« 2010年3月 | メイン | 2010年5月 »

2010年4月

2010年4月30日 (金)

さようなら、沢田としき さん


■絵本作家の沢田としきさんが亡くなった。「ブログ」で闘病中であることを知り心配していたのだ。絵本『みさき』内田麟太郎・作、沢田としき・絵(佼成出版社)は、絵に凛とした迫力がある傑作。

「2009年10月2日の日記」(ずんずんスクロールして一番下にあります)に感想を書いた。さっきから書庫をずっと探しているのに、その『みさき』が、どうしても見つからない。

この写真を見る


早生まれだったとしたなら、もしかして同学年だったのかも。
ショックだ。若すぎる死。


大変な骨髄移植による治療にも耐えてがんばってきたのに。


希有な才能が消えてしまった。ほんとうに残念。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

2010年4月27日 (火)

『老人賭博』松尾スズキ(文藝春秋)

■ラジオ日本『ラジカントロプス2.0』で放送された「大森望・豊崎由美 文学賞メッタ斬り!(芥川賞 / 編)」を、いま聴いているところです。なんか最近は読むよりも聴いたほうが楽だな。今日初めて聴いたのだが、掛合漫才みたいでホント面白い。文化放送の木曜日「大竹まこと・大竹紳士交友録」で大森望氏の声を毎週聴いているので、こうやってポッドキャストを聴くほうが、耳に馴染んでいて思いのほか自然と頭に入ってくるのだな。これは発見。

■という訳で、ぼくはこの小説を一昨日帰りの東北新幹線「盛岡→東京」車中で読み終えた。小説の終盤、ぼくが「クククッ」と笑いを噛みしめながらページを急いで捲っているその左隣で、学会でポスター発表し終えたであろう小児科の女医さんは『1Q84, Book3』を「カバーも掛けずに」黙々と読んでいた。これって、案外驚きの事実かもしれない。だって、混み合う電車内では「買った本のブックカバー」をして他人には何を読んでいるのか知られたくはないのが今までの常識だったからだ。

つまりは、「読書」というのは個人的な体験であって、べつに他人に追体験して欲しいわけではないのだよ、本来は。でも、時代が求めるものは「ぼくがいま、読んでいる本をフォローして欲しい!」てなワケもありなんだね。そういう時代なのか。
まぁ『1Q84 Book3』だったから特別だったのか?

そうは言いつつも、ぼくだって『老人賭博』にカバーをかけずに読んでいた。だって、高遠町図書館で借りてきた本だったから(^^;;

■で、ようやく『老人賭博』松尾スズキ・著(文藝春秋)のはなし。


トヨザキ社長は例の小関老人を関根勤がよくものまねする名優、大滝秀治を思い浮かべながら読んだらしいのだが、ぼくは違った。やっぱり、バイプレイヤーの老人といえば、殿山泰司さんでしょう!(でも、このポッドキャスト聴いたら、大滝秀治のような気がしてきたぞ!)

なにゆえ、トヨザキ社長がこれほどまでに「この小説」に入れ込むのかと言うと、主題がギャンブルだからだ。

ぼくはギャンブルをしない。

だから、競馬・パチンコで身上潰しそうになったトヨザキ社長の気持ちはわからないし、この小説に登場する人たちが実にくだらないトトカルチョに熱中する気持ちが理解できない。ホントのことを言えば、ぼく自信は「ギャンブルは病気」だとさえ思っている。


それでも『老人賭博』松尾スズキ(文藝春秋)は、めちゃくちゃ面白い!
ラスト近くでは、読者も緊張感が高まってページを繰る手ももどかしいほど面白い!


バカらしいけれども、いのちを賭けているんだ。みんな。

それから、センセイを筆頭に、ほとんど精神的な「こども」しか登場しない小説だ。
唯一「大人」なのは、まだ未成年のくせしてタバコが止められないグラビア・アイドル「いしかわ海」だけだったりする。


人間て、なんて愚かでダメダメで、狡くてあざといんだろうと思いつつ、くだらないことに真剣に取り組んでいる人間の姿が妙に愛おしくて感動してしまったりもする実に不思議な感触の小説でした。芥川賞とれなくて残念だったね。


2010年4月21日 (水)

『ダウンタウンに時は流れて』多田富雄(集英社)

■著名な免疫学者であった、多田富雄先生が亡くなった。

先生が公に記した最後の言葉は、たぶん『青春と読書』200912月号(集英社)に載った巻頭エッセイ「回想の不思議な町」ではないかと思う。1964年の初夏、コロラド州デンバーへ留学した多田先生の青春回想録は『青春と読書』に連載され、昨年末『ダウンタウンに時は流れて』多田富雄・著(集英社)として1冊にまとまり出版された。

「回想の不思議な町」は、この本の最後に「跋に代えて」と改題されて収録された。


 私はこの『ダウンタウンに時は流れて』という自伝的エッセイ集の中で、私の「青春の黄金の時」を思い出した。それも、涙でキーボードが何度も見えなくなるまで、切実に思い出した。(p213)


ぼくはこの連載を知らなかったのだが、「吉野仁氏のブログ/ 2009/11/17」で知って居ても立ってもいられなくなり、本屋さんに走って行って即購入した。しかし、買ってきたまま未読本の山に積まれてしまい、ぼくの意識からすっかり忘れ去られてしまったのだった。

で、今日「あっ」と思い出した。
読まなきゃ。


ところで、高遠町図書館には「この本」がちゃんと収蔵されています。
流石だ。

2010年4月18日 (日)

映画『ホノカアボーイ』

■ジェイムス・テイラー&キャロル・キングの日本武道館でのコンサートの模様が、そこかしこにアップされてきた。

「rockin'on ライブレポート
「ぐうたらRYOSEIのチェロ修行日記」
「McGuffin.」
「自然と音楽を愛する者」


■いま『レコード・コレクターズ増刊/ シンガー・ソングライター』を読んでいるところなのだが、36ページからの「細野晴臣インタヴュー」がとっても面白い。


「たしか小倉エージに”こんなのはどう?”って紹介されたのがJTだったわけ。彼の歌は、僕にもぴったりとくる音域だったんだ。しかもノン・ヴィブラートのストレートな発声法っていうのは初めてだった。ロックにもフォークにもなかったのね、JTスタイルは」(中略)

「まず、ギブソンのJ50、あのギターにあこがれたんだよ。あの地味な音がね、なかなか出ないの。他の人はだいたいマーチン系の派手な音でやってたの。で、小坂忠がJ50を手にいれてね、それで『ありがとう』を作った」


そっかぁ、初期の小坂忠は「和製ジェイムス・テイラー」って言われてたっけ。だから僕は小坂忠が好きなんだ。でも、『ほうろう』の頃には細野さんも小坂忠も JTからずいぶんと離れていってしまったなぁ。


■ところで、「ほぼ日刊イトイ新聞」の黒柳徹子さんインタヴューがとっても面白い。
特に「森繁久弥さんのはなし」。すっごいなぁ、森繁さん。

ちなみに、森繁久弥さんの血液型はB型。渥美清さんもB型。柳家喬太郎さんもB型。じつは、芸能人には多いのだB型の人。血液型の話をすると、松尾貴史さんに怒鳴られそうだが、でもぼくは結構信じていたりする、血液型。特に、B型の人をリスペクトしているのだ。この人たちは、DNAからして「特別」で、ぼくがどんなに努力して背伸びしてみても、絶対に追いつけないものを既に手にしているのだよ。すごいジェラシーを感じているのだ。

そういう思いって、B型の人たちには、決して判ってもらえないのだろうなぁ。


■あ、映画『ホノカアボーイ』。じつはまだ見終わっていないのだ。
感想はまた後日。

2010年4月17日 (土)

Singer Songwriters

■あぁ、そう言えば、大好きなジェイムス・テイラーとキャロル・キングが来日中なのだった。

今夜はパシフィコ横浜か?

あれは歌ったのかな?
「Up on the Roof」

名古屋まで来てくれれば、行ってたかもしれない。でも、
今度ジェイムス・テイラーが来日するのは、いったい何時なんだろう?


しかたないんで、TSUTAYA で『レコード・コレクターズ増刊 シンガー・ソングライター』を買ってきて読んでいるところ。


■ところで、「菊地成孔さんの日記」を読むと、

 続きまして、帝都の夜の巷を揺るがす最終メディア、天才宇川直宏主催の「ドミューン」ですが、5月9日を皮切りに「菊地成孔と大谷能生のジャズドミューン」という番組がレギュラー化します。まあ、レギュラーたって、相手はドミューンですから(笑)何がどうなるか解ったもんじゃありませんが、スポンサーがつき、放送コードが発生するまでは、大谷くんと共に、ジャズの素晴らしさを啓蒙する、21世紀のジャズメッセンジャーズとして大いにターンテーブルを回そうと思います(ケーキやお刺身などを乗せて)。

http://dommune.com/

だそうだ。まずは目出度い。「憂鬱と官能を教えた学校TV」が有料チャンネルだから見られないので、これは有り難いな。


■3月18日(木)夜7時からの第1回目 UST を聴いたが、
それにしても、メチャクチャな選曲だったな。
あの番組を見た人が「ジャズって面白いな」って思ったようなら、
それはそれで恐ろしいことだ。


特に、大谷能生氏の好みはホント偏っているぞ。
なんで「MJQ」なんだ? ジョン・ルイスがそんなにいいのか? わからない。

エリントンが好きだってことは知ってたが、死ぬ前のヨボヨボじいさんで総入れ歯のチェット・ベイカー(tp)来日公演のレコードなんか何でかけるの? ぜんぜんわからない。コルトレーンなら、やっぱり「ジャイアント・ステップス」でしょ。菊地さんは正しい。それをなんで「コルトレーン・ライブ・イン・ジャパン vol.2」(1966年7月22日サンケイホール録音)なの?


ま、その変態さ加減がとっても面白かったことは事実。
これからも「この路線」でガシガシやって欲しいものだ。

「ゲッツ・ジルベルト・アゲイン」は、ぼくも持ってるけど、
あのジャケット写真、てっきり合成写真だとばかり思っていたら「カンバン」だったのか。気がつかなかったな。


100417

2010年4月13日 (火)

今月のこの1曲「しらけちまうぜ」作詞・松本隆、作曲・細野晴臣、歌・小坂忠

■3月は記事にするのを忘れてしまった。ごめんなさい。 4月の「この1曲」は、名盤『ほうろう』小坂忠(アルファレコード)B面1曲目に収録された「しらけちまうぜ」だ。 オリジナルは、YouTube から削除されてしまいました。


YouTube: 小坂忠 「しらけちまうぜ」



1975年1月リリース。今から35年も前の曲なのに、今聴いてもぜんぜん古臭くない。ヴォーカルも、バックバンドの伴奏もすっごくカッコイイ! 

ぼくが「この曲」を初めて聴いた時のことは、今でもよく憶えている。音の記憶というのは不思議で、音楽を聴くと同時に、当時の状況や関連する様々な記憶が芋づる式に次々と思い出されるのだよ。

当時ぼくは伊那北高校に入学したばかりで、クラスは1年C組だった。担任は英語の保坂先生。同じクラスに田中君がいた。ちょっと変わった雰囲気のヤツで、クラスでも少し浮いていたかな。その田中君が、荒井由実のLP『ひこうき雲』を持っていて「大好きなんだ」って言ったんで、ぼくの中では一気に好感度が上がったのだ、田中君。だって、1974年4月の時点ではまだ荒井由実のことなんて誰も知らなかったから。

ぼくはね、TBSラジオの深夜放送、林美雄アナウンサーの「パックインミュージック」で聴いていたから知っていたんだ、荒井由実。ラジオ局の深夜のスタジオで、彼女が「ベルベットイースター」を弾き語りした放送を聴いて、おったまげたものさ。・

■季節は流れ、冬になった。年が明けて、高校のスキー教室が車山高原スキー場で行われ、ぼくらも参加したんだ。確か、リフトに乗りながら耳にした曲が「しらけちまうぜ」だった。もう、繰り返しがんがん流れていたな、車山スキー場に。

たぶん、この曲がLPからシングルカットされたんだね。だから、何度も聞いてすっかり憶えちゃった。 当時すでに「はっぴいえんど」は解散していた。作詞の松本隆さんはまだ、松田聖子(デビューは 1980年)には出会っていないはずだ。作曲の細野晴臣氏は、キャラメルママからティン・パン・アレイを立ち上げたばかりだったと思う。

■先だって NHKBS2 で、荒井由実『ひこうき雲』の16chマルチトラック・マスターテープを、松任谷由実、松任谷正隆、細野晴臣、林立夫、駒沢裕城らがスタジオで「いま」聴き直し感想を述べる番組があった。とっても面白かった。あのLPは、1年間も時間をかけて、丁寧に丁寧に作り込まれていたんだね。ちっとも知らなかった。

そしたら、スチール・ギター奏者の駒沢裕城氏が言った。あの時の演奏には納得していないんだ。できれば今、録り直ししたい、と。 誰でも、若録りの演奏には後悔があるのかもしれない。

ところで、荒井由美『ひこうき雲』の1年後くらいに、同じスタジオ(Aスタジオ)で、ほぼ同じメンバーで録音された LP『ほうろう』の16chマルチトラック・マスターテープも保存されていたのだった。それを聴いた小坂忠氏は、ヴォーカルだけ録り直したいと思ったのだそうだ。

で、『ほうろう 2010』は人知れず密かに誕生した。 そのことを、先日 TSUTAYA で『レコードコレクターズ』を立ち読みしてて初めて知った。びっくりしたな。だから、ぼくはまだ再録CDを聴いてないのです。近々注文する予定。詳細は、以下のインタビューをご参照ください。

『HORO2010』 小坂忠 インタビュー<今月のこの1曲>

2010年4月12日 (月)

井上ひさし氏 死去

■今日の信濃毎日新聞夕刊7面に「笑いと奇跡生む舞台」と題して、井上ひさし氏の死を惜しむ印象的な追悼記事が載った。匿名の記事にしては珍しく、書いた記者の井上氏に対する気持ちが切々と伝わってくる名文だった。少しだけ引用する。



 浅草のストリップ劇場、フランス座で台本を書いたのがスタートだった。以来、テレビの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本をはじめ、小説や評論でも一流の仕事を積み重ねたが、最もこだわり情熱を傾けたのは舞台、しかも喜劇だった。「なぜ舞台なのか」と尋ねたことがある。

 「俳優、スタッフ、観客のすべてが最も良い部分をささげ合う。全員が見えない糸でつながり一期一会の時を共有する。素晴らしい舞台は、そうした奇跡を起こすのです。逆に奇跡が起こるとは思えないような原稿は、初日が迫っていても破り捨てなくてはならない」

 「なぜ喜劇なのか」という問いにはこう答えた。「人は泣きながら生まれてくる。生きる苦しみは最初から人の内部に備わっている。でも笑いは違います。人と触れ合って初めて生まれる。みんなで作り出すのが笑いです。難しいけれど、最も普遍的で大事だと思う」

 小学5年のとき終戦を迎えた。「自分の命は天皇陛下のものではなく。自分のものと実感した。開放感に満たされた」。世の中の価値観が一変する瞬間を見た衝撃が創作の原点にある。

 東北の小さな村が独立を宣言する小説「吉里吉里人」で、国家とは何か、言葉とは何かを問うた。舞台「夢の裂け目」など東京裁判3部作では戦争責任に切り込んだ。常に庶民の側から戦争を見つめた。「言葉は無力です、最初は。でも誰かが声をあげなければ、何も変わらない」。言葉の力を信じ続けた。(後略)

 「2010年4月12日(月)信濃毎日新聞夕刊7面より」


ぼくは井上さんの小説はあまり読んでない。『モッキンポット氏の後始末』『青葉繁れる』くらいか?『ブンとフン』は未読。ぼくにとっては、やっぱり劇作家としての井上氏がまず一番だな。

『きらめく星座』は、たしか時期を変え、キャストも変わって2回観た。大好きな舞台だ。劇中で、宮澤賢治の「星めぐりの歌」を初めて聴いた。それから役者「すまけい」を発見したのも、この芝居だったなぁ。


謹んでご冥福をお祈りいたします。

2010年4月10日 (土)

『考えない人』宮沢章夫(新潮社)その2

■前々回、タイトルだけで内容が伴わない記事だったのを反省して、続きを書きます。

書くからには責任持ってきちんとした感想を述べねばと思い、もう一度読んだ。
そして、気に入ったフレーズに付箋を貼った。もう、いっぱい貼った。
でも、その部分をここに書き出してみても、ちっとも面白くないんだな。


ただ、も一度読み終わってしみじみ思ったことは、
やっぱりぼくは、この本に登場する鈴木慶一さんより客観的に見ても「考えない人」だ。判ってはいたが、ちょっとショック。

鈴木慶一氏は好きだ。でも「この本」を読んだら、もっと好きになったよ。

  「ここに出るのか」
  「でかいなぁ」
  「そこまでは考えていなかった」
  「マン地下」。頭に「ロ」を付けると、「ロマンチカ」だ。ロマン地下。
   人はしばしば「度を越す」のだった。ではいったい、「度」とはなんだろう。
   火事は恐ろしい。なにも考えずに、パジャマ姿で外に出る。


以上、付箋を貼ったところを引用してみたが、どこが面白いのかぜんぜん判らないでしょ。


■ところで、新潮社の季刊誌『考える人』では、今でも宮沢章夫氏の「考えない」という連載は続いている。最新刊「はじめて読む聖書」(2010年春号)には、その連載31回が載っている。題して「ちくっとしますよ」だ。これにも笑った。もう、声をたてて笑ってしまったよ。ちょっとだけ引用する。


 病院で定期的に検査をしているのは、以前も書いたように一昨年の夏、心臓付近の大きな手術を受けたからだ。レントゲン、心電図、エコーといくつかある検査のなかで、私がもっとも好きなのは、血液検査だ。

なぜなら、血液検査は、なにも考えなくていいからだ。だってそうだろう。いったいなにを考える余地があるというのだ。シャツをまくりあげ腕を出す。親指を内側に入れてこぶしをつくる。ゴムの管で腕をきつく縛る。血管が腕の内側に浮かび上がる。(中略)


 では、レントゲンを撮られるとき、人はなにか考えているだろうか。
 血液検査と同様、なにも考えていないと思われがちだが、じつはレントゲンはさまざまなことを人に考えさせる複雑な検査である。なぜなら、レントゲンが目に見えないからだ。いったい、レントゲンというやつは何者なんだ。もちろん私も、レントゲンがどのように開発されたかについて多少の知識はあるし、「レントゲン」という名前がX線を発見したドイツの学者の名前からきていることぐらい知らないわけではない。

たとえば、X線を、日本の科学者が発見していたらどうだったろう。たとえばその人の名が権田原だったらどうだったか。

 病院に行くと係の人から言われるのだ。
「宮沢さん。きょうはまず、ゴンダワラの検査ですから」
 そんなものは受けたくないのだ。
(『考える人』2010年春号/新潮社 p260〜261)


あははは。ゴンダワラだって!

ゴンダワラ。凄い語感だ。
ラーメンズの「日本語教室」に出てきたら面白いのに。

2010年4月 9日 (金)

高遠城趾公園の夜桜

100409_2

2010年4月 6日 (火)

『考えない人』宮沢章夫(新潮社)その他の話題

■少し前のことになるが「こどもネット伊那」の井上さんが、この間の「独演会」の感想アンケートを持ってきてくれた。



●いつも病院にいる時の先生と
ぜんぜんちがくて ビックリしました。
すごく おもしろかったです。

●いつも北原こどもクリニックではお世話になっています。
先生がとてもおもしろくてビックリしました。
絵本もとても楽しいのばかりでまた子供と読んでみたいと思いました!
ありがとうございました。


●パパ's ライブも楽器持参で親子で足を運ぶ程、ファンです!!
知らなかった絵本によって 世界が広がっていく喜びは、
子どもだけでなく 大人も同じです。

また近くでライブがある際には
是非 駆けつけます!
応援しています!


●今日、初めて参加させて頂きました。
先生の明るく楽しいお話が
最後なのは残念です。
ぜひ、早い時期に活動を再開してほしいと思います。
              (3ヵ月児の母より)

ほか多数、頂戴しました。みなさん、本当にありがとうございます。


■このアンケート用紙を読んだ妻はこう言った。

「いつも診察室ではどれだけ無愛想なの? もっと明るくしたら?」


いや、でもぼくは「明石家さんま」じゃないのだよ。
24時間ハイテンションを維持することはとても出来ない。


このはなしは以前にもしたことがあるが、
ぼくがまだ開業する前、厚生連富士見高原病院小児科一人医長だった時のことだ。

ある昼休みの病棟休憩室で、当時の病棟婦長だった樋口婦長が言った。
「先生ね、このあいだ娘を諏訪の歯医者に連れてったの。そしたら、この歯医者さん、あっかるいのよ! はいっ! どうしましたぁ〜? って大きな声でにこやかに、まるで歌うようにね。先生も見習ったら」って。


そう言われた僕は、そうかなるほどな、と思った。
で、次の日の朝のこと。
小児科外来にやって来た最初の患者さんに対して
思いっきりの笑顔と大きな声で、
「はい〜っ、どうしましました〜?」って言いながら
聴診器をあて続けた。


そしたら、午前10時半前に疲れ切ってしまったのだ。
人間、無理しちゃ続かないね。

ぼくの場合、無理してハイテンションに持ってくと、
翌日の反動が大きいのだ。
一気に落ち込む。
いわゆる「エネルギー保存の法則」ってヤツだね。
別な言い方をすれば、「ゾウの時間とネズミの時間」てヤツか?違うか。

いいじゃないの、めったに見られない「ぼくのハイテンション」を見れたのだから。


てな言い訳を、直ちに妻に返す能力を持ち合わせてはいないので、
妻にそう言われて、ぼくはただ黙ってしまう。
そうすると、妻は決まってこう言うのだ。

「いま、すっごく考えているようなふりして、実は何にも考えていないんでしょ?」

ドキッとしてしまう。
そのとおりなのだ。なにも考えていないのだった。
ポーズを取って気取ってみても、
いつでも妻はお見通しだったんだね。


そうさ、おいら、何時だって考えていません。
そう開き直ってみたいものだ。


そしたら、
『考えない人』宮沢章夫(新潮社)という、おいらにピッタシの本を見つけたので読んでみた。おもしろい。じつに面白い! そして、笑える。


 そうだ。考えたってろくなことはないのだ。考えるなんて無駄である。人生の展望。将来の生活設計。老後の見通し。考えるな。考えたところで、それほど大差はないのであって、考えたからってビル・ゲイツの住むような豪邸に住めるかといったらそんなばかなことはないし、
(『考えない人』宮沢章夫 /新潮社 39ページ)


■そうは書いてあるのだが、じつは宮沢章夫さんはよーく深ーく考える人だ。
このエッセイ集の中核をなす「考えない人」も、新潮社の季刊誌『考える人』に連載されていたもの。
ひとは「考えない」で行動することがよくあるが、それってどういうことなのか? ということを深く深く考察したエッセイなのだった。それでいて、別に何かためになることが書いてあるわけではないのだな。そこがいい。

Powered by Six Apart

最近のトラックバック