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2011年12月

2011年12月31日 (土)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!(その2)

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■翌日は、大槌町から釜石を通過し、さらに南下して陸前高田へ。

陸前高田には全国的に有名な「日本ジャズ専門店・ジャズ喫茶ジョニー」があった。日本のジャズにとことんこだわった照井顕、由紀子ご夫妻の店だ。ぼくが訪れたのはお昼ころだったか。ジャズ喫茶といっても食事もできる。ダジャレばかり言うマスターと、素敵なママが歓待してくれた。うれしかったなあ。スピーカーも日本製の名器、ヤマハNS1000。


ジョニーという名前は、五木寛之の短編小説『海を見ていたジョニー』からきている。だから、同名タイトルで陸前高田ジョニーでライブ録音された坂元輝トリオの演奏を「Johnny's Disk Record」という自主レーベルでレコード化した。ぼくも陸前高田から郵送してもらって購入したのだった。レコード解説を、なんと五木寛之が書いている。「縄文ジャズ」とはうまいこと言うなぁ。


当時、東北(特に岩手県)のジャズ文化は、日本の他の地域とは違って、独特の結束力でもって平泉の藤原氏のごとく絢爛たる栄華を誇っていたのだ。


この日は、白い砂浜に樹齢300年を超える約7万本の松が続く「高田松原」の中にあった
「陸前高田ユースホステル」
に泊まった。ほんと、ユースホステルらしいユースホステルだったなぁ。現在の姿が「Wikipedia」にあった。あの「1本松」のすぐ側に建っていたのか。


「陸前高田ジョニー」も、3.11 のあの日、オーディオもレコードもお店も、すべてが津波に流された。


震災後、ジョニーがどうなってしまったのかすっごく心配してネットで検索したら意外な事実が判明した。照井顕、由紀子ご夫妻は 2004年に離婚し、ご主人は陸前高田を離れ、盛岡で「開運橋のジョニー」を経営。奥さんの由紀子さんが「ジャズ喫茶ジョニー」を引き継いだのだった。


「Johnny's Disk Record」の1枚目はベース奏者中山英二さんのレコードで、「彼のブログ」に陸前高田のジョニーの現在のすがたが載っていた。


そうか、よかった! 店は流されたけれど、ママさんは助かったのだ。しかも、この9月から仮設店舗で営業を再開したとのこと。さらに、ジャズ・ライブも再開。ガンバレ! ジャズ喫茶ジョニー。


さらに、大槌町「クイーン」も津波にすべを流された。マスターの佐々木賢一さんと娘さんは逃げのびたが、奥さんは波にさらわれて亡くなってしまったという。悲しい。

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■旅の終わりは、ジャズ喫茶の聖地、一関「ベイシー」。前日は花巻の駅で寝袋にくるまって寝たのだが、出してた顔だけあちこち蚊に刺された。睡眠不足が続いた一人旅で、疲れていたし弱気にもなっていたな。


「ベイシー」のテーブルで、持参したB6サイズの「旅ノート」に「東北の人たちは冷たい」とか「旅はつらい」とか何とか、いま考えればとんでもなく勘違いで失礼なことを書き綴った。ほんとうにごめんなさい。


書き終えたノートを、入口レジ横に置かせてもらったリュックに戻し、深々とソファーに座って一人ジャズに聴き入った。噂には聞いてたが、ライブの音よりもホンモノの音がするJBLサウンドに驚愕した。特に、コルトレーン『クレッセント』(インパルス)での、エルビン・ジョーンズのシンバル!


ふと見上げると、眼の前にマスターの菅原正二さんがニカッと笑って立っていた。

「おい、学生さん。どこから来たんだい?」「そうか、まぁいいから飲め」そう言って、テーブルにウイスキーのボトルをどんと置いたのだ。


「おい、学生さん。ピアノは誰が好きだ?」
「はい、ウイントン・ケリーが一番好きです。」「ほぉ。そうかい」
「あの、リクエストいいですか?」
「おぉ、いいぞぉ!」


「『ベイシー・イン・ロンドン』のB面、コーナーポケットをぜひ聴きたいんです」


本来なら、このレコードはA面が圧倒的にいい。でも、この時マスターの菅原さんは嫌な顔ひとつせずB面をかけてくれたのだ。しかも、スピーカー前のドラムセットに座って、自らレコードに合わせてドラムをたたいてくれた。ほんと感激だったなぁ!


すっかりご馳走になって、深夜近くに店を後にしたぼくは、一関の駅から夜行列車に乗ってアパートへ帰っていったのだった。


列車の中で、この夜の感動を忘れないうちにノートに書き留めておこうと思い、件のノートを開いたら、書きかけのページに「ベイシーの猫のスタンプ」が押してあった。「あっ!」ぼくは顔が真っ赤になった。マスターの菅原さんに、あのノートに書き殴ったとんでもない愚痴を読まれていたのだ。ほんと恥ずかしかったなぁ。


ごめんなさい、菅原さん。そして本当にありがとうございました。


あの時のお礼をいつかしたい。ずっとそう思ってきた。


そしてようやく、先日になって「岩手ジャズ喫茶連盟」宛に義援金5万円を送った。妻に内緒にしていた「へそくり」から工面したのだ。ちょっとだけ、片の荷が下りた気がしたが、いや、まだまだこれから継続的に東北を支援してゆくことが必要に違いない。


大槌町「クイーン」の佐々木賢一さんも、陸前高田の照井由紀子さんも、どっこい生きてる。がんばっている。


これからも、ずっとずっと応援していきますよ!


来年こそ、みなさまにとって「よい年」になりますよう、心からお祈り申し上げます。


それではみなさま、よいお年を!

2011年12月30日 (金)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!

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■医学部同級生の菊池に夏用のシュラフを借り、東京在住の兄貴が使っていたバックパックを背負って、土浦から常磐線の青森行き夜行列車に飛び乗ったのは、あれは何時のことだったか? 1980年?いや、1981年か。いずれにしても、今から30年も前の話だ。


確か、B6サイズのノートに旅行記をメモしていた記憶があるから、あのメモ帳が取ってあったらなぁ。残念ながら見つからない。夏休みだった。たぶん。この時の旅の目的は「岩手県ジャズ喫茶めぐり」だ。


盛岡が最初だったかな。城趾の近くの川の畔に『ダンテ』っていうジャズ喫茶があった。2年前に盛岡で日本小児科学会があった時に再訪したら、場所は移転していたけれど『ダンテ』は現存していてビックリした。大音量のスピーカーに黙って対峙する大学生やビジネスマンなど男性客ばかりの店内は、まるで1970年代の硬派ジャズ喫茶そのものだったな。


盛岡から山田線に乗り、岩泉線に乗り換え日本三大鍾乳洞のひとつ「龍泉洞」へ。そのあと宮古まで行って、少し北上し「田老」で下車。


あのころはまだ、宮古市ではなくて「田老町」だった。小さな町には「あまりにも不自然な巨大な防波堤」が目を見張った。そこまですることないじゃん。正直そう思った。だって、あまりに巨大で高くて完璧すぎる堤防だったから。その防波堤の右端に石碑が立っていた。明治と昭和のはじめにこの地を襲った巨大津波の記念碑だった。こんな高いところまで津波が来るワケないよ。ぼくはその時ホントそう思ったのだ。でも、そうじゃなかった。


■宮古から少し南下し、釜石の3つ前の駅が「大槌」だ。大槌町には、岩手県最古のジャズ喫茶「クイーン」があった。確か、町役場近くのメイン商店街に面していたような気がする。マスターは佐々木さん。店にぼくが到着したのはすでに夜だったと思う。この日の宿泊先は決めていなかった。菊池に借りた寝袋があるから大槌の駅舎で寝ればいい、そう考えていたのだ。


「クイーン」店内の記憶はある。大きなスピーカーの前にLPが無造作に置かれていた。地元の常連客で賑わう店内は、よそ者にはちょっと居心地は悪かった。夕飯を食った後も粘って、閉店近くまで店にいたような気がする。タバコを何本も吸った。髭の店主には、ちょっと恥ずかしくて話しかけれなかった。シャイなんだ。今もね。


店を出て、駅舎に戻った。寝袋を出して寝ようとしたら、駅員の人が出てきて「ここで寝てもらっては困る」と言う。仕方ないので、その駅員さんに紹介してもらった近くのビジネスホテルに行くが、どうみても面倒な事態には巻き込まれたくないわと顔に書いたような女将が出てきて「今夜は満員でお泊めできる部屋はありません」と断られた。


仕方なくぼくは、それから大槌の町を深夜まで彷徨って、まるで「つげ義春」が好んで泊まるような木賃宿に辿り着き一夜の部屋を得ることができたのだった。(つづく)


2011年12月25日 (日)

メリークリスマス!

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昨年>と同様、今年もわが家では 12月23日の夜がクリスマス・ディナーとなった。恒例の「クリスマスチキン」と栗のピラフ。レシピは『LIFE2 なんでもない日、おめでとう!のごはん。』飯島奈美(ほぼ日ブックス)202ページです。重いけれど「pdf ファイル」があります。旨かったなぁ。

2011年12月23日 (金)

『津波 TSUNAMI! 』キミコ・カジカワ再話、エド・ヤング絵(グランまま社)

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■長年お世話になっている「グランまま社」の田中尚人さんから、12月はじめに1冊の絵本が送られてきた。それがこの『津波 TSUNAMI! 』キミコ・カジカワ再話、エド・ヤング絵(グランまま社)だ。

ぼくは絵本の表紙とそのタイトルを見て、度肝を抜かれた。

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画家のエド・ヤングは中国系アメリカ人で、天津に生まれ上海で育った。今年は、同じく中華の血が流れる絵本作家、ショーン・タン(『アライバル』の著者)が注目を集めたが、絵本界におけるオリエンタリズムの本家は、何といってもこのエド・ヤングだ。


その卓越したセンスの画法が僕も大好きで、翻訳本が出ている『ロンポポ』と『七ひきのねずみ』は以前から持っていた。

だから、この絵本に「エド・ヤング」の名前を見つけてさらに「おおっ!」と思ったんだ。


上の写真を見ていただければ判るが、この本、かなりの大型の絵本だ。それには訳がある。作者には、このサイズがどうしても必要だったのだ。


このサイズで、さらに見開き一面となるとそうとうに大きい。しかも、全てが見開き一面の絵だ。まるで、映画館でワイドスクリーンを見ている感じ。エド・ヤングは様々な材質の色紙、写真、和紙などを切ってちぎって張って、コラージュのようにして画面を構成する。その圧倒的な迫力を、ぜひ本屋さんで実際にこの「絵本」を手にとって、実物大の絵をめくってみて欲しい。ほんとうに、ほんとうに凄いぞ。 特に、第10場面〜第12場面。


■こちらの「花のある風景(438)」を読むと、この時の地震と津波は、1854年12月23日に起こった安政東海南海大地震で、実際に和歌山であった話がもとになっているようだ。それを、小泉八雲が『生神様(A LIVING GOD)』という作品に残したのだ。


さらにそれを、キミコ・カジカワ(日本人の母とアメリカ人の父を持つアメリカ在住の作家)が、ある日の図書館で発見し感動して絵本用の原稿を書き上げる。絵はぜひエド・ヤングに描いて欲しいと、彼のもとに原稿を送ったのが「いま仕事がおしていて無理だし、あまり興味もないね」との冷たい返事が。それから10年経って、失望しすっかり諦めていた彼女のもとになんとエド・ヤングの「この絵」が届き、2009年2月、出版のはこびとなった。


そう、この絵本は 3.11 の「あの日」から2年も前にアメリカで出版されていたのだ。驚くべきことにね。


その翌年、日本での出版権を取った「グランまま社」の田中さんは悩んだ。そのあたりのことは「このインタビュー」に詳しい。


■なぜ、宮城県石巻市立「大川小学校」の子供たちに犠牲者が多かったのか?  「釜石の奇蹟」が、単なる奇蹟ではなく「必然的」だったのは、つね日頃どんな準備がなされていたからか?


人間は忘れやすいように出来ている。そうでないと、辛くて生きてゆけないから。


だからこそ、繰り返し繰り返し、しつこすぎるくらい日々繰り返し語り継ぐことが重要なのだな。しみじみそう思った。



2011年12月17日 (土)

『DELICIOUS』JUJU

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■以下、facebook のほうに書き込んだのだが、少し追加してこちらにも載せます。


結局、JUJU のジャズアルバム『DELICIOUS』を買ってしまった。これマジでいい! 大音量で聴くとしみじみ沁みる。ゴージャスで実に贅沢な作りをしている。

アレンジが「そのまま」なのだ。例えば「You'd Be So Nice To Come Home To」は、クインシー・ジョーンズが編曲した「ヘレン・メリル with クリフォード・ブラウン」のそれ。間奏に入って、やっぱり退屈なピアノソロまで踏襲している。それに続くトランペット・ソロは、菊地成孔「DUB SEXTET」の類家心平。でも、最初からブラウニーには無理に対抗しようとはしない。そうだよなぁ。


ゲスト・ミュージシャンの聴き所としてはジュリー・ロンドン「Cry Me A River」での渡辺香津美のギターソロがめちゃくちゃ渋い。「Candy」のフリューゲル・ホルンソロは、あの歌も上手い TOKU だ。


あと、「Ev'ry Times We Say Goodbye」での菊地成孔のテナー・サックス・ソロが、在りし日の武田和命みたいで泣ける。それから、サラ・ヴォーンの「バードランドの子守歌」だが、これも変に気負わずに軽やかに歌いきっているところが気持ちいい。


総じて、JUJU のヴォーカル、肩の力の抜け加減が絶妙なのだ。まだ若いのに、なんなんだ、この余裕。

個人的に一番好きなトラックは、やっぱり「ガールトーク」かな。こういうバラードや「キャンディ」みたいな小粋な小唄をきちんと聴かせるってのは、彼女にジャズ・ヴォーカルを唄う実力が確かにある証拠だ。


案外聴かせるのが、ラテン・ナンバーの古典「キサス・キサス・キサス」だ。9曲目にして、必殺キューバ音楽を持ってきたか! 絶妙な選曲だねぇ。で、その前の曲、8曲目。「Moody's Mood Foe Love」のアルト・サックス・ソロは土岐英史で、2nd ヴォーカルで娘さんの土岐麻子が参加している。ぼくはつい最近まで親子だとは知らなかったぞ。


■それにしても「JUJU」って名前、彼女が大好きなウェイン・ショーターのレコード『JUJU』から取ったというのには驚いた。


BLUE NOTE レーベルでのショーター作品では、1枚目『Night Dreamer 』や、ぼくが大好きな3枚目『Speak No Evil』と比べると、この2枚目はずいぶん地味な印象を持っていたからだ。ウェイン・ショーターが好きっていうだけでビックリなのに、渋いな、JUJU。

2011年12月11日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その86)箕輪町松島コミュニティセンター

■今日は午前10時半から、箕輪町松島コミュニティセンターにて「伊那のパパズ絵本ライヴ」。メンバーも5人全員がそろったよ。12月の絵本ライヴは、毎年恒例のクリスマス特別ヴァージョンだ。


  <本日のメニュー>

 1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)
 2)『でんせつの きょだいあんまんを はこべ』サトシン・作(講談社) →伊東

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 3)『たべてあげる』ふくべあきひろ文、おおのこうへい・絵(教育画劇)→北原
 4)『かごからとびだした』(アリス館)
 5)『やまあらしぼうやのクリスマス』ジョセフ・スレイト文(グランまま社)→倉科

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 6)『いろいろおんせん』増田裕子(そうえん社)

 7)『スモウマン』中川ひろたか・文、長谷川義史・絵(講談社)→宮脇

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 8)『メリークリスマスおおかみさん』宮西達也・作(女子パウロ会)→坂本

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 9)『ふうせん』(アリス館)
 10) 『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)


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  左から、坂本    伊東    倉科     宮脇     北原。


              イイ写真だね!


■主催の、箕輪町こども未来課・支援センター 白鳥紀子さん、いつもいつも本当にありがとうございます。また呼んでくださいね(^^)

2011年12月 5日 (月)

久々にフリーの日曜日

■昨日の日曜日は、はっぴいえんどの名曲『12月の雨の日』を思わせる前日の土曜日とは打って変わって、雲ひとつない快晴。しかも、季節はずれの暖かさだ。


午前9時半から2時間、高遠福祉センターでアンドレア先生から「入試英語特講」を受ける長男を車で送って、向かいの「ポエム」でコーヒーでも飲もうかとも思ったのだが、暖かだったからエンジンを切った車の中で読書。島村利正『繪島流罪考』を読む。この短篇が載っている『島村利正全集・第二巻』は借りてもう随分と延滞していて、今日こそは高遠町図書館に返却しなければならなかったからだ。


江島は結局、月光院といい仲になった御用人、間部詮房が「大奥」の全権力を握っていることを嫌う反対勢力によって、クーデターの餌食にされたのだな。それなのに、一番の問題人物たる間部詮房は、一切のお咎めも流罪もなく、単に越後へ左遷されただけで歴史上から静かに消え去った。ずるいじゃないか、ほんと。許せないぞ。


■午前十時を過ぎたので、高遠町図書館へ行って本を返却。もし、図書館長さんがいたら、先日、ワサブローさんが高遠を訪れて島村利正生家の菩提寺で墓参りしたことを話し、さらには、来年が「島村利正生誕100周年」に当たるので、ぜひ記念イベントをしましょう! と提案するつもりだったのだが、あいにく図書館長さんは非番でいなかった。残念無念。


いったん伊那へ帰って、わが家では日曜日の昼飯は「蕎麦」という決まりがあったから、高遠なら「ますや」だな、と妻・次男を車に乗せ再び高遠へ。午前11時半過ぎに講義が終わった長男をピックアップして、高遠バイパスを北に少し行って「ますや」へ。


12時前だから楽勝だろうと思ったら大間違い。すでに店は満席じゃぁないか。駐車場も、県外ナンバーの車でいっぱいだ。仕方なく、上の段の店舗用車庫の前に駐車する。そうは言っても、この日はまだ店の外にまでは行列はできていなかった。ラッキーだ。入店後10分足らずでテーブルに着く。店主と女将さんの二人だけで店を切り盛りしていて大忙しだ。


ひと通りの注文がで終わるのを待って、ぼくらの番になった。次男は「高遠そば」。妻は「おろし高遠そば」で、長男は「鴨ざる」を注文。ぼくは最後まで迷って、結局「玄そば」+追加(合計3枚)にした。


注文後は案外はやく蕎麦が出た。実にきれいな蕎麦だ。つやつやと透き通って輝いている。洗練されていて喉ごしも申し分ない。なるほど、これなら都会の蕎麦通がはるばる遠く高遠まで何度も通ってくるワケだ。蕎麦の見た目と喉ごしは、むかし松本の女鳥羽川沿いにあった蕎麦屋「もとき」で食った蕎麦に近い印象。


もちろん、「ますや」へは以前から何回も食いに来ているのだが、来るたびに「蕎麦が美味くなっている」のだよ。そこが凄い。常に地道な努力と、たゆまぬ前進を続ける店主の心意気のたまものだな。いや、ほんと旨かったデス。でも、俺以上に美味そうに食っていた、長男の「鴨ざる」を次回は注文しようかなぁ。あの、網で炙った太いネギと鴨肉を「この世の極楽」といった風情で食っていた長男に、ちょっとだけ嫉妬したのだった。


■高遠から伊那へ帰り、妻子を自宅で降ろし一人また車上の人となる。坂本さんの「やまめ堂」へ行って、児童文学の季刊誌『飛ぶ教室』最新号を購入しなければならなかったからだ。中央橋を渡って左折し、幸福の科学の建物の手前を右折し、小松眼科の横を左折。仁愛病院を通り過ぎれば、目指す「やまめ堂」だ。だがしかし、「お休み」のふだが冷たく店舗ドアにかかっている。あちゃ。


仕方なく、再びバイパスに出て左折し「伊那市図書館」へ。もしかしたら伊那図書館館長の、平賀研也氏に会えるかもしれない、そう思ったからだ。


■さて、ぼくの感は正しかった。平賀館長さんは確かに伊那図書館にいたのだ。やった! アポなし急遽面会ごめんなさい。


で、ワサブローさんが高遠を訪れた経緯と、来年の6月23日(土)の夕方、信州高遠美術館ロビーで「ワサブロー・シャンソン・コンサート」開催が決定したことを話した。ついでに、来年が「島村利正生誕100周年」であるから、ぜひ記念イベントを企画して下さいと懇願する。

さらに、島村利正の高遠を舞台とした著作『庭の千草』や『仙醉島』『城趾のある町』に記された地籍から、『高遠文学マップ・島村利正編』を「iPad」上で構築できますよ! と僕は話した。


でも、どの程度平賀図書館長さんが興味を持たれたか、まったくわからない。少しでも記憶の片隅に残ってくださればうれしいな。


このブログは、平賀館長さんはたぶん読んでいないだろうから、過去にぼくが島村利正氏に言及したページにリンクを張っておきますね。


「島村利正」がなぜかマイブーム

島村利正の小説に登場する、古きよき高遠の人と街並み

『妙高の秋』島村利正を読む

今月のこの1曲「わたしが一番きれいだったとき」ワサブロー

不思議なご縁の男性シャンソン歌手ワサブローさん。


■伊那図書館から自宅へ戻ると、午後2時半過ぎだった。

いやぁ、ごめんごめん。この日は伊那東部中1年生で、陸上部・長距離班に所属する次男に頼まれて、鳩吹公園近くに設置された「クロスカントリー・コース」をいっしょに走る約束だったのだ。


で、鳩吹公園に着いたのが午後3時過ぎ。もうじき日が暮れる。


ところで、その「クロスカントリー・コース」は何処にあるのだ?


風車がある駐車場に車を停めて、左側から西へ50mほど昇ると看板があり、そこから左へ下って行くと確かに「クロスカントリー・コース」があった。

今年の春に整備されたコースなのだが、この晩秋にでもなると、落葉が全面を覆い、春に散布した「ウッド・チップ」もすっかり蹴飛ばされていて、結局どこが整備されたジョギング・コースなのかぜんぜん判らない状態になっていた。


とはいえ、最近でもこのコースを訪れる人がいるとみえ、落葉に足跡が残ってコースは維持されていたのだった。


全長1km強のコースで、8の字で回れば 1.2km くらいはあったな。三峰川のサイクリング・ロードは吹きっさらしで、冬場は冷たい強風に難儀するのだが、ここの林間コースは不思議とほとんど風がなくてありがたい。


しかし、とにかく「アップ・ダウン」がきつい。最初の1周で、ぼくはバテバテになった。

でも、息子とは「30分は走り続ける」と約束したから、仕方なく走り続けた。4周した。ただ後の2周は、8の字コースではなく、0の字にして、本来は長いキツイ登りになるコースを易々と下って済ませたのだった。ごめんな、ズルして。息子よ。

■そんなワケで、この日は疲れた。


白菜と豚肉を「S&Bおでんの素」で茹で、柚胡椒で溶いていただく鍋を夕食に食べ終わり、アルプスワイン旬醸「コンコード赤」を3杯ほど飲んだので、午後8時すぎにはすっかり酔っぱらって寝てしまい、休み無しの寝不足状態が続いていたこともあって、結局この日は翌朝の午前7時半まで延々と寝続けた。


計算すると、11時間も寝ていたことになる。ほほ2日分だ。


あいや、たまげたぜ。


2011年12月 1日 (木)

木曽郡南木曽町の伝統防寒着「ねこ」

■どうも、木曽郡南木曾町で昔から冬場に着られている防寒着「ねこ」がブームらしい。

先だって、NHK長野ローカルのニュース(というのはどうも勘違いで、11月24日に放送された日テレ『秘密のケンミンSHOW』だったみたいだ。でないと、これほどの品切れ大騒動にはならないはずだし。)を見ていたら、何でも木曽で映画のロケに参加した俳優の役所広司さんが「ねこ」をいたく気に入って、50着だか100着だか注文して東京へのお土産にしたのだそうだ。


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ところで、その「ねこ」ってのは何かと言うと、「はんてん」と「チョッキ」との「あいのこ」みたいなもので、上記の写真のごとく、綿の軽い蒲団を背中に担いだ感じになる。でもこれが、本当に暖かいのだ。半天のボテっとした袖がないので邪魔にならず、しかも軽くて、ぜんぜん「蒲団」を背負っている感じがしない。とにかく、ぬくぬくとホント暖かいのです。


■で、この「ねこ」は何処に行ったら買えるかというと、ベルシャイン伊那店にあります。Lサイズが 2,980円、LLサイズで、3,280円と値段はけっこうします。でも、コストパフォーマンスは抜群! この冬一番の「おすすめ」ですぜ! 


しかし、ネットで見ると先日のテレビ放送以来の大人気で、生産が追いつかず、現在は入手困難の状態らしい。


■さて、昨日の水曜日の午後は、高遠第一保育園で内科健診。みんな元気でよかったよかった。


健診終了後は、園児全員がホールに集まってくれて、ぼくの「絵本タイム」。


<この日読んだ本>

1)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店)
2)『ちへいせんのみえるところ』長新太(ビリケン出版)
3)『さんにんサンタ』いとうひろし(絵本館)
4)『ウラパン・オコサ』谷川晃一(童心社)
5)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)


■そうして、今日の午後は竜東保育園年長組の内科健診。やはりみんな元気。その後、年長組の部屋へ行って絵本を読ませていただく。

<この日読んだ本>

1)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店)
2)『ウラパン・オコサ』谷川晃一(童心社)
3)『子うさぎましろのお話』佐々木たづ・文(ポプラ社)
4)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)


ぼくのトラウマ絵本『ウラパン・オコサ』を読んだ時には、ほんと驚いた!

子供たちって、スゴイね。


最初の説明だけで、瞬時に「その法則」を理解して、ぼくがリードしなくても勝手に数えて「オコサ・オコサ・オコサ・ウラパン」と大きな声で答えてくれなのだ。これにはビックリ!

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