくも陸前高田から郵送してもらって購入したのだった。レコード解説を、なんと五木寛之が書いている。「縄文ジャズ」とはうまいこと言うなぁ。


当時、東北(特に岩手県)のジャズ文化は、日本の他の地域とは違って、独特の結束力でもって平泉の藤原氏のごとく絢爛たる栄華を誇っていたのだ。


この日は、白い砂浜に樹齢300年を超える約7万本の松が続く「高田松原」の中にあった
「陸前高田ユースホステル」
に泊まった。ほんと、ユースホステルらしいユースホステルだったなぁ。現在の姿が「Wikipedia」にあった。あの「1本松」のすぐ側に建っていたのか。


「陸前高田ジョニー」も、3.11 のあの日、オーディオもレコードもお店も、すべてが津波に流された。


震災後、ジョニーがどうなってしまったのかすっごく心配してネットで検索したら意外な事実が判明した。照井顕、由紀子ご夫妻は 2004年に離婚し、ご主人は陸前高田を離れ、盛岡で「開運橋のジョニー」を経営。奥さんの由紀子さんが「ジャズ喫茶ジョニー」を引き継いだのだった。


「Johnny's Disk Record」の1枚目はベース奏者中山英二さんのレコードで、「彼のブログ」に陸前高田のジョニーの現在のすがたが載っていた。


そうか、よかった! 店は流されたけれど、ママさんは助かったのだ。しかも、この9月から仮設店舗で営業を再開したとのこと。さらに、ジャズ・ライブも再開。ガンバレ! ジャズ喫茶ジョニー。


さらに、大槌町「クイーン」も津波にすべを流された。マスターの佐々木賢一さんと娘さんは逃げのびたが、奥さんは波にさらわれて亡くなってしまったという。悲しい。

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■旅の終わりは、ジャズ喫茶の聖地、一関「ベイシー」。前日は花巻の駅で寝袋にくるまって寝たのだが、出してた顔だけあちこち蚊に刺された。睡眠不足が続いた一人旅で、疲れていたし弱気にもなっていたな。


「ベイシー」のテーブルで、持参したB6サイズの「旅ノート」に「東北の人たちは冷たい」とか「旅はつらい」とか何とか、いま考えればとんでもなく勘違いで失礼なことを書き綴った。ほんとうにごめんなさい。


書き終えたノートを、入口レジ横に置かせてもらったリュックに戻し、深々とソファーに座って一人ジャズに聴き入った。噂には聞いてたが、ライブの音よりもホンモノの音がするJBLサウンドに驚愕した。特に、コルトレーン『クレッセント』(インパルス)での、エルビン・ジョーンズのシンバル!


ふと見上げると、眼の前にマスターの菅原正二さんがニカッと笑って立っていた。

「おい、学生さん。どこから来たんだい?」「そうか、まぁいいから飲め」そう言って、テーブルにウイスキーのボトルをどんと置いたのだ。


「おい、学生さん。ピアノは誰が好きだ?」
「はい、ウイントン・ケリーが一番好きです。」「ほぉ。そうかい」
「あの、リクエストいいですか?」
「おぉ、いいぞぉ!」


「『ベイシー・イン・ロンドン』のB面、コーナーポケットをぜひ聴きたいんです」


本来なら、このレコードはA面が圧倒的にいい。でも、この時マスターの菅原さんは嫌な顔ひとつせずB面をかけてくれたのだ。しかも、スピーカー前のドラムセットに座って、自らレコードに合わせてドラムをたたいてくれた。ほんと感激だったなぁ!


すっかりご馳走になって、深夜近くに店を後にしたぼくは、一関の駅から夜行列車に乗ってアパートへ帰っていったのだった。


列車の中で、この夜の感動を忘れないうちにノートに書き留めておこうと思い、件のノートを開いたら、書きかけのページに「ベイシーの猫のスタンプ」が押してあった。「あっ!」ぼくは顔が真っ赤になった。マスターの菅原さんに、あのノートに書き殴ったとんでもない愚痴を読まれていたのだ。ほんと恥ずかしかったなぁ。


ごめんなさい、菅原さん。そして本当にありがとうございました。


あの時のお礼をいつかしたい。ずっとそう思ってきた。


そしてようやく、先日になって「岩手ジャズ喫茶連盟」宛に義援金5万円を送った。妻に内緒にしていた「へそくり」から工面したのだ。ちょっとだけ、片の荷が下りた気がしたが、いや、まだまだこれから継続的に東北を支援してゆくことが必要に違いない。


大槌町「クイーン」の佐々木賢一さんも、陸前高田の照井由紀子さんも、どっこい生きてる。がんばっている。


これからも、ずっとずっと応援していきますよ!


来年こそ、みなさまにとって「よい年」になりますよう、心からお祈り申し上げます。


それではみなさま、よいお年を!

2011年12月30日 (金)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!

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■医学部同級生の菊池に夏用のシュラフを借り、東京在住の兄貴が使っていたバックパックを背負って、土浦から常磐線の青森行き夜行列車に飛び乗ったのは、あれは何時のことだったか? 1980年?いや、1981年か。いずれにしても、今から30年も前の話だ。


確か、B6サイズのノートに旅行記をメモしていた記憶があるから、あのメモ帳が取ってあったらなぁ。残念ながら見つからない。夏休みだった。たぶん。この時の旅の目的は「岩手県ジャズ喫茶めぐり」だ。


盛岡が最初だったかな。城趾の近くの川の畔に『ダンテ』っていうジャズ喫茶があった。2年前に盛岡で日本小児科学会があった時に再訪したら、場所は移転していたけれど『ダンテ』は現存していてビックリした。大音量のスピーカーに黙って対峙する大学生やビジネスマンなど男性客ばかりの店内は、まるで1970年代の硬派ジャズ喫茶そのものだったな。


盛岡から山田線に乗り、岩泉線に乗り換え日本三大鍾乳洞のひとつ「龍泉洞」へ。そのあと宮古まで行って、少し北上し「田老」で下車。


あのころはまだ、宮古市ではなくて「田老町」だった。小さな町には「あまりにも不自然な巨大な防波堤」が目を見張った。そこまですることないじゃん。正直そう思った。だって、あまりに巨大で高くて完璧すぎる堤防だったから。その防波堤の右端に石碑が立っていた。明治と昭和のはじめにこの地を襲った巨大津波の記念碑だった。こんな高いところまで津波が来るワケないよ。ぼくはその時ホントそう思ったのだ。でも、そうじゃなかった。


■宮古から少し南下し、釜石の3つ前の駅が「大槌」だ。大槌町には、岩手県最古のジャズ喫茶「クイーン」があった。確か、町役場近くのメイン商店街に面していたような気がする。マスターは佐々木さん。店にぼくが到着したのはすでに夜だったと思う。この日の宿泊先は決めていなかった。菊池に借りた寝袋があるから大槌の駅舎で寝ればいい、そう考えていたのだ。


「クイーン」店内の記憶はある。大きなスピーカーの前にLPが無造作に置かれていた。地元の常連客で賑わう店内は、よそ者にはちょっと居心地は悪かった。夕飯を食った後も粘って、閉店近くまで店にいたような気がする。タバコを何本も吸った。髭の店主には、ちょっと恥ずかしくて話しかけれなかった。シャイなんだ。今もね。


店を出て、駅舎に戻った。寝袋を出して寝ようとしたら、駅員の人が出てきて「ここで寝てもらっては困る」と言う。仕方ないので、その駅員さんに紹介してもらった近くのビジネスホテルに行くが、どうみても面倒な事態には巻き込まれたくないわと顔に書いたような女将が出てきて「今夜は満員でお泊めできる部屋はありません」と断られた。


仕方なくぼくは、それから大槌の町を深夜まで彷徨って、まるで「つげ義春」が好んで泊まるような木賃宿に辿り着き一夜の部屋を得ることができたのだった。(つづく)


2011年1月 5日 (水)

お正月、志賀高原へスキーに行った。

■今年の正月休みは、1泊2日で志賀高原へスキーに行ってきた。

毎年、志賀高原に家族でスキーに行く。
ここ数年の定宿は、湯田中温泉入口にある「やすらぎ」だったのだが、今年は温泉街の雰囲気を味わおうと、初めて渋温泉の「さかえや」に泊まった。1月2日の夜のことだ。

お正月料金だったから高いのは仕方ないし、ぜんぜん期待してなかったぶん、意外とよかった。

特にお料理。ずいぶんと努力している。それがわかる。
なんて言うか、その、旅館スタッフ全員で頑張っている感じが、料理に顕れていたのだよ。決して洗練されている訳ではないのだが、「さかえや」だけのオリジナリティにこだわって、すっごくがんばっているのだ。宿泊したお客さんがみな満足していただけるよう、私たちはつねに最大限の努力をしてます感、に溢れていたのだな。


まだ若いスタッフ中心のそういう感じは、泊まってみてとっても気持ちがよかった。
「さかえや」。もう一度泊まってもいいな。そう思ったよ。
温泉もよかったし。


夕食後、温泉街に繰り出す。外湯めぐりに行くのだ。
渋温泉は、何故か夜遅くなっても「若者たち」であふれかえっていた。
いつになく、賑わっていてビックリしたな。射的場も家族連れや若者で満員!


どうも、プレステで発売された「モンスターハンターポータブル3rd」とのコラボ企画で。この「渋温泉」に若者たちが集まって来たみたいなのだね。温泉まんじゅう屋さんでは「コクモまんぢう」が売り切れだったし、例の『千と千尋の神隠し』の「油屋」のモデルとなった「金具屋ホテル」の前では、アキバ系の青年たちが皆で写メ撮ってたし。


久しぶりで「大湯」に行ったら、すんなり浸かれて驚いた。昔はすっごく熱くて、すぐには肩まで浸かれなかったのに。それに、水でうめると地元の人にえらく叱られたっけ。

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■翌1月3日は快晴。丸池スキー場で、スノーボードの初心者スクールに入った長男を置いて、ぼくらは横手山スキー場へ。午前10時前着。ボードレンタルや、スクール入学手続きで時間がかかってしまったのだ。



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お昼は、例によって(って言うか、毎年これが食べたくて横手山山頂までやって来るのだ!)「横手山頂ヒュッテ」。ここ数年、正月でも空き空きの志賀高原でも、お昼時の横手山頂ヒュッテは大混雑!


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この冬の樹氷は見事だなぁ。

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2010年9月 6日 (月)

外来小児科学会で、福岡に行ってきた(その3)

さてさて、無事ぼくが担当したWSも修了し、ランチョンセミナーは西村先生のオカルト・バクテレミアのはなし。西村先生は、いつも説得力のある講演をするなぁ。感心する。午後は、Meet the Expert #6「21世紀の子育て事情」を聴く。あきやま子どもクリニック院長の秋山千枝子先生の講演に感銘を受ける。すごく示唆に富んだ講演だった。それから「子どもの村・福岡」が誕生した経緯と意義がよく分かったこともよかったな。


土曜日の午後は、本当は総会から会頭講演、特別講演と聴いて、懇親会に出席する予定でいたのだが、日曜日の朝、福岡空港発 7:40 の飛行機に乗るとなると、お土産を買っている時間がない。それはマズい。


というワケで、MTE 終了後に歩いてホテルに戻り、天神の繁華街まで行って、デパ地下で美味しそうな「めんたいこ」を探す。本当は『極楽おいしい二泊三日』さとなお著(文藝春秋)の、215ページに載っていた「きよ味や」の「辛子めんたいこ」が欲しかったのだが、どこにも売っていない。あとで家に帰ってからネットで調べたら「こんなサービス」もあったんじゃん。福岡へはこの MacBookを持参しなかったので、ホテルフロントで「きよ味や」をネット検索してもらったのだが、この日のフロントの兄ちゃん、てんで要領をを得ない人で、検索ダメダメ人間だったのが実に残念だった。


で、仕方なく「岩田屋」で「福さ屋」の「辛子明太子のたたき」廉価版を購入し、クール宅急便で配送してもらうことにした(でもこれは正解で、先日食ったが実に旨かったぞ)。さて、夕食はどうするか? 今日も一人だ。となると、鮨だな。玄界灘の新鮮な魚が食べたい。福岡に来る前に調べた時には、博多駅前のビルの地下に「やま中」があって、ここにしようと考えていたのだが、先ほどの『極楽おいしい二泊三日』を紐解くと、212ページに「吉冨寿し」が載っていた。長浜生鮮市場の近くにある「この店」を、あの「さとなお」さんが絶賛していたのだ。


となると、ここに行ってみるしかないでしょう!
天神繁華街から北に向かって歩いて行き、RKB九州放送局の角を左折して、長浜方面へ延々と歩く。地図によると、この通り沿いの左側、福岡市立少年科学文化会館を通り過ぎて浜の町公園の手前にある。さんざん歩いてちょっと迷い、ようやく「吉冨寿し」を発見。ところが、店のカウンターはお客さんでいっぱいで、無情にも、入り口には「本日は閉店しました」の看板。やはり予約してこなければ無理だったんだなぁ。残念。


伊那に帰ってから、このあたりの地図をもう一度確認してみたら、例の「長浜ラーメン抗争」の3店は、浜の町公園を過ぎたあたりの、この通り沿いにあったのだな。でも、この日は挫けてしまって、そのままUターン。とぼとぼ歩きながらふと見上げると「長浜屋台 一心亭本店」の看板。鮨は諦めて、本場の長浜ラーメンでも食って帰るか、そう決めて店ののれんをくぐった。ひろい店内はすいていて、カウンターにタクシーの運ちゃんが一人。テーブル席には地元の家族連れが2組。客はそれだけ。観光客は一人もいなかった。


生ビールとAセット(ラーメン+餃子)600円を注文。ほどなくラーメンが運ばれてきた。熱々のスープはかなり濃厚な豚骨スープなのだが、変な「けもの臭さ」はまったくない。麺は堅めで好みの歯ごたえ。残念だったのは、高菜は別トッピングメニューになっていて有料だったことだ。紅ショウガは無料だったけどね。ここの長浜ラーメン、ぼくには十分美味かったぞ。替え玉は80円で、家族連れのお父さんは2人とも、替え玉を注文していたな。ぼくは、カロリー・オーバーになってしまうので、ぐっと我慢したが。


中洲まで戻ると、川沿いの屋台では外来小児科学会の懇親会を終えた小児科の先生やスタッフの皆さんが大勢で盛り上がっていた。実はぼくはもう一軒、行くことに決めていた店があった。ジャズ喫茶「リバーサイド」だ。TSUTAYA が入る、Gate's の南側の川沿い2階に、店は確かにあった。うれしかったな。


じつは、30数年前にぼくはこの店を訪れている。学生時代、東京駅から鈍行列車を乗り継いで九州までやって来たことがあった。宿泊はユースホステル。でも、土曜日の夜だけオールナイトの映画館で朝まで眠ることにしていた。あのとき、大分、別府、臼杵と廻って福岡入りしたのは土曜日だった。当時、全国ジャズ喫茶巡り、というのもやっていたので『ジャズ批評・ジャズ日本列島55年版』を見て「リバーサイド」に辿り着いたのだ。記憶では店は2階にあって、ピアノが置かれていた。浅川マキを細くしたような、黒ずくめのママが一人で店にいた。たしか、ビル・エバンズが大きなスピーカーから流れていたな。


深夜まで粘ってから店を出て、結局泊まったのは中洲の映画館。日活ロマンポルノを上映していた。座席は硬いし、場内は異様な雰囲気だし、ぼくはぜんぜん眠れずに朝を迎えたのだった。そんなかんなを、つい昨日のことのように思い出していた。



2010年8月30日 (月)

外来小児科学会で、福岡に行ってきた

8月27日(金)28日(土)29日(日)と、福岡で日本外来小児科学会があって、一人で九州まで行ってきた。


当初、高速バスで名古屋へ出て、あとは新幹線という行程を考えていたのだが、23日(月)の深夜、暑くてぜんぜん眠れないので仕方なく起き出してきて、ネットで新幹線の運賃とか調べてみたら思いのほか結構かかる。それなら、飛行機は? と、松本空港(13:35 発)→ 福岡空港(15:05 着)FDA (Fuji Dream Airlines) を調べてみたら、まだ割引チケットで空席があって、片道 24,400円とのこと。それなら、割高でも飛行機の方が楽だなと、深夜の2時半過ぎに「ぽちっ」とチケット購入ボタンを押してしまったのでした。


ただ難点があって、帰りの便が日曜日の早朝、福岡発(07:40)→ 松本着(09:05)1日1便しかないのだ。車で行って松本空港の無料駐車場に駐めておくので、帰りは新幹線という訳にはいかない。月曜日の朝着では、診療に間に合わないので、日曜日も午後の市民講演会まで聴いて帰るつもりだったのだが、あきらめて日曜日の予定をすべて止めにした次第。


28日(土)の午前9時から、ぼくがリーダを勤めるWS「あなたも絵本の読み聞かせに挑戦してみよう!」があるので、金曜日は朝から1日臨時休診としてあったのだが、ゆっくりと午前11時過ぎに家を出て、途中塩尻のブックオフへ寄り道。諸星大二郎のコミックスを4冊と堀晃『遺跡の声』(創元SF文庫)を購入。それでも、フライトの1時間以上前に松本空港へ到着した。この6月から就航したFDA機は、80人乗りの小さなピンクの機体がかわいいジェット機だったよ。


松本空港は山里の谷間の空港なので、離陸後高度を上げるために松本平を2回ぐるぐると旋回して高度を稼ぐ。でも、小さいながらもジェット機は快適だ。ドリンクとシャトレーゼのお菓子のサービス、キャンディも配ってくれた。で、午後 2:55 には福岡空港着。地下鉄で10分も乗らないうちにJR博多駅に到着した。


JR博多駅中央改札前で、WSサブリーダーの住谷先生と待ち合わせ、バスで移動して福岡国際会議場5階のWS会場と、子供たちの前で絵本の読み聞かせ実践をさせていただく、学会会場から徒歩10分の所にある「みなと保育園」の下見。まずは酒瀬川園長先生にご挨拶。きれいな保育園で、全館クーラーが効いている。子供たちもみな人懐っこい。これならいけるな、大丈夫だ! ぼくはそう確信した。


夜は先輩と約束があるという住谷先生と別れて、宿泊先のデュークスホテル中洲へ。福岡の歓楽街、中洲の北の外れにある。この日の夕飯はすでに決めてあった。「さとなお」さんのサイトで知った、居酒屋「久米」だ。場所がよく判らなかったので、ホテルのフロントで調べてもらって、タクシーに乗り込む。天神から国体道路を西へ進んで、警固(けご)小学校の通り(大正通り)に左折。しばらく行って秋本病院を通り越してすぐの左手にあった。ほとんど目立たない小さな古い店なので、タクシーの運ちゃんは見逃して通り過ぎてしまったよ。


一人きりだったので、店に入るのに勇気がいった。予約なしだったが、ラッキーにもカウンター席が空いていた。ぜんぜん気取ったところがない店で、女将さんも人懐っこい下町のおばちゃんといった感じで、ひとりの一見さんにもかかわらず優しく親切に応対してくれて助かったな、ほんと。

食べたものは、石鯛刺身の昆布じめ、牛テールの塩焼き、しいたけ、おでん(だいこん、いわし団子)、それに、〆の「中華そば」。いやぁ、本当にどれもこれもしみじみ旨かったなぁ。牛テール肉のとろける柔らかさ、薄めの上品な出汁が効いた大根、焼き椎茸にはだし汁をかけて一味唐辛子が少量ふってあって、噛みつくと口の中にじゅわ〜っとだし汁が沁みだしてくるのだ。たまりませんね。

そうして、小ぶりのお椀に入った中華そば。これが絶品でしたよ。きれいに澄んだスープに極細縮れ麺。福岡なのに、豚骨スープじゃありません。このスープが、今までどこのラーメン屋でも味わったことのない、こくと深みのあるスープでほんと、感動してしまったな。ぜひもう一度行きたい!


久米を後にしたぼくは、満腹で満足しきっていたので、そのまま歩いてホテルまで。途中、天神のブックオフに寄って絵本を物色。なんだ、九州福岡まで来て BookOff かよ。


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