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2011年1月 9日 (日)

2010年、読んだ本のベスト(ノンフィクション編)

■さて、続けて「ノンフィクション編」です。
こちらは豊作だったなぁ。面白い本、凄い本が目白押しだ。


1)『ヤノマミ』国分拓(NHK出版) (その1)(その2)

 これは本当に凄い本だった。読み終わったあと、著者に罹った呪術がそのまま伝染したような気がしたし、実際にそうだった。それでさらに、ほんとうに怖ろしくなった。コンラッド『闇の奥』のクルツの言葉ではないが、ただ「おそろしい、おそろしい」と一人つぶやくだけだった。


2)『空白の五マイル・チベット世界最大のツアンポー峡谷に挑む』角幡唯介(集英社)(その1)(その2)(その3)

 さすが、元朝日新聞記者だけのことはあって、タイトでスピーディで、無駄のない畳みかける文章で、本当にぐいぐい読ませる。それでいて、そこかしこに「ボケ・ツッコミ」のユーモアが入るのだから、これはもう一つの話芸ですかね。傑作です。


3)『哲学者とオオカミ』マーク・ローランズ著(白水社)

 さて、そろそろ本当に犬を飼おうか。


4)『白鍵と黒鍵の間に』南博(小学館文庫)(その1)(その2)


5)『もぎりよ今夜も有難う』片桐はいり(キネマ旬報社)


6)『赤ちゃんと絵本をひらいたら ブックスタートはじまりの10年』NPOブックスタート編著(岩波書店)
(その1)(その2)(その3)


7)『昭和の爆笑王 三遊亭歌笑』岡本和明(新潮社)(その1)(その2)(その3)


8)『ジャズ喫茶論』マイク・モラスキー著(筑摩書房)(その1)(その2)


9)『考えない人』宮沢章夫(新潮社)(その1)(その2)


10)『落語の世界』五代目・柳家つばめ(河出文庫)

2011年1月 8日 (土)

2010年、読んだ本のベスト(フィクション編)

■昨年も、小説をあまり読めなかったような気がする。

話題本はいっぱい購入したのだけれど。積ん読ばかりだ。
いったい、いつ読むつもりなんだ? 死ぬまでに読めるのか?

でも、毎年の恒例なのでアップしておきます。


1)『残菊抄』 『奈良登大路町』 島村利正・著

 昨年は何と言っても、郷土・高遠町に生まれ育った作家「島村利正」を発見したことが一番だ。
 ブログでは言及していないが、『残菊抄』の主題は、最近読み終わった、『音もなく少女は』と同じ「母と娘が、男と運命に翻弄されながらも前向きに凛として生きる」だった。その不思議な一致にちょっとビックリした。


2)『音もなく少女は』ボストン・テラン著、田口俊樹・訳(文春文庫)

 これは読むのに時間がかかったなぁ。文章が濃いのだ。しかも重く暗い内容が辛くて、一気にはとても読めなかった。ぼくは気に入った文章があるページを折る癖があるのだが、読み終わってみたら、この文庫本には 200ページ近く折り込みがあった。アフォリズムに満ちているのだよ。だから気軽に読み飛ばすことができない小説なのだ。結局、ラストまでそうだった。


この小説はミステリーとは言えないが、紛れもないハードボイルド小説だ。それそれ別々に男に虐げられてきた女たちが、あまりに理不尽な現実世界に耐えて耐えて耐えて、最後にとうとう堪忍袋の緒が切れて立ち上がる、っていう話だからだ。言ってみれば、ニューヨーク・ブロンクス版『昭和残侠伝』だな。ただ違うのは、高倉健・主演、池部良・助演じゃぁなくって、主演・助演・共演者がみな「女性」である、ということだ。

それにしても、いわば池部良役(ちょっと違うか?)の「フラン」がカッコイイ。もう痺れてしまうぜ!

3)『身の上話』佐藤正午(光文社)


4)『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎(新潮社)


5)『愛おしい骨』キャロル・オコンネル(創元推理文庫)


6)『密やかな花園』角田光代(毎日新聞社)


7)『老人賭博』松尾スズキ・著(文藝春秋)


8)『横道世之介』吉田修一(毎日新聞社)


9)『八月の暑さのなかで――ホラー短編集』金原瑞人・訳 (岩波少年文庫)


10)『さよならまでの三週間』C.J.ボックス(ハヤカワ文庫)

2010年12月30日 (木)

『もぎりよ今夜も有難う』片桐はいり(キネマ旬報社)

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■年内に読了予定の『音もなく少女は』ボストン・テラン(文春文庫)と『原節子 あるがままに生きて』貴田庄(朝日文庫)だが、明日一日で読めるだろうか?


■とりあえず、最近読み終わった本のご紹介。

『脳天気にもホドがある。』大矢博子・著(東洋経済)

大矢さんと言えば、ミステリ愛好家や中日ドラゴンズファン、それに自転車ロードレースファンには昔から有名な人だ。かく言うぼくも、ミステリ好き、ドラゴンズ好き、ツールドフランス好きなので、大矢さんの「旧なまもの日記」の愛読者だった。その日記が、2008年11月28日(金)以降、まったく更新されなくなってしまったのだ。いったいどうしたんだ? 何かあったのか?


そう言えば、つい最近も「パソコントラブル出張修理・サポート日記」が突如更新停止となり、Twitter 上でさまざまな憶測が飛び交ったなぁ。


で、実際 2008年11月28日に、大矢さんは大変な事態に直面していたのだった。その顛末が書かれているのが、この『脳天気にもホドがある。』だ。事の次第は、2009年5月に再開された「なまもの日記」を読んで知ってはいたのだが、そうか、ほんとうに大変だったんだねぇ。


でもそこは大矢さん。闘病記につきものの、暗く辛い「お涙頂戴」的記述を一切排除して、ハウツー実務最優先で、なおかつ「お笑い・ボケ・つっ込み」満載の本に仕立てている。ぼくはそこに感動してしまった。さすがだ。


さらに、中日ドラゴンズ・ファンとしては、2009年のドラゴンズ、ペナントレースの様子がありありと思い出されてうれしかった(少し辛かった。浅尾先発失敗とか、立浪引退とか)なぁ。でも、大矢さん。けっこう遠慮してたんじゃないかな、ドラゴンズに関する記述。もっと弾けてもよかったのにと思うのはぼくだけか。それに、今年までサクソバンク所属だった、タイムトライアル・スペシャリストのカンチェラーラの話は全くないぞ。大矢さん、あんなに大好きなのに >カンチェラーラと自転車ロードレース。


この本は、1年後の 2009年11月28日で終わっているが、その5ヵ月後、大矢夫婦にさらなる試練が待ち受けていようとは、いったい誰が予想しただろう。

なんと「なまもの日記」が再開した束の間の喜びをよそに、再び更新が中断されたのだ。えぇっ! 今度は何が起こったの?

たぶん、『脳天気にもホドがある。』の「続編」に書かれるだろうから、詳細は省くが「ここ」を読んだぼくは、またまたたまげてしまったのだった。転んでもタダでは起きない大矢さん。凄い! すごすぎる。


『もぎりよ今夜も有難う』片桐はいり(キネマ旬報社)

これは傑作! 今年読んだ本の中では「5本の指」に入る本だ。読みながら、なんとも幸福な気分に包まれる。読み終わるのがもったいない。ゆっくりゆっくり味わいたい。

『わたしのマトカ』を読んでいたので、片桐はいりさんが一人旅好き、マッサージ好きであることは知っていたが、廃墟好き、古い映画館好きとは知らなかった。しかも、「シネスイッチ銀座」の前身「銀座文化」で18歳の時から7年間も、”もぎり嬢”として働いていたとは知らなかったなぁ。


片桐はいりさんは 1963年生まれだから、ぼくより5つ下だが「映画は映画館で観るもの」という感覚はいっしょだ。暗闇の中、スプリングの硬い椅子に座って、隣りの見ず知らずの観客とともに正面のスクリーンを凝視する。あの不思議な一体感はまさに、芝居や落語、コンサートの客席といっしょだった。


 映画館が呼吸するのを見たことがある。

 二十数年前の銀座文化では、盆暮れ正月は映画館のかきいれ時だった。(中略)もぎりたちは、お盆と正月が近づいてくると「また寅さんの季節かあ」とため息をつきながら、でもほんのりはなやいでいたものだ。

 全席指定、定員入替制がゆきわたった近頃では見られない光景だが、この時ばかりは劇場が信じられないくらいの立ち見の客であふれかえった。ほんとうに、文字どおり、あふれかえるのだ。わたしたちは劇場に入りきれないお客さんを、満員電車の駅員よろしく、扉を肩でぐいぐい押して詰め込んだ。

 やっとのことで本編が始まり、入れ替え中コーラの栓を抜きまくった売店のおばちゃんたちとひと息いれていると、劇場からあの音が聞こえてくる。

 どーん。ずーん。どよよよよ。

 地響きのようなくぐもった音。劇場の鼓動? いや黒山のお客さんの笑い声である。このどよめきが度を越すと、爆風となって映画館の重い扉を押し開けた。人いきれで沸騰した場内に笑いが起こるたび、扉が、ばふん、ばふん、と開いては閉じる。まるで生き物のようだった。(17〜21ページ)


■片桐はいりさんは、ほんとうに文章がうまい。成瀬巳喜男監督の「流れる」に関する章の〆のフレーズがこれだ。


 懐かしさとせつなさが交互に来て、幸福のような、絶望のような。やるせない、とはこういう気持ちを言うものか、と思った。(89ページ)

前半の懐かしいむかし話も味わい深いが、後半の紀行文がまた、文章がじつに生き生きしていていい。山形県酒田市の伝説の映画館。北兵庫、但馬地方の豊岡市にある豊岡劇場や、出石永楽館。それから舞鶴八千代。


 八千代座でも八千代劇場でもなく、八千代。呼び捨てだ。中学時代数学の補習クラスでわたしと最下位を争った女子と同じ名前である。数学はびりでも彼女はなぜか大物感を漂わせる不思議な生徒だった。(p160)


 お芝居や映画が始まる前の暗闇ほど、ぞくぞくするものもない。目の前でこれから何が起こるのか。わたしたちはどこへさらわれてしまうのか。期待と不安と、ちょっとの恐怖。そんな気分を、わたしはずいぶん忘れていた。(p192)



2010年12月14日 (火)

『空白の五マイル』(その3)

■チベット、ツアンポー川探検の歴史は、『空白の五マイル』第一部「伝統と現実の間」にテンポ良く簡潔にまとめられている。最初にこの峡谷にスパイとして潜入したのは、キントゥプという名のインドの仕立屋で、1880年のことだった。いっしょに潜入したラマ僧に裏切られ、奴隷として売り飛ばされたり、幾多の死ぬ思いまでし命かながら4年後にようやく任務を終えてダージリンに帰り着いたキントゥプは、ツアンポー峡谷の最深部に、落差50m近い幻の大滝があることを報告した。

また、以前からチベット人の間でツアンポー峡谷の何処かに「ベユル・ペマコ」と呼ばれるシャングリラのような伝説の理想郷があるという言い伝えがあった。


■英国のプラントハンターであった、フランク・キングドン=ウォードは、高山植物から亜熱帯のジャングルの植物まで見られる植物学者の楽園のようなツアンポー峡谷に魅せられ(彼は、名高いヒマラヤの青いケシをこの地で発見しイギリスに持ち帰ったのだ)さらには前述の探検家心をくすぐる伝説の真偽を確かめるべく、1924年、ツアンポー峡谷の最深部の無人地帯のほとんどの区間を踏破した。

ただこの時、キングドン=ウォードがどうしても行けなかった区間があった。それが『空白の五マイル』なのだ。


『空白の五マイル』第一部では、ツアンポー川探検の歴史を上手にサンドイッチしながら、著者が 2002年12月〜2003年1月にかけて行ったツアンポー峡谷探検の詳細が語られる。この時、現地で雇ったモンパ族のガイド兼ポーター役のジェヤンが実にいい味を出しているのだ。本来、死の淵を彷徨うような危険に満ちた探検行なのに、彼が登場すると何だかとたんに「ほのぼの」してしまうのだな。

だから逆に、ジェヤンが出てこない終始単独行の「第二部」では、文章のトーンがガラッと変わってしまっていて、その落差に驚いてしまう。まさに「死の淵を彷徨う」そのものなのだ。

それから、この本が出版された1番の(いや2番目か)功績は、今までごく一部の人たちにしか知られていなかった「武井義隆氏」の人となり、そして彼の生涯を、彼の両親、友人、後輩、先輩、恋人に、著者角幡氏が丹念に取材して、かなり詳細にページを割いて記載している点だと思う。


正直言って、NHKスペシャルの映像からも、『空白の五マイル』第一部の終わりに挿入されたカラー写真からも、ツアンポー川のスケールのデカさ、奔流の怖ろしさはぜんぜん伝わってこなかった。でも、早稲田大学カヌークラブOBであった武井義隆氏が、NHKのテレビ取材を兼ねた「日本ヤルツァンポ川科学探検実行委員会」の一員として遠征隊に参加し、1993年9月10日、数年ぶりの大雨で増水し荒れ狂うツァンポ川に無謀にもカヌーで漕ぎ出し、結局は転覆遭難した、そのくだりを読みながら、ぼくは初めてツアンポー峡谷の本当の怖ろしさを肌で感じることができたのだった。


例えば、武井氏の人柄を、カヌークラブの先輩である松永秀樹氏はこう語る。


「武井って本当にすごい人間なんです。(中略)説明するのは難しいですが、例えば司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んだら坂本龍馬ってすごいなって思うじゃないですか。でも龍馬より大物だと感じましたね。もう人間の質として。別に何をしたわけじゃないんですけど……」。


いったい、どういう奴だったんだ!? 武井義隆って男は。

■なぜ著者がここまでしつこく武井義隆という男に拘ったかというと、冒険者としての武井義隆の「生きざま」が、そのままそっくり著者が 2009年冬に遂行した2回目のツアンポー峡谷探検行の「意味」に直結していたからだと思う。

だって、前回の探検行で「空白の五マイル」のほとんどを既に踏破したにも係わらず、著者は朝日新聞記者という栄光の職場を辞めてまで、今回の再度探検行に行かなければならないと、もうほとんど悲痛な決断に至ったのだから。まさに、その点と直結していたのだな。だって、既に未踏の「空白の五マイル」を制覇しているのですよ。探検家としてのチャレンジの意味がぜんぜん分からないじゃないですか、読者として。


■もう少し違った視点から見たら、思いがけずその答えが書いてある本に気がついた。それは、

『哲学者とオオカミ』です。


ぼくが引用した部分(終いのほう)に、図らずも「その答え」が書いてあったのだ。もうびっくり!

2010年12月12日 (日)

『空白の五マイル』(つづき)

■ぼくが、チベット・ツアンポー大峡谷のことを知ったのは、実はつい最近のことだ。

NHKBSハイビジョン特集で「天空の一本道」を見て、チベット高原の東の外れ、インド国境に近いあたりに「それ」はあるらしいと知った。車道もない峡谷沿いのジャラサ村から片道3日かけてポメ(波密)の町まで駄馬のキャラバンを組んで、夏の間だけ年に数度買い出しに行くという話だった。

番組の主人公はキャラバン隊のリーダーで、帰りは奥さんに頼まれた2槽式の電気洗濯機を一人で背負って、谷を抜け断崖絶壁に刻まれた細い一本道で歩けなくなった馬に鞭振りながら4,000m級の峠を越えて行く。その圧倒的な映像に目を見張ったものだが、こういうサイトもあって、後でちょっと複雑な気持ちになったのだ。


■ヤル・ツアンポーは、チベットの西の外れに位置する聖山カイラスに源を発し、ヒマラヤ山脈の北側を西から東へチベット高原を横切り、首都ラサの南を通過して、ヒマラヤ山脈東端に位置する高峰ナムチャバルワ(7782m)の周囲をぐるっと 270度迂回して(ここが世界最大のツアンポー大峡谷なワケです)今度は南に向きを変えて流れ、インドのアッサム地方を再び西に戻り、最後はバングラデシュからインド洋に注ぐという、全長2,900km におよぶアジア有数の大河だ。

標高4000m のチベット高原から 1500mくらいのアッサム地方まで、河はツアンポー大峡谷で一気にその高度を下げることになる。(つづく)

2010年12月10日 (金)

『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』角幡唯介(集英社)


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『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』角幡唯介(集英社)読了! 一気に読んだ。すっごく面白かった。もの凄かった! 著者の壮絶な単独行に、読んでいて僕の命も縮まったような気がした。とにかく描写がリアルで、ヴァーチャル体験・体感度が非常に高いのだ。

ツアンポー峡谷の「空白の五マイル」を、グーグルの地図で探したがなかなか見つからず、何とかようやく発見。おぉ、ここだここだ。(つづく)

2010年10月23日 (土)

『愛おしい骨』キャロル・オコンネル(創元推理文庫)読了

■キャロル・オコンネルの小説を初めて読んだのは、あれは何時のことだったか?

憶えているぞ。『マロリーの神託』(竹書房文庫・1994年)だ。16年も前のはなしだ。
たしか、ニフティのフォーラム「FADV」に、絶対的信頼をおくスマイリーさんと小太郎さんの好意的な感想が載ったので読んでみたのだった。

最初、すっごく読みにくかった。うねうね、くねくねした文章のリズム。それに、場面ごとにいちいち視点が変わるのが実に鬱陶しい。三人称じゃなくて、場面ごの一人称なのね。ネコの視点まであった。慣れるまで苦労したことを憶えている。でも、霊媒師とか妖しげな人々が次々と登場してきて、知らないうちに物語にのめり込んでいたな。それから、主人公のキャシー・マロリーがめちゃくちゃ格好いいのだ。いまで言えば「ミレニアム・シリーズ」のリスベット・サランデルにそっくり! ストリート・チルドレンでありながら、天才的なコンピュータ・ハッカー。しかも、氷のように冷たい絶世の美女ときている。


次に読んだのは『クリスマスに少女は還る』だった。導入部、やっぱり読みにくい。これは訳者のせいではなくて、原作者の文章が「こういう書き方」なんだね。異端、異形、フリークス。ホラー映画が大好きだった語り手。それはそのまま著者の好みでもあった。


■しばらく前から読んでいた『愛おしい骨』キャロル・オコンネル(創元推理文庫)を、一昨日の夜遅く漸く読み終わった。


読み始めて物語に入り込むまでに、やっぱり時間がかかった。その独特の語り口を思い出すのに手間取ったからだ。でも逆に、この秋の夜長を幾晩も幾晩も、少しずつ少しずつ楽しみながら読み終わった。こういう読書もいいな。面白かったし、十分に満足した。そうか、そうだったのか。ぼくの予想はすべて外されたよ。残念!

ただ、世間で大騒ぎするほどの傑作とまでは思わなかったな。はっきり好き・嫌いが分かれる小説だと思う。ぼくは、好きだ。


サンフランシスコからさらに北へ行った崖の上にたつスモール・タウン「コヴェントリー」。海岸から少し離れただけで、町の背後には広大な森が広がっている。住民の反対で、未だに電話局の携帯中継基地がないので、21世紀のいまでも「圏外」だ。


でも、コヴェントリーは「よそ者」を拒まない。他の土地ではとても生きていけないような、心にも体にも傷を持つ人々が集まって住み着くのだった。例えば、主人公オーレンの家の家政婦ハンナ。天才少年にして、14歳でカリフォルニア大学に入学した、左の頬に傷のあるウイリアム・スワン。黒髪の安いカツラが寂しいフリー・ライターのフェリス・モンティ。それに、隣家の住人、辣腕弁護士のアンディ・ウインストンと、アル中となって心を閉ざしてしまったその妻セアラ・ウインストン。そして母の美しさを受け継ぐ一人娘の鳥類学者イザベル・ウインストン。でも、性格はかなり激しい。


みな、それぞれに心と体を病み、20年前の事件を「それぞれが知る真実」として「秘密」を抱えたまま生きてきた人々だ。


さらには、コヴェントリーにずっと住む「変な」人々もいる。主人公オーレンの父親は、その昔ポニーテールの判事だった。息子を失ったいまは、死んだ愛犬を剝製にして残し、夜な夜な夢遊病者となって彷徨い歩く。20年前、ピンク・フラミンゴにも例えられた足長美人(かつては)のホテル支配人メイビス・ハーディ。何を考えているのかちっとも分からない凡庸な地元保安官ケイブル・バビット。コヴェントリーの住人は決して近づかない図書館の司書をしている、怪物女メイビス・ハーディ。御約束の霊媒師、アリス・フライデーと「こっくりさん」も登場する。


小説の雰囲気は、出てくる人がみな怪しくて、変な人ばかりだった、あの『熱海の捜査官』みたいな感じか。ということは「熱海」の本家であるところの『ツイン・ピークス』(ぼくは見てない)の雰囲気なワケね。


■弟のジョシアが森へ行って帰ってこなかった「あの日」から20年が経って、兄の主人公オーレンは生まれ故郷のコヴェントリーに帰ってくる。街へ来たオーレンを最初に待っていたのは、イザベル・ウインストンの強烈な膝蹴りだった!


こうしてストーリーを説明しても、何だかワケわかんないでしょ。


それでいいんです。かなり読者を選ぶミステリーだと思うけれど、
ぼくはけっこう好き!


映画になればいいな、そう思う。ぼくのイメージだと、監督はティム・バートンで、主人公のオーレンはジョニー・デップ。ということは、その弟役はレオナルド・デカプリオだな。そうして彼の父親役をピーター・フォンダ(むしろ、お父ちゃんのヘンリー・フォンダのほうが適役か?)。隣人のイザベル・ウインストン、もしくはその母セアラ・ウインストン役は、ニコール・キッドマンだ。アンディ・ウインストン役は、ジャック・ニコルソンで、ウイリアム・スワン役は『サイコ』で主演した(若かりし頃の)アンソニー・パーキンス。そんな感じかな。マッチョな怪女メイビス・ハーディは、やっぱりマツコ・デラックスか。家政婦ハンナ役は誰? 市原悦子でないことだけは間違いない(^^;;

2010年10月17日 (日)

『哲学者とオオカミ』マーク・ローランズ著(白水社)

■最近なぜか、益田ミリの漫画『すーちゃん』シリーズにハマっている。中でも『結婚しなくていいですか / すーちゃんの明日』は傑作だと思う。

そのシリーズ第一作『すーちゃん』益田ミリ(幻冬舎文庫)の69ページを読んでいて、あれ? つい最近、同じようなこと言ってた人いたなぁって、思ったんだ。

 すーちゃんは言う。

あたし、今 幸せじゃないの?

幸せを目指して生きることが 正しいこと?
幸せって

目指すもの?

目指すということは ゴールがあること

幸せに ゴールって あんのか?


■その誰かとは、『哲学者とオオカミ』マーク・ローランズ著、今泉みね子訳(白水社)の著者で、1962年英国生まれの新進気鋭の哲学者マーク・ローランズ先生だ。先生は現在アメリカのマイアミ大学で哲学教授を務めている。

『哲学者とオオカミ』の原題は、"The Philosopher and the Wolf Lesson from the Wild on Love, Death and Happiness" という。その「Happiness」に関して語られているのは、「第6章:幸福とウサギを求めて」の 167ページだ。


 多くの哲学者によると、幸せには本来備わった価値があるという。幸せは他の何かのためにではなくて、それ自身として価値があるという意味だ。わたしたちが価値を認めるたいていのものは、それが他の事物をもたらしたり、他のことをしてくれたから、価値がある。たとえば、人が金に価値を認めるのは、金で何かを買うことができるからだ。食べ物、住まい、安全、おそらく一部の人は幸福まで金で買えると思っている。(中略)

金と薬は媒体としては価値があるが、本来的に価値があるわけではない。幸せだけが本来的に価値がある、と考える哲学者もいる。幸せだけが、それ自身として価値があるもの、それによって得られる他の何かのゆえに価値があるわけではないものだというのだ。(p167)

(中略)幸せがそれ以外の何かのためでではなくて、それ自身のために人が人生で求める、おそらく唯一のものであるという主張だと。すると、単純な結論に到達する。人生でもっとも大切なものは、ある一定の感情をもつことなのだということになる。人生の質、人生がうまく運ぶかうまくいかないかは、その人がどのような感情をもつかによって決まる、というわけだ。

 人間を特定なことへの依存症患者とかジャンキーにたとえると、人間の特徴がわかりやすくなる。(中略)人間は一般に薬物のジャンキーではない。けれども、人間は幸せのジャンキーだ。幸せのジャンキーは、自分にとって本当はあまり為にならないこと、どのみちそれほど重要ではないことを執拗に追い求める点で、薬物のジャンキーと共通している。だが、幸せのジャンキーの方が、ある明瞭な一点においてはたちが悪い。薬物のジャンキーは、自分の幸せがどこから来るのかを、まちがって理解したが、幸せのジャンキーは、何が幸せなのかをまちがって理解した。両方とも、何が人生で一番大切なのかを認識できない点では、一致している。(p169)

(中略)幸せがどんなものであろうとも、ある種の感情ではあるのだ。この点で人間は定義される。永遠に続く、むなしい感情の追求だ。これは人間だけに見られる特徴だ。人間だけが、感情がこうも大切だと思っているのだ。

 このように感情に執拗に集中する結果、人間はノイローゼになる傾向がある。これは、意識の集中が幸福の創出からその検討へとシフトするときに起こる。人生のあり方について、「自分は本当に幸せだろうか? パートナーは、自分の要求を適切に理解してくれているだろうか? 本当に子育てに生きがいを見出しているだろうか?」といったように。(p170)


■人間の「幸せ」に関してやや悲観的な考察をする哲学者は、では、10年以上も生活を共にしたオオカミ(ブレニン)は、果たして幸せだったのか? と自問する。そうして、オオカミは狩りをしている時、あるいは、敵と闘っている時が一番幸せなのではないかと考えるのだ。


 このような狩りをしているときが幸せだったのなら、ブレニンにとって幸せとは何だったのだろう。ここには緊張の苦しみがあり、心と体は硬直が強いられ、攻撃したいという欲望とそんなことをしたら失敗するかもしれないという知識との葛藤は避けられなかった。一番したいことを自分に許さない、という作業を何度も何度もしなければならなかった。ブレニンの苦痛は、こっそりと数センチさけ前進することで部分的に緩和されただけで、足を止めればまた、同じプロセスが最初から始まるのだった。これを幸せというなら、エクスタシーよりも苦痛の方が大きいように見える。(p175)

(中略)幸せはただ楽しいだけではない。とても不快でもある。わたしにとってはそうであり、ブレニンにとってもそうだったと思う。だからといって、苦しみを経験しないと喜びを評価できないなどという、よく知られた月並みな知恵のことを言っているわけではない。そんなことは誰もが知っている。(中略)

むしろ、幸せはそれ自体が、部分的には不快だと主張したい。これは幸せの必然的な真実である。幸せはそうであるほかないのだ。(p177)

(中略)わたしたちの人生で最良のこと、よくある表現を使えば一番幸せなときは、楽しくもあり、とても不快でもある。幸せは感情ではなく、存在のあり方だ。(p181)


■この本の中では、もっと引用すべき重要な論考がいっぱいあるのだが、著者が「オオカミの野生」を見つめることで、オオカミから照射される「野生の輝き」から、人間という「生き物」のまか不思議な「生きざま」が、逆に非常にクリアカットに浮かび上がってくる、という事実が、この本の最大の読みどころであるので、その感じを、ちょっとだけ味わって欲しいなと、この「幸福論」の部分を引用してみました。

でも、この本で一番面白いのは、その後の「第8章:時間の矢」で取り上げられた「時間論」だ。人間の時間と、オオカミの「時間」の違いは何か? この章が、本書の白眉だと思うぞ。

2010年10月 6日 (水)

島村利正『暁雲』と『仙酔島』のこと

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■高遠の実家の本棚から、島村利正『残菊抄』(三笠書房)と『奈良登大路町』(新潮社)を抜き取って持ってきてしまったのだが、自分の本として島村利正を持っていたいと思い『奈良登大路町・妙高の秋』(講談社文芸文庫)をアマゾンに注文して入手した。ところが、この文庫には、初期・中期の傑作「仙酔島(仙酔島)」「残菊抄」「奈良登大路町」は収録されているのに、初期の重要作である「暁雲」が入ってなくてがっかりした。

この「暁雲(げううん)」は『残菊抄』(三笠書房)に収録された、昭和18年作の短篇だ。堀江敏幸『いつか王子駅で』(新潮文庫)では 40〜42ページで引用し、こう紹介している。


あいまいに複雑にしてかそやかな陰影をほどこされた男女の、あるいは親子の感情の切れ端が、すこし言い足りないくらいの表現からじわりとわき出てくる。そういう印象がすべての作品に、うっすらとした靄のように覆いかぶさっていて、たとえば一宮の糸問屋の見習いに入った篠吉が、大旦那の世話で、ひそかに好意を抱いてくれているらしい奥がかりの女中、節といっしょになり、暖簾分けのようなかたちで撚屋(よりや)として独立し、着実に力をつけてゆく日々のなか、なぜ俺のような冴えない男といっしょになってくれたのだろうと自問しつづける「暁雲」などはその好例だ。

篠吉はながらく胸にくすぶっている懼れにも近い気持ちを節にぶつけてみようとするのだが、いつも最後に口をつぐんでしまう。そういう不器用で控えめな男が新しい撚糸技術の開発に成功して事業を軌道に乗せたころ、ながいあいだ帰っていなかった郷里に帰省したいと節が言う。(中略)

 夫婦になってずいぶんな時間を過ごしてからはじめて抱いた幼い恋にも等しい感情が、なんとはない呼吸で屈折してゆく言葉の撚糸を通してこちらの胸を衝き、「ほのかな狼狽」を走らせずにおかない。ときどき外国の本を取り寄せて活字を追ったりする者として、いま篠吉の心中にひろがりつつある震えを捕まえてくれるような言葉にはなかなか出会えないと感息したくなる反面、いやそんなはずはない、新鮮な狼狽を現実に味わうのでなく言葉で伝えるにはどう生きたらいいのかを思いめぐらす文学は、国を問わずどこにだってあるのではないかとの想いもつのる。


■ダメダメ男である自分には、あまりに身分不相応な美人で出来た妻。どうしてこの女は俺の女房になったのだろうか?

こういう不安を、男は昔から抱くらしい。島村利正の「暁雲」を読んでぼくがまず思い浮かべたのは、昔話の「きつね女房」だ。「つる女房」や「雪女」似たような話か。あと、最近読んだ短編小説では「顔」がかなり近い。ぼくは Twitterでこう書いた。

昼休みに『八月の暑さの中で ホラー短編集』金原瑞人編訳(岩波少年文庫)より、「顔」レノックス・ロビンスンを読む。夕暮れどきや月明かりの夜に崖の上から腹這いになって湖面を覗くと、水面下に金髪で目を閉じた女性の白い顔がくっきりと見える。この短編はいいなあ。怖くはないが、しみじみ哀愁。(Twitter/ 6:24 PM Sep 6th webから)

島村利正の「暁雲」には、そうした遙か昔からの民話的・神話的夫婦関係の妙を描きつつ、妻と夫との力関係の均衡がドラスティックに変わる瞬間を見事に切り取ってみせるその手腕は、決して古風で時代遅れの作家にはできない、島村利正の普遍性、同時代性ではないかとぼくは思った。


■昭和19年に発表された傑作「仙醉島(仙酔島)」には3組の夫婦が登場する。1組目は、この小説の主人公である老婆「ウメ」と、その夫「亀太郎」。2組目は、遠く故郷を離れ行商の途上に信州高遠の街道筋で行き倒れで死んだ旅商人の岡野信吉と彼の故郷福山に残してきた妻。そうして3組目は、ウメが岡野の遺族を訪ねて孫である著者と共に福山へ行った際に、近くの瀬戸内海に浮かぶ仙醉島を観光することになり、島へ渡る渡し船の船頭とその妻だ。

その船頭夫婦のやり取りを見ていて、ウメは、苦労ばかりさせられた、どうしようもないダメダメ夫「亀太郎」のことを思い出す。そうして、「あれでいいのだ、あれでいいのだ」と、老船頭夫婦に声をかけたくなる気持ちになるのだった。このラストがいい。

つまりは、ウメは苦労ばかりが続いてきたに違いない己の人生を振り返って「これでよかったのだ、これでよかったのだ」と肯定しているのだ。島村利正の小説はどれも、人生の肯定感に満ちているような気がする。だから、読者は読み終わってから、おいらも明日からがんばって生きて行こうかなって、前向きな気持ちになれるのだ。

島村利正の魅力は、そこにあると思う。

2010年10月 2日 (土)

『白鍵と黒鍵の間に』南博(小学館文庫) その2

■続きを書こうと思ったのだが、肝心の文庫本が行方不明だ。困ったぞ。ま、いいか。

この本を読んで僕がシンパシーを憶えるのは、主人公の南博氏にではなくて、彼の周囲で蠢く「ダメダメ人間たち」だ。

例えば、銀座のクラブで生演奏していた彼の上司のバンマスたち。終戦直後のドサクサに紛れて、米軍キャンプでのハワイアンのクラブ演奏を足がかりに、長い下積み生活を経てバブルの銀座で確固たる地位を築いた(と本人は思っている)バンマスたち。

音楽のプロフェッショナルなのに、誰一人ぜんぜん聴いてはいないクラブの空間で何十年も毎日来る日も来る日も演奏し続けてきた。そういうバンマスを、彼(南博氏)は一応は敬いながらもどこか軽蔑している。ぼくは、そんなくだりをを読みながら、しみじみ悲しくなるのだった。

まだ若い南氏が、ただただ日常を流しているだけにしか見えないバンマスを見る目は、ぼくが医者になって2年目に感じた、当時勤務していた総合病院の小児科部長に感じていた「不満」そのものだ。なんだ、この人は偉そうなこと言ったって、所詮は何の実
力もない「風邪しか診れない医者」じゃないか! ってね。

しばらくして、それはとんでもない間違いだったと未熟な僕は気付くことになるのだが、それはまた別のはなし。


で、あれから30年が経って、当時の小児科部長の年齢を超えた僕はしみじみ思うのだった。当時、偉そうにあぁ言ってた自分が「風邪しか診れない医者」そのものであるという現実を。それはそのまま、例の銀座のバンマスたちに重なるじゃないか。(ここで、白衣のポケットに入ったままになっていた文庫本を発見!)


当時の南博氏は、CMで急に有名になったハンク・モブレイの「リカード・ボサ・ノヴァ」を、連日何度もリクエストされて辟易したという。






YouTube: Hank Mobley - Recado Bossa Nova


YouTube: Eydie Gorme The Gift!(Recado Bossa Nova)


でも、それを嫌な顔ひとつせずに、その都度新鮮な気持ちで同じ曲を演奏するのが本当のプロなんじゃないか? ぼくはそう思うぞ。だって、開業小児科医の日常は、まさに「それ」だからだ。

下痢した子が来れば、どんな食べ物を与えたらいいか丁寧に話し、赤ちゃんが初めて高熱を出してあたふたしている若いお母さんに「心配しなくていいよ、おかあさん。最初の試練だけれど、これを乗り越えると、子育てのランクが一つ上がるからね、がんばって」と、昨日とまったく同じことを言っているぼくがいるのだよ。


南氏は「厭きる」と言った。でも、ぼくは厭きることはない。たぶん、彼の上司のバンマスも、そう思っているに違いない。ぼくはそう思うぞ。それを、アーティストとしての自らの誇りや向上心を放棄して、生ぬるいバブルの銀座で日々惰性だけで演奏しているから「厭きる」ことがないのだと南氏は考える。

だから彼は、このまま銀座でピアノを弾いていたら、ただただ腐って朽ちていくに違いないと感じたのだろう。


彼は、菊地成孔氏が盛んに引用する「バークリー・メソッド」で有名なジャズ・アカデミーの最高峰、ボストンにあるバークリー音楽大学への留学を決意するのだった。ボブ・マーリィの歌のタイトル通りの、まさにバブルの銀座ぬるま湯ダメダメ人生からの「エクソダス」だったワケだ。その圧倒的な決断力と実行力には素直に感服するしかないや。いや、凄い。


そういったリスペクトでもって、当時の銀座で蠢いていた人たちがちゃんと南氏の渡米を祝福するシーンが泣かせる。バンマス曽根さんの義理の兄で「そのスジ」の中堅格、このあたりのシマを取り仕切っている「兄貴」に、「やめさせてください。アメリカにいって勉強してみたいのです。僕にチャンスをください。」と、南氏は正直に告白する。それに対する「兄貴」の対応が泣かせるじゃないか!(p315〜317)


この場面は好きだな、いいなぁ。


なんだ、あーだこーだ文句を言いつつも、結局は著者の生き方にすっかり魅せられてしまったんじゃないか、ダメダメ人間の俺。


■ところで、ぼくは南博氏のピアノ演奏を生で一度だけ聴いたことがある。「ここ」の下の方にスクロールしていくと「森山威男カルテット・ハッシャバイ」の項目があるが、その終わりのあたりに、1996年の夏の終わりに、長野県富士見高原スキー場で行われたジャズ・フェスティバルのことが書いてある。南博さんの「プロフィール」を見ると、1996年、南博QUARTET にて、八ヶ岳 THE PARTY PARTY に出演。とあるのがそれだ。

新宿ピットインのマネジャーを長く務めた龍野さんが、故郷の山梨県に帰ってから始めたジャズ・フェスの、富士見町に場所を変えての一回目だったと思う。当時ぼくは、富士見高原病院小児科の一人医長だった。

ただ思い返すに、ゲスト・ヴォーカルで登場した「綾戸智絵」のパフォーマンスがあまりに凄すぎて、南博氏のピアノがオーソドックスで端正なピアノだったことしか印象に残っていないのだ。ごめんなさいね。CDでは、菊地成孔氏とのデュオ演奏が納められた『花と水』を持ってて、深夜しみじみ落ち着きたい時なんかに、時々聴いてるよ。


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