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2011年12月30日 (金)

岩手県のジャズ喫茶を応援しよう!

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■医学部同級生の菊池に夏用のシュラフを借り、東京在住の兄貴が使っていたバックパックを背負って、土浦から常磐線の青森行き夜行列車に飛び乗ったのは、あれは何時のことだったか? 1980年?いや、1981年か。いずれにしても、今から30年も前の話だ。


確か、B6サイズのノートに旅行記をメモしていた記憶があるから、あのメモ帳が取ってあったらなぁ。残念ながら見つからない。夏休みだった。たぶん。この時の旅の目的は「岩手県ジャズ喫茶めぐり」だ。


盛岡が最初だったかな。城趾の近くの川の畔に『ダンテ』っていうジャズ喫茶があった。2年前に盛岡で日本小児科学会があった時に再訪したら、場所は移転していたけれど『ダンテ』は現存していてビックリした。大音量のスピーカーに黙って対峙する大学生やビジネスマンなど男性客ばかりの店内は、まるで1970年代の硬派ジャズ喫茶そのものだったな。


盛岡から山田線に乗り、岩泉線に乗り換え日本三大鍾乳洞のひとつ「龍泉洞」へ。そのあと宮古まで行って、少し北上し「田老」で下車。


あのころはまだ、宮古市ではなくて「田老町」だった。小さな町には「あまりにも不自然な巨大な防波堤」が目を見張った。そこまですることないじゃん。正直そう思った。だって、あまりに巨大で高くて完璧すぎる堤防だったから。その防波堤の右端に石碑が立っていた。明治と昭和のはじめにこの地を襲った巨大津波の記念碑だった。こんな高いところまで津波が来るワケないよ。ぼくはその時ホントそう思ったのだ。でも、そうじゃなかった。


■宮古から少し南下し、釜石の3つ前の駅が「大槌」だ。大槌町には、岩手県最古のジャズ喫茶「クイーン」があった。確か、町役場近くのメイン商店街に面していたような気がする。マスターは佐々木さん。店にぼくが到着したのはすでに夜だったと思う。この日の宿泊先は決めていなかった。菊池に借りた寝袋があるから大槌の駅舎で寝ればいい、そう考えていたのだ。


「クイーン」店内の記憶はある。大きなスピーカーの前にLPが無造作に置かれていた。地元の常連客で賑わう店内は、よそ者にはちょっと居心地は悪かった。夕飯を食った後も粘って、閉店近くまで店にいたような気がする。タバコを何本も吸った。髭の店主には、ちょっと恥ずかしくて話しかけれなかった。シャイなんだ。今もね。


店を出て、駅舎に戻った。寝袋を出して寝ようとしたら、駅員の人が出てきて「ここで寝てもらっては困る」と言う。仕方ないので、その駅員さんに紹介してもらった近くのビジネスホテルに行くが、どうみても面倒な事態には巻き込まれたくないわと顔に書いたような女将が出てきて「今夜は満員でお泊めできる部屋はありません」と断られた。


仕方なくぼくは、それから大槌の町を深夜まで彷徨って、まるで「つげ義春」が好んで泊まるような木賃宿に辿り着き一夜の部屋を得ることができたのだった。(つづく)


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