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2021年12月29日 (水)

落語『芝浜』考

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■12月26日(日曜日)の夜、伊那市通り町『旧紙庄』3階屋根裏倉庫にて、入船亭扇里師と AZUMI氏のライヴがあって聴きに行ってきた。旧市役所跡の市営駐車場に車を駐めて「さて」この冬一番の寒波にむせぶ夜に街へと繰り出したのだが「あっ!マスク忘れた!!」あわてて自宅に戻り新品マスクを持って再び駐車場へ。

7時開演なのに、5分遅刻だ。ドアはもう閉め切られている。でも開いた!「紙庄」の急な階段を上ると、まだ始まってはいなかった。よかった! 田口さんの弁によると、未だ来ない僕のことをわざわざ待ってくれていたらしい。ほんと申し訳ありませんでした。

■最初に高座に上がったのは扇里師匠。いきなし「芝浜」かあ?と焦ったら、軽い話『一目上がり』と『持参金』を演じて高座を下りる。寒い夜に、われわれ観客のエンジンをアイドリングしてくれた訳だ。

■続いて「なにわのブルースマン」AZUMI氏がアコースティックギターを抱えて登場。ちっとも歌わずに、延々とギターソロが続く。もう。めちゃくちゃ上手い! 初めて聴いたけど、もの凄いテクニックをさり気なく披露する、さすらいのギター弾き! ひょいひょいとオープンチューニングに変えたり、ボトルネック奏法もあった。しかも、歌声が渋い!!

でも、大阪のブルースマンと言えば、僕にとっては憂歌団の内田勘太郎だし、有山じゅんじ氏だ。もっともっと淀川のドブ臭さに満ちたギター弾きたち。でも、AZUMI氏のギターはちょっと違う。不思議と、コテコテのブルースではないのだな。

何だろう? うん、そう。艶歌(演歌)だ。藤圭子や、そして何故か「三上寛」を聴きながら思い浮かべていた俺だった。ただ、ラストで歌ってくれた、この12月、ちょうど10日ほど前に、十三でのライヴの打ち上げ帰りに拾って乗って、御堂筋をひたすら南へ突っ走るタクシーの運転手のことを歌った「トーキング・ブルース」。これにはちょっと驚いた。まるで上方落語を聴いているみたいだったからだ。大阪芸人の「ノリ突っ込み」の間。AZUMI氏の語りはまあ絶妙だったのだ。めちゃくちゃ面白くて、やがて寂しき哀愁ただよう余韻がたまらない。大満足でした。

でも、寄席で言えば「トリ」の演者が『芝浜』をやるのを分かっていて、言わば膝代わりの役割(そう言っちゃあ失礼だけれども)の人が、しかもミュージシャンなのに落語家が本職の「語り」を先にやって大受けしちゃって、いいんだろうか? ぼくはそう思ってしまったのです。AZUMIさんごめんなさい。

■暫し休憩のあと、扇里師匠が再び高座に上がる。演目はもちろん『芝浜』だ。この噺のことを立川談志は「年末恒例の第九みたいになっちまったなぁ」と言っていたっけ。談志は、三代目桂三木助が演じた『芝浜』を基本踏襲したが、自分が納得するためにどんどんどんどん進化(深化)させていった。でも『談志絶倒昭和落語家伝』(大和書房)の42ページでこんなことを書いている。

そして桂三木助、十八番中の十八番といわれる『芝浜』は嫌いだ。気障(キザ)なのだ、やりすぎなのだ。出だしいきなり「翁の句に……」、翁、つまり芭蕉である。「芭蕉の句に、明けぼのや、しら魚白きこと一寸……」てなことから入っていく。

 また、朝方の浜辺に立って、「おー、いい匂いだな。この香りは忘れらんない」とか、「おー、帆立が帰ってきやがった。早えェな。ああ、もう帰ってくるところを見るてえと、早く出かけているんだ。働いている人がいる。早い人がいるんだ。怠けちゃあいけねえなあ」。

 つまり、人情的、常識的なものを基準にして始まるこの『芝浜』に、私は嫌悪感すら覚えた。

■そうまで言った談志師匠。この噺を何故か演じ続け、晩年には談志生涯の十八番とまで言われるようになった「大ネタ」だ。不思議なもんですな。


YouTube: 桂三木助 芝浜・音声のみ

■今回、入船亭扇里師匠の『芝浜』を聴いて驚いたのは、この「桂三木助版の芝浜」を正統に受け継いでいることに気付いたからだ。

きょうび、名の売れた落語家さんは皆『芝浜』を演じる。そう思って、手持ちの落語CDを集めてきたら、あるはあるは。古いところでは、三笑亭可楽の『芝浜』。今ではトリしか演じない大ネタなのに、収録時間は何と!わずか16分33秒。シンプルにまとめてはいるが、この噺の真髄はしっかり伝わってくる。とにかくクドくない。実にすばらしい。この可楽の形を踏襲したのが、柳家小三治師だ。TBS落語研究会のDVDを買って持っているのだが、今日は探しても見つからなかった。

■続いては、古今亭志ん朝の『芝浜』。音源は2枚あった。東横落語会での「芝浜」はイマイチだったが、「新選独演会5」に収録されていた「芝浜」は素晴らしい! 本来「三遊亭」のネタであった『芝浜』がどういう訳で「古今亭」のネタになったのか?

『芝浜』という噺は、明治時代の名人「三遊亭円朝」が、「酔っ払い・芝浜・皮財布」の三題噺として創作したとされているが、中込重明著『落語の種あかし』(岩波書店)p33〜68 を読むと、浜辺で金を拾う正直者の話は、1835年(天保6年)刊『百家琦行伝』の中に、すでに登場するという。

ところが、明治大正昭和初期の頃は、この噺はまったく人気がなかった。それが、三代目桂三木助の十八番となる経緯には諸説ある。当時絶大な影響力を誇っていた落語評論家の安藤鶴夫の助言が大きかったことは間違いないらしい。

戦前、何十回も名前を変えた古今亭志ん生。彼も「芝浜」を持ちネタにしていた。ただ、桂三木助は主人公の魚屋の名前を勝五郎(魚勝)とし、拾った財布の中身を42両(残存する音源では 82両)としているのに対し、志ん生は主人公を「魚熊」拾った金は50両としている。

それから、芝の浜で拾った財布の場面は、あわてて家へ帰ってから女房に語って聞かせる形式で、三木助の主人公が芝浜の夜明けを芸術的に独白する場面はない。志ん生は、あんな一人語りはリアル過ぎて夢にはなんねいと一蹴したという。三木助のキザな芸術肌を嫌う談志版でもなるほどこのシーンはカットされていた。

その代わり、妻が主人公に「夢だった」と信じ込ませる描写には、古今亭は手を抜かなかった。

三木助はマクラのあといきなり「ねえ、おまえさん!起きておくれよ。河岸行っておくれよ」と女房が起こす場面から話が始まるが、古今亭では、腕はいいのに酒グセが悪い魚熊の生態を先ずは語る。また、

熊公が財布を拾って帰った後、一寝入りして午後「湯屋」へ行き、長屋の後輩たちを引き連れてドンチャン騒ぎをする場面は丁寧に演じ、これぞ納得がいくリアルだ! とでもいうふうな演出だった。志ん朝版では、セリフが立て板に水で、畳みかけるように早口で次から次へと繰り出され、そのスピード感が聴いていて実に気持ちがいいのだ。

なるほど、いまこうして聞き比べてみると、三木助〜談志〜扇里の「芝浜」には少し無理がある。主人公はどうしてあんなにも稚拙な「女房の嘘」を、いとも簡単に信じてしまったのだろうか? 

■リアリティという意味では、談志が描き出す「女房」像にかなうものはない。3年後の大晦日の晩の二人のやり取りは、談志の『芝浜』が圧倒的によい。この「談志版」の良さと「志ん朝版」の良さとを、上手いこと掛け合わせて演じているのが、柳家権太楼師だ。

権太楼師の『芝浜』を収録した DVD『大師匠:第三巻』には、五街道雲助師との対談がオマケで付いていて、その中で権太楼師は「この噺は、三遊亭圓窓師匠に教わったの。圓窓さんは、先代の金原亭馬生師匠から教わっているから、古今亭(金原亭)なんだよね。」


YouTube: 柳家権太楼(三代目) - 芝浜

■寄席では、権太楼師と絶大な人気を競う、柳家さん喬師の『芝浜』は、同じ柳家なのに「勝五郎」で、でも50両。流れは三木助版だが、湯へ行ったあと仲間と大宴会する場面は丁寧に演じる。後半の大晦日の場面には、二人の子供も登場する。みな何度も演じるうちに、それぞれ工夫を凝らすのが、この『芝浜』という噺の特徴なのかもしれない。

■入船亭扇里師の師匠「入船亭扇橋」の師匠が、桂三木助。林家木久扇師も三木助の弟子だったが、三木助が亡くなった後、扇橋師は柳家小さんのもとへ、木久扇師は林家正蔵門下となった。『噺家渡世』入船亭扇橋(うなぎ書房)90ページにはこんなことが書かれている。

 亡くなる直前だから、15日だったのかなあ。おかみさんが台所に来て、「ちょいと。あんたのこと、お父さんが、泣いて頼んでるから、行ってごらん」っていうから、飛んでったの。

 師匠はあたしを見ると、「俺が死んだら、小さんのところへ行くんだ。そして、『芝浜』やってくれ」と言うんです。そして、小さん師匠に、「『芝浜』を覚えて、こいつに稽古してやってくれ」って、吐き出すように頼んでました。文楽師匠にも言ってましたよ。「稽古してやってくれ」と。あん時は、「ああ、申しわけないなァ」と思いましたね。

 師匠はあたしのことだけを頼んで、三人の子どものことも、おかみさんのことも、何も言わない。

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■それから同書の180ページ。

 三木助の十八番だった「芝浜」。あたしも弟子だから、いつかはやるぞと思っていました。だから、三木助が死んだとき、「師匠の三回忌になったら、やらしてもらいます」って、お墓に約束したんです。あたしには「芝浜」はまだ荷が重かったかど、約束通り、三回忌をすませてから挑戦しました。でも、よその弟子は、すでに「芝浜」をやってんですよね。よくやるなァと思いましたね。

ぼくは残念ながら扇橋師の「芝浜」は聴いたことがない。音源を探して Apple Music を検索してたら、落語の本篇はなかったけれど、扇橋師が師匠三木助を語るインタビューが上がっていた。

https://music.apple.com/jp/album/%E8%8A%9D%E6%B5%9C-%E3%81%AE%E5%87%84%E3%81%95%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B/312120411?i=312120428

聞き所は、三木助師は実際に朝暗いうちに浜へ足を運んで「夜明けの様子」をじっと見ていたと言うところ。そのあと実際に「あの浜の場面」を演じてみせてくれるところ。これは貴重な音源だ。

今回聴いた入船亭扇里師匠の『芝浜』でも、この「夜明けの浜」のシーンを丁寧に大事に演じていたのが、とても印象的だった。今年の夏に同会場で聴いた左甚五郎の噺「ねずみ」でも、入船亭扇橋師匠の話芸が弟子に確かに引き継がれていることを感じて、胸が熱くなったが、『芝浜』でもきっと同じに違いないと思ったのでした。(おわり)

■注1)弟子は師匠の芸を「そのまま」受け継がなければならない、と言いたい訳ではないのです。伝統芸能、古典芸能の一つである「落語」の場合は特に。そこがむずかしい。

「人間国宝」になった落語家は3人いる。柳家小さん、桂米朝、柳家小三治だ。でも、彼らの弟子たちは決して師匠のそっくりさんではない。月亭可朝は米朝の弟子だし、あの名人三遊亭圓生の弟子だったのが、先代の円楽と川柳川柳、そして三遊亭円丈だ。ぜんぜん芸風違うじゃんね。

でも、ドキュメンタリー『小三治』を見た時だったかな。その感想をブログに書いたのを以下に転載。

控え室で、サンドイッチを食べながら三遊亭歌る多を相手にしみじみ語るその背後で、三三さんが一人黙々と稽古している場面が好きだ。食べ終わった小三治師は、おもむろに「お手拭き」で目の前のテーブルを拭きはじめる。


「柳家の伝統だよ、テーブル拭くのは。」
「人に言われて気が付いたんだよ。柳家ですねぇって。」

「そう、明らかにそれは小さんの癖なんだよね。」
「うそだろう!? って、ビックリした。えっ、みんな拭くのって。で、自分が拭いていることも意識にない。」


「そういうところがつまり、背中を見て育つってことかねぇ。気が付かないでやっていることがいっぱいあるんだろうねぇ。気が付いていることもいっぱいある。あぁ、これ師匠だなって、いっぱいある。」


「だからねぇ、教えることなんか何もないんだよ」
「ただ見てればいいんだよ」


次のカットで、三三さんが黙々と稽古しているとこに、音声だけで小三治師の指示が入る。すごく具体的で丁寧な教え方だ。あれっ? 三三さんに師匠が教えてるじゃん! ていうのは勘違いで、カメラが引くと、なんと小三治師が「足裏マッサージ」のやり方を柳亭こみちに懇切丁寧に教えているのだった。これには笑っちゃったよ。

■注2)しかし、同じ弟子でも「実の親子」となると、話はさらに複雑だ。親子で落語家って結構いる。でも、息子の師匠が父親というのは、そうは多くはない。林家木久扇と喜久藏、桂米朝と5代目桂米團治、林家三平と正蔵(二代目三平の師匠は林家こん平。三遊亭好楽の息子の王楽は、先代の円楽の弟子だから、なんと親子なのに兄弟弟子なのだった)。そうして、古今亭志ん生と金原亭馬生、古今亭志ん朝の兄弟。あ、結構いるか。

親の七光り。そう世間から必ず言われる。早くに真打ちに昇進した馬生は、戦前ずいぶんイジメられたらしい。そして言われる「いつ、おとうさんの名前を継ぐのですか?」と。でも、志ん朝は志ん生の名を継がなかった。それに対して「三木助」の名前を継いだのが四代目三木助(本名:小林盛夫。柳家小さんの本名といっしょ)。バブルの時代には、あの亀和田武といっしょに典型的な「チャラ男」を演じていたのが彼だ。

三木助の名を継ぐからには、父親譲りの『芝浜』を演じなければならない。

そのことが、彼の悲劇だったのかもしれない。慢性の持病もあったらしい。

2020年5月30日 (土)

演者と観客とが「息を合わせる」ことについて

■気がついたら、前回の更新から1ヵ月以上過ぎてしまった。

最近「書きたい」って思うことが何もないのだ。情けない。

コロナのせいだ。

この3ヵ月、小説がまったく読めなくなってしまった。

漠然とした不安に常時覆われていて、小説世界に没入することが出来なくなってしまったからだ。それと、フィクションなら有り得ないような信じられないくらい「くだらない、人をバカにしたような」(アベノマスクとか、スピード感をもってとか、賭け麻雀とか、ブルーインパルスとか)不条理でリアルな毎日の堪え難い苦痛を連日我慢していたら、いつしかすっかり慣れてしまって、小説世界の「リアルさ」が、逆に嘘っぽく思えてきたからかもしれない。悲しい。

■そんな中でちょっと「これは!」と思った文章。

「斎藤環氏の note」

山田ズーニー「おとなの小論文教室」Lesson 966 失われた「息」

■「息を合わせる」ためには、ステージ上の演者同士、それから演者と客席の観客とが、同時に息を吸ってそれから吐く動作が必要だ。

その簡単な例が「お笑い」だ。息を吸いながら笑うのは、明石家さんましかいない。普通、人は笑う時、息を吸って貯め込んでから思い切り「わはは!」と息を吐き出す。それが「笑い」だ。

それで思い出したのが、国立こども図書館の松岡享子さんが、語りの「間」について語っている文章だ。『お話しを語る』松岡享子(日本エディターススクール)98〜101ページ。

ずいぶんと前に書いた(本文を引用・抜粋した)文章(2005/04/05)だが、以下に再録します。

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●彼女は、「間」には基本的にふたつの働きがあると言っている (p98)


 ひとつは、語り手がそれまでに語ったことを、聞き手に受けいれさせる働きです。語り手が、「おじいさんとおばあさんがいました」といえば、聞き手は、「ああ、おじいさんとおばあさんがいたんだな」と思い、心のスクリーンに、おじいさんとおばあさんを描きだします。これに必要な時間が間です。(中略)

 間のもうひとつの働きは、聞き手の気持ちを話の先へつなげていく働きです。さきほどの例でいえば、聞き手が、「ああ、おじいさんとおばあさんがいたんだな」と、その事実をのみこんで、さらに「そして、その人たちがどうしたの?」と、問いかける時間です。つまり、聞き手が、語り手に、話を先へすすめるよううながす時間です。(中略)

語り手に話の先をうながす間は、同時に、聞き手に能動的な聞き方をうながす間でもあることがおわかりいただけるでしょう。間が与えられてはじめて、聞き手は、疑問をもったり、予想をしたり、期待したり、要するに、自分の中で話についてさまざまに、思いめぐらすことが出来るのです。これは、聞き手の側からの話への参加です。


『子どもへの絵本の読みかたり』古橋和夫(萌文書林)を伊那市立図書館から借りてきて読んでたら、また、間の働きのはなしがでてきた。「読みかたりでの「間」について 『間で聞き手を魔法にかける』 



「人間的感動の大部分は人間の内部にあるのではなく、人と人との間にある」

フルトヴェングラー、芦津丈夫訳『音楽ノート』(白水社)

◆2つの「間」について
「間」の取り方というのは、休止のことです。この休止については、「論理的休止」と「心理的休止」があると言ったのは、演出家のスタニスラフスキー(『俳優の仕事』千田是也・訳、理論社)です。(中略)

スタニスラフスキーによりますと、「論理的休止」とは、「いろいろの小節や文を機械的に分けて、その意味をはっきりさせる」休止のことです。文章には、句読点がありますが、それが意味のひとまとまりをつくっています。論理的休止とは、この句読点のところに置かれる「間」のことです。

もうひとつの「心理的休止」とは、「思想や文や言語小節に生命を吹きこみ、その台詞の裏にあるものがそとにあらわれるようにする」「間」のことです。(中略)

たとえば、『おおきなかぶ』を例にとりますと、「おじいさんは かぶをぬこうとしました。『うんとこしょ どっこいしょ』……」というところで、「間」をとります。「うんとこしょ どっこいしょ」という言い方は、おじいさんが力を込めてかぶをにいている様子です。それにつられて、聞き手の方も思わず力が入ってしまいます。「ぬけるかな」という期待が高まります。

このような「間」を置いてから、「ところが かぶは ぬけません」といふうに語りますと、その場のイメージに力を感じていた分、抜けないという事実との落差に意外性を感じていくのです。また、それが楽しくおもしろい読みの体験です。このような「間」が「心理的休止」であるといってよいでしょう。(p64 ~ p74)

●何だか、分かったようなわからんような解説だが、またまた出ました、有名なスタニスラフスキー・システム。このあたりのことを、松岡享子さんは、もっと直感的に分かりやすく説明してくれます。例えば、こんなふうに……


 ところで、間には、ここに述べたふたつの基本的な働きのほかに、もっと微妙な、もっとおもしろい働きがあります。たとえば、場面転換に使われる間とか、聞き手の気持ちをひとつにまとめる間などです。


 お話には、パッと場面が変わるとか、長い時間が経過するとかいったように、そこで話が大きく変わるときや、生まれたときある予言をされていた女の子が、時が経ってその予言の成就する年頃になりました……といったときなど。これは、お芝居でいえば、いったん幕が下がったり、暗転したりするところです。

ただ、お話では、それができませんから、そこで十分に間をとることで、場面の転換を表現します。こうした間は、いわば聞き手の心のスクリーンをいちど白紙にして、そこに新しいイメージを迎え入れる準備をする働きをしているといえるでしょう。


 もっと強力な、もっと効果的な間は、話のクライマックスで用いられる間です。これは、緊張を盛りあげるための間といえばよいでしょうか。たとえば、風船をふくらますときなど、強く息を吹きたいとき、わたしたちは、いったん息をとめて、それから勢いをつけて息を吐きだします。

それと同じように、話のおしまいなどで、だんだん積みあげられていったサスペンスが一挙にくずれるとき、あるいは大きなどんでんがえしがあるときなど、もちあげられ、ふくらんだエネルギーが一気に開放される場面では、この「息をとめる」間がとられます。「エパミナンダス」の話のおしまいで、「エパミナンダスは、足のふみ場に気をつけましたよ、気をつけましたとも」のあとに来る間などがそれです。

 この間は、語り手と聞き手の呼吸を共調させる動きをもっています。わたしは、音楽の演奏でも、物語の語りでも、演劇でも、演者と聴衆が時間を共有して行う芸術では、両者の間に一体感が生み出されるときには、両者は同じ呼吸をしているのではないかと思います。

ともあれ、少なくとも、さきの述べたような、”劇的”瞬間には、両者の呼吸は一致していなければなりません。聞き手は、このときの語り手の一言で、ホーッと緊張をといたり、「ワァーッ」と笑ったりするわけで、そのときには、そろって息を吐かなければなりません。そのための時間、それが間なのです。つまり固唾をのむ時間というわけです。

 このことについて、亡くなった落語家の柳家金語楼が、たいへんおもしろいことをいっていました。金語楼は、あるインタビューで、「人を笑わせるこつはなんですか?」と聞かれたのに対し、言下に、「それは、人が息を吐く寸前におかしなことをいうことです」と、こたえていました。そして、「人間というものは、息を吸いながらでは笑えないものですよ」と、いっていましたが、なるほどと思いました。

そういえば、落語の下げの前には、必ず、たっぷりした間があります。その瞬間、聴衆が揃って、「……?……」と息をとめるからこそ、次の瞬間、一斉にドッと笑えるのです。間には、まちまちに吸ったり吐いたりしている聴衆の呼吸を一致させる働きもあるわけです。(p99 ~ p101)『お話を語る』(日本エディタースクール)

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■この柳家金語楼のはなしが大切なことの「すべて」を「たったひと言」で言い表していて素晴らしいですね。

■同じ頃(2005/1月)書いた文章を読んでたら、こんなのもあった。

「落語」と「絵本」の読み聞かせは、よく似てる?(その1)2005/01/04

松岡享子さんの『お話を語る』については、このページの 2005/01/20、01/21 にも記載があります。

2020年4月26日 (日)

演劇のネット配信は、なぜダメなのか?

■先日、面白い「 note 」の文章を Twitter で教えてもらった。

「家で演劇を観る」という心許なさについて。

 なるほどなあ。自宅リビングだと周りに雑音が多すぎて、お芝居に意識を集中できないから、緊張感が維持できないのか。

「劇場の空間は、否が応でも僕と日常を切り離してくる。」

 ただ、著者も言ってるけど、じゃあ何故「映画」ならスマホで見ても見た気がするのか? それに、この方は役者さんだから、観客としてよりもステージ上から客席を見ている立場にあるはずなのに、その視点がまったくない。どうしてだろう?

 僕も、保育園で「絵本の読み聞かせ」をし、准看護学校で小児科の講義をし、講演会の講師としての経験も多々ある。で、そのつど聴衆の心を如何につかみ取るかで四苦八苦し、外した(スベった)時の、あの波が引いていく感じの怖ろしさを何度も体験した。大切なのは、劇場という閉鎖空間に閉じ込められたステージ上の役者と、客席に座っている観客とが、互いに呼応して醸し出す、あの独特な「その場の空気」なのではないか?

■以下は、『長野医報4月号』の特集「お芝居大好き」の「前文」としてぼくが書いた文章です。実際に載ったのは、この短縮版でちょっと(ずいぶん?)違います。ご了承ください。

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 今や映画は、映画館へわざわざ足を運ばなくても、WOWOW、レンタルDVD、ネット配信で、自宅のリビングや外出先のスマホでも見ることができます。もちろん巨大スクリーンで大音響のもと観たほうがいい映画(スターウォーズ・シリーズとか)はありますが、小さな液晶画面でもそれなりに満足してしまうものです。


 ところが、お芝居は違います。テレビの「劇場中継」を60V型の液晶大画面で眺めても全く観た気がしない。何故でしょうか? 理由は簡単です。「そこ」に自分が「いなかった」からです。

 先日、劇作家・前川知大さんのツイートを読んで「はっ!」としました。


「昨日来た姪(高1)は演劇を観るのがまだ二回目。アニメや映画で育ってきて、演劇はどう思ったかと聞くと。干渉可能性が怖いと。つまり立ち上がって叫べば芝居を壊せるという事実が恐ろしく、客席で緊張するのだと言う。よく客が入って芝居は完成すると言うが、そのことを本質的に理解してるのだな。」


 演劇というのは、ステージ上の役者とフロアの観客とが「共犯関係」にある芸術なんですね。劇場というその場限りの閉鎖空間に「いま・ここ」で役者と観客が息を合わせ(同時に息を吸い、同時に息を吐く)その「一体感」を感じることができる。それが「お芝居」なのです。紀元前5世紀のギリシャで生まれた演劇が、2020年を迎えヴァーチャル技術全盛の現在でも未だ途絶えないという不思議は、まさに「そこ」にあるのだと思います。


 一人芝居の極意は落語です。さらに日本の伝統芸能には能や歌舞伎があります。海外には、シェークスピアの演劇やワーグナーのオペラがあるし、劇団四季のミュージカルや宝塚歌劇の語りきれない魅力もあるでしょう。松本には「まつもと市民芸術館」があって、隔年で「信州まつもと大歌舞伎」が開催され、串田和美芸術監督のもと、日本中の演劇人注目の的となっています。

 もちろん自ら役者としてステージ上で大活躍する人もいます。よく言われますよね『○○と役者は三日やったらやめられない』と。さて、どんなお芝居好きが登場するのでしょうか。

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■先日の昼休み、日テレ『ヒルナンデス』を見ていたら、落語家の「柳亭こみち」さんが出ていた。

 早稲田を出て、英語学習で有名な出版社「アルク」に就職した彼女が、なぜそのキャリアを捨ててまで落語家の道を選んだのか? 

 「たまたま入った寄席(新宿末廣亭)で、初めて落語を聴いたんです。ビックリしました! たった1人でその場の空気を支配し、観客の心を鷲づかみしている。冴えないオジサンが1人ただしゃべっているだけなのに、聞いていて目の前にその風景がありありと浮かんでくる。落語って凄いな! そう思ったんです。」

 柳亭こみち師は、学生時代に熱烈な演劇ファンだったのだそうだ。そんな彼女が、究極の「一人芝居」である日本の古典芸能「落語」に出会った。その時に体験した落語家が、柳家小三治だったんですね。以後、彼女は小三治師の「おっかけ」女子となる。

■新型コロナ禍による緊急事態宣言によって、寄席は閉鎖され、地方の落語会もことごとく中止となった。 Twitter でフォローしている落語家さんはみな、3月からは全くの収入ゼロの日々が続いている。そこで、過去の高座の映像をネットにアップする落語家さんも何人か出てきた。


YouTube: 【重大発表】落語家・春風亭一之輔から皆様にお知らせ【緊急事態】


春風亭一之輔さんは、YouTube でなんと! 毎晩「十夜連続公演」をライブ配信で続けている。画面右横に次々と聴視者のコメントが流れてゆく。なるほど双方向で呼応してはいる。でも、何かが決定的に違う。

やはり、落語でネット配信は無理なんじゃないか。映像をやめて「音声のみ」なら、まだあるかもしれない。だって昔から

落語はラジオで聴いてたし、レコードやCDで聴いてきた。見えないほうが想像力がかき立てられるからね。落語のDVDはたくさん買って随分と持ってはいるけど、ほとんど見ないな。だって、面白くないもの。寝る前にCDで聴いていたほうがよっぽど臨場感がある。

ただ、それを言っちゃあおしまいだよなあ。

すみませんでした。

2019年3月 3日 (日)

昨年読んだ本、観た映画、お芝居、聴いたCD

■YouTube で「第9回ツイッター文学賞」の発表を見た。今回は、投票できる本がなかった。

それで思い出して、1月初めにツイートしたものを、一部補足して、こちらにも残しておきます。

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■2018年に読んで、印象に残ってる本。ベスト本は、チムニク『熊とにんげん』。あと、図書館の本なので書影はないが『甘粕正彦乱心の曠野』は面白かったな。それから、寺尾紗穂さんが編纂した『音楽のまわり』。

2018/09/12

「赤石商店」で買ってきた、寺尾紗穂さんが編集して自費出版した『音楽のまわり』を読んだ。10人の個性的なミュージシャンが、音楽以外のエッセイを書いている。ユザーンや浜田真理子さんみたいに、よく知っている人やぜんぜん知らない人もみな読ませる文章だ。伊賀航、植野隆司、折坂悠太、知久寿焼、マヒトゥ・ザ・ピーポーの文章は初めて読んだが、感心したな。ユザーンや浜田真理子さんは期待通りの安定感。寺尾さんは、読者の期待の外し方が絶妙で、めちゃくちゃ上手い。各執筆者への編者からのコメントも面白い。

あと、『心傷んでたえがたき日に』上原隆(幻冬舎)、『颶風の王』河崎秋子(角川書店)もよかった。

■2018年に観て、印象に残ってるお芝居。木ノ下歌舞伎舞踊公演『三番叟(SAMBASO )・娘道成寺』まつもと大歌舞伎(市民芸術館 6/18)。ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出『百年の秘密』(まつもと市民芸術館 5/13)。同『修道女たち』(兵庫県立芸術文化センター 11/23)。ケラさんて、凄いな。

2018/10/10

今日は、飯島町文化館大ホールで『ペテカン』のコント9本+スペシャル・ゲスト柳家喬太郎師の落語2題。いや面白かった!以前観た「 ザ・ニュースペーパー」や「鉄割アルバトロスケット」とは違って、健全でほのぼのした笑いに場内は満たされた。4人の女優陣が頑張ってたな。あと喬太郎師も超熱演。

喬太郎師匠は、あと、毎年駒ヶ根市の安楽寺である「駒喬落語会」。今年は師匠「柳家さん喬」師との「親子会」だった。8月27日(月) よかったなあ。柳家さん喬師をナマでそう何回も聴いているワケではないけれど、さん喬師のベスト3と言えば「妾馬」「幾代餅」「片棒」だと思っていて(軽いネタ「棒鱈」とか「初天神」も絶品だが)

この日、さん喬師は「幾代餅」と「妾馬」をかけてくれたのだ。うれしかったなあ。涙が出たよ。

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■2018年に観て、印象に残ってる映画。見た順。『ラモツォの亡命ノート』『タレンタイム』(これは二度目の鑑賞)。『わたしたちの家』『枝葉のこと』『菊とギロチン』『カメラを止めるな!』『日々是好日』。7本のうち、何と!5本を「赤石商店」の蔵のミニシアターで観た。

あ、忘れてた! 是枝裕和監督の『万引き家族』は、岡谷スカラ座と伊那旭座で2度見ている。安藤サクラに惚れた映画だ。それから、佐藤健に驚いたのが、瀬々監督の『8年越しの花嫁』。これは伊那映劇(昔の)でみた。脚本もよかったな。『ひよっこ』の岡田惠和。じつに丁寧に作られていたな。

2018/08/16

昨日は、伊那通町商店街「旧シマダヤ」で、マイトガイ小林旭主演、浅丘ルリ子共演の日活映画『大森林に向かって立つ』野村孝監督(1961年・未DVD化)を見てきた。意外と面白かった。美和ダム、伊那市駅前での盆踊り大会、旧八十二銀行伊那支店に浅丘ルリ子が入っていくシーンなどが登場し、会場が湧いた。

出演者が豪華。敵役に金子信雄、深江章喜、安部徹。そして「キイハンター」の出で立ちそのままの丹波哲郎。脇役で高品格、長門勇、下条正巳。あと、スパイダース以前の、ムッシュ・かまやつひろしがギターを担いで登場。これには笑った『居酒屋兆治』の細野晴臣さんみたいで。

当時同棲していた小林旭と浅丘ルリ子。この映画が公開された頃にどうも別れたらしい。ホンモノの大型トラックを谷底に転落させたり、ちょっと『恐怖の報酬』みたいな感じで、結構お金をかけて作っていて驚いた。こちらのサイトに紹介記事が。

若かりし頃の金子信雄を見ていて、誰かに似てる? と思ったのだが、あそうか。爆笑問題の田中だ。

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

■2018年によく聴いたCD。七尾旅人の『STRAY DOGS』は、結局CD買ってしまった。これは良いわ。ハンバートハンバートの『 FOLK2』も、さんざん聴いたが、CDが見つからない。誰かに貸したっけ?

それから、南佳孝の『ボッサ・アレグレ』。このCDには救われた。

2014年12月14日 (日)

第15回「上伊那医師会まつり」

■「上伊那医師会報 12月号」の原稿を、ようやく書き上げた。最近、なんだかちっとも文章が書けなくなってしまって困ってしまう。

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第15回 上伊那医師会まつり

 

 11月14日(金)は今期一番の冷え込みで、身を切るような夜風を避けるようにコートの襟を立て、皆さん足早に会場の信州INAセミナーハウスへ向かいます。この日は2年に1度の医師会まつり。今回は、日本の伝統芸能、江戸太神楽と落語で大いに笑って楽しんで、心の底からぽかぽかと暖まって頂きました。

 最初に登場したのは落語家の春風亭柳朝師匠。軽妙な「まくら」と小咄で場内を和ませた後、「真田小僧」の前半を一席。よく通る声で、所作がきれいな噺家さん。じつは鉄道オタク(乗り鉄)で、岡谷から伊那北まで、今回初めて飯田線に乗ることができたと喜んでいらっしゃいました。

 続いての登場は、夫婦太神楽「かがみもち」の鏡味仙三、鏡味仙花ご夫妻。太神楽(だいかぐら)は、400年前の江戸時代初期に誕生した神事芸能(獅子舞、曲芸)で、お正月のテレビに「おめでとうございま〜す!」と言って登場した海老一染之助・染太郎の傘回しの芸ならご存知でしょう。

 鏡味仙三さんが先ずはその傘回しを披露。毬に始まって、四角い升、鋼のリング、くまモンまで回してくれました。続いて奥さんの仙花さんが「五階茶碗」と呼ばれるバランス芸を披露。始めに棒を顎に立て、その上に板や茶碗、化粧房を積み上げていきます。棒を2本にして、その間に毬を2個挟む段になると、見ていてハラハラドキドキです。最後は細い糸で空中へ吊り上げ、回転させながら糸の上を綱渡り。それはそれはお見事でした。夫婦揃っての曲芸は曲撥(投げ物)です。流石に夫婦息の合った芸を見せてくれました。

 再び高座に上がった春風亭柳朝さん。旦那に悋気(りんき)する女将さんが、使用人の権助に夫の尾行を命じたけれど、逆に権助は旦那に買収されてしまう「権助魚」という噺で場内は笑いの渦に包まれました。

 参加者が150人を越えた大宴会では、サイン色紙争奪ジャンケン大会でまた大いに盛り上がりました。最後に伊藤隆一先生が高座に上がり締めのご挨拶。この「医師会まつり」は30年前に樋代昌彦先生のご発案で始まったのだそうです。こちらも伝統を絶やさぬよう、末永く続けて行きたいものです。

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2014年9月 3日 (水)

近ごろ観たもの聴いたもの

■このところ更新がとどこおっていたので、何時、どこで、何を観たか、まとめてメモしておきます。

・7月22日(火)アントワン・デュフォール ギター・ソロ 飯田市「Canvas

7月23日(水)『三人吉三』まつもと大歌舞伎 松本市民芸術館

水曜日の夜、まつもと大歌舞伎『三人吉三』を見に行ってきた。いい席が取れなくて、四等席(3階最後列)2000円。いやぁ面白かった!因果応報の陰々滅々とした話なのだが、三幕目の若い歌舞伎役者3人がエネルギッシュに大立ち回りで魅せる外連と様式美に圧倒された。3階から俯瞰したのが案外正解

7月26日(土)伊那保育園夏祭り

午後4時から伊那保育園の夏祭りで絵本を読む。ワンマンで『ふしぎなナイフ』福音館書店『もくもくやかん』かがくいひろし『はなびがあがりますよ』のむらさやか(こどものとも年少版8月号)『まるまるまるのほん』ポプラ社『こわくないこわくない』内田麟太郎、大島妙子(童心社)つづく…

『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)『おどります』高畠純(絵本館)『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)『へいわってすてきだね』長谷川義史(ブロンズ新社)『世界中のこどもたちが』篠木眞・写真、新沢としひこ・詞(ポプラ社)で終了。声が枯れてしまったよ。

・7月28日(月)伊那市医師会納涼会「三浦雄一郎講演会」セミナーハウス

・8月9日(土)日本小児科学会中部ブロック連絡協議会 松本市・松本館

・8月10日(日)伊那のパパズ 下伊那郡喬木村「椋鳩十記念館図書館」

・8月16日(土)映画『STAND BY ME ドラえもん 』アイシティ・シネマ 山形村

・8月29日(金)諸星大二郎原画展 阪神百貨店梅田本店8階

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・8月29日(金)落語会「ハナシをノベル!! vol.45」大阪市中央公会堂

宿泊が APAホテル大阪肥後橋駅前だったので、中之島の中央公会堂へは歩いてもすぐ。何とも趣のある歴史的建造物だった。会場は、地下一階の大会議室。

・月亭文都師、今回の新作落語は、

『あるいはマンボウでいっぱいの海』 田中啓文・作

『ランババ』 北野勇作・作

あ、ランバダじゃなくて、ランババだったんだね。いやぁ、ビックリした。こんな落語初めて。笑った笑った。文都師、これ十八番の持ちネタにするといいよ絶対。ただ、会場によっては体力持たないかも。

あと、中入り前の「トーク de ノベル」。田中啓文氏と北野勇作氏が浴衣姿で高座に並んで座りしゃべったのだが、何だか二人ともボケの不思議な漫才を見ているみたいで、これがまためちゃくちゃ面白かった。

会場には、我孫子武丸氏に牧野修氏、それからぼくは気がつかなかったが、あの傑作SF『皆勤の徒』の著者、酉島伝法氏もいらしたようだ。ものすごく作家さんの人口密度の高い希有な落語会だった。『聴いたら危険!ジャズ入門』(アスキー新書)と『昔、火星のあった場所』(徳間デュアル文庫)は持って行ったので、終演後にがんばってサインして頂いた。

うれしかったなあ。ほんと、お二人ともずっと前からファンだったんです。『こなもん屋うま子』も持っていたから、こっちにもサインしてもらえばよかったなあ。残念。

○ 

・8月30日(土)芝居『朝日のような夕日をつれて 2014』森ノ宮ピロティホール

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■ゴドーを待ちながらヒマつぶしに遊んでいたら、ゴドー1とゴドー2の「ゴドーがふたり」もやって来て、でも「みよ子」は来なくて、舞台がすごい傾斜の斜面になっても、それでも彼らは踏ん張って立ち続ける。そういうお芝居だった。

う〜む。何だかよくわからんうちに、颯爽と終わってしまった。凄いな。昔から憧れていて、でも観ることができなくて、今回たまたま大阪で初めてナマで観た。観れてよかった。第三舞台の『朝日のような夕日をつれて』。

5人の役者さんたちは2時間連続で目まぐるしく動き、機関銃のようなセリフの応酬で、背広の背中が汗でぐっしょり濡れているのがはっきり見える熱演だった。この日は昼夜2公演だったが、55歳の大高さん、52歳の小須田さん、2人とも年齢を全く感じさせないクールで余裕の(顔はぜんぜん汗をかいていない)舞台に、同世代のぼくは感動した。ほんど凄いな。

2014年版の戯曲も売ってたが、パンフしか買わなかったのだけれど、後になって、あの時のセリフが気になって仕方がない。特に終盤。この戯曲集を図書館で探して読んでみようと思った。

■ 9月2日(火)の夜、テルメに行ったら会社創立記念日の臨時休業。あちゃぁと落ち込んで、近くの「ブックオフ」に寄ったら、100円単行本コーナーの「演劇・宝塚」のところに、なんと!「83年版」と「91年版」の戯曲集があった。もうビックリ。買って帰って読んでみると、2014版でも「まったく同じセリフ」のところが結構あるぞ。

「83年版」を読んでいると、そこに載っているギャグや歌(キングトーンズ「グンナイベイビー」とか)が、鴻上さんと同じ昭和33年生まれの僕には逆にリアルで、不思議な感覚に陥った。過去じゃなくて「いま・ここ」の感じ。面白い! ほんとよくできた脚本だなあ。

2014年5月18日 (日)

春風亭一之輔独演会 +『HAPPY』の動画を集める(その2)

■いやぁ、笑った笑った。今宵、駒ヶ根の大宮五十鈴神社で行われた春風亭一之輔師匠の独演会。毎回思うのだけれど、落語ってホントいいなあ。聴き終わって何とも幸せな気分になれる。演目は「狸札」「鈴ヶ森」「お見立て」の3つ。

一之輔さんのヨーロッパ公演を記録した写真集や、色紙、手ぬぐいが当たる抽選会(大盤振る舞いだった)には外れてしまったけれど、お土産に真打ち昇進披露公演の50演目が書かれた記念の手ぬぐいを頂戴して大満足でした。

一之輔さんも書いているけれど、ぼくらの左前に座っていた4歳の少年。たしか、はるたろう(晴太郎?)君といってたか。ふつう3〜4歳の男の子だと、じっと座っていられるのは30分が限度だ。しかし、落語通の彼は違った。後半の、吉原の廓噺「お見立て」まで2時間近くいい子で聴いていたぞ。凄いな!

写真集が当たってよかったね。

ただ、幼気な4歳児に容赦なく「廓噺」を聴かせる一之輔師匠って、どうよ。

昨日駒ヶ根にいた4歳の男の子は怪獣図鑑の如くに噺家名鑑を見てるらしい。楽屋まで「いちのすけは初天神、青菜をよくやるんだよ」と聞こえてきた。「ツインテールは海老の味がするんだよ」的に。

■落語をナマで聴いた後に必ず感じる、あの「多幸感」って、ファレル・ウィリアムス『HAPPY』の「気持ちよさ」と同じなんじゃないか? たわいのない日々の日常の暮らしの内に、実は「しあわせ」はあるんだよ、きっと。

 

HAPPY - Pharell Williams [ We are from SXM ] #HAPPYDAY
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HAPPY We Are From Minsk
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Pharrell Williams - #JamaicaHappy #HappyDay
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Pharrell Williams - Happy (Venezuela - Coro) #HAPPYDAY
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HAPPY in Greenland
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2014年5月 3日 (土)

『どーなつ』北野勇作(ハヤカワ文庫)読了

■おとといの夜、『どーなつ』北野勇作/著(ハヤカワ文庫)を読み終わった。面白かった。別に謎解きを期待してなかったので、読者のために何とか辻褄を合わせようと作者が気を使った「その十:溝のなかに落ちたヒトの話」は、なくても僕はよかったかな。じゅうにぶんに、その世界観を堪能させていただいた。

ちょっと時間をかけすぎて、ゆっくり少しずつ読んできたので、冒頭の(その1)(その2)など、どんな話だったかすっかり忘れてしまった。もったいない。

ただ、読み始めから読み終わるまで、ずっと感じていたことは「既視感」だ。

「爆心地」の描写は、タルコフスキーの映画『ストーカー』の「ゾーン」のイメージに違いない。

「電気熊」の設定は、去年見て萌えた映画『パシフィック・リム』とそっくり同じだし、連作短編が「土星の輪」のように連なって、「海馬」とか「シモフリ課長」とか「田宮麻美」とか「おれ」とか「ぼく」とか。それぞれの短編は独立しているのだけれど、共通する(らしい)登場人物が何度も出てくる。

ただ、さっきの話では死んだはずなのに、次の話では元気で生きていたりと、物語の順番の時系列も怪しいし、その場所も、地球上なのか火星なのか、それとも全くの未知の惑星なのか、読んでいて判別がつかない。

で、これら関連する(であろう)収録された10篇の短編を整理して、推理小説の解答編みたいな整合性を極めようとすると、たちまちワケがわからなくなってしまうのだった。ジグゾー・パズルの最後のピースを見つけてはめ込もうとすると、ぜんぜん形が合わない! こういう感じの小説を最近読んだよなぁ、って思ったら、そうそう『夢幻諸島から』クリストファー・プリースト著、古沢嘉通・訳(ハヤカワ・SFシリーズ)じゃないか。設定が、すっごく似てるぞ。

いや、待てよ? 『どーなつ』が出版されたのは、2002年4月のことだ。いまから12年も前。当然、映画『パシフィック・リム』も、小説『夢幻諸島から』も、この世に生まれでるずっとずっと前の話。この、シンクロニシティって何だ?

さっき、「土星の輪」のように短編が連作されてゆくと書いたが、最後までたどり着くと、物語の中心に「大きな深いあな」があることに気付かされる仕組みの小説なのだった。何故、小説のタイトルが「どーなつ」なのか? 本編の中では「どーなつ」に関する記載はまったくない。唯一「作者あとがき」の中でだけ触れられているだけだ。(もう少し続く)

2013年9月29日 (日)

立川志らく「シネマ落語」 in 蓼科高原映画祭

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■「立川志らく シネマ落語」を聴きに、茅野市市民館へ行ってきた。よかったなぁ。泣けたなぁ。大満足だ。

 

以下、昨夜のツイートから。

 

名著『全身落語家読本』立川志らく(新潮選書)は僕にとって「落語のバイブル」だ。何度も読んだし、辞書みたいに使っている。でも、志らく師の落語は今まで一度も生で聴いたことがなかったのだ。スミマセン。

 

続き)今日の土曜日。茅野市で開催されている「第16回 小津安二郎記念:蓼科高原映画祭」で「立川志らく・シネマ落語」があると知り、行ってきたのだ茅野市民館。当日券だったが、何と!前から2列目の正面やや左寄りの席が空いていた。ラッキー! 2500円なり。

 

続き)午後7時開演。開口一番は弟子の立川らく人「出来心」。同会場でその直前に上映されていたのが、小津安二郎の映画『出来ごころ』だったからね。口跡口調はよいのに可哀想なくらい笑いがなかった。ホント御免ね、これも修行さ。

 

 満を持して、立川志らく師が登場。師匠の談志(お骨になって後の顛末も含め)と朋友・先代圓楽の奇人変人エピソードをたっぷりと。それで、落語会慣れしていないであろう聴衆の心をを優しく溶きほぐす。流石だ。演目は『死神』。この噺は「オチ」が決めてだ。演者によっていろいろ工夫がある。さて、志らく師は? あはは!そう来たか。中入り後、すぐには本題に入らず、

 

もう一つ古典落語に入る志らく師匠。神無月の話から入ったんで、あぁ『ぞろぞろ』だなって思ったら、そうだった。メチャクチャ馬鹿らしくて好きな噺だ。

ラストがお待ちかね「シネマ落語」で「人情医者〜素晴らしき哉!人生」。これがよかった。『死神』と『ぞろぞろ』が、ちゃんと「この噺」の前振りになっていたんだね。

 

いい話だ。ラストで泣けて困った。これってさ、言ってみれば、アメリカ版「芝浜」じゃね?

2013年1月17日 (木)

「古今亭志ん朝・大須演芸場CDブック」を聴く

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■せっかく書いた文章が、アップする前に接続が切れてしまったため、消えてしまった。頑張っていっぱい書いたのに、やれやれ。


高遠の兄から『古今亭志ん朝・大須演芸場CDブック』を借りてきた。これは凄いな。CD30枚組。豪華ケース入り。


志ん朝師が、経営悪化で四苦八苦している名古屋大須演芸場の席亭を救うべく、1990年10月から 1999年11月までの10年間、毎年秋に大須演芸場に出向き「三夜連続独演会」を開催した。

いつもは閑古鳥が鳴く大須演芸場も、この時ばかりは大入り満員だったそうだ。晩年の志ん朝師は、浅草演芸ホールでの夏の「住吉踊り」と、秋の名古屋大須演芸場での独演会を何よりも大切にしていたという。


■小林信彦『名人 志ん生、そして志ん朝』(朝日選書)を読んだので、大須演芸場での独演会のことは知っていた。実際に行って聴くことのできた人たちが、ものすごく羨ましかった。

その大須演芸場の「音源」が、まさかこうして公に出るとは思いも寄らなかった。


もともと、雑務で忙しい席亭が個人的に後で聴くために志ん朝師に頼んで師の公演をカセットテープに録音させてもらったもので、その年によって録音状況がずいぶんと異なっている、いわば私家版のブートレクなのだ。

だから、演目によっては音は極端に悪い。


でも、その欠点を補っても余るほどに、この「音源」を聴くことができた喜びは大きいな。

なによりも「マクラがたっぷり」なことが出色だ。

それに、リラックスしてくつろいだ普段着の志ん朝師が感じられる。

独演会とはいえ、大須演芸場の「場」が醸し出す「雰囲気」が、志ん朝師をいつになく普段の「寄席」での高座の気分にさせたのであろう。


それに、晩年の志ん朝師の高座を、これだけ沢山の演目と共に集めた音源は他にはないはずだ。そこが貴重。

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