『パラドックス13』東野圭吾(毎日新聞社)
■今日の昼休みは、竜東保育園年長さんの内科健診。終了後に絵本を読ませてもらった。あまり考えずに、そこにあった絵本を持って行った。ただ、今日は『うんこ』は止めにしたのだ。
1)『ふわふわくもパン』 ペク ヒナ・作(小学館)
2)『つきよのかいじゅう』 長新太(佼成出版社)
3)『つきよのくじら』 戸田和代・作、沢田としき・絵(すずき出版)
「つきよ」がダブってしまったな。
■最近は、読んだ本の感想を Twitter に書いてしまうので、ブログであらためて感想を書くのがめんどくさくなってしまった。でも、何を読んだのか記録に残らないとそれも困る。少なくとも面白かった本に関しては。そこで、Twitter上に書いたことを一部改稿してここに再録させていただきます。手抜きでゴメンナサイ。
■呟くのも、走りに行くのも忘れて2日間で読み終わった『さよならまでの三週間』C.J.ボックス(ハヤカワ文庫)。抜群のリーダビリティで一気読みだったが、読後のカタルシスに乏しい。惜しいな、星 3.75/5 点。
小説『さよならまでの三週間』は、角田光代『八日目の蝉』とイーストウッド『グラントリノ』を足して2で割ったような小説だ。しかも舞台がコロラド州デンバー。多田富雄『ダウンタウンに時は流れて』を読んで慣れ親しんだ土地だ。
非力な主人公が、突然理不尽な要求を突きつけられる。養子に迎えた9ヵ月の娘を、実父とその父親が3週間以内に返せ、と言ってきたのだ。しかもその相手は、デンバーでは絶対的な権威と信用を誇る連邦判事。最初から全く勝ち目はない。
しかし、主人公とその妻は養女が生まれてくる前から養子縁組をして待っていた。血は繋がっていなくとも、娘と父母に間には愛着形成が既に成されている。それを今頃になって引き離そうとしても無理だ。しかし、血縁では養女の祖父の連邦判事は容赦ないのだった。
しかも、実父にあたる判事の息子はまだ未成年の18歳。コイツがとんでもない不良で、地元のスパニッシュのギャングと連んで主人公の家族に次々と嫌がらせを始めるのだ。
我慢に我慢を重ね、耐えに耐えた主人公も、とうとう堪忍袋の緒が切れる。で、孤独な主人公がランボーの如く一人だけで絶対悪に立ち向かうのか、と思ったら、そうじゃないんだな。そこが、僕の一番の不満。
立ち上がるのは、主人公の幼なじみの親友2人と、その叔父さんで、主人公自身は安全地帯にいてずっと他力本願なんだ。ぼくはそこが気に入らない。似たような小説なら、ぼくは『ミレニアム2』のほうがずっと好きだ。リスベット・サランデルは決して他人を頼らないからね。でも、この「親友の叔父さん」のキャラが立ちまくりで泣かせるのだ。ここがこの小説の一番の読みどころデス!
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■サバイバル・ノンフィクションが大好きなんだ。『エンデュアランス号漂流』とか『脱出記』とか『凍える海』が。だから、フィクションでも『ザ・ロード』を読んで心が打ち震えたのだ。絶望的な状況下、圧倒的な自然の力に翻弄されながらも、それでも諦めずに前に進もうとする人間の姿に感動するのだよ。
そういった意味で、先ほど読了した『パラドックス13』東野圭吾(毎日新聞社)には十分満足した。いや、本当に面白かった。昨夜読み始めた時には鈴木光司『エッジ』と同じ話なのかもと危惧したんだ。宇宙規模での物理法則に人間が立ち向かう話だったから。
p398「諦めるわけじゃない。どんな法則があろうとも、俺は生き延びてみせる。みんなのことも生かしてみせる。俺は、この世に生命というものが誕生したのは奇跡だと思っている。本当ならこの宇宙は、時間と空間だけに支配されているはずなんだ。ところが生命が誕生したことで、」(つづく)
p398〜399「数学的に説明できない知性というものが生じた。それは時間と空間にとっては、とんでもない誤算だった。だったら、ここでもう一度誤算を起こさせることも出来るんじゃないか。それを期待したっていいんじゃないか」熱っぽく語る兄の顔を眺めながら、冬樹は苦笑していた。
ところで、この『パラドックス13』ぼくは全く読む気がなかった。『「悪」と戦う』を読み始めたばかりだったからね。でも、先に読み終わった次男が「おとうさんも読んでみなよ」って言ったんだ。たぶん彼には判っていたんだ、これは父さんの趣味に合う本だって。明日の朝になったら息子にそう言おう。
■以下は、 Twitter で呟かなかった追加事項です。
『パラドックス13』はジャンルとしては SF小説だが、帝国ホテルがモデルと思われるホテルのレストランで、ドンペリ飲んでキャビアをたらふく食って酔っぱらって倒れていた、13番目の生存者、SF好きの河瀬でも、さすがに「この小説」には「センス・オブ・ワンダー」を感じなかっただろうと思う。
ぼくも感じなかった。SF的な面白さはね。でも、リアルなサバイバル小説としては実に面白かったんだ。
小説の舞台が、大都市「東京」のど真ん中。田舎者のぼくだって、何度も歩いたことがある場所だ。銀座四丁目から晴海通りを「がんセンター」方面へ行ったり、東京駅の八重洲口地下とか、皇居周辺の内堀通りから永田町の国会議事堂をジョギングしながら眺めたこともある。
「あの場所」を、日本橋人形町に住む東野圭吾さんは、たぶんメチャクチャにしてみたかったんだな。そのめちゃくちゃ加減が凄かったのだ。ぼくだってリアルに映像がうかんだよ。ここが一番面白かったところだ。
そうだよな、ぼくだってまずは銀座の寿司屋へ行くよ(^^;;
ぼくの次男はまだ小学校6年生だ。こういうパニック小説だから、R15 的年齢制限が必要な描写は登場しないよなって、高をくくって読み進んだのだが、終盤で男女のセックスの問題が書かれていた。おっと、まずいじゃないか! もう遅いが。息子に質問されたら、どう答えればいいのだろうか?
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