『親子で向きあう発達障害』植田日奈・著(幻冬舎)
■あれは、医者になって2年目のことだ。信州大学小児科に入局させていただき、1年間大学病院で研修した後、ぼくは厚生連北信総合病院小児科に配属された。優秀な3人の先輩小児科医のご指導のもと、貴重な症例を含め、たくさんの患者さんを受け持たせていただいた。
大学病院では未経験だった新生児の主治医にもなった。今でもよく憶えているのは、ダウン症の女の子のご両親に、生後1ヵ月して染色体検査の結果が出てから「その事実」を告げた時のことと、重症仮死で生まれて、脳室周囲白質軟化症(PVL)になってしまった赤ちゃんのご両親に、早期療育の必要性を説明した時のことだ。
その時ぼくは、いずれも同じことを口にした。
「確かにこの子は、生まれながらに大きなハンディキャップを背負ってしまいました。でも、ご両親の献身的な療育によっては、もしかするとこの子だって、将来は日本の首相になれる可能性だってあるのです。だから、どうか前向きに、この子と共に生きて行ってください!」と。
その当時、ぼくは自分の言葉に酔っていた。いま考えれば、あまりに無責任な言葉だよな。医者になって2年目、まだ何もできないくせに、何でも出来るような錯覚に陥っていた。
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■再び大学に戻って、下諏訪町にある、身体障害児・心身障害児療育施設「信濃医療福祉センター」へパート出張した時のことだから、あれから更に3年後のことだ。センター小児科医長の八木先生に病院を案内してもらって、館内を廻っていた時のことだ。
母子入院をして初期療育をしている、障害がある乳児が多数いる病棟を訪れたのだが、八木先生がふと、「この子には無限の可能性がある! みたいな、過度の期待を親に持たせて『ここ』へ送り込んでくる小児科医がいるんだけれど、ハッキリ言って迷惑なんだよ。」
あ、それを言ったのは俺だ……。
ぼくは、八木先生に申し訳なくて、そのとき何も言えなかったのだった。(まだ続く)
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