『考えない人』宮沢章夫(新潮社)その2
■前々回、タイトルだけで内容が伴わない記事だったのを反省して、続きを書きます。
書くからには責任持ってきちんとした感想を述べねばと思い、もう一度読んだ。
そして、気に入ったフレーズに付箋を貼った。もう、いっぱい貼った。
でも、その部分をここに書き出してみても、ちっとも面白くないんだな。
ただ、も一度読み終わってしみじみ思ったことは、
やっぱりぼくは、この本に登場する鈴木慶一さんより客観的に見ても「考えない人」だ。判ってはいたが、ちょっとショック。
鈴木慶一氏は好きだ。でも「この本」を読んだら、もっと好きになったよ。
「ここに出るのか」
「でかいなぁ」
「そこまでは考えていなかった」
「マン地下」。頭に「ロ」を付けると、「ロマンチカ」だ。ロマン地下。
人はしばしば「度を越す」のだった。ではいったい、「度」とはなんだろう。
火事は恐ろしい。なにも考えずに、パジャマ姿で外に出る。
以上、付箋を貼ったところを引用してみたが、どこが面白いのかぜんぜん判らないでしょ。
■ところで、新潮社の季刊誌『考える人』では、今でも宮沢章夫氏の「考えない」という連載は続いている。最新刊「はじめて読む聖書」(2010年春号)には、その連載31回が載っている。題して「ちくっとしますよ」だ。これにも笑った。もう、声をたてて笑ってしまったよ。ちょっとだけ引用する。
病院で定期的に検査をしているのは、以前も書いたように一昨年の夏、心臓付近の大きな手術を受けたからだ。レントゲン、心電図、エコーといくつかある検査のなかで、私がもっとも好きなのは、血液検査だ。なぜなら、血液検査は、なにも考えなくていいからだ。だってそうだろう。いったいなにを考える余地があるというのだ。シャツをまくりあげ腕を出す。親指を内側に入れてこぶしをつくる。ゴムの管で腕をきつく縛る。血管が腕の内側に浮かび上がる。(中略)
では、レントゲンを撮られるとき、人はなにか考えているだろうか。
血液検査と同様、なにも考えていないと思われがちだが、じつはレントゲンはさまざまなことを人に考えさせる複雑な検査である。なぜなら、レントゲンが目に見えないからだ。いったい、レントゲンというやつは何者なんだ。もちろん私も、レントゲンがどのように開発されたかについて多少の知識はあるし、「レントゲン」という名前がX線を発見したドイツの学者の名前からきていることぐらい知らないわけではない。たとえば、X線を、日本の科学者が発見していたらどうだったろう。たとえばその人の名が権田原だったらどうだったか。
病院に行くと係の人から言われるのだ。
「宮沢さん。きょうはまず、ゴンダワラの検査ですから」
そんなものは受けたくないのだ。
(『考える人』2010年春号/新潮社 p260〜261)
あははは。ゴンダワラだって!
ゴンダワラ。凄い語感だ。
ラーメンズの「日本語教室」に出てきたら面白いのに。
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