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2015年5月19日 (火)

『風の歌を聴け』その3(拾遺)

■このところ、どんどん更新が遅くなっていくのは、書きたいと思ったネタはあるのだけれど、思うように書けなくて、長くなって、そのうち書くのが面倒になってほったらかし、という悪循環に陥っているからだ。

という訳で、今回でようやく『風の歌を聴け』の話題も終了です。

1)■『妊娠小説』斎藤美奈子(筑摩書房)から以下引用。

 80年代、文学業界は完全に「僕小説」の時代に入っていた。ザ・キング・オブ僕小説作家、村上春樹の登場はそれを象徴するできごとだったろう。

 ところで、その村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(79) が妊娠小説だった、ということはあまり知られていない。知られていないのは、これが一見そうとは見えない、きわめてトリッキーな妊娠小説だからである。(中略)

 玉石混淆、さまざまな批評の対象になった村上春樹『風の歌を聴け』。21歳の「僕」が夏休みに帰省した町で友人の「鼠」とビールを飲んで「小指のない女の子」と知り合ってラジオを聞いてレコードを買った、といったような話だ。(中略)

 知られているように、テキストは「1」から「40」まで四十(途中の☆印まで入れれば 53)の断片で構成されている。組み立て前のジグソーパズルみたいな小説だから、ばらばらの断片(ピース)を手にとって眺めていても見えてくる絵には限界がある。全体の解読には、40(または 53)の断片を整理し、配置しなおさなくてはならない。わたしたちなりの推理を公開しよう。

 手がかりのひとつは、幾重にも重なった「時間」だ。(中略)さらに…やたらと具体的な数字が頻出するのはなぜか。『風の歌を聴け』のテキストは、読者に「パズルの解読」をこそ要求している。「数字」こそ、その最大のヒントと考えるべきなのだ。(中略)

「時間」に続くふたつめの手がかりは、幾重にも交錯した「人物」である。物語には「僕」と「鼠」と「小指のない女の子」の、三人の中心人物がいる。「僕」はこのふたりと別々に交流を持つのだが、それだけだろうか。「鼠」と「小指のない女の子」の間に関係はなかったか。

 「時間」を解く鍵が「数字」であったように、「人物」を解く鍵は「人物名」にある。すなわち<ジョン・F・ケネディ>だ。(中略)

               ☆

 異彩を放っているのは②だ。<鼠は……気がした>という記述からもわかるように、一貫して「僕」の視点で進行するテキストのなかで、②を含む「6」だけが、テキストのルールを逸脱し、「鼠」の視点で記されている。(中略)

 ときに「5」と「6」とは同じ内容を綴っている。「鼠」による「海洋遭難」の物語だ。(中略)ついでにテキストにはないけれども、実在の J・F・K が、海軍時代、南太平洋での遭難から生還して英雄になった人物だという事実を知っていると、ここで<ジョン・F・ケネディ>が出てくるのがさほど唐突ではないこともわかってくるだろう。

         『妊娠小説』斎藤美奈子(筑摩書房)p75〜85

        ☆

2)■『音楽談義』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)より

保坂:最近はもう村上春樹は読まないけど、というか『ノルウェイの森』からすでに読んでないんだけど(中略)村上春樹がなぜ売れるかというと、「なぜ」で心理を書くから。心理の変化が正しく因果関係によって説明される。心理と因果関係のふたつが肯定されている。いまどき極めて珍しい。それに非常に感傷的であるということと、もうひとつ、隠し味というほど隠れていないけど、スパイスのように暴力が入っているところ。

『風の歌を聴け』で小指がないのはいいんだけど、「その小指どこいったんだろう」までいうところが村上春樹の暴力性で、そこにはみんなたいして注意がいかないんだけど、その暴力性が好きなんだよ。(p31〜32)

保坂:でもね、村上春樹はぼくは初期しか読んでいないんだけど、庄司薫の『白鳥の歌なんか聞こえない』(73年)で由美子って子のおじいさんの書架にはいっていく場面があるんだけど、本の倉庫のなかでカオルくんかなんかが考えるんだけど、そのときの文体がまんま村上春樹なんだよね。丸写しみたいなものなんだけど。

湯浅:村上春樹の庄司薫からの影響をいうひとは最近あまりいないね。庄司薫を読むひともいないのかもしれないけれど。(中略)

保坂:丸谷才一が大絶賛だったからね。丸谷さんは亡くなるまで村上春樹を絶賛しつづけた。(中略)村上春樹の不思議なのは、あらゆる分野にファンがいて、そのひとたちが本来とても辛口で斜にみるひとなのに、そういうひとでも村上春樹だけは手放しで褒める風潮があるんだよ。(p162〜164)

   ☆

3)■「デレク・ハートフィールド & 庄司薫」で検索すると一番上に出てくるサイト。これは興味深いな。とは言え、ぼくは『赤頭巾ちゃん』も『白鳥の歌なんか聞こえない』も読んでない。岡田裕介が主演した映画はテレビで見た記憶がある。NHKでドラマになったような気もするな。

      ☆

4)村上春樹氏が『風の歌を聴け』を書いた当時のことを回想した文章が2つある。ひとつは、

『村上春樹全作品 1979~1989〈1〉 風の歌を聴け;1973年のピンボール 』(講談社)の付録として添付された小冊子「自著を語る」。図書館本にはちゃんと「この別冊」が本に張り付けてあります。

もう一つは、季刊誌:柴田元幸 責任編集『MONKEY vol.5 / Spring 2015』(Switch Publishing)で連載されている、『職業としての小説家』:村上春樹私的講演録(第5回)「小説家になった頃」だ。ふたつとも、ほぼ同じ話が書かれているのだが、『MONKEY』の方が、字数も多く丁寧に振り返っている。

ハンガリー生まれの作家、アゴタ・クリストフが、母国語でないフランス語で『悪童日記』を書いた話が面白い。

      ☆

5)『村上春樹イエローページ<1>』加藤典洋・編(幻冬舎文庫) にも示唆に富んだ記載がある。ラジオDJの言葉。

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 あるものは貧しい家の灯りだ。あるものは大きな屋敷の灯りだ。あるものはホテルのだし、学校のもあれば、会社のもある。実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ、と僕は思った。そんな風に感じたのは初めてだった。そう思うとね、急に涙が出てきた。(中略)でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。

 僕は・君たちが・好きだ。

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『風の歌を聴け』を読むと、この最後のディスク・ジョッキーの言葉が、なにか作者の読者に向けた、無言のメッセージのように聞こえる。気がつくと、わたし達は、ほんとうは話の筋とは無関係なのに。この難病の女の子の手紙とDJの言葉を、この小説の中心からやってくる言葉として受けとめている。なぜだろう。

この言葉は、小説を横切るこのもう一つの「話」の中では、向こうの世界、鼠たちのいる異界からの返答として、ここに置かれる。この最後の返答は、この往還の構造に中に置かれると、小説の核心からの声となって、わたし達のもとにやってくるのである。

    「否定から肯定への物語」

 この小説を読んで、わたし達はこのDJの述懐、「僕は・君たちが・好きだ。」という言葉に、なぜか自分でもわたらないまま、心深く動かされることになる。しかしそれは単なる偶然でもなければ、センチメンタルなわたし達の感情移入の結果でもない。

   ☆

加藤典洋氏がスルドイところは、村上春樹の小説はみな「幽霊譚」であることを看破したことだ。『風の歌を聴け』においては、死者たちのいる「彼岸」と、主人公や読者がいる「此岸」をつなぐ「蝶番」の役割を果たしているのが「ジェイズ・バー」であり、土曜のラジオ・リクエスト番組であるということ。

ラジオのDJは、死者たちの声を代弁しているのだ。

あれっ? それって『想像ラジオ』と同じじゃない?

   ☆

共同通信の小山鉄郎氏がインタビューした「村上春樹さん、時代と歴史と物語を語る(上)」(2015/4/21 中日新聞)を読むと、『アンダーグラウンド』から『約束された場所で』の仕事に関して

村上:被害者たちの話を一生懸命に聞いていると、みんな物語を持っていることがわかります。派手なものではないかもしれないが、その多くは身銭を切った自分の物語です。それらが集まるとすごい説得力を持ってくる。でもオウム真理教の人の語る物語は、本当の自分の物語というよりは、借り物っぽい、深みを欠いた物語であることが多い。

小山:その仕事で何か自分に変化がありましたか?

村上:人に対する自然な信頼感みたいなものが生まれたと思う。電車に乗っても、以前はただ人がたくさんいるなあというくらいだったが、今は一人一人に物語があって、みんな一生懸命に生きているのだなあと感じます。

今回の読者とのメールのやりとりにも同じものを感じます。だからこそ、丁寧に正直に答えたいと思うのです。

「僕は・君たちが・好きだ。」という言葉は、いまこのインタビューからも、ほら、聞こえてくるじゃないか。

この新聞記事を読んで、村上春樹氏がデビューした時から一貫してブレることなく作品を作り続けていることを、ぼくは確信したのでした。(おわり)

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