2011年12月11日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その86)箕輪町松島コミュニティセンター

■今日は午前10時半から、箕輪町松島コミュニティセンターにて「伊那のパパズ絵本ライヴ」。メンバーも5人全員がそろったよ。12月の絵本ライヴは、毎年恒例のクリスマス特別ヴァージョンだ。


  <本日のメニュー>

 1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)
 2)『でんせつの きょだいあんまんを はこべ』サトシン・作(講談社) →伊東

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 3)『たべてあげる』ふくべあきひろ文、おおのこうへい・絵(教育画劇)→北原
 4)『かごからとびだした』(アリス館)
 5)『やまあらしぼうやのクリスマス』ジョセフ・スレイト文(グランまま社)→倉科

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 6)『いろいろおんせん』増田裕子(そうえん社)

 7)『スモウマン』中川ひろたか・文、長谷川義史・絵(講談社)→宮脇

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 8)『メリークリスマスおおかみさん』宮西達也・作(女子パウロ会)→坂本

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 9)『ふうせん』(アリス館)
 10) 『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)


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  左から、坂本    伊東    倉科     宮脇     北原。


              イイ写真だね!


■主催の、箕輪町こども未来課・支援センター 白鳥紀子さん、いつもいつも本当にありがとうございます。また呼んでくださいね(^^)

2011年12月 5日 (月)

久々にフリーの日曜日

■昨日の日曜日は、はっぴいえんどの名曲『12月の雨の日』を思わせる前日の土曜日とは打って変わって、雲ひとつない快晴。しかも、季節はずれの暖かさだ。


午前9時半から2時間、高遠福祉センターでアンドレア先生から「入試英語特講」を受ける長男を車で送って、向かいの「ポエム」でコーヒーでも飲もうかとも思ったのだが、暖かだったからエンジンを切った車の中で読書。島村利正『繪島流罪考』を読む。この短篇が載っている『島村利正全集・第二巻』は借りてもう随分と延滞していて、今日こそは高遠町図書館に返却しなければならなかったからだ。


江島は結局、月光院といい仲になった御用人、間部詮房が「大奥」の全権力を握っていることを嫌う反対勢力によって、クーデターの餌食にされたのだな。それなのに、一番の問題人物たる間部詮房は、一切のお咎めも流罪もなく、単に越後へ左遷されただけで歴史上から静かに消え去った。ずるいじゃないか、ほんと。許せないぞ。


■午前十時を過ぎたので、高遠町図書館へ行って本を返却。もし、図書館長さんがいたら、先日、ワサブローさんが高遠を訪れて島村利正生家の菩提寺で墓参りしたことを話し、さらには、来年が「島村利正生誕100周年」に当たるので、ぜひ記念イベントをしましょう! と提案するつもりだったのだが、あいにく図書館長さんは非番でいなかった。残念無念。


いったん伊那へ帰って、わが家では日曜日の昼飯は「蕎麦」という決まりがあったから、高遠なら「ますや」だな、と妻・次男を車に乗せ再び高遠へ。午前11時半過ぎに講義が終わった長男をピックアップして、高遠バイパスを北に少し行って「ますや」へ。


12時前だから楽勝だろうと思ったら大間違い。すでに店は満席じゃぁないか。駐車場も、県外ナンバーの車でいっぱいだ。仕方なく、上の段の店舗用車庫の前に駐車する。そうは言っても、この日はまだ店の外にまでは行列はできていなかった。ラッキーだ。入店後10分足らずでテーブルに着く。店主と女将さんの二人だけで店を切り盛りしていて大忙しだ。


ひと通りの注文がで終わるのを待って、ぼくらの番になった。次男は「高遠そば」。妻は「おろし高遠そば」で、長男は「鴨ざる」を注文。ぼくは最後まで迷って、結局「玄そば」+追加(合計3枚)にした。


注文後は案外はやく蕎麦が出た。実にきれいな蕎麦だ。つやつやと透き通って輝いている。洗練されていて喉ごしも申し分ない。なるほど、これなら都会の蕎麦通がはるばる遠く高遠まで何度も通ってくるワケだ。蕎麦の見た目と喉ごしは、むかし松本の女鳥羽川沿いにあった蕎麦屋「もとき」で食った蕎麦に近い印象。


もちろん、「ますや」へは以前から何回も食いに来ているのだが、来るたびに「蕎麦が美味くなっている」のだよ。そこが凄い。常に地道な努力と、たゆまぬ前進を続ける店主の心意気のたまものだな。いや、ほんと旨かったデス。でも、俺以上に美味そうに食っていた、長男の「鴨ざる」を次回は注文しようかなぁ。あの、網で炙った太いネギと鴨肉を「この世の極楽」といった風情で食っていた長男に、ちょっとだけ嫉妬したのだった。


■高遠から伊那へ帰り、妻子を自宅で降ろし一人また車上の人となる。坂本さんの「やまめ堂」へ行って、児童文学の季刊誌『飛ぶ教室』最新号を購入しなければならなかったからだ。中央橋を渡って左折し、幸福の科学の建物の手前を右折し、小松眼科の横を左折。仁愛病院を通り過ぎれば、目指す「やまめ堂」だ。だがしかし、「お休み」のふだが冷たく店舗ドアにかかっている。あちゃ。


仕方なく、再びバイパスに出て左折し「伊那市図書館」へ。もしかしたら伊那図書館館長の、平賀研也氏に会えるかもしれない、そう思ったからだ。


■さて、ぼくの感は正しかった。平賀館長さんは確かに伊那図書館にいたのだ。やった! アポなし急遽面会ごめんなさい。


で、ワサブローさんが高遠を訪れた経緯と、来年の6月23日(土)の夕方、信州高遠美術館ロビーで「ワサブロー・シャンソン・コンサート」開催が決定したことを話した。ついでに、来年が「島村利正生誕100周年」であるから、ぜひ記念イベントを企画して下さいと懇願する。

さらに、島村利正の高遠を舞台とした著作『庭の千草』や『仙醉島』『城趾のある町』に記された地籍から、『高遠文学マップ・島村利正編』を「iPad」上で構築できますよ! と僕は話した。


でも、どの程度平賀図書館長さんが興味を持たれたか、まったくわからない。少しでも記憶の片隅に残ってくださればうれしいな。


このブログは、平賀館長さんはたぶん読んでいないだろうから、過去にぼくが島村利正氏に言及したページにリンクを張っておきますね。


「島村利正」がなぜかマイブーム

島村利正の小説に登場する、古きよき高遠の人と街並み

『妙高の秋』島村利正を読む

今月のこの1曲「わたしが一番きれいだったとき」ワサブロー

不思議なご縁の男性シャンソン歌手ワサブローさん。


■伊那図書館から自宅へ戻ると、午後2時半過ぎだった。

いやぁ、ごめんごめん。この日は伊那東部中1年生で、陸上部・長距離班に所属する次男に頼まれて、鳩吹公園近くに設置された「クロスカントリー・コース」をいっしょに走る約束だったのだ。


で、鳩吹公園に着いたのが午後3時過ぎ。もうじき日が暮れる。


ところで、その「クロスカントリー・コース」は何処にあるのだ?


風車がある駐車場に車を停めて、左側から西へ50mほど昇ると看板があり、そこから左へ下って行くと確かに「クロスカントリー・コース」があった。

今年の春に整備されたコースなのだが、この晩秋にでもなると、落葉が全面を覆い、春に散布した「ウッド・チップ」もすっかり蹴飛ばされていて、結局どこが整備されたジョギング・コースなのかぜんぜん判らない状態になっていた。


とはいえ、最近でもこのコースを訪れる人がいるとみえ、落葉に足跡が残ってコースは維持されていたのだった。


全長1km強のコースで、8の字で回れば 1.2km くらいはあったな。三峰川のサイクリング・ロードは吹きっさらしで、冬場は冷たい強風に難儀するのだが、ここの林間コースは不思議とほとんど風がなくてありがたい。


しかし、とにかく「アップ・ダウン」がきつい。最初の1周で、ぼくはバテバテになった。

でも、息子とは「30分は走り続ける」と約束したから、仕方なく走り続けた。4周した。ただ後の2周は、8の字コースではなく、0の字にして、本来は長いキツイ登りになるコースを易々と下って済ませたのだった。ごめんな、ズルして。息子よ。

■そんなワケで、この日は疲れた。


白菜と豚肉を「S&Bおでんの素」で茹で、柚胡椒で溶いていただく鍋を夕食に食べ終わり、アルプスワイン旬醸「コンコード赤」を3杯ほど飲んだので、午後8時すぎにはすっかり酔っぱらって寝てしまい、休み無しの寝不足状態が続いていたこともあって、結局この日は翌朝の午前7時半まで延々と寝続けた。


計算すると、11時間も寝ていたことになる。ほほ2日分だ。


あいや、たまげたぜ。


2011年12月 1日 (木)

木曽郡南木曽町の伝統防寒着「ねこ」

■どうも、木曽郡南木曾町で昔から冬場に着られている防寒着「ねこ」がブームらしい。

先だって、NHK長野ローカルのニュース(というのはどうも勘違いで、11月24日に放送された日テレ『秘密のケンミンSHOW』だったみたいだ。でないと、これほどの品切れ大騒動にはならないはずだし。)を見ていたら、何でも木曽で映画のロケに参加した俳優の役所広司さんが「ねこ」をいたく気に入って、50着だか100着だか注文して東京へのお土産にしたのだそうだ。


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ところで、その「ねこ」ってのは何かと言うと、「はんてん」と「チョッキ」との「あいのこ」みたいなもので、上記の写真のごとく、綿の軽い蒲団を背中に担いだ感じになる。でもこれが、本当に暖かいのだ。半天のボテっとした袖がないので邪魔にならず、しかも軽くて、ぜんぜん「蒲団」を背負っている感じがしない。とにかく、ぬくぬくとホント暖かいのです。


■で、この「ねこ」は何処に行ったら買えるかというと、ベルシャイン伊那店にあります。Lサイズが 2,980円、LLサイズで、3,280円と値段はけっこうします。でも、コストパフォーマンスは抜群! この冬一番の「おすすめ」ですぜ! 


しかし、ネットで見ると先日のテレビ放送以来の大人気で、生産が追いつかず、現在は入手困難の状態らしい。


■さて、昨日の水曜日の午後は、高遠第一保育園で内科健診。みんな元気でよかったよかった。


健診終了後は、園児全員がホールに集まってくれて、ぼくの「絵本タイム」。


<この日読んだ本>

1)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店)
2)『ちへいせんのみえるところ』長新太(ビリケン出版)
3)『さんにんサンタ』いとうひろし(絵本館)
4)『ウラパン・オコサ』谷川晃一(童心社)
5)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)


■そうして、今日の午後は竜東保育園年長組の内科健診。やはりみんな元気。その後、年長組の部屋へ行って絵本を読ませていただく。

<この日読んだ本>

1)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店)
2)『ウラパン・オコサ』谷川晃一(童心社)
3)『子うさぎましろのお話』佐々木たづ・文(ポプラ社)
4)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)


ぼくのトラウマ絵本『ウラパン・オコサ』を読んだ時には、ほんと驚いた!

子供たちって、スゴイね。


最初の説明だけで、瞬時に「その法則」を理解して、ぼくがリードしなくても勝手に数えて「オコサ・オコサ・オコサ・ウラパン」と大きな声で答えてくれなのだ。これにはビックリ!

2011年11月27日 (日)

『いまファンタジーにできること』グウィン(河出書房新社)

■昨日のつづきです。

先週の木曜日は、昼休み園医をしている竜東保育園に出向いて、年少組の内科健診。終了後、子供たちも保育士さんたちも、あっさりと健診終わりました、という雰囲気が漂う中で、ぼくは不自然にまだ園に残り、何となく去りがたそうな感じでいたら、仕方なく思ってくれたのか年配の保育士さんが「先生、もしかして絵本、読んでくれる時間あるんですか?」と言ってくれた。


そうそう、その一言を待っていたのだよ。


という訳で、午後3時のおやつを前に、3つある年少組の子供たちが全員、リズム室に集まってくれた。


<この日読んだ本>

1)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店)
2)『ちへいせんのみえるところ』長新太(ビリケン出版)
3)『ぼくのおじいちゃんのかお』天野祐吉、沼田早苗(福音館書店)
4)『なんでもパパといっしょだよ』フランク・アッシュ(評論社)
5)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)


1)と2)は、子供たちに大受け!
5)のオヤジギャグは子供たちには全く受けず、保育士の先生方には大受けだったよ。

読み聞かせ終了後は、子供たちとハイタッチ!

■さて、いま僕は『ゲド戦記』(本は買ってあるのだが、実は未だ読んでないのです)の著者『いまファンタジーにできること』グウィン(河出書房新社)を読んでいるのだ。面白いなぁ、この本。


例えば、41ページ。『批評家たち、怪物たち、ファンタジーの紡ぎ手たち』の書き出しは、こうだ。


 ある時期、みんながわたしにしきりにこう言っていた。すばらしい本がある。絶対読むべきだ。魔法使いの学校の話で、すごく独創的だ。こういうのは今までなかった、と。


 初めてその言葉を聞いたときは、白状すると、わたし自身が書いた『影との戦い』を読めと言われているのだと思った。この本には魔法使いの学校のことが出てくる。そして、1969年の刊行以来、版を重ねている。だが、それはおめでたい勘違いで、ハリーについての話を延々と聞かされる羽目になった。


最初のうち、そういう経験はつらかった。いささか浅ましい羨望を感じた。けれど、ほどなく、さほど浅ましくはない、単純な驚きが大きくなった。書評家や批評家は、このローリングの本を、前例のない、独特の現象であるかのように語っていた。(中略)


 しかし、本について書くほどの人であれば、読むことについてもいくらかの経験を有しているはずではないのか。<ハリー・ポッター>の独創性を讃えた人々は、この作品が属している伝統にまったく無知であることをさらけだしたのだ。その伝統には、英国のサブジャンル、「学校もの」の伝統だけでなく、世界的な大きな伝統であるファンタジー文学の伝統も含まれる。

こんなにも多くの書評家や文芸評論家が、フィクションの大ジャンルについて、こんなにも知識が乏しく、素養がなく、比較の基準をほとんどもたないために、伝統を体現しているような作品、はっきり言えば紋切り型で、模倣的でさえある作品を、独創的な業績だと思い込む ---- どうしてそんなことになるのだろう? (p42)


それから、167ページ。『メッセージについてのメッセージ』にはこんなことが書いてある。



 子どもやティーンのためのフィクションの批評はたいていの場合、それらのフィクションがちょっとしたお説教を垂れるために存在するかのように書かれている。曰く、「成長することはつらいけれど、必ずやりとげられる」。曰く、「評判というのはあてにならないものだ」。曰く、「ドラッグは危険です」。

 物語の意味というのは、言語そのもの、読むにつれて物語が動いていく動きそのもの、言葉にできないような発見の驚きにあるのであって、ちっぽけな助言にあるのではない (p169)


 フィクションの書き手であるわたしは、メッセージを語ることはしない。わたしは「物語」を語る。(p170)


 フィクションは意味がないとか、役に立たないとか言いたいのではない。とんでもないことだ。わたしの考えでは。物語ることは、意味を獲得するための道具として、わたしたちがもっているものの中でもっとも有効な道具のひとつだ。物語を語ることは、わたしたちは何者なのかを問い、答えることによってわたしたちのコミュニティーをまとまらせるのに役立つ。

また、それは、わたしは何者なのか、人生はわたしに何を求め、わたしはどういうふうに応えられるのかという問いの答を知るのに、個人がもつ最強の道具のひとつだ。(p171)


 理解や知覚や感情という点でその物語からあなたが何を得るかは、部分的にはわたし次第だ。というのは、その物語は、わたしが情熱をこめて書いた、わたしにとって重要な意味を持つものだから(物語を語り終わって初めて、何の話だったかわかるにしても)。

けれども、それは読者であるあなた次第でもある。読書もまた、情熱をこめておこなう行為だ。ダンスを踊ったり、音楽を聴いたりするときと同じように、物語を頭だけでなく、心と体と魂で読むならば、その物語はあなたの物語になる。

そしてそれは、どんなメッセージよりもはるかに豊かなものを意味するだろう。それはあなたに美を提供するだろう。あなたに苦痛を経験させるだろう。自由を指し示すだろう。読み直すたびに、違うものを意味するだろう。


 小説そのほか、子どもたちのために真剣に書いたものを、書評家に、砂糖衣をまぶしたお説教のように扱われると、悲しみと憤りを覚える。もちろん、子どものために書かれた道徳的教育的な本はたくさんあり、そういうものならそういうふうに論じても失うものはない。

しかし、子どものために書かれた本物の文学作品、たとえば『なぜなぜ物語』の「ゾウの鼻はなぜ長い」や『ホビットの冒険』を芸術作品として扱わず、単に考えを運ぶ乗り物として教えたり、評したりするならば、それは重大な誤りだ。芸術はわたしたちを解放する。そして言葉の芸術は、わたしたちを言葉で言えるすべてを超えた高みに連れていくことができる。(p173〜p174)


2011年11月26日 (土)

中日新聞夕刊コラム『紙つぶて』金曜日「知恵熱の記憶」堀江敏幸

■そもそもの始まりは、11月23日に行われた慶応大学「三田祭」でのイベント、杉江松恋、川出正樹、永嶋俊一郎氏による「海外ミステリ鼎談」に参加した人の感想を集めた「ツイートのまとめ」に目を通したことが事の発端だった。


これら現役大学生のツイートを読んでいて、ぼくはもの凄く違和感を憶えたのだ。なに言ってんだ、てめぇ〜ら。てね。


だから、たぶんぼくと同じ居心地の悪さを感じたであろうトヨザキ社長のツイートに、思わず「うんうん」と10回くらい続けて相づちを打ってしまったのだな。それはさらに、トヨザキ社長がリツイートした千野帽子さんの「保守的な俳人とモダンジャズ愛好家をとことん批判する」連続ツイートへと連なってゆく。これはこれで、とっても面白かった。教条主義的な石頭のジャズファンは、おいらも大嫌いだからさ。


■そんな一連のツイートを読んでの、今朝の「中日新聞」だったわけで。長野県版の5面には、昨日の金曜日の名古屋版「夕刊」の記事から連載コラム「大波小波」と「紙つぶて」が載っている。金曜日の担当は、作家の堀江敏幸氏だ。関心があることは不思議とリンクするのか、先日トヨザキ社長が言ってたことと全く同じ発言を堀江敏幸氏が書いていたのでビックリした。


でもたぶん、この堀江氏の文章はネットには掲載されていないだろうから、未許可でここに転載しますね。


<知恵熱の記憶>       堀江敏幸(中日新聞夕刊 11月25日付)


 言葉をひとつ原稿用紙の桝目に書き付けてその文字の形をしばらく見つめ、しかるのちに音にしてみる。次にどんな模様の、どんな響きの言葉が来るのかを考えながら、また同じ作業を繰り返す。私の言葉とのつきあいは昔からずっとそんなふうだったので、はじめになにを書くか、内容を決めることができない。

眼の前で形になりつつあるのは、言葉が重なってできた文章の連なりにすぎないのである。したがって、できあがった一定量の言葉の堆積を特定のジャンルに分けるのは無意味であり、小説や随想や批評としてくくられてしまっては、こちらの身体感覚と合わない。


 批評や創作を志す人たちと接しながら申し訳なさでいっぱいになるのは、自分自身がなにをやろうとしているのか、まさに書きながら考えている最中だからである。それでも「なにか」を書くのは、言葉を重ねていくうちに、あるいは消し去っていくうちに少しずつ高まってくる精神的な微熱に触れることが、大きな歓びだからだ。熱があることにすら気づかずに過ぎていく時間を、貴重なものだと思うからである。


 ただし、こうした感覚の源は、まちがいなく読書にある。自分の知力を超えた本、感性の守備範囲に収まらない本、つまり永遠の幼児のまま未地の言葉に触れ、繰り返し生じる知恵熱を記憶に刻んできた身体が、その再現を望んでいるらしいのである。だから、今日も明日も、読み、書く。私にはそれしかできないから。

2011年11月20日 (日)

不思議なご縁の男性シャンソン歌手ワサブローさん。

■中日ドラゴンズは、日本シリーズ最終第7戦で負けてしまったけれど、落合監督での試合が7回も見ることができたことはファン冥利に尽きるなぁ。


■さて、本場フランスで認められた男性シャンソン歌手「ワサブロー」さんのことは、「2011年1月12日 (水)のブログ」に書いた。

ワサブローさんも自身のブログで「こう」書いて下さった。


でも、それきりだったのだが、つい先だって、11月に入って暫くしてからのことだ。久しぶりにワサブローさんからメールが来た。いまフランスにいるが、来週日本へ帰って、11月11日(金)NHK総合テレビのお昼の番組「金曜バラエティー」に生出演する。収録後の翌日に、30年来の友人財津氏を訪ねて松本へ行くので、折角の機会だから日曜日(11/13)に高遠まで足をのばして、島村利正氏の生家の菩提寺をお墓参りしたい。ついては、北原さんにもお会いしたとのこと。


ただ、11月13日(日)は甲府市立図書館へ絵本を読みに行くことになっていたので、午前10時半には宮脇、倉科パパをピックアップして、ぼくのマツダMPVで中央道を走っている。こりゃぁ無理かなって思ったのだが、ワサブローさんはお友達の財津氏と共に高遠へ向かう前にわが家に寄ってくれたのだ。うれしかったなぁ。


短い時間ではあったが、ワサブローさんの島村利正に対する想いや、いわゆる日本人仕様のシャンソンと、フランス本国の「本物のシャンソン」とが、あまりにかけ離れてしまっていることに、30年経って日本に帰ってきたワサブローさんは気づかされたことを、熱く語ってくれた。


フランス語は三拍子なのだそうだ。だから曲も、その歌詞に載るように三拍子の曲が多い。でもそれを無理して日本語の訳詞にのせるとみな「字あまり」になってしまい、テンポがずれてしまうのだそうだ。


ワサブローさんは、こんなことなら、日本ではなく、ずっとフランスで歌い続けていればよかった。そう思ったこともあったそうだ。そうした時に、島村利正の小説に出会ったんだって。


当日、本来なら僕が高遠の町を案内しなければいけなかったのだが、そういうわけで、高遠の「北原内科」の兄が、快く僕の代理を務めてくれた。島村利正の生家「ヤマザキデイリーストア・カネニ商店」へ案内し、店主の嶋村氏と共に菩提寺の蓮華時へ行って嶋村家のお墓参りをし、華留運(ケルン)で高遠そばを食べたということだった。


その場でふと、同行したワサブローさんの友人、財津氏がこう言った。「島村利正は、1912年生まれだから、来年 2012年は、もしかして島村利正生誕100年になるんじゃないか?」と。いやたぶん、地元高遠町の人間でさえ「その事実」に誰も気が付いていなかったんじゃないかな。


だったら、何とかしようよ!


という訳で、来年の「島村利正生誕100年記念イベント」を個人的にいくつか企画してみる予定です。


とりあえずは、来年の6月23日(土)か、もしくは24日(日)に、高遠信州美術館で「ワサブロー」さんのコンサートを開催することがほぼ決まりつつある。ワサブローさんは、ぜひもう一度高遠に来て、高遠町のみなさんの前でシャンソンを歌いたい、そう仰ってくれたのだ。うれしいじゃないか。


できれば、それに連動して「島村利正の講演会とシンポジウム」を、例えば、『いつか王子駅で』の著者で作家の堀江敏行氏とか、古本愛好家の荻原魚雷氏とか書評家の岡崎武志氏に高遠へ来ていただいて開催できないかなぁなどと夢想している。


ついでに、取りたくて取れなかった「芥川賞」の候補に5〜6回なったことが共通する、島村利正と佐藤泰志を並べて語ったら面白いんじゃないか。ついでに、映画『海炭市叙景』の上映会を高遠町福祉センター「やますそ」でできたら楽しいな。


■いまのところ、確実に開催する方向で動き出したのは「ワサブローさんのコンサート」だけだが、ぼくの個人的な夢でも、こうして公開してしまえば、案外実現に向けて道が開けてくるかもしれないぞ。

2011年11月13日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その85)山梨県甲府市立図書館

■息づまる「日本シリーズ」第2戦をずっと見ていたので、アップが遅くなってしまいました。それにしても、熱烈な中日ファンだって(いや、ファンこそ)あの超強力打線のソフトバンク相手に、しかも敵地で、まさか2連勝するとは思ってなかったよなぁ。


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■今日は、久々に県外での「伊那のパパズ」。甲府市立図書館で僕らを呼んでくださったのだ。ありがたいねぇ。ところが、われわれ伊那のパパズメンバー5人のうち、坂本さんは会議で東京に行ってて欠席。伊東パパは文科省から直に来る研究授業の準備に追われていて残念ながらの欠席。というワケで、今日は宮脇、北原、倉科の3人での「絵本ライブ」となった。


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<本日のメニュー>

1)『はじめまして』(すずき出版)

2)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店) → 北原
3)『ながいいぬのかいかた』 矢玉四郎(ポプラ社) → 宮脇
4)『山んばあさんむじな』いとうじゅんいち(徳間書店) → 倉科

5)『かごからとびだした』(アリス館)

6)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏雄・作(福音館書店) → 北原
7)『へんしんマンザイ』あきやまただし・作(金の星社) → 宮脇
8)『さつまのおいも』中川ひろたか・文、村上康成・絵(童心社) → 倉科

9)『ふうせん』(アリス館)
10)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)


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甲府市立図書館の白木さん、輿水さん。たくさんお土産まで頂戴してしまって、本当にありがとうございました。


■それにしても、終演後に見に来てくれた親子づれの方から「いっしょに写真を撮らせてください」とのリクエストがあるとは思わなかったな。なんか有名人にでもなった気分。初めての経験だよ。あと、『小児科医が見つけた えほんエホン絵本』を持参された、長年地元甲府で絵本の読み聞かせ活動をされてきたベテランの近藤さんから「ご著書にサインを」とリクエスト。いやぁ、まいったなぁ。共著ではあるけれど、下手な字で大きくサインさせていただきました。ほんと、ありがとうございました。


2011年11月 8日 (火)

今月のこの一曲 「Estate」安次嶺悟トリオ

■なにもこの時期に「夏のうた」を取りあげなくてもいいだろう、そう思うでしょ。 でも、「いま、ここ」で僕の中では「夏のうた = Estate(エスターテ)」なのだった。 111108 僕が初めて「この曲」を耳にしたのは、確か倉敷でだった。なんとかスクエアーから少し行った所にあったブティック2階のジャズ喫茶。記憶では倉敷で泊まった憶えはないから、たぶんあの日は土曜日で、ぼくは映画館のオールナイト営業で翌朝を迎えたのだろう。大学生の頃は、金はなかったけれど、体力と時間だけはあったからね。 1970年代中半の「硬派ジャズ喫茶」はどこも斜陽だった。だから、夜はお酒を提供し、スピーカーのボリュームも落として、客の会話のじゃまはしない「カフェ・バー」の走りが各地に生まれた。あの倉敷の店も、まさにそんな感じだった。ちょっと軽い雰囲気のマスターが、カウンター席に陣取る常連客にこう言ったのだ。 「もうジャズはダメだね。これからは、アダルト・コンテンポラリー・ミュージックの時代さ!」 そうして彼がターンテーブルに載せたレコードが、ジョアン・ジルベルトの『イマージュの部屋』A面だった。1曲目は「ス・ワンダフル」。ヘレン・メリル with クリフォード・ブラウンでの名唱で有名なジャズのスタンダードを、ジョアンは英語で気怠くやる気なさそうに歌う。で、2曲目が「エスターテ」。イタリア語で「夏」という意味の哀愁に満ちたバラードを、ジョアンは今度はイタリア語でとつとつと、切なくやるせなく歌っている。しびれた。


YouTube: JOAO GILBERTO - ESTATE (BRUNO MARTINO)

3曲目に「チンチン・ポル・チンチン」をポルトガル語で軽快に聴かせ、4曲目が「ベサメ・ムーチョ」。これはスペイン語で歌っている。これまた哀切感に溢れた歌声。旅から帰ったぼくは直ちにレコード屋さんに走り、このレコードを購入したのだった。1980年のことだ。


YouTube: Michel Petrucciani Trio - Estate

■1981年にフランスのマイナーレーベルから初リーダーアルバム(赤いジャケットに大きすぎる帽子をかぶった子供?いや実は本人のモノクロ写真が印象的だ)を出し、世界中のジャズファンの度肝を抜いた、天才ジャズ・ピアニストのミシェル・ペトルチアーニが、1982年に発表したセカンド・アルバムが、この『ESTATE』。名演である。


YouTube: Estate - Satoru Ajimine Trio

■そして最後の「ESTATE」は、大阪を中心に活動するジャズピアニスト、安次嶺悟(あじみね・さとる)の遅すぎたデビューCD『FOR LOVERS』からの7曲目。これがまた実にいい。 2009年末、限定1000枚で発売されたこのCDは、彼の地元大阪を中心に口コミで評判を呼び、瞬く間にソールドアウトしたという。噂を聞きつけた全国のジャズファンからの再発を求める熱い要望に答えて、今年の9月に再プレスされ再び市場に出た。ぼくはこのCDのことを、今はなき「ジャズ専門店ミムラ」のブログで知ってからずっと探していて、ようやく入手できたのだった。 地味ではあるが、上品で端正で、確かなテクニックと歌心にあふれた繊細なタッチ。実にすばらしい。 アップテンポの曲では、終板のブロック・コードを多用したドライブ感、浮遊感が何とも気持ちいいのだが、それ以上にバーラード系の曲をじっくり弾かせたら絶品で、深夜一人でしみじみ聴くにはマストアイテムだ。例えば3曲目の「And I Love Her」。ビートルズの有名曲を思い切りスローに情感を込めて弾いている。あれ? こんな感じの曲だったっけ、と思ってしまう。そして「ESTATE」。これ、もしかしてペトルチアーニ盤よりもいいんじゃないか?

2011年10月30日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その84)箕輪町上古田保育園

■今日は、箕輪町上古田保育園の父親参観での「伊那のパパズ絵本ライヴ」。

上古田地区は天竜川から見て西の端に位置し、中央アルプス山麓に広がる「赤そばの里」で有名なところだ。午前10時現地集合ということだったので、ぼくはちょいと早めに家を出た。車に荷物を積んでエンジンをかけ、ナビに「箕輪町おごち保育園」を登録。


あれ? 実はすっかり勘違いしていて、今日行くのは「おごち保育園」だと勝手に思い込んでいたのだ。同じ箕輪町にある保育園だが、場所は天竜川を挟んで東と西で極端に離れている。


午前10時前、ゴールのずいぶん手前で「目的地周辺です。気をつけて御走行下さい」とナビが言ったきり黙ってしまったので、結局は道を何回か間違えたすえ、ようやく「おごち保育園」に到着。でも、やけに静かだ。車が一台も停まっていないぞ。なんか変だな? あれ?? そこで初めて会場を間違えたことを理解した。

ときどき、こうゆう間違いをやらかすんだよなぁ、俺。


あわててUターンし坂を下って天竜川を渡り、今度はずんずん坂を上って山際まで。開演10分前になって上古田保育園に到着。よかった間に合った。ふぅ、あぶないあぶない。


<本日のメニュー>

1)『はじめまして』(すずき出版)

2)『くだものなんだ』きうちかつ(福音館書店) → 伊東
3)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館) → 北原
4)『わがはいはのっぺらぼう』富安陽子・文、 飯野和好・絵(童心社) → 坂本(〜のであーる。が楽しい!)

5)『かごからとびだした』(アリス館)

6)『ながいいぬのかいかた』 矢玉四郎(ポプラ社) → 宮脇
7)『山んばあさんむじな』いとうじゅんいち(徳間書店) → 倉科(逆に小さめの声で読む倉科さんに、子供たちは身を乗り出してずんずん集中して行ったんで驚いたぞ)


8)『ふうせん』(アリス館)
9)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)


おとうさんたちへの刺激になってくれたかな。だったらいいな。

2011年10月24日 (月)

アラン・シリトー『漁船の絵』を読んだ

■『長距離走者の孤独』アラン・シリトー著、丸谷才一・河野一郎訳(集英社文庫)を読んでいる。昨日は「アーネストおじさん」を読んだ。哀しいはなしだ。


第一次世界大戦に出征して、その時の体験のPTSDをずっと引きずったまま、何の生きる目的も希望もない中年男アーネスト。妻は呆れて家を出て行き、兄弟親戚からも見捨てられた孤独で淋しい男だ。ある日のカフェで遅い朝食をとっていた彼の席に、二人の幼い姉妹が同席する。無邪気を装ったしたたかなガキども。でも彼には自分の娘のような、生きる希望の天使に見えてしまったのだな。でも、現実はあまりに残酷だった……


「アーネストおじさん」というと、ぼくは即座に、ベルギーの絵本作家ガブリエル・バンサンの代表作「くまのアーネストおじさんとネズミのセレスティーヌ」のシリーズを思い浮かべてしまう。孤独な中年男のアーネストに拾われた、おてんば少女ねずみのセレスティーヌ。この二人が慎ましく生活する物語だ。もしかして、ガブリエル・バンサンはシリトーの「アーネストおじさん」を読んでいて、あまりに不憫に感じて「くまのアーネストおじさん」のシリーズを作ったのではないか? ふと、そう思った。

まんざら外れてはいないんじゃないか。


■さて、野呂邦暢氏が絶賛していた『漁船の絵』のこと。


先に読んだ「長距離走者の孤独」とはずいぶんと文章のタッチ、スピード感が違っていてまずは驚いた。先だってのロンドン暴動を彷彿とさせる、まだ10代の怒れる青年の語りと、50過ぎのしがない中年男の回想録では、おのずと文章は異なってくるものか。


以下、先日の僕のツイート。


●『長距離走者の孤独』アラン・シリトー著、丸谷才一・河野一郎訳(集英社文庫)より、ようやく「漁船の絵」を読了した。これ、凄いぞ! わずか32ページの短篇なのに、情けなくやるせない、不器用でもどかしい、その場の空気を読むこともすっかり忘れてしまって、ダメダメな展開に陥った元夫婦の物語(10月23日)


●なんかね、身につまされるんだ。『漁船の絵』。例えばこんな記述。

「ふーん」と、おれはいった。気持ちを隠したいときには、いつも「ふーん」というのだ。でも、これは安全な言葉だ。「ふーん」というときは、いつだって、もう他の言葉は出てこないからな。(129ページ)


●(続き)それにしても、この主人公の郵便配達夫。切なすぎるぞ。バカだ。お前!

「でも、真夜中に、寂しくってやりきれないときでも、自分のことはちょっぴり、キャスパー(元女房)のことはたっぷり、おれは考えた。おれが苦しんだよりもずっとひどい苦しみ方をあいつはしたんだ、ということが判った」(137ページ)

■以下、本文より少しずつ抜粋。


 二十八年間、郵便配達をしてきた。(中略)結婚したのも二十八年前だ。(中略)おれといっしょに暮らして、あいつは最初からしあわせじゃなかった。それに、おれだってそうだった。あいつの知ってる人がみんな ----- たいていは家族の者だ ----- 何べんも、おれたちの結婚は五分間しかつづかないといった(中略)


 でも、おれたちの結婚は、みんなが予言した五分間よりはつづいた。六年間つづいたんだ。おれが三十、むこうが三十四の年に、あいつは出て行った。(中略)


 あいつがかけおちしたペンキ屋というのは、テラスの向こうにある家に住んでいたのだ。(中略)近所の連中は、一年くらい前から二人があやしかったという話しを、おれに聞かせたくてたまらない様子だった ----- もちろん、かけおちが終わってからだ。あいつらがどこへ逃げたのか、誰ひとり知らなかった。たぶん、おれが追いかけてゆくと思ってたんだろう。でも、そんな考えは一ぺんだって思いつかなかったな。だって、どうすりゃあいいんだ。男をぶん殴って、キャスティーを、髪をつかんで引きずって来るか。やなこった。


 こんなふうに、生活ががらりと変わっても、いっこうに平気だったなんて書けば、そりゃぁもちろん嘘になる。六年間も同じ家に暮らした女なら、たとえどんなに喧嘩ばかりしていたって、やはり、いなくなれば寂しい。それに ----- おれたち二人には、やはり楽しいときもあったんだし。(中略)

 慣れてみると、こういう暮らしもまんざらじゃなかった。ちょっぴり寂しかったが、すくなくとも落ちつけたし、まあ、なんとなく月日がたった。(中略)


 十年間、こんな具合さ。あとで知ったことだが、キャスティーはペンキ屋といっしょにレスターに住んでたのだそうだ。それからノッティンガムに戻ってきた。ある金曜日の晩 ------ 給料日だから金曜日だ ------ おれを訪ねてきた。つまりこれはあいつのとって、いちばんいい時間だったわけさ。(中略)


 あいつは戦争中、毎週木曜日の晩に、だいたい同じ時間にやって来た。天気の話や、戦争の話や、あいつの仕事やおれの仕事のこと、つまりあまり大事じゃないことを、おれたちはすこしばかりしゃべった。おれたちはしょっちゅう、部屋のなかの離ればなれの位置から炉の火を眺めながら、長いあいだ椅子に腰かけていた。(中略)


 あいつはいつも同じ茶いろのオーバーを着ていたが、それがぐんぐんみすぼらしくなっていった。そして帰るときにはいつも、きまって、二シリングか三シリング借りていった。(中略)あいつを助けてやれるのは嬉しかった。それに、他に誰ひとり助けてやる人はいないんだからな、と自分で自分にいいきかせたものだ。住所を訊いたことなんか一度もなかった。もっとも、あいつのほうで一ぺんか二へん、今でもスニーントンのほうにいるような話をしたことはあった。(中略)


 やって来ると、あいつはきまって、サイドボードの上の壁にかかってる、あの艦隊の生き残りの漁船の絵を、ときどき、ちらっちっらっと見た。そして、何度も、とてもきれいだと思うとか、ぜったい手放しちゃいけないとか、日の出や船や女が実に真に迫っている、とかいい、すこし間を置いてから必ず、自分のものにして持っていたらどんなに嬉しいだろう、と謎をかけたけれど、それをすればけっきょく、質屋ゆきになることが判っていたから、おれは何もいわなかった。(中略)


 しかしとうとう最後に、はっきり、絵がほしいと切り出したし、それほど熱心なら、断る理由はべつになかったのだ。あいつがはじめてやってきた六年前のときのように、おれは埃をはらい、何枚かのハトロン紙に丁寧に包み、郵便局の紐でゆわえて、くれてやった。(中略)


 たいていの奴は、おれに判りはじめたことが判っちゃいねえ。それにしても、判ったってどうしようもないころになって、やっと判るなんて、おれはひどく恥ずかしい。(中略)


 ところがここまで来ると、真っ暗な闇のなかから晴れやかな考え方が、鎧を着た騎士みたいにあらわれてきて訊ねる。もしお前があの女を愛していたのなら ------ (もちろん、おれはものすごく愛していた) ------ もしそれが愛として思い出すことのできるものなら、そんならお前たち二人にできるのは、ただあれだけのことだったのだ。さあ、お前は愛していたか?(『漁船の絵』より抜粋)


■この郵便配達夫は、24歳で結婚して、それから28年間生きてきたワケだから、これを書いている「いま」は 52歳ってことか。なんか、しみじみしちゃうなぁ。俺、いま53歳。この郵便配達夫にすっごく似ている男だ。僕もよく女房に言われたものさ。



「あなたって、興奮すること、決してなかったわね、ハリー」
「うん」
とおれは正直に答えた。
「まあ、なかったな」
「興奮すればよかったのに」
 と、あいつは変にぼんやりした調子で、
「そしたら、あたしたち、あんなことにならなくてすんだのに」(120ページ)


■読み終わっても、いつまでも心の片隅に住み着いてしまって、忘れることのできない小説がときどきある。


最近では、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』がそうだった。ふと気が付くと、小説の主人公のことを考えていた。そうして、いましばらくは『漁船の絵』を一人語りした中年男がぼくに取り憑いてしまって離れないのだった。


ふと思い出したのは、成瀬巳喜男の代表作『浮雲』だ。腐れ縁の男と女。本当はもっと明るい未来が待っていたに違いない女が、戦時中の南洋で妻子ある男とデキてしまった。戦争が終わって、その男が女に会いに来た。拒めばいいのに女はズルズルと、その男と底なしの泥沼にはまってゆく。落ちに落ちて、彼女の終焉の地は屋久島だった。


この映画では、女がどうしようもなく馬鹿だが、この小説「漁船の絵」では、男がどうしようもないお人好しでバカだ。もう、イライラしてしまうじゃないか。ほんと、もう!


そう思ってしまうのも、この男がとても他人とは思えないからだ。ぼくが彼の立場だったら、きっと同じ行動を取るに違いないからね。


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