2011年3月19日 (土)

『トムは真夜中の庭で』フィリパ・ピアス(岩波少年文庫)読了

■『ハヤ号セイ川をいく』がすっごく面白かったので、引き続きフィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)を読んだ。この本はね、ずいぶん昔に購入して「あとがき」だけ、まず読んだんだ。そしたら、作者フィリパ・ピアスが1967年に「『真夜中の庭で』のこと」と題して発表した文章がが載っていた。これ、もろ「ネタバレ」じゃん! マジックのネタ証しをされたみたいな気分になってしまい、ぼくは「この本」を読むことを止めた。

でも今回、思い直して読んでみてホントよかった。
やっぱり「この本」は傑作だ。
じつに丁寧に、よく作り込まれている。
思春期を迎えるちょっと前の少年が体験した「青春の光と影」だ。切ないなぁ。

タイム・トラベルもの正統派SFとしてはどうなんだろうか? この小説。
科学的根拠に基づいたSF小説とすると、やはり失格だな。
いろいろと矛盾することが多すぎるからね。スケートの件とか。
でも、SF小説ではないからいいのだ。

そうは言っても、この小説が不思議とリアリティを持つのは、
いま見てきたばかりみたいな細微な庭園の描写と、的確な人物描写にある。

 そして、
「この小説」で一番大事なことは、「いまここ」である、ということだ。


トムにとっては、ホールの大時計が13回時を打った真夜中から始まる時間こそがリアルであり、
ハティにとっては、数ヶ月ぶり、数年ぶりと、自分がその存在を忘れかけた頃になって、ふと現れるトムは、まるで幽霊みたいな存在なのだが、実はハティにとっても「いまここ」だったんだな。


時空を超えて、少年と少女が「いまここ」で結ばれる。
でも、現実は厳しい。

二人の時間は、一瞬交差するものの、永遠に時が止まったままの「トムの時間」と、
どんどん時が過ぎ去って行く「ハティの時間」は、ずっと同時間で共有し、共感し、共鳴し、共生するワケではないのだな。その切なさこそが、この小説の「キモ」だと思った。だからこそ、ラストシーンがめちゃくちゃ素晴らしいのだよ。


大きな地図で見る

■グーグル・アースの写真は、『トムは真夜中の庭で』のモデルになったフィリパ・ピアスの生家、グレート・シェルフォード村のキングズ・ミル通り突き当たりにある「キングス・ミル・ハウス」と思われます(自信はないけれど)


あと、探したら「フィリパ・ピアスとの会見記」が見つかりました。

2011年3月15日 (火)

上伊那医師会報3月号「巻頭言」原稿

■今朝が締め切りだった原稿(1200字)を、なんとか書き終わったのが今日の午前2時だった。朝6時半に起きて原稿を見直し、最終稿を医師会事務局に送ったのが午前8時半。寝不足のまま、昼休みは3歳児健診でつぶれ、18時半、午後の診療終了後は「伊那中央病院」の小児一次救急の当番で夜7時前ぎりぎりに救急部へ。

いつものことで、午後9時の拘束時間終了間際になってから、3人の小児科の患者さんがやってきた。発熱で受診した1歳1ヵ月の男の子。訊けば、今日の午前中から熱があったとのこと。でも、決して文句を言ってはいけない。暗くなってから不安になったお母さんを責めてみても仕方ないから。

午後9時45分帰宅。やはり睡眠不足は50歳過ぎの体にはキツイ。だから官房長官はちゃんと寝て欲しい。本当に。


■まだ紙には印刷されていない文章だし、目にするのは上伊那医師会会員とその他わずかな人たちだけなので、ちょっとフライングだけれど、この場で先行公開しちゃいます。

         <人と人とをつなげる Twitter>         北原文徳

 3月11日午後、東北地方〜北関東を襲った地震と大津波は、日が経つにつれて未曾有の被害と犠牲者を出したことが次第に明らかになってきた。連日テレビに映し出される被災地の悲惨な状況を見るにつけ、いたたまれなくなり、ただただ胸が苦しくなるばかりだ。いま自分にできることは、被災地に義援金を送ることと、無駄な電気は消して祈ることだけだ。


 本当は、チュニジア、エジプトで大きな力を発揮した「ツイッター」や「フェイスブック」といった新たなソーシャルネットワークの可能性について書こうと思っていたのだった。実際、今回の大震災では携帯電話という情報インフラは全く機能しなかったし、メールも届くのに異常に時間がかかっていた。広範な停電で、被災地ではインターネットに接続できない人が多かったのだが、一部の被災者がモバイル端末からツイッター上に救助を求めたツイート(つぶやき)が即座に載り、この情報は一気に拡散していった。


 ツイッターは、この即時性機能を最も得意としている。だから「なう」をよく使う。ただ、今回は都内で救助を求める偽情報を流した愉快犯もいた。しかし、すぐに嘘であることが判明し犯人も特定された。また、JR停止に伴う東京の帰宅難民を受け入れる施設に誤情報も流れたが、訂正情報が出たのも速かった。ツイッターへのアクセスが集中すると、よく「クジラの絵」が出て不通となるのだが、今回の事態ではクジラは出なかった。これは特筆すべきことかもしれない。

 ネット社会というと、2ちゃんねる掲示板への匿名による中傷誹謗や、正義の使者気取りでブログを炎上させるなど、自分は匿名という安全地帯に居ながら相手を攻撃非難する卑怯で陰湿なイメージが付きまとうが、ツイッターでは不思議と炎上は少ない。匿名で参加できるのだが、掲示板やブログのコメント欄と違って発言した個人が特定されるからだ。また、その発言がどんどん拡散されれば、予想をはるかに上回る多くの人たちの目に晒されることになる。だから、よっぽど覚悟の上でないと下手な発言はできないのだ。

 ネットでは、自分でグーグルを検索したりブログをチェックしないと新たな情報を引き出すことができなかった。しかし、有用な情報を流してくれる信頼できる人たちを多数フォローしていると、ツイッターというプラットフォーム上にいるだけで、自分に必要な情報が「ひとりでに」次々と集まってくる。


 気鋭のITジャーナリスト、佐々木俊尚氏の『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』(ちくま新書)が面白い。ソーシャルネットワークに関する先進的な視座を示した好著だ。グーグルは人的処理を徹底的に排除して自動化していった結果、逆に雑音が増えて本当に欲しい情報が得られにくくなっている。結局は、信頼できる「目利き」が選んだ情報が一番有用なのだ。昔ながらの「人と人とのつながり」は、いまTwitterやfacebookに形を変えて再構築されようとしている。


2011年3月13日 (日)

パパズ絵本ライヴ(その76)喬木村椋鳩十記念館図書館


YouTube: 『Hard Times Come Again No More』矢野顕子+Gil Goldstein4/5


■喬木村からの帰りに、飯田市上郷のブックオフに寄ったら、このところずっと探していたCD『ウェルカム・バック』矢野顕子を見つけた。最もジャズ的な傑作CDで、しかも最高のメンツ、パット・メセニー(g) チャーリー・ヘイデン(b) ピーター・アースキン(drs)ときている。この中の数曲は、以前購入した30周年記念CD+DVDで聴いていたのだが、伊那への帰りの道すがら、さっそく車の中で聴いてみたら、CD8曲目の初めて聴いた英語の歌詞の曲に心を奪われた。実にシンプルな曲なんだけれど、人の心を動かす力がある。


「Hard Times, Come Again No More」って曲だ。この曲、ぼくは知らなかった。あの「おぉスザンナ」とか「スワニー川」などの作曲で有名な、アメリカの国民的作曲家フォスターの曲なのだそうだ。人類は理不尽で辛い困難な事態に今まで何度も何度も遭遇してきたけれど、でも、もうこれ以上、こんなにも不条理で理不尽な現実はごめんだ! そういう歌だ。ほんとうにそう思う。ただいたたまれなくなって、胸が苦しくなるばかりだが、でも、彼女(矢野顕子)の歌声には、微かではあるけれど、確かな希望があるよ! 絶対に。そうさ。そうに違いない。






YouTube: Yo-Yo Ma James Taylor - Hard times come again no more


こちらは、ジェイムス・テイラーとヨーヨー・マの「Hard Times, Come Again No More」。これも誠実で、じつにいい演奏だなあ。

ぼくにいまできることは、無駄な電気を消して、被災地の皆さんのために、ただただ祈るだけだ。

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■パパズ絵本ライヴ(その76)喬木村椋鳩十記念館図書館。こうした事態に加え、当地ではインフルエンザが流行中とのことで、それでも会場へは30数名の親子連れが集まってくれた。今日は、坂本さんが法事でお休みだったので、坂本さんの得意ネタ『どうぶつサーカスはじまるよ』を、ぼくが読ませていただく。坂本さん、ごめんなさい。

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1)『はじめまして』
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店) → 伊東
3)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏雄・作(福音館書店) → 北原
4)『かごからとびだした』(アリス館) → 全員

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5)『このすしなあに』塚本やすし(ポプラ社) → 宮脇
6)『ねこのおいしゃさん』 → 全員


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7)『ランドセルのはるやすみ』村上しい子・文、長谷川義史・絵(PHP研究所) → 倉科

8)『ふうせん』 → 全員
9)『世界中のこどもたちが』篠木眞・写真(ポプラ社) → 全員


2011年3月 9日 (水)

『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス著(講談社青い鳥文庫)読了

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『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス・著、足沢良子・訳、E=アーディゾニ・絵(講談社青い鳥文庫)を読んだ。これ、面白かったなぁ。

読みながら感じたのだが、視覚的イメージにすごく長けている小説なのだな。ぼくも、この小説の中で一番好きなシーンは「coxさん」と同じく、急行列車が通り過ぎるアーチ型石橋の下の川からカヌーに乗った主人公が列車のデッキに立つ彼女を見上げるシーンだ。ここはいいなぁ。

その次に好きな場面は、主人公のデイビッドが停留所でもない道端で、彼の父親(モス氏)が運転するバスを強引に停めて乗り込むところと、その後の展開。この父親の息子に対する態度がすばらしいんだ。何ていうか、自分の息子のことを絶対的に信頼しているのだよ。 あと、デイビッドとアダムがコドリング邸の屋根裏から秘密のドアを通り抜け屋根の上に出て、セイ川の流れとその周辺の風景をしみじみと見渡すシーンもいい。


この小説を読んでいて、ずっと感じていた不思議な「既視感」があった。
この「セイ川」の風景、以前にどこかで見たことがあるぞって。

そうして思い出したのが、冒頭の「この写真」だ。

1994年2月22日に、イギリスのケンブリッジで撮られたもの。ケム川の畔、笑顔で佇むのがぼくの妻。じつはこの時、彼女はインフルエンザに罹患していて 39℃の発熱があった。従姉妹の旦那さんがケンブリッジ大学に留学していたので、従姉妹のお母さんといっしょにはるばる渡英したその翌日からの熱発。(ぼくは日本で留守番だった)


従姉妹夫婦のアパートメントで2日間、観光もできずにただただベッドで寝ていた妻が、それでもと従姉妹夫婦が住むケンブリッジで撮った写真がコレなのだった。

背後に流れる川が「ケム川」。その川に架かる橋、という意味で「ケンブリッジ」なんだね。ほとんど流れがなくて、まるで松本城のお堀みたいだ。


■ところで、この小説の作者フィリパ・ピアスの代表作『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)を読むと、8ページにイングランド東北部の地図が載っている。ケム川を遡ってケムブリッジから上流へ南に行くと、フィリパ・ピアスが生まれ育ったグレート・シェルフォドに至る。この村が『ハヤ号セイ川をいく』の舞台であり、『トムは真夜中の庭で』の「あのお屋敷」が建つ場所なのだった。


それから、この地図をもう少し詳しく見てみると、右上、北海に出っ張った半島状の岬がある。ここにあの、カズオ・イシグロの傑作『私を離さないで』で「紛失物置き場」となった、あのノーフォーク海岸があるのだよ。


■以下はTwitter から。

・昨日の夜の伊那中央病院小児一次救急当番。夜7時から9時まで結局一人も来なかった。こんなこと初めて。ひまだったので、ブックオフで入手したフィリパ・ピアス『ハヤ号セイ川をいく』を読み始める。「冒険と友情の世界が展開する児童文学の名作」とのことで面白そう!
2011年2月26日 09:20:44JST webから


・NHK朝の連続テレビ小説『てっぱん』。いよいよ佳境だなあ。今日もボロボロ泣かされた。この後いったいどう決着をつけるんだ? 「週刊文春」今週号 p109 で、青木るえかさんも面白いっていってたよ『てっぱん』。
2011年3月5日 08:06:29JST webから


『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス(講談社青い鳥文庫)3/4まで読み進む。う〜む、こちらも佳境に入った。夏休み、カヌー、少年2人、友情、冒険、暗号解読、宝探し、謎のライバル。こいつは実によく出来た小説だ。面白いぞ! さて、この本を読み終わったら、いよいよアーサー・ランサムだ。
2011年3月6日 00:46:01JST webから


先ほど『ハヤ号セイ川をいく』を読了。これは面白かったなあ。イギリス児童文学恐るべし! ミステリーとしても実によく出来ていて、宝物が見付かりそうで見付からず最後までハラハラドキドキ。しかもBoy meets Girl の物語でもあってp402が泣ける。宮崎駿はなぜ映画化しないのか?
2011年3月7日 00:49:49JST webから

2011年3月 4日 (金)

春風亭一之輔さんを、初めてナマで聴く

■先週は、流行中のウイルス性胃腸炎に罹って水様下痢に悩まされたが、下痢がよくなったかと思ったら、今週は喉をやられて声が出なくなってしまった。濃い鼻汁に痰のからんだ咳、熱はないが、得もいえぬ体の怠さが続いている。そんなに不摂生な生活をしているつもりはないのだが、体力が弱ると、次々と病原体が容易に侵入してくるようだ。


また、こういう時に限って忙しいときている。


今度の日曜日は当番医で、来週の火曜日までに上伊那医師会2月の理事会の議事録をテープ起こしして事務長さんに提出しなければならない。翌日、水曜日の昼には伊那東小学校へ出向いて、卒業間近の6年生に「薬物依存とタバコの害」の授業をすることになっているのだが、その準備も全くできていない。さらには、上伊那医師会報3月号の巻頭言を書く約束になっていて、その締め切りが来週末の金曜日ときている。いやはや、まいったなぁ。


■さて、小学館『サライ』責任編集「隔週刊CDつきマガジン・落語 昭和の名人完結編」の刊行が始まった。その第1巻は「桂枝雀・代書、親子酒」で、確かこの音源は持っていたように思ったので買わなかった。で、その2巻目が「古今亭志ん朝」だ。これは即買った。東横落語会の音源(「居残り佐平時」s55/05/16 「猫の皿」 s53/11/29 収録)だったからだ。


よく、立川志らく師が言っていることだが「江戸の風が吹くものを古典落語という」と。


古今亭志ん朝の落語は、まさに「江戸の風」が吹いている。
志らく師が大好きな志ん朝師の兄、金原亭馬生の落語にも、たしかに「江戸の風」が吹いていた。

ただ、勘違いしてはいけないのだが、じゃぁ、チャキチャキの江戸っ子でなければ「江戸の風」を落語の中に吹かせることができないかと言うと、決してそうではないのだな。そこが落語の面白いところだ。


■と言うのも、今週の日曜の午後、駒ヶ根「音の芽ホール」で落語を聴いてきたのだが、そこには確かに「江戸の風」が吹いたように思ったのだ。っていうか、その落語家さんの所作、立ち振る舞い、口調に、古今亭志ん朝の粋と江戸前が重なって見えたのだ。

ところで、その落語家さんは江戸っ子ではない。


なんと、山下洋輔氏のお兄さんが醤油を作っていた(ヒゲタ醤油)千葉県野田市の出身なのだ。そう言えば、柳家三之助さんは千葉県銚子市の出身だったか。そうは言っても、彼は実力派正統落語家を数々生んできた、あの「日大芸術学部・落研」出身。今は亡き古今亭右朝。それから高田文夫、立川志らく。みな「日大芸術学部・落研」出身だ。(ちなみに、柳家喬太郎師は、同じ「日大」でも、名門「日大芸術学部の落研」出身じゃなくて、日大商学部の落研出身なのだった。)


で、「その落語家さん」の写真が、例の「隔週刊CDつきマガジン・落語 昭和の名人完結編2」の14〜15ページに載っているのですよ。「羽織の着方」の説明ページ。でもこの人、写真写りが悪すぎる! 実物はこの10倍いい男なのに。


彼の名は、春風亭一之輔。


昨年10月からは、日曜日の早朝にFMラジオのパーソナリティも務めている。『SUNDAY FLICKERS』だ。ぼくも何度か車の中で聴いたことがある。じつはこの放送、収録もとの「東京FM」では放送してなくて、FM長野をはじめ全国地方FM局でネットされているのだとか。


でも「こちら」で、ポッドキャストが聴けます。一之輔さんの「ダイジェスト落語」も聴けます。


■世間では、日本で一番「落語会」に通いつめているライターは堀井憲一郎氏であると思われているけど、堀井氏にまけないほど「落語会」に通い詰めているライターがいた。それが、月刊音楽雑誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏だ。


その広瀬氏が「いま一番の注目の若手落語家」として追っかけているのが、春風亭一之輔さんだ。


広瀬氏がどれほど春風亭一之輔に惚れ込んでいるかは、『この落語家を聴け!』(集英社文庫)の「文庫版のためのあとがき」を読めばよくわかる。なんと、まだ二ツ目の春風亭一之輔さんのために、まるまる3ページを割いているのだ。これは破格のあつかいと言えるな。


■追加(Twitter に書いたこと)


今日の午後3時から駒ヶ根市「音の芽ホール」であった「春風亭一之輔 噺の会その弐」を聴きに行ってきた。面白かったなぁ。一之輔さんはぜひ一度ナマで聴いてみたいと前から思っていた人だ。最後に入場したら最前列正面の3席だけ空いていて僕ら家族で座る。高座の落語家さんと超至近距離で緊張したよ。


(続き)観客は全部で30数人のアットホームな会で、そこがまたよかったな。考えてみれば贅沢な落語会だ。演目は「ろくろ首」「天狗裁き」「竹の水仙」。評判には聞いていたが、いや実際、この人はうまい。面白い。声もいい。ぜひまたナマで聴いてみたいと思う。


(じつは続き)春風亭一之輔さんの噺では、「あくび指南」か「茶の湯」を聴いてみたかったのだが、「あくび指南」は去年の6月に駒ヶ根へ来た時にやったんだね。その時、今日うちの次男が座った席にやはり小学性がいて、でも横の父親と本人の許可を得て郭噺をやったと一之輔さんが言ってたが「明烏」か? (追伸:H22年6月に駒ヶ根に来た時の演目は、「初天神」「あくび指南」「明烏」だったそうだ。)

2011年2月27日 (日)

パパズ絵本ライヴ(その75)コーア(株)次世代育成研修会

■昨日の土曜の午後は、久々の「伊那のパパズ」だった。

土曜日の外来が長引くと、午後3時からの開演に間に合わないので、この日は申し訳ないけれど午後1時半前で診療をお終いにさせていただく。最後の患者さんを診終わって昼飯をかき込み、それから今日読む絵本を選ぶ。子供たちの年齢層がイメージできないので、結局、あかちゃん絵本から年中組くらいの絵本を7冊セレクト。


この日の会場は、箕輪町の工場団地内にある、株式会社 KOA(コーア)
上伊那では、あの「かんてんぱぱ」の伊那食品とならぶ優良企業だ。
コーアでは、次世代育成事業として、父親の子育てを積極的にサポートしており、その一環として今回われわれが呼ばれたというワケだ。


■この日われわれパパズメンバーは、午後2時半までに現地集合ということになっていたのだが、コーアの広大な敷地の中の、いったいどの建物の中で行われるのか全く理解していなかった。結局は「MU(ミュー)ウィング」という場所だったのだが、ぼくと、宮脇さんと、伊東さんの3人は行き着くことができなかった。(倉科さんのナビで何とかたどり着けたけどね(^^;;)


スウェーデン製(?)の薪ストーブが赤々と燃える会場では、20組の親子連れが待っていてくれたよ。でもなんか、よく患者さんで来てくれている子供さんやお父さんお母さんもいるなぁ。ちょっと恥ずかしいなぁ。


   <本日のメニュー>(カメラをまたも忘れてしまったので写真はなし)

  1)『はじめまして』
  2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店) → 伊東
  3)『バルンくん』こもりまこと(福音館書店)   → 北原
  4)『とら猫とおしょうさん』(くもん出版)→ 坂本

  5)『かごからとびだした』

  6)『へんしんクイズ』あきやまただし(金の星社) → 宮脇
  7)『うしはどこでもモ〜』(すずき出版) → 倉科

  8)『ふうせん』
  9)『世界中のこどもたちが』篠木眞・写真(ポプラ社)

2011年2月23日 (水)

『海炭市叙景』(つづき) 函館、そして高遠。

■『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読み終わり、いまふたたび
最初の一篇「まだ若い廃墟」を読んでいる。やはり、この一篇が一番凄い。こうしてあらためて読むと、さらに切々と胸に迫るものがあるな。

文庫本の表紙は、海抜389m の函館山だ。

第一章、第二章それぞれ9篇ずつ、計18篇の短編が収められた「この本」では、主人公ではないが重要な登場人物である「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんと「裸足」のアノラックの男を入れれば、海炭市に暮らす20人の仕事と生活が描かれている。それはちょうど、「まだ若い廃墟」の中で21歳の妹が以下のように呟くことと呼応している。


 夏の観光シーズンには、他の土地からたくさんの人たちが夜景を見る目的であわただしくやって来る。人口三十五万のこの街に住んでいる人々は、その夜景の無数の光のひとつでしかない。光がひとつ消えることや、ひとつ増えることは、ここを訪れる人にとって、どうでもいいことに違いない。それを咎めることは誰にもできない。(『海炭市叙景』12ページ)


この本の登場人物である彼らが、朝な夕な折に触れてふと見上げるのが、街のどこからでも目に入る「この山」だ。人々の日々の生活に根ざした山。冬も春も、夏も秋も四季折々で「この山」は表情を変える。


ぼくはふと、自分が生まれ育った町「高遠」のことを思った。

そこにはやはり、町を静かに見下ろす「山」があったからだ。
東を見上げれば、南アルプス仙丈ヶ岳 (3033m) 、夕日が沈む西側には中央アルプスの山々。


ぼくは小さい頃から毎日、朝な夕な「この山」を見て育った。いま住む伊那市街からも、高台に上がれば仙丈ヶ岳はよく見えるが、やはり高遠からの角度から見た仙丈が一番迫力があり恰好もいい。


■高遠に生まれ育った作家、島村利正は、小説「庭の千草」の冒頭で仙丈ヶ岳と高遠の町の佇まいをじつに印象的なタッチで紹介している。そうして小説のラストでは、夕日に暮れる中央アルプス西駒ヶ岳と高遠の街並みが描かれる。島村氏の故郷「高遠」が登場する小説は、このほかにも「仙醉島」「城趾のある町」「焦土」「妙高の秋」「奈良登大路町」「江島流罪考」などがある。


島村利正氏は、十代半ばで高遠の町と家族を捨て、家出同然のようにして奈良飛鳥園へと出て行ってしまう。以来、島村氏が高遠で暮らすことはなかった。でも、このとき高遠の町を離れなければ、作家:島村利正は誕生しなかったわけで、運命の不可思議を感じてしまう。


■『海炭市叙景』の作者である佐藤泰志氏は、このウィキペディアを読むと、函館西高等学校を卒業し1970年に上京。國學院大學卒業後も東京に留まり、仕事の傍ら作家活動を続けるが心身不調が続き、1981年に生まれ故郷の函館に家族4人で転居。小説「きみの鳥はうたえる」が第86回芥川賞候補作となったことを契機に、翌年再び東京に戻り国分寺の借家で作家活動に専心する。


この頃のことを回想した、佐藤氏の長女への「インタビュー記事」(北海道新聞)が壮絶だ。佐藤氏本人も、妻も子供らも修羅の毎日だったのだのだなぁ。


この記事を読んで、ぼくはふと『海炭市叙景』第二章の5篇目「昂った夜」に登場する、老父母を大声で怒鳴りつける喪服の男が佐藤泰志氏本人のように感じてしまった。


佐藤泰志氏に比べれば、先だって芥川賞を取った西村賢太氏なんて「甘ちゃん」なんじゃないか?

■ところで、佐藤氏と同年代の作家として村上春樹氏がいるわけだが、ふと、村上春樹氏も『海炭市叙景』のような感じの本を出していることに気がついた。それは、『アンダーグラウンド』だ。しかし、『海炭市叙景』のハードカバー本が集英社から出版されたのが 1991年だったのに対し、『アンダーグラウンド』が出版されたのは、1997年だった。

■ここまで書いて、再び「まだ若い廃墟」を読み始める。

 夜がすこしずつ明けはじめた。(中略) 陽が水平線に顔を覗かせると、周囲に歓声が起こった。(中略)

兄も黙って太陽を見つめていた。ところどころで歓声がもれ、ふたたび溢れるばかりの喜びの声が戻りかけても、兄の表情は変わらなかった。なんだか放心しているように見えた。わたしはそんな兄を一瞬見上げ、ついで下唇を軽く噛んで海の方に視線をやった。

 兄はあの時、なぜ黙っていたのだろう。わからない。その沈黙がわたしに移った時、一瞬、心をよぎったものがある。けれど、それとてもはっきりとはわからない。あれは一体なんだったのだろう。(中略)


 そうだった。あの時、わたしはこの街が本当はただの瓦礫のように感じたのだ。それは一瞬の痛みの感覚のようだった。街が海に囲まれて美しい姿をあらわせばあらわすほど、わたしには無関係な場所のように思えた。大声をあげてでもそんな気持ちを拒みたかった。それなのにできなかった。日の出を見終わったら、兄とその場所に戻るのだ。(『海炭市叙景』17〜18ページ)


■この文庫本が出版されるのに尽力した、小学館の編集者、村井康司氏はジャズ評論家としても有名な人だ。村井氏の Twitter を読んで初めて気がついたことだが、『海炭市叙景』の中で「一人称」で語られるのは、この「まだ若い廃墟」と「一滴のあこがれ」の2篇のみなのだな。どうにもならない絶望の向こうに、微かな希望の光を感じさせる、まだ若い兄妹の妹と、中学2年生の男の子だ。

2011年2月19日 (土)

『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読んでいる

■市居の人々が日々暮らす土地とささやかな日常を、地味に丹念に描いたのが島村利正という作家だと思う。戦前から何度も芥川賞の候補に挙がりながら、結局受賞することはなかった。

東京での生活をあきらめ、生まれ故郷の函館に妻と子供を連れて戻り、職業訓練所に通いながら「この短編集」の構想をねったといわれる作家佐藤泰志氏は、僕の中では島村利正氏と重なる部分がすごく大きい。佐藤氏も5回も芥川賞の候補になりながら、結局受賞することはなく、妻子を残して41歳の若さで自死した。


そんな彼の最後の短編集(未完)が、この『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)だ。


先だってから、少しずつ読み進みながら、Twitter に感想を書いている。(以下転載)


●『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読み始めた。これ、映画になったんだ。さっき読み終わって強いインパクトに打ちのめされた「裂けた爪」の晴夫役が加瀬亮なのか。ちょっとイメージ違うな。加瀬亮は「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんだろう。12:05 AM Feb 16th webから(追記:「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんは、竹原ピストルが好演したらしい)


●『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)より「一滴のあこがれ」を読む。これいいなぁ。切手収集が趣味の14歳中学2年生の男子が主人公。ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』の事がでてくる。少年の希望を感じさせる函館山の描写がすばらしい。
6:11 PM Feb 17th webから


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「夜の中の夜」を読む。パチンコ屋の2階に住み込みで働く店員、ワケありの中年男「幸郎」のはなし。これはハードボイルドだね、北方謙三か志水辰夫の小説の感じがする。


●『海炭市叙景』より「週末」を読む。34年間毎日路面電車を操作してきたベテラン運転手の、ある3月末の土曜日の午後「いつもと変わらぬ」勤務の様子が淡々と描かれる。この街に関して、少なくとも電車の車窓から見える範囲のことは誰よりも一番よく判っている。プロとしての自信と心意気が沁み入る。


●『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)より「裸足」を読む。アノラックの男が切なく可笑しい。「俺が何か悪いことでもしたか。自分で稼いだ金だ(中略)俺は一滴も酒を飲んではいけないのか、女と寝てもいけないのか」しかし、港の娼婦たちもその道のプロ。自分の仕事に彼女らなりの誇りがあるのだ。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「まっとうな男」を読む。「裸足」に似て、この話の主人公も切なくて可笑しい。元炭坑夫の男は50過ぎ。成田空港建設の出稼ぎ先で反対闘争の連中に殺られる思いをして地元へ帰ったが仕事はなく職業訓練所に通う日々。ある夜、理不尽にも覆面パトカーに捕まってしまう


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「大事なこと」を読む。水産高校の投手で、地区予選の二回戦でコールド負けした主人公はいま、町内の朝野球チームの投手だ。彼は横浜高校の愛甲投手がロッテに入団した時から打者としての素質を見抜き密かに応援してきた。でも、チームの幼稚園園長の息子は彼を嫌った


●(続き)幼稚園園長の息子が、プロの選手で誰が一番好きかと訊いた。主人公は勿論、あいつの名前をいった。すると彼は「あの男は不良だぞ。根性の悪い、狡い奴だ」といった。すると主人公はこう反論したのだ「それがどうしたんだ、あいつはプロの野球選手だ、ものにできる投球は確実にヒットにできればいい、違うか」


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「夢見る力」を読む。電力会社に勤める35歳の男が競馬場のオーロラビジョンを一心に見つめる。サラ金から借りた8万円はすでに五千円を残すのみ。このダメダメ男、どんどんギャンブルのドツボにはまっていく様が滑稽ではあるが、読みながらいつしか男の気持ちになっている自分がそこにいた。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「昂った夜」を読む。18歳の女の子が主人公。教育者の父のもと一人娘として育ったが、暴走族の仲間とパクられて私立女子校を退学。いまは空港レストランのウエイトレスをしながら、1〜2年後には東京へ出て行くつもり。東京への最終便がもうすぐ出るある夜の出来事。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「黒い森」。プラネタリウムに勤める市職員49歳。妻は9歳年下、一人息子は高校1年生で八畳と六畳のアパート住い。マンションを買いたい妻は、1年前から友人のスナックで夜のバイトを始めた。最近では土曜の夜に外泊してくる。ウジウジした男が疎ましくも切ない。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「衛生的生活」を読む。「黒い森」と同じ公務員なのに、何なんだこの嫌らしさ。47歳の職安相談窓口職員。ゴロワーズには笑った。かまやつひろしの歌にもあったね。それにロミー・シュナイダー、死んじゃったねぇ。「見栄っ張りで尊大で自分を何者かだと思っている」でも、俺にも似たところがあるなぁ。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「しずかな若者」を読む。誰かも書いていたが、村上春樹の短篇みたいだ。7月の終わり、別荘地でひとり過ごす19歳の大学生。ジャズが好きで、ジム・ジャームッシュの映画も好き。なんだ俺といっしょじゃん。でもオスカー・ディナードは知らないな。夏なのに静かでクールな若者。この小説の雰囲気、ぼくは好きだ。


■函館の街は、過去に2回訪れたことがある。

1回目は学生時代。真冬に常磐線の夜行列車に乗って青森に着き、青函連絡船で北海道に渡った。このとき、八雲町のジャズ喫茶『嵯峨』のマスターとママにお世話になり、函館では『バップ』のマスター松浦さんに会っている。この時泊まったのは、市電に乗ってしばらく行った先の競馬場に近い温泉街の安宿だったと思う。函館の老舗ジャズ喫茶『バップ』は、近隣の火事のための放水で地下の店が水浸しとなり一時休業していたが、別の場所に移転して再開したのだそうだ。よかったよかった。


2回目は結婚した年の7月だったな。

名古屋から函館空港に着いて、その夜は函館山の麓のペンションに泊まった。そこからロープウェイの発着所まではすぐで、チェックインの後にロープウェイに乗って山頂へ行き、あの有名な函館の夜景を眺めたのだった。

翌日、レンタカーを借りて羊蹄山の麓まで行き、翌々日は小樽で寿司を食った。

あの、関根勤のマネージャーの実家で、女性の女将さんが寿司を握るといことで話題になっていた店だ。

2011年2月11日 (金)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その74)甲府市、山梨英和幼稚園

■今日は朝から雪だった。

でも、前日の夜に何だか一人で盛り上がってしまって、自宅飲みを始めたぼくは、酎ハイにワインを足して、いつしか言語道断前後不覚状態に陥ってしまったのだった。翌日の早朝、山梨県甲府市まで、パパズの面々を乗せ、自家用車を運転して行かねばならないというのに、なんという無責任さ。


翌朝の目覚めは最低だった。


明らかに、アルコールの血中濃度は逮捕基準を超えていたな。だって、寝てからまだ5時間しか経ってなかったから。


冷静な妻に怒られて、ぼくは助手席に座った。

「ごめん、伊東先生。というワケで、運転できないんだ。だから、坂本さんの事務所まで連れてってくれる?」
格好悪かったなぁ。でも仕方ない。自分が悪いのだから。

そこうして、坂本さんは仕方なく免許証を車に取りに行ってから運転席に座った。本当にスミマセン。二日酔のぼくは助手席だ。


辰野パーキングで倉科さんを拾って、車は一路山梨県甲府市へ。標高が下がればきっと雨に変わるに違いない! そう確信していたのに、甲府昭和インターを通過しても「雪のまま」だった。

結局、この日は山梨でも終日「雪」だったのだ。やれやれ。
山梨英和幼稚園は、この5月で創立100周年を迎える由所ある幼稚園だ。この日は、こどもたちにお父さん、おかあさん、合わせて200人以上が集まってくれたよ。お父さんは30人以上いたな。うれしかった。


終了後、インド人のお母さんが作ってくれた「インドカリー」をご馳走になる。爽やかな辛さ(でもかなり辛い)の野菜カリー。これ、マジ美味かったです。園長先生ほか皆様、本当にありがとうございました。


ところで、帰りは二日酔も醒めたぼくが運転して帰ったよ。


<本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ

2)『マジック絵本』佐藤まもる(岩崎書店) → 北原
3)『バナナです』『いちごです』川端誠(文化出版局) → 北原
4)『コッケモーモー!』 → 伊東

5)『おーいかばくん』 → 全員
6)『かごからとびだした』(アリス館) → 全員

7)『のっぺらぼう』 → 坂本
8)『すてきなぼうしやさん』 → 全員

9)『ぶきゃぶきゃぶー』 → 倉科

10) 『ふうせん』 → 全員
11) 『世界中のこどもたちが』 → 全員


2011年2月10日 (木)

佐野元春『月と専制君主』

『キュレーションの時代』佐々木俊尚(ちくま新書)が面白い。佐々木俊尚さんのことを知ったのは、つい最近のことだ。最先端のIT関連話題にたいへん詳しいジャーナリストとして、なんとなく Twitter をフォローし始めたのだ。

ところで、今をときめくイラストレーター松尾たいこさんが、Twitter で料理下手を弁解しつつ、でも、優しい「旦那さん」が作ってくれた手料理をときどき写真でアップしていて、それがまた実際にとても美味しそうな料理だったのだな。


で、松尾さんの「優しい旦那さん」って、いったいどんな商売をしているのだろう? て、ずっと気になっていたのだが、あの「さとなお」さんが、松尾さんと夕食を共にした時に、彼女の夫が佐々木俊尚氏であることを知り、ビックリしてツイートしたのを読んだ僕は、もっとビックリしたのだった。なんか、世の中せまいなぁ。不思議とリンクしてくんだねぇ。


佐々木俊尚氏の本を読んだのは初めてだが、特筆すべきことは、文章がとっても読み易いということだ。しかも、抽象的・観念的な論考になることを極力避けるように努力していて、分かり易い具体的な例を挙げて解説してくれる。しかも、ジョゼフ・ヨアキムの物語に始まって、いきなし、ブラジルの知る人ぞ知る音楽家エグベルト・ジスモンチ来日公演の話。


と思ったら、僕も大学生の時に映画館で観て衝撃を受けた日本映画の傑作『青春の殺人者』長谷川和彦監督作品のはなし。

あ、この人は「ぼくと同じ空気を吸った人」だ。瞬時にそう理解した。


■というワケで、毎朝早朝に連続ツイートされる佐々木俊尚氏の発言を、注意して読んでいたら、


「佐野元春セルフカバーアルバム「月と専制君主」。四半世紀ぶりぐらいに彼のアルバムを購入。痺れた。素晴らしすぎる・・。http://amzn.to/emLPD3  8:43 AM Jan 27th Seesmic Webから」


っていうツイートがあった。ぼくは「おっ!」って思った。

で、さっそくアマゾンで購入したんだ、佐野元春『月と専制君主』。ぼくも『VISITORS』以来 25年ぶりに彼のアルバムを購入したことになる。それから、毎日ずっと聴いている。

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■つい先だって、佐野元春特集号だったから、じつに久しぶりで買った『ミュージックマガジン2月号』の編集後記(高橋修編集長)を読んで驚いた。そこには、こう書かれていたのだ。


個人的に佐野元春は思い出深いアーティストだ。彼を初めて知ったのは、たぶん僕の世代には多いと思うのだが、TBSラジオの深夜放送「林美雄のパックインミュージック」でのことだった。その番組に、「光が当たっていない良い曲」という基準で、パーソナリティの林美雄が独断と偏見でランキング(応援)する「ユア・ヒットしないパレード」というコーナーがあり、」そこで佐野元春の「アンジェリーナ」が執拗にかけられていたのだ。


あ、そうか。ぼくが佐野元春のことを知ったのは、林美雄のパックインミュージックだったんだ。


でも、彼のLPを初めて購入したのは『ビジターズ』だから、1984年。ということは、この年のぼくは既に大学を卒業していて、小児科医になって2〜3年目、北信総合病医院小児科医員だったのかもしれないな。それから、佐野元春のシングル盤『ヤングブラッズ』を買ったのは、何時のことだったろう? ぼくの大好きな曲で、あの頃、カラオケに行けば必ず唄っていたな『ヤングブラッズ』。


あの頃、夜な夜な酔っぱらっては、アパートの大家さんにご迷惑をおかけしていたな。ごめんなさい、大家さん。あの晩も、深夜に大音量で佐野元春の『ヤングブラッズ』をJBLのスピーカーから大音量で流しながら踊っていたのです。ごめんなさい、ほんとうに。


そんなかんなを思い出しながら、先だって年末の「家族忘年会」のカラオケ・ボックスで久々に『ヤングブラッズ』を唄った。中学2年生の長男が言った。「おとうさん、音痴だね。でも、いい曲じゃん!」


で、つい先日、自家用車のHDに録音した『月と専制君主』の3曲目を、後部座席に乗った長男が聴いたんだ。そしたら彼が言った。

「あっ! 知ってるこの曲!」ってね。 うれしかったな。
佐野元春って、ほんとカッコイイんだぜ!


■ところで『月と専制君主』だが、聴き込むほどにジワジワとその良さが増してくる素晴らしいCDだ。こういうのをホンモノの「大人のロック」と言うんだな、きっと。

1曲目、「ジュジュ」。キャッチーなドドンパ・リズム(スティービー・ワンダーの名曲、 Isn't She Lovely のあと乗りリズムね!)佐野のちょっとルーズでくつろいだヴォーカルの感じが何とも心地よい。


3曲目、「ヤングブラッズ」。やっぱりこの曲が聴きたくて、このCDを買ったワケだし、確かに一番聴き応えがあった。54歳になった佐野元春の声量が落ちたこともあるのだろうが、変に力まずに「ふっ」と肩の力を抜いて軽やかに歌っていることに何よりも感動した。しかも、バックのリズムがサンタナみたいなラテン・ロックとでもいうか、『アリゲーター・ブーガルー』で60年代後半に流行したジャズ「ブーガルー」のリズムなのだな。これには驚いたよ。


でも、聴き込むうちに何ともこのリズムが「いまの自分」の心に沁みるのだなぁ。
ゆるいんだけれど、張り詰めた緊張感がある演奏。
付属のメイキングDVDを見ると分かるのだが、スタジオ・ライヴに近いような形で「なま音」にこだわって作られたことがよくわかる。

6曲名、タイトルにもなった「月と専制君主」。このリズムパターンは、80年代半ばに流行した、イギリスのスタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」の感じだな。懐かしくて、とっても心地よい。


8曲目、「日曜の朝の憂鬱」と、9曲目「君がいなければ」。これは双子のような曲だ。「君がいなければ」とか、「ときどき」とか、同じ言葉が頻回に使われている。でも、この2曲を聴いた印象はぜんぜん違うのだ。不思議だなぁ。

「日曜の朝の憂鬱」はアルバム『VISITORS』に収録されていて、LPで何度も聴いた懐かしい曲だ。「君がいなければ」は、今回初めて聴いた。これは本当にいい曲だね。しみじみいい曲だ。

   ときどき、なにも聞こえないふりをしてしまうけれど
   ときどき、なにも知らないふりをしてしまうけれど

   君がいなければ 君がいなければ
   切なさの意味さえ知らずに夢は消えていただろう。

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