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2013年11月17日 (日)

『母が認知症になってから考えたこと』山登敬之(つづき)

「この本」の最終章を読み終わり、なぜ「小津安二郎の映画を見終わったみたいだ」と感じたのか? その事についてちょっと考えてみたい。

来月の12月12日は、小津安二郎監督の誕生日であり命日でもある。しかも、今年は生誕110年、没後50年に当たるメモリアル・イヤーなのだった。それなので、「GyaO!」のサイトでは、現存する「小津映画」全37作品のうち33本を、11月15日から12月13日まで連日「日替わり」で「無料配信」している。

今日は、小津監督の遺作『秋刀魚の味』だった。レーザー・ディスクでは持っているのだが、DVDはなかったので、久々に見入ってしまった。やっぱりいいなぁ、トリス・バーでの岸田今日子(風呂上がりで、黄色いタオルを頭に巻いてる)と加東大介、そして笠智衆の「軍艦マーチの敬礼」のシーン。

それから、ちょいと下を向く仕草の佐田啓二は、息子の中井貴一とやっぱりどこか似ている。

■もう一本『小津と語る』という、小津を敬愛してやまない世界の映画監督7人(ヴィム・ヴェンダース、アキ・カウリスマキ、ホウ・シャオシェン、スタンリー・クワン、リンゼイ・アンダーソン、ポール・シュレイダー、クレール・ドゥニ)へのインタビューを、今から20年ほど前に映像化した作品が、期間中ずっと無料配信されていて、こちらも今日見た。フィンランドでの、アキ・カウリスマキ監督へのインタビューは、YouTube で既に何度も見ているが、フル・バージョンでは初めて見た。

最も印象に残った言葉は、ラストに収録されたフランスの女性映画監督クレール・ドゥニが言っていたことだ。

「先ほど『窓』という言葉を使いましたが、小津作品は全世界的普遍性に向けて開かれているのです。

『家族』ということでまとめてみましょうか。ヴィム・ヴェンダースがこんなことを書いていました。うまく引用できるかどうか分かりませんが。

 人にはそれぞれ、少なくとも兄弟、姉妹、両親、叔父、叔母さらにその父もいる。だから、何が小津作品の中で語られているのか分かる。

 ただそれは、それぞれの人々が大切な人と過ごした幼年時代の関係などを、小津映画から改めて見つけ出すことを意味するのではない。

 ある文化から作り出された世代とは何を意味するのか。どのような過程を踏んで育ち、どのような人間になったのか。といった問題を提示している」

そうして最後に、彼女が一番好きな『晩春』から笠智衆と原節子との1シーンを音読する。

笠智衆:「お父さんはもう五十六だ。お父さんの人生はもう終わりに近いんだよ。だけどお前たちはこれからだ。これからようやく新しい人生が始まるんだよ。つまり佐竹君と二人で創り上げて行くんだよ。お父さんには関係のないことなんだ。それが人間生活の歴史の順序というものなんだよ」

 誕生、成長、成熟、衰退、死 ---- 。世代の違う人間同士が同居する家族(特に親子関係)とは、まさに「輪廻」「無常」の場だ。凡人たちにとっての根本的ドラマの場だ。『小津ごのみ』中野翠 p218(ちくま文庫)

まさに「そういうこと」が、「この本」には書かれていたのだった。しかも、小津映画と同様、決して情緒的でお涙頂戴になることなく、少し引いた視線で客観的に、静かで淡々とした筆致でね。

■以下、先だってのツイートから(一部誤りなど改変)

『母が認知症になってから考えたこと』山登敬之(講談社)を読み終わって、介護を通して親と自分との関係性を内省的に考察するという、似たようなテイストでありながら、尽く対照的な「介護本」が気になっていた。『俺に似たひと』平川克美(医学書院)だ。ウェブ連載中は読んでいたのだが本は未読だ。

で、早速本を入手し読んでみたのだ。平川氏は1950年生まれ。東京の下町である大田区の多摩川縁に近い下丸子(正確には、五反田と蒲田を結ぶ東急池上線の「千鳥町」と「久が原」のちょうど中間)に生家はあった。埼玉から出て来た父親は、この地で町工場を経営する社長だった。平川氏が小学校の時に転校してきた生意気なヤツ内田樹少年を彼は最初いじめたという。しかしその後直ぐに和解し、以後50年以上にわたり無二の友人関係を続けている。

一方、児童精神科医の山登敬之先生は 1957年生まれ。昭和32年になる。生家は千駄ヶ谷。いまの住所でいうと神宮前二丁目。いわゆる「裏原宿」にあった。父親は病院勤務の小児科医で、山登先生は四谷にある超有名幼稚園に通う、絵に描いたような東京山の手の「お坊ちゃま」だった。

でも、ちゃきちゃきの江戸っ子と言ったら、やっぱり山登先生の方だ。山登先生のおかあさんは、戦前の麹町で毛織物商を大々的に営む商家の長女で、茅ヶ崎には別宅もある、正真正銘の「山の手のお嬢様」だったのだから。

平川克美氏は、内田樹、中沢新一、矢作俊彦、高橋源一郎(早生まれ)と同学年だ。敗戦から5年して生まれた、団塊世代の末尾を飾る人たち。それに対して山登先生は、共通一次世代よりは古い、国立大一期校、二期校受験の頃で、いわゆる「しらけ世代」ということになるな。ぼくもそうだが。

一番違う点は、平川氏は「父親」の介護の話であり、父親と息子との確執と和解(でもそれは、かなわなかった?)の物語であるのに対し、山登先生は、自分を育て上げた「母親」への無意識な依存があった過去の日々への確認と、でもそれが決っして今の生きざまに対して間違ってはいなかったのだという確かな自信の物語であること。この違いは決定的かもしれないな。

それからもう一つ。重要な相違点があるのだが、そのことに関してはまた次回に続くのであった。(まだつづく)

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