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2011年11月20日 (日)

不思議なご縁の男性シャンソン歌手ワサブローさん。

■中日ドラゴンズは、日本シリーズ最終第7戦で負けてしまったけれど、落合監督での試合が7回も見ることができたことはファン冥利に尽きるなぁ。


■さて、本場フランスで認められた男性シャンソン歌手「ワサブロー」さんのことは、「2011年1月12日 (水)のブログ」に書いた。

ワサブローさんも自身のブログで「こう」書いて下さった。


でも、それきりだったのだが、つい先だって、11月に入って暫くしてからのことだ。久しぶりにワサブローさんからメールが来た。いまフランスにいるが、来週日本へ帰って、11月11日(金)NHK総合テレビのお昼の番組「金曜バラエティー」に生出演する。収録後の翌日に、30年来の友人財津氏を訪ねて松本へ行くので、折角の機会だから日曜日(11/13)に高遠まで足をのばして、島村利正氏の生家の菩提寺をお墓参りしたい。ついては、北原さんにもお会いしたとのこと。


ただ、11月13日(日)は甲府市立図書館へ絵本を読みに行くことになっていたので、午前10時半には宮脇、倉科パパをピックアップして、ぼくのマツダMPVで中央道を走っている。こりゃぁ無理かなって思ったのだが、ワサブローさんはお友達の財津氏と共に高遠へ向かう前にわが家に寄ってくれたのだ。うれしかったなぁ。


短い時間ではあったが、ワサブローさんの島村利正に対する想いや、いわゆる日本人仕様のシャンソンと、フランス本国の「本物のシャンソン」とが、あまりにかけ離れてしまっていることに、30年経って日本に帰ってきたワサブローさんは気づかされたことを、熱く語ってくれた。


フランス語は三拍子なのだそうだ。だから曲も、その歌詞に載るように三拍子の曲が多い。でもそれを無理して日本語の訳詞にのせるとみな「字あまり」になってしまい、テンポがずれてしまうのだそうだ。


ワサブローさんは、こんなことなら、日本ではなく、ずっとフランスで歌い続けていればよかった。そう思ったこともあったそうだ。そうした時に、島村利正の小説に出会ったんだって。


当日、本来なら僕が高遠の町を案内しなければいけなかったのだが、そういうわけで、高遠の「北原内科」の兄が、快く僕の代理を務めてくれた。島村利正の生家「ヤマザキデイリーストア・カネニ商店」へ案内し、店主の嶋村氏と共に菩提寺の蓮華時へ行って嶋村家のお墓参りをし、華留運(ケルン)で高遠そばを食べたということだった。


その場でふと、同行したワサブローさんの友人、財津氏がこう言った。「島村利正は、1912年生まれだから、来年 2012年は、もしかして島村利正生誕100年になるんじゃないか?」と。いやたぶん、地元高遠町の人間でさえ「その事実」に誰も気が付いていなかったんじゃないかな。


だったら、何とかしようよ!


という訳で、来年の「島村利正生誕100年記念イベント」を個人的にいくつか企画してみる予定です。


とりあえずは、来年の6月23日(土)か、もしくは24日(日)に、高遠信州美術館で「ワサブロー」さんのコンサートを開催することがほぼ決まりつつある。ワサブローさんは、ぜひもう一度高遠に来て、高遠町のみなさんの前でシャンソンを歌いたい、そう仰ってくれたのだ。うれしいじゃないか。


できれば、それに連動して「島村利正の講演会とシンポジウム」を、例えば、『いつか王子駅で』の著者で作家の堀江敏行氏とか、古本愛好家の荻原魚雷氏とか書評家の岡崎武志氏に高遠へ来ていただいて開催できないかなぁなどと夢想している。


ついでに、取りたくて取れなかった「芥川賞」の候補に5〜6回なったことが共通する、島村利正と佐藤泰志を並べて語ったら面白いんじゃないか。ついでに、映画『海炭市叙景』の上映会を高遠町福祉センター「やますそ」でできたら楽しいな。


■いまのところ、確実に開催する方向で動き出したのは「ワサブローさんのコンサート」だけだが、ぼくの個人的な夢でも、こうして公開してしまえば、案外実現に向けて道が開けてくるかもしれないぞ。

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