今月のこの1曲「わたしが一番きれいだったとき」ワサブロー
■まったく偶然に、ワサブローさんという京都出身の男性シャンソン歌手のことを知った。 と云うのも、ワサブローさんが、高遠町出身の作家、島村利正氏のことをぼくが書いたブログを読んでコメントを寄せて下さったからだ。「ここのコメント欄参照」 ワールドミュージック・ファンを自認するぼくだが、シャンソンは素人だ。 レコードで持っているのは、ジョルジュ・ムスタキと、宮崎駿『紅の豚』挿入歌「桜んぼの実る頃」で有名なコラ・ヴォケール、それに大御所エディット・ピアフ。それに、金子由香里ベストのみ。ダミアは持ってない。 そんなもんだから、ぼくは全く「ワサブローさん」のことを知らなかった。 で、どんな歌い手さんなんだろう? と、さっそく YouTube で検索してみた。あったあった。見つかった映像がこれだ。
どうしようか迷いましたが、初めて投稿させていただきます。
現在、松本在住で30数年前にパリでワサブローと知り合った者です。
この度、ワサブローのことを紹介してくださり、歌まで聴けるようにしていただいたことに本人に成り代ってお礼申し上げます。
私は最初グルノーブルに居て、パリに行ってからワサブローと出会って半年足らずで帰国してしまったので、付き合いの期間は短かったし、目指す方向も違ったのですが、共に貧乏生活の中で希望を持って闘った戦友のような存在です。
その男がシュバリエ賞をもらうほどの一流の歌手になってくれたことを自分のことのように嬉しく思っています。
ワサブローが20代半ばで一度帰国して、京都でコンサートを催された時はもちろん出身地の名古屋から駆け付けました。
再びワサブローがパリへ戻ってからは音信不通だったのですが、たまたま3年前に車に乗った時にラジオからワサブローの声が聞こえてきました。
そして、ネットで検索して、東京竹芝桟橋からの船上ディナークルーズ・コンサートがあることを知って迷わず申し込みました。
CDもDVDも買いました。
戦友が成功して頑張っていてくれることをすごく嬉しく思っています。
私も若い頃はロシヤ民謡やカンツォーネを歌ったりしていて結構自信もあったのですが、パリで出会ったワサブローがほんの少し鼻歌を口ずさんだ時に、それが歌になっていた。まさしく歌になっていたのです。
その時、私は負けたと思いました。
彼の歌心に非凡なるものを感じて、その時から私はワサブローの大ファンになりました。
この正月、突然電話をくれて島村利正のことを聞かれ、私は恥ずかしながらその名を知りませんでした。
そして、ワサブローがそれほどまでに心を揺さぶられる作家に興味を持ち、今、読み始めたところです。
「残菊抄」は今まで何度もCDで聴いた「私が一番きれいだった時」と時代がかぶって興味深く読みました。
嬉しくて、酔いも手伝って長文になってしまい申し訳ありませんでした。
投稿: 財津吉友 | 2011年1月16日 (日) 01:17
財津さん
「しろくま通信」の、北原文徳と申します。
この度は、ブログへのコメントをありがとうございました。
グルノーブルというのは、オリンピックが開かれたところ
ですよね。
不思議なご縁で、ワサブローさんの古くからのご友人である
財津さんから、こうしてコメントを頂けるなんて、なんとも
光栄です。ありがとうございました。
「わたしが一番きれいだったとき」を初めて聴いて、不覚にも
涙がぼろぼろこぼれてしまいました。すばらしい歌い手です。
CD、これから購入する予定です。
ワサブローさんのシャンソン、もっともっと多くの人たちに
聴いてもらいたいと思いました。
投稿: しろくま | 2011年1月17日 (月) 16:53