読んだ本 Feed

2017年3月28日 (火)

『親子で向きあう発達障害』植田日奈・著(幻冬舎)

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■あれは、医者になって2年目のことだ。信州大学小児科に入局させていただき、1年間大学病院で研修した後、ぼくは厚生連北信総合病院小児科に配属された。優秀な3人の先輩小児科医のご指導のもと、貴重な症例を含め、たくさんの患者さんを受け持たせていただいた。

大学病院では未経験だった新生児の主治医にもなった。今でもよく憶えているのは、ダウン症の女の子のご両親に、生後1ヵ月して染色体検査の結果が出てから「その事実」を告げた時のことと、重症仮死で生まれて、脳室周囲白質軟化症(PVL)になってしまった赤ちゃんのご両親に、早期療育の必要性を説明した時のことだ。

その時ぼくは、いずれも同じことを口にした。

「確かにこの子は、生まれながらに大きなハンディキャップを背負ってしまいました。でも、ご両親の献身的な療育によっては、もしかするとこの子だって、将来は日本の首相になれる可能性だってあるのです。だから、どうか前向きに、この子と共に生きて行ってください!」と。

その当時、ぼくは自分の言葉に酔っていた。いま考えれば、あまりに無責任な言葉だよな。医者になって2年目、まだ何もできないくせに、何でも出来るような錯覚に陥っていた。

■再び大学に戻って、下諏訪町にある、身体障害児・心身障害児療育施設「信濃医療福祉センター」へパート出張した時のことだから、あれから更に3年後のことだ。センター小児科医長の八木先生に病院を案内してもらって、館内を廻っていた時のことだ。

母子入院をして初期療育をしている、障害がある乳児が多数いる病棟を訪れたのだが、八木先生がふと、「この子には無限の可能性がある! みたいな、過度の期待を親に持たせて『ここ』へ送り込んでくる小児科医がいるんだけれど、ハッキリ言って迷惑なんだよ。」

あ、それを言ったのは俺だ……。

ぼくは、八木先生に申し訳なくて、そのとき何も言えなかったのだった。(まだ続く)

2017年3月20日 (月)

『ウインドアイ』ブライアン・エヴンソン著、柴田元幸訳(新潮クレスト・ブックス)

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■もともとは「敬虔なモルモン教徒」だったのに、何故か教会から破門されてしまったアメリカ人作家、ブライアン・エヴンソン氏のことを、ぼくは今まで全く知らなかった。興味を抱いたきっかけは、書評家:池上冬樹氏による以下のツイートだ。

▼1)「週刊文春」でブライアン・エヴンソンの『ウインドアイ』(新潮社)をとりあげました。本欄でも簡単に紹介しましたが、もっと詳しく書きますと、収録作品は25篇。駄作と水準作はなくてすべて佳作以上。前作『遁走状態』も傑作短篇集でしたが、こちらはもっと完成度が高くて鋭い作品が揃っている
池上冬樹
@ikegami990
12月16日
▼2)ブライアン・エヴンソンの『ウインドアイ』(新潮社)のお薦めは、消えた妹を探すうちに兄の不安と恐怖がつのる「陰気な鏡」、縫いつけられた別の耳から聞こえる謎の声「もうひとつの耳」、殺した少年に何度も襲われる「タパデーラ」、殺人をめぐり対話者の尋問にあう「溺死親和性種」・・
池上冬樹
@ikegami990
12月16日
▼3)少年が祖母の家で体験する地獄譚「グロットー」、愛と悪意がおぞましく交錯する(ラストが怖い!)「アンスカン・ハウス」などがベスト6。そのほかにも「モルダウ事件」「赤ん坊か人形か」「不在の目」などもお薦め。ともかくブライアン・エヴンソンの『ウインドアイ』(新潮社)は必読です!

■ぼくが信頼している書評家の豊崎由美さんも、信毎日曜版の書評欄で「稀有な体験をもたらす25の物語」と題して、この本を紹介している。

(前略)ブライアン・エヴァンソン作品のつかみの魅力は超ド級だ。一気に引きずりこまれる感じ。いきなりヘンテコな世界に連れ込まれた揚げ句、何が起こりつつあるのかよくわからないまま右往左往させられ、不安な気持ちを抱えたまま物語の中で宙づりにされてしまう。(中略)

それまでわたしたちが盤石と信じていた世界を、気味の悪いゼリーのように不確かな何かに変えてしまうのだ。

 なかでも、慣れ親しんでいるはずの家の、外からは見えるのに中に入ると存在しない窓に気づいてしまった幼い兄妹にふりかかる出来事を描いた表題作が、いい。今回の短編集には、家や屋敷が魔窟と化す話や、自分が事実と思っている記憶や出来事が別の貌(かお)を見せるという展開の物語が多いのだけれど、表題作にはその双方が活かされていて、じわじわと怖ろしいのだ。

■読み始めて、もうずいぶんと経ったので、巻頭の表題作『ウインドアイ』のことは正直よく憶えていない。ただ、主人公の幼い妹が(自宅外壁を覆うヒマヤラスギの板張りの一部が雨風の影響で反って捲れあがっていて、)その「すき間」に軽々と「小さな手」を差し込むことができた、その時の、何だか暖かくて、ちょっとゴワゴワしたに違いない彼女の手の感触を、ものすごくリアルに記憶している。本を読んだだけなのに、触感が残っているのだよ。

■以下は、読み終わってはリアルタイムでツイートした各短篇の感想です。

 

@shirokumakita
1月20日
猛吹雪の中、進路を見失い彷徨する少年2人に赤い鬼が追いかけて来る。と言えば、宮沢賢治『ひかりの素足』だが、僕が読んでいたのは『ウインドアイ』ブライアン・エヴンソン著、柴田元幸訳(新潮クレストブックス)より『二番目の少年』。こんな悪夢はゴメンだ。醒めても醒めても夢の続き。無間地獄だ
1月27日
『ウインドアイ』ブライアン・エヴンソン著、柴田元幸訳(新潮社クレストブックス)より、1日1篇ずつ読んでいる。昨日は『ダップルグリム』を読んだ。もともとダークなグリム童話をエヴンソン流に料理したらどうなるか? そうなるのか(笑)。
 
1月27日
続き)『ウインドアイ』。今日は『死の天使』を読む。確かアストル・ピアソラの曲に「天使の死」があったが、これは凄かったな。『どろんころんど』とコーマック・マッカーシー『ザ・ロード』と『デスノート』を足して3で割った黙示録であり、人間が生きて行くことを端的に表す哲学書でもあると思う。
昨日は『ウインドアイ』より「陰気な鏡」を読む。これは怖いな。でも大好き。『猿の手』みたいなゴシック・ホラーをエヴンソン流に料理したら…。話の途中に、古事記の「イザナギ・イザナミ・黄泉の国」の話が出てくるのだが、これって、世界中にある神話なのだろうか?

(まだまだ続く)

 

2月5日
ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』より、今日は『モルダウ事件』を読む。「ストラットン事件」だったはずが、いつしか事件名が変わっている不思議。ある組織に所属する秘密諜報部員(工作員)の調査報告書という体裁の文章なのだが、いったい誰が書いているのか?

2月8日
ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』より、今日は「スレイデン・スーツ」を読む。これはいいな。何故か諸星大二郎の漫画で読んだイメージがする。古びたゴムの旧式潜水服の「臍の緒」から中に入って行く主人公。すえた汗と血の臭い。船の外は嵐。甲板にはナイフで殺された船長が『白鯨』状態でいる
続き)「スレイデン・スーツ」の着かた。図説があった。これだ。

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2月15日
エヴンソン『ウインドアイ』より、今日は「知」を読む。面白い。推理小説かと思ったら、哲学の思考実験だった。読んでいて妙に納得されてしまったことが怖い。その次の「赤ん坊か人形か」も同じテイストだな。
2月18日
『ウインドアイ』より「トンネル」を読む。これは不気味だ。ゾワゾワくる。トンネルの中で起こった出来事を『藪の中』的に3人がそれぞれの視点で順番に語るのだが、誰が正しいのか?ではなく、自分たちに何が起こっているのか誰一人分かっておらず、でもこの後、酷いことが起こることは皆わかっている

『ウインドアイ』より「食い違い」。腹話術師「いっこく堂」の得意持ちネタ「口の動きから数秒遅れて声が聞こえてくる」アレを、テレビを見ていた彼女は実際に体験する。しかし、いっしょに横で見ている夫には、何も違和感がないという。じわじわと現実感が崩壊してゆく感じが、実にリアルで怖いぞ

 

2月24日
『ウンドアイ』より一昨日は「不在の目」を読む。潰されてしまった主人公の片目は取り除かれ、後には眼窩と視神経だけが残った。眼球と網膜を失った視神経はしかし、特別なものが見えるようになった。それは、自分と他の人たちの「背後霊」だった。

2月26日
ボン・スコットって知らなかったからApple Music で『地獄のハイウエィ』AC/DC を聴いている。ハードロックは苦手なんだ。それにしても、カーティス・メイフィールドなみの高音だな。いや実は『ウインドアイ』で「ボン・スコット 合唱団の日々」を読んだんだ。モルモン教とオーストラリア出身のロック・ミュージシャンとの意外な接点とは?

2月28日
ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』は読んでいて「その当事者にだけはなりたくないな」っていう短篇ばかりが並んでいるが、昨日読んだ『タパデーラ』は中でも特に嫌な話。野球で言えば、9回表からいきなり小説が始まって、後攻X勝ちかと思ったら、先行がゾンビ復活して恐怖の延長戦を強いられる

続き)「先行」→「先攻」。ところで「タパデーラ(Tapadera)」って何のこと? 調べてみたら、スペイン語の「Taper 覆う、ふさぐ」から来ていて(キッチンで使うタッパーですね)転じて、アメリカ中西部のカウボーイが馬に乗る時に足を保護するための厚い革製の鐙覆いのことらしい。

 

3月3日
昨日は『ウインドアイ』より「もうひとつの耳」。西洋版『耳なし芳一』的だが、でも逆に失った片耳を新たに移植される話。展開が読めず怖い。そして今日は「彼ら」を読む。こちらは『リプレイ』だな。ただし、時間が何度も戻るんじゃないんだ。そこが不気味。「彼ら」って何? システム?
3月6日
今日は『ウインドアイ』より「酸素規約」を読む。これはSFだ。地球から遠く離れた何処かの惑星に植民した主人公。しかし、このコロニーはどうも上手くいかなかったらしい。残存する酸素を皆で分け合う為には、住民が人工冬眠して消費する酸素を節約するしかないのだった。しかし、主人公は拒む。
続き)たぶんこれは著者の暗喩だ。『彼ら』と同じ「システム」に支配された人間と、それに逆らおうとした人間の悲喜劇。「壁と卵」のはなし。はたして、どちらの人間が幸福なのだろうか?

3月8日
『ウインドアイ』より「溺死親和性種」を読む。これは気に入ったな。訳分からないうちに捕まって尋問される主人公。しかも、自分の記憶にない弟から一通の手紙が来て、仕方なく行方不明の弟を探す日々。一体何が本当の記憶で何が植え付けられた偽物の記憶なのか?「本当の事を言え」対話者は尋問する。

読んでいて、ガラガラと地盤が崩れていく感じ。何が何だか分からなくなってゆく不安。あ、そうそう。『プリズナー No.6』と同じだ。毎回「No.2」から尋問される No.6。「No.1 は誰だ?」No.1 て誰?何処にいるの?なんでこんな目に会わなければならないのか?「溺死親和性種」

 

3月11日
今日は『ウインドアイ』から「グロットー」を読む。なんか「やまんば」が登場する『三枚のおふだ』みたいな民話的味わいもあるのだが、やはり絶望的に怖い。後半の展開は、キングの『シャイニング』みたい。

3月15日
『ウインドアイ』より、ラストの「アンスカン・ハウス」を読む。その前の「グロットー」といい強烈な終幕だな。古典的『猿の手』みたいな、願いを叶えてもらうためには、自身の犠牲を必要とされる話。幽霊も悪霊も背後霊もゾンビも「もののけ」も、この短篇集には多数登場するが、なんだ生きた人間が、

続き)なんだ生きている人間が、一番怖いのか。そう思った。実際、フィクションの世界よりも、籠池のおっさん、おばはんと、この夫婦に群がる人々(自民や維新の政治家、財務省官僚、国土交通省官僚、文科省官僚、マスコミ、そして菅野完氏)それぞれの思惑で蠢く魑魅魍魎たちの同行から目が離せない。

2017年1月 1日 (日)

あけましておめでとうございます。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

■最近は、ベストテンを挙げるほど本を読んでないのでお恥ずかしいのですが、気になった本を思い出して、並べてみました。

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■写真をクリックすると、もう少し大きくなります。

昨年に読んだ本の「マイベストの3冊」は、

  1)『1☆9☆3☆7』辺見庸(週刊金曜日→河出書房新社)

  2)『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)

  3)『ルンタ』&『しんせかい』山下澄人(講談社、新潮社)

ですかね。山下澄人さんには、今度こそ芥川賞を取って欲しいぞ! それから『ガケ書房の頃』の書影がないのは、スミマセン伊那市立図書館で借りてきて読んだ本だからです。ごめんなさい、山下賢二さん。あと、『コドモノセカイ』岸本佐知子・編訳(河出書房新社)もよかった。やはり書影はないけれど、片山杜秀『見果てぬ日本:小松左京・司馬遼太郎・小津安二郎』(新潮社)が読みごたえあった。そういえば、近未来バーチャルSFハードボイルドミステリー『ドローンランド』(河出書房新社)も読んだな。


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■写真をクリックすると、もう少し大きくなります。

・文庫&新書も挙げておきますかね。じつは『エドウィン・マルハウス』。まだ第一部までしか読んでなかった。ごめんなさい。決してブレることのない小田嶋さん。信頼してます。ただ、もう少し内田樹センセイや平川克美氏と距離を置いたほうがよいのではないかな。

小田嶋さんは、決して全共闘世代ではないワケだからさ。ぼくらと同じ「シラケ世代」でしょ。

あと、載せるのを忘れたけれど、『優生学と人間社会』(講談社現代新書)。

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■CDで一番よく聴いたのは、『Free Soul 2010s Ueban-Jam』ですかね。自分の車(CX-5)に搭載されているので、エンジンをかけると必ずかかるのだ。ドライブ中に聴くとめちゃくちゃいいぞ!

次は、ハンバートハンバートの『FOLK』かな。初めてライヴに行ったし、やっぱり好きだ。おっと、カマシ・ワシントンを載せるのをすっかり忘れてしまったぞ。あれだけよく聴いたのに。

そして、小坂忠。渋いゼ! 松任谷正隆のインタビュー本によると、マンタ氏は、忠さんのことがあまり好きではなかったみたい。ないしょだよ。

2016年12月18日 (日)

『復路の哲学 されど、語るの足る人生』平川克美(夜間飛行)その2

■前回は、本を読んだ感想に一言も触れぬまま終わってしまった。すみません。

平川克美氏の文章を初めて読んだのは、内田樹先生との往復書簡をまとめた『東京ファイティングキッズ』だった。続いて『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)を買ったが、ビジネス書はやっぱり苦手でちゃんと読めなかった。

結局、平川氏は内田樹センセイの小学校以来の友人で、大学卒業後いっしょに起業して、渋谷道玄坂で翻訳業の会社を始めた人という認識でぼくの中では定着した。

しかし、平川氏が主宰する「ラジオカフェ」から落語の新録をダウンロードしたり、ツイッターをフォローするようになってからは「内田センセイのおともだち」ではなくて、平川氏本人に興味を持つようになった。

そして「これは!」と思ったのが、『俺に似た人』(医学書院)を読んだ時だ。母親の死後、実家で一人暮らしとなった父親の介護を、息子である平川氏が一人きりで、食事作りから始まって、洗濯掃除、入浴の介助、下の世話までこなした1年半に渡る父子の格闘の日々が淡々とつづられていた。「感想はこちら」に書いた。

■で、ようやく『復路の哲学』(夜間飛行)のはなし。この本は沁みた。いまの俺にはぐっと来た。少し前に読んだ『鬱屈精神科医、占いにすがる』春日武彦(太田出版)に通じるものがあるな。

春日武彦先生は 1951年生まれだ。人生の終盤が近づいたことにふと気付いてしまったベテラン精神科医が、俺の人生こんなんで終わっちゃうのは嫌だ!と、もがけばもがくほどオノレの無力感にさいなまれ、その挙げ句、何人もの占い師に救済を求めるという話だった。自分の人生に諦めきれず、未だに醜くあがき続けている姿をあらわに晒すことで、自虐的快感に浸っている滑稽さが救いであった。

ところが、『復路の哲学』の平川克美氏はどうだ。まるで、悟りを開いた修行僧のようだ。諦観。溺れかけて藻掻いていたのを、力を抜いて「ふと」止めたら、からだが「ほわ」っと浮いて水面に頭がひょこっと出た感じとでも言おうか。そんな感じの文章が並んでいるのだった。

表紙をめくると、本のカバー裏には、本文からこんな文章が引用されている。

     自分の行く末が

     地図のようにはっきりと

     見えてしまうという

     絶望を噛み締めたとき、

     人生の復路が始まる……

■巻頭の文章を引用する。

 「おとなは、大事なことはひとこともしゃべらないのだ」

 向田邦子は、昭和という時代の「精神」を鮮やかに切り取った小説『あ・うん』の中で、上のような述懐を主人公にひとりであるさと子に語らせていた。(中略)

 ところで、語られることのなかった大事なこととはいったい何だろうか。私は、ここで読み取るべきことはしゃべられるはずだった内容(コンテンツ)ではないだろう、と思うのだ。では、何を読み取るべきだと私は考えているのか。

 それは、「様々なことを自分の胸のうちに飲み込んでいるのが大人である」という向田邦子の人間理解こそが、今日の私たちが忘れていることを想い出させてくれるということである。(中略)

向田邦子が「おとな」の中に見ていたものとは、何かに耐えている存在だということだろう。

この、何かに耐えている状態こそが、言いよどみ、逡巡し、押し黙るという態度に接続されている。向田邦子は、それを「おとなは大事なことはひとこともしゃべらない」という言葉で表したのだと私には思える。(『復路の哲学』平川克美 p3〜7)

■この本を読んで、初めて知ったことは多い。例えば、三波晴夫の「チャンチキおけさ」。それから「機縁」「往相と還相」「遠隔対称性」という言葉。アキ・カウリスマキの映画の本当の魅力。フェリーニの『カリビアの夜』の主人公が、それでも生きてゆく切なさ。ぼくも『ギルバート・グレイプ』で大好きな、ラッセ・ハルストレムの『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』が意味するもの。それに、聖徳太子の「十七条憲法」の凄さ。

『復路の哲学 されど、語るに足る人生』平川克美(夜間飛行)を読んでいる。平川氏の本は何冊か読んでいるが、この本が一番いいんじゃないか。「おとな」になるということは、いったい何っだったのか? を深く思考する本。著者より8歳年下の僕も、人生の仕舞い方を最近しみじみ考えているのだった。0:05 - 2016年11月29日

いやはや、ぼくの人生の数歩先を行く平川先輩の言葉は、いちいちズシリとぼくの胸に突き刺さる。ただ、いまだ諦めのつかない僕は、いましばらく、溺れる水の中で藻掻いてみたいと思っているのだった。

2016年12月10日 (土)

『復路の哲学』平川克美(夜間飛行)その1

■先月、松本であった小児科学会の地方会に久々に出席した。毎年この時期は、日曜日に行うインフルエンザ・ワクチンの集中接種と日程が重なってしまうことが多く、なかなか出られないのだ。

ただ今回はラッキーにも予定がずれた。しかも学会の特別講演は、この3月で退官した、個人的にもたいへんお世話になった小児科教授の講演だ。これは行くしかあるまい。

午前の部が終了して、久々に「小松プラザ」の『メーヤウ』へ。いまはバイキングしかやってないんだね。バイトのウエイトレスがちっとも注文を取りに来ないので困っていたら、「お客さん。当店のシステムをご存じないのですね」ときた。まいったな。でも、15年ぶりくらいで食った「チキン・カレー」は、昔の辛さのままだったよ。汗たらたらで、しかもハンカチ忘れたんで、テーブルに設置されたティッシュで顔を拭くという醜態。恥ずかしかったぜ。

■元小児科教授の特別講演は感動的だった。こうして彼の業績を時系列で系統だって聴いたのは、実は初めてだったのだ。どんなに逆境に立っても決して諦めず常に攻めの姿勢で難路を開拓していったその心意気に、心底頭が下がる思いだった。そして、俺は彼の期待に全く応えることが出来なかったダメダメ人間であったことが、ただただ申し訳なく思ったのでした。

特別講演の最後は、とある詩人の言葉で締めくくられた。ドイツの詩人、サミュエル・ウルマンの「青春とは」という詩だ。

青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。

若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。

(中略)

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。

自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。

希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

元教授は、4月からの総合病院院長という新たな職場で、さらに前向きに職務に挑戦して行く決意でもって、この特別講演を終えられた。素晴らしかった。素直に頭(こうべ)を垂れた。凄いな。

■ところで、『復路の哲学』の著者平川克美氏は、ぼくのボスだった元教授と同い年だ。1950年の生まれで、1958年生まれのぼくより、8つ年上になる。(つづく)

2016年10月31日 (月)

「司馬遼太郎」という不思議

『見果てぬ日本』片山杜秀(新潮社)を、このところずっと読んでいる。集中力が続かないので未だに読み終わらない。

ただ、この本で取り上げられている3人「小松左京・司馬遼太郎・小津安二郎」には、昔から興味はあった。なかでも「司馬遼太郎」だ。小松左京は、高校生のときに『継ぐのは誰か?』『果てしなき流れの果てに』を読んで感動した。小津は、大学生になってから、バスケットでいっしょだった宮崎君に教えてもらって「銀座並木座」で『東京物語』を観たのが最初だ。

でも、司馬遼太郎は読んだことがなかった。読みたいと思ったこともなかった。

■ぼくが10代〜20歳代を過ごした時代は、ちょうど日本が高度経済成長のピークを迎え、バブル経済を皆が享楽していた頃だ。

敗戦後の大変な時代を歯を食いしばって頑張ってきた日本人。その精神的バックボーンとなってきたのが司馬遼太郎だった。実際、当時の華々しき経済界の重鎮はみな、わが愛読書として『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』を挙げていたものさ。そうそう、あの頃『3年B組金八先生』で一斉を風靡した武田鉄矢の愛読書が『竜馬がゆく』だった。

だからかな、読みたくない! あまのじゃくな僕は、そう思ったんだ。時代に迎合する国民的歴史文学作家なんてって。

■つい最近、ケン・リュウの新作を読むにあたって、司馬遼太郎『項羽と劉邦』を読む必要が出てきた。上・中・下と3巻もある。でもこれが、読んだら凄く面白かったんですよ! 司馬遼太郎。

司馬遼太郎というペンネームは、中国の歴史記述家の司馬遷に由来することは間違いあるまい。じゃぁ、宮城谷昌光みたいに、司馬遷の『史記』をネタしにして、中国4000年の歴史に埋もれた「知られざる達人」の評伝をいくらでも書けたであろうに、司馬遼太郎は『項羽と劉邦』以外に中国史を書くことはなかった。何故だ?

ふと、思ったのだけれど、成功への王道を行く主人公を男のロマン溢るる大河小説として描いたのが、世間一般的「司馬遼太郎」評だと思うのだけれど、まてよ? 彼の小説の主人公は、はたして歴史上のメジャーな人物たりえたのか?

坂本龍馬なんて、司馬遼太郎が小説にしなければ、誰も知らない土佐の高知の郷士にすぎなかったはずだ。『燃えよ剣』の新撰組副長として剣に生き、剣に死んだ男、土方歳三だって、所詮は敗者だ。『峠』の主人公、河井継之助は、戊辰戦争で「賊軍」として敗北する長岡藩の藩士だった。『翔ぶが如く』の西郷隆盛だって、明治維新の立役者とは言え、最終的には西南戦争の敗者として歴史のメジャー舞台から消えてゆく。

なんだ、みな道半ばにして挫折した人ばかりじゃぁないか! 

ただ、『坂の上の雲』の秋山兄弟は確かにロシアを打ち負かした勝者だ。(読んだこともないのに、司馬遼太郎に関して知ったようにあれこれ言うのは、顰蹙を買うだけなのだけれど、もう少し続きがあります。ゴメンナサイ。) 続く

2016年8月15日 (月)

『閉ざした口のその向こうに』鷲田清一

■テルメで6km 走った後にフロント前のロビーで、8月14日付「日本経済新聞・日曜版」最終面に載っていた、元大阪大学総長、鷲田清一氏の『閉ざした口のその向こうに』を読んだ。さすが、しみじみ深く感じ入る文章だった。

ネット上でも、日経の無料会員に登録すれば、読むことができるが、以下、一部(というか、そのほとんどを)転載する。

 お盆前後の半日、両家の墓に参る。若い頃は墓参りは両親にまかせていたが、いまはわたしたち夫婦以外にその務めをする者がないから、空いている日を見つけ墓所を訪ねるのが、この季節の習いになっている。京都では十六日に「送り火」という、街をあげての精霊送りの行事もあるから、どこからともなく線香の匂いが漂ってくる。

 若い頃は逆だった。なぜこの日に、そしてこの日にかぎって厳粛な気持ちになるのか。そこに、大人たちのうさんくささを嗅ぎつけ、あえてその日を特別な日にしないぞと、家族の墓参りには同行しなかった。できるだけ普段どおりを装うようにしていた。これが十代の頃の、わたしなりの「大人」たちへの不同意のかたちであった。

 特別な日にあらたまって何かに思いをいたす。かわりに普段は平気でそれを忘れている。普段は弔いの思いもない者がその日だけ手を合わせる、線香を焚(た)く、そんなふうに形だけ整えるのを、偽善と感じたのだろう。「あらたまる」というのは、日々の思いがあってこその、その思いの凝集であるはずだと。(中略)

 いつの頃からか(中略)ときどきふと、思いもよらないものに目を止めるようになった。長年使ってきた艶のない食器にふと目を落としたり、通りなれた道を歩きながらふとこれを見るのも最後かもとしみじみ眺め入ったり、ふと見かけた子の行く末が気になったり、そして何より、とうにいない父や母、祖父、祖母のかつての姿を思い起こしたり。(中略)

 何年くらい前のことだろう、ある日ふと、食卓にあっても家族と目を合わせることのほとんどなかった父の姿が思い浮かんだ。細かな擦り傷だらけ、ところどころかすかに鈍い輝きを放つだけのあの食器のように。

 父とこころを割って話すことはついに最後までなかった。ずっとそう思ってきた。しかしほんとうは話していたのかもしれない。口から漏れかけた言葉にただこちらが気づかなかっただけのことかもしれない。「かたり」が「語る」であるとともに「騙(かた)る」でもあるように、記憶もまた、それと気づくことなく体の奥に刻まれていることもあれば、後からキレイな話につくり変えられていることもある。

 わたしには戦争の記憶はもちろんないが、父をめぐる記憶も終戦の数年のちから始まる。父については口下手というか口が回らないという印象がずっとあった。口数の少ない父がことさら寡黙になるのは、きまって戦地の話になるときだった。何を訊(き)いてもなしのつぶて。ちらっと「何でそんなこと訊くんや」という顔をするばかりだった。かろうじて聞き出せたのは、子どもの頃の事故で片眼の視力を失っていたので、前線の後ろ、衛生兵に配属されたということだけ。祖父が空襲の話を饒舌(じょうぜつ)にくりかえすのと対照的だった。

 同級生に訊くと、よその家でも親父というのはそんなものだったらしく、それ以上詮索することもなく月日は過ぎた。

 その沈黙を世代として受けとめなおす必要があると、このところ思いはじめている。声高の戦争語りには、子どもなりに反撥(はんぱつ)していた。が、その勢いで、言葉が滞るというかたちでの父たちの戦争の語りにも同時に耳を塞いでいたのだと思う。けれどもとさらに思う。「わたしたち」は太平洋戦争を体験していないけれども、その体験者の失語にふれた最後の世代に属する。その人たちが断ち切ろうにも断ち切れなかったもの、少なくともその残照には「わたしたち」はふれていたはずなのだ。皮膚に細かいひっかき傷として残っているそれらを語りつぐ務めがわたしたちにはあるのではないか。

□ □ □

 父は死ぬまで仏壇だけは疎(おろそ)かにしなかった。生まれてすぐに母を亡くし、それからずっと親戚の寺で預かってもらっていたというから(この話も父ではなく親戚筋から聞いた)、理由はそこにあるかもしれないが、そのときだけは戦地で逝った戦友のことを密(ひそ)かに思っていたのかもしれない。あるいは、消えるような声でたどたどしくしかお経を読めなかったのも、たとえお経であっても、走る言葉は信用しないということがあったのかもしれない。いずれもすべて霧の向こうにある。

 父(たち)は何を拒んでいたのか。何を断念したのか。何がまだ済んでいなかったのか。

 足腰が弱くなって、ついでに「じぶん」というものまで痩せ細ってきて、何を見ていてもその光景に思いもかけずこの問いが重なることが増えた。父の代から引き継いだ盆の墓参りの道すがら、服にしみつく線香の匂いも昔とはかすかに違ってきている。

『閉ざした口のその向こうに』鷲田清一(8月14日付「日本経済新聞・日曜版」最終面より)

■「『わたしたちは太平洋戦争を体験していないけれども、その体験者の失語にふれた最後の世代に属する。」という言葉が重要だ。『わたしたち』とは、どこまでの世代が含まれるのか?

鷲田先生は、1949年生まれだ。以前ブログに書いた「同じ年生まれの人が気になるのだ」で調べてみると、村上春樹が同じ 1949年の早生まれだ。ちなみに、後で触れる予定の、辺見庸氏は 1944年生まれだった。

■ぼくの父は、大正8年の生まれで、昭和19年、慈恵医大を卒業し陸軍軍医学校に行った。戦地へ派遣されることはなかったが、3月10日の東京大空襲の惨劇を、軍医として目の当たりにしたという。

昭和20年10月。氷川丸に乗ってラバウルへ患者さんたちを引き取りに行くべく横浜港で待機中に、故郷の高遠町で外科医院を開業していた祖父危篤の電報を受け帰郷。翌年、亡くなった祖父の跡を継ぎ、父は27歳で内科医院を開業した。本当は、大学に戻って尊敬する教授がいた産婦人科学教室に入局する希望だったのだが、叶わなかった。

ぼくの長兄も、1949年(昭和24年)の早生まれだ。だから、鷲田先生や村上春樹氏の父親も、ぼくの父と同世代に違いない。

■村上春樹氏の父親も、中国大陸に従軍している。しかも、モンゴル・ソ連国境に接する「ノモンハン」だった。村上氏は、エルサレム賞受賞のあいさつ「壁と卵」の中で、彼の父親に触れている。以下抜粋。

 私の父は昨年の夏に90歳で亡くなりました。彼は引退した教師であり、パートタイムの仏教の僧侶でもありました。大学院在学中に徴兵され、中国大陸の戦闘に参加しました。私が子供の頃、彼は毎朝、朝食をとるまえに、仏壇に向かって長く深い祈りを捧げておりました。

一度父に訊いたことがあります。何のために祈っているのかと。「戦地で死んでいった人々のためだ」と彼は答えました。味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のために祈っているのだと。父が祈っている姿を後ろから見ていると、そこには常に死の影が漂っているように、私には感じられました。

 父は亡くなり、その記憶も ---- それがどんな記憶であったのか私にはわからないままに ---- 消えてしまいました。しかしそこにあった死の気配は、まだ私の記憶の中に残っています。それは私が父から引き継いだ数少ない、しかし大事なものごとのひとつです。

2016年8月 8日 (月)

『A Child is Born 赤ちゃんの誕生』と『胎児の世界』三木成夫

■『A Child is Born 赤ちゃんの誕生』(あすなろ書房)の最新版 (2016/3/30初版発行)を見ていて驚いた。143ページの写真。

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これ、三木成夫先生の『胎児の世界』(中公新書)113〜115ページに載っている、受精36日〜38日の胎児の正面像スケッチの実写写真ではないか!

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2016年7月 9日 (土)

ロックて、何だ?(その3)『ガケ書房の頃』→ 小田嶋隆

■『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)の追補。 <ロックという概念> が載っている部分「ライブはじまる」p139〜145 の前後を含めて、もう少し抜粋する。

 今考えると、とても恥ずかしくなるのだが、ガケ書房のオープン時のキャッチフレーズは、ジャパニーズ・サブカルチャー・ショップというのと、ロックの倉庫というものだった(ああ、恥ずかしい)。カテゴリーイメージとしてはサブカルチャーもロックも、今の時代、微妙になってしまった言葉だ。しかし、店のイメージを限定されそうなサブカルチャーはともかく、ロックという言葉に関しては、そこに僕の明確な価値基準があって、ぜひ使いたかった。

 そのころの僕は、物事の判断基準に<ロックかどうか>を用いていた。僕にとって、ロックという概念は、音楽のジャンル以上に、あり方や考え方を指す言葉だった。それは、存在としての異物感、衝動からくる行動、既存とは違う価値の提示、といういくつかの要素を、どれか一つでも兼ね備えているものを指した。僕は、そういう本や音楽や雑貨をオープニング在庫として集めた。そして、それに追随してくれる人たちを待った。

 しかし、すでに使い古されていたロックは、たくさんのゆるい解釈を飲み込んでしまっており、僕と似たような概念でロックを捉えている人は少数のようだった。むしろ、そうではないのに、という誤解のイメージにさいなまれることの方が多かった。なので、すぐにそのフレーズは封印した。(『ガケ書房の頃』139,140ページより)

■生き方そのものが「ロック」な人と言えば、内田裕也さんだ。裕也さんは、舛添元東京都知事騒動にコメントして「舛添はロックじゃねぇ。フォークソングだ!」と言ったそうだが、そんな裕也さん自身が「すでに使い古された、ゆるい解釈を飲み込んだ」ロックのイメージを作り上げてしまったのではないか。

それで思い出したのが、少し前に話題になった「フジロックに政治を持ち込むな」論争だ。最近、毎日新聞に「特集記事」が載ったが、小田嶋隆氏が「日経ビジネスオンライン」で連載している『ア・ピース・オブ・警句』2016年6月24日(金)の記事「音楽は政治と分離できるか」 が、最もしっくりくる内容だった。そのとおり、彼らは奥田愛基とSEALDs が単に嫌いなだけなのだ。

ただ、ひとつ気になったことは以下の部分だ。

具体的には、「音楽」なり「ロック」なりが、もはや往年の影響力を失っているという、今回の議論を通じて私が到達した感慨が、たぶん、若い人たちには了解不能なのだろうな、ということが私の伝えたいことの大部分だということだ。

 私の世代のロックファンにとって、「ロック」ないし「音楽」は、人生の一大テーマであり、それなしには生きていくことさえ不可能だと考えられるところのものだった。

 大げさに聞こえるかもしれないが、私はある時期まで本気でそう思っていた。
 いまにして思えば、その考え(No music no lifeとか)は、半ば以上錯覚であり、それ以上に思い上がりだった。

 どういうところが思い上がりだったのかというと、私の世代の若者は(あるいは「少なくとも私は」と言った方が良いのならそう言うが)、音楽に惑溺している自分を、人並み外れてセンシティブだからこそ音楽無しには生きられないのだというふうに考えていたのである。

 現時点から見れば、どうにも手に負えない自家中毒だと思う。現実逃避でもある。
 バカみたいだと思う若い人たちは、笑ってもかまわない。

 が、ともあれ、そういうふうに「こじらせて」いるというまさにそのことが、当時は、ロックファンがロックファンであるための条件であると信じられていたのだ。

『ア・ピース・オブ・警句』2016年6月24日(金)小田嶋隆

■小田嶋さんは、これを書く少し前のツイートでこう言っている。

 

小田嶋隆 小田嶋隆
@tako_ashi
6月20日
個人的には、滑稽であれ、空回りしているのであれ、大真面目にロックを語っている人間に好感を抱いている。ほかの誰かがロックについて真剣に語る様子を嘲笑するタイプの人間は好きになれない。

基本、ぼくもまったくそのとおりだと思っている。青春時代に「音楽」が唯一の信じ得る「生きる糧」であった人間にしか言えない言葉だ。だから、ぼくは小田嶋さんの言葉を信じる。

2016年7月 4日 (月)

ロックて、何だ?(その2)『奇跡の人』→『ガケ書房の頃』

■5月中旬から読んでいる『項羽と劉邦』司馬遼太郎(新潮文庫)が、なかなか進まない。一昨日ようやく「上巻」を読み終わった。まだ(中)(下)の2冊が残っている。さらには、ケン・リュウ『蒲公英王朝記(1)』も続く。

それにしても「この本」は勉強になる。「バカ」の語源が書いてあったのだ。446ページ。秦の始皇帝が死んだあと、暗躍した宦官の「趙高」が実質的な権力の頂点に今はいる。

咸陽の宮廷で趙高がやっていることというのは、恐怖人事である。(中略)趙高は人々から心服されることを望むほど人間を愛してもおらず、信じてもいなかった。(中略)

あるとき趙高はこれら臣官と女官を試しておかねばならないと思い、二世皇帝胡亥の前へ鹿を一頭曳いて来させた。

「なんだ」

胡亥は、趙高の意図をはかりかねた。

「これは馬でございます」

 と、趙高が二世皇帝に言上したときから、かれの実験がはじまった。二世皇帝は苦笑して、趙高、なにを言う、これは鹿ではないか、といったが、左右は沈黙している。なかには「上よ」と声をあげて、

「あれが馬であることがおわかりなりませぬか」

 と、言い、趙高にむかってそっと微笑を送る者もいた。愚直な何人かは、不審な顔つきで、上のおおせのとおり、たしかに鹿でございます、といった。この者たちは、あとで趙高によって、萱でも刈りとるように告発され、刑殺された。群臣の趙高に対する恐怖が極度につよくなったのはこのときからである。

権力が人々の恐怖を食い物にして成長してゆくとき、生起る(おこる)事がらというのは、みな似たような、いわば信じがたいほどのお伽話ふうであることが多い。

『項羽と劉邦』(上)司馬遼太郎(新潮文庫)より

この話、リアルすぎてめちゃくちゃ怖いぞ。今から2300年も前の中国の話なのに、誰かさんに言われて、鹿を「馬でございます」と白々しくも言っている人たちが、いま現在如何に多いことか……。

■NHKBSプレミアムドラマ『奇跡の人』の脚本は岡田惠和氏で、登場人物にやたら「アホ」「バカ!」言わせているが、もう一つ出演者の口から頻発する単語がある。それが「ロック」だ。

■『奇跡の人』(第6話)。一択(峯田和伸)にとって、東京でたった一人の友人である馬場ちゃん(勝地涼)が、いつもの居酒屋で一択の愚痴を聞いてやっている。そこへ大家の風子さん(宮本信子)がやって来て、「訊きたいことがあるんだけど…」って、2人に切り出す。そのあと、

「ロックて、何?」って訊くのだ。

で、馬場ちゃんはこう答えるんだな。

「俺、じつは、ロックの原点てのは、アイツだと思ってんだ。外人は外人なんだけど、少年?『裸の王様』に出てくるさ、『あれっ? 王様はだかじゃね? 何やってんの笑っちゃうんだけど。じゃ、俺も脱ごうかな』。

みんながさ、分かってるのに『それ言う?』みたいなさ。軽くぽーんと言うワケよ。

(ビクビクした感じで)『みんな平気なんですか? 王様はだかじゃないんですか?』みたいな言い方するとさ、『うるせーな黙ってろよ』みたいな感じになっちゃって、世界は動かない。王様ははだかのまま。

でもさ、『あれっ? 王様はだかじゃね? はだかはだか! 裸の王様ヌード・キングじゃね?』みたいな言い方するとさ、みんなが『だよな。そうだよな!』みたいなふうにして世界は動く。それがロックでしょうよ。

ロックが空気読んじゃダメ。空気を切り裂くのがロックでしょうよ。ロックはうるせぇって言われ続けないと。だからみんなが、大きな音に慣れている感じだったら、さらに爆音出すワケでしょ。『どうだ、うるせーだろ、ざまー見ろ』みたいなね。」

「でもぉ、男と女のロックはこれが違うんですよねぇ。これがまた。

女のロックはね、すぱーっと行くのよ。前ぶれもなく、いきなり行く感じ。でも男は違う。男のロックはね、もう、うじうじうじうじグジャグジャグジャグジャして、ためてためて最後の最後にドカンと行くワケですよ。」

■まぁ、ぼくは中学高校生の頃はフォーク、大学生になってジャズに没頭したから、じつは「ロック」がよく分からないんだ。つい最近読んだ本に、その「ロック」の定義が書いてあって、「なるほどな」と思った。それが、『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)だ。以下は、ツイッターに載せたもの。

行ったことはないけれど、僕でも名前は知っている、京都にあった有名な本屋さん店主の半生記『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)を読み始める。面白い! 淡々とした筆致なのに不思議とぐいぐい引き込まれる。最初の「こま書房」「初めて人前で話したこと」で「つかみ」は完璧だ。(2016/06/16)
 
『ガケ書房の頃』つづき。家出して横浜に出て来た18歳〜29歳までの、様々な職業を転々としていた頃の話が凄まじい。つげ義春の漫画みたいな印刷工の話「むなしい仕事」。学習教材の訪問販売員だった「かなしい仕事」。
「僕は、その場所でしか通用しない悪しき暗黙のルールというものが世の中にはたくさんあるということを学んだ」(70ページ)
引き続き『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)を読んでいる。いいなぁ。実にいい。この人の文章が好きだ。淡々と醒めているようでいて、情にほだされる描写もする。「ライブはじめる」p142。友部正人さんに飛び込みの直談判で、PAなしの生音ストア・ライヴをオファーする場面。すっごくイイぞ。(2016/06/22)
店主の山下さんは、高校時代に大好きだったんだそうだ。友部正人。145ページに、最初の「友部正人・ガケ書房ライブ」フライヤー写真が載っている。アパートの汚いキッチン流し台の写真に、店主の手書き文字で「にんじん」の歌詞。「ダーティー・ハリーの唄うのは/石の背中の重たさだ……」
 懐かしいなぁ。ぼくも「この曲」が大好きなんだ。中学三年生の時、この曲が収録されたレコード『にんじん』(URC)を買って、高校時代もずっと何度も何度も聴いた。レコードを聴く環境がなくなって、すっかり忘れてしまっていたら、昨年思いがけなくナマで「この曲」を聴くことができた。
南箕輪村の酒店「叶屋」のご主人が友部正人の長年のファンで、毎年店で「友部正人ライブ」を行っていて、去年初めて僕も参加したのだ。知らない歌のほうが多かったけれど、突然あの「ダーティー・ハリーの唄うのは」で始まる『にんじん』のフレーズに僕はゾクゾクしたのだった。
 じつは、今度の日曜日。午後4時から、その酒屋「叶屋」で「友部正人ライヴ」があるのです。上田で小児科学会地方会があるので、行けないなと諦めていたのだけれど、地方会サボってライヴの方に行こうかな。(2016/06/22)
南箕輪村の酒店『叶屋』へ友部正人のライヴを聴きに行ってきた。パワフルでエネルギッシュで、若いなぁ、ロックだなぁって、感嘆した。『はじめぼくはひとりだった』(レコード持ってるぞ)に始まって、1st セット最後の曲『歌は歌えば詩になって行く』は初めて聴いたがいい曲だなぁ。最新CDのか。(2016/06/26)

Tomobe

それにしても、中学高校時代に大好きだったミュージシャンは、一生涯大好きなまま続いてゆくのだなぁ。しみじみそう思った。今日もサインしてもらおうとレコードとCDを持参したのだけれど、やめてしまった。来年は10回目とのこと。次回こそ!(2016/06/27)
 ちょっと追加。『ガケ書房の頃』140ページより引用。「そのころの僕は、物事の判断基準に<ロックかどうか>を用いていた。僕にとって、ロックという概念は、音楽のジャンル以上に、あり方や考え方を指す言葉だったからだ。それは、存在としての異物感、衝動からくる行動、既存とは違う価値の提示、といういくつかの要素を、どれか一つでも兼ね備えているものを指した。」(2016/06/22)
     この<ロックの定義>はいいんじゃないか。
p141「案の定、今かかっているのは誰ですか? とよく聞かれた。一番よく聞かれたのは、デビュー間もないハンバートハンバートだった。」(2016/06/22)
すごく久しぶりに『10年前のハンバートハンバート』を聴いている。2枚目のCD『道はつづく 特別篇』の15曲目『gone』。曲が始まる前のMCで、遊穂さんが、京都の本屋さん「ガケ書房」でライブやったねって、言ってた。2006年の録音だな。(2016/06/25)
「嘘みたいな話だが、ずっと動きが悪い本を棚から一度抜き出して、また元の位置に戻すだけで、その日に売れていくこともある。僕は何度もこれを経験している。人が触った痕跡というものが、そこに残るのだと思う。」『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)224ページ。
(2016/07/09)
わが家には、小沢健二のCDも本も全くないが、おとうさん「小澤俊夫」の昔話関連本と、おかあさん「小沢牧子」さんの児童心理学関連本は何冊もあるぞ。(『ガケ書房の頃』229ページ) (2016/07/09)
『ガケ書房の頃』(夏葉社)読了。圧倒的な満足感と共に深い余韻が残る稀有な読書体験だった。248ページの、いしいしんじさんとの対話を読んで泣けた。オザケンとのやり取りとか、人との出会いの大切さをしみじみ感じる。経営難にあがいてもがいて、めちゃくちゃ格好悪いところが逆にカッコイイぞ!
 特に、ラストの3行。まさに、「ロック」じゃないか! 『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)(2016/06/23)
       「めちゃくちゃ格好悪いところが逆にカッコイイぞ!」

 というのは、もちろん「早川義夫さんのレコードタイトル」にかけている。著者の山下さんは、辞めてしまった本屋の大先輩として絶大なリスペクトを早川さんに送っているワケだが、ぼくの感じでは、加島祥造さんのイメージに重なるのだ、早川義夫氏。よく言えば「老子」。悪く言うと「エロじじい」ごめんなさい。

■この本には、「著者あとがき」がない。まぁ、こうもカッコイイ最後の文章の後には、たしかに「あとがき」は書けなかったのだろう。でも、『ホホホ座』のサイトに「あとがきにかえて」という文章を見つけた。「バンス」のはなし。泣ける。

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