2012年1月13日 (金)

フェルメールと小津安二郎

■今夜は伊那中央病院での救急当番の日。

重要な会合がある医師会長に代わっての代行だったので、いつもの2時間ではなく、午後10時までの3時間勤務。正直長くて辛かった。でも、案外ひまで、持っていった本を数冊、少しずつ読むことができてラッキーだったな。


持っていった本は、


・『フェルメール全点踏破の旅』朽木ゆり子(集英社新書ヴィジュアル版)
・『家郷のガラス絵 出雲の子ども時代』長谷川摂子(未来社)
・『親鸞』阿満利麿(ちくま新書)
・『黄金の丘で君と転げまわりたいのだ』三浦しをん・岡元麻理恵(ポプラ社)


■17世紀のオランダの画家フェルメールの「全作品」は、ウエブ上でも見ることができる。

(つづく予定)

2012年1月11日 (水)

渋谷道玄坂「ムルギー」追補と『なずな』の追補

■いまから30年以上前に、ずいぶんと通ったのだ、渋谷道玄坂『ムルギー』。


その当時のことと、久し振りに再訪した時のことは「2003/03/02 ~03/08 の日記」に書いてあります。あの、『行きそで行かないとこへ行こう』大槻ケンヂ(学研版)は、高遠「本の家」で見つけて 100円で入手したはずなのだが、いまちょっと見つからないのが残念。


文庫では「カレー屋Q」の「ゴルドー玉子入り」となっているが、学研版では確かに「カレー屋M」の「ムルギー玉子入り」と書かれていたよ。


探してたら、あった、あった。学研版。


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 ■上の写真をクリックすると、拡大されて読み易くなります。


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■写真はダメだが、文章だけまだ残っている、島田荘司氏 の「道玄坂ムルギー」はいいなぁ。

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■『なずな』堀江敏幸(集英社)に関しては、「まどみちお」の詩に触れない訳にはいくまい。


254ページに載っている『ぼくはここに』という詩は、わが家にある「ハルキ文庫版」と「理論社ダイジェスト版」には載っていなかった。たしかに、この詩は深いなぁ。


次の「コオロギ」(p323)もすごいけど、ぼくは「ミズスマシ」(p380)に一番驚いた。

ミズスマシと言えば、その昔、長野オリンピックの時に当時の長野県知事吉村午良氏が、ショートトラック競技を評して「ミズスマシ」が回ってるみたいなもんだ、と言ったことが印象に残っている。

そう、ミズスマシはあくまで平面の二次元世界に生きている。普通はそう考える。


ところが、詩人は違うのだな。


「点の中心」は、タイムトンネルの中心みたいに、三次元的に、宇宙のビッグバン的に、どんどんどんどん自分から遠ざかっているのだ。これは、思いも寄らなかった視点だ。


著者の堀江敏幸氏も、東京新聞のインタビューに答えて「こう言っている」


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■それから、以下は『なずな』に関してツイッターのほうに断続的に呟いたことを一部改編して、facebookのほうにまとめたものです。多重投稿でごめんなさい。


堀江敏幸『なずな』(集英社)を読んでいる。いま、388ページ。もうじき終わってしまう。それが切ない。ただ繰り返し繰り返しの単調な毎日なのだが、掛け替えのない「時・人・場所・関係性」を、確かに僕らにもたらした。それが「子育て」だったな。ほんと、子供はあれよあれよと大きくなる。特に、おとうさん! この瞬間を大切にしてほしいと、切に願うのだった。


小説『なずな』を読みながら、不思議と、ありありと目に浮かぶし、おっぱいやウンチの甘酸っぱい臭いもリアルに感じることができる。例えばp40。そうそう、赤ちゃんて眠りに落ちて脱力すると、突然、重くなるのだ。すっかり忘れていたよ。


小説『なずな』を読んでいて、ビックリしたところがある。主人公は、ジャズ好きの弟に頼まれて、生後2ヵ月半の赤ちゃんに、コルトレーンの「コートにすみれを」「わがレディーの眠るとき」を子守歌として聴かせる(p302)。さらに「あの」スティーヴ・レイシーを聴かせているのだ。(p60、p302、p389) しかも、驚くべきことに、案外これが「うまくいっている」というのだ。驚いたな。なに聴かせたのだろ? 


すっごく久し振りに「スティーヴ・レイシー」のレコードを集中して聴いてるが『REFLECTIONS steve lacy plays thelonious monk』(new jazz 8206) が一番いいんじゃないか、やっぱり。でもまだ『森と動物園』を聴いてないのだが。


で、いま、ハットハット・レーベルの『Prospectus』LPA面を聴いているのだが、少なくとも僕は、いや、日本全国各地に住むお父さん誰一人として、自分の赤ちゃんに「スティーヴ・レイシー」を聴かせようとは思わないだろう。


だから、なぜ、今どき「スティーヴ・レイシー」なんだ??
ぼくには判らない。直接作者の堀江敏幸氏に訊くしかないのか。



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2012年1月10日 (火)

おせちも飽きたらカレーだね!

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■「ほぼ日刊イトイ新聞」の「カレー特集」がじつに面白い。読んでいて、ただちにカレーが食べたくなる。「第8回」で、カレー番長の水野さんが言っているが、それぞれこだわりの「カレーの作り方」があるけど、それって「ほとんど儀式的なものなんですよ」と。なるほどな、そのとおりだ。

という訳で、日曜日の夕食は、お父さんが得意の「カレー」と相成った。で、次男を連れて伊那の「アピタ」に買い出しに行ったわけだ。基本、新宿中村屋の「インドカリー」が好きな家族なので、その線のカレールーを探していたら、そのものズバリの「こだわりのインドカリー・ペースト(中村屋)」があった。で、2箱買って帰った。


ぼくのカレー作りの基本は、タマネギ炒めだ。一人1個のタマネギを使う。つまりは、家族4人分のカレーを作るとしたならば、タマネギは4個みじん切りする。で、タマネギが飴色になるまで、1時間くらいかけて延々と炒めるのだ。さらにもう1個、これは大きめにスライスして軽く炒め、そこそこ煮込んだ後でジャガイモとともに加える。


そうして完成したのが上の写真。肉は鶏手羽元、一人2本。ゆで卵を添えて、渋谷道玄坂ムルギーの「たまご入りカレー」を真似て、ご飯をヒマラヤ山脈みたいに盛ってみました(^^;;

2012年1月 7日 (土)

『なずな』堀江敏幸(集英社)を読む(その2)

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■毎日こどもと接している小児科医であるにも係わらず、この小説に登場する赤ちゃん「なずな」の描写を読みながら、ぼくの長男が2ヵ月半だった頃のことを妙にリアルに思い出していた。その息子も、いまや中学3年生。あっという間だったなぁ。


例えばこんな描写がある。


両手は顔の横に半開きの状態で置かれていた。指の一本一本が、指と指のあいだの影が、いつもよりくっきりと見えるのはなぜだろう。似ているようで似ていない。似ていないようで似ている。閉じられたまぶたの細い皺までが、なぜか胸を打った。赤ん坊というのは、こんなにやわらかく目を閉じられるものなのか。力が入っているのかいないのか。なにものをも拒まない閉じ方だ。光さえも、声さえも……。(『なずな』堀江敏幸・著、集英社 4ページより)


それから、ここ。

なずなは飲む。飲んでくれる。心配になるくらいに飲む。どんどん飲む。うどんどんどんだ。あっというまに飲み干したと思ったら、ぺんぺん草の手足からくたんと力が抜けて、もう目がとろとろしはじめている。ミルクのぶんだけ身体が重くなり、眠くなったぶんだけどこか大気中からもらったとしか思えない不可思議な重さが、こちらの肩に、腕にのしかかる。

哺乳瓶を置いてまっすぐ縦に抱きなおし、肩よりうえに顔が出るようにして、背中をそっと叩いた。励ますように、祈るように、静かに叩き続けた。(中略)五分、十分。なにも考えず、てのひらでなずなの背中に触れる。どんな顔をしているのだろう。こちらから彼女の表情を確かめることはできない。気持ちがいいのかよくないのか。起きているのか眠っているのか。反応のなさに不安になりかけた頃、耳もとで、がっ、と小さく湿った空気の抜ける音がした。(40〜41ページ)


あと、ここもいいな。

洗い終わったらガーゼケットで身体を包んで、いっしょに湯船につかる。なずなはまだこちらを見つめて、目をそらそうとしない。しばらくすると、丸く開いたさくらんぼのような口から、ほう、という声が漏れ出て、ユニットバスの壁に跳ね返った。ほう、と私も返事をする。もう一度。もう一度、ほう、と言ってくれないか。しかし彼女は、やわらかい肌だけでなく瞳まで湿らせて、満足そうに、ぼうんやりこちらを見あげるばかりである。(98ページ)


水筒のお湯を使ってミルクを作る。口もとに持って行くまでの時間のほうが、ミルクの吸い込まれる時間よりもながくなった気がする。真っ白な顔にどんどん赤味が差し、満足したところで、爆音とともにまた一連の儀式がはじまる。すべてすっきりさせると、私も丁寧に手と顔を洗い、無精髭を剃り、つるつるにした状態で、なずなにそっと頬ずりした。

頬を寄せるなんて、人間にとっては最高の贅沢ではないか。向き合う努力と苦しみを乗り越え、真横に密着して、おなじ方向をながめることのできるたったひとつの姿勢。(322〜323ページ)


■この堀江敏幸氏の文章がじつに心地よい。不思議な懐かしさがある。それから、読者の五感を刺激するのだ。赤ちゃんの身体が発するミルクのにおい。下痢したときの、ちょっとすっぱいウンコの臭い。お尻のぷよぷよとした弾力。何かを訴えるように必死で泣き続けるその声と涙。


信州大学小児科学教室に入局させていただいた最初の日に、当時の医局長だった塚田先生からこう訓辞を受けた。「小児科医は、自分の子供を育ててみてはじめて一人前の小児科医になれるのです」と。


あの頃は、その言わんとする意味が、なんだかよく判らなかったが、富士見高原病院医局で夜遅くまで内科の先生と駄弁ってからようやく帰宅すると、夜泣きの酷い長男をおんぶした妻が、疲れ切った顔で暗く出迎えた「あの晩」のことを思い出すのだ。当時はまだ「父親としての自覚」がぜんぜんなかったなぁ。ごめんなさい。偉そうなこと言ってても、実は半人前の小児科医だったのだ。いや、いまだにそうかもしれない。


■こどもの親になる、ということはどういうことか? その解答が「この本」に書いてある。


 人は、親になると同時に、「ぼく」や「わたし」より先に、子どもが「いること」を基準に世界を眺めるようになるのではないか。この子が、ここにいるとき、ほかのどんな子も、かさなって、いることは、できない。そしてそれは、ほかの子を排除するのではなく、同時にすべての「この子」を受け入れることでもある。マメのような赤ん坊がミルクを飲み、ご飯を食べてどんどん成長し、小さなゾウのようになっていく。そのとき、それをいとおしく思う自分さえ消えて、世界は世界だけで、たくさんのなずなを抱えたまま大きくなっていくのではないか。(256〜257ページ)

「(前略)生後二ヶ月の子どもの肺なんてまっさらの消毒済みガーゼより清潔なんだから、どうせ汚すのならいい汚れにしてあげないと」

 いい汚れ、という言葉に心地よい驚きを感じて、震えがおさまっていくような気さえする。汚れにいいも悪いもない、汚れは汚れであって、落とせるものは落とし、落とせないものはそのまま放っておくか捨てるかのどちらかでいい。私はそんなふうにしか考えてこなかった。(7ページ)


おいしい弁当を食べ、珈琲を飲み、甘いものを食べて、赤ん坊の排泄物を処理する。世のお父さんお母さんは、みなこうして、きれいきたないの区別の無意味を悟るのだろう。なずなの発した芳香は杵元の私の部屋でのように籠もることもなく自然の風に流れていく。(436ページ)


■このあたりの感覚を、現役「イクメンパパ」である高橋源一郎氏がうまいこと「連続ツイート」してる。


それから、ジャズに詳しい方の「こちらの感想」もじつに要を得ているな。


こんなふうに考えると、この作品は映画にうってつけの
ような気がしてくる。
友栄さんは深津絵里、美津保のママは松坂慶子で
決まりでしょうね。
どなたかぜひ映画化を!


なるほど確かに友栄さんは深津絵里、美津保のママは松坂慶子だ。


■すごくリアルで私小説みたいに写実的な小説ではあるのだが、ぼくは正直、この小説世界は「ファンタジー」だと思う。その意味では、震災後に放送されたNHK朝ドラ『おひさま』に似ている。悪人は一人も登場しない。そうして、周囲の人々がヒロイン「陽子」と接することで幸せになるのだ。


それは「なずな」を囲む人々にも言える。


要するに、基本は「近くにいる」ということではないか。遠く離れていても、心と心がつながっていさえすればよいという人もいる。遠距離恋愛、単身赴任、別居婚。(中略)

 いつも近くにいて顔を見るだけで感じられることが、離れているとできない。電気信号ではなく、空気の振動で伝わる生の声や気配だけで、支えられることもあるのだ。(163ページ)


「なずなちゃん、周りにいる人をみんな親戚にしちゃうみたいですね」(266ページ)


血のつながった家族であろうとなかろうと、人は人とつながって生きていくしかない(341ページ)


こんなふうに、彦端の親父の背中に触れたことがあっただろうか、と不意に思った。親父どころか母親の背中にも、肩にも、手にも、最後にいつ触れたのか思い出せない。人に触れるという感覚を、私はなずなのおかげではじめて知ったことになるのかもしれない。(352〜353ページ)


「(中略)離れているより、ひっついていたほうがいい。子どもでも女房でも、いっしょにいたほうがいいんだ。赤ん坊は人を集める。そういう力がある」(359ページ)


■何が言いたいのかというと、つまり「この主人公と赤ん坊のなずな」は、世間(世界)に対して「外に開いている」ということだ。彼らの周囲にには、危なっかしい主人公をほっておけない「他人」がいっぱいいる。ここが重要だと思う。


近々読む予定の『マザーズ』金原ひとみ(新潮社)とは、対極にあるような「この小説」は、こうあってほしいという著者の「希望」に満ちている。いや、もうほとんど「祈り」と言ってもいいかもしれない。


赤ちゃんて、可愛いよ。子育てって掛け替えのない経験だよ。作者は、まだ独身の子供にはぜんぜん興味のない男子や女子に、それからまた、子育てにちょっと疲れたお父さんお母さんに「そう」伝えたかったのではないか。

この小説が書かれたのは、3.11. の前だが、明日の見えない右肩下がりのいま、乳飲み子を抱えて「内に内にただ閉じてゆく」母親と父親にこそ読んで欲しいと切に願う。


2012年1月 2日 (月)

『なずな』堀江敏幸(集英社)を読んでいる

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■年末から『なずな』堀江敏幸(集英社)を読んでいたら、124ページ、142ページに思いがけず僕の大好きな絵本のことがでてきた。うれしいじゃないか。


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このマンロー・リーフの『おっとあぶない』『けんこうだいいち』渡辺茂男・訳は、最初は学研から出ていて、ぼくもブックオフで見つけて購入したのだが、確かに「白い表紙」の絵本だった。先ほど、この絵本が置いているはずの待合室の本棚を探したのだが、どうしても見つからないので、しかたなく、フェリシモから復刻されたほうの絵本を写真に撮りました。


でも、絵本作家マンロー・リーフといえば、花の好きな牛「ふぇるじなんど」が主人公の『はなのすきなうし』(岩波子どもの本)でしょう。もしかして、このあと小説に出てくるのかな?


ところで、あまり注目されていないのが不思議なのだが、この『なずな』の装丁は、なんと著者の堀江敏幸さんなのだ。クレヨンで子供がいたずら書きしたみたいな感じなのだが、すっごくいい。


この「著者自装」って、案外ありそうでいてそうはない。


ぼくが知っているのは、村上春樹『ノルウェーの森』(上・下巻)ぐらいかな。


■この小説『なずな』は、読みだしていきなり事件で始まる。状況が判らない読者はええっ?とビックリする。というのも、40代半ばの独身中年男が、ある日突然、生後2ヵ月半の乳児(女の子。名前は「なずな」)を一人で預かって育てるはめに陥るのだ。つまり、今で言うところの「イクメン」小説なのですね。


主人公が、どうして「そういう」境遇に陥ったのかは、読み進むうちに少しずつ少しずつ明かされてゆく。


現役小児科医が読者として読みながら注目した点は、ヒロイン「なずな」の年齢を、2ヵ月半に設定したことだと思う。これは絶妙だな。生まれて1ヵ月以内の赤ちゃんは、正直いって人間というようりも「うんち、おしっこ、おっぱい、ねる、泣く」を繰り返す動物だ。しかも、天上天下唯我独尊の世界で、おっぱいを与えるお母さんは、ほとんど一方的に奉仕させられるだけの召使いみたいなものだ。


でも、首がすわって、3〜4ヵ月健診に来る頃の赤ちゃんは全然ちがう。「母と子」の関係性が出来上がっていて、親子の愛着の絆の基礎がすでに出来上がっているのだ。


それまでの中間点である「2ヵ月半」というのは、微妙な月例だ。体重は5〜6キロとどんどん大きくなるが、夜中も3〜4時間ごとにおなかを空かせて泣くし、まだまだ新生児に近いんだけれど、母親の顔をじっと見つめて「にこっ」と笑ったりもする。つまりは、コミュニケーションの基礎である「応答」を求めているのだ。


■ところで、この主人公が暮らす地方都市「伊都川市」というのはたぶん、著者が生まれ育った岐阜県多治見市か、それとも中津川市のことだろうか。そうなると、高速道路から分岐する環状線とは、土岐ジャンクションから伸びる「東海環状自動車道」のことを指す。となると、インターチェンジ近くの巨大ショッピングモールとは、「土岐アウトレット」のことに違いない。


そうなると、風力発電の建設予定地はどこになるのか、いろいろと想像するのも楽しい小説だな。


読みながら感じることは、なんかとっても心地よいということだ。主人公を取り巻く人間関係が、なんかほのぼのとしていて暖かい。前に読んだ同じ著者の本『いつか王子駅で』(新潮文庫)と共通する懐かしさ、居心地のよさがある。悪人は誰一人登場しない。読みながら、そういう確信はある。


主人公と赤ちゃんを支える、小児科開業医も登場する。ジンゴロ先生だ。これまた愛すべきキャラに描かれていて、なんかうれしい。


2011年12月31日 (土)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!(その2)

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■翌日は、大槌町から釜石を通過し、さらに南下して陸前高田へ。

陸前高田には全国的に有名な「日本ジャズ専門店・ジャズ喫茶ジョニー」があった。日本のジャズにとことんこだわった照井顕、由紀子ご夫妻の店だ。ぼくが訪れたのはお昼ころだったか。ジャズ喫茶といっても食事もできる。ダジャレばかり言うマスターと、素敵なママが歓待してくれた。うれしかったなあ。スピーカーも日本製の名器、ヤマハNS1000。


ジョニーという名前は、五木寛之の短編小説『海を見ていたジョニー』からきている。だから、同名タイトルで陸前高田ジョニーでライブ録音された坂元輝トリオの演奏を「Johnny's Disk Record」という自主レーベルでレコード化した。ぼくも陸前高田から郵送してもらって購入したのだった。レコード解説を、なんと五木寛之が書いている。「縄文ジャズ」とはうまいこと言うなぁ。


当時、東北(特に岩手県)のジャズ文化は、日本の他の地域とは違って、独特の結束力でもって平泉の藤原氏のごとく絢爛たる栄華を誇っていたのだ。


この日は、白い砂浜に樹齢300年を超える約7万本の松が続く「高田松原」の中にあった
「陸前高田ユースホステル」
に泊まった。ほんと、ユースホステルらしいユースホステルだったなぁ。現在の姿が「Wikipedia」にあった。あの「1本松」のすぐ側に建っていたのか。


「陸前高田ジョニー」も、3.11 のあの日、オーディオもレコードもお店も、すべてが津波に流された。


震災後、ジョニーがどうなってしまったのかすっごく心配してネットで検索したら意外な事実が判明した。照井顕、由紀子ご夫妻は 2004年に離婚し、ご主人は陸前高田を離れ、盛岡で「開運橋のジョニー」を経営。奥さんの由紀子さんが「ジャズ喫茶ジョニー」を引き継いだのだった。


「Johnny's Disk Record」の1枚目はベース奏者中山英二さんのレコードで、「彼のブログ」に陸前高田のジョニーの現在のすがたが載っていた。


そうか、よかった! 店は流されたけれど、ママさんは助かったのだ。しかも、この9月から仮設店舗で営業を再開したとのこと。さらに、ジャズ・ライブも再開。ガンバレ! ジャズ喫茶ジョニー。


さらに、大槌町「クイーン」も津波にすべを流された。マスターの佐々木賢一さんと娘さんは逃げのびたが、奥さんは波にさらわれて亡くなってしまったという。悲しい。

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■旅の終わりは、ジャズ喫茶の聖地、一関「ベイシー」。前日は花巻の駅で寝袋にくるまって寝たのだが、出してた顔だけあちこち蚊に刺された。睡眠不足が続いた一人旅で、疲れていたし弱気にもなっていたな。


「ベイシー」のテーブルで、持参したB6サイズの「旅ノート」に「東北の人たちは冷たい」とか「旅はつらい」とか何とか、いま考えればとんでもなく勘違いで失礼なことを書き綴った。ほんとうにごめんなさい。


書き終えたノートを、入口レジ横に置かせてもらったリュックに戻し、深々とソファーに座って一人ジャズに聴き入った。噂には聞いてたが、ライブの音よりもホンモノの音がするJBLサウンドに驚愕した。特に、コルトレーン『クレッセント』(インパルス)での、エルビン・ジョーンズのシンバル!


ふと見上げると、眼の前にマスターの菅原正二さんがニカッと笑って立っていた。

「おい、学生さん。どこから来たんだい?」「そうか、まぁいいから飲め」そう言って、テーブルにウイスキーのボトルをどんと置いたのだ。


「おい、学生さん。ピアノは誰が好きだ?」
「はい、ウイントン・ケリーが一番好きです。」「ほぉ。そうかい」
「あの、リクエストいいですか?」
「おぉ、いいぞぉ!」


「『ベイシー・イン・ロンドン』のB面、コーナーポケットをぜひ聴きたいんです」


本来なら、このレコードはA面が圧倒的にいい。でも、この時マスターの菅原さんは嫌な顔ひとつせずB面をかけてくれたのだ。しかも、スピーカー前のドラムセットに座って、自らレコードに合わせてドラムをたたいてくれた。ほんと感激だったなぁ!


すっかりご馳走になって、深夜近くに店を後にしたぼくは、一関の駅から夜行列車に乗ってアパートへ帰っていったのだった。


列車の中で、この夜の感動を忘れないうちにノートに書き留めておこうと思い、件のノートを開いたら、書きかけのページに「ベイシーの猫のスタンプ」が押してあった。「あっ!」ぼくは顔が真っ赤になった。マスターの菅原さんに、あのノートに書き殴ったとんでもない愚痴を読まれていたのだ。ほんと恥ずかしかったなぁ。


ごめんなさい、菅原さん。そして本当にありがとうございました。


あの時のお礼をいつかしたい。ずっとそう思ってきた。


そしてようやく、先日になって「岩手ジャズ喫茶連盟」宛に義援金5万円を送った。妻に内緒にしていた「へそくり」から工面したのだ。ちょっとだけ、片の荷が下りた気がしたが、いや、まだまだこれから継続的に東北を支援してゆくことが必要に違いない。


大槌町「クイーン」の佐々木賢一さんも、陸前高田の照井由紀子さんも、どっこい生きてる。がんばっている。


これからも、ずっとずっと応援していきますよ!


来年こそ、みなさまにとって「よい年」になりますよう、心からお祈り申し上げます。


それではみなさま、よいお年を!

2011年12月30日 (金)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!

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■医学部同級生の菊池に夏用のシュラフを借り、東京在住の兄貴が使っていたバックパックを背負って、土浦から常磐線の青森行き夜行列車に飛び乗ったのは、あれは何時のことだったか? 1980年?いや、1981年か。いずれにしても、今から30年も前の話だ。


確か、B6サイズのノートに旅行記をメモしていた記憶があるから、あのメモ帳が取ってあったらなぁ。残念ながら見つからない。夏休みだった。たぶん。この時の旅の目的は「岩手県ジャズ喫茶めぐり」だ。


盛岡が最初だったかな。城趾の近くの川の畔に『ダンテ』っていうジャズ喫茶があった。2年前に盛岡で日本小児科学会があった時に再訪したら、場所は移転していたけれど『ダンテ』は現存していてビックリした。大音量のスピーカーに黙って対峙する大学生やビジネスマンなど男性客ばかりの店内は、まるで1970年代の硬派ジャズ喫茶そのものだったな。


盛岡から山田線に乗り、岩泉線に乗り換え日本三大鍾乳洞のひとつ「龍泉洞」へ。そのあと宮古まで行って、少し北上し「田老」で下車。


あのころはまだ、宮古市ではなくて「田老町」だった。小さな町には「あまりにも不自然な巨大な防波堤」が目を見張った。そこまですることないじゃん。正直そう思った。だって、あまりに巨大で高くて完璧すぎる堤防だったから。その防波堤の右端に石碑が立っていた。明治と昭和のはじめにこの地を襲った巨大津波の記念碑だった。こんな高いところまで津波が来るワケないよ。ぼくはその時ホントそう思ったのだ。でも、そうじゃなかった。


■宮古から少し南下し、釜石の3つ前の駅が「大槌」だ。大槌町には、岩手県最古のジャズ喫茶「クイーン」があった。確か、町役場近くのメイン商店街に面していたような気がする。マスターは佐々木さん。店にぼくが到着したのはすでに夜だったと思う。この日の宿泊先は決めていなかった。菊池に借りた寝袋があるから大槌の駅舎で寝ればいい、そう考えていたのだ。


「クイーン」店内の記憶はある。大きなスピーカーの前にLPが無造作に置かれていた。地元の常連客で賑わう店内は、よそ者にはちょっと居心地は悪かった。夕飯を食った後も粘って、閉店近くまで店にいたような気がする。タバコを何本も吸った。髭の店主には、ちょっと恥ずかしくて話しかけれなかった。シャイなんだ。今もね。


店を出て、駅舎に戻った。寝袋を出して寝ようとしたら、駅員の人が出てきて「ここで寝てもらっては困る」と言う。仕方ないので、その駅員さんに紹介してもらった近くのビジネスホテルに行くが、どうみても面倒な事態には巻き込まれたくないわと顔に書いたような女将が出てきて「今夜は満員でお泊めできる部屋はありません」と断られた。


仕方なくぼくは、それから大槌の町を深夜まで彷徨って、まるで「つげ義春」が好んで泊まるような木賃宿に辿り着き一夜の部屋を得ることができたのだった。(つづく)


2011年12月25日 (日)

メリークリスマス!

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昨年>と同様、今年もわが家では 12月23日の夜がクリスマス・ディナーとなった。恒例の「クリスマスチキン」と栗のピラフ。レシピは『LIFE2 なんでもない日、おめでとう!のごはん。』飯島奈美(ほぼ日ブックス)202ページです。重いけれど「pdf ファイル」があります。旨かったなぁ。

2011年12月23日 (金)

『津波 TSUNAMI! 』キミコ・カジカワ再話、エド・ヤング絵(グランまま社)

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■長年お世話になっている「グランまま社」の田中尚人さんから、12月はじめに1冊の絵本が送られてきた。それがこの『津波 TSUNAMI! 』キミコ・カジカワ再話、エド・ヤング絵(グランまま社)だ。

ぼくは絵本の表紙とそのタイトルを見て、度肝を抜かれた。

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画家のエド・ヤングは中国系アメリカ人で、天津に生まれ上海で育った。今年は、同じく中華の血が流れる絵本作家、ショーン・タン(『アライバル』の著者)が注目を集めたが、絵本界におけるオリエンタリズムの本家は、何といってもこのエド・ヤングだ。


その卓越したセンスの画法が僕も大好きで、翻訳本が出ている『ロンポポ』と『七ひきのねずみ』は以前から持っていた。

だから、この絵本に「エド・ヤング」の名前を見つけてさらに「おおっ!」と思ったんだ。


上の写真を見ていただければ判るが、この本、かなりの大型の絵本だ。それには訳がある。作者には、このサイズがどうしても必要だったのだ。


このサイズで、さらに見開き一面となるとそうとうに大きい。しかも、全てが見開き一面の絵だ。まるで、映画館でワイドスクリーンを見ている感じ。エド・ヤングは様々な材質の色紙、写真、和紙などを切ってちぎって張って、コラージュのようにして画面を構成する。その圧倒的な迫力を、ぜひ本屋さんで実際にこの「絵本」を手にとって、実物大の絵をめくってみて欲しい。ほんとうに、ほんとうに凄いぞ。 特に、第10場面〜第12場面。


■こちらの「花のある風景(438)」を読むと、この時の地震と津波は、1854年12月23日に起こった安政東海南海大地震で、実際に和歌山であった話がもとになっているようだ。それを、小泉八雲が『生神様(A LIVING GOD)』という作品に残したのだ。


さらにそれを、キミコ・カジカワ(日本人の母とアメリカ人の父を持つアメリカ在住の作家)が、ある日の図書館で発見し感動して絵本用の原稿を書き上げる。絵はぜひエド・ヤングに描いて欲しいと、彼のもとに原稿を送ったのが「いま仕事がおしていて無理だし、あまり興味もないね」との冷たい返事が。それから10年経って、失望しすっかり諦めていた彼女のもとになんとエド・ヤングの「この絵」が届き、2009年2月、出版のはこびとなった。


そう、この絵本は 3.11 の「あの日」から2年も前にアメリカで出版されていたのだ。驚くべきことにね。


その翌年、日本での出版権を取った「グランまま社」の田中さんは悩んだ。そのあたりのことは「このインタビュー」に詳しい。


■なぜ、宮城県石巻市立「大川小学校」の子供たちに犠牲者が多かったのか?  「釜石の奇蹟」が、単なる奇蹟ではなく「必然的」だったのは、つね日頃どんな準備がなされていたからか?


人間は忘れやすいように出来ている。そうでないと、辛くて生きてゆけないから。


だからこそ、繰り返し繰り返し、しつこすぎるくらい日々繰り返し語り継ぐことが重要なのだな。しみじみそう思った。



2011年12月17日 (土)

『DELICIOUS』JUJU

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■以下、facebook のほうに書き込んだのだが、少し追加してこちらにも載せます。


結局、JUJU のジャズアルバム『DELICIOUS』を買ってしまった。これマジでいい! 大音量で聴くとしみじみ沁みる。ゴージャスで実に贅沢な作りをしている。

アレンジが「そのまま」なのだ。例えば「You'd Be So Nice To Come Home To」は、クインシー・ジョーンズが編曲した「ヘレン・メリル with クリフォード・ブラウン」のそれ。間奏に入って、やっぱり退屈なピアノソロまで踏襲している。それに続くトランペット・ソロは、菊地成孔「DUB SEXTET」の類家心平。でも、最初からブラウニーには無理に対抗しようとはしない。そうだよなぁ。


ゲスト・ミュージシャンの聴き所としてはジュリー・ロンドン「Cry Me A River」での渡辺香津美のギターソロがめちゃくちゃ渋い。「Candy」のフリューゲル・ホルンソロは、あの歌も上手い TOKU だ。


あと、「Ev'ry Times We Say Goodbye」での菊地成孔のテナー・サックス・ソロが、在りし日の武田和命みたいで泣ける。それから、サラ・ヴォーンの「バードランドの子守歌」だが、これも変に気負わずに軽やかに歌いきっているところが気持ちいい。


総じて、JUJU のヴォーカル、肩の力の抜け加減が絶妙なのだ。まだ若いのに、なんなんだ、この余裕。

個人的に一番好きなトラックは、やっぱり「ガールトーク」かな。こういうバラードや「キャンディ」みたいな小粋な小唄をきちんと聴かせるってのは、彼女にジャズ・ヴォーカルを唄う実力が確かにある証拠だ。


案外聴かせるのが、ラテン・ナンバーの古典「キサス・キサス・キサス」だ。9曲目にして、必殺キューバ音楽を持ってきたか! 絶妙な選曲だねぇ。で、その前の曲、8曲目。「Moody's Mood Foe Love」のアルト・サックス・ソロは土岐英史で、2nd ヴォーカルで娘さんの土岐麻子が参加している。ぼくはつい最近まで親子だとは知らなかったぞ。


■それにしても「JUJU」って名前、彼女が大好きなウェイン・ショーターのレコード『JUJU』から取ったというのには驚いた。


BLUE NOTE レーベルでのショーター作品では、1枚目『Night Dreamer 』や、ぼくが大好きな3枚目『Speak No Evil』と比べると、この2枚目はずいぶん地味な印象を持っていたからだ。ウェイン・ショーターが好きっていうだけでビックリなのに、渋いな、JUJU。

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