2014年9月16日 (火)

太田省吾『舞台の水』(五柳書院)つづき

■昨日のつづき。『舞台の水』太田省吾(五柳書院)より、76ページ「演劇とイベント」

                  ○

 企画の時代で、演劇の世界も企画の目を意識しないとやっていけなくなっている。(中略)

 だが、と私は演劇について思う。演劇もイベントにちがいないが、所謂イベントとどこかはっきり異なるところのあるものではないかと思うのだ。演劇は、それがどこかというところを見出さなくてはならない。なんだか、イベントと演劇の区別がつきづらくなっている。

「痛み、怖れ、ためらい、はじらい、おののきの基本要素がなければ、詩は生まれない」。リルケの言葉だが、私はこの「詩」を「演劇」と置きかえ、「どこか」とは結局のところここらあたりではないかと思っている。なんだと思われるかもしれないが、このリルケの言葉は、喜怒哀楽を除外しているところを注目しなければならない。

 喜怒哀楽を除外するとは、わかりやすく通じやすいところから詩は生まれないと考えることであり、詩を生むのは自分にとっても把えにくいところだとすることである。

 企画の目では、これがまどろっこしい。こういうところを棄てて進もうとする。この「詩」を「演劇」と読みかえれば、「演劇」を棄て、もっと通じやすいところ、いわば喜怒哀楽へ行こうとする。その方向をイベントというのではないか。

■p26〜p28 「<反復>と美」より

 演劇の稽古にはくりかえしが欠かせない。ほんの小さな一つの行動や台詞を半日くりかえしているなどということもよくあることだ。

 そんなとき、何をしているかといえば、多くの場合、たとえばコップに手をのばしコップを取って水を飲むという行動があるとすると、それが最も適確だと思われるやり方をみつけるため、あるいはそれが演技で充分表現できるようにするためである。(中略)

 しかし、私はこのくりかえしをもう少し別の目で見、気づいたことがあった。私には、それは一つの発見のように思えたのだった。

 適確さとは、その人物の設定やその人物が置かれている状況とその行動との関係で見出されていくものだが、そのときには、そんな関係をなしに、ただただその行動をくりかえしてみていたのだった。

 いわば裸のくりかえしだった。コップを見、コップへ手をのばし、水を飲む。コップを見、コップへ手をのばし、水を飲む。コップを見、コップへ手をのばし、水を飲む……。

 この反復の中で浮かびあがってくるものがあった。その動作が、いわば不定詞のように、つまり「人間がコップを見るということ」であり、「コップ(物)へ手をのばすということ」であり、「水を飲むということ」といったように際だって見えてくる。そして、その主語は個別性を越えていくように見えたのだった。

ある人物という主語、つまり<役>とは、ある住所氏名年齢職業性格、といった限定ををもち個別性をもつということだが、それらを失い、それらを越えていった。

 それらの動作の主語、主体は、ある俳優の身体を通じてであるが<類>へ近づいていったように思えた。ある俳優の身体が、人類、人間と溶け合うように思い、それを、私は美しいと感じたのだった。

 人間が物(コップ)を見るということ、人間が物に手をのばすということ、人間が水を飲むということ、ある一個の身体を通じて人間の動作をそんなふうに見ることのできるということ、そんなふうに見ることができる時間をもつことができるということは、演劇の大きな望みなのではないだろうか、そんなふうに思えた。自分の演劇への望みがそういうものだとわかったように思えたのだった。

 私の劇のテンポは遅い。かなり遅い。その遅さは、言ってみればどのような動作も、この、反復を含んだものとするためであり、そうしなければ見ることのできない人間の美を見ようとしていることなのかもしれない。

■p24 「舞台の水」より

「ドラマとは、人生の退屈な部分を削除したものである」という根強い考えがあるが、私はかならずしもそう考えない。そして、それは私だけの考えではなく、現代の表現が徐々に見直している中心のところだと言ってよいのではないだろうか。

 J・ケージは、サティの曲を「魅力的な退屈さ」と言い、サティに学んだことはこういうことだと述べている。

  音は音であり、人間が人間であることをそのまま受け入れて、

  秩序の観念とか感情表現とか、その他われわれが受け継いで

  きた美学上の空論に対する幻想を捨てなければならない。

2014年9月14日 (日)

「演劇の時間」 太田省吾『舞台の水』(五柳書院)より

■錦織のUSオープン決勝戦が見たくて、ネットで WOWOW視聴契約をした。2日前だったが、すぐに見ることが出来た。決勝戦は残念だったけれど、準決勝のジョコビッチ戦も録画できてよかった。

それにしても、WOWOWは3チャンネルもあって、そのコンテンツの充実ぶりには驚くばかりだ。10月には、先達て PARCO劇場で観てきたばかりの芝居『母を欲す』の舞台中継を放送するらしい。さらに、同じ時に渋谷シアターコクーンで上演していた『太陽2068』も放送するそうだ。早いな。

■ただ、テレビで見る「舞台中継」ほどつまらないものはない。DVDでも同じだ。何故なんだろう?

そこに映っているものが、実際に劇場へ足を運んで、ナマで体験した舞台とは似ても似つかぬ代物になってしまっているからだ。テレビや映画のようなカメラワーク(役者のアップや、スピーディなカット割り)が過剰でおせっかいなことが原因なのか? とも思っていたのだが、正面から引きの固定画像がほとんどの「落語のDVD」も、CDで聴くのと違って、案外ちっとも面白くないから、もっと根本的な問題があるのだろう。

「臨場感」:演者と同じ場所、空間に観客として「いま・ここ」でいっしょに参加している、同じ「場」の空気を皆で同時に吸ったり吐いたりしている(同じ場面で笑うためには、その前に息を吸っておかないといけない)感覚。テレビでは「それ」が味わえないからなのではないか。

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むかし買った演劇関係の本を納戸で探したがあまり残ってなくて、転形劇場主宰・太田省吾の本が3冊と、『別冊太陽 現代演劇60's〜90's』(平凡社)が見つかっただけだ。もっと小劇場関係の本もあったように思ったのだが、みんな処分してしまったのか。

この「別冊太陽」の47ページに、「演劇の時間」と題された太田省吾氏の印象的な文章が載っていた。ネットで調べたら『舞台の水』太田省吾(五柳書院)p29〜p31 に収録されている。この本は持ってなかったので、ネットで古書を探して早速手に入れた。便利な時代になったものだ。

そこには、とても大切なことが書かれていたのだ。

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          「演劇の時間」   太田省吾

(前略)劇場に人々がやってくる。そして幕が開き、芝居が演じられ、幕が下がり、人々が散っていく。---- あれは一体なんだったのだろう。演劇にはそう思わせるものがある。舞台をつくる者と観客、その数百人の人々が劇場という一定の場所に集まり、一定の時間を共有する。これは何ごとかである。しかし、あとに残るものはなにもない。終わると同時にあとかたもなくなる。

 台本は残る。あるいは、ビデオや写真をつかって記録を残すことはできる。それらによって、作品としての構成やその性質を記録することはできる。しかし、どうしてもその記録では記録できないものがある。いわば、あれは一体なんだったのだろうと思わせるところが記録できない。終わると同時にあとかたもなくなるところがビデオには写らない。(中略)

 フィルムやビデオテープに写らないもの、それを自意識の再認識の発端とすると、演劇はその写らないところ、<今ここで>を生きる場にするものだということになる。

<今ここで>とは、生(なま)の時間ということだ。要約できないし、記録できないもののことだ。私は、演劇とはこういう時間に触れようとする望みのものだと思っている。(中略)

 しかし、表現が生(なま)の時間に触れるのは難しい。一切の要約、一切の概念化なしの表現など不可能だからだ。わたしたちの目は、あらゆるものごとをまず概念化する目だ。あるものに目をやる時、わたしたちはそれの名や意味を見、それでそのものを見たことにしている。バラを見る。ああバラだ、きれいだ、でバラを見たことにしている。

 わたしたちの生活は、だいたいこの目で生きていける。だが、それでは見たことにならないものごとにぶつかる時がある。その時、わたしたちはその前で立ち止まらなければならない。

 立ち止まり、それに近づき、時間をかける。その時、わたしたちは概念化の目によって名や意味に要約できないものと出会う。こういった時ではないだろうか、わたしたちが生(なま)の時間、<今ここで>という時間をもつことができるのは。(中略)

 概念化され、要約して生きるわたしたちは、しかし概念化し概念化され、要約し要約されることを拒みたいのだ。言いかえれば、わたしたちは時間に触れたい、時間を見てみたい。殊に、時間の最も時間たる時間、現在という生の時間、<今ここ>が欲しい。それはわたしたちが死ぬ者だからだというのは話のとばしすぎだろうか。

 生まれ、生きることは何ごとかだが、死と同時にあとかたもなくなる。あとかたもなくなるところがわたしたちの生(なま)の生だ。そのわたしたちの生を肯定したい。概念化や要約を拒まなくてはならないのは、その肯定にとって死活問題と言ってよい。演劇は、案外遠くなく、わたしたちのそんなところと血脈を通じているのかもしれない。

  『別冊太陽 現代演劇60's〜90's』p47(平凡社)1991年3月

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■劇作家の宮沢章夫氏は、ブログ「富士日記2.1」2010/07/26 の中で、太田省吾『舞台の水』の中から上記「演劇の時間」と「演劇は本当にライブか」(p32) に言及している。あと、『あるとき太田さんが「演劇は詩に近い」という意味のことを話していた。』と書いてあるのは、「演劇とイベント」(p76) の内容と呼応している。さらに、「この本」の帯にはこう書かれているのだった。

 痛み、怖れ、ためらい、はじらい、おののきから

 演劇は生まれる。 

 喜怒哀楽は表現ではない

2014年9月 7日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その109)飯田市立上郷図書館

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■本日、午前10時半から飯田市立上郷図書館でパパズ。

下伊那は、阿智村・松川町・高森町・豊丘村・喬木村など、それぞれ複数回訪れているのだが、この10年間なぜか「飯田市」からは一度もお声がかからなかったのだ。そして今回、晴れて「飯田市初見参」と相成ったのでした。

しかも、上郷図書館といえば、絵本の読み聞かせ業界(?)の総本山のようなところだ。

われわれのように「いいかげん」な読み聞かせを、はたして許してくれるのだろうか? 緊張したなあ。とは言え、メニューはいつもと変わらぬ普段どおり(笑)の僕らでした。

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     <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

2)『やいたやいた』宮西達也(鈴木出版) →伊東

3)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→伊東

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4)『どうぶつしんちょうそくてい』聞かせ屋。けいたろう・文、高畠純・絵(アリス館)→北原

5)『かごからとびだした』(アリス館)→全員

6)『おっきょちゃんとかっぱ』長谷川摂子・文、降矢なな・絵(福音館書店)→坂本

7)『うんこしりとり』tupera tupera (白泉社)→全員

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8)『バナナじけん』高畠那生・作(BL出版) →宮脇

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9)『ようちえんいやや』〜『ようちえんのブルース』長谷川義史(童心社)

  倉科(ギター&ヴォーカル)そして、スペシャルゲストは、なんと!! 

  飯野和好さん(ブルースハープ)

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たまたま昨日、上伊那郡飯島町で絵本作家:飯野和好さんの絵本講演会があって、飯野さんは宿泊先の飯島町から坂本さんの車に乗ってわれわれの絵本ライヴを見に来てくださっていたのだ。

本番直前に、控え室でちょっと練習しただけの、ほとんど即興のセッションだったのだが、もうメチャクチャよかったでした。倉科さんの歌とギターはもちろん、本物のブルースマンだな、飯野さんは。ハーモニカ、初めて聞いたが、もうプロフェッショナルの腕前だ。すごい!

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10)『ふうせん』湯浅とんぼ・作(アリス館) →全員

11)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)  →全員


2014年9月 3日 (水)

近ごろ観たもの聴いたもの

■このところ更新がとどこおっていたので、何時、どこで、何を観たか、まとめてメモしておきます。

・7月22日(火)アントワン・デュフォール ギター・ソロ 飯田市「Canvas

7月23日(水)『三人吉三』まつもと大歌舞伎 松本市民芸術館

水曜日の夜、まつもと大歌舞伎『三人吉三』を見に行ってきた。いい席が取れなくて、四等席(3階最後列)2000円。いやぁ面白かった!因果応報の陰々滅々とした話なのだが、三幕目の若い歌舞伎役者3人がエネルギッシュに大立ち回りで魅せる外連と様式美に圧倒された。3階から俯瞰したのが案外正解

7月26日(土)伊那保育園夏祭り

午後4時から伊那保育園の夏祭りで絵本を読む。ワンマンで『ふしぎなナイフ』福音館書店『もくもくやかん』かがくいひろし『はなびがあがりますよ』のむらさやか(こどものとも年少版8月号)『まるまるまるのほん』ポプラ社『こわくないこわくない』内田麟太郎、大島妙子(童心社)つづく…

『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)『おどります』高畠純(絵本館)『ふうせん』湯浅とんぼ(アリス館)『へいわってすてきだね』長谷川義史(ブロンズ新社)『世界中のこどもたちが』篠木眞・写真、新沢としひこ・詞(ポプラ社)で終了。声が枯れてしまったよ。

・7月28日(月)伊那市医師会納涼会「三浦雄一郎講演会」セミナーハウス

・8月9日(土)日本小児科学会中部ブロック連絡協議会 松本市・松本館

・8月10日(日)伊那のパパズ 下伊那郡喬木村「椋鳩十記念館図書館」

・8月16日(土)映画『STAND BY ME ドラえもん 』アイシティ・シネマ 山形村

・8月29日(金)諸星大二郎原画展 阪神百貨店梅田本店8階

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・8月29日(金)落語会「ハナシをノベル!! vol.45」大阪市中央公会堂

宿泊が APAホテル大阪肥後橋駅前だったので、中之島の中央公会堂へは歩いてもすぐ。何とも趣のある歴史的建造物だった。会場は、地下一階の大会議室。

・月亭文都師、今回の新作落語は、

『あるいはマンボウでいっぱいの海』 田中啓文・作

『ランババ』 北野勇作・作

あ、ランバダじゃなくて、ランババだったんだね。いやぁ、ビックリした。こんな落語初めて。笑った笑った。文都師、これ十八番の持ちネタにするといいよ絶対。ただ、会場によっては体力持たないかも。

あと、中入り前の「トーク de ノベル」。田中啓文氏と北野勇作氏が浴衣姿で高座に並んで座りしゃべったのだが、何だか二人ともボケの不思議な漫才を見ているみたいで、これがまためちゃくちゃ面白かった。

会場には、我孫子武丸氏に牧野修氏、それからぼくは気がつかなかったが、あの傑作SF『皆勤の徒』の著者、酉島伝法氏もいらしたようだ。ものすごく作家さんの人口密度の高い希有な落語会だった。『聴いたら危険!ジャズ入門』(アスキー新書)と『昔、火星のあった場所』(徳間デュアル文庫)は持って行ったので、終演後にがんばってサインして頂いた。

うれしかったなあ。ほんと、お二人ともずっと前からファンだったんです。『こなもん屋うま子』も持っていたから、こっちにもサインしてもらえばよかったなあ。残念。

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・8月30日(土)芝居『朝日のような夕日をつれて 2014』森ノ宮ピロティホール

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■ゴドーを待ちながらヒマつぶしに遊んでいたら、ゴドー1とゴドー2の「ゴドーがふたり」もやって来て、でも「みよ子」は来なくて、舞台がすごい傾斜の斜面になっても、それでも彼らは踏ん張って立ち続ける。そういうお芝居だった。

う〜む。何だかよくわからんうちに、颯爽と終わってしまった。凄いな。昔から憧れていて、でも観ることができなくて、今回たまたま大阪で初めてナマで観た。観れてよかった。第三舞台の『朝日のような夕日をつれて』。

5人の役者さんたちは2時間連続で目まぐるしく動き、機関銃のようなセリフの応酬で、背広の背中が汗でぐっしょり濡れているのがはっきり見える熱演だった。この日は昼夜2公演だったが、55歳の大高さん、52歳の小須田さん、2人とも年齢を全く感じさせないクールで余裕の(顔はぜんぜん汗をかいていない)舞台に、同世代のぼくは感動した。ほんど凄いな。

2014年版の戯曲も売ってたが、パンフしか買わなかったのだけれど、後になって、あの時のセリフが気になって仕方がない。特に終盤。この戯曲集を図書館で探して読んでみようと思った。

■ 9月2日(火)の夜、テルメに行ったら会社創立記念日の臨時休業。あちゃぁと落ち込んで、近くの「ブックオフ」に寄ったら、100円単行本コーナーの「演劇・宝塚」のところに、なんと!「83年版」と「91年版」の戯曲集があった。もうビックリ。買って帰って読んでみると、2014版でも「まったく同じセリフ」のところが結構あるぞ。

「83年版」を読んでいると、そこに載っているギャグや歌(キングトーンズ「グンナイベイビー」とか)が、鴻上さんと同じ昭和33年生まれの僕には逆にリアルで、不思議な感覚に陥った。過去じゃなくて「いま・ここ」の感じ。面白い! ほんとよくできた脚本だなあ。

2014年9月 2日 (火)

日本外来小児科学会で大阪に行ってきた

■8月30日(土)・31日(日)と大阪国際会議場で日本外来小児科学会があったので行ってきた。

毎年いろいろと新しいTIPSを教えていただけるのが大変ありがたいし、そして何よりも、講演される先生方の小児科医としての「こころざしの高さ」に感銘を受けるのだった。すごい先生がいるなぁ。俺もがんばらんとダメだぞと、毎回「喝!」を入れてもらって帰ってくるのでした。

今回特に印象に残ったのは、

1)シンポジウム「私がおこなってきたこと」で、岐阜県恵那市で小児科を開業している蜂谷先生のおはなし。タトゥーや付け爪、おへそピアスのある若いおかあさんたちを決して咎めることなく、そのまま受け入れて認めてあげていると仰ったこと。

2)「子供の貧困問題」に関して、飯田市健和会病院の和田浩先生の講演。優しい淡々とした語り口だからこそ、逆にその言葉が沁み入ってきた。

3)田中先生のランチョンセミナー「これでいいのか! インフルエンザ診療」

4)崎山浩先生のランチョンセミナー「予防接種事故防止ガイド」

5)SF作家・瀬名秀明氏の特別講演。新作の構想と生命倫理のはなし。サンデル先生の本、ぼくも読んでみよう。最後に小松左京氏の写真が映された。瀬名氏は本当に尊敬しているのだね。

■ぼくが担当したワークショップも、ホワイトボードをお願いするのを忘れていたり、いろいろと会場準備で不備があって、サブリーダーの住谷先生やWS担当の岡藤先生に多大なご迷惑をおかけしてしまったが、それでも何とか時間内に無事終了することができた。よかったよかった。

とにかく、参加してくださった皆さんそれぞれの個性がよくでた素晴らしいプレゼンの連続で驚いた。皆さんの「絵本」に対する熱い想いがじんじん伝わってきましたよ。司会進行がアタフタでダメでしたが、参加者の皆さまのおかげで、予想以上に充実した時間が共有できたのではないかと思います。

2014年8月19日 (火)

『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(その3)「映画」と「漫画」・今月のこの1曲「人生は風車」カルトーラ

■このところ、外来小児科学会のWSの準備で(配布資料を誠意作成中なのだ)ブログの記事を書いている余裕がない。というのは半分本当で、あとの半分は更新が億劫になってきていることによるみたい。すみません。

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■ 映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』は本当に面白かった。主演の峯田和伸がとにかく良かった。何とも情けない奴なんだけれども、どこか可愛い。憎めない。そして今どき呆れるほどの「純」なココロの持ち主。

彼が惚れる「ちはる」役の黒川芽以もよかった。ちょっと太めで垢抜けない新垣結衣って感じが、長野出身の「ちはる」にピッタリだ。それから、峯田の敵役、松田龍平。こういう、とことん嫌な奴をやらせたら最高に上手いな。

監督は三浦大輔。演劇界の鬼才初の監督作品となった訳だが、案外手堅くオーソドックスな画作りが成されていた。引きの画像が多かったし、カット割りも自然で、妙なこだわりは感じなかった。すごく好印象。

ただ、小林薫が缶ビールを飲むシーンが2つ続くところ。時間帯はまったく異なるのに、カットが変わっても缶ビールの動きが「完全に一致」していたのは見事だった。

■映画があまりに面白かったので、原作の漫画を「ブックオフ」巡りをして10巻全部そろえた。漫画も面白い。実によく出来ている。映画は、原作の「5巻の半分」で終わっているのだね。マンガはまだあと半分続く。

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ただ、マンガの主人公と映画の峯田和伸とでは、ずいぶん感じが違う。

例えば、マンガの「第1巻」79ページ下段の画。映画でも同じシーンがある。しかも2度も登場する。峯田のアップ。マンガと違って、峯田は峯田だ。どんなに情けなくともカッコイイしカワイイ。

DAIGO みたいだけれど、もっと垂れ目で、メガネをかけると生瀬勝久に似てきて、モヒカンになったら所ジョージにも見える。でも峯田は峯田だ。

宇多丸が映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を語る
YouTube: 宇多丸が映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を語る


マンガと映画の違いに関しては、宇多丸さんがラジオで語っていて、なるほどなと思った。原作を先に読んでいると、どうしてもそう感じてしまうかも。

あと、銀杏BOYZ 峯田和伸が歌う主題歌がめちゃくちゃイイぞ!

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★【今月のこの一曲】カルトーラ 『人生は風車』

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■ずっと探していて、8月の初めに松本の「ほんやらどお」でようやく入手できた名盤『カルトーラ ”人生は風車〜沈黙のバラ”』カルトーラが65歳と68歳時の録音。何ていい声なんだ。艶があって若々しくて。聞き惚れてしまうよ。

Cartola e seu Pai - O Mundo é um Moinho
YouTube: Cartola e seu Pai - O Mundo é um Moinho


■これでようやく「古いサンビスタたち」の歌声・演奏を記録した貴重なCDが4枚そろったのだ。

2014年8月12日 (火)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その108)下伊那郡喬木村「椋鳩十記念図書館」

■8月10日(日)午前10:30 より、下伊那郡喬木村「椋鳩十記念図書館」で絵本を読んできた。この日は、喬木村「こども夏まつり・全村読書の日」ということで、図書館周辺では多くの催し物が行われたのだ。

台風が刻々と近づく中だというのに、思いのほかたくさんの親子連れが見に来てくれてうれしかったな。ただ、伊東パパと宮脇パパは欠席で、北原、倉科、坂本の3人だけで頑張ったのでした。カメラを忘れたので写真はなしです。スミマセン。

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          <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

2)『はなびがあがりますよ』のむらさやか・文、折茂恭子・絵(こどものとも年少版/2014/8月号)→北原

3)『ねこガム』きむらよしお(福音館書店) →坂本

4)『うちのおばけ』谷口國博・文、村上康成・絵(世界文化社) →全員

5)『うみじじい』菅瞭三・作(こどものとも/1999/8月号) →倉科

6)『かごからとびだした』(アリス館)

7)『へいわってすてきだね』安里有生・詩、長谷川義史・絵(ブロンズ新社)→北原

8)『さんまいのおふだ』水沢謙一・文、梶山俊夫・絵(福音館書店)→坂本

9)『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)

10)『おとん』『おかん』平田昌広・文、平田景・絵(大日本図書)→倉科

11)『ふうせん』(アリス館)

12)『世界中のこどもたちが』新沢としひこ(ポプラ社)

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■この日はめずらしく、読もうと思って持ってきた絵本が坂本さんとバッティングしてしまった。『はなびがあがりますよ』だ。そしたら、倉科さんも「おなじ絵本」をバッグから出したのでビックリ!

坂本さん曰く。「この絵本、評判がいいんですよ!」 ですって。

 

2014年8月 6日 (水)

『母に欲す』→ 映画『ハッシュ!』と『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(その2)

■芝居『母に欲す』に出演していた片岡礼子さんと、銀杏BOYZ・峯田和伸のことがもっと知りたくなって、TSUTAYAで映画のDVDを借りてきて見たんだ。『ハッシュ!』と『ボーイズ・オン・ザ・ラン』。どっちもすっごく面白かった。こんな映画が出ていたなんて、ぜんぜん知らなかったよ。

『ハッシュ!』は、仲良し男子2人組に女がひとり絡むという、フランス映画『冒険者たち』『突然炎のごとく』、藤田敏八監督作品『八月の濡れた砂』など、よくある青春映画のデフォルト設定(『そこのみにて光輝く』も、この設定のひねり版だった。)のようでいて、ところがどっこい、ぜんぜん違うぞというビックリ仰天の映画だった。

と言うのも、仲良し男子2人組(田辺誠一・高橋和也)は、ゲイの恋人同士で同棲しており、片岡礼子が演じるのは歯科技工士なのだが、30歳にしてすでに人生を諦め切っちゃったかのような刹那的で日々ただただ惰性で生きている孤独な女だからだ。これで彼女と彼らにどういう映画的接点ができるというのか?

そこがこの映画の見どころなワケです。

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■『母に欲す』では、田口トモロヲがいない夫婦の寝室で片岡礼子が一人ベッドに腰掛けタバコをふかす場面があった。『ハッシュ!』に彼女が初めて登場するシーンでもタバコを吸っていた。『母に欲す』で峯田和伸が暮らす東京のボロアパートとそっくり同じ汚い部屋で。彼女の圧倒的な孤独がにじみ出ていたな。

そういえば、高橋和也が勤めるペット・ショップの店長、斉藤洋介が密かに狙っている常連客の深浦加奈子さんは、宮沢章夫『ヒネミの商人』の片岡礼子の役を初演時に演じた女優さんだ。

映画の山場は、兄夫婦が上京して来て田辺誠一のマンションで一同が会するシーン。橋口亮輔監督は固定カメラによる異様な長回しで、まるで舞台中継かのように見せる。緊張感あふれる場面だ。片岡礼子がいい。対する秋野暢子も凄い。

秋野暢子が病院の公衆電話から田辺誠一に電話をかけるシーン。サンダルをぬいで裸足の角質化した踵を親指と人差し指でつまむ。妙に印象に残っているのだが、こういう中年女性の何気ない仕草に生活感がリアルに表れている。

家族会議で啖呵を切った秋野暢子だったが、彼女の主張した家族の絆、「家」を引き継いで行くことの重み、血のつながりを、秋野自身がいとも簡単に捨て去ってしまうことになる。皮肉なものだ。

人間はひとりでは生きてゆけない。

マイノリティのゲイ・コミュニティの中ではさらに、カップルを維持することは難しい。結局は一人で生きて行かねばならぬ宿命を高橋和也はイヤと言うほど感じている。年を取ればなおさらだ。ましてや自分の子孫を残すことなんて考えてみたこともなかった。喧嘩してすねた高橋和也が、冷蔵庫からでっかいハーゲンダッツのアイスクリームを出してきて、一人で抱えてスプーンでむしゃむしゃ食べるシーンが可笑しい。

しかし、田辺誠一は違った。優柔不断な彼は関係性を断ち切れない。それは彼の欠点ではあるのだが、逆に片岡礼子を受け入れる寛大さとなり、「新しい家族のかたち」を生み出す原動力となるのだった。

いや、凄い映画だな。

橋口亮輔監督は、リリー・フランキーが主演した『ぐるりのこと』で有名になった人だが、ぼくは『ハッシュ!』で初めて見た。他の作品もぜひ見てみたいぞ。

2014年7月31日 (木)

演劇『母に欲す』のこと。それから、映画『ハッシュ!』と『ボーイズ・オン・ザ・ラン』

■7月21日(月)の午後2時から、渋谷「パルコ劇場」で芝居を観た。三浦大輔、作・演出『母に欲す』だ。休憩時間を入れて3時間半近くもあったが、集中力が途切れることなくラストまで舞台に引き込まれた。

帰って来て、いてもたってもいられず、芝居通の山登くんに思わずメールしてしまった。

ご無沙汰してます。いとこ会があって久々に上京し、昨日は1日フリーだったので、パルコ劇場で三浦大輔『母に欲す』を観てきました。いやぁ、よかったです。マザコンだめだめ男が「おかあさ〜ん」って叫ぶ、ピュアーでストレートな母親賛歌で、今どきかえって新鮮な驚きと感動がありました。ラストで泣いてしまったよ。山登くん、もう観ましたか?

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■朝日新聞、扇田昭彦氏の劇評

■日本経済新聞に載った劇評

読売新聞の劇評

■演劇キック「観劇予報」の記事

■いつも勉強させていただいている、六号通り診療所長、石原先生の「母に欲す」劇評

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■舞台の幕が上がると、薄暗い六畳一間の安アパートの一室に主演の峯田和伸がパンツ一丁で客席に半ケツ出したまま寝ている。そのままずっと寝ている。動かない。ようやく起き上がったかと思ったら、スローモーションでも見ているような緩慢な動作で冷蔵庫を開けて水を飲む。もちろん無言のまま。付けっぱなしのラジオ(テレビ?)の音だけが小さく聞こえる。ここまでで既に15分近く経過。

まるで、太田省吾の転形劇場『水の駅』でも見ているかのように、観客はみな緊迫した空気の中で固唾を呑む。

■数十件は入っている、弟(池松壮亮)からの留守電は聞こうともせず、幼なじみからの電話で初めて母親の死を知り慌てふためく峯田。バッグ片手にアパートを飛び出し、上手へ消えたところで暗転。映画なら、ここでタイトルがばーんと出てテーマ曲が流れるんだけどな。そう思ったら、何とスクリーンに車窓から流れる風景が映し出され、真っ赤な字で(まるで東映映画みたいだ)本当に「母に欲す」と大きくタイトルが出たあと、出演者の名前が字幕で続いた。

おぉ! これにはたまげたな。

大音響で流れる大友良英さんの劇伴ギターが、疾走感びんびんで、これまためちゃくちゃカッコイイんだ。

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■とにかく、舞台装置がよくできていた。細かいところまでリアル。東北の実家の台所に、夕方の西日が差し込み、ヒグラシの鳴き声が聞こえている。弟の池松くんは、流しの向こうの窓を少し開け、タバコを吸う。静かに時間が過ぎゆく、こういうシーンが好きだ。

休憩をはさんで後半の幕が開くと、この台所にエプロン姿の「ニューかあちゃん」片岡礼子が立ち、夕食の準備をしている場面で始まる。片岡礼子さんは、3月に『ヒネミの商人』宮沢章夫作・演出に出ているのを観た。成金趣味の派手な義姉の役だった。それがどうだ。雰囲気が全然違う。彼女の大きな魅力である「眼」を黒縁メガネで封印し、地味な衣装で「母親」というより召使いか何かのように従順に振る舞い、田口トモロヲや池松壮亮の理不尽な言いがかりにもひたすら耐え忍ぶ。

何故彼女なのか? それが観ていてよく分からなかったので、先週末 TSUTAYAで彼女が出演した映画『ハッシュ!』を借りてきて見てみたんだ。面白かったなぁ。そして、三浦大輔氏が彼女を抜擢した理由が何となく理解できたような気がした。(この話はまた次回につづく予定)

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■この日の「パルコ劇場」の観客は、8割が女性だった。ただ、息子を持つ母親世代や年配の女性の姿は少なかったように思う。このお芝居に、ぼくは激しく心揺すぶられたわけだが、はたして、うら若き独身女性たちは観劇後どう思ったのだろうか? 判ってもらえたのだろうか? 息子の気持ち。

弟(池松壮亮)の彼女(土村芳)のように、母親の衣装をまとって彼氏の母親役をも受け入れる心の広さを、彼女らは持ってくれているのだろうか? さらには、男の子を産んで育てて「母親」になってみたいと思っただろうか? いや、どうかな?

そんな変なことばかり心配しながら、ぼくは渋谷の人混みをあとにした。

2014年7月27日 (日)

アン・サリー「森の診療所コンサート 2014」@めぐろパーシモンホール

■1週間前の日曜日。じつは所用で東京にいた。

夕方からは一人でフリーだったので、当初の予定では上野鈴本演芸場へ行って7月中席夜の主任:入船亭扇辰師の落語をじっくり聴こうと思っていた。ところが、タイムラインで 7/20(日)の夜に

アン・サリー「森の診療所コンサート 2014」@めぐろパーシモンホール 

があることを知り、落語はやめにしてネットでこちらを予約した。アン・サリーは是非一度ナマで聴いてみたかった歌い手さん。この機会を逃すわけにはいかない。

■宿泊先のアパホテル新宿御苑前を出た時には小雨パラパラ程度だったのが、東京メトロ副都心線直通の東横線を「都立大前」で下車すると、外は土砂降りの雨。カミナリゴロゴロ。これが噂のゲリラ豪雨というやつか。傘は持ってたから頑張ってパーシモンホールまで歩く。でもズボンはびしょ濡れ。

ようやく辿り着いたホールは、なかなかシックで落ち着いた雰囲気。集まってきた人たちも「オトナな感じ」で年齢層もやや高めだ。場内には鳥のさえずる音が小さく流され、外の喧噪が嘘のような静けさ。

夜7時をまわって暫くした頃、そっと場内が暗転しステージ上に彼女が現れた。そしていきなり映画『おおかみこどもの雨と雪』の主題歌『かあさんの唄』をアカペラで歌い出した。いやぁ、たまげた。その澄み渡る透明な歌声に、1曲目にして早くも涙で目が霞んで、ほんと参ったぞ。

■伴奏は、ピアノ:小林創、ギター:小池龍平、フリューゲルホルン:飯田玄彦の3人というシンプルなステージ構成で、彼女の人柄そのものといった、アットホームでしっとりほんわかと心地よいサウンドを奏でる。曲目は、最新CD『森の診療所』に収録されていた曲がほとんどだったかな。

CM曲特集として、霧島酒造「芋焼酎・吉助」、マルコメ味噌「料亭の味」、小田急ロマンスカー「ロマンスをもう一度」、映画『かぞくのくに』イメージソング、ビリー・バンバンの『白いブランコ』。それから、CDで聴いた時もすごく印象的だった『たなばたさま』。この曲の時には、ステージに満天の星空が広がった(スクリーンに映すのでなくて、天井から星がひとつひとつ吊されていた!)あと、『懐かしのニューオリンズ』が沁みた。

意外とよかったのが「チャタヌガチューチュー」から汽車つながりで「銀河鉄道999」のテーマ。懐かしいゴダイゴの曲ではないか! 谷川俊太郎&武満徹『死んだ男の残したものは』に続いて、ソウル・フラワー・ユニオンの傑作『満月の夕』。そう、この曲をどうしてもナマで聴いてみたかったのだ。以前よりやや速めのテンポで力強い歌声が素晴らしかったよ。

アン・サリー 満月の夕(ゆうべ)
YouTube: アン・サリー 満月の夕(ゆうべ)

あとどんな曲やったっけな。そうそう、チャップリンの『スマイル』。それから『時間旅行』。スケールが大きいこの曲も大好きだ。

アンコールでは、ステージにブラスバンド(トランペット:女性、スーザフォン:女性、トロンボーン:小林創、太鼓:男性、小太鼓:男性、タンバリン:小池龍平。それから、飯田玄彦&アン・サリー)が登場して『 Do You Know My Jesus(違うかも?)』と『聖者が街にやってくる』をステージからフロアに降り、ぐるっと場内を2廻り行進しながら演奏した。これがまたよかったな。

鳴りやまない拍手に、再度ステージ登場したアン・サリーが最後に歌ってくれたのが『蘇州夜曲』。いやぁ、ほんと満足いたしました。

■コンサート終了後、あわよくば持って行ったCDにサインをしてもらおうと考えていたのだが、大きな会場だからサイン会はなしだよなと勝手に諦めて場外へ。雨はすでに上がっていた。

あとでツイッターを見たら、CD販売コーナーにふらりと彼女が現れてサインをしてくれたらしい。そう言えば、彼女の娘さんらしき元気のいい小学生たちが、CDの売り子さんをしていた。


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