読んだ本 Feed

2011年5月 1日 (日)

ビリー・ホリデイ「言い出しかねて」 村上春樹『雑文集』より

ようやっと『雑文集』村上春樹(新潮社)を読み終わった。面白くて、しかも濃い内容で「村上春樹のエッセンス」が見事に凝縮されていたな。 読みどころはいっぱいある。 前回取り上げたほかには、 「東京の地下のブラック・マジック」 「スティーヴン・キングの絶望と愛」 「スコット・フィッツジェラルド ---- ジャズ・エイジの旗手」 「カズオ・イシグロのような同時代作家を持つこと」 「安西水丸は褒めるしかない」 「デイヴ・ヒルトンのシーズン」 「正しいアイロンのかけ方」 「違う響きを求めて」 「遠くまで旅する部屋」 「物語の善きサイクル」 「解説対談」安西水丸 x 和田誠  などなど。 ■ただ、読みながらすっごく悔しい思いをした文章がある。 「言い出しかねて」( p171 〜 p180 ) だ。 なぜなら僕は、ビリー・ホリデイが唄う「言い出しかねて」を今まで一度も聴いたことがなかったのだ。もちろん、彼女のLPは6〜7枚、CDも4枚持っていて、1930年代の絶頂期の録音から最晩年の傑作『レディ・イン・サテン』まで、繰り返し愛聴してきた。でも、それらの中には「言い出しかねて」は収録されていなかったのだ。 あわてて YouTube で検索したら、米コロムビアで、1938年6月にスタジオ収録された演奏が見つかった。レスター・ヤングのテナー・ソロが素晴らしい。これだ。


YouTube: Billie Holiday & Her Orchestra - I Can't Get Started - Vocalion 4457

でもこのピアノは、カウント・ベイシーではない。 村上氏は言う

「言い出しかねて」ならこれしかない、という極めつけの演奏がある。ビリー・ホリデイがカウント・ベイシー楽団とともに吹き込んだ1937年11月3日の演奏だ。ただこれは正規の録音ではない。(中略) 音は今ひとつなのだけれど、演奏の方はまさに見事というしかない。ベイシー楽団のパワーは実に若々しく圧倒的だし、アレンジも楽しい。とくに楽団のアンサンブル間奏のあとに出てくるレスター・ヤングの情緒連綿たるテナー・ソロは、まさに絶品である。レスターの吹く吐息のようなフレーズが、本当に「言い出しかねる」みたいに、ビリーの歌唱にしっとりと寄り添い、からみついていくのだ。(中略)  この1937年のビリー・ホリデイの歌唱と、バックのベイシー楽団の演奏がどれくらい素晴らしいか、どれくらい見事にひとつの世界のあり方を示しているか、実際あなたに「ほら」とお聴かせできればいいのだけれど、残念ながらとりあえずは文章でしか書けない。

読者の目の前にニンジンをぶら下げながら、絶対に食べさせない「いじわる」を、村上氏はよくやるが、これなんかはその最たるものだな。だって、聴きたいじゃないか。ラジオ放送を私家録音した、ベイシー楽団とビリー・ホリデイの「言い出しかねて」。でも聴けない。こういうスノッブ的嫌らしさが、一部で村上春樹が嫌われる原因ではないかな。 ■しかし、村上氏は甘かった! インターネットを駆使すれば、たちどころに判明するのだ。あはは! ビリー・ホリデイの百科事典みたいなサイトがあるのだよ。 そこに載ってました。「1937年11月3日の演奏」。村上春樹氏が書いているのは、まさにこの時の演奏に違いない。この演奏が収録されたCD一覧もあるぞ。 でも、ふと思いついたのだが、iTunes Store へ行けば、曲単位で安く購入できるじゃないか。で、iTunes Store で「Billie Holiday I can't get started」を検索したら、50曲も見つかった。おおっ! この中のどの演奏が「それ」なんだ? 困ったぞ。 仕方なく、1番からかたっぱしに試聴していった。しかし、そのほとんどが 1938年6月スタジオ収録版のようだった。でも、よーく聴いていくと、3,6,34、の演奏は違うみたい。思い切って、34番目をダウンロードしてみた。う〜む、これかなぁ。自信ないなぁ。だって、レスター・ヤングのテナー・ソロが入ってないんだもの。 でも、ビリー・ホリデイがサビを唄うバックで、彼女にぴったり寄り添うようにサックス吹いてるなぁ、レスター・ヤング。 やっぱりコレだな。きっと。

2011年4月14日 (木)

村上春樹氏が書いたライナーノーツに関して

■村上春樹『雑文集』(新潮社)を読んでいる。これ、面白いなあ。特に「音楽について」のパート。

最初の、別冊ステレオサウンドに掲載されたインタビュー「余白のある音楽は聞き飽きない」の文章は、伊那の TSUTAYAで立ち読みした記憶がある。(少しだけ引用する)

 オーディオ雑誌でこんなことを言うのもなんだけど、若いころは機械のことよりも音楽のことをまず一所懸命考えたほうがいいと、僕は思うんです。立派なオーディオ装置はある程度お金ができてから揃えればいいだろう、と。若いときは音楽も、そして本もそうだけど、多少条件が悪くたって、どんどん勝手に心に沁みてくるじゃないですか。いくらでも心に音楽を貯め込んでいけるんです。そしてそういう貯金が歳を取ってから大きな価値を発揮してくることになります。そういう記憶や体験のコレクションというのは、世界にたったひとつしかないものなんです。その人だけのものなんだ。だから何より貴重なんです。(中略)


もちろん悪い音で聴くよりは、いい音で聴く方がいいに決まっているんだけれど、自分がどういう音を求めているか、どんな音を自分にとってのいい音とするかというのは、自分がどのような成り立ちの音楽を求めているかによって変わってきます。だからまず「自分の希求する音楽像」みたいなものを確立するのが先だろうと思うんです。(『雑文集』p87〜88)


■「日本人にジャズは理解できているんだろうか」という文章は、確かに全く思いもよらなかった視座を提示されていて、読みながらはっとさせられるのだけれど、所詮は1994年にアメリカ在住の著者によって書かれた、地域と時代限定の文章だと思う。残念ながら2011年の現在では、はたしてアメリカ本国で「ジャズ」という音楽が黒人文化や政治運動にどれほどの影響力を持っているのか甚だ疑問だ。


■「ノルウェイの木を見て森を見ず」はすっごく面白い。村上氏が、ビートルズのレコードを生まれて初めて買ったのが 1980年代に入ってからだと知って、ちょっと意外だったし、でも、そうだよなぁって一人ほくそえんだりした。


■あとは、村上氏が書いた、CDのライナーノーツが4本掲載されている。その白眉はラストに収録された「ビリー・ホリデイの話」だ。ちょっとキザだけれど、めちゃくちゃカッコイイ。黒人兵の彼女が着ていたレインコートの雨の匂いを、ぼくも嗅いだような気がした。まるで『海を見ていたジョニー』みたいな話で、作り話なんじゃないの? なんて勘ぐってしまったのだが、村上氏は2度も「これは本当にあった話」と書いているから、事実なんだろうなぁ。ほんとジャズだねぇ。


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■ぼくが持っているLPレコード(数百枚)の中で、村上春樹氏が書いたライナーノーツが載っているのはたぶん「この一枚」だけだと思う。そう、ソニー・クリスの『アップ・アップ・アンド・アウェイ』だ。先だって、再発の紙ジャケCDを中古盤で入手したら、やはり村上氏のラーナーノートがそのまま添付されていた。ジャズのライナーノーツは、それこそ数百読んできたけれど、これが一番好きだ。2番目は、油井正一氏の『フラッシュアップ』森山威男カルテット(テイチク)に書かれたものか。


とにかく、この村上氏のライナーノーツが傑作で、チャーリー・パーカーが死んだ後のジャズ・アルトサックス業界がどうなって行ったかを、まるで落語家みたいな口調で軽妙に語っていて、そこそこのジャズ好きが「あいや!」と叫びたくなるツボを押さえた名文なのだ。でも、この『雑文集』に載ってないということは、たぶん村上氏の本に収録されることは永久にないのだろうな。残念だ。


ぼくが特に好きなのは以下の部分。

 でも言ってみればこれは当たり前のことで、チャーリー・パーカーの音楽はあまりにもチャーリー・パーカー的でありすぎて、他人がどれだけそれを真似ようとしても、所詮下町の鉄工所の親父が、銀座の高級クラブのホステスを口説いているという図になってしまう。「テクニックがイモなのよ」なんて軽くあしらわれ、それじゃとテクニックを身につけて出直していくと今度は「柄じゃないのよ」と頭から水割りをかけられたりしてね……、とにかくこれじゃ浮かばれない。絶対に浮かばれない。


そこで「キャバレーならやはり東上線」と叫ぶエリック・ドルフィーやらオーネット・コールマンの出現となるのだけれど、こういうの書いているとキリないので、ソニー・クリスの話。


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■ネットでググったら、村上氏は「スヌーピーのゲッツ」で知られる、スタン・ゲッツのLPにもラーナーノーツを寄せている。「ここ」でその一部が読める。ありがたいな。

あはは! 「ドーナツ・ホール・パラドックス」か。相変わらず上手いこと言うな、村上さんは。

2011年4月13日 (水)

「村上春樹ランを語る」が面白い

『Number Do 100人が語る RUN! / ランニング特集第2弾』(文藝春秋)を読んでいる。これは面白い! 先週の土曜日の夜は、伊那中央病院小児一時救急の当番だったので、この雑誌を読もうと持って行ったのだが、忙しくてぜんぜん読む暇がなかった。


同日、成人の一時救急担当で来ていた、林整形外科の林篤先生に「先生、こんな雑誌あるんですよ!」って見せたら、「北原先生、もしかして東京マラソン本気で出るつもりなの?」と訊かれてしまった。いや、それは無理というものでしょう。だって、諏訪湖ハーフマラソンどころか、10km レースにすらエントリーしたことないし、ましてや完走したこともないのだから。

でも、滝小児科の滝芳樹先生は「長野マラソン」に出場して完走してるし、あの「ハワイ・マウイ・マラソン」も完走してるんだって。全くぜんぜんかなわないよな、滝先生には。


■ところで、この雑誌で一番に読ませる記事は、何と言ってもランニングに関する「村上春樹ロングインタビュー」だ。ぼくが気に入った箇所を少しだけ引用させていただこう。


(インタビュアー)まずは、この本『走ることについて語るときに僕の語ること』のことからお聞きしたいのですが、僕自身ひとりのランナーとして、うんうんと納得しながら読む一方で、どこか語りにくそうにしている雰囲気も感じたんですね(中略)ひょっとして春樹さんもランニングを言語化するときに、それに似たことを感じていたのかなとも思ったんですが。

(村上)「そこまでは考えていないけれど、ただ語りにくいなというところはあります。走ることを文章で表現するのはそんなに簡単じゃない。分からないことが多すぎるから。音楽のことや食べもののことを言語化することも難しいんだけど、それは馴れればできるんですよ。メタファーを使って表現を置き換えていって、その落差によって情報を立ち上げる。たとえば、牡蠣フライがどれだけおいしいかというのは説明できるわけ。音楽なら、マーラーのシンフォニーのどこがどう面白いかというのは、文章でそれなりに表せるわけです。僕は文章を書く人間だから、普通の人よりはある程度うまくそういうことができます」(p19〜20)

「もちろんアナログレコードの収集は続けているんだけど、最近はランニング用にCDをよく買うようになりました。ブックオフの250円均一のコーナーとかに行くと、けっこうおもしろいものがあって、そういう捨て値コーナーとかで iPod 用のマテリアルを見つけるのが楽しいんです。半日かけて選んだりしていると、『本を売るならブックオフ』というメロディが耳について離れなくなっちゃうんだ。情けないことに(苦笑)」(24ページ)

「僕が走りながらいつも考えるのは、他人との勝ち負けはどうでもいいけれど、自分との勝ち負けはすごく大事だということ。走っているとき、つらいときにどうやってそれを克服できるかというと、自分には負けたくないということしかないんです。昨日の自分よりはもうすこしましな自分でありたいという姿勢。それはすごく大事なことだと思う。」(27ページ)


■ところで、村上氏が「牡蠣フライ」についてなら、いくらでも語れると豪語していたのは、決して嘘ではなかった。いま、たまたま手元に『村上春樹・雑文集』(新潮社)があって、同時並行で読んでいるのだが、この本の巻頭に載せられた文章がまさにその「牡蠣フライ」に関して詳細に書かれた『自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)』だったからだ。

村上春樹氏は、決して嘘はつかない。そうなんだな。美味しそうな牡蠣フライが今すぐ食いたくなったぼくは、そのことに気付いて、ちょっとうれしくなった。

2011年4月 6日 (水)

『facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男』ベン・メズリック(青志社)

■「Hard times come again no more」をボブ・ディランがカヴァーして唄ったCDがあると聞いて調べたら、1992年にでた『GOOD AS I BEEN TO YOU』の7曲目に入っていることが判った。一昨日、テルメに行く前に伊那のブックオフに立ち寄ると、なんと「このCD」が 920円で売られていた。もちろん即購入。ボブ・ディランがギター1本とハーモニカだけで弾き語りしたCDだった。そんな彼の「辛いとき」は、まさに彼そのものの唄になっていたな。


■「評伝」を読むのが好きだ。いま読んでいるのは『知られざる魯山人』山田和(集英社文庫)で、まだ200ページ。前半の1/3をようやく読了した。この本はなかなか読み進まないのだ。気楽に読み飛ばせないから。でも、すっごく面白い。とにかく、魯山人という人がメチャクチャ凄くて、あの『美味しんぼ』に登場する海原遊山のモデルになった人ぐらいの知識しかなかったぼくは、ただただ驚くばかりだ。若干21歳にして「日本美術協会」主催の美術展覧会に出品した「千字文」が見事褒状一等二席に入選し、書家として始まった彼の経歴が、篆刻家、骨董の目利き、美食家料理人、陶芸家と次々と変遷しながらも、その全ての分野で超一流たりえた天才。しかも、全て独学。なんちゅう人だ!?


次に読む予定の本も評伝で、『コルトレーン ジャズの殉教者』藤岡靖洋(岩波新書)だ。この本も期待しているのだな。


■しかし、評伝というのは既に故人となった偉人に対して書かれるものだと思っていたが、まだ20代でバリバリの現役若手社長で天才ユダヤ系アメリカ人であるマーク・ザッカーバーグに関して初めて書かれた評伝がこの本、『facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男』ベン・メズリック(青志社)だ。しかも、話題の映画『ソーシャル・ネットワーク』の原作本ときている。

ぼくもつい最近、流行の「facebook」に登録したのだが、どんなふうに使ったらいいのか皆目わからず、2冊ほどガイドブックも買ってきてパラパラ読んではみたが、ぜんぜんイメージが湧かないのだ。困ったぞ! そう思って、じゃぁ「facebook」が始まった、その起源をを辿れば判るかもしれないと「この本」を読んでみたのだった。

結果は、面白くて一気に読了した。訳文がこなれていて読み易かったし、いろんな思惑の人たちがうごめく様子がリアルでね。でも、「facebook」の使い方はぜんぜん判らなかった。当たり前か……


著者のベン・メズリック氏もハーバード出身だから、まるで「見てきた」みたいな描写にリアリティがあるのだな。それから、エドゥアルド・サヴェリンがニワトリの箱を抱えて出席する基礎単位の講義の雰囲気は、サンデル教授の講義をNHKテレビで見ていたので実にリアルに目に浮かんだ。あと、超エリートが集うハーバード大学の中でもさらなる選ばれた特別の伝統的な秘密クラブが幾つもあって、その結社に入れれば大学卒業後の成功が既に約束されているという事実が、日本の大学では考えられないだけに面白いと思ったし、アメリカの超エリート階級の結束の強さを思い知らされ、ちょっと怖いとも感じたな。


この本の最大の弱点は、著者が主人公のマーク・ザッカーバーグ氏から嫌われて、直接インタビューできなかったことだ。彼に裏切られた双子のウィンクルボス兄弟や、ユダヤ系ブラジル人のエドゥアルド・サヴェリン、それに、facebook 初代社長ショーン・パーカーだけから得た情報を元に「この本」は書かれている。だから、マーク・ザッカーバーグ氏の人となりは最初からバイアスがかかっていて批判的だ。でも、映画で言われているほど、この本を読んだ限りではマーク・ザッカーバーグ氏はアスペルガーっぽくはないぞ。女子が苦手な「おたく」ではあるけどね。

2011年3月19日 (土)

『トムは真夜中の庭で』フィリパ・ピアス(岩波少年文庫)読了

■『ハヤ号セイ川をいく』がすっごく面白かったので、引き続きフィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)を読んだ。この本はね、ずいぶん昔に購入して「あとがき」だけ、まず読んだんだ。そしたら、作者フィリパ・ピアスが1967年に「『真夜中の庭で』のこと」と題して発表した文章がが載っていた。これ、もろ「ネタバレ」じゃん! マジックのネタ証しをされたみたいな気分になってしまい、ぼくは「この本」を読むことを止めた。

でも今回、思い直して読んでみてホントよかった。
やっぱり「この本」は傑作だ。
じつに丁寧に、よく作り込まれている。
思春期を迎えるちょっと前の少年が体験した「青春の光と影」だ。切ないなぁ。

タイム・トラベルもの正統派SFとしてはどうなんだろうか? この小説。
科学的根拠に基づいたSF小説とすると、やはり失格だな。
いろいろと矛盾することが多すぎるからね。スケートの件とか。
でも、SF小説ではないからいいのだ。

そうは言っても、この小説が不思議とリアリティを持つのは、
いま見てきたばかりみたいな細微な庭園の描写と、的確な人物描写にある。

 そして、
「この小説」で一番大事なことは、「いまここ」である、ということだ。


トムにとっては、ホールの大時計が13回時を打った真夜中から始まる時間こそがリアルであり、
ハティにとっては、数ヶ月ぶり、数年ぶりと、自分がその存在を忘れかけた頃になって、ふと現れるトムは、まるで幽霊みたいな存在なのだが、実はハティにとっても「いまここ」だったんだな。


時空を超えて、少年と少女が「いまここ」で結ばれる。
でも、現実は厳しい。

二人の時間は、一瞬交差するものの、永遠に時が止まったままの「トムの時間」と、
どんどん時が過ぎ去って行く「ハティの時間」は、ずっと同時間で共有し、共感し、共鳴し、共生するワケではないのだな。その切なさこそが、この小説の「キモ」だと思った。だからこそ、ラストシーンがめちゃくちゃ素晴らしいのだよ。


大きな地図で見る

■グーグル・アースの写真は、『トムは真夜中の庭で』のモデルになったフィリパ・ピアスの生家、グレート・シェルフォード村のキングズ・ミル通り突き当たりにある「キングス・ミル・ハウス」と思われます(自信はないけれど)


あと、探したら「フィリパ・ピアスとの会見記」が見つかりました。

2011年3月 9日 (水)

『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス著(講談社青い鳥文庫)読了

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『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス・著、足沢良子・訳、E=アーディゾニ・絵(講談社青い鳥文庫)を読んだ。これ、面白かったなぁ。

読みながら感じたのだが、視覚的イメージにすごく長けている小説なのだな。ぼくも、この小説の中で一番好きなシーンは「coxさん」と同じく、急行列車が通り過ぎるアーチ型石橋の下の川からカヌーに乗った主人公が列車のデッキに立つ彼女を見上げるシーンだ。ここはいいなぁ。

その次に好きな場面は、主人公のデイビッドが停留所でもない道端で、彼の父親(モス氏)が運転するバスを強引に停めて乗り込むところと、その後の展開。この父親の息子に対する態度がすばらしいんだ。何ていうか、自分の息子のことを絶対的に信頼しているのだよ。 あと、デイビッドとアダムがコドリング邸の屋根裏から秘密のドアを通り抜け屋根の上に出て、セイ川の流れとその周辺の風景をしみじみと見渡すシーンもいい。


この小説を読んでいて、ずっと感じていた不思議な「既視感」があった。
この「セイ川」の風景、以前にどこかで見たことがあるぞって。

そうして思い出したのが、冒頭の「この写真」だ。

1994年2月22日に、イギリスのケンブリッジで撮られたもの。ケム川の畔、笑顔で佇むのがぼくの妻。じつはこの時、彼女はインフルエンザに罹患していて 39℃の発熱があった。従姉妹の旦那さんがケンブリッジ大学に留学していたので、従姉妹のお母さんといっしょにはるばる渡英したその翌日からの熱発。(ぼくは日本で留守番だった)


従姉妹夫婦のアパートメントで2日間、観光もできずにただただベッドで寝ていた妻が、それでもと従姉妹夫婦が住むケンブリッジで撮った写真がコレなのだった。

背後に流れる川が「ケム川」。その川に架かる橋、という意味で「ケンブリッジ」なんだね。ほとんど流れがなくて、まるで松本城のお堀みたいだ。


■ところで、この小説の作者フィリパ・ピアスの代表作『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)を読むと、8ページにイングランド東北部の地図が載っている。ケム川を遡ってケムブリッジから上流へ南に行くと、フィリパ・ピアスが生まれ育ったグレート・シェルフォドに至る。この村が『ハヤ号セイ川をいく』の舞台であり、『トムは真夜中の庭で』の「あのお屋敷」が建つ場所なのだった。


それから、この地図をもう少し詳しく見てみると、右上、北海に出っ張った半島状の岬がある。ここにあの、カズオ・イシグロの傑作『私を離さないで』で「紛失物置き場」となった、あのノーフォーク海岸があるのだよ。


■以下はTwitter から。

・昨日の夜の伊那中央病院小児一次救急当番。夜7時から9時まで結局一人も来なかった。こんなこと初めて。ひまだったので、ブックオフで入手したフィリパ・ピアス『ハヤ号セイ川をいく』を読み始める。「冒険と友情の世界が展開する児童文学の名作」とのことで面白そう!
2011年2月26日 09:20:44JST webから


・NHK朝の連続テレビ小説『てっぱん』。いよいよ佳境だなあ。今日もボロボロ泣かされた。この後いったいどう決着をつけるんだ? 「週刊文春」今週号 p109 で、青木るえかさんも面白いっていってたよ『てっぱん』。
2011年3月5日 08:06:29JST webから


『ハヤ号セイ川をいく』フィリパ・ピアス(講談社青い鳥文庫)3/4まで読み進む。う〜む、こちらも佳境に入った。夏休み、カヌー、少年2人、友情、冒険、暗号解読、宝探し、謎のライバル。こいつは実によく出来た小説だ。面白いぞ! さて、この本を読み終わったら、いよいよアーサー・ランサムだ。
2011年3月6日 00:46:01JST webから


先ほど『ハヤ号セイ川をいく』を読了。これは面白かったなあ。イギリス児童文学恐るべし! ミステリーとしても実によく出来ていて、宝物が見付かりそうで見付からず最後までハラハラドキドキ。しかもBoy meets Girl の物語でもあってp402が泣ける。宮崎駿はなぜ映画化しないのか?
2011年3月7日 00:49:49JST webから

2011年2月23日 (水)

『海炭市叙景』(つづき) 函館、そして高遠。

■『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読み終わり、いまふたたび
最初の一篇「まだ若い廃墟」を読んでいる。やはり、この一篇が一番凄い。こうしてあらためて読むと、さらに切々と胸に迫るものがあるな。

文庫本の表紙は、海抜389m の函館山だ。

第一章、第二章それぞれ9篇ずつ、計18篇の短編が収められた「この本」では、主人公ではないが重要な登場人物である「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんと「裸足」のアノラックの男を入れれば、海炭市に暮らす20人の仕事と生活が描かれている。それはちょうど、「まだ若い廃墟」の中で21歳の妹が以下のように呟くことと呼応している。


 夏の観光シーズンには、他の土地からたくさんの人たちが夜景を見る目的であわただしくやって来る。人口三十五万のこの街に住んでいる人々は、その夜景の無数の光のひとつでしかない。光がひとつ消えることや、ひとつ増えることは、ここを訪れる人にとって、どうでもいいことに違いない。それを咎めることは誰にもできない。(『海炭市叙景』12ページ)


この本の登場人物である彼らが、朝な夕な折に触れてふと見上げるのが、街のどこからでも目に入る「この山」だ。人々の日々の生活に根ざした山。冬も春も、夏も秋も四季折々で「この山」は表情を変える。


ぼくはふと、自分が生まれ育った町「高遠」のことを思った。

そこにはやはり、町を静かに見下ろす「山」があったからだ。
東を見上げれば、南アルプス仙丈ヶ岳 (3033m) 、夕日が沈む西側には中央アルプスの山々。


ぼくは小さい頃から毎日、朝な夕な「この山」を見て育った。いま住む伊那市街からも、高台に上がれば仙丈ヶ岳はよく見えるが、やはり高遠からの角度から見た仙丈が一番迫力があり恰好もいい。


■高遠に生まれ育った作家、島村利正は、小説「庭の千草」の冒頭で仙丈ヶ岳と高遠の町の佇まいをじつに印象的なタッチで紹介している。そうして小説のラストでは、夕日に暮れる中央アルプス西駒ヶ岳と高遠の街並みが描かれる。島村氏の故郷「高遠」が登場する小説は、このほかにも「仙醉島」「城趾のある町」「焦土」「妙高の秋」「奈良登大路町」「江島流罪考」などがある。


島村利正氏は、十代半ばで高遠の町と家族を捨て、家出同然のようにして奈良飛鳥園へと出て行ってしまう。以来、島村氏が高遠で暮らすことはなかった。でも、このとき高遠の町を離れなければ、作家:島村利正は誕生しなかったわけで、運命の不可思議を感じてしまう。


■『海炭市叙景』の作者である佐藤泰志氏は、このウィキペディアを読むと、函館西高等学校を卒業し1970年に上京。國學院大學卒業後も東京に留まり、仕事の傍ら作家活動を続けるが心身不調が続き、1981年に生まれ故郷の函館に家族4人で転居。小説「きみの鳥はうたえる」が第86回芥川賞候補作となったことを契機に、翌年再び東京に戻り国分寺の借家で作家活動に専心する。


この頃のことを回想した、佐藤氏の長女への「インタビュー記事」(北海道新聞)が壮絶だ。佐藤氏本人も、妻も子供らも修羅の毎日だったのだのだなぁ。


この記事を読んで、ぼくはふと『海炭市叙景』第二章の5篇目「昂った夜」に登場する、老父母を大声で怒鳴りつける喪服の男が佐藤泰志氏本人のように感じてしまった。


佐藤泰志氏に比べれば、先だって芥川賞を取った西村賢太氏なんて「甘ちゃん」なんじゃないか?

■ところで、佐藤氏と同年代の作家として村上春樹氏がいるわけだが、ふと、村上春樹氏も『海炭市叙景』のような感じの本を出していることに気がついた。それは、『アンダーグラウンド』だ。しかし、『海炭市叙景』のハードカバー本が集英社から出版されたのが 1991年だったのに対し、『アンダーグラウンド』が出版されたのは、1997年だった。

■ここまで書いて、再び「まだ若い廃墟」を読み始める。

 夜がすこしずつ明けはじめた。(中略) 陽が水平線に顔を覗かせると、周囲に歓声が起こった。(中略)

兄も黙って太陽を見つめていた。ところどころで歓声がもれ、ふたたび溢れるばかりの喜びの声が戻りかけても、兄の表情は変わらなかった。なんだか放心しているように見えた。わたしはそんな兄を一瞬見上げ、ついで下唇を軽く噛んで海の方に視線をやった。

 兄はあの時、なぜ黙っていたのだろう。わからない。その沈黙がわたしに移った時、一瞬、心をよぎったものがある。けれど、それとてもはっきりとはわからない。あれは一体なんだったのだろう。(中略)


 そうだった。あの時、わたしはこの街が本当はただの瓦礫のように感じたのだ。それは一瞬の痛みの感覚のようだった。街が海に囲まれて美しい姿をあらわせばあらわすほど、わたしには無関係な場所のように思えた。大声をあげてでもそんな気持ちを拒みたかった。それなのにできなかった。日の出を見終わったら、兄とその場所に戻るのだ。(『海炭市叙景』17〜18ページ)


■この文庫本が出版されるのに尽力した、小学館の編集者、村井康司氏はジャズ評論家としても有名な人だ。村井氏の Twitter を読んで初めて気がついたことだが、『海炭市叙景』の中で「一人称」で語られるのは、この「まだ若い廃墟」と「一滴のあこがれ」の2篇のみなのだな。どうにもならない絶望の向こうに、微かな希望の光を感じさせる、まだ若い兄妹の妹と、中学2年生の男の子だ。

2011年2月19日 (土)

『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読んでいる

■市居の人々が日々暮らす土地とささやかな日常を、地味に丹念に描いたのが島村利正という作家だと思う。戦前から何度も芥川賞の候補に挙がりながら、結局受賞することはなかった。

東京での生活をあきらめ、生まれ故郷の函館に妻と子供を連れて戻り、職業訓練所に通いながら「この短編集」の構想をねったといわれる作家佐藤泰志氏は、僕の中では島村利正氏と重なる部分がすごく大きい。佐藤氏も5回も芥川賞の候補になりながら、結局受賞することはなく、妻子を残して41歳の若さで自死した。


そんな彼の最後の短編集(未完)が、この『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)だ。


先だってから、少しずつ読み進みながら、Twitter に感想を書いている。(以下転載)


●『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)を読み始めた。これ、映画になったんだ。さっき読み終わって強いインパクトに打ちのめされた「裂けた爪」の晴夫役が加瀬亮なのか。ちょっとイメージ違うな。加瀬亮は「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんだろう。12:05 AM Feb 16th webから(追記:「まだ若い廃墟」のお兄ちゃんは、竹原ピストルが好演したらしい)


●『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)より「一滴のあこがれ」を読む。これいいなぁ。切手収集が趣味の14歳中学2年生の男子が主人公。ビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』の事がでてくる。少年の希望を感じさせる函館山の描写がすばらしい。
6:11 PM Feb 17th webから


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「夜の中の夜」を読む。パチンコ屋の2階に住み込みで働く店員、ワケありの中年男「幸郎」のはなし。これはハードボイルドだね、北方謙三か志水辰夫の小説の感じがする。


●『海炭市叙景』より「週末」を読む。34年間毎日路面電車を操作してきたベテラン運転手の、ある3月末の土曜日の午後「いつもと変わらぬ」勤務の様子が淡々と描かれる。この街に関して、少なくとも電車の車窓から見える範囲のことは誰よりも一番よく判っている。プロとしての自信と心意気が沁み入る。


●『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)より「裸足」を読む。アノラックの男が切なく可笑しい。「俺が何か悪いことでもしたか。自分で稼いだ金だ(中略)俺は一滴も酒を飲んではいけないのか、女と寝てもいけないのか」しかし、港の娼婦たちもその道のプロ。自分の仕事に彼女らなりの誇りがあるのだ。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「まっとうな男」を読む。「裸足」に似て、この話の主人公も切なくて可笑しい。元炭坑夫の男は50過ぎ。成田空港建設の出稼ぎ先で反対闘争の連中に殺られる思いをして地元へ帰ったが仕事はなく職業訓練所に通う日々。ある夜、理不尽にも覆面パトカーに捕まってしまう


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「大事なこと」を読む。水産高校の投手で、地区予選の二回戦でコールド負けした主人公はいま、町内の朝野球チームの投手だ。彼は横浜高校の愛甲投手がロッテに入団した時から打者としての素質を見抜き密かに応援してきた。でも、チームの幼稚園園長の息子は彼を嫌った


●(続き)幼稚園園長の息子が、プロの選手で誰が一番好きかと訊いた。主人公は勿論、あいつの名前をいった。すると彼は「あの男は不良だぞ。根性の悪い、狡い奴だ」といった。すると主人公はこう反論したのだ「それがどうしたんだ、あいつはプロの野球選手だ、ものにできる投球は確実にヒットにできればいい、違うか」


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「夢見る力」を読む。電力会社に勤める35歳の男が競馬場のオーロラビジョンを一心に見つめる。サラ金から借りた8万円はすでに五千円を残すのみ。このダメダメ男、どんどんギャンブルのドツボにはまっていく様が滑稽ではあるが、読みながらいつしか男の気持ちになっている自分がそこにいた。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「昂った夜」を読む。18歳の女の子が主人公。教育者の父のもと一人娘として育ったが、暴走族の仲間とパクられて私立女子校を退学。いまは空港レストランのウエイトレスをしながら、1〜2年後には東京へ出て行くつもり。東京への最終便がもうすぐ出るある夜の出来事。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「黒い森」。プラネタリウムに勤める市職員49歳。妻は9歳年下、一人息子は高校1年生で八畳と六畳のアパート住い。マンションを買いたい妻は、1年前から友人のスナックで夜のバイトを始めた。最近では土曜の夜に外泊してくる。ウジウジした男が疎ましくも切ない。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「衛生的生活」を読む。「黒い森」と同じ公務員なのに、何なんだこの嫌らしさ。47歳の職安相談窓口職員。ゴロワーズには笑った。かまやつひろしの歌にもあったね。それにロミー・シュナイダー、死んじゃったねぇ。「見栄っ張りで尊大で自分を何者かだと思っている」でも、俺にも似たところがあるなぁ。


●『海炭市叙景』(小学館文庫)より「しずかな若者」を読む。誰かも書いていたが、村上春樹の短篇みたいだ。7月の終わり、別荘地でひとり過ごす19歳の大学生。ジャズが好きで、ジム・ジャームッシュの映画も好き。なんだ俺といっしょじゃん。でもオスカー・ディナードは知らないな。夏なのに静かでクールな若者。この小説の雰囲気、ぼくは好きだ。


■函館の街は、過去に2回訪れたことがある。

1回目は学生時代。真冬に常磐線の夜行列車に乗って青森に着き、青函連絡船で北海道に渡った。このとき、八雲町のジャズ喫茶『嵯峨』のマスターとママにお世話になり、函館では『バップ』のマスター松浦さんに会っている。この時泊まったのは、市電に乗ってしばらく行った先の競馬場に近い温泉街の安宿だったと思う。函館の老舗ジャズ喫茶『バップ』は、近隣の火事のための放水で地下の店が水浸しとなり一時休業していたが、別の場所に移転して再開したのだそうだ。よかったよかった。


2回目は結婚した年の7月だったな。

名古屋から函館空港に着いて、その夜は函館山の麓のペンションに泊まった。そこからロープウェイの発着所まではすぐで、チェックインの後にロープウェイに乗って山頂へ行き、あの有名な函館の夜景を眺めたのだった。

翌日、レンタカーを借りて羊蹄山の麓まで行き、翌々日は小樽で寿司を食った。

あの、関根勤のマネージャーの実家で、女性の女将さんが寿司を握るといことで話題になっていた店だ。

2011年2月 8日 (火)

『どろんころんど』北野勇作(福音館書店)読了

■福音館書店がなぜ「ボクラノエスエフ」というジュブナイルSFシリーズを始めたのか謎だった。ただ、祖父江慎の装丁がオシャレなのが気に入って、まずは『海竜めざめる』ジョン・ウィンダム・著、星新一・訳、長新太・絵を購入した。この長新太氏の挿画は、ぼくが小学性のころ学校の図書館で何冊も読んだ、岩崎書店の「SF世界の名作シリーズ」の中の『深海の宇宙怪物』に描かれたものが使用されているのだそうだ。でも、この本は読んだ記憶ないなぁ。星新一訳はハヤカワSF文庫版で、福音館版は「この2冊」をハイブリッドしたものなのだ。じつは、買ったまま未読。

■続けて入手したのが『すぺるむ・さぴえんすの冒険』小松左京コレクション。巻頭の「夜が明けたら」だけ読んだ。これは怖いわ。そうして、「ボクラノエスエフ」シリーズ初の書き下ろし作品が、この『どろんころんど』北野勇作・作、鈴木志保・画(福音館)なのだった。この本も買っまま安心してしまって、ずっと未読だった。ごめんごめん。ようやく読んだよ。面白かったな。


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■この本のポイントはやはり、祖父江慎氏の装丁だ。図書館から借りてきたのでは分からないが、本のブックカバーを外すと、ピンク地の表紙に、いろんなポーズをとるヒロイン「アリス」が銀色のインクで切り抜きになって描かれている。これが何ともオシャレなんだな。50すぎのオヤジが、カバーを外したピンクの本を、例えば山手線の車内で一心不乱に読んでたら、周囲の人たちはちょっとは注目するのではないか?(いや、ドン引きかもな。)


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■物語は、長い眠りから目覚めた少女型ロボット(アンドロイド)アリスが、お供にレプリカメ「万年1号」とヒトデナシの係長を従えて「どろんこだらけに変貌した世界」を旅するロードノベルであり、ビルドゥングスロマンだ。


正直、前半はなかなか乗れなかった。でも、短い章立てが心地よいテンポとなって知らず知らずにくいくい読めた。鈴木志保の挿画もよいな。物語の中盤、皆で地下鉄(これがまんま、桂枝雀の『夏の医者』なのだ。)に乗って都市に向かうあたりから俄然面白くなる。おっと、そう来たか! 何となく予想はしていたが、なんか急にリアルな気分に襲われて、しみじみ哀愁しつつも、そこはかとない怖さも同時に感じた。


「君がいない」は、後述する予定の、佐野元春最新CD『月と専制君主』のキーワードだが、この小説の主題も、自分にとって「大切な人」の不在だ。


内田樹先生はよくこう言っている。「存在しないもののシグナルを聴きとる」「存在しないものに対してメッセージを送ることができる」ということが、人間だけの優れた特性であると。物語の主人公アリスは、人間ではなくてアンドロイドなのだが、旅を続けるうちに、彼女は「それ」ができるようになるのだな。ここがよかった。しみじみよかった。


そうして「万年1号」だ。このラストは想定外で、ぼくは「ええっ?」と驚いたのだが、10ページに物語の副題として「あるいは、万年1号の長い旅」とあるのを発見して、そうか、これは必然なのだなって、納得した次第です。

読了後、不思議といつまでもあとを引く小説であるなぁ。


ちなみに、書評家の豊崎由美さん主宰「Twitter 文学賞」国内部門で、堂々の「第9位」に入ったよ。

2011年1月13日 (木)

『妙高の秋』島村利正を読む

『奈良登大路町 妙高の秋』島村利正(講談社文芸文庫)から「焦土」と「妙高の秋」を読む。どちらにも高遠がでてくる。やはり、高遠が舞台となる小説「仙醉島」「庭の千草」「城趾のある町」、それに「奈良登大路町」と読んできたので、まさにその続きのような私小説「妙高の秋」が特にしみじみと心に沁みた。いいなぁ。すごくいい。


島村利正氏は、江戸時代後期の内藤高遠藩で御用商人も務めた、高遠町本町にある老舗の海産物商店の長男として生まれた。明治45年3月25日のことだ。その日、彼の父親は秋葉街道沿いの下伊那郡大鹿村まで集金に行っていて留守だった。


 父は二日がかりの集金から帰ってきて私の出産を知り、女児ばかり三人続いたあとなので、両手をあげて喜んだそうである。そして首からかけていた財布をはずすと、懐中時計も一緒に枕もとへ置いて、これも坊のものだ、これも……と、云いながら、覗きこんだという。(p130)


老舗の商家の長男である。父親は島村氏が小学校を卒業したら、松本か諏訪の問屋へ見習い奉公に出すことに決めていた。家を継ぐ長男には学校はむしろ邪魔だったからだ。父親の期待も相当大きかったのだろう。

でも、長男の島村氏は家を継がずに、奈良の飛鳥園に行ってしまう。


そんな、父親と長男との確執と和解が「妙高の秋」の主題だ。

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