『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)と『羊の木 1〜5 』(講談社)
■『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)を読む。
この肌がぞわぞわする不穏で何とも嫌な感じは『羊の木』山上たつひこ作、いがらしみきお画(講談社)を読んでいる時の気持ち悪さといっしょだ。どっちも海辺の地方都市が舞台だし。
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■『ポラード病』の主人公「大栗恭子」は、11歳になったばかりの小学校5年生の女の子だ。B県にある海辺の地方都市、海塚(うみづか)に母親と二人だけで暮らしている。季節は5月。今の借家へは3ヵ月前に引っ越してきたばかりだが、小学校は転校しなくて済んだので、貧乏だけど頭のいい浩子ちゃんや、すごく太ったアケミちゃん、文房具屋の健くんと同じクラスのままだ。家では「うーちゃん」という目玉の黒い雌ウサギを飼っている。
そんな少女の日常が、部分的に「こだわり」をもってやたら詳しく綴られていくのだが、読んでいて「なんか変」なのだ。小学生が書く幼稚な文章のようでいてちょっと違う。「?」と思いながら読み進むと、35ページに以下のような一文が突然出てくる。
三十歳を越えた今では、ご覧のように文章を書くのが好きになっている私です。
以前、統合失調症の人の文章を読んだことがあるが、その感じによく似ている。『火星の人類学者』に登場する、高機能自閉症のテンプル・グランディンさんが書く文章の雰囲気もある。いずれにしても、主人公が感じている「世界観」が、ふつうの人とは明らかにズレているのだ。それが読んでいて「なんか変」と感じる原因なんだな。
「大栗、それは頭の中の虫ではなくて、錯覚というやつだ」
「さっかくですか」(中略)
私は錯覚を辞書で調べてみました。
「錯覚 ものをまちがって知覚すること。知覚がしげきの本当の性質といっちしないこと」
私はこれは自分の秘密に属することだとピンと来ましたが、藤村先生に自分を晒すことに強い抵抗を感じました。(p11〜12)
「私は、先生に知らせた方がいいと思いました。クラスのきまり通りに、自分の感覚を大切にしただけです」と余計なことを付け加えました。その時、職員室にいた教頭先生と算数の都築先生が揃って顔を上げてこちらを見ました。(p55)
主人公は、周囲の他の人たちと異なり「世界を間違って知覚している」から、読んでいて何とも気持ち悪いのか。じゃぁ、彼女の母親はどうか? 母親はもっと変だ。明らかに何か強い被害妄想にとらわれている。
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■と、ここまでが前半の1/3までなのだが、じつはいま再読で64ページまで来たところ。
初読時と、読んでいてぜんぜん異なる印象に正直すごく驚いている。
それまで見えていなかったものが、くっきり見えるからだ。
「この本」は2度読まないとダメだ。
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