2014年7月19日 (土)

テレビドラマ『おやじの背中』(第一話)と『55歳のハローライフ』(最終話)

■日曜日の夜9時。そのむかし、TBSテレビは「東芝日曜劇場」というタイトルで単発ドラマを放映していた。池内淳子主演の「女と味噌汁」(平岩弓枝脚本、石井ふく子プロデューサー)はシリーズ化されていたし、北海道放送が製作した大滝秀治主演のドラマ(脚本は倉本聰)は出色の出来だったなぁ。

この時間枠は、最近『半沢直樹』で一気に注目を集めたワケだが、「半沢2」的ドラマ『ルーズベルトゲーム』が終わった後を受けて、10人の人気実力脚本家が「おやじの背中」というテーマで「単発ドラマ」を競作することになった。

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■その「第一話」が、この間の日曜日に放送された。脚本は、『最後から二番目の恋』『ちゅらさん』『おひさま』『泣くな、はらちゃん』を書いた、岡田惠和。主演は、父親役に「田村正和」。その娘に「松たか子」という布陣だ。

いやぁ、よかった。泣いてしまったよ。これは明らかに 小津安二郎監督『晩春』のリメイクを狙ったドラマだな。しかも田村正和と松たか子という役者を得て、あの笠智衆と結核と戦争で嫁に行き遅れた原節子の、品のある、不思議な距離感の父娘が、リアリティのある現代の父娘として、確かな説得力をもって見事に再生されていた。

『東京物語のリメイクならまず見る気がしないが、まさか『晩春』で来るとは。しかも大成功ではないか。うちは息子二人だから判らないけど、結局は娘を持つ父親の理想というか「叶わぬ願望」なんだろうな。

いや、驚いた。恐るべし! 岡田惠和

■ドラマのロケも北鎌倉で行われたのかと思ったら、なんと国分寺なんだって。武蔵野にはこんな景色が残っていたのか。

あと、松たか子と言えば「歌うシーン」だ。彼女が主演したミュージカル『もっと泣いてよフラッパー』は、松本市民芸術館まで観に行ってきたし、もちろん『アナ雪』も見たよ。

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■単発ドラマといえば、先週土曜日のよるNHKで『55歳からのハローライフ』(第5話)を見たんだ。これがまた本当に良かった。「イッセー尾形」主演。共演が「火野正平」。こちらには、アメリカ映画『真夜中のカーボーイ』を彷彿とさせるシーンがあった。やはり、泣いてしまった。最近めっきり涙腺が弱くなってしまったのだよ。

火野正平は、毎朝BSの『花子とアン』の後、7:45から自転車に乗っている姿を見慣れているので、山谷の簡易宿泊所で逆光のなか咳き込みながら座っている姿が、本物のホームレスそのものといった迫力の佇まいで圧倒された。その後登場する山谷「城北労働・福祉センター?」もリアルだったな。どうやって撮ったんだろう。

 

2014年7月12日 (土)

『時間という贈りもの フランスの子育て』飛幡祐規(新潮社)を読んでいる

■フランスの子育てに関しては、『フランスの子どもは夜泣きをしない パリ発「子育て」の秘密』(集英社)が、いま一番評判を呼んでいるワケだが(ぼくも読みたいと思ってはいる)、同じ 2014年4月25日発行のこの本、『時間という贈りもの フランスの子育て』飛幡祐規(新潮社)をたまたま手にして、なんかピンとくる(硬派な感じ?)ものがあり、いま読んでいるところだ。

「はじめに」の部分からの引用

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 2007年の大統領選挙の前後に、サルコジは『クレーヴの奥方』を目の敵にする発言を何度も繰り返し、多くの人々の顰蹙をかった。(中略)

 (小説『クレーヴの奥方』を交替で読み続ける)朗読リレーは、2009年の2月から十数週間にわたって行われた教員や研究者による大規模な大学改革案反対運動のひとつとして始まった。短期間に具体的な成果が得られる研究や学問だけに投資する、市場論理にもとづいた大学「改革」を彼らは批判していた。(中略)

朗読を呼びかけたパリ第三大学の教員は、次のように記している。

「私たちは、『クレーヴの奥方』をはじめとするさまざまな文学、さらに芸術や映画について、どんな職にある住民とでも語り合うことができるような世界を望んでいます。

なぜなら、文学作品を読むことは、仕事のうえでも私生活においても、世界に立ち向かう準備となると確信しているからです。なぜなら、複雑さ、思索、文化といったものがなくなったら、民主主義は死んでしまうと思うからです。

なぜなら、大学とは手柄や成績ではなくて美の場所、収益性ではなくて思考の場所、同じことの繰り返しではなく文化的・歴史的に異なるものとの出会いの場所であり、そうでなくてはならないと考えるからです……」(p9 〜10)

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 フランソワーズ・ドルトー(1908〜1988)は小児精神分析の先駆者のひとりで、スイスの心理学者ジャン・ピアジェ、小児精神分析家のメラニー・クラインやドナルド・ウィニコットと同様、子どもの成長について新たな視点をもたらした人物だ。(中略)

 自立した人間に育てるとはどういうことか、ドルトーはわかりやすく述べている --- 「子どもに自由の限界をわからせつつも、彼・彼女が自由に考え、感じ、判断できるように、知性と創造的な力を引き出すこと」。日本でよく使われる表現を借りると「自分の頭で考えられる」ように、ということだ。(中略)

 ドルトーの考え方は、国家や社会、親などが望む模範に子どもを当てはめようとする「調教」のような教育観に、まっこうから対立するものだ。指導者の指示と命令のもとに、調教された人たちが大量の迫害や虐殺を行ってきた人類の歴史、とりわけ 20世紀の史実をふり返ると、自由に考え、感じ、判断できる人間に育てることがいかに大切か、わかるのではないだろうか。(p15〜17)

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2014年7月 6日 (日)

『クラバート』プロイスラー作、中村浩三・訳(偕成社)

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■『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)を読んでいて思い出したのは、2つのマンガだった。『羊の木』と、それから『光る風』山上たつひこ(週刊少年マガジン連載 1970年4月26日〜11月15日)だ。奇遇にもどちらも作者は「山上たつひこ」だった。

『光る風』の表紙をめくってすぐの扉に書かれている言葉

過去、現在、未来 ------

この言葉はおもしろい

どのように並べかえても

その意味合いは

少しもかわることがないのだ

ほんとうにそのとおりだ。小学6年生のぼくは、この漫画が連載中の少年マガジンをリアルタイムで読んでいる。あれから44年も経って、この漫画がリアルすぎるくらい現実味を帯びてくるとは、思いも寄らなかった。

あと、気になったこの記事。「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」 やっぱり「この映画」も見ないとダメだ。

それにしても、今すぐ読め!の「旬の小説」だよなぁ。『ボラード病』。

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■伊那のブックオフで 105円だった『クラバート』プロイスラー(偕成社)、入手後長らく積ん読状態だったのだが、少しずつ読み進んで一昨日読了した。いやぁ、これは深い本だな。読み終わってしばらく経った今も、ずっとこの本に囚われたままだ。いろいろと考えさせられる。

宮崎駿監督のお気に入り児童文学で『千と千尋の神隠し』にも取り入れられているという。なるほど、「湯婆婆」のモデルが「荒地の水車場」の親方だったのか。

14歳の主人公クラバートは、夢のお告げに導かれて荒野(あれの)の果ての人里離れた湿地帯のほとりに建つ一軒家の水車場(すいしゃば)の職人見習いになる。そこでは、片眼の親方と11人の先輩職人たちが働いていた。

ぼくが入手した旧版の表紙には、この荒地の水車場と12羽のカラスが描かれている。物語全体を覆う、このじめっとした暗さが何とも不気味で、親方や先輩職人たちの謎に満ちた行動も読んでいて意味が分からずただただ不安はつのるばかり。それが『一年目』(119ページまで)

そして物語は「二年目」「三年目」と同じ季節、同じ年間行事が「3回」繰り返される。これは「昔話」によくある物語構造で、『三匹のこぶた』『やまなしもぎ』『三びきのやぎのがらがらどん』と同じだ。これら絵本では3人は兄弟で別人なのだが、昔話の本来的な意義で考えると、クラバートのように同一人物が「3回繰り返す」ことによって、徐々に成長し最後の3回目には見事目的を達成する、というふうに出来ているのだ。

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■この水車場では、自由に魔法を操れる親方が絶対的権力を握っていて、職人たちはこの職場から逃げ出すことはできない。逃亡を試みても必ず失敗する。その代わり、腹一杯の食事と毎週金曜日の夜に親方から魔法を教わる講義がある。もちろん、簡単に憶えられる呪文はない。弟子それぞれの努力と力量にかかっている。

ただ、その絶対的「親方」にも実は「大親方」がいて、毎月新月の夜に馬車で乗り付け、親方を他の職人と同じにこき使うのだ。親方とて、その「闇のシステム」の中では歯車の一つに過ぎず、さらに圧倒的な巨大なものに支配されているのだった。

職人たちの中には、仲間を絶えず監視していて、怪しい行動をとると直ちに親方に告げ口する奴もいる。もちろん、後輩をかばって何かとクラバートの面倒をみてくれる先輩トンダのような信頼すべき奴も登場する。

こうした水車場での描写は、村上春樹氏のエルサレム講演「壁と卵」に象徴される「システムと個人」の問題、もっと平たく言って、我々がいま暮らしている日本の社会、職場にそのまま当てはまることばかりではないか?

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■この本は、チェコでアニメ映画化され、ドイツでは 2008年に『クラバート 闇の魔法学校』として実写版映画化された。魔法学校なんていうと、ハリー・ポッターみたいなストーリーを思い浮かべるかもしれないが、『クラバートでは魔法のあつかい方も復讐すべき敵も、ハリー・ポッターとはぜんぜん違う。ここが重要。

『クラバート』を突き詰めると、結局ギリシャ悲劇『オイディプス王』になるのではないか?

父親を殺して母親と結婚するオイディプス王。

実際、作者のプロイスラーが少年時代に読んだ、ヴェンド人に伝わる「クラバート伝説」では、「ソロを歌う娘」の役割をクラバートの母親が担っていたという。

少年から青年へ。そして大人へと成長する過程で対決しなければならない「父親」という存在。それから、人魚姫が足を得る代わりに「大切なもの」を失ったように、また、アリステア・マクラウドの短編『すべてのものに季節がある』の主人公が、ある年のクリスマスイヴの晩、父親から一人前の大人としての扱いを受けた思いがけない喜びと裏腹に、魔法の世界で暮らしていた幸福な「子供時代」の終わりに気づかされた、喪失という深い悲しみ。大人になるということは、そういうことだ。クラバートにはその覚悟ができていたのだろうか?

50歳代のオヤジは、変なことを心配してしまうのだった。

意外とあっさりとしたラストだが、昔ばなし風の味わいと余韻があって、ぼくはかえって好きだな。

2014年6月29日 (日)

今月のこの1曲。『ぼくのお日さま』ハンバートハンバート

■ハンバートハンバートの新作CD『むかしぼくはみじめだった』を、ようやく入手した。毎日リピートして繰り返し聴いている。地味だが、じわりじわりと沁み入ってくる曲が多い。特に、ラストの「移民の歌」から最初に戻って「ぼくのお日さま」「ぶらんぶらん」「鬼が来た」と続いて行く流れがすばらしい。

キャッチーな派手さはないが、大地に根を張った、プリミティブで力強い自信に満ちた歌声とサウンド。ふたりのハーモニーも、ほんとピッタリと息が合っていて実に気持ちいい。

ハンバート ハンバート
YouTube: ハンバート ハンバート "ぼくのお日さま" (Official Music Video)

■このCDの中で、ぼくが一番すきな曲は2曲目の『ぶらんぶらん』なのだけれど、YouTubeにはアップされていないので、その次に気に入っている『ぼくのお日さま』を挙げておきます。

どなたかもツイートしていたが、ギターのイントロが、エリック・クラプトンの『 Change the World』っぽい。ぼくもそう思った。サビのコード進行は、マキタスポーツ氏が言うところの「カノン進行」だ。

でも、この曲は歌詞が沁みる。しみじみよい。聴き込むほどにじんわり泣けてくる。

歌ならいつだって

こんなに簡単に言えるけど

世の中歌のような

夢のようなとこじゃない

こちらのブログ:週刊「歴史とロック」の著者の文章がじつに読ませる。そうかそうか。

それから、こちらの「普通の日々」の方もいいな。

 

なお『ポンヌフのたまご』の遊穂さんの「うふふっ♫」に萌えた。

っていうの。わかるわかる(笑)

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■ナタリー「ハンバートハンバート × 又吉直樹」の鼎談が面白い。佐藤良成さんて車谷長吉が好きだったんだ。あの「どろどろ加減」、僕も大好きなのさ。それから、山下洋輔トリオの初代マネージャーだった「あべのぼる」氏の2曲も貴重だ。たしか最近亡くなってしまったけれど、松本の丸善で「自叙伝」を見かけた。

■このCDは、診察室の奥の処置室に置いたラジカセで、小さめの音量にしてかけているのだが、吸入とか採血、それから予防接種前後の待ち時間とかで処置室に入った親子連れが聞き耳を立て、『ポンヌフのたまご』や『ホンマツテントウ虫』を NHKテレビで聴いたことがあるのか、いっしょにメロディを口ずさんでいるケースが度々ある。

先日、看護婦さんから聞いたのだが、とあるおかあさんが、こう訊いてきたんだって。

「私もハンバートハンバート大好きなんですが、このCD、先生が選んで買ってきたんですか?

なんか、うれしくなっちゃったな。

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  <ハンバートハンバートに関する過去の記事>

『まっくらやみのにらめっこ』のこと(その2)2008/11/22

今年良く聴いたCD 2007/12/29

今年よく聴いたCD 2008/12/29

CD『ハンバート・ワイズマン!』より「おなじ話」の話。 2012/07/07

『ニッケル・オデオン』 2011/07/18

今月のこの一曲「陽炎」ハンバートハンバート 2010/10/27


2014年6月23日 (月)

『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)と『羊の木 1〜5 』(講談社)

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■『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)を読む。

この肌がぞわぞわする不穏で何とも嫌な感じは『羊の木』山上たつひこ作、いがらしみきお画(講談社)を読んでいる時の気持ち悪さといっしょだ。どっちも海辺の地方都市が舞台だし。

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■『ポラード病』の主人公「大栗恭子」は、11歳になったばかりの小学校5年生の女の子だ。B県にある海辺の地方都市、海塚(うみづか)に母親と二人だけで暮らしている。季節は5月。今の借家へは3ヵ月前に引っ越してきたばかりだが、小学校は転校しなくて済んだので、貧乏だけど頭のいい浩子ちゃんや、すごく太ったアケミちゃん、文房具屋の健くんと同じクラスのままだ。家では「うーちゃん」という目玉の黒い雌ウサギを飼っている。

そんな少女の日常が、部分的に「こだわり」をもってやたら詳しく綴られていくのだが、読んでいて「なんか変」なのだ。小学生が書く幼稚な文章のようでいてちょっと違う。「?」と思いながら読み進むと、35ページに以下のような一文が突然出てくる。

三十歳を越えた今では、ご覧のように文章を書くのが好きになっている私です。

以前、統合失調症の人の文章を読んだことがあるが、その感じによく似ている。『火星の人類学者』に登場する、高機能自閉症のテンプル・グランディンさんが書く文章の雰囲気もある。いずれにしても、主人公が感じている「世界観」が、ふつうの人とは明らかにズレているのだ。それが読んでいて「なんか変」と感じる原因なんだな。

「大栗、それは頭の中の虫ではなくて、錯覚というやつだ」

「さっかくですか」(中略)

私は錯覚を辞書で調べてみました。

「錯覚 ものをまちがって知覚すること。知覚がしげきの本当の性質といっちしないこと」

 私はこれは自分の秘密に属することだとピンと来ましたが、藤村先生に自分を晒すことに強い抵抗を感じました。(p11〜12)

「私は、先生に知らせた方がいいと思いました。クラスのきまり通りに、自分の感覚を大切にしただけです」と余計なことを付け加えました。その時、職員室にいた教頭先生と算数の都築先生が揃って顔を上げてこちらを見ました。(p55)

主人公は、周囲の他の人たちと異なり「世界を間違って知覚している」から、読んでいて何とも気持ち悪いのか。じゃぁ、彼女の母親はどうか? 母親はもっと変だ。明らかに何か強い被害妄想にとらわれている。

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■と、ここまでが前半の1/3までなのだが、じつはいま再読で64ページまで来たところ。

初読時と、読んでいてぜんぜん異なる印象に正直すごく驚いている。

それまで見えていなかったものが、くっきり見えるからだ。

「この本」は2度読まないとダメだ。

2014年6月15日 (日)

最近読んだ本(その2)

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『シークレット・レース/ツール・ド・フランスの知られざる内幕』

タイラー・ハミルトン&ダニエル・コイル 児島修・訳(小学館文庫)

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■この4月から、スカパーの「J Sports」視聴契約を止めてしまった。

「中日ドラゴンズ」のプロ野球中継を以前ほど熱心にフォローしなくなってしまったことと、毎年初夏の1ヶ月間、連夜の楽しみだった「ツール・ド・フランス」の生中継を、去年はとうとう一回も見なかったからだ。あれは、2013年1月18日のことだった。ツールで7連覇を遂げた超人、ランス・アームストロングが全米放送のテレビ対談番組で自らドーピングしていたことを告白した。

ランスの自伝『ただマイヨジョーヌのためでなく』を読んで、あれほど感動したというのに……。ショックが大きすぎた。

それ以後、ツール・ド・フランスに対して急速に興味を失っていったのだ。

ちょうどその頃、この本『シークレット・レース』が出版された。評判もかなり良かった。でも読む気になれなかった。あれから1年経って、ようやく手に取ったのだが、もっと早く読んでおけばよかったと、すっごく後悔した。めちゃくちゃ面白いじゃないか! ぐいぐい読ませる力がある。タイラー・ハミルトンが誠実に真摯に淡々と語る「自転車ロードレース」の実態が、テレビ中継を見ているだけでは決して分からない、初めて知る驚愕の事実ばかりだったからだ。

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■この本を読んでほんとうによかった。

著者のタイラー・ハミルトンが、ランス・アームストロングが、どうして「ドーピング」に手を染めていったのか? いかざろう得なかったのか、よーく判ったからだ。

自転車ロードレースの新興国だったアメリカから、100年以上の歴史を誇る本場ヨーロッパに乗り込んでいって頂点を極めようと殴り込みをかけたのがランスだった。最初はまったく相手にされなかった。次第に頭角を現してきたちょうどその時に、ランスは睾丸腫瘍になり現役復帰は絶望的と言われた。しかし、その後奇跡の復活を遂げ、ツール・ド・フランス7連覇(1998年〜2004年)という誰も成し得なかった偉業を達成する。

アマチュア時代に実力を認められ、アメリカのプロチーム「USポスタル」に入ったタイラー・ハミルトンは、1996年の初めてのヨーロッパ遠征で愕然とする。地元ヨーロッパの選手との実力差が半端なかったからだ。まったく勝負にならない。

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 最初からドーピングをしようと思っている選手はいない。僕たちは何より、サイクリングの純粋さを愛している。そこにあるのは、自分とバイク、道、レースだけだ。しかしロードレースの世界の内側に入った選手は、そこでドーピングが行われていることを察知する。

そのとき僕たちがまず本能的に取ろうとする反応は、目を閉じ、耳で手を塞いで、ひたすら練習に打ち込むことだ。その拠り所になるのは、自転車レースに古くから存在し、半ば迷信のように信じられてきた「日々、限界に挑み、努力を続けることで、いつの日にか優れたライダーになれる」という考えだ。(p64)

 興味深い数字がある。"1000" という数字だ。それはいささか乱暴に数えて、僕がプロになった日から、初めてドーピングを使った日までの日数だ。

この時代の他の選手と話したり、彼らについての記事を読むなかで、僕はあるパターンに気づいた。ドーピングをした選手のほとんどは、プロ三年目に初めてドーピングに手を染めている。プロ一年目は、希望に満ちあふれたフレッシュな新人だ。二年目に現実を知る --- この世界で、ドーピングが横行していることを。そして三年目に悟る。(p87)

 世間では、ドーピングは厳しい練習を嫌う怠け者のすることだと見なされている。たしかに、それが当てはまる場合もある。でも僕たち選手に言わせればそれは逆だ。EPOは選手に、「苦しみに耐える能力」を与える。トレーニングやレースで、想像もできなかったレベルまで遠くに、厳しく自分を前に押し出せる能力だ。(p109)

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1998年。ランス・アームストロングはタイラーが所属する「USポスタル」に合流し、チーム・リーダーとなる。

ランスは、みんなが当たり前にドーピングしているなら、最も効率的に有効に体を作るべく、イタリア人医師ミケーレ・フェラーリの指導のもと、ドラッグを併用しつつ、スポーツ医学に基づいた科学的トレーニングに打ち込んだ。それはそれは厳しい地獄のようなトレーニングだったとタイラーは言っている。

 なぜ、ドーピングがツール・ド・フランスのように三週間もかけて行われるロードレースで多く使われるのかという疑問を持つ人は多い。その答えは簡単だ。レースが長くなるほど、ドーピング、特にEPOが効果を発揮するからだ。原理はこうだ。

三週間のレース期間、一度もドーピングを使わなければ、ヘマトクリット値は週に約2ポイント、合計約6ポイント低下する。これは「スポーツ貧血」と呼ばれる作用だ。ヘマトクリット値が1%低下すると、パワーも1%低下する。つまり、(中略)パワーは3週目には約6%低下する。ロードレースでは、1%未満の差が勝敗を分ける。6%の差がいかに大きいかがわかるはずだ。(p112)

■練習中も EPOを打つことが日常化し当たり前になってゆく。抜き打ち検査で陽性が出ないような様々な工夫も重ねられて行く。EPOを皮下注射でなく、連日少量静注するとか、検査前に生理食塩水を点滴して濃度を薄めるとか、さらには、夜尿症の治療に使う抗利尿ホルモン製剤「ミニリンメルト」を飲んで、尿量を減らしわざと「水中毒」状態にして検査陽性を免れるとか。イタチごっこで、このあたりの描写はスリリングで読んでいてドキドキした。

しかし、ランスのドーピングは他のトップ選手たち(ウルリッヒほか)の「2年先」を行っていた。さらにランスは、ライバルたちがどんなドーピングやトレーニングをしているのか、何でも知っていた。凄い情報収集力だったのだ。

■1998年のツールは、ランスとタイラー・ハミルトンの蜜月期間だった。ただ、その期間は長くは続かなかった。ハミルトンが次第に実力をつけてくると、ランスは自分の地位を脅かす脅威の存在と見なし、彼を切り捨てたのだ。

ハミルトンは言う。ランスは世の中の人々の期待、欲望(勝ち続け、自分たちが望む英雄であり続けること)にずっと応え続けて行かなければならないという、罠に捕らわれていたと。

 

2014年6月11日 (水)

『世界が終わってしまったあとの世界で(上・下)』ニック・ハーカウェイ著、黒原敏行訳(ハヤカワ文庫)

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<最近読んだ本>:上の写真をクリックすると、もう少し大きくなります。

昨夜、『世界が終わってしまったあとの世界で』ニック・ハーカウェイ著、黒原敏行・訳(ハヤカワ文庫)読み終わった。いやぁ、面白かった! 満足した。ラストでは泣いてしまったよ。じつに久しぶりで読書のカタルシスを味わった。

とにかく、下巻の半分まで読み進んでも話がどう展開して行くのか全く見当がつかず、読者は翻弄されっぱなし。それがまた何とも楽しいのだけれど。

■「翻訳ミステリー大賞シンジケート」の「書評七福神の四月度ベスト発表!」で、書評家の杉江松恋氏が「この小説」を絶賛していたので、ここまで滅多に褒めない人だから買ったのだ。杉江氏を信頼して正解だったな。杉江氏のもう少し詳しい紹介文は「本の雑誌」【今週はこれを読め!ミステリー編】でも読める。

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■この本を読んでみようと思った「もう一つ」の理由は、翻訳があのコーマック・マッカーシーの小説をみな訳している黒原敏行氏だったこともある。

ところが、上巻の「第1章」を読み始めておったまげてしまった。

主人公の語りがあまりに饒舌で猥雑で、しかも寄り道ばかり。ちっとも話が進まない。文章もブッ飛んでいて、とてもマッカーシーの訳者の文章とは思えない。「こりゃぁ、ハズレだな。読むの止めよう」正直そう思った。

我慢して「第2章」に入った。場面はいきなり過去に逆戻りして、5歳の主人公「ぼく」と同い年で彼の無二の親友「ゴンゾー」との出会いの場面から始まる。あれっ? なんか雰囲気変わったぞ。イギリス正統派「児童文学」の感じじゃないか。そして「ウー老師」の登場。<声なき龍>という流儀の中国拳法の師範。この爺さんがめちゃくちゃユニークなのだ。彼の命を付け狙う「敵」も出てくる。悪の集団<時計じかけの手>に属する「ニンジャ」たちだ。

このあたりから、一気に物語りに引き込まれていったな。読みながら、この作者、イギリスの「いしいしんじ」なんじゃないかと思った。そう、『ぶらんこ乗り』とか『麦ふみクーツェ』『プラネタリウムのふたご』『ポーの話』の頃の「いしいしんじ」ね。

どこか懐かしい不思議なおはなし。そして、主人公が胸の裡に抱える「深い哀しみ」。

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■ただ、第3章、第4章になると、またちょっと変わる。

著者は 1972年生まれだから、今年42歳か。それなのに、1970年代のB級映画にやたら詳しい。ブルース・リーやジャッキー・チェンの「カンフー映画」や、大学闘争を描いた『いちご白書』。『マラソンマン』の拷問場面。戦争映画では『M★A★S★H/マッシュ』に『フルメタルジャケット』。ボガートとローレン・バコールの『三つ数えろ』に「007 シリーズ」。『七人の侍』にイヴ・モンタン『恐怖の報酬』、絵本『ぐりとぐら』の「あのシーン」まで出てくるぞ。

さらには、懐かしいプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントの名前や、『スタートレック』初期シリーズでは「赤いシャツ」を着た乗組員は殺されやすいとかいう記載もある。(上巻440ページ)

それから「下巻」の最初に登場する、<パイパー90>。キャタピラーで自走する巨大な移動式機械で、地上に延々と「パイプ」を設置して行く。このイメージは『ハウルの動く城』というよりも、クリストファー・プリーストの『逆転世界』(創元SF文庫)に登場した「可動式都市」を連想させる。

斯様に、どこかで見たことのある設定のごちゃ混ぜ、てんこ盛り小説なのだった。

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■この小説の「キーワード」は、人間と機械(マシーン)、機構(メカニズム)、そして<システム>の問題だ。そう、村上春樹氏が2009年2月にエルサレムでスピーチした「壁(システム)と卵(人間)」のはなし。

でも、親友「ゴンゾー」の陰でいつも存在感の薄かった主人公の「ぼく」が挫折を乗り越え再生してゆく、恋と友情にあふれた王道の青春小説であることが一番大切だと思う。

ただし、ちょっと読者を選ぶ本かもしれないな。

■宮崎駿『風立ちぬ』を見終わったあとに、岡田斗司夫氏の解説を聴いて「なるほど!」と感心したみたいに、読了後に発見した「杉江松恋氏の解説」を聴いて、1時間「ネタバレなし」で語り尽くすとは、さすがに凄いなぁと思ったのでした。(おわり)

2014年5月25日 (日)

今月のこの1曲。「月は無慈悲な夜の女王」ラドカ・トネフ

Radka Toneff - The Moon's a Harsh Mistress 嚴厲的月光夫人
YouTube: Radka Toneff - The Moon's a Harsh Mistress 嚴厲的月光夫人

 Ballad Of The Sad Young Menで発見した、ノルウェーのジャズ歌手「ラドカ・トネフ」のことがずっと気になっていて、結局ネットで中古盤を2枚(ハンブルグでのライヴとベスト盤)新品で彼女の遺作『フェアリーテイルズ』を入手した。

『フェアリーテイルズ』の冒頭に収録されているのが、この曲「The Moon's a Harsh Mistress」だ。ピアノ伴奏のみで唄われるこのCDの中でも特別印象的な一曲。

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■この曲、どこかで聴いたことあるよなって思ったら、YouTube にパット・メセニーとチャーリー・ヘイデンのデュオ・ライヴの映像があった。そうか、『ミズーリの空高く』6曲目に入っていて、何度も聴いてたんだ。

Pat Metheny With Charlie Haden - The Moon Is A Harsh Mistress
YouTube: Pat Metheny With Charlie Haden - The Moon Is A Harsh Mistress

■この曲のオリジナルは、アメリカのソングライター、ジミー・ウェッブで、『夏への扉』で有名なSF作家ロバート・A・ハインラインの小説『月は無慈悲な夜の女王』矢野徹・訳(ハヤカワ文庫)に触発されて出来上がったのだという。ぼくは未読。

この曲を、ジョー・コッカー、リンダ・ロンシュタット、ジュディ・コリンズ、 ケルティック・ウーマン、 Grazyna Auguscik など、いろんな人がカヴァーしているが、曲のタイトルと歌詞、その歌唱がベスト・マッチングしているのが、何と言っても「ラドカ・トネフ」のヴァージョンだ。

彼女は、『Live In Hamburg』を聴いても分かるとおり、エモーショナルに気持を歌に込めて力強く熱唱するタイプの歌い手だ。ところが、『フェアリーテイルズ』では彼女は自らシャウトを禁じている。パッションを内に隠し、ガラス細工のように繊細で儚く危うい歌声。まさに太陽に照らされて光る月の輝きのごとく、どこか冷めた暗い覚悟、諦観のような彼女の思いが、聴いていてひしひしと伝わってくるのだった。



2014年5月23日 (金)

『ハリエットの道』(日本キリスト教団出版局)を読む。

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『ハリエットの道』キャロル・ボストン・ウェザーフォード文、カディール・ネルソン絵(日本キリスト教団出版局)を読む。「女モーゼ」とも呼ばれたハリエット・タブマンの生涯を、力強い迫力のタッチで描いた傑作絵本。感動した!

「ハリエット・タブマン」は、南北戦争前後のアメリカに実在した黒人女性で、日本でいうと江戸時代末期、メリーランド州の黒人奴隷だった彼女は、理不尽な仕打ちに耐えきれなくなって、ある晩、保守的な夫を残し「ご主人様」の家を脱走する。彼女は、北斗七星が指し示す「自由な北」を目指して、たった一人 145km の道のりをひたすら歩いてペンシルヴェニア州フィラデルフィアにたどり着き、とうとう自由の身になることができたのだった。

ただ、もちろん彼女一人の力では、その逃亡劇は実現不可能だった。

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当時、先進的な奴隷制廃止論者の白人や自由黒人、宗教関係者を中心とした「秘密のネットワーク」が各地にあり、彼らの組織のことを、隠語で「UnderGround RailRoad」と言った。この「自由への地下鉄道」は、実際に「地下鉄」があった訳ではなくて、支援者・協力者がいる「点」を「線」で結んで、ちょうど「駅伝」のような仕組みで、北の自由の地、遠くは「カナダ」まで黒人奴隷を逃がしてやっていたのだった。

逃亡者たちは、昼は支持者の教会や農家の納屋に隠れて過ごし、夜になって北へと移動した。

John Coltrane - Song Of The Underground Railroad
YouTube: John Coltrane - Song Of The Underground Railroad

■ジョン・コルトレーンが、インパルス・レーベルで最初に出した『アフリカ/ブラス』に、当初収録されるはずだった「Song Of The Underground Railroad」は、その政治的意味合いからかレコード会社は「お蔵入り」にしてしまい、コルトレーンの死後になってようやく日の目を見た楽曲だ。力強く自信にあふれ、スピード感と勢いがある名曲だというのに。

CDのクレジットを見ると、Traditional をコルトレーンがアレンジしたとあるが、今回いろいろと YouTube で「自由への地下鉄道」関連の楽曲を調べてみたけれど「同じ曲」は見つからなかった。もしかすると、曲調からしてコルトレーンのオリジナルなのかもしれないな。

 インパルスのセッション記録を見ると、『アンダーグラウンド・レイルロード』は当初、『北斗七星をたどれ』というタイトルにする予定であった。逃亡する黒人たちは、夜陰にまぎれ、北斗七星の輝きを頼りに北へ向かった。”北斗七星をたどれ”という曲名は、そのことを暗示している。

 嗅覚に優れた犬を使う追ってを攪乱するため、逃亡奴隷は胡椒を撒き、小川やクリークの中をたどって匂いを分断した。捕らえられれば引き戻され、見せしめのリンチが待っている。運良く逃げおおせても、その首には懸賞金がかけられ、生かすも殺すも、これを捕らえた者の裁量に任された。

たどり着いたオハイオ川の北岸シンシナティ、リプリー、ポーツマスといった街には、逃れてきた黒人たちの受け入れ拠点があったが、1850年に強化された「逃亡奴隷法」以降は、さらに北のカナダへ逃れなくてはならなくなった。

南部に生まれ、北部フィラデルフィアを第二の故郷とするコルトレーンは、学校だけでなく、牧師であった祖父からも学んで、そうした奴隷の歴史、すなわち自分のルーツを熟知していた。

『コルトレーン/ジャズの殉教者』藤岡靖洋(岩波新書 1303)p116〜117

■ハリエット・タブマンの凄いところは、その後「自由への地下鉄道」の「車掌」となって、何度も南部へもどり、自分の命の危険を犯してまで、他の奴隷たちを北に逃がしたことだ。

「1860年までにハリエットは19回も南部へもどり、300人もの乗客の奴隷たちを自由の身にしました。ハリエットがかかわった奴隷は、ひとりの例外もなく全員が自由になったのです。」(『ハリエットの道』作者あとがきより)

2014年5月18日 (日)

春風亭一之輔独演会 +『HAPPY』の動画を集める(その2)

■いやぁ、笑った笑った。今宵、駒ヶ根の大宮五十鈴神社で行われた春風亭一之輔師匠の独演会。毎回思うのだけれど、落語ってホントいいなあ。聴き終わって何とも幸せな気分になれる。演目は「狸札」「鈴ヶ森」「お見立て」の3つ。

一之輔さんのヨーロッパ公演を記録した写真集や、色紙、手ぬぐいが当たる抽選会(大盤振る舞いだった)には外れてしまったけれど、お土産に真打ち昇進披露公演の50演目が書かれた記念の手ぬぐいを頂戴して大満足でした。

一之輔さんも書いているけれど、ぼくらの左前に座っていた4歳の少年。たしか、はるたろう(晴太郎?)君といってたか。ふつう3〜4歳の男の子だと、じっと座っていられるのは30分が限度だ。しかし、落語通の彼は違った。後半の、吉原の廓噺「お見立て」まで2時間近くいい子で聴いていたぞ。凄いな!

写真集が当たってよかったね。

ただ、幼気な4歳児に容赦なく「廓噺」を聴かせる一之輔師匠って、どうよ。

昨日駒ヶ根にいた4歳の男の子は怪獣図鑑の如くに噺家名鑑を見てるらしい。楽屋まで「いちのすけは初天神、青菜をよくやるんだよ」と聞こえてきた。「ツインテールは海老の味がするんだよ」的に。

■落語をナマで聴いた後に必ず感じる、あの「多幸感」って、ファレル・ウィリアムス『HAPPY』の「気持ちよさ」と同じなんじゃないか? たわいのない日々の日常の暮らしの内に、実は「しあわせ」はあるんだよ、きっと。

 

HAPPY - Pharell Williams [ We are from SXM ] #HAPPYDAY
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HAPPY We Are From Minsk
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Pharrell Williams - #JamaicaHappy #HappyDay
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Pharrell Williams - Happy (Venezuela - Coro) #HAPPYDAY
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HAPPY in Greenland
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