読んだ本 Feed

2015年3月 8日 (日)

先月のこの1曲。アン・バートン「Love is a Necessary Evil」と、『シンドローム』佐藤哲也(福音館)その1

Img_2674

■ずいぶんとご無沙汰の更新になってしまった。

さらには、1月も、2月も「今月のこの1曲」をアップし忘れてしまったことに気がついた。ダメじゃん。ごめんなさい。

という訳で、もう3月ですので、「先月のこの1曲」であります。

Love Is A Necessary Evil (1974) - Ann Burton
YouTube: Love Is A Necessary Evil (1974) - Ann Burton

■アン・バートン『BY MYSELF ALONE』は、ぼくが大学生になった 1977年の5月に、東京の西小山に住んでいた兄のマンションへ行って借りてきた「ジャズのレコード」10枚の中の1枚だった。うん、あれからずいぶんと聴いたぞ。自分で買い直して、盤が擦り切れるほどにね。

中でもお気に入りは、A面4曲目の「Love Is A Necessary Evil」だ。

このレコードは、アン・バートン2度目の来日時(1974年)に日本で録音されたもので、バック・ミュージシャンは全員が日本人という布陣。ピアノは、佐藤允彦と小川俊彦の二人で、「この曲」をボサノバ・タッチの軽妙なアレンジで聴かせるのは佐藤允彦のほうだ。

「この曲」は、A面3曲目に入っている「May I Come In」と同じく、マーヴィン・フィッシャー(曲)ジャック・シーガル(詞)のコンビによる小粋で洒落たリリックの唄で、ブロッサム・ディアリーが 1964年にキャピタルから出した『MAY I COME IN』に2曲とも収録されているが、雰囲気はぜんぜん違う。ぼくは断然アン・バートンだな。

それにしても「歌詞」が面白い。

JASRAC からの通告のため、歌詞を削除しました(2019/08/06)

「A very contrary hereditary evil」(矛盾だらけで、遺伝的な悪)

An evolutionary, interplanetary evil」(進化論的な古代からの長い時間と、惑星間ほども距離がある宇宙空間的広がりを持つ悪。てな感じの意味か?)

「うまいことを言うものだ。ほんと、そうだよなぁ。」レコードを何遍も聴きながら、「LOVE」が何たるものかまだぜんぜん判っていない当時のぼくは、うんうんと感心して独りごちた。

つい先日CDで再発されたので、このところよくまた聴いているのだが、ちょうど『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店・ボクラノSF)を読んでいて、自意識過剰ぎみな主人公(男子高校生)の思考回路と「この曲」とが絶妙にシンクロして、不思議で懐かしい、そしてほろ苦い気持を追体験したのだった。(つづく)


2015年1月25日 (日)

『未明の闘争』における保坂和志氏の意図的な文体は、デレク・ベイリーを連想させる

『音楽談義 MUSIC CONVERSATIONS』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)を読んだ。これは本当に面白かった。

ぼくらが聴いている音楽は、やっぱり「同時代性 = リアルタイム」が重要なキーワードであることを再確認できた。例えば、ビートルズがなぜ当時(1971年)中学生だった僕らのアイドルになり得なかったのか? よく判った。あの頃、ビートルズはすでに「オワコン」だったんだ。ボブ・ディランは聴いていたけれど。

あと、マギー・ミネンコのこと。若い人たちは誰も知らないだろうな、マギー・ミネンコ。

以下、ツイッターに投稿したものを再収録(一部改変あり)。

『音楽談義 Music Conversations』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)をTSUTAYAで立ち読み。面白い! 2人は僕より2つ上。宮沢章夫氏、小田嶋隆氏と同学年だ。保坂さんが中3ではまった、加川良『親愛なるQに捧ぐ』。中1の僕も繰り返し聴いた。「こがらしえれじい」のフィンガー・ピッキング奏法とハンマリング・オン。ギターでさんざん練習したなあ。

続き)保坂和志氏は、何故かその後フリー・ジャズへ。山下洋輔トリオ、セシル・テイラー、スティーヴ・レイシーにオーネット・コールマン。あと、デレク・ベイリーが好きで、CDも30枚は持っているとのこと。そしたら、湯浅学氏も最近よく聴いてるんだって、デレク・ベイリー。知らなかったな。

続き)それから、湯浅学氏と大瀧詠一さんの出会いの話が面白かったな。あと何だっけ。保坂和志さんはギル・エヴァンズも大好きとのことです。それからそれから。やっぱり買うしかないな。この本。

Photo

『音楽談義 MUSIC CONVERSATIONS』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)を買った。第三章まで読んだ。めちゃくちゃ面白い。もったいないので今日はここまで。

Img_2608

『音楽談義 保坂和志 × 湯浅学』に続いて、『ボブ・ディラン ロックの精霊』湯浅学(岩波新書)を読み始める。買ったまま未読だったのを思い出したんだ。岩波新書で出たミュージシャンの評伝は、藤岡靖洋氏の『コルトレーン』が力作だったから、ボブ・ディランにも期待大なのだ。

『未明の闘争』保坂和志(講談社)を読み始める。「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた。」って、いきなり変な文章に面食らう。そのあとは池袋駅前「ビックリガード」の解説が延々と続く。何なんだ、この混沌としてとっ散らかった文章は。そうか!デレク・ベイリーの演奏スタイルで書いているんだね

■湯浅学氏に関しては、参考になる音源、画像が YouTube 上にある。

SS22 湯浅 学 「土星から来た大音楽家サン・ラー」 フル(ニュース解説) 2014.11.12
YouTube: SS22 湯浅 学 「土星から来た大音楽家サン・ラー」 フル(ニュース解説) 2014.11.12


坪内祐三×湯浅学 音楽が降りてきたり、音楽を迎えにいったり
YouTube: 坪内祐三×湯浅学 音楽が降りてきたり、音楽を迎えにいったり


湯浅学さんとディラントーク Barakan Morning ディラン祭り 2014
YouTube: 湯浅学さんとディラントーク Barakan Morning ディラン祭り 2014

湯浅学×村井康司 対談:
チャーリー・パーカーから大友良英まで〜ジャズの70年を聴く 『JAZZ 100の扉』刊行記念トークショー(四谷「いーぐる」にて収録)



2015年1月12日 (月)

『子どものミカタ』山登敬之(日本評論社)

Img_2600

■『現代、野蛮人入門』松尾スズキ(角川SSC新書)を読み終わり、続いて、児童精神科医:山登敬之先生の新刊『子どものミカタ』(日本評論社)を読む。

これはよかった。とても勉強になる。

そして、日頃の外来診療で、小児科開業医として自分が子供たちに接する態度をふり返り、山登先生とはえらい違いだと、ただただ反省させられた。

■この本には、山登先生が専門雑誌『こころの科学』『そだちの科学』『児童心理』や、学術誌『臨床精神医学』『保健の科学』、それに精神科の専門書に載せた文章や論説が集められているので、対象読者は「子供のこころ」や「発達障害」と直接係わる、若手児童精神科医、一般小児科医、臨床心理士、言語聴覚士、支援学級の教師、一般教師や保育士、患児の親御さん、ということになるか。

本のタイトルである『子どものミカタ』には、「味方」と「診方」の2つの意味が込められていて、特に後者に関して、臨床経験30年以上のベテラン児童精神科医が「その手の内」を惜しげもなく開示してくれているのだ。これは小児科医として大変ありがたい。

 2)子どもの「日ごろと違う様子」をどう読むか

 6)不登校診療のエッセンス

 7)子どもの「うつ」をどうみるか

 13)子どもの悩みをきく ---- 専門職として、大人として

 14)説明の工夫

 15)クリニックの精神療法、その周辺

特に上記のパートで、児童精神科医がどのように診療を進めて行くのかが具体的に分かり易く述べられている。これは非常に貴重だ。ぼくは他の先生の本で「このような記載」を読んだことがない。

■それから、なるほど! と感心したのは、「説明の工夫」(199ページ)に書かれている「それは一言で言うとどんな病気?」という問いを設け、それに対する答えを考えてみる、というところ。たとえば、

 ・統合失調症:「よくわからなくなる病気」

 ・うつ病  :「動けなくなる病気」

 ・神経症圏の病気:「特殊なわがまま」

 ・発達障害:「(生まれつき)上手にできない」

   ADHD:上手に話が聞けない。上手に片付けができない。

   自閉症スペクトラム:上手に人間関係が築けない。上手に気持の切り替えができない。

   LD:上手に読めない。上手に計算ができない。

なるほどなぁ。うまいことを言うものだ。

そうして、最初のパートに登場する摂食障害の患者の言葉。まるで、俵万智の短歌のような文章をただ並べただけで、あの厄介な摂食障害という病気を読者に直感的に了解させてしまうというウルトラC級の大技を見せてくれて、山登先生はやっぱりスゴイなぁと思った次第です。

■あと、本の随所に児童精神科医の「矜持」が感じられたこと。これは「子どもの味方」のほうの部分。

ぼくなんかが、いいかげんな知識、面談、態度で、ただ診断名だけ付けただけで、子供の生活環境の調整もフォローもせず、薬を出してそれでおしまい、なんていうような事は決してやってはいけない。

そう、肝に銘じました。

・それからもう一点。

9)「当世うつ病事情」131ページに興味深い記述があった。

 ところで、恥を承知で白状すると、私は香山の本を読むまで、「未熟型うつ病」だの「現代型うつ病」だのという言葉があるのも知らなかった。(中略)

 では、私がこれらの病態の存在をまったく知らなかったかといえば、そうではない。むしろ、右にあげた特徴を備えた患者は、私にとって比較的お馴染みの人たちであった。私は長いこと、不登校の子どもたちやひきこもりの青年たちを相手に仕事をしてきたため、こういう人たちのことを、とくにめずらしく感じなかったのだと思う。

 近ごろの若いやつらってだいたいこんなもんでしょ、という意味では、不登校の中学生もうつ状態のサラリーマンも、診察室を訪れる患者にそんなに大きな違いはない。つまり(中略)私は思春期臨床の延長上で彼らの相手をしていたため、彼らの抱える病理(=新しいタイプのうつ病)よりも、未解決の発達課題(=オトナになること)のほうに目が向いていたのだ。

 うつ病は基本的に大人の病気である。私はそういう印象をもっている。

「オトナになること」とは、どういうことを言うのか? それも「この本」に書いてあった。

13)「子どもの悩みをきく ---- 専門職として、大人として」の、190ページ。高校3年生の女の子から山登先生がもらった手紙だ。

 あの頃の私は、なんでも人のせいにばかりして、みんなに迷惑かけていたと思います。けれど、結局は自分自身だということを知りました。

 自分が変わることで、ものの見方やまわりの世界も変わってくるんだということ。がんばっていると、みんな応援してくれる。それから、がまんするっていうこと。人を思いやること。いろんなことがわかってきました。

 つらいことがあってもそれをはねとばしちゃうくらいになりました。こんな感じでちょっとずつ大きな人になりたいです。

 先生、ありがとう。

             ■ 中略 ■

 いろいろなことを経験して、あの頃の私を思い浮かべるいまの私がいる。その私は、行動すること、がまんすること、人を思いやることの大切さを知っている。その私は、いまもちょっとずつ大きな人になりたいと願っている。

 どう? 人間が成長するってことは、まさしくこういうことだって思わないか?

(190ページ)

■なるほどなぁ。ぼくはぜんぜん大人になりきれていないぞ。56歳なのにね。

松尾スズキ『現代、野蛮人入門』も、考えてみたら「オトナになること」に関して書かれた本であった。「偽善のススメ」なんて、まさにそうだ。松尾さんは、『サブカル・スーパースター鬱伝』吉田豪(徳間文庫ビレッジ)にも登場するので、『大人失格』どころか、ちゃんとした大人に違いない。

■逆に、つね日ごろ暗くてテンションが低いぼくだが、不思議と「古典的うつ病」にならないのは、大人になりきれていないからだったんだなぁ。妙に納得してしまったよ。

「成人の日」に、なんだかしみじみと考えさせられてしまったな。

Img_2603

      【写真をクリックすると、大きくなります】

■日曜日。伊那市立図書館へ延滞していた本を返却しに行ったら、雑誌コーナーに『ビッグ・イシュー日本版』の最新号とバックナンバーが置いてあるのを発見してビックリした。

東京や大阪で、直接ホームレスの人から購入しないと読めない雑誌だとばかり理解していたからだ。伊那でも読めるのか! さっそくバックナンバーを数冊借りてきた。

■『ビッグ・イシュー日本版』には、自閉症の作家、東田直樹くんが連載を持っている。2年くらい前からは、山登敬之先生との往復書簡という形で「自閉症の僕が生きていく風景 <対話編>」というタイトルで連載が続いている。そのことは以前から知っていたので、まずはそのページを開いて読んでみた。

う〜む。なかなかに深い話をしているじゃないか。

これからは、伊那にいながらにして「この連載」が読めることが何よりもうれしいぞ。

2015年1月 4日 (日)

『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

■年末は、12月31日が当番医で覚悟していたのだけれど、インフルエンザ流行ギリギリ前だったためか、予想より少なめで137人診察して夜7時半には終了した。とは言え、スタッフはみなお昼の「ちむら」のちらし寿司を食べる間もなく、午前午後ぶっ通しでがんばってくれた。ありがたい。

ぼくは午後2時から15分間昼食タイムを頂いた。一人だけすみません。

■正月は、何処へも出かけずにずっと家にいた。

元旦の午前中に、今年初めて注文した「浜松・弁いち」の「おせち」が宅急便で届いて、これがまぁ、どのお料理にも丁寧な仕事が成されていて、美味しかったのなんの。家族4人で2日の夜にはすっかり食べきってしまった。今までもいろんな所から「おせち」を注文したけれど、ここはちょっと特別。

機会があったら、ぜひ一度浜松のお店に食べに行きたいものだ。

-----------------------------------------------------------------------------

■時間はいっぱいあったのに、予定していた本はほとんど読めなかった。

読み終わったのは、『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)の一冊のみ。でも、これは面白かったなぁ。ラーメンとか、カレーのエッセイ・アンソロジーは読んだことがあるが、ドーナツとはね。

しかも41人+編者自身の文章が載っている。そのうち編者が直接原稿依頼した書き下ろしが19本。それにしても、よく集めたよねぇ。またこの人選が適確なんだ。

植草甚一氏の文章なんて、他の本には収録されてないんじゃないかな。こんなに甘党の人だとは知らなかったよ。

■まぁ、ぼく自身はドーナツ大好きというワケではないのだ。

ただ、以前から「ドーナツの穴問題」に関心があって、本屋さんで手に取って目次を開いたら「第三章 ドーナツの穴」と、わざわざ一章を割いて着目し、村上春樹「ドーナッツ」北野勇作「穴を食べた」細馬宏通「穴を食す」片岡義男「ドーナツの穴が残っている皿」いしいしんじ「45回転のドーナツ」など、8編も収録されていたので「おぉ!」と、うれしくなってしまい即購入したのだった。

「ドーナツ・ホール・パラドックス」問題は以前、「こちら」『演劇最強論』の1月22日と23日にも書いた。

ところで、村上春樹氏が「ドーナツの穴問題」に言及した最も古い文章は、『羊をめぐる冒険』ではなくてたぶんこの、スタン・ゲッツ『Children Of The World』のライナーノーツなんじゃないかな?

■編者の早川さんが京都在住のためか、京都に住む作家さん(千早茜、いしいしんじ)、編集者(ミシマ社の三島邦弘さん、丹所千佳さん)大学教授(細馬宏通さん)が寄稿している。

千早茜さんの「解けない景色」が特に印象に残った。前半はちょっと退屈だが、後半がすごくよい。この章の中のエッセイでは最も「ドーナツの穴」に肉薄しているのではないか。

■文章の配列にも工夫があって、江國香織さんによる大雪のニューヨークでの顛末に続いて、松浦弥太郎氏がサンフランシスコの「ヴェローナ・ホテル」に宿泊していた、とある一人の中国人青年の話を。その後に、東海林さだお氏と小池昌代さんが同じクリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンの話をしている。最後のトリは、清水義範氏が子供の頃、伊勢湾台風に遭遇した夜に家族みんなで食べた不味いドーナツの話。これがまた。しみじみ読ませるのだよ。

ぼくも、保育園の頃に食べたドーナツの味をありありと思い出したのでした。

--------------------------------------------------------------------------------------------

■ツイッターに書いた感想より

· 12月25日
『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)を読んでいる。41人のドーナツ関連エッセイ(書き下ろしもある)が集められている。僕好みの渋い人選なんだこれが。今日は「祖母とドウナツ」行司千絵を読む。うまいなぁ、読ませるなぁ。


· 12月27日
『なんたってドーナツ』より「ひみつ」田村セツコを読む。戦時中、疎開先の学校で隣の席だったK子ちゃんの家(裏に竹林のある大邸宅)で、お手伝いさんがおやつに運んできた紅茶とドーナツ。わずか2ページ半なのに、妙に気になる不思議な話。


· 12月27日
『なんたってドーナツ』より「高度に普通の味を求めて」堀江敏幸を読む。これも書き下ろし。堀江さんは1964年生まれで僕より6つ下だが、小学校の不幸な給食の想い出がほぼ一緒で可笑しい。雑誌『MONKEY vol.4』に載っている、猿からの質問「(気)まずい食事」の方にも堀江さんは寄稿している。


続き)『MONKEY vol.4』(スイッチ・パブリッシング)143ページ。「ふつうのお茶漬け」堀江敏幸。小学生の頃、連休初日に近所の家族と白川郷へドライブした時の話。脱力するしかない内容なのに、何故か読ませる。このコーナーでは、西加奈子「弔いの煮物」が技ありで一番面白かった。


· 1月1日
『なんたってドーナツ』より、p105「クリームドーナツ」荒川洋治を読む。このエッセイが収録された『忘れられる過去』(朝日文庫)は持っている。島村利正が出てくるからね。「50歳を過ぎた。するべきことはした。あとはできることをしたい。それも、またぼくはこうするなと、あらかじめわかるものがいい。こんなふうな習慣がひとつあって、光っていれば、急に変なものがやってこない感じがするのだ。」

続き)荒川洋治さんの次は、武田百合子さんの『富士日記』だ。これも持ってるぞ、文庫で。上・中・下巻。キンドル版は出ているのだろうか? そうすれば「ドーナツ」の検索は楽だったのにね。

ぼくのドーナツの思い出は、高遠第一保育園に通っていた5歳の頃のこと。お昼寝のBGMに流れた「ユーモレスク」が終わって目覚めると、3時のおやつだ。担任の蛭沢先生がお皿に配ってくれたのがドーナツ。穴のあいてない、サーターアンダギーみたいな、小惑星みたいな、線香花火みたいな突起が出たドーナツ。まわりは焦げ茶色で、かじると中がほんのり黄色い。砂糖はまぶしてなくて、手はベタつかない。

たまにしかおやつに出なかった。美味しかったなぁ。


· 1月3日
『なんたってドーナツ』(ちくま文庫)もうじき読み終わる。「朝食にドーナツをおごるのが、そのころの私のたのしみだった。熱いコーヒーにドーナツ。その日は一日中、活力が切れなかった。メリケン粉と卵とミルクとバターが、それぞれの味の領域を冒すことなく、謙虚にバランスを保ってまぜ合わされ、油がいい仕上げの味を与えていた。(中略)あの日。苦しい戦後が、ひと息ついたのであった。メリケン粉とバターと卵とミルクと油と砂糖という、お菓子の要素となるものが揃うのに、戦後何年の歳月が必要だったろうか。三年あるいは、四、五年も要ったか。」(ドーナツ 増田れい子 p211)

2014年12月30日 (火)

今月のこの1曲。Judy Bridgewater 『Never Let Me Go』

Img_2590

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(早川書房)を読んだのは、もう随分と前なのだけれど、ずっと気になっていることがあって、このブログでも何回か取り上げたことがある。

小説の主人公、キャシー・H が何度も何度も聴くカセット・テープに収録された曲、Judy Bridgewater 『Never Let Me Go』のことだ。

(その1)「2006/11/15 の日記」と、11/23、11/25の日記。

(その2)今月のこの一曲『'Cause We've Been Together』アン・サリー

・ポイントは2つ。

1)ジャズ・スタンダードの『Never Let Me Go』とは、どうも違う曲らしい。

2)「この小説」が出版される少し前のこと。村上春樹氏が東京でカズオ・イシグロ氏と会った際に、スタンダードの『Never Let Me Go』が収録された JAZZのCDをカズオ・イシグロ氏にプレゼントしたらしいのだが、「そのジャズCD」が何だったか不明であること。

ところが最近、思いも寄らぬところから事実が判明した。

なんと! 村上春樹氏ご本人が「その種明かし」を季刊誌『考える人』(2013年秋号)誌上においてしてくれたのだ。現在、その全文は『小澤征爾さんと、音楽について話をする』小澤征爾・村上春樹(新潮文庫)のラストに、文庫版ボーナス・トラックとして『厚木からの長い道のり』というタイトルで収録されている。

ネタバレになるので、「そのCD」が何だったか興味のある人は「この文庫」に直接当たって下さい。

もう一つ。『わたしを離さないで』は、2010年にイギリスで映画化されていて「予告編」は公開前に見た。原作を読んでイメージした寄宿学校「ヘールシャム」や、ノーフォーク海岸の映像が、ほぼイメージどおりだったので驚いた。で、逆にちょっと怖くなったのだ。

だから、この映画は見なかった。

でも、「この曲」のことを、映画ではどう処理したのか、ずっと疑問だったので、このあいだ TSUTAYA から借りてきて見たんだ。映画は原作に忠実に作られており、主人公たち3人の切ない思いが映像からストレートに伝わってきて、想像以上にとてもよかった。

ところで、このジュディ・ブリッジウォーターの「Never Let Me Go」は、実際には存在しない歌手の小説の中だけの架空の楽曲だが、映画では案外軽く扱われていて残念だったけれど、ちゃんと2度ほど流れた。いかにもそれらしいレコードジャケットも映画用に作られている。

これだ。

Judy Bridgewater - Never Let Me Go
YouTube: Judy Bridgewater - Never Let Me Go

小説では、以下のように書かれている。

 テープに戻りましょう。ジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』でした。レコーディングが1956年。もともとはLPレコードだったようですが、わたしが持っていたのはカセット版で、ジャケットの写真もLPジャケットのそれを縮小したものだと思います。

写真のジュディは、紫色のサテンのドレスを着ています。こういうふうに肩を剥き出しにするのが当時の流行だったのでしょうか。ジュディはバーのスツールにすわっていて、上半身だけが見えています。(中略)

このジャケットで気になるのは、ジュディの両肘がカウンターにあって、一方の手に、火のついたタバコがあることです。販売会でこのテープを見つけたときから、なんとなく人目にさらすのがはばかられたのは、このタバコのせいでした。(p106) -- 中略 --

スローで、ミッドナイトで、アメリカン。「ネバーレットミーゴー……オー、ベイビー、ベイビー……わたしを離さないで……」このリフレインが何度も繰り返されます。わたしは十一歳で、それまで音楽などあまり聞いたことありませんでしたが、この曲にはなぜか惹かれました。いつでもすぐ聞けるように、必ずこの曲の頭までテープを巻き戻しておきました。(『わたしを離さないで』p110)

確かに「スローで、ミッドナイトで、アメリカン」そのものなんだが、メロディはよくあるチープなR&Bって感じで、歌も妙にセクシーなだけでぜんぜん上手くないし、主人公が何度も何度も繰り返し聴いて心ときめかす楽曲とはとても思えないんだよなぁ。

ぼくが小説を読みながらイメージした「この曲」は、キース・ジャレットの「Standars, Vol.2」B面1曲目に収録された「Never Let Me Go」だった。これです。

Keith Jarrett Trio - Never Let Me Go
YouTube: Keith Jarrett Trio - Never Let Me Go

ちなみに、村上春樹氏はどうもキース・ジャレットが嫌いらしい。

ヴォーカル入りだと、やはりアイリーン・クラールかな。

Irene Kral - Never Let Me Go
YouTube: Irene Kral - Never Let Me Go



2014年12月23日 (火)

今年はSFをけっこう読んだな。

と言うか、ミステリーをほとんど読んでいない。『その女アレックス』ぐらいじゃないか?

SFは読んだぞ。

-------------------------------------------------------------------------------

『皆勤の徒』酉島伝法(東京創元社)★★★★★

・『11/22/63 (上・下)』スティーヴン・キング(文藝春秋)★★★★☆

・『know』野崎まど(ハヤカワ文庫JA)★★★★☆

・『どーなつ』北野勇作(ハヤカワ文庫JAコレクション)★★★★☆

・『SFマガジン 700【海外編】創刊700号記念アンソロジー』山岸真=編(ハヤカワ文庫)★★★★★

・『世界が終わってしまったあとの世界で(上・下)』ニック・ハーカウェイ著、黒原敏行・訳(ハヤカワ文庫)★★★★☆

・『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)★★★★ この本はSFではなくて純文学だけど、日本の近未来だ。

・『昔、火星のあった場所』北野勇作(徳間デュアル文庫)★★★★★

・『光車よ、まわれ!』天沢退二郎(再読)★★★★★

・『クラバート』プロイスラー(偕成社)★★★★☆

・『霧に橋を架ける』キジ・ジョンスン(東京創元社)★★★★★

・『突変』森岡浩之(徳間文庫)★★★

・『火星の人』アンディ・ウィアー(ハヤカワ文庫)→現在読書中

-------------------------------------------------------------------------------

以下は購入済み、待機中(一部だけ読了)

・『SFマガジン 700【国内編】創刊700号記念アンソロジー』大森望=編(ハヤカワ文庫)

・『NOVA+バベル:書き下ろし日本SFコレクション』大森望=編(河出文庫)

・『ストーカー』ストルガツキー兄弟(ハヤカワ文庫SF)

・『だれの息子でもない』神林長平(講談社)

-------------------------------------------------------------------------------

■こうやって並べてみると、いまの時代、僕にとってはミステリーよりもSFのほうがずっとリアルでリーダビリティがあって面白いってことがよく分かる。

2014年12月22日 (月)

最近読み終わった本

■直近で読み終わったのは、

『河岸忘日抄』堀江敏幸(新潮文庫): 3ヵ月以上かけて、ゆっくりゆっくり読んだ。これはよかった。堪能したなぁ。この人の文章は、読んでいてほんと気持ちがいい。

ちょうど、WOWOW で『ポンヌフの恋人』やってて、ラストシーン、セーヌ川を下る平底の砂利運搬船を見たし、『その女アレックス』もパリ郊外のはなしだったので、風景をイメージしやすかった。

『回送電車(1)』(中公文庫)は、その前に読み終わっていて、今度は古書で入手した『郊外へ』(白泉Uブックス)を読み始める。

■対談本3冊連チャン。

『サブカル・スーパースター鬱伝』吉田豪(徳間文庫ビレッジ)

『演技でいいから友達でいて 僕が学んだ舞台の達人』松尾スズキ(幻冬舎文庫)

『秘密と友情』春日武彦&穂村弘(新潮文庫):この本を読んで、2人のイメージが変わった。穂村さんは、すごく頭の回転が速いクレバーな人で、若い頃から女の子にもてて、大藪春彦と大島弓子が大好き。春日先生は心配性で常に罪悪感にさいなまれていて、占い好きで、自分の背後霊の存在を感じている、へんな人だった。その著書からは想像もできなかったな。

■絵本一冊。『まばたき』穂村弘・作、酒井駒子・絵(岩崎書店): この絵本、どうもよく理解できないのだ。2枚目の同じ絵(正しくは決して同じ絵ではないのだが)の意味は何? 「まばたき」して目を閉じた瞬間、まぶたの裏に映る残像なのか? それとも、1回まばたきした時には「ほとんど動いていない」ということなのか? う〜む。よくわからん。

■ページターナー本の2冊。

『その女アレックス』(文春文庫)

『突変』森岡浩之(徳間文庫)

  

2014年10月31日 (金)

『霧に橋を架ける』キジ・ジョンスン著、三角和代・訳(東京創元社)

キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』(東京創元社)を読む。これはよかった。

以下ツイートから。

10月7日
キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』(東京創元社)より「26モンキーズ、そして時の裂け目」と「スパー」を読む。猿のサーカスの話はしみじみよかった。「スパー」は……凄まじすぎるぞ。検索したら、いろいろと深読みできるんだね。不変の愛か。愛なんかないじゃん。


続き)「スパー」って、普通はボクシングの「スパーリング」のことを言うのか。まぁ、エイリアンとのスパーリングみたいな話だもんなぁ。


10月9日
キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』(東京創元社)より、「シュレディンガーの娼館(キャットハウス)」を読む。どこかで聞いたことのある名前だ。読み終わって思い出した。『昔、火星のあった場所』北野勇作(徳間デュアル文庫)94ページ。量子力学の怪談「シュレーディンガーの猫」の仮想実験の話


10月13日
キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』より「蜜蜂の川の流れる先で」を読む。西村寿行『蒼茫の大地、滅ぶ』みたいに、蜜蜂の大群が川のようになって連なる先を目指して、老犬のジャーマン・シェパードと旅する話。伊藤比呂美『犬心』も同じ犬種だったな。泣けた。


キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』より、表題作を読む。7年かけて巨大な吊り橋を建設する話。これは読み応えがあった。淡々とただ工事の進行具合が綴られてゆくだけなのだが、いやいやどうして、しみじみと味わい深い傑作だ。


小説の冒頭は、西部劇みたいだ。主人公の設計士キットが「川」の右岸町に到着する。よそ者には冷たい人々。触れると皮膚が爛れてしまう腐食性の霧の中には《でかいの》が何匹も潜んでいて、川を渡るのは容易でない。椎名誠『武装島田倉庫』の感じでもあるな。だから、橋を架けるのだ。


そこに、ナウシカみたいな男勝りで凜としたヒロインが登場する。左岸町のラサリ・フェリーだ。名前には職業を付ける。フェリーとは、川の渡し船の船頭という意味。映画『ダンス・ウイズ・ウルブス』を思い出した。だから、この小説の原題は「The Man Who Bridged The Mist」なのだ。ただ、この二人。読んでいてじれったくなるほどのプラトニック。


野坂昭如の『黒の舟歌』ではないが、川とか、七夕とか、舟を出すとか、橋を架けるという言葉は安直に考えると「理解不能な相手に対するコミュニケーションの可能性」を象徴している。しかし著者が言いたいことは逆で、ディスコミュニケーションの諦観なのだった。ただ著者は諦めきってはいない。最後に祈りと微かな希望がある。


誤解を恐れずに言えば、著者は『火星の人類学者』ほどではないかもしれないが、人間関係に困難を感じているに違いない。だからこそ、動物(犬や猫やポニー)の気持が判るのだ。テンプル・グランディンさんみたいにね!

 


10月27日
キジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』(東京創元社)より「《変化》後のノース・パークで犬たちが進化させるトリックスターの物語」を読む。面白い。我が家にも、いま僕の横のソファーで寝ている犬がいる。犬は「今ここ」の瞬間瞬間を生きている。もしも彼らが「言葉」を獲得したら…という話。


続き)犬は、仲間の犬たちに向かって「とある犬の物語」を語るのだ。10匹の「とある犬の物語」を。こうして犬たちは「記憶」を共有し、子孫に語り継いでゆく。「言葉」はそのために必要なのだ。なんか、人間との関係は『猿の惑星』みたいでもあったな。

("覚えている"というのは枠組みだ。犬は言葉を知る以前のことを"覚えて"はいなかった。長いか短いかのいまを生きていただけだ。記憶は憤りを生む。あるいは、そのようにわたしたちは恐れている)。『霧に橋を架ける』p255〜256より。

---------------------------------------------------------------------------

「読書メーター」にあがった感想を読んでいたら、「vertigo」さんの感想が完ぺきだった。そうだよ。そのとおりだよ。ほんと、上手いこというなぁ。リンクがはれないので、すみませんが勝手に転載させていただきます。ごめんなさい。

---------------------------------------------------------------------------

「vertigo」8月10日

素晴らしい。『26モンキーズ、そして時の裂け目』の不思議な猿たちがなぜ消え、なぜ現れるのかの理由。壮大な物語の何気ない始まり『水の名前』の爽やかさ。『スパー』や『ポニー』の絶望。表題作の永遠に一緒にいられないことはわかっている男女の触れ合いの切実。私がフィクションに求めるものの嗜好はこういう方向なのだなあ。残酷なディスコミュニケーションの物語を描いてもキジ・ジョンスンは「わかりあえなさをわかりあおう」とする者たちの孤独や淋しさや願いの切なさに対してどこまでも優しい。身を切られるように痛いけど優しい短編集。

---------------------------------------------------------------------------

2014年10月13日 (月)

伝説の佐々木昭一郎が還ってきた。

■以前、松尾スズキ氏の初期エッセイを集中的に読んで感想を書いたことがあった。

師匠とその弟子の関係は連鎖して行く(その1)

師匠とその弟子の関係は連鎖して行く(その2)

師匠とその弟子の関係は連鎖して行く(その3)

141013


(その2)にある、松尾氏が「那智チャコ・パック」の常連投稿者であったというくだり。本人自身が書いた文章を見つけた。『永遠の10分遅刻』松尾スズキ(ロッキング・オン)138ページ「私の文章ルーツ、私の演劇ルーツ ---- 松尾少年と野沢那智」(初出不明)だ。以下引用。

 もう二十年になりましょうか。

 私だって子供だった時期がありまして。

 野沢那智の声のファンだったんですね私は。そう、子供の頃から「声」というものに興味があったんです。(中略)

 さて、その野沢那智が同じく声優の白石冬美と一緒にやっていた『パック・イン・ミュージック』という深夜の人気ラジオ番組に、中学高校と私はせっせと手紙を投稿しておったのです。葉書ではなく手紙です。

何しろその番組はリスナーのお便りをおもしろければ10分でも20分でも、野沢那智がいろんな声色で読み続けてくれるというもので、だから葉書では当然分量が足りないということで、レポート用紙にボールペンでびっしり5、6枚。私は「北九州の黒タイツ」というペンネームで随分読んでもらったものでした。

足が毛深いから黒タイツ。ラジオの前に齧り付き、大ファンである声の達人に10分も自分の作品を読んでもらっている時間、それはまさに至福の時でした。

読んでもらったのは、泥酔して他人のうちの庭で寝込んだ兄の話、毛深さに悩んで脱毛ワックスを使った話、エトセトラ。うれしかったな本当に。

漫画家になるのを夢見てデザインの学校に行き、絵の勉強こそすれ、小説も大して読まなかった私が何で今文筆の仕事を生業にできているのか、考えてみるとティーンエイジャーの頃、私はラジオで自然と文章修行をしていたのかもしれません。一月に一本は書いていましたから。

(中略)

 野沢那智は今はなき「薔薇座」の座長でした。で、当然芝居に関するエピソードが中心になってくると。それらは、今思うと赤面したくなるほどマバユイものでしたが、九州の田舎町で育ち文化的情報にもうとかった私の演劇への興味は、実はそんなところから育まれていったものだったのです。(中略)

*野沢那智さんはよく三茶で見かけるんだけど、どーしても声かけられないんだよね。恐れ多くて。みなさんにもいるでしょ。そんな人。

『永遠の10分遅刻』p138〜141

(追記)ところで、「この本」のラストに収録された、NHKラジオドラマ『祈りきれない夜の歌』の脚本を読んだのだが、たまげてしまった。松尾スズキって、天才なんじゃないか? 以下、今朝(2014/10/16)のツイートから。

松尾スズキ『永遠の10分遅刻』(ロッキング・オン)より、NHKラジオドラマ脚本『祈りきれない夜の歌』を読む。ラストで異様な感動を覚えた。これは凄いな。障碍児の出てくる話では『時には懺悔を』打海文三(角川文庫)に匹敵するデキだ。ネットでドラマ版も聴いた。ほぼそのまま放送されたんだ。

続き)『祈りきれない夜の歌』は、先月NHKで再放送のあった『君が僕の息子について教えてくれたこと』(11月24日午前10時から NHK総合で再々放送予定)に登場した『自閉症の僕が跳びはねる理由』を書いた東田直樹君とも密接に通じるものがある。

「このラジオドラマ」は、2001年3月3日に放送された。NHK名古屋放送局の制作。「ニコ動」にファイルがあって、ネット上でいまも聴くことができる。

-------------------------------------------------------------------------------------------

■佐々木昭一郎・著『創るということ』【増補新版】が、平安堂書店の新刊コーナーにあったので、びっくりして即購入した。2種類の旧版は以前から読んでみたかったのだが図書館にはなく、古本でも高値が付いていて入手困難だったのだ。

佐々木昭一郎氏も、最初はNHKで「ラジオドラマ」を作って認められた人だ。

■これも以前に書いたものだけれど、是枝裕和監督が、佐々木昭一郎の映像を初めて見た時のはなし。

『物語論 17人の創作者が語る物語が紡がれていく過程』木村俊介(講談社現代新書)に載っていた「是枝裕和」インタビュー(2012/12/30)

『紅い花』つげ義春・原作、佐々木昭一郎・演出(2013/01/06)

Respect 佐々木昭一郎
YouTube: Respect 佐々木昭一郎

■その、伝説の佐々木昭一郎が還ってきた。

20年ぶりの新作『ミンヨン 倍音の法則』が、先週土曜日から「岩波ホール」で公開されているのだ。

さらには、11月には「NHKBSプレミアム」で、佐々木昭一郎初期の代表作が一挙放送される! これは必見! 必録画だ。

「詳細パンフレット」 

■検索していたら、「日曜日はテレビを消せ」の「佐々木昭一郎アーカイブス」を見つけた。リンクが切れてしまっているものもあるが、これはすごく貴重な資料集だ。

それから、ホッタタカシさんのブログ「スローリィ・ステップの怠惰な冒険」の

佐々木昭一郎のテレビドラマ全作品解題・そして新作『ミンヨン 倍音の法則』 が、すばらしい。ものすごく力が入っている。

2014年9月23日 (火)

『昔、火星のあった場所』北野勇作(徳間デュアル文庫)

■読み終わって2週間近く経っているのだが、なかなか感想が書けないでいる。

『昔、火星のあった場所』北野勇作(徳間デュアル文庫)だ。(amazon の2番目の読者レビューは、もろネタバレ!要注意。)

                  *

いや、すごく面白かった。最後の最後で「あっ!」となって、それからじんわり切なくなった。

ただ、どうも僕はこの小説をちゃんと読めていないような気がしてならないのだ。

著者の「いつのも雰囲気」(ブリキの自発団、生田萬さんの座右の銘  “過去はいつも新しく、 未来は不思議に懐かしい” 的感覚)をただ味わえばそれでおしまいじゃなくて、もっと綿密にハードSFとしてキッチリ構成されていて、あちこちにバラまかれたパズルのピースを集めてきて、あるべき場所にはめれば、最後に納得する形で小説世界が完結する。この本は、どうもそういうふうに出来ているに違いない。直感的にそう感じるのだ。

でも、読み終わってもよく分からないところ、疑問点がいっぱいあって、ネットでいろいろと他の人の感想とか読んでみたけれど、ぜんぜん納得がいかない。いや、ほんとなかなか手強い小説だ。

                  *

                  *

ただ、検索してみると「この小説」は著者の北野勇作氏当人が脚色してラジオドラマ化されたのだという。NHKFM「青春アドベンチャー」1994年6月27日~7月8日(全10回)

しばらく前まで「ニコ動」で聴けたらしいのだが、いまはもう削除されてしまっている。最終回だけでもぜひ聴いてみたかったぞ。

                  *

誰か「この小説」の正しい読み方を詳細に解説してくれないだろうか? 読書会とかやってくれると有り難いのに。そんなふうに思いながら今日も検索を続けていたら、とうとう「お宝サイト」を発見した。

「ざぼんの皮トピックス:北野勇作関係」だ。こいつは凄いぞ!ホンモノだ。2001年7月9日「読書会」のファイルをよくぞ残しておいてくれました。ほんとありがたいぞ。(ただし、ほとんどのリンクはさすがに切れているが)

                  *

さらには、「完全ネタバレ詳細解説(徳間デュアル文庫版の掲載ページ付き)」(草稿)(完成版)

のファイルも発見。そうだよ、こういうのを求めていたのだ。これは本当に完璧だ。ざぼんさん、ありがとうございます。

                  *

もちろん、ざぼんさんの解説すべてに納得した訳ではない。疑問点はまだまだ残ったままだ。

という訳で、この詳細な資料を地図にして、もう一度最初から『昔、火星のあった場所』を読み直しているところなのです。ついでに、『クラゲの海に浮かぶ舟』(出た時に買ったのだが、どうも処分してしまったらしい。見つからないのだ)も古書で見つけて発注済みなのだ。

Powered by Six Apart

最近のトラックバック