読んだ本 Feed

2015年7月27日 (月)

細野晴臣『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その3)

Img_2725

このところ続けて「音楽本」を読んでいる。その音楽分野に関して既によく知っていればいいのだが、知らないミュージシャン、聴いたことのない楽曲が出てくると、読書を中断して YouTbe で検索し実際に聴いてみることになる。

ただ、これからは電子書籍で実際の楽曲とリンクさせたり、あるいは「紙の本」でも、著者が「Apple Music」に「プレイリスト」を作っておいて、読者は本を読みながらアクセスし、ストリーミングで「その曲」を聴くことができるようになって行くのだろうなぁ。特に、いろんな音楽ジャンルのガイドブックの立ち位置が激変する予感がする。

田中康夫『たまらなく、アーベイン』(河出書房新社)も、再刊にあたっては取り上げたレコードのジャケット写真くらいは新に載せて(もちろんカラーでね)、最後のインデックスも、今現在「その音源」を入手アクセスできる形で丁寧に作り直してくれてあれば、もっと売れたんじゃないか? 著者があくまでも「完全復刻版」にこだわった意味はなに?

米歌手ホイットニー・ヒューストンさんの娘ボビー・クリスティナ・ブラウンさんが26日に亡くなりました。22歳でした。今年1月末に自宅の浴槽で意識不明でいるところを発見されて以来、意識が回復しない状態が続いていました(英語記事) 

つい先程の、ぼくのツイート

ちょうど『松尾潔のメロウな季節』松尾潔(SPACE SHOWER BOOK)を読み始めたところで、いま47ページ。ボビー・ブラウンの項のラスト。ホイットニー・ヒューストンが愛娘ボビー・クリスティーナを抱っこして出てきた場面。次のページの追記も読んだ。なんということだ。享年22。

 

-----------------------------------------------------------------------------------------

■ さて、細野さんの本『とまっていた時計がうごきはじめた』(平凡社)の続きです。

 

たぶん我慢してるわけじゃないんだよ。堪え忍んでいるという感じもぼくにはぜんぜんない。きっと忘れてるだけだよ(笑)。日本人は本当に忘れっぽいんだと思うな。

---- 単に、忘れっぽい?

ぼくもそうだけど、どんなにイヤなことがあってもすぐ忘れちゃうから。

---- それってある種、日本人の才能なんでしょうか?

そう、才能かもしれない。それでも忘れちゃいけないことはあるんじゃないかとは思うよ。特にこの一年くらいの間の出来事は、まさか忘れることはないだろうとは思うけど、忘れようとしてる空気は感じるね。(24〜25ページ / 2012/7/11 白金のスタジオにて)

SP盤は聴くよ。だけど、普通のレコードを聴けるプレーヤーはどっかにしまっちゃったから。

---- 蓄音機だけがある?

 地震のときに倒れちゃって、脚が折れたのね。それで横倒しのまま。直さなきゃ。あれは停電のときのために取ってあるようなもんだね。蓄音機は電気を使わないから。(75ページ)

 こないだまたキャラメル・ママが集まって、なおかつユーミンも来てね、大貫妙子トリビュートをやったんだよ。前に集まったときもそうだったんだけど、みんななにも変わってないなと思った。若いなと思ったの。みんな還暦だけど、いろいろなことが巡って、最近またキャラメル・ママのみんなとつながってる感じがしてるんだ。

---- いいですね。やっぱり、大きくひと巡りしたんですね。

 そうかもね。そういえば震災後2年以上経つけど、あれから最近まで自分のなかの時計がとまっていたことがこの前はっきりしたんだ。

---- 細野さんのなかの時計がとまっていた?

 うん。震災から放置していた部屋の荷物を整理しはじめたのがきっかけなんだけど。自分の声が聞こえたの、天の声みたいに。「いま片付けないと寿命が縮むぞ」って言われたんで、もう少し生きたいから部屋を片付けたんだ(笑)

 (中略)

 それで十月に入ってやっと取りかかったんだけど、地震で倒れたままだったゼンマイの蓄音機を起こして、脚が折れていたのを直したんだ。なかにホーギー・カーマイケルの「香港ブルース」のSP盤が入ってたんだよ。それでゼンマイを巻いてかけてみたら、ちゃんと音が出た。そこから時計がまたうごきはじめて、いろんなことが起こりはじめた。(中略)

福島に行くとみんなそうなんだよ。みんな時計がとまってるって言うんだ。ぼくもそこは共有してた。(283〜285ページ)

----------------------------------------------------------------------------------------

■「香港ブルース」は、『泰安洋行』の2曲目で、細野さん自身がカヴァーしている。

ホーギー・カーマイケルと言えば、ジャズ・スタンダード「スターダスト」の作者として有名だが、まだ学生時代に、薄倖の天才白人トランペッター、ビックス・バイダーベックに見出され、彼のバンドでピアノを弾いていた。

----------------------------------------------------------------------------------------

---- そういえば最近、大瀧さんと連絡を取られたって聞きましたけれど。

 うん。そう。人づてにメッセージを伝えてもらったんだよ。

---- なんてお伝えしたんですか?

 作品をつくる気になったらいつでも手伝うよ、ってなことを伝えたんだけどね。

---- 返事は来ましたか?

 来た来た。「それは細野流の挨拶だ」って(笑)。(中略)

そういえば、昔、はっぴいえんどがやくざにからまれた話ってしたっけ?

---- なんですかそれ?(笑)

 昔、霞町のあたりに新しいうどん屋ができたって言うんで、みんなで食べに行ったんだよ。そしたら、ぼくらが食べてる向こうに、着流しを着たやくざと弟分がいてね。

---- 着流しですか?

 そう。あのころはまだいたんだよ。で、大瀧くんがあの目つきでしょ。「なにガンくれてんだ」ってその着流しの五分刈りにからまれてね。「表に出ろ」って言われて、仕方なく出て行ったわけ。で、舗道に並ばされて、五分刈りが「懐には匕首(あいくち)がある」って脅かすんだ。

---- で、どうしたんですか?

 まず大瀧くんの謝罪からはじまった。この流れじゃとりあえずそうするしかない。悔しかっただろうな。で、そのあと順番にメンバーの腹を殴っていくわけだよ。まず、鈴木の腹をどん。で、茂が「うっ」ってうずくまる。次に、松本がどん。で、「うっ」って。

---- で、いよいよ。

 そう。自分の番になって、どん、ってどつかれるんだけど、なんと驚いたことに寸止めなんだよ。

---- え? どういうことですか?

 あてないの。寸止めで殴ってるフリをしてるわけ。

---- 細野さんどうしたんですか?

 こっちも殴られたフリをするわけだよ。「うっ」って(笑)。

---- どういうことなんですか?

 つまりね、その着流しは、連れの舎弟に向けて自分の強さを見せつけてるわけだよ。

---- 一種のプレイなんですね。

 そうそう。あれはなかなかの職人技だったよ。

---- ある意味、洒落てますね。

 そうとも言えるね。ダンディズムというか。昔はそういうのがいたんだね。霞町のあたりって、あのころはちょっと怖い人もいたんだ。

---- へえ。初めて聞く話ですね。

 内緒にしといてね(笑)。

(288〜291ページ / 対話8 / 2013/10/29 神保町カフェ・デ・プリマベーラにて)

 

--------------------------------------------------------------------------------------------

■この(対話8)が収録された2ヵ月後に、大瀧さんは帰らぬ人となってしまった。

次の(対話9)は、7ヵ月後の2014年6月17日に細野さん家の白金のスタジオで行われている。もちろん、大瀧さんの話から始まるわけだが、詳細は「原著」をあたってください。

--------------------------------------------------------------------------------------------

  いや、その(大瀧さんの追悼曲を書くこと)前にやることがあるんだよ。

---- そうなんですか?

 大瀧くんとの出会いは、はっぴいえんどからはじまってるわけだけど、そのころのいろんなことを最近よく思い出すんだよ。ぼくは最近カバーをやることが多いじゃない? バッファロー・スプリングフィールドなんかも、ついこの前は「ブルーバード」をやりはじめたんだよ。レコーディングでね。

---- 元に戻っちゃったんですね。

 そうそう(笑)。だから、はっぴえんどを自分のなかで再確認したいというかね。順番としてはそっちのほうが先なんだよ。「Daisy Holiday!」というラジオ番組で大瀧くんの特集をしたときも、大瀧くん本人の曲はかけなかった。ぼくにとって重要なのはバックボーンだから。

そういうことを、もう一度会って話したかったし、確認したかった。どういう時代に生まれて、どういう音楽を聴いてきたのかということはすごく大事なことだから、それをもう一度確認し直すということが、いまやっている仕事の目的。それが、カバーをやってるということの意味なんだ。(318〜319ページ)

---- 世の中のことは考えてます? 新聞のクリッピングはいまでもやってますか?

 やってるよ。新聞じゃなくてネットのあらゆるソースだけど。(中略)

 パソコンに「アカンやろ」っていうフォルダがあるんだけどさ、そのニュースは「アカンやろ」行きだね。

---- 「アカンやろ」? なんで関西弁なんですか?

 わかんない(笑)。(329〜331ページ)

 打ち上げでアッコちゃんと話したよ。アッコちゃんのレパートリーの曲でね、ニューオーリンズ的なリズムの、アラン・トゥーサンっぽい曲があるんだよ。それをティンパンでやると、なんの説明もなくても、すぐにそのノリになる。一拍子みたいな感じにね。

アッコちゃんはそれを意識しているみたいで、このノリが出せるのはあなたたちしかいないから長生きしてねって言われたよ(笑)。

---- 本当ですよ。もはや国宝級。

アッコちゃんはいつもアメリカでレコーディングするでしょ。ミュージシャンたちに毎回「Roochoo Gumbo」を聴かせるんだって。みんな「コレはすごい」って言うんだけど、同じことはできないんだって。不思議だよね。

---- 以前、清志郎さんがメンフィスでレコーディングしたときに、細野さんが日本から送ったトラックを聴いたプロデューサーのスティーヴ・クロッパーBOOKER T. & THE MGs のギタリストだった)が、「こいつは誰だ、何者なんだ? ナニ人なんだ?」って言って、その仮歌のハミングをそのまま採用したという話がありましたよね。

 あったね。

---- すごく好きな話なんです。細野さんは、仮歌だから適当に歌ってるんだけれど、ノリをちゃんと理解してやっていることがクロッパーにもわかるわけですよね。本歌取りっていうヤツですね。向こうのミュージシャンができないことを、日本人がやってるっていう。(352ページ)

--------------------------------------------------------------------------------------------

■それから、載せきれなかったけど、注目すべき箇所を最後に挙げておきます。

・映画監督ロマン・ポランスキーの奥さんが惨殺された「シャロン・テート事件」の真相

・細野さんの血液型がA型だったということ

・日本語ロック論争で犬猿の仲だったはずの内田裕也さんが、楽屋に挨拶に行った細野さんをジョー山中に「こいつナイスガイなんだよ!」って紹介したはなし。

・『ロング・バケイション』が出る少し前に、大瀧さんが細野さんの白金の家へキャデラックで乗り付け会いに来たこと。YMOで大活躍の細野さんへの「決意表明」だったと。こんどは俺の番だという。

・いまの若い人たちの音楽観への苦言

 ただ、なりゆきを見ると、ひとりひとり持っている音楽の世界を、それぞれが間違ったやり方で表現しちゃったように見えるな。自分が聴いたものを、そのまま表現しちゃう。自分のなかから出てくる音楽じゃなくてね。

じっくり煮詰めてないし、勉強が足りない感じだ。音楽をより深く知るということが足りないんだ。音楽という、昔から続いている文化の流れが、どれくらい自分にも入ってるか、そこにどうやって自分が加わるのか、音楽の海に自分がどうやって入っていくのか。そういうことについての勉強はみんな足りなかったね。(『とまっていた時計がまたうごきはじめた』143~144ページ)

2015年7月24日 (金)

細野晴臣『分福茶釜』と『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)

■前回のつづき。読んだ本の感想を書いてなかったので、もう少し追加の話題。

しばらく前のツイッターには、こう書いた。

『地平線の相談』があまりに面白かったから、細野晴臣『分福茶釜』(平凡社)を読み始める。あ、「ご隠居さん」と「八つぁん」の、お気楽のほほん対談は、こっちが元祖だったんだ。でも判った。細野さんは、生粋の江戸っ子なんだね。父方の祖父はタイタニック号の生き残りで、母方の祖父はピアノ調律師

『分福茶釜』細野晴臣&鈴木惣一朗(平凡社)読了。細野さんて、アニミズムの人だったんだ。長新太みたいな人なのだ。しみじみ尊敬。この本もとても面白かったから、5年後に続篇を出すと予告されて、6年後に最近出た続篇『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)も読むぞ!

■というワケで、『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)を読了した。これまた面白かった。すごく。

ぼくなんかが読後感想をアップするまでもなく、この対談本のポイントを見事に押さえたサイトがあった。「本と奇妙な煙」だ。

『地平線の相談』

『分福茶釜』

『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その1)

『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その2)

でも、読者それぞれが「重要」と思うポイントは、案外ぜんぜん違っていたりして(まぁ、ぼくだけズレているのかもしれないけれど)面白いなぁと思った次第です。

以下、ぼくが注目した部分を少し拾ってみますね。

細野:そういう自覚はないんだ。苦労してきて、「ああ、いつもツイてないな」と思ってここまで来た。不運な音楽家。ホントなんだよ、これ。はっぴいえんどはたかだか2年ぐらいやって、全然売れないから、誰も聴いてくれないや、って感じで辞めたと。

ソロをつくった。誰か聴いてんだろう、そこそこ数千枚は売れるけど別に誰が聴いているかはわからない。全然話題にもならなかった。で、その後クラウンに移ってつくった二枚。あれはもっと孤独だった。いままで聴いていた人がみんな離れちゃった。怖がって。(中略)

そう。追いやられてた。とにかく苦労してきた。全然売れなかったんだよ。で、YMOで売れちゃったら、それはそれで別の苦労があった。(『分福茶釜』15ページ)

YMOをやるときは、実は、YMOをやるか、あるいは高野山に行くかで迷っていたんだよ。

---- 世を捨てるってことですか?

いや、そういうことじゃない。ぼくのアイドルはその当時、お釈迦様だったんだ。お釈迦様は29歳のときに出家したんだよ。で、36歳か37歳のときに悟りを開いた。その頃、ちょうどぼくは同じ年頃だったから、「今だったらできるな」と思ったんだ。京都のお寺に通っていたし、お坊さんとも知り合いだったから、本気で得度しようと思ったらできたかもしれない。

(『分福茶釜』25ページ)

 はっぴいえんどをやっていた頃から、日本に自分たちの居場所をみつけられないって感じはずっとあったんだよ。かといってアメリカにもみつけられない。それで「さよならアメリカ、さよならニッポン」っていう曲をバンドでつくったんだけど、それで両方いられる場所はないっていうことはわかった。

ちゃんとした国籍が持てないっていうか、「自分は日本人だ!」っていう意識は持てないし、かといってアメリカ人でもない。浮いている存在だって、そういう気持がその後ずっとだらだらと続いた。

---- 今もその感じはあります?

今もあるね。だからハワイに行ったらぴったりきた。日本とアメリカの中間だから。マーティン・デニーとか聴いてぴったりきた。それはエキゾティシズムってものと結びついて今も続いてるんだけど。

でも、最近はちょっと変わってきている。自分に江戸っ子気質ってものが出てきたんだ。(中略)ぼくは昭和22年生まれだから、まだそういうものが残っている時代だった。おばあちゃんとかが身のまわりにいたしね。そういうなかで育っているから、案外それが身に付いているんだ。(『分福茶釜』58〜59ページ)

---- (おばあちゃんは)キビシイ人でした?

やさしかった。落語が好きだったり、歌舞伎が好きだったりっていうことで影響を受けたりしている。おばあちゃんだらけだったんだよ、まわりは。おばあちゃんの妹も近所に住んでたし。みんな江戸っ子っぽくてね。

特別な教えなんかないよ、もちろん。でも仕草や言葉だよ、影響されるのは。おならなんて言わないんだよ。「転失気(てんしき)」って言うんだよ。(『分福茶釜』61ページ)

---- 漫画好きですよね。

 映画と同じくらい好きだね。本よりも好きだった。諸星大二郎とか、花輪和一とか。いいんだよ、シャーマニズムの本質が描かれてて。あとは『サザエさん』。何度も読み返す。

(『分福茶釜』159ページ)

「美しい国」って安倍晋三が言ったとき、ちょっと怯えたの。怯えてる人はいっぱいいたんだけど、ところがテレビに出てくるような人たちは何も言わないんだよね。言うべき人が何も言わなかったら、どうなんだろうと思って、ぼくはラジオで何か言わなきゃ、言葉にしなきゃいけないと思って、「憲法改正はいやだ」と言ったんだ。「戦争放棄なんて、カッコいいじゃん」て。

だって、若者はそう思うべきだから。若者のなかに憲法改正賛成なんて言う人がいるって知って、ちょっとイヤだったの。「戦争放棄」なんて紙に書いた一行だけどさ、これがあるかないかでカッコよさが違うから。

スイスってのは永世中立国っていう特異な国家だけれども、そのためには軍隊を持たなきゃいけないわけだ。でも、その上をいくのが日本の憲法。戦争放棄なんて、奇跡的なことなんだ。笑っちゃうくらい。よくそんなことが書かれたなと思うわけ。

だからこそなくなったら二度とつくれない。だって非現実的だから。だからこそ、絵空事でもなんでもいいけど、その文面は残しておかないといけない。

  (中略)

 でも、世の中まだそこまで行ってないと思うから、今のうちになんかこう声に出して行動しておかないと、と思う。ぼくは決して楽観的じゃないから、今後世の中がどうなっていくか知らないけれど、一切語ることもできなくなるって時代もあり得るわかだからね。

日本は戦争中がそうだったんだ。そのなかにも石橋湛山みたいな人もいたけど。今はまだ言えるんだから、言えるうちに言わないと、という気持ちがある。嫌われようと、嫌がられようとね。(『分福茶釜』118〜120ページ / 2008年6月10日初版発行

 ぼくは右も左もないからね。もうそんな時代じゃないしね。それを新聞に書いたらめちゃめちゃ叩かれたけど。誹謗中傷の嵐。右翼だとかも言われた。

---- 細野さんがですか?

 うん。もうそんな時代じゃないでしょ。昔からぼくはノンポリで通してきたんだけどね。結果は左寄りに見えたんだろうけど、「ぼくらは単なる音楽好きだよ」っていう思いしかなかったから、それすらも違和感があった。

ぼくには、右も左も同じに見えるんだ。実際、当時の左翼はみんな右翼になっちゃったし。ディランについて言えば、ディランは左翼じゃないし、プロテストもしてない。心情的にイヤなことをイヤだって言ってるだけなのに、誤解されていると思う。(中略)

---- ディランはかつて、ユダヤ系だったにもかかわらず、クリスチャンの洗礼を受けて批判を浴びましたよね。その後、クリスチャンであることもやめちゃいましたけど。

 信仰心をテーマにしたことは深いことだと思うよ。右とか左とか単純な割り切りではできない。主義主張っていうのは左脳的なことだけど宗教はそうじゃないから。ちなみに、ぼくはアニミズムだよ。それがいまの基本。ものごとを分けること自体がバカバカしいって思ってる。(『とまっていた時計がまたうごきはじめた』102〜103ページ / 2014年11月25日初版)

2015年7月17日 (金)

引き続き、ずっと「細野さん」を読んでいる(聴いてもいるんだ)

Photo

■つい最近、ニール・ヤングの『After the Gold Rush』(今まで持ってなかったのだ)の中古盤をネットで安価で入手した。聴いてたら、何故か無性に「エンケン」が聴きたくなったのだ。遠藤賢司は、日本のニール・ヤングだからね。(エンケンが本人に会った時、自らそう自己紹介したらしい)

ただ、わが家にあるCDは『満足できるかな』だけだ。

CD棚の奥の方、加川良や高田渡、友部正人のCDが並ぶその横に、エンケン唯一のCDはあった。久しぶりにかけてみると、これがまた実にいい。本家のニール・ヤングよりもいいぞ。ぼくがこのレコードで一番好きな曲は、当時エンケンが飼っていた「寝図美」という名前のネコのことを歌にした「寝図美よこれが太平洋だ」。

エンケンがウクレレを弾きながら歌うそのバックで演奏しているのは、大瀧詠一以外の「はっぴいえんど」のメンバー3人。そう、鈴木茂・松本隆、それから、細野晴臣。アット・ホームで和気藹々としてて、実に楽しそうなその収録風景が、目に浮かぶようだ。1971年の録音。その前年に収録された『niyago』(URC)にも、「この3人」は律儀に参加している。

どうも、遠藤賢司と細野さんは、ずいぶんと昔からの友だちなのだな。そのあたりのことは、エンケンの「このインタビュー」に詳しい。茨城から出てきて一浪の後大学生になったエンケン(19歳)が、買いもの帰りで片手に大根ぶら下げて、もう片方にはドノバンのレコード(たぶん『カラーズ』だ。)を持ち、友だちと二人でアパートへ帰ろうとしてたら、電話ボックスから声を掛けてきたのが細野晴臣(まだ高校生の18歳)。この時が初対面。

その場で「うちに遊びに来なよ」って細野さんに言われて白金の実家へ行くと、細野さんのお母さんが、ケーキと紅茶を出してくれて、調子に乗ったエンケンがギターを掻き鳴らしながら絶叫したら、細野さんのお母さんが、ガラッと戸を開けて「静かにしなさい!」って言うくだりがすっごく好きだ。

細野さんて、いいとこのお坊ちゃんだったんだね。

それからずいぶんと経って、エンケンが松本隆の家に遊びに行って聴かせてもらったのが、バッファロー・スプリングフィールドのLPで、ニール・ヤングの「I Am A Child」だったワケで、この時、エンケンは初めてニール・ヤングの歌声を耳にした。

大瀧詠一さんが、初めて細野さんと会ったのも、白金の家の細野さんの部屋。

この時の話は有名だ。ぼくでも知ってる。詳細は「この細野さんのインタビュー」を参照して下さい。黒澤明『七人の侍』の前半、志村喬が「これは!」と思う用心棒たちをリクルートする採用試験のことね。

「こちら」の方が、もう少し読みやすいかも。出会うべき人たちは、必然的に出会うように運命付けられているのだな。

総説「細野晴臣論」として最も優れているのは、『レコード・コレクターズ/MAY.,2000 / Vol.19,No.5』44〜47ページに載っている「内なる響きを求める旅人 細野晴臣の音楽とは?」湯浅学 だと思う。その最初のフレーズを採録する。

 いくつかの断層があるように思う人もいるかもしれない。しかし、細野晴臣の音楽活動には不動の姿勢がある。それは常に自分の中で新鮮なものを求め続け、それを作品として表明する、ということである。

しかもそれら ”そのときどきで心底新鮮だと思えたもの” を、それが新鮮だと感じられなくなった時でも葬り去らない。自分の中から消去しないのだ。身体のどこかにそれらは収納される。

 細野晴臣は音楽を消費しない。好奇心によって蓄積してゆく。それを開陳する術には奥床しさがともなっている。それはこの世代特有の美学なのかもしれない。と思う反面、細野のように自分の感覚を常に開放し続けながら、音楽にひたすら従事してきた者はきわめてめずらしいとも思う。

細野は涼しい顔をしてしぶといことをやってきた、という印象が強い。

『音楽が降りてくる』湯浅学(河出書房新社)31ページより。

この文章が再録された、湯浅学氏の音楽評論集『音楽が降りてくる』には、その前後に「日本語はロックにのるか 日本語のロック vs 英語のロック」「ロックとは? 自問自答の中でまさぐった ”ニュー”」「洋楽好きだからこそなしえた発想と実践 はっぴえんど」「”自分のことば” で歌い続ける 遠藤賢司『niyago』ライナーノーツ」「菩薩の誘い、人生の一大事 遠藤賢司『満足できるかな』ライナーノーツ」「漂うべき空を失った煙の行方 加藤和彦 追悼」

など、重要文献満載なのであった。特に、エンケンのライナーノーツは熱い!

エンケンからニール・ヤングに再び話題は戻る。これで円環が完成だ。

先日読み終わった『とまっていた時計がまたうごきはじめた』細野晴臣、鈴木惣一朗(聞き手)平凡社。

この本も実に面白かったぞ。特に、編集者やインタビュアーが狙った「本筋」からは外れてしまった些細な話題に、個人的には興味が引かれた。

例えば、ニール・ヤングだ。以下引用。

鈴木:ニール・ヤングの自伝には、鉄道模型が彼の癒しアイテムなんだって書いてありました。

細野:鉄ちゃんなの?

鈴木:そう。鉄ちゃんなんです。ニール・ヤングは子供がふたりいるんですけど、ふたりともダウン症で。その子供たちとのコミュニケーションのために、鉄道模型をはじめたらしいんです。自宅にすばらしいジオラマがあるらしいんですけど、ほとんど誰にも見せないんですって。見たのはデヴィッド・クロスビーぐらいだって書いてありましたけど、ニール・ヤングはツアーが終わって家に戻ったら、ジオラマで鉄道模型をいじって過ごすという、すごく静かな生活をしてるんですよ。

細野:誰にも見せたくないという気持はよくわかるな。でも、彼の子供がダウン症だとは知らなかった。

鈴木:ニール・ヤング自身も子供のころ、小児麻痺を患っていたそうです。それで、子供の母親はそれぞれ違うから、ニール・ヤングは自分自身に問題があるんだって責めているそうです。

細野:それは大変な話だね。重い話だ。

鈴木:でも、ニール・ヤングは自分の子供がかわいそうだ、とは思っていないとも言ってます。ダウン症の人は、進化した人間のかたちだって言われることも あるから。

細野:うん。気だてがすごくいいんだよね。(『とまっていた時計がうごきはじめた』170〜171ページ)

2015年7月 1日 (水)

『地平線の相談』細野晴臣&星野源(文藝春秋)

■『地平線の相談』細野晴臣・星野源(文藝春秋)を読んでいる。これ、面白いなぁ。

横町の「ご隠居」の所へ、長屋の「八っつぁん」がバカっぱなしをしに来る落語の感じそのままだ。『TVブロス』はよく買って読んでるけど、この連載は活字が特別小さく、しかも白抜き文字で目がチラついてしまい、老眼の身にはとてもとても読めないので、今まで一度も読んだことがなかったんだ。失敗したなぁ。

 

■星野源は、その著書『働く男』(マガジンハウス)の中で、彼が敬愛してやまない師匠「細野晴臣」を評して、こう書いている。

創り出す音楽はいつだって最高で、顔や服装も超カッコよくてセクシーで、話すこともユーモアにとんでいて面白い。世界中の音楽ファンから「神様」と呼ばれている大大大スター。

でも、行きつけの店が「ジョナサン」だったり、『さま〜ず×さま〜ず』が好きで毎週録画していたり、「歌うときは目をつぶらないようにしてるんだ、自分に酔っているように見えるから」と、いつまでも羞恥心や日本人の普通の感覚をわすれていなかったり。

そのすべて持ち合わせているところが、世界中のどこにもいない僕にとって最も神に近い、大好きな普通の人です。(88ページ)

Img_2720

☆さて、実際の対談内容についてだが、「ばかばかしい話」の代表として、以下抜粋

細野:実年齢っていうのは、圧倒的な力があるね。今の世の中、なにかやるたびに年齢書かなきゃならないでしょ?

星野:ネットとかでもありますよね。0歳から100歳以上まで選択肢があったり。

細野:そう。ああいうときは思わず嘘ついちゃおうかと思うよ。(中略)

星野:現場に出続けるということは大事ですね。がんばります。

細野:やっぱり、人前に出るときはちゃんとした服装しなきゃならないしね。

星野:それが年を取らない秘訣かも。(中略)

星野:昨年末、細野さんがレコード大賞に出演したときは、別の意味で若返ったんじゃないですか・KARAとかに囲まれて(笑)

細野:若さのエキスを吸うってことね。でも、ほんとに若返るかもしれないよ。

星野:どういうことですか?

細野:昔、太極拳の先生と話したことがあるんだよ。どうやって若さをキープしているのか聞いたら、「若い女性たちと一緒にお風呂に入るんだよ」だって。

星野:ええー!(笑)

細野:すごいよね。恵まれてるよね

星野:恵まれすぎですよ!(笑)

細野:実際、そうやってエキスを吸ってるんだと思うよ

星野:よりによって風呂場で(笑)

細野:普通は、男ってエキスを吸われる側だからね。だから、吸う側の女性は強いじゃない?

星野:いつまでも年取りませんもんね 

細野:そういえば、最近、どうも叶姉妹が気になるんだよ 

星野:あの方々も魔女っぽいですね 

細野:というのも、週に一度は、必ず謎のリムジンを見るんだよ。僕の車の前や後ろを、ベージュの長ーいリムジンが走ってる。曇りガラスで中は見えないんだけれど……

星野:中から出てくるところ見ました?

細野:見てない(笑)。でも、僕は勝手にあれは叶姉妹だと信じ込んでるんだ。

星野:行動範囲が一緒なんですね

細野:もうひとり、僕が行くところに必ずいるのが、野村サッチー

星野:おお!

(2012年3月31日号) 『地平線の相談』文藝春秋 p133〜136より引用

Img_2722


■まぁ、それにしても「いいかげん」なご隠居だよなぁ。

でも、その発言は無責任なようでいて、とてつもなく哲学的でもあり、人生の深淵をかいま見せてくれているかように読者に錯覚させる「マジック」がある。それこそ、この本の神髄だ。

個人的には、ちょうど6月に読んだからかもしれないけど、27ページ「数字の秘めた不思議な魔力を探ってみたら……。」が、まずは「ピン」ときたんだ。「666」は悪魔の数字。

それから、「揚げ物とドーパミンの関係とは。我々は油に支配されている !?」とか、二人とも「下戸」だったりとか。細野さんは、パジャマに着替えてベッドで寝たことがない(いつもソファーでうたた寝)とか、「貧乏ゆすり」の効用や別名を考えたりとか。まぁ、役に立たない、くだらない話ばかりなんだけれど。

あと、星野源が「くも膜下出血」で入院・手術した前後の話もでてくるぞ。

その他、印象に残った部分をいくつかピックアップ。

星野:そういえば、先生は、何本か映画にでてらっしゃいますよね?

細野:『パラダイスビュー』(1985)に出たときも向いてないと思った。『居酒屋兆治』(1983)に出たときは函館の居酒屋の常連で、公務員の役だったの。店は加藤登紀子さんと高倉健さんがやってて。伊丹十三さんが酔っ払って入ってきて、くだを巻くという。

星野:すごい店です(笑)

細野:僕が伊丹さんにキレると、後ろから高倉さんが僕を押さえて「まあまあ、ここはひとつ」って。それだけのシーンなんだけれど、「もう二度とやらない」と思った(笑)。

自分のミュージシャンとしての精神が破壊されるんだよ。かなぐり捨てないとできないから。だから、星野くんはすごいなあと思うんだ、両方使い分けてるわけでしょう。

星野:確かに演技しているときに、音楽の心がパーッと破壊されるのを感じます。

細野:修行だ。

星野:修行ですね。(中略)

星野:最近よく聞かれるんです。役者やってるときと音楽やってるときと、どう違うの? って。全然違うんですけど、ただ映画でも音楽でも、自分が楽しくなれるときって、自分がなくなるときなんですよ。なにも考えていないのに、台詞がどんどん出てくるとか。音楽も同じで、空っぽの状態がいいんです。

細野:それはわかるな。その気持ちよさは。(95〜96ページ)

『居酒屋兆治』は、先達て日本映画専門チャンネルで見た。細野さんが出ていてビックリした。ひょろりと背が高くて、くねくねしてて、まるで「アンガールズ」の田中みたいな雰囲気だったぞ。

「小学校の先生から受けたトラウマを語り合いたい!」(212〜215ページ)

細野:星野くんはどんな小学生だったの?

星野:3年生のとき、ウンコを漏らしました(笑)。その後、あだ名が ”ウンコ”になって、ちょっと人生が狂い始めて。

細野:それはかわいそうだなあ。

星野:体育の時間にマラソンしてたらお腹が痛くなっちゃって、先生の許しを得て校舎のトイレに走ったんです。でも、間に合わず、下駄箱のところで漏れちゃって。

細野:もう少しだったのに、悲しいねえ。

  (中略)

細野:僕にも似た経験があるよ。

星野:細野さんもウンコを……?

細野:いや、ウンコは漏らしてない(笑)。僕も、小学4年生まではお調子者って呼ばれるような子どもだったの。自分じゃそんなつもりはなくて、照れ隠しでいろいろふざけてるだけだったんだけど。

星野:その気持ち、わかりますよ。

細野:ところが、新しい担任の教師に、僕は図に乗る生徒として目を付けられちゃった。そのうち、容姿にまで口出しされるようになったんだ。「なんでお前は目と眉毛の間がそんなに離れてるんだ」とかさ。

星野:ひどい! 小学校の先生がそんなこと言うんですか?

細野:そう。まあ、当時はそんなの気にしなかったんだけど、子どもながらにどこか深いところで傷ついていたんだろうね。

「嫌な思い出が忘れられない理由とは?」(236ページ)

星野:人間。生きていると、忘れてしまいたい記憶があるじゃないですか。でも、ふとしたときに思い出して、うわあ! となってしまう。(中略)

細野:わかるよ。僕にもある。ひとりで、ごめんなさいとか謝っちゃうんだよ(笑)。つまり、自分が悪いと思ってるんだよね。

星野:なるほど。

細野:逆に、自分が他人から傷つけられたこととかは忘れちゃうんだよ。(中略) 子どもの頃にさかのぼってみても、そういうことは多いもん。

■でも、二人の会話を読んでいて、これは! と思うのは、やはり「音楽」に関する話題だ。

「ギターを始めた孫を見つつ、自らの音楽開眼を振り返る。」(202〜205ページ)では、細野さんがどうしてベースをやるようになったのかが語られる。細野さん。実は、アコースティック・ギターもキーボードも弾けばめちゃくちゃ上手いのだ。ぼくは、中川イサト『お茶の時間』に収録されている「その気になれば」のピアノ演奏が好き。

(177ページ)、井上陽水の『氷の世界』(1973年)で、

星野「細野さんもベース弾いてるんですね。」

細野「……そうだっけ?」

星野「弾いてますよ!(笑)」

細野「まあ、なんか覚えがあるような……。」

■細野晴臣さんが参加したレコーディングに関しては、HP上で完璧に整理されている。

   ・1970年 ・1971年  ・1972年  ・1973年

この頃のレコードは、けっこう持ってるぞ。荒井由実、加川良、高田渡、友部正人、中川イサト、岡林信康、金延幸子、小坂忠。それに「はっぴいえんど」。

(15〜16ページ)に出てくる、細野さんがベースでスタジオ・ミュージシャンとして参加し、一人だけ遅刻した某歌手のレコーディングって、いつだったんだろう?

■特に沁みたのは、189ページの「”事象の地平線”にみる”地平線の相談”的音楽論」。

細野:星野くんは、”事象の地平線”っていう言葉、知ってる? (中略) 音楽の世界も、今、事象の地平線にさしかかっていると思う。シンプルに言うと、そこで面白いことをやり続けていないと、音楽なんてできないわけだよ。バンドなら解散できるけど、個人は解散できないから。

星野:確かに(笑)。

細野:面白さは、常に自分の中に持っていなくちゃいけないんだけど、そんなの、意図的に持とうと思っても持てるものじゃないし、なくなっちゃうこともある。すると、醒めた感じになっちゃうんだ。

星野:はい、よくわかります。

細野:つい10年前までそんな気持ちだったんだし、あらゆる音楽はもう全部聴き尽くしたなって白けた感じだったの。ところが、それは無知だということが最近わかった。新しい音楽に発見はないんだけど、古い音楽には発見がいっぱいあるんだよ。これは”今までにない体験”なんだよね。(189〜192ページ)

星野:前にも話しましたけど「ゼロ年代という括りはいらない」というのも、音楽を時代で語る必要がもうないと思ったからなんです。様々な音楽が横並びで存在するような状態、時代的な流行がない、でもだからこそ純粋に音楽の本質が楽しめるいい時代がやっときたんだと。

あと、ひとつのジャンルを真摯に追いかけている人は「ホンモノ」と呼ばれますけど、あまり納得がいかなくて。俺は、一見様々な音楽をつまみ食いしているように見えるけど、その人でしかありえないような表現をしている、なぜか専門家や批評家の方からはニセモノ、軽薄と呼ばれてしまっている人のほうが好きだったりします。

細野:僕もそうなんだよね。あのホンモノじゃないモノに惹かれてしまう(笑)

星野:自分が思うのは、細野さんは、ホンモノじゃない人のホンモノなんですよ。

細野:それって褒められてるの?

星野:だから、細野さんの音楽が大好きなんです。どんな種類の音楽をやっていても、そこにいるのは細野さんでしかないんです。憧れに飲み込まれてない。自分もそういう人になりたいし、そういう音楽がもっと増えればいいのにと思っていて……。(200ページ)

細野:アルバムを作るという行為は、セックスみたいなものだと思うんだよ。その結果、子ども、つまり作品が生まれるじゃない? (中略)

だから、どこが一番快感かっていうと、やっぱりレコーディングの最中。

星野:確かに。

細野:いろんな想像しながらわくわくしてさ。だから、エッチなことなんだよ。

星野:アハハハハ! (中略)

星野:とすると、出産はどの段階に当たるんでしょうか。ミックスあたり?

細野:そう! まさにミックスが出産だよ。ちなみに僕は、気に入ったミックスが完成すると、その場で踊るんだよ。

星野:踊っちゃうんですか?(笑)

細野:もう踊らずにはいられない。「この踊り面白い!」と思って、iPhone で自分を撮ったの。そしたら、案の定すごく面白くって、このまま YouTube に上げてもいいかと思ったんだけれど、寝ないで作業してたから、もう見た目がドロッドロ。あまりに汚いんで、ちゃんとした格好で取り直した(笑)。(326〜327ページ)


YouTube: 細野晴臣/The House of Blue Lights

   ☆

■それから、星野源のお父さんがジャズ・ピアニストを、おかあさんがジャズ歌手を目指していたって話。落ち込んだ中学生の星野源に、お父さんが「これを聴け」と、数あるレコードの中から、ニーナ・シモンの「アイ・ラヴ・ユー・ポギー」(ベツレヘム)をかけてくれた話が泣けた。

おかあさんは、アメリカ留学の際、アート・ブレイキー夫妻と仲良しになったなんてのもビックリだ。

『地平線の相談』細野晴臣&星野源に載っていた(175ページ)星野源のお父さんがやってるジャズ喫茶に、ぼくも行ってみたいな。ほんと便利な時代で、ググるとすぐに判明。埼玉県蕨市にある「signal」っていう店だ。なかなかオシャレで、大人の雰囲気の店じゃないか。

2015年5月19日 (火)

『風の歌を聴け』その3(拾遺)

■このところ、どんどん更新が遅くなっていくのは、書きたいと思ったネタはあるのだけれど、思うように書けなくて、長くなって、そのうち書くのが面倒になってほったらかし、という悪循環に陥っているからだ。

という訳で、今回でようやく『風の歌を聴け』の話題も終了です。

1)■『妊娠小説』斎藤美奈子(筑摩書房)から以下引用。

 80年代、文学業界は完全に「僕小説」の時代に入っていた。ザ・キング・オブ僕小説作家、村上春樹の登場はそれを象徴するできごとだったろう。

 ところで、その村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(79) が妊娠小説だった、ということはあまり知られていない。知られていないのは、これが一見そうとは見えない、きわめてトリッキーな妊娠小説だからである。(中略)

 玉石混淆、さまざまな批評の対象になった村上春樹『風の歌を聴け』。21歳の「僕」が夏休みに帰省した町で友人の「鼠」とビールを飲んで「小指のない女の子」と知り合ってラジオを聞いてレコードを買った、といったような話だ。(中略)

 知られているように、テキストは「1」から「40」まで四十(途中の☆印まで入れれば 53)の断片で構成されている。組み立て前のジグソーパズルみたいな小説だから、ばらばらの断片(ピース)を手にとって眺めていても見えてくる絵には限界がある。全体の解読には、40(または 53)の断片を整理し、配置しなおさなくてはならない。わたしたちなりの推理を公開しよう。

 手がかりのひとつは、幾重にも重なった「時間」だ。(中略)さらに…やたらと具体的な数字が頻出するのはなぜか。『風の歌を聴け』のテキストは、読者に「パズルの解読」をこそ要求している。「数字」こそ、その最大のヒントと考えるべきなのだ。(中略)

「時間」に続くふたつめの手がかりは、幾重にも交錯した「人物」である。物語には「僕」と「鼠」と「小指のない女の子」の、三人の中心人物がいる。「僕」はこのふたりと別々に交流を持つのだが、それだけだろうか。「鼠」と「小指のない女の子」の間に関係はなかったか。

 「時間」を解く鍵が「数字」であったように、「人物」を解く鍵は「人物名」にある。すなわち<ジョン・F・ケネディ>だ。(中略)

               ☆

 異彩を放っているのは②だ。<鼠は……気がした>という記述からもわかるように、一貫して「僕」の視点で進行するテキストのなかで、②を含む「6」だけが、テキストのルールを逸脱し、「鼠」の視点で記されている。(中略)

 ときに「5」と「6」とは同じ内容を綴っている。「鼠」による「海洋遭難」の物語だ。(中略)ついでにテキストにはないけれども、実在の J・F・K が、海軍時代、南太平洋での遭難から生還して英雄になった人物だという事実を知っていると、ここで<ジョン・F・ケネディ>が出てくるのがさほど唐突ではないこともわかってくるだろう。

         『妊娠小説』斎藤美奈子(筑摩書房)p75〜85

        ☆

2)■『音楽談義』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)より

保坂:最近はもう村上春樹は読まないけど、というか『ノルウェイの森』からすでに読んでないんだけど(中略)村上春樹がなぜ売れるかというと、「なぜ」で心理を書くから。心理の変化が正しく因果関係によって説明される。心理と因果関係のふたつが肯定されている。いまどき極めて珍しい。それに非常に感傷的であるということと、もうひとつ、隠し味というほど隠れていないけど、スパイスのように暴力が入っているところ。

『風の歌を聴け』で小指がないのはいいんだけど、「その小指どこいったんだろう」までいうところが村上春樹の暴力性で、そこにはみんなたいして注意がいかないんだけど、その暴力性が好きなんだよ。(p31〜32)

保坂:でもね、村上春樹はぼくは初期しか読んでいないんだけど、庄司薫の『白鳥の歌なんか聞こえない』(73年)で由美子って子のおじいさんの書架にはいっていく場面があるんだけど、本の倉庫のなかでカオルくんかなんかが考えるんだけど、そのときの文体がまんま村上春樹なんだよね。丸写しみたいなものなんだけど。

湯浅:村上春樹の庄司薫からの影響をいうひとは最近あまりいないね。庄司薫を読むひともいないのかもしれないけれど。(中略)

保坂:丸谷才一が大絶賛だったからね。丸谷さんは亡くなるまで村上春樹を絶賛しつづけた。(中略)村上春樹の不思議なのは、あらゆる分野にファンがいて、そのひとたちが本来とても辛口で斜にみるひとなのに、そういうひとでも村上春樹だけは手放しで褒める風潮があるんだよ。(p162〜164)

   ☆

3)■「デレク・ハートフィールド & 庄司薫」で検索すると一番上に出てくるサイト。これは興味深いな。とは言え、ぼくは『赤頭巾ちゃん』も『白鳥の歌なんか聞こえない』も読んでない。岡田裕介が主演した映画はテレビで見た記憶がある。NHKでドラマになったような気もするな。

      ☆

4)村上春樹氏が『風の歌を聴け』を書いた当時のことを回想した文章が2つある。ひとつは、

『村上春樹全作品 1979~1989〈1〉 風の歌を聴け;1973年のピンボール 』(講談社)の付録として添付された小冊子「自著を語る」。図書館本にはちゃんと「この別冊」が本に張り付けてあります。

もう一つは、季刊誌:柴田元幸 責任編集『MONKEY vol.5 / Spring 2015』(Switch Publishing)で連載されている、『職業としての小説家』:村上春樹私的講演録(第5回)「小説家になった頃」だ。ふたつとも、ほぼ同じ話が書かれているのだが、『MONKEY』の方が、字数も多く丁寧に振り返っている。

ハンガリー生まれの作家、アゴタ・クリストフが、母国語でないフランス語で『悪童日記』を書いた話が面白い。

      ☆

5)『村上春樹イエローページ<1>』加藤典洋・編(幻冬舎文庫) にも示唆に富んだ記載がある。ラジオDJの言葉。

-------------------------------------------------------------------------------

 あるものは貧しい家の灯りだ。あるものは大きな屋敷の灯りだ。あるものはホテルのだし、学校のもあれば、会社のもある。実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ、と僕は思った。そんな風に感じたのは初めてだった。そう思うとね、急に涙が出てきた。(中略)でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。

 僕は・君たちが・好きだ。

-------------------------------------------------------------------------------

『風の歌を聴け』を読むと、この最後のディスク・ジョッキーの言葉が、なにか作者の読者に向けた、無言のメッセージのように聞こえる。気がつくと、わたし達は、ほんとうは話の筋とは無関係なのに。この難病の女の子の手紙とDJの言葉を、この小説の中心からやってくる言葉として受けとめている。なぜだろう。

この言葉は、小説を横切るこのもう一つの「話」の中では、向こうの世界、鼠たちのいる異界からの返答として、ここに置かれる。この最後の返答は、この往還の構造に中に置かれると、小説の核心からの声となって、わたし達のもとにやってくるのである。

    「否定から肯定への物語」

 この小説を読んで、わたし達はこのDJの述懐、「僕は・君たちが・好きだ。」という言葉に、なぜか自分でもわたらないまま、心深く動かされることになる。しかしそれは単なる偶然でもなければ、センチメンタルなわたし達の感情移入の結果でもない。

   ☆

加藤典洋氏がスルドイところは、村上春樹の小説はみな「幽霊譚」であることを看破したことだ。『風の歌を聴け』においては、死者たちのいる「彼岸」と、主人公や読者がいる「此岸」をつなぐ「蝶番」の役割を果たしているのが「ジェイズ・バー」であり、土曜のラジオ・リクエスト番組であるということ。

ラジオのDJは、死者たちの声を代弁しているのだ。

あれっ? それって『想像ラジオ』と同じじゃない?

   ☆

共同通信の小山鉄郎氏がインタビューした「村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る(上)」(2015/4/21 中日新聞)を読むと、『アンダーグラウンド』から『約束された場所で』の仕事に関して

村上:被害者たちの話を一生懸命に聞いていると、みんな物語を持っていることがわかります。派手なものではないかもしれないが、その多くは身銭を切った自分の物語です。それらが集まるとすごい説得力を持ってくる。でもオウム真理教の人の語る物語は、本当の自分の物語というよりは、借り物っぽい、深みを欠いた物語であることが多い。

小山:その仕事で何か自分に変化がありましたか?

村上:人に対する自然な信頼感みたいなものが生まれたと思う。電車に乗っても、以前はただ人がたくさんいるなあというくらいだったが、今は一人一人に物語があって、みんな一生懸命に生きているのだなあと感じます。

今回の読者とのメールのやりとりにも同じものを感じます。だからこそ、丁寧に正直に答えたいと思うのです。

「僕は・君たちが・好きだ。」という言葉は、いまこのインタビューからも、ほら、聞こえてくるじゃないか。

この新聞記事を読んで、村上春樹氏がデビューした時から一貫してブレることなく作品を作り続けていることを、ぼくは確信したのでした。(おわり)

2015年5月14日 (木)

大森一樹監督作品:映画『風の歌を聴け』(1981)

■ずっと前に「日本映画専門チャンネル」で録画しておいて、見る機会がなかった映画『風の歌を聴け』をようやく見た。監督は、当時新進気鋭の若手映像作家だった大森一樹

京都府立医大を卒業し国試も合格した医師であり、かつ、プロの映画監督となった。メジャーデビュー作『オレンジロード急行』と2作目の『ヒポクラテスたち』を、ぼくはどちらも封切り映画館のスクリーンで見ている。特に医大生の青春群像を瑞々しいタッチで描いた『ヒポクラテスたち』は、オールタイムベストに入る大好きな映画だ。

ただ、彼の3作目である『風の歌を聴け』は映画館に見には行かなかった。

一番の理由は、原作をたぶんまだ読んでなかったし、映画の評判もあまり良くはなかったから、積極的に見たいとは思わなかったのだろう。

30年以上もたって、ようやく見た映画の感想は、正直ちょっと複雑だ。

映画のはじまりは東京。深夜バスの切符売り場。広瀬昌助(藤田敏八『八月の濡れた砂』主演)が「ドリーム号の予約ですね。えっ、神戸まで?」と言う。ここまで、手持ちカメラ目線で、主人公が誰だか、今が何時なのかは判らない。画面は急に風が吹いたようにワイプし、白くなってタイトルが映し出される。続いて、原作 村上春樹 脚本・監督 大森一樹の文字。

その後、電話ボックスの女の顔がアップになって、巻上公一が外で待ちながら I.W.HAPER を瓶でガブ飲みしている。BGMはフリー・ジャズだ。出演者のテロップと共に、酔っ払った巻上公一の視点になったカメラが、暴動のあった「あの夜の神戸まつり」の祭りのあとの残骸を深夜の路上に映し出して行く。

早朝、ドリーム号は神戸三宮に着く。主人公はその足でまだ営業中のはずのジャズ・バーへの階段を上がる。店主の中国人を坂田明(山下洋輔トリオのアルト・サックス奏者)が好演する「ジェイズ・バー」だ。床には客が食い散らかしたピーナツの殻が散らばっている。バックで流れているジャズは、鈴木勲『BLUE CITY』A面2曲目、ウディ・ショウの「Sweet Love On Mine」。

映画の配役はこうだ。

----------------------------------------------

僕:小林薫

鼠:巻上公一(ヒカシュー)

小指のない女の子:真行寺君枝

僕が3番目に寝た女の子:室井滋

ジェイズ・バーのバーテン:坂田明

鼠の彼女:蕭淑美

ラジオのDJ:阿藤海(声のみ)

少年時代の僕の緘黙症を治療する精神科医:黒木和雄(映画監督『龍馬暗殺』『日本の悪霊』ほか)

-----------------------------------------------

☆とにかく、真行寺君枝がいい! ちょうど、佐々木マキがマンガで描く女の子の実写版そのままだ。特にネコみたいな「あの眼」。原作の「左手の小指がない女の子」のイメージそのまま。双子の妹のほう。

それから、まだ若かりし頃の室井滋。彼女も実にいいな。当時すでに、自主映画の女王と言われていた室井滋だけれど、メジャー・デビュー作は「この映画」だったのか?

役者ではないが、巻上公一の「鼠」がいい味だしていたな。彼も、坂田明もミュージシャンだ。ただ、主演の小林薫はちょっと原作と雰囲気が違う。そこが残念だ。でも、いまもう一度映画を見直しているところなのだが、大森一樹の映画として実によくできているし、小林薫も決してミス・キャストではなかったと思い直しているところだ。

--------------------------------------------------------------------------------

■映画が原作と違うところを列挙してみよう。

・原作も時系列の異なるエピソードがシャッフルされて語れているが、映画ではさらに細分化されて前後を入れ替え再構成して描かれる。例えば、

・原作では、120〜123ページに書かれている、デレク・ハートフィールド『火星の井戸』の中の文章「君の抜けてきた井戸は時の歪みに沿って掘られているんだ。つまり我々は時の間を彷徨っているわけさ。宇宙の創生から死までをね。だから我々のは生もなければ死もない。風だ。」

 という文章が、映画では冒頭でいきなり紹介される。主人公のナレーションで。「風だ。」これは、映画の方がかっこいいな。

・夜行長距離バス、ドリーム号

・ラジオ局から送られてきた特製Tシャツのデザイン。これも、映画のほうがセンスいい。

・僕が寝た最初の彼女が進学した大学は、内田樹先生が勤務していた神戸女学院なのか?

・2番目の女の子が1週間滞在した、東京の僕の6畳一間のアパート。ジャックス『からっぽの世界』はっぴえんど『風街ろまん』のレコード。本棚には、高橋和巳『わが解体』『日本の悪霊』『黄昏の橋』吉本隆明全集が並んでいる。

・『ヒポクラテスたち』の出演者3人が演じる、当たり屋の狂言。BGMは、浅川マキ。

・僕が小指のない女の子の務めるレコード・ショップで購入したレコード。原作では3枚だが、映画では何故か「はしだのりひことシューベルツ」のLPが追加されていた。

・僕が、室井滋とサンドイッチを食べながらテレビで見る映画。原作では『戦場に架ける橋』なのに対し、映画では、ジェーン・フォンダ『ひとりぼっちの青春』。引用されたのは、原作となった『彼らは廃馬を撃つ』のラスト・シーンからなのだそうだ(僕は原作も映画も見ていない)。日本語吹き替えは、野沢那智と小原乃梨子(ジェーン・フォンダの吹き替えと言えば、この人。タイムボカン・シリーズのドモンジョの声もね)。

・鼠の女。原作では、結局登場しない(ただし、後述するが、ずっと出ていたという解釈もある)。映画では何度か登場し、鼠はチャイナ・ドレスの彼女を新幹線・新神戸駅のホームで見送る。鼠と僕は、彼女が引っ越した後のがらんとしたマンションの部屋(鼠の父親に囲われていた?)を訪れる。

・動物園の猿と鼠の父親。息子の父親殺しの物語。原作では周到に隠されていた裏テーマを、大森一樹は「神戸まつり暴動」を介して顕在化させ、鼠が何に対してそんなに悩んでいたのかという彼なりの解答を示した。

・さらに大森一樹が凄いのは、原作では「鼠」に小説を書かせていたけど、映画では自主制作映画を撮らせたことだ。タイトルは『ホール(掘〜る)』。この映画の中で、鼠は「自分が立っているすぐ足元の土」を掘るには、どうしたらよいのか悩む。これは予言的映像とでも言ってもいいんじゃないか。と言うのも、この映画が公開されたずっと後になってから、村上春樹にとっては自分の脳味噌に穴を(井戸を)掘って無意識の領域まで下りて行くことが、彼の小説作りにおいてすごく大切なことなのだと確認されるのだから。

・「何だか不思議だね。何もかもほんとに起こったことじゃないみたい」

 「本当に起こったことさ。ただ消えてしまったんだ」

 「戻ってみたかった?」

 「戻りようもないさ。ずっと昔に死んでしまった時間の断片なんだから」

 「それでも、それは、あたたかい想いじゃないの?」

 「いくらかはね。古い光のように!」

 「古い光? ふふっ」「いつまでも、あなたのボーナス・ライトであることを祈ってるわ」

・ただ、どうしても判らないのは、原作を読んでいて、何だか分からないうちに感動してしまった「あのセリフ」。ラジオDJの「僕は・君たちが・好きだ。」(144ページ)を、映画では消去してしまった(出てこない)ことだ。小説の中では、最重要タームじゃなかったのか?

・それから、原作では、128〜129ページ。「しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった」

この小説で、ポイントとなるキーワードだが、僕がついた嘘に関しては、いろんな解釈が成り立つ。後年の解説書によると、「子供が欲しい」が「そのウソ」ではないか? とのことだが、映画では違った。

「言い忘れてたんだ。」が、嘘だったと。

その直後に挿入されるシーン。

真行寺君枝が正面のバスト・ショットで不思議な雰囲気の微笑を浮かべてこう言う。

「ウソつき!」

なんて色っぽい、素敵な表情なんだ!

 

  

・映画の中では、「いつか風向きも変わるさ」っていう台詞が、いろんな人から交わされるけど、こんなセリフ、原作にあったっけ。あったあった。140ページだ。

 「…ずっと嫌なことばかり。頭の上をね、いつも悪い風が吹いているのよ。」

 「風向きも変わるさ。」

 「本当にそう思う?」

 「いつかね。」

・映画のラスト近く。10年後の廃墟と化した「ジェイズ・バー」。床いっぱいに5センチの厚さでピーナツの殻がまち散らかしてある。そこにふと一陣の風が吹く。スローモーションで巻き上がるピーナツの殻。映画的に、ほんとうに美しいシーンだ。

・ラストシーン。主人公の独白。「神戸行きドリーム号は…… もう、ない」

ビーチ・ボーイズ「カリフォルニア・ガールズ」が流れる中、エンドロール。このタイミングがめちゃくちゃカッコイイ。いやいや、やっぱり何だかんだ言って凄くいい映画だったんじゃないか?

(まだまだ続く)

2015年4月26日 (日)

再読『風の歌を聴け』村上春樹(講談社文庫)

■村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を読んだ。33年ぶりか。

どんな話だったのか、ぜんぜん憶えていなかった。

そういうものだ。

    ☆

どうして再読したのかって?

きっかけは、「ドーナツ」だ。

    ☆

『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)第三章、167ページ。千早茜「解けない景色」というエッセイの中に、印象的なドーナツのシーンが出てくる。

    ☆

高校生の頃の彼女(千早茜さん)は非常に偏屈だった。だって、

読書においては「死んだ人しか読まない」というポリシーを貫いて純文学ばかり読んでいた(『なんたってドーナツ』172ページ)

からだ。

『風の歌を聴け』p22にも、鼠と僕との「こんな会話」がある。

    ☆

「何故本ばかり読む?」(中略)

「フローベルがもう死んじまった人間だからさ。」

「生きている作家の本は読まない?」

「生きてる作家になんてなんの価値もないよ。」

「何故?」

「死んだ人間に対しては大抵のことが許せそうな気がするんだな」

    ☆

不思議なシンクロニシティだ。

死んだ作家の文学しか読まない彼女が、どうして生きている村上春樹の文章と出会ったのか?

 ドーナツと聞くと、私はその景色をありありと思いだすことができる。正しくは私の頭の中の景色なのだが。私自身はその時、予備校の白く無機質な教室で模擬試験を受けていた。

 マークシート形式の国語の試験で、現代文の評論を終え、小説の項目を読んでいる時だった。(中略)

 その小説はさらりとしていた。

 幼い頃の主人公がカウンセラーの元に連れていかれる。主人公は応接室に通され、そこで出された二個のドーナツのうちひとつを、膝に砂糖をこぼさぬように注意しながら半分食べ、オレンジジュースを飲み干す。そして、カウンセラーと対話する。それだけの話だった。

 私はすらすらとそれを読み終え、問題文に向かい、愕然とした。

 答がなかった。

 五つの選択肢を指でなぞりながらもう一度読んだ。やはり、その中に答はなかった。

 そんなはずはない、おちつけ。自分にそう言い聞かせ、とりあえず小説は後回しにして古文と漢文を先に解くことにした。(中略)

 深呼吸して小説に戻り、本文を読み直した。

 そこで、はじめて私はその文章が今まで自分が読んだことのないタイプの文章であることに気付いた。文字で書かれていないことが頭の中に残っていた。シンプルなのに含みがあり、不可解な気配がある。それを振り払い、問題文に向かおうとするのだが、どうしても蘇ってくる。

 国語の解答というものは文脈にないことを書いてはいけない。それが基本中の基本であることはわかっていた。答の選択肢の中に、恐らく正解であろうものを見つけることもできた。けれど、私はどうしてもその円を塗りつぶすことができなかった。

この物語の答は文脈の中ではなくて、文と文との間の書かれていないところにあって、私にはそれをうまく言葉にすることができない。これは、そういう文章なのだ。。そう思った。

 結局、私は白紙で提出した、講師が驚いた顔で「どうした」と言った。

「この選択肢の中に答はありません」

 そう私は答え、講師は「おいおい」と困った顔で笑った。

 大学に入り、本の話ができる友人ができた。ある日、赤と緑の表紙の本を勧められた。ぱらぱらとめくり、息が止まりそうになった。あの試験の文章にそっくりだった。気付けば「この人、誰?」と大きな声で尋ねていた。私は「死んだ人しか読まない」というルールを止め、その作者の本を片端から読んだ。

 あの時の文章はすぐに見つかった。『風の歌を聴け』という本の一節で、今でも時々読み返す。

 私の中にあの景色は色濃く残っていて、壁時計のこちこちいう音も、少し開いた窓から入ってくる潮風の肌触りも、白い皿の上にこぼれたドーナツの黄色い欠片もありありと浮かぶのに、やはり、文章には書かれていない。問題文で問われていた主人公の気持ちも書かれてはいない。

それらはすべて読んだ人それぞれの心の中にある。小説というものに答えなどないのだということを、私ははじめて実感した。(ちくま文庫『なんたってドーナツ』千早茜「解けない景色」p171〜p174

■ところで、村上春樹と言えば「ドーナツ・ホール・パラドックス」問題である。

ドーナツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として捉えるかはあくまで形而上学的な問題であって、それでドーナツの味が少しなりとも変るわけではないのだ。

『羊をめぐる冒険(上)』111ページ

ただ、「ドーナツの穴」問題の初出は『羊をめぐる冒険』ではなくて、この「スヌーピーのゲッツ」のラーナーノーツ。以前にも何度かリンクさせてもらった。

   ☆

■村上春樹がこだわる「ドーナツの穴」の意味とは?

その答えを明解に解説してくれるのは、やっぱり内田樹センセイだ。『もういちど村上春樹にご用心』(文春文庫)34〜37ページ「トラウマとその『総括』」には、こんなふうに書いてある。

   ☆

作家はどこかで一回、自分のことをまじめに書き切るということが重要みたいです。とことん書き切ることで、そして、それでは「書けない」ことがあるということを思い知って、そうして、ようやく自分自身に取り憑いていた文体上の定型から解き放たれる。

 村上さんの場合、『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』の初期三部作は同じテーマをめぐっています。実際にそういう出来事があったかどうかは別にして、村上さんの個人史に即したトラウマ的経験をめぐって小説が書かれている。(中略)

「トラウマ」が問題なのは、傷口が痛むということよりも、その外傷的経験については「語ることができない」という不能そのものが、人格の骨格をなしているということです。奇妙なことですが、私たちが他人がどんな人間であるかを判断するのは、その人がぺらぺらしゃべることによってではなく、その人が何については語らないか、どのような話題を神経症的に忌避するかなのです。(中略)「トラウマ的経験」とはそのことです。(中略)

でも、作家がローカルな読者圏で「愛される作家」であり続けることを諦めて、「世界」に出て行くためには、いつかはトラウマから離脱しなければならない。(中略)

トラウマというのは「虚空」のようなものです。それは「私はそれをうまく言語化することができない」という不能の様態でしか存立しない。さらさらと言語化できるようなら、そんなものは「トラウマ」とは言われません。

 だから、「トラウマについて言い切る」と言っても、それは「私は実はこのような経験を抑圧していたのでした」というカミングアウトをすることではありません。私たちにできるのは、ある種の欠落や欠如について、取り返しのつかない仕方で何かを喪失し、深く損なわれた私について語ることだけです。

それは「ドーナツの穴」について語ることに似ています。「ドーナツの穴」そのものを直接に「これ」と名指すことはできません。まずドーナツを作って、それを食べてみなければ、「ドーナツの穴」の「味」や機能について理解することはできない。トラウマ的な経験について物語るというのは、「ドーナツの穴を含んだドーナツを作る」作業に似ています。

内田センセイの凄いところは、作家自身が発言するずっと以前の段階で、まったく同じことをすでに代弁してしまっていることだ。例えば、同じ『もういちど村上春樹にご用心』(文春文庫)30ページ。

僕が村上春樹の作家的スケールの大きさに気がついたのは『羊をめぐる冒険』を読んだときです。あの小説には、ご飯を作って食べるシーンと家の中を掃除しているシーンが妙に多いでしょう。それが印象的でした。そんな文学作品て、あまりないから。

 でも、村上作品の中では、ご飯を作ったり、お掃除をしたり、アイロンをかけたりという行為は非常に重要な役割を果たしている。それは生きる上での基本ができていないと、美味しいご飯を作ったり、ていねいにお掃除をしたりすることはできない、ということを村上さんは経験的に確信しているからだと思います。

このことに関連して、村上春樹氏は共同通信のインタビュアーからの質問に答えてこう言っている。

   ☆

 ◇羅針盤

 −−そんな中で、今、村上春樹作品が世界中で読まれているわけです。

 村上 僕の小説はある意味では「ロジックの拡散」という現象に併走しているんじゃないかと思う。僕は小説を書くにあたって意識上の世界よりも意識下の世界を重視しています。意識上の世界はロジックの世界。僕が追究しているのはロジックの地下にある世界なんです。

 −−その作品の特徴は?

 村上 ロジックという枠を外してしまうと、何が善で、何が悪かがだんだん規定できなくなる。善悪が固定された価値観からしたらある種の危険性を感じるかもしれないですが、そのような善悪を簡単に規定できない世界を乗り越えていくことが大切なのです。でもそれには自分の無意識の中にある羅針盤を信じるしかないんです。

 −−村上さんの物語はその闇のような世界から必ず開かれた世界に抜け出てきます。その善い方向を示す羅針盤はどこから生まれてくるのですか?

 村上 体を鍛えて健康にいいものを食べ、深酒をせずに早寝早起きする。これが意外と効きます。一言でいえば日常を丁寧に生きることです。すごく単純ですが。

■それから、39ページには、こんなことが書いてある。

札幌の街のことを書こうと思っても(ギリシャの孤島ではどうしようもないから)手元には何の資料もない。そうすると、自分の頭の中にある記憶のストックから引き出して書くしかない。でも、この「自分の頭の中にある記憶のストック」から情報を引き出すしかないという状況ほど人間の脳が活性化することって、実はないんです。(中略)

 きっと村上さんは、作家的成熟のどこかの段階でそれに気付いたんだと思います。自分の記憶の中には巨大な「アーカイブ」がある。

そうして、季刊誌『MONKEY vol.4』に連載されている、村上春樹私的講演録『職業としての小説家』第4回「さて、何を書けばいいのか?」を読むと、「小説家になろうという人にとって重要なのは、とりあえず本をたくさん読むことでしょう」という文章に続いて、こんなふうに言っている。

 その次に ---おそらく実際に手を動かして文章を書くより先に---来るのは、自分が目にする事物や事象を、とにかく子細に観察する習慣をつけることじゃないでしょうか。まわりにいる人々や、周囲で起こるいろんなものごとを何はともあれ丁寧に、注意深く観察する。

そしてそれについてあれこれ考えをめぐらせる。しかし「考えをめぐらせる」といっても、ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はありません。結論みたいなものはできるだけ保留し、先送りするように心がけます。

大事なのは明瞭な結論を出すことではなく、そのものごとのありようを、素材=マテリアルとして、なるたけ現状に近い形で頭にありありと留めておくことです。(中略)

 多くの場合、僕が進んで記憶に留めるのは、ある事実の(ある人物の、ある事象の)興味深いいくつかの細部です。全体をそっくりそのまま記憶するのはむずかしいから(というか、記憶したところでたぶんすぐに忘れてしまうから)、そこにある個別の具体的なディテールをいくつか抜き出し、それを思い出しやすいかたちで頭に保管しておくように心がけます。(中略)

 いずれにせよ、小説を書くときに重宝するのは、そういう具体的細部の豊富なコレクションです。僕の経験から言って、スマートでコンパクトな判断や、ロジカルな結論づけみたいなものは、小説を書く人間にとってそんなに役には立ちません。むしろ足を引っ張り、物語の自然な流れを阻害することが少なくありません。

ところが脳内キャビネットに保管しておいた様々な未整理のディテールを、必要に応じて小説の中にそのまま組み入れていくと、そこにある物語が自分でも驚くくらいナチュラルに、生き生きしてきます。(p169〜p174)

   ☆

   ☆

この項、もう少し続く予定。

2015年4月22日 (水)

件(くだん)が登場する漫画

漫画に描かれた、件(くだん)を集めている。

「下駄屋に生まれたというくだんのために、僕らは一家総出で岩国に出向いた。もちろん買い取るためだ。」(津原泰水『11 / eleven』河出文庫 11ページ)という、印象的な書き出しで始まる短篇小説を完全漫画化した『五色の舟』近藤ようこ(KADOKAWA)を最近読んで感銘をうけたからだ。

件(くだん)のことなら知っている。

からだが牛で、顔だけ人間の浅ましい化け物。

牛から生まれて三日にして死し、その間に人間の言葉で、未来の凶福を予言する。

歴史に残る大凶事の前兆として生まれ、数々の予言をし、凶事が終われば死ぬとも言われている。

漫画家 とり・みき氏による解説:「依って件(くだん)の地獄行き

T02200293_0240032010517561217



虹ヶ原ホログラフ』浅野いにお(太田出版)138ページにも登場する。これは、うちの長男に教わった。

ずいぶんと昔に、確か「少年マガジン」で小松左京『くだんのはは』を、石森章太郎が漫画にしたのを読んだ。膿と血で汚れた包帯と洗面器の絵がリアルに記憶されていて、図書館で検索したら『漫画家たちの戦争:未来の戦争』(金の星社)に収録されていることが判った。これです。(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

Img_2698

■『漫画家たちの戦争 / 未来の戦争』(金の星社)に収録されていたのは、「くだんのはは」石森章太郎、「落雷」星野之宣、「地上(うえ)」山上たつひこ、「飛ぶ教室」ひらまつつとむ、「百鬼夜行」諸星大二郎、「THE WORLD WAR 3 地球 THE END」松本零士、「山の彼方の空紅く」手塚治虫、「ある日…」藤子・F・不二雄。

みな大変な力作で、読み応えがあった。

石ノ森章太郎の「くだんのはは」には、憶えていたとおりの「膿と血で汚れた包帯で山盛りの洗面器」が描いてあった。ただ、この「くだん」は「頭が牛で体は人間」だった。そりゃそうだろう。「くだんのはは」は「人間」なんだから。

 

Img_2704

■中でもいちばん驚いたのは、手塚治虫『山の彼方の空紅く』だ。1982年にマイナーな漫画雑誌に発表された「この漫画」は、今から33年も前に描かれたのに、沖縄普天間基地の辺野古移転反対運動を予言したかのような漫画だ。これは凄いぞ。ただし、「くだん」は出てこないけどね。

2015年3月22日 (日)

『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店 ボクラノSF):その3

Img_2685

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p140〜141 より)


■ところで、この本の【あらすじ】だが、主人公の男子高校生が住む地方都市の裏山に、とある昼下がり「火球」が飛来する。隕石か? UFOか? それとも? 彼は、中学時代からの友人「平岩」と「倉石」(異常にSF映画の造詣が深い)それに、教室で主人公の後ろの席に座る「久保田葉子」の4人で、謎の調査に乗り出す。

こう書くと、いかにも健全なジュブナイル小説といった感じだが、いやいや、ぜんぜん「健全」ではないのだ。

謎のエイリアンが地球に襲来し「宇宙戦争」になるかも?っていう非常事態に、主人公の男子高校生にとっては、後ろの席に座る「久保田」のほうがよっぽど「エイリアン」で訳がわからず気になって仕方ないという、自分が今まで生きてきた中で一度も経験したことのない感覚(感情)に囚われる危機的状況を迎えていて、さらには「平岩」という強力なライバルも登場してしまい、大変なことになってしまっていたのだった。

それを「一人称一視点」で主人公が語ってゆくのがこの小説なのです。

いや、ほんと面白かった。

■いろいろと検索してみたけれど、「この小説」の読後感想として最も優れていると思ったのは、やはり「児童読書日記」だな。

■たしか、京極夏彦『嗤う伊右衛門』をハードカバーで読んだ時だったか、見開きページがまるでロールシャッハ・テストみたいに左右対称に文字が配置されるよう、そこまで著者は周到に考えて「この本」を完成させたという話を聞いた。

実際にパラパラと頁をめくってみると、もちろん必ずしも左右対称という訳ではないが、とにかく印刷された「文字」の並びが、まるでイラストみたいで確かに美しいのだった。

ぼくは『シンドローム』を読みながら、そのことを思い出していた。

さすが「絵本」の福音館だ。「文字」そのものを、ビジュアル的イメージで「絵」のように「挿絵」と対峙させているのだね。この試みは、前作の『どろんころんど』でもあった。これだ。

Img_2684

  (『どろんころんど』北野勇作・福音館書店 p186〜187 より)

■『シンドローム』では、さらに違ったやり方で、もっと徹底して「文字のビジュアル効果」を追求しているのだった。

そして、前述の「児童読書日記」で言及されている部分が以下の写真だ。ぼくはそこまで「絵」として「文字」を「イラスト」とシンクロさせていることを意識的に読んでなかったので、この指摘を読んで「目から鱗」のビックリだった。

Img_2691

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p142〜143 より)

Img_2686

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p144〜145 より)

Img_2687

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p146〜147 より)

Img_2688

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p148〜149 より)

Img_2689

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p150〜151 より)

■なるほど、そういうことだったのか。「この次の頁」に、全面イラストのページが出現するのだ。そして、そこで読者は「ほっ」とする。

 

ここに続くのが、裏表紙の帯に書かれた文章だ。本文でいうと、154ページ。

--------------------------------------------------------------------------

髪が風に吹かれている。川原の光をにじませている。

ぼくは久保田の顎を見つめる。

ぼくは久保田の手を見つめる。

ぼくは久保田の頬を見つめる。

ぼくは久保田の見つめている。

ぼくはまぶしさを感じている。

久保田の隣で、ぼくはサンドイッチを手にしている。

--------------------------------------------------------------------------

直前の緊張感でドキドキの後におとずれた至福の時間。

読みながら、主人公の気持と完全にシンクロしてしまう前半の山場だ。

■そして、後半は読者の期待を裏切らない怒濤の展開となる。大丈夫。ホント面白いから。

ツイッターでは、

『ボラード病』と『突変』と、キングの『霧』を足して3で割って「迷妄」をまぶした感じの小説だった。いまここの小説だ。

と書いたが、ちょっと訂正したい。映画『ポセイドン・アドベンチャー』を、是非とも加えないとね。ぼくは「この映画」を今はなき「新宿ミラノ座」で見た。まだ中学生だったと思う。

それから、キングの『霧』だが、これはフランク・ダラボンが映画化したヤツではなくて、原作のほう。ただし、原作の結末も実は2種類あって、『闇の展覧会 霧』(ハヤカワ文庫)収録版と、『スケルトン・クルー〈1〉骸骨乗組員 (扶桑社ミステリー文庫)に収録された「霧」とでは、結末がちょっと違うのだった。

ダラボンの映画のエンディングはどうにも後味が悪いが、『骸骨乗組員』に載っている『霧』は「つづく」って感じが残されていて、実際ぼくは、コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』を、さらに南へ南へと向かう『霧の父子の「続きの物語」として読んだのだった。

・『シンドローム』も、主人公にとっては(どちらの面でも)前途多難で不条理な明日しか待ってはいないのだが、それでも、微かな希望の光(『ザ・ロードの息子が運ぶロウソクの炎のように)だけは残されているのだった。

 


2015年3月13日 (金)

『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店 ボクラノSF):その2

Img_2665

 <写真をクリックすると、もう少し大きくなります>

『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店:ボクラノSF)を読んでいる。何か、この主人公の男子高校生が一人語りする文章が不穏で変。まだ70ページ。

ちなみに、福音館書店の「ボクラノSFシリーズ」は、全巻揃えて持っているのだ。北野勇作『どろんころんど』はもちろんのこと。これ、自慢デス。

『シンドローム』佐藤哲也(福音館)を、ただ今読み終わった。これは怖い。本当にリアルで怖い。でも、いや、面白かった。SFと言うよりも、モダンホラーだな。イメージとしては『ボラード病』と『突変』と、キングの『霧』を足して3で割って「迷妄」をまぶした感じの小説だった。いまここの小説だ。

20150312

 <写真をクリックすると、もう少し大きくなります>

■この「ボクラノSFシリーズ」の前巻、『どろんころんど』北野勇作・著が発刊されたのが、2010年8月10日。ほぼ5年ぶりの新刊だ。

「もうお忘れでしょうか? 嘘のような話ですが、実は、続いていました! そして、まだ続きます。」

って、笑ってしまったよ。ほんと。

Img_2678

       <写真をクリックすると、もう少し大きくなります>

■上の写真をクリックして、裏表紙の帯に書かれた文章を読んでみて欲しい。本文でいうと、154ページだ。

--------------------------------------------------------------------------

髪が風に吹かれている。川原の光をにじませている。

ぼくは久保田の顎を見つめる。

ぼくは久保田の手を見つめる。

ぼくは久保田の頬を見つめる。

ぼくは久保田の見つめている。

ぼくはまぶしさを感じている。

久保田の隣で、ぼくはサンドイッチを手にしている。

--------------------------------------------------------------------------

直前の緊張感でドキドキの後におとずれた至福の時間。

読みながら、主人公の気持と完全にシンクロしてしまった。

■この小説は、男子高校生の「一人称一視点」(そうでないと、この小説は成立しない)で語られてゆくのだが、この男子高校生、変にまじめで、妙に冷静で、ふつうの男子高校生の数倍は「自意識過剰」なのだ。

て言うか、ぼくが高校生だった頃は「迷妄」といっても「エロ」がその全てだったし、同じ1958年生まれ(でも、早生まれだから学年は1つ上)の東野圭吾『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社)や、みうらじゅん『人生エロエロ』を読んでみても、ぼくとあまり変わらない「おばか」な高校生だったぞ。

最近の男子高校生は、あまり「エロ」くないのか? よくわからない。

それにしても、彼の語り口はじつに不穏で、頭でっかちで、読んでいて何とも居心地が悪い。

例えば、以下のような文章。

---------------------------------------------------------------------------------------------

 ぼくはどちらかと言えば精神的な人間で、精神的であることを好み、精神的でなければならないと考え、非精神的な状態には嫌悪をおぼえたので、平岩のように非精神的な期待や願望をあからさまに外へ出すことはできなかったが、それでもときには精神的な領域の外へ感情があふれて、平岩のように非精神的とは言えないまでも、必ずしも精神的であるとは言い切れないところで不可解な反応をすることがある。

それは言わば精神の外周に出現する暗黒の領域に属していて、そこに現れる感情にいちいち説明はついていない。暗黒の領域に踏み込んで、手探りをしながらあえて説明を求めれば、晴れ上がった自意識や、いやしい根性を見つけ出すことになるだろう。

だからそんなことは絶対にしてはならない、とぼくは思った。説明を求めるようなことはしてはならない、とぼくは自分に言い聞かせた。だからぼくは自分の精神の外周で、ただ暗い震えだけを感じていた。気をつけなければならない、と暗黒の領域が警告を発していた。気をつけなければならない、とぼくは頭の中で繰り返した。(18〜19ページ)

----------------------------------------------------------------------------------------------

(まだまだ続く)

Powered by Six Apart

最近のトラックバック