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2010年3月

2010年3月30日 (火)

「こどもネット伊那」いなっせ7Fでのお話会も50回でラスト

■正直、疲れてきていたのだ。それに飽きてきたのかもしれない。
まる6年間続けてきた「こどもネット伊那」いなっせ7Fでのお話会。


当初は毎月第3金曜日の昼休みにやっていた。
最近では、毎月だとキツイので隔月にしてもらっていたが、
それでも次第にキツくなっていった。
この4月からは、医師会での仕事が増えさらに忙しくなる。

別に、見返りが欲しかった訳ではない。
ただ、惰性で続けるだけの意味が見出せなくなったのだ。
「ほんとうに必要とされているのだろうか?」
ふと、そう思ってしまったのだ。


ごめんなさい。


という訳で、担当者だった「こどもネット伊那」の井上さんには大変申し訳ないのだが、
このお話会を暫く休止させていただくことにした。


サザンオールスターズも決して解散とは言わなかった。
「バンド活動をいったん休止します」たしかそう言った。
ぼくも同じ気分だな。

疲れたので、少しだけ休ませて下さい。
元気になったら、また活動を再開しますよ。


で、先週の金曜日がその「ラスト公演」だった。
訊けば、今回で50回なのだそうだ。
ちょうど切れがいいではないか!


ラストはテーマを決めずに、ただ好きな絵本を読んで終わりにしたい、
そう井上さんにお願いしてあった。


そしたら、「こどもネット伊那」の井上さんと井口さんは、
かなり無理して頑張って、
かつてないほど沢山の親子連れを当日集めてくれた。

うれしくて、涙がちょちょぎれそうになったよ。
ほんとうにありがとうございました。

【この日のメニュー】 もう、持ちネタ総動員だったね(^^;;

1)『バナナです』『いちごです』 川端誠
2)『うんこ!』 サトシン・文、西村敏雄・絵(ぶんけい)
3)『ぷるぷるたまちゃん』(ベネッセ)
4)『もけらもけら』 山下洋輔、元永貞正(福音館書店)
5)「いっぽんばしにほんばし」(手遊び)中川ひろたか
6)『ひまわり』 和歌山静子(福音館書店)
7)『もりもりくまさん』 長野ヒデ子、スズキコージ(すずき出版)
8)『ぽんぽんポコポコ』 長谷川義史(金の星社)
9)『だじゃれしょくぶつえん』 中川ひろたか、高畠純(絵本館)
10) 『かあさんになったあーちゃん』ねじめ正一、長野ヒデ子(偕成社)
11) 『おしっこ』 谷川俊太郎、小室等
12) 『おどります』 高畠純(絵本館)

2010年3月28日 (日)

『通勤電車でよむ詩集』小池昌代・編著(NHK出版生活人新書)より

■詩は、シロウトなんだ。
でも最近、努めていろいろ読むようにしている。

童話館の『ポケット詩集』とか、谷川俊太郎とか、石垣りんの詩集とか。同人「荒地」の田村隆一の詩集や、タオ以前の加嶋祥造の詩集とか。あと、これはと思う詩人が編んだアンソロジーとか。『詩のこころを読む』茨木のり子(岩波ジュニア新書)や『詩の力』吉本隆明(新潮文庫)。


最近でた中では、『通勤電車でよむ詩集』小池昌代・編著(NHK出版生活人新書)がよいな。

シロウト向けかと油断したら、思いのほか手強い。安易な気持ちで手に取ると、ナイフで突き刺されたかのような
危ない「ことば」がいっぱい詰まっている。下手に理解しようなどとしてはいけないのだな、詩は。


そんな中で、初めてよく判る詩に出会った。これだ。


「胸の泉に」   塔 和子


かかわらなければ

  この愛しさを知るすべはなかった
  この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  さびしい思いも知らなかった

人はかかわることからさまざまな思いを知る

  子は親とかかわり
  親は子とかかわることによって
  恋も友情も
  かかわることから始まって

かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る

ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人


  私の胸の泉に

枯れ葉いちまいも
落としてはくれない


小池昌代さんが、何故わかりやすい「この詩」を載せたのか?
作者、塔和子さんの略歴を読んで、
初めてその意味がわかった。


塔和子さんは、1942年にハンセン氏病となり、翌年からずっと香川県国立療養所大島松園での隔離生活を余儀なくされた人なのだ。国から、社会から、世間から、強制的に隔離されて、人のとの「かかわり」を一方的に拒絶されてしまった人なのだ。そういうことを知ると、「この詩」の意味が 180度反転して、ぼくの心に突き刺さってくるのだった。

2010年3月27日 (土)

『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎(新潮社)読了

■ 休診にしている今週の水曜日の午後、冷たい雨の中を車で松本まで行ってきた。
東宝映画『ゴールデンスランバー』を見るためだ。


原作を読んだ息子たちが春休み中に是非見たいと言っていた映画なのだ。
幸いなことに、その前日の深夜、ぼくも読み終わった。『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎(新潮社)


3月は何かと忙しく、ちょうど真ん中へんで中断してしばらく読まかったので、緊張の糸が切れてしまったのだが、それでも、展開が全く読めなくて、主人公の気分でハラハラドキドキしながら読了した。いや、面白かった。


読みながら思ったことは、この小説自体がビジュアルを意識して書かれているので、映画にしたらさぞやヒットするに違いないということだった。実際、映画になったものを見て、やっぱりなぁ、というシーンが幾つか。そうして、おっ! 映画ではそうきたのか! というシーンもいくつか。例えば、iPod の使い方とか、トドロッキーの台詞とか。驚いたのは、小鳩沢役で登場したあの「サード」の永島敏行が、常に無表情で無言のまま次々とショットガンをぶっ放すところだ。小説のイメージとは違ったが、ものすごく不気味だった。彼は映画の方がよかったかな。あと、キルオ役の濱田岳もよかった。


そして何よりも、本を読んでいる時には「音楽」は聞こえてこないワケで。
ビートルズがどうのこうのと本に書かれていても、手元に音源がなければ判らない。


でも、映画では堺雅人が、吉岡秀隆が、そして劇団ひとりも「ゴールデンスランバー」を口ずさむ。それがとってもいい。そして、ポールのオリジナルではなくカバーだけれども、バックで流される「ゴールデンスランバ〜〜」と歌うサビの部分は心に「ジン」ときたな。


主人公を囲む昔の友達。あわせて4人。
ビートルズといっしょ。

LP『レット・イット・ビー』が、彼らのラストアルバムではあるのだが、
最後にスタジオで録音されたのは『アビーロード』のほうなんだって。
4人の心はもうバラバラで、
それでも、みんなの心をつなぎ止めようとポール・マーッカトニーは奔走する。
そうして、誰もいなくなったスタジオで、彼は歌うのだ。


『ゴールデンスランバー』を。

原作を読んだ時には、ストーリーを追うのにやっとで、
作者の本当の意図を理解することができなかったのだが、
映画を見て初めてわかった。

あ、そうか。これは青春小説なのだと。
理不尽な苦難に陥った、かつての仲間を、
他の3人がタッグを組んで救う話だったのだ。


謀略小説でも、経済小説でも、スパイ小説でも推理小説でもない。
やっぱり、青春小説の王道なのだと。

■さて、この本の中でぼくが付箋を貼った場面をいくつか抜き書きしておきます。


「おまえは逃げるしかねえってことだ。いいか、青柳、逃げろよ。無様な姿を晒してもいいから、とにかく逃げて、生きろ。人間、生きててなんぼだ」


「結局、人っていうのは、身近にいる、年上の人間から影響を受けるんですよ。小学校だと、六年生が一番年長ですよね。だから、六年生は、自分たちの感覚がそのままなんです。ただ、中学校に入れば、中学三年生が最年長です。そうなると、中三の感覚が、自分を刺激してくるんですよ。良くも、悪くも。思春期真っ最中の中学三年生が自分の見本なわけです。」

「花火大会ってのはよ、規模じゃないんだよな」
「その町とか村とかによって、予算は違うけどな、でも、夏休みに、嫁いでいった娘が子供を連れて、実家に戻ってきて、でもって、みんなで観に行ったり、そういうのは同じなんだよな。いろんな仕事やいろんな生活をしている人間がな、花火を観るために集まって、どーんっ打ち上がるのを眺めてよ、ああ、でけえな、綺麗だな、明日もまた頑張るかな、って思って、来年もまた観に来ようって言い合えるのがな、花火大会のいいところなんだよ」


「イメージというのはそういうものだろ。大した根拠もないのに、人はイメージを持つ。イメージで世の中は動く。味の変わらないレストランが急に繁盛するのは、イメージが良くなったからだ。もてはやされた俳優に仕事がなくなるのは、イメージが悪くなったからだ。」


「分からない」青柳雅春は返事をする。「ただ、俺にとって残されている武器は、人を信頼することくらいなんだ」
 そいつはいいや、と三浦は噴き出した。「そんだけ騙されて、まだ信じるんですか? 物好きだなあ。」

「びっくりするくらい空が青いと、この地続きのどこかで、戦争が起きているとか、人が死んでいるとか、いじめられている人がいるとか、そういうことが信じられないですね。」

「前に小野君が言ってたんです。天気がいいとそれだけで嬉しくなるけど、どこかで大変な目に遭っている人のことも想像してしまうって」

「偉い奴らの作った、大きな理不尽なものに襲われたら、まあ、唯一俺たちにできるのは、逃げることぐらいだな」

「俺ね、頭は良くないけれど、それでも知ってるんだよね。政治家とか偉い人を動かすのは、利権なんだよ。偉い人は、個人の性格とか志とかは無関係にさ、そうなっちゃうんだ」

「なんか、そんな気がするんですよね。今はもうあの頃には戻れないし。昔は、帰る道があったのに。いつの間にかみんな、年取って」
 その通りだなあ、と樋口晴子は思った。学生時代ののんびりとした、無為で無益な生活からあっという間に社会人となり、背広を着たり、制服を着たりし、お互いに連絡も取らなくなったが、それでもそれぞれが自分の生活をし、生きている。成長したわけでもないが、少しずつ何かが変化している。

「みんな勝手だ」と青柳雅春は言った。「児島さん、今は信じられないかもしれないけどさ」と続ける。「マスコミって意外に、嘘を平気で流すんだ」とテレビを指さす。


「ビートルズは最後の最後まで、傑作を作って、解散したんですよ」学生時代のファーストフード店で、カズが熱弁をふるっていた。 
「仲が悪かったくせにな」と森田森吾が言った。
「曲を必死に繋いで、メドレーに仕上げたポールは何を考えていたんだろ」こう言ったのは誰だったか、思い出せない。「きっと、ばらばらだったみんなを、もう一度繋ぎ合わせたかったんだ」
 青柳雅春は背を壁につけ、膝を折ったまま、目を閉じた。聴きたかったのではなく、身体に吸収しているという気分だった。

「分かるのか?」
「信じたい気持ちは分かる? おまえに分かるのか? いいか、俺は信じたんじゃない。知ってんだよ。俺は知ってんだ。あいつは犯人じゃねえよ」

「結局、最後の最後まで味方でいるのは、親なんだろうなあ。俺もよっぽどのことがない限り、息子のことは信じてやろうと思ってんだよ」児島安雄は目を閉じたままだった。


「気にはしてるけど、あれだよ、児島さん、人間の最大の武器は、信頼なんだ」



■なんでここに付箋貼ったんだ? ってところもあったけれど、
次に読む妻のために付箋をはがさなきゃならないので、自分の覚え書きとしてここに残しておこう。

確かに荒唐無稽な話ではあるのだが、案外現実的だったりするところがかえって怖い。
市橋容疑者とか、中国の「毒入り餃子」犯人とか。


■原作者の伊坂幸太郎さんが映画の感想を述べているサイトを発見した。<ここ>です。
そうか、伊坂さんはいま、子育て真っ最中のパパなんだ。
ぜひ、子供関連の新作が読んでみたいものだぞ。

2010年3月26日 (金)

『赤ちゃんと絵本をひらいたら』(追補)

■医師会関係の会合が続き、忙しい毎日だ。今日は学術講演会の座長。


3月3日の午後、発達障害児の母子通所施設「小鳩園」で、
お母さん方に「子供の言葉の発達」について話をさせていただいたのだが、
その時のネタ本『ことばの贈りもの』松岡享子(東京子ども図書館)と
『子どもとことば』岡本夏木(岩波新書)の2冊を園長先生に預けてきた。
その本が、今日返ってきたのだ。


最近よく、赤ちゃんへの「語りかけ」や「読み聞かせ」の重要性が強調されるが、
おかあさんやおとうさんが、ただ一方的に赤ちゃんに語りかけていれば
赤ちゃんの言葉が生まれるという訳ではない。

そうじゃないんだな。


むしろ、おかあさん、おとうさんに必要なことは、
「赤ちゃんの語りかけ」に耳を傾けることなのだ。

『ことばの贈りもの』松岡享子(東京子ども図書館)p19〜20には、こんなふうに書かれている。

 講演のあと、ハリディ氏(しろくま註:子どもの言語習得に関して研究しているイギリスの言語学者)とことばを交わす機会があったので、「子どものことばを育てる上で、何が一番大切だとお考えになりますか」と、たずねてみました。すると、言下にかえってきたのは「子どものいうことをよく聞くことです」という答えでした。

 この答えは、私の耳に新鮮に響きました。というのは、それまでに私が耳にしていたのは、もっぱらおとなが子どもに話しかけることの大切さだったからです。保育者のあいだでは、それを「ことばかけ」と呼んでいたようでした。しかし、ハリディ氏は、こちらからことばをかけるより、向こうのいうことに耳を傾ける方が大切だといわれるのです。

「子どものいうことを聞く」といっても、赤ん坊であれば、ことばでいうわけではないでしょう。しぐさ、表情、顔色、声色など、ことばでないもので訴えているものを、しっかり受けとめるということでしょう。それらさまざまなサインに込められた意味を、おとなが理解し、それに合った対応をすれば、子どもは「通じた」という喜びを味わい、相手に対する信頼感を深めるばかりでなく、コミュニケーションへの意欲もわくでしょう。そのために自分が用いる手段 ---- ことばも、ことばでないものも ---- への信頼も強まるでしょう。


■『赤ちゃんと絵本をひらいたら』でも、最後の座談会のパートで、榊原洋一先生と佐々木宏子先生が「そのこと」の重要性に言及している。親と赤ちゃんとが対等の立場で「いっしょに絵本を読みあう」という、双方向に関わり合うことが人間としてのコミュニケーションの基礎となるのだと。


ブックスタートという活動は、絵本を仲介として、おかあさん、おとうさん、保健師さん、図書館司書さん、そして市民ボランティアさんらがみんなで、「赤ちゃんが発する信号」をキャッチする初めての貴重な体験の「場」になっているのだと思う。むしろ周りの大人たちが、真ん中にいる「赤ちゃん」からパワーをもらっているのだ。


一人でも多くの方々に「ブックスタート」の意義を理解して欲しいと、あらためて思った次第です。(おわり)

2010年3月21日 (日)

『赤ちゃんと絵本をひらいたら ブックスタートはじまりの10年』(つづき)

■3月13日の日記にも少しだけ書いたが、「この本」は文章がいい。
努めて抑えた筆致で、淡々と綴られてはいるのだけれど、
何故か読みながら、書き手の、そして登場人物たちの「熱い血潮」を感じてしまう。
その点が、ルポルタージュとしても非常に優れているところだ。


「第三章:地域に根ざした取り組み」に登場する、北海道恵庭市、鳥取県鳥取市、岡山県西栗倉村でブックスタート実現のために頑張ってきた人たちのことが丁寧にルポされているのだが、読みながら彼らの息づかい、体温、そしてその笑顔がビビッドに感じられるのだ。例えば、116ページにはこんな記載がある。


 そして恵庭市の関係者は、「最終的に活動の継続にとって一番大切なのは、人だ」と口をそろえる。例えば地方自治体の財政難の流れがさらに深刻になり、ブックスタートが予算カットの対象とされてしまいそうな時に、「これは単なる配布物のための予算ではなく、子育て支援の方策として継続するべき事業の予算なのだ」ということを、きちんと説明できる人の存在が必要になってくるという。

 内藤さんは、新しくブックスタートに関わる人たちに、活動を立ち上げた時の気持ちをどう伝えていくかが、これからの課題だと言う。「泣いている赤ちゃんが、自分が絵本を読んだことで初めて泣きやんだ時の喜びは忘れられません。最初に始めた人には大変な苦労もありましたが、やっぱり立ち上げた時の喜びも大きくて、ブックスタートを誇りに思っている人が何人もいるんです。このあたたかい思いのつながり、ブックスタートの大切な核の部分を、人が変わっても代が変わっても、ちゃんとつなげていくことが大切なんです。」

 ブックスタートは恵庭市の図書館を変え、健診を変え、市民と行政の関係をも変えてきた。恵庭市に蒔かれたブックスタートという種は、関係者が協力して土を耕し、水をやり、肥料を与えて、手間をかけ、大切に育ててきた結果、恵庭の地にしっかりと根を張り、花を咲かせ、今、最初の果実が実りはじめているのかもしれない。そして豊かになったその土壌には、また違った種から出た新しい芽も元気に育ちはじめているのだろう。

■富士見町でガーデニングを始めた頃、よく苗を買いに訪れたのが小淵沢の五十嵐ナーセリーだ。

今から15年くらい前のことだったが、現在ホームセンターで当たり前に売られている花々が、当時はまだ珍しかった。訊けば、五十嵐さんが自分でイギリスから種を買い付けて、ハウスで大切に育てきたのだと言う。同じ品種でも、同じに育てても、種によって微妙に違った色合いの花を咲かせるのだそうだ。当然、同じ種でもイギリス本国と輸入された日本とでは咲かせる花も違ってくるのだろう。


ブックスタートもまったく同じだな。
佐藤いづみさんがイギリスから持ち帰った種を、
いまのNPOブックスタート実働部隊である斉藤かおりさん他のスタッフが苗床に蒔き育てて、全国各地で待つ「生まれたすべての赤ちゃんの幸せを願う子育て支援に携わる人々」に彼女らは苗を配って回っているのだ。


新たに事業を始める人たちのために、基本的な大切なポイントが書かれた『ブックスタート・ハンドブック』はあるが、それは、マクドナルドの新人スタッフ研修マニュアルでも、セブンイレブンお客様接待マニュアルでもない。その地区の実情に合わせて話し合い、試行錯誤を繰り返し、さまざまな工夫をしながら、毎日水をやり、肥やしを蒔き、汗水たらして畑を耕すのは、その土地に住む人々なのだ。


北海道と九州では気候も違えば土質も違う。
土地の広さだって、日照時間だって違うはずだ。
だから、同じ苗を育てても、咲く「その花」実る「その実」は、
それぞれの土地特有のオンリーワンになるに違いないのだ。


そのことが、このブックスタート活動の一番大切なポイントなのだと
改めて思った次第です。


ぜひ、読んでみてください。

2010年3月19日 (金)

『赤ちゃんと絵本をひらいたら ブックスタートはじまりの10年』

100318『赤ちゃんと絵本をひらいたら ブックスタートはじまりの10年』NPOブックスタート編著(岩波書店)読了。これは本当に素晴らしい本だ。

日頃、現場で赤ちゃんと関わっている全ての大人(保健師、保育士、小児科医、子育て支援ボランティアほか)は当然読むべき本だし、行政のお偉いさんにも是非読んでいただきたい。この1冊を読めば「ブックスタートとは何か」が本当によく分かる。なるほどそうかと思う。


まず、本の装丁が何ともいいではないか。淡い水彩絵具で描かれた「まる」。風船? それとも。赤ちゃんの顔?
あったかそうで、ほんわり、ふんわりしてて。思わずそおっとやさしく両手で包みたくなるようだ。


いろいろと読みどころの多い本だが、
ぼくが注目したのは「第二章 ブックスタートの歩み」と「第三章 地域に根ざした取り組み」だ。


何よりも驚いたことは、この10年間で瞬く間に日本全国各地に広がっていった
この「ブックスタート」の日本での活動の始まりが、
出版最大手取次「日販」に入社してまだ2年目の新人女性社員だった佐藤いづみさんが、
たった一人で行動を起こしたことがきっかけになったということだ。ぜんぜん知らなかった。

会社の創立50周年記念の海外視察研修に応募するために、飯田橋のブリティッシュ・カウンシルの図書室を訪れた佐藤さんは、1992年に始まった英国のブックスタート活動のことを、雑誌の特集記事の中に偶然発見する。1999年5月のことだ。そしてその年の10月、彼女は一人で2週間のイギリス研修に旅立つ。バーミンガム市立中央図書館で担当者からブックスタートに関して現場の生きた情報を聞いた彼女は、ぜひこの取り組みを日本の人たちにも伝えたいと、この時強く願ったのだった。

タイミングもよかった。翌2000年は「子ども読書年」で、子ども読書推進会議事務局長の白井氏が彼女の報告に興味をしめした。「まず佐藤さんの熱心な様子から、何かを伝えたい、という意志が伝わってきました。そしてシンプルで分かりやすく、あたたかなメッセージを持ったブックスタートの内容を聞いて、これは何か大切なものがある、動かしていく価値があるな、と直感したんです」と、白井氏はふりかえる。


2000年7月、今度は白井氏、佐藤さん他5名のメンバーで英国のブックスタートを視察する。本書40ページに載っている、この時のエピソードは感動的だ。英国のブックスタート発案者であるウェンディ・クーリングさんとの会見の席で、佐藤さんはあまりにも基本的すぎて今さらだれにも聞けないと感じていた質問をしてみることにした。それは「まだ字も読めない、単語の意味をきちんと理解できるわけでもない赤ちゃんは、本を読めるのか」ということだった。

その問いに対してウェンディさんはどう答えたのか?

それはぜひ、この本を直接手にとって確かめてみてください。(まだつづく)


2010年3月17日 (水)

伊那のパパズ(その66)駒ヶ根市図書館

■先だっての3月7日(日)は、長野市はみぞれだった。
午前8時過ぎにホリデイ・インをチェックアウトして、長野インターへ。
「おばすて」は雪だった。高速は50km 規制中。

この日、午前10時半から駒ヶ根市図書館で、伊那のパパズ「絵本ライヴ」があるのだ。
当初、伊那で下りて自宅に寄って、
伊東先生から借りていた「嵐プロモーションビデオ・クリップ集DVD」を
返却する予定だったのだが、この分だと間に合いそうにない。
で、仕方なく駒ヶ根インターへ直行。

駒ヶ根も朝から雨だった。
しかし、会場は100人以上の親子連れでいっぱい。
父親、母親、子供たち、という親子連れが多くて、
珍しく「父親存在率」が高かったな。


■この日のメニュー■


1)『はじめまして』
2)『コッケモーモー』 → 伊東
3)『おおきいちいさい』元永貞正・え(福音館書店・こどものとも1.2.3.) → 北原
4)『かごからとびだした』

5)『うみやまがっせん』長谷川摂子・文(福音館書店) → 坂本
6)『うんこ』 サトシン・文、西村敏雄・絵(文溪堂) → 宮脇
7)『ねこのおいしゃさん』増田裕子・文、あべ弘士・絵

8)『くろずみ小太郎旅日記(その6)怪僧わっくさ坊暴れる!の巻』飯野和好・作絵(クレヨンハウス)→ 倉科
9)『ふうせん』
10) 『世界じゅうのこどもたちが』

2010年3月15日 (月)

田舎者よのう

■つくづく思うのだが、サブカルにしても伝統芸能にしても
あらゆる「文化的活動」をライヴでリアルタイムに体験するためには
東京に住んで暮らすしかないのだなぁ。


例えば芝居。小劇場から歌舞伎、オペラまで、伊那に居ては
観たいときには観られない。
もちろん、伊那市民劇場はあるし、伊那文化会館にオペラが
来ることだってある。岡谷カノラホールや塩尻レザンホール、
松本市民会館まで範囲を広げれば、けっこう芝居は見れるか。


でも、落語はダメだな。
聴きたい落語家さんの独演会とか、寄席にぶらりと入ったりとか、
やっぱり落語は都会の文化なんだね。


映画だってそうだ。評判でも単館上映のマイナーな映画は
田舎の映画館では絶対にかからない。だから、伊那にも「伊那シネマクラブ」
があって、一生懸命フォローしてくれてはいるが、
結局は DVD になるのを待って TSUTAYA で借りてくるしかない。


ましてや、クラブなんて一度も行ったことない田舎者だ。


だから、ネット生中継の「dommune」にはぶったまげた。
イヤだね、いなかもんは。

日曜日から木曜日まで毎晩 21:00〜24:00 渋谷のクラブから生中継されている。
今更だが、DJって、カッコイイね。
ジャズとか、こういうふうに使ってるんだ。
選曲の妙、曲をチェンジするタイミング。
川の流れのように、全体で大きな1曲になっているんだね。
なるほどなあ。


でも、この生中継を見てて面白いと思ったのは、右画面で
次々と リアルタイムで Twitter が呟かれることだ。
これって「ニコニコ動画」のコメントよりも楽しい。
だって、いま日本中で 5000人近くの人が同じ生中継を見て聴いていて、
からだ揺すっているかと思うと、楽しいじゃん。
クラブ疑似体験。


■ほんとに、ありがたい時代になったもので、
田舎に居ながらネットで落語も聴けます。
リアルタイムはまだ無理だけれど。

「ニコニコ動画」が一番充実しているかな。著作権無視の違法アップが多いのだが。


オススメは、
落語協会が流している「インターネット落語会」だ。
以前は、Mac では見れなかったのだが、YouTube に移行したので
だれでも見られます。


今月のナビゲーターは、なんと、我が家の家族全員で贔屓にしている
三遊亭金翔さん。

林家たい平さんも、柳家喬太郎さんも、若いねぇ。
髪の毛黒いし、顔細いし。
これは貴重な映像だ。


見てね!

2010年3月13日 (土)

さよなら、寝台特急「北陸」夜行急行「能登」

■先だっての長野で、ぼくがなぜ絵本『やこうれっしゃ』西村繁男(福音館書店)を読むことにしたかというと、この3月のJR時刻表改正で、長年親しまれてきた寝台特急「北陸」と、夜行急行「能登」の廃止が決定されたからだ。

JRのダイヤ改正は本日3月13日から。
ということは、昨夜上野駅を出発した寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」が、その最終便ということになる。


絵本『やこうれっしゃ』の表紙を飾るのは
名車として名高い電気機関車「EF58110」。


残念ながら、最後の「北陸」と「能登」を牽く電気機関車は
「EF58系」ではなかったな。


<ここ>を読んだら、じつにめでたいことが書いてあった。
やった!
よかったね、田中尚人さん。


妥協せずに時間をかけて丁寧に作家さんと苦しみながらも
「いいもの」を産み出そうと努力すれば、必ずや認められるのです。
そういうことでしょ?


ほんとうによかった。


■それから、いま読んでいる本。
これがすばらしい!


『赤ちゃんと絵本をひらいたら ブックスタートはじまりの10年』
NPOブックスタート編著(岩波書店)


圧倒的な臨場感でもって、
ビビッドに、
読み手の心に響いてくる文章だ。


日本での「この活動」の礎を築いた
執筆者の佐藤いづみさん、スゴイな!


感想は読後きちんと書く予定。暫し待たれよ!



2010年3月 8日 (月)

伊那のパパズ(番外編)「ながのこどもの城」

■先週土曜日(3月6日)は、12時で外来を終わりにして雨の中高速道路を飛ばし一路長野へ。「ながのこどもの城」主催のイベント『楽しく子育て』で絵本を読んでほしいと頼まれていたからだ。


今回はパパズの他のメンバーは都合がつかず、ぼく一人のソロ公演。


イベントの第一部は、大日向雅美先生の講演会「本当にほしい子育て支援ってなあに?」
第二部は、女性コーラスグループ「ヴィ・ヴォーチェ」のコンサートが 30分。
ぼくはその後の 15:10 から登場して 15:50 まで絵本を読むという手はず。

遅刻したら大変だから、午前中診療しながら気が気じゃなかった。
やっぱり土曜日の午後に講演依頼を請けるのは無理だな。

それでも、受付スタッフの努力で正午ちょうどに最後の患者さんを診終わり、
午後2時過ぎには無事会場の長野市若里市民文化ホールに到着することができた。
やれやれ。

■大日向先生の講演は、終盤しか聴けなかったが、説得力のある素晴らしいお話だった。
続く「ヴィ・ヴォーチェ」は、総勢20名近くの本格的な女性合唱団で、こころ洗われるような澄んだ清らかな歌声だった。高尚な余韻を会場に残して終了。


その後に登場したのが、このぼく。
会場は700人収容の大きなホールで、最初から僕の力不足は見え見え。
ただ、幸い聴衆が100余名と少なめだったので、なんとか引き込めたか。


1)「あわあわ手洗いのうた」 花王ビオレU より
2)『うんこ』 サトシン・文、西村敏雄・絵(文溪堂)
3)『おおきい ちいさい』 元永貞正さく(こどものとも012 / 福音館書店)
4)『これがほんとの大きさ!』 S・ジェンキンズ(評論社)

【以下・プロジェクター使用】

5)『だじゃれしょくぶつえん』中川ひろたか・文、高畠純・絵(絵本館)
6)『かあさんになったあーちゃん』 ねじめ正一・作、長野ヒデ子・絵(偕成社)
7)『やこうれっしゃ』 西村繁男さく(福音館書店)
8)『おどります』 高畠純・作絵(絵本館)


それにしてもなぁ、心洗われる女性コーラスのあとに『うんこ』か。
でも、最初から決めてあったからな、それでいいのだ。


ほんとは、『うんこ』をやるなら、
『おしっこ』谷川俊太郎・作詞、小室等・作曲
も歌おうと思って練習していったのだが、時間オーバーで断念した。
ま、歌わなくてよかったか。


舞台裏のスタッフとして、保育士を目指している男子学生さんたち5人が
手伝ってくれたのだが、ぼくが持って行った絵本にすごく興味を持ってくれたみたいで
うれしかったな。がんばってね。


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