読んだ本 Feed

2011年8月24日 (水)

『そこのみにて光輝く』佐藤泰志(河出文庫)

■忘れられた作家「佐藤泰志」の名前を初めて知ったのは、岡崎武志さんのブログでだった。まだ『海炭市叙景』の映画が完成するずっと前のことだたと思う。それ以来、函館出身の作家、佐藤泰志氏のことが気になっていたのだ。で、小学館文庫からでた『海炭市叙景』と、河出文庫の『君の鳥はうたえる』を読んだ。


そして、なんか気に入ってしまったのだ。佐藤泰志。この人、いいんじゃないか?


というわけで、3作目『そこのみにて光輝く』(河出文庫)を読了した。じつにいい小説だった。第一部の鮮烈なラストにも驚いたが、ぼくは案外「第二部:滴る陽のしずくにも」が好きだ。


 達夫は鉱山師の松本から潮風でボディに穴の空いた廃車寸前の車を4万円で買うが、エンジンがちっともかからない。仕方なく前の持ち主である松本を呼び出す。松本は、ほとんど「あうん」の呼吸の域まで達した男と女の機微みたいな感じで、運転手とじゃじゃ馬みたいな癖の強いボロ車のエンジンとの駆け引きを、無駄のない言葉で淡々と達夫に伝授する。この場面で2人の関係が一気に親密になるのだ。ここを読んで、佐藤泰志は巧いなぁと思った。


この「第二部」は、神代辰巳監督作品の『アフリカの光』を思い出させる。田中邦衛とショーケンの、どうしようもない男二人組。拓児はショーケンだ。絶対に行けもしないアフリカを夢見ている。金鉱を掘り当てて、一攫千金の人生が待っていると、じつはマジで信じているのだった。そういう拓児を、主人公の達也と山師松本は、困ったなぁと思いながらも決して排除(仲間はずれ)しないのだった。


達也が海岸で自分の人間関係に思いをはせるラストの余韻もいい。ほんといい。

以下、ツイッターからの転載。


『そこのみにて光輝く』佐藤泰志(河出文庫)を読み始めた。最初の部分は単行本を高遠町図書館から借りてきて、ずいぶん前に読んでいたのだが、文庫本を買ったので改めて読み始めた。猛暑の8月、函館は海岸通りが舞台だ。紫陽花と桔梗が同時に咲いている。「このあたりの地図」は『海炭市叙景』を読んで知っているのだよ。


・読みながら何だか懐かしい気分がしてくる。知ってる場所、知ってる人たち。主人公の達也。市場で行商をしていた父母は既に亡く、肉親は妹のみ。11年務めた造船所を早期退職して今は無職だ。これって映画版『海炭市叙景』の「まだ若い廃墟」兄妹の、あり得たかもしれない別バージョンじゃないか。


・この小説『そこのみにて光輝く』を映画化するとしたら、キャスティングはどうなるのか? 岡崎武志さんは、拓児:松山ケンイチ、達夫:妻夫木聡、千夏:小雪とすれば、ぜったい客が入るラインナップと書いているが、何だかそれじゃぁ『マイ・バック・ページ』じゃん。小雪はないだろ、絶対に。松山ケンイチと実の夫婦なんだから。


・ぼくのイメージでは、主人公の達夫は、西島秀俊か加瀬亮で、拓児はう〜む分からん。問題は千夏だ。難しい役だな。グラマラスなイメージはない。体躯は細身だ。キツイ目付きが魅力的なので、個人的には、梢ひとみか宮下順子なのだが、今のところ土屋アンナの雰囲気で読んでいる。ちょっと違うか。


・佐藤泰志『そこのみにて光輝く』(河出文庫)読み終わった。これはいい。好きな小説だ。暫く余韻に浸っていたい。どうもこの人の文章のリズム・テンポが僕に合っているのだ。タッタッタと一定のペースで走っている感じ。それにジャズの間合い、呼吸の感じ。そんな彼の文章がとても心地よいのだ。


・佐藤泰志『そこのみにて光輝く』が、もしも映画化されるとしたならば、そのキャスティングはこうだ! この際、NHK朝ドラ『おひさま』組でいったらどうか? 達夫:髙良健吾、千夏:満島ひかり。拓児:柄本時生。松本:串田和美、松本が別れた元妻:樋口可南子。拓児の母親:渡辺えり子。


■■この本に関して「ブクログ」に載った感想の中に、「ライトにした中上健次っていう感じ」というのがあって、上手いこと言うなぁと感心した。なるほど、当時の作者のねらいはそうだったのかもしれない。でも、ぼくがいま読んでみて感じたのは、中上健次の小説とはぜんぜん違った肌ざわりだった。(つづく)


2011年8月16日 (火)

『ジェノサイド』高野和明(角川書店)読了

■『ジェノサイド』高野和明(角川書店)を昨夜11時54分に読了した。
 足かけ3日で一気に読んだ。

「ページターナー本」とは、まさにこの本のことを言うのだな。
それから、壮大なスケールの「ホラばなし」であるということ。しかも、
「ホラ」であることは読者は判りきっているのに、読み込むうちに何時しか「リアル」にこの物語を信じ始めるのだった。これって、結構スゴイことじゃない?


こういうワールドワイドな冒険小説の傑作本が日本から生まれるとは、ビックリだ。


ふと思い返してみて、これほど読者の予測を裏切って最後まで圧倒的なリーダビリティを保証した日本の小説が最近あっただろうか? 個人的に思い出す小説は、『安徳天皇漂海記』宇月原晴明(中公文庫)か、『ワイルド・ソウル』垣根涼介(幻冬舎文庫)、あとは『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎(新潮文庫)ぐらいか。


それくらい『ジェノサイド』という小説は「大ホラ本」であるのだが、現代社会の矛盾をとことんまでリアルに追求した「ノンフィクション本」的な要素も多大に秘めている点が注目に値する。特に、プロローグから登場するアメリカ大統領バーンズは、ジョージ・ブッシュその人であり、副大統領のチェンバレンは、ブッシュ政権でのチェイニー副大統領を彷彿とさせる。


それから、いつまでたっても人間同士で殺し合いを続ける現世人類の「どうしようもないイヤな面」を、作者はこれでもかと見せつける。それは小説のタイトルとも呼応しているのだった。


■ただ、こういう荒唐無稽な構造を小説内に形成すると、直ちに小説のリアリティが瓦解ししてしまい、読者は小説についてきてはくれない。そのあたりの塩梅が、作者は巧みなのだった。巧妙に複線が張ってあって、ミスディレクションの罠もあるし、読者を煙に巻きながらもグイグイと引っ張って行き、終板に向けてその複線たちがみな見事に収拾されてゆき、破綻のない納得のいく物語となっている。いやはやまったく、この作者はただ者ではないぞ!


それから、CGを使ってレセプター(受容体)の立体構造を見極め、そこに結合して本来の反応をブロックする物質をコンピュータ上でデザインして新薬を開発する方法は実際にいま盛んに行われている。例えば、抗インフルエンザ薬の「タミフル」はまさにそうやって開発された薬だ。

インフルエンザ・ウイルスは最初「ぶどうの房」のようにつながって出来るのだが、ヒトの細胞から出るときに、ノイラミダーゼという酵素が「ふさ」をちょん切って1粒づつのウイルス粒子となって外に出て行く。「タミフル」は、インフルエンザ・ウイルス表面にあるノイラミダーゼが結合する部位に先にくっついて、酵素が反応できなくさせるのだ。

このため、ヒトの細胞内でウイルスがどんどん作られても、みんな「ふさ」でつながったままになり、細胞の外へ新たにウイルスが出て行けなくなる、という仕組み。じつによく考えられているのだった。

2011年8月13日 (土)

『子どもにかかわる仕事』汐見稔幸・編(岩波ジュニア新書)

■小児科医として「子供とかかわる仕事」をしていながら、案外「その他の子供とかかわる仕事」に就いている人たちが、具体的にどのような仕事をしているのか、どういう思いで子供たちと向き合っているのかが、ぜんぜん分かっていないことに気付いたのは、「伊那のパパズ」という父親による絵本の読み聞かせ隊活動を通じて、小学校の先生、幼稚園の先生、こどもの本屋さん、市役所の学校教育課職員という、職種は違いながらも「子供とかかわる仕事」に携わるお父さん方とお付き合いさせていただくようになってからのことだ。


もう7年以上いっしょにやっているけれど、いまだに子供に関して新たに教えてもらうことが多々あり、仕事に対してマンネリ化しつつある自分の態度に毎度「喝」を入れてもらっているのだった。


「この本」は、これから自分の将来の職業を考える中学生・高校生を対象に書かれたものではあるのだが、本当は、現在「子供と係わる仕事に就くわれわれ」こそが読むべき本なのではないかと思った。

図らずも、編者の汐見稔幸先生は「はじめに」の中でこう言っている。

 執筆者はみんな、子どもを相手にする仕事をしてきたことに喜びを感じ、そうしたことを可能にしてくれた子どもに感謝しています。すぐれた指導者と出会って感謝することは誰にでもできます。偉い人にお世話になったことを感謝することも当然です。でも患者さんに医師が感謝すること、クライアントにカウンセラーが感謝すること、幼児に保育者が感謝すること等々は、一般的ではありません。私は、生徒に謝ったり感謝する喬師がたくさんいれば、日本の教育はもっともっとよくなると思うのです。


そうなのだ。ぼくらは子どもたちがいてくれるおかげで、生かされているのだ。そういう本質的なこと、根本的なことを「この本」は改めて知らしめてくれるように思う。だから、大人こそ必読本なんじゃないか?


■以下、13人の執筆者の文章から少しだけ引用させていただきます。


 ・鈴木せい子さん(助産師)

助産師は、新しいいのちを迎えるたびに、こうした胎児の ””生命力のすごさ”” に圧倒されます。お母さんもがんばった、でもあなたもがんばった。さらにすごいことは、あなたがいるだけで、周りのみんなにも生きる希望を与え、多くの喜びと幸せをもたらしているということです。だから、あなたは「生きているだけで百点満点」。(p15)


 ・細谷亮太先生(小児科医)

病棟の子に亡くなられるたびに、誰もいない非常階段で声を上げて泣きました。どうしてこんな理屈にあわないことがあるのかと、心の底から悲しく、医者をやめたいと思ったこともありました。  子どもたちの死はあまりに不条理でした。子どもは、死んではいけない人たちなのです。今もそう思っています。(p23)


 ・井桁容子さん(保育士)

たとえば、年齢が同じなら、同じことができて当たり前、同じ量だけ食べ、何をやるにも同じ時間で動く、そんなことはまずありません。ですから「同じ」を子どもたちに求めるような保育、また保育者であってはダメだということを、まず理解する必要があります。そのうえで、一人ひとりが違っていることを大事にはぐくみ生かしあえる関係づくりができる保育および保育者であろうとすることがとても重要です。(p47)


 ・渡辺恵津子さん(小学校教員)

この本を手に取ったあなたは、「先生の仕事」をどんなものだと想像しますか? 成長段階にいる子どもたちを「教え導くこと」と思う人も多いかもしれません。私も教員になりたての頃は、そう考える気持ちが少なからずありました。しかし今は、「教え導くこと」が必ずしも喬師の仕事ではない、と実感しています。

むしろ今は、自らの力で人生を切り拓いていこうとする子どもたちに伴走し、励まし支え、それぞれの「持ち味を十二分に引き出してあげること」ではないかと思っています。

たくさんの子どもたちと出会って思うのは、一人ひとりが本当にかけがえのない存在であり、いのちであり、可能性をいっぱい秘めた発展途上人だということです。(p65)

2011年8月10日 (水)

最近読んだ本

■このところバタバタしていて、本は読んでいるのだけれど読後の感想をブログにアップする気力がわかないのだった。

ツイッターやフェイスブックにはちょっとした感想を呟いてきたのだが、自分でも何を読んだのか忘れてしまっているので、健忘録としてこの場にリストアップだけしておきたい(読了の日付は順不同。思い出した順です)

1)『原発はいらない』小出裕章・著(幻冬舎ルネッサンス新書)★★★☆ 
   基本的な事項の再確認として必読!

2)『<映画の見方>がわかる本』町山智浩・著(洋泉社)★★★★☆
   映画ファン必読!

3)『I【アイ】』いがらしみきお・著(小学館)★★★★★
   いがらしみきおファン必読!

4)『発達障害のいま』杉山登志郎・著(講談社現代新書)★★★★★
   小児科医は必読!

5)『福島原発の真実』佐藤栄佐久・著(平凡社新書)★★★★★ 
   村木厚子元厚労省局長に対する特捜部のでっち上げ事件と同じ構図がここにも! 


6)『「もううんざりだ!」自暴自棄の精神病理』春日武彦・著(角川SSC新書)
   ★★★★

7)『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』村上春樹・著(マガジンハウス)
   ★★☆ う〜む。

8)『世界一やさしい精神科の本』齋藤環・山登敬之・共著(河出書房新社) 
   ★★★★☆ 今までありそうでなかった共著。すごく分かりやすいぞ!

9)『明治・父・アメリカ』星新一・著(新潮文庫)★★★★☆
   福島県民は明治時代から疎外されていたのだ。

10) 『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太・著(講談社文庫)★★★★ 
   あはは! 最低な奴だな、こいつ。

11) 『知られざる魯山人』山田和・著(文春文庫)p224 まで途中挫折中。
12) 『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹・著(文春文庫)途中。
13) 『小津ごのみ』中野翠・著(ちくま文庫)p34まで。途中。
14) 『花なら紅く』片岡義男・著(角川文庫)
15) 『彼女が演じた役』片岡義男・著(中公文庫)


16) 『作家の遊び方』伊集院静・著(双葉社)
17) 『この国の「問題点」』上杉隆(大和書房)
18) 『トラウマ映画館』町山智浩・著(集英社)


19) 『不思議のひと触れ』シオドア・スタージョン著(河出書房新社)途中。
   「雷と薔薇」「孤独の円盤」「不思議のひと触れ」のみ読了


2011年6月15日 (水)

『今こそ、エネルギーシフト 原発と自然エネルギーと私達の暮らし』飯田哲也・鎌仲ひとみ(岩波ブックレット No.810)

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■ツイッターをやっていて痛感することは、誰をフォローしているかによって、その人のTLはまったく異なってくるということだ。でも、良識をもって「それなりの人」をフォローしている人たちのTLは、それほどは違わないんじゃないかと思う。


そういう観点で言えば、ぼくのTLは「脱原発」で一致している。


それなのに、政治の世界では政権与党の民主党も(菅直人を除いて)、野党の自民党も(河野太郎を除いて)原発存続にしがみついている。何故だろう? 不思議でならない。あの、イタリアでさえ、脱原発なのに、同じ三国同盟(ドイツ・イタリア・日本)をかつて結んだ国として、ニッポンは恥ずかしくないのか?


■政官財の癒着とは、こと「電力」においてかくも強力だったのか。しかも、スポンサーには逆らえないマスコミの大本営発表が繰り返される毎日。今さらの 6月14日付朝日新聞朝刊「天声人語」には、ほんとシラけてしまったな。


そこいくと、中日新聞(東京新聞)は偉い!


マスコミ禁断の電力業界に正面から切り込んでいるからだ。


■それなのに、6月14日「中日新聞夕刊」に載った、コラム「大波小波」を書いた(クールビズ)氏よ! あんたは何なんだ。ぜんぜん判っちゃいなじゃないか。ほんと悲しくなってしまうほどに。


村上春樹氏が、先日のバルセロナで、わざわざ日本語で(ということは我々日本人向かって発言しているということだ)スピーチした内容に関して、中日新聞文化部のクールビズ氏は、まるで大江健三郎のコピーのようだ、と切って捨てる。


それは違うよ。

絶対に違う。


ぼくは、村上氏の気持ちがよーくわかる気がする。


大切なことは、村上氏も僕も「加害者」であるという認識だ。


原発は、ちょっと不気味で怖いけれど、その存続は「われわれの心地よい生活を維持するため」には必要不可欠なものであると、知らないあいだに洗脳されてしまった「バカ者」であるという認識だ。

いいじゃないか。今回の事態に遭遇して初めて、東電や政府から洗脳されていた事実にようやく気付きましたって、告白しているのだから。


大切なことは、じゃぁこれから、われわれはどうすればいいのかを、ちゃんと考えることじゃないかな。


■というわけで、読んだのが『今こそ、エネルギーシフト 原発と自然エネルギーと私達の暮らし』(岩波ブックレット No.810)だ。

この小冊子は、500円+税だ。安い!でも、めちゃくちゃ内容が濃い。たった54ページだから、速読の人は30分あれば読める。元ネタは『世界6月号』(岩波書店)に載った2人の対談だ。鎌仲ひとみさんは、長年「原発問題」に携わってきたドキュメンタリー映画監督。『六ヶ所村ラプソディ』とか、最近では山口県祝島での反原発運動を長期取材した映画『ミツバチの羽音と地球の回転』を日本各地で上映中とのこと(ぼくは残念ながらどちらの映画も未見)。


飯田哲也氏のことは、僕はこのブックレットを読むまでまったく知らなかったのだが、近々「講談社現代新書」から、あの宮台真司氏と原発問題に関して共著を出すらしい。『原発社会からの離脱』(講談社現代新書)2011/6/17 発刊


「このブックレット」を読んだ限りでは、それほど過激な人とは思わなかったが、例の「6月11日全国統一脱原発デモに関しての発言」を読むと、ちょっと引いてしまう人もいるかもしれない。飯田さんも、あの時の発言がこうして文章に残されるとは思わなかったであろうから。実際の映像で見ると、もっとソフトな言い回しに聞こえるな。






YouTube: 6.11脱原発100万人アクション 飯田哲也氏のコメント


でも、宮台氏ではないけれど、かなり思い切った重要な発言であると、ぼくも思ったよ。

2011年5月30日 (月)

『きみの鳥はうたえる』佐藤泰志(河出文庫)その2

■さて、『きみの鳥はうたえる』だ。 東京近郊、中央線沿線で、一橋大学がある街(国立市か?)の本屋に勤める主人公のぼくと、同じ書店で働く佐知子、そして、ぼくと共同生活を営む失業中の静雄の、仲好し男子2人と新たに加わった女子1人の3人組(全員が、アラン・シリトー『土曜日の夜と日曜の朝』の主人公と同じ、21歳だ。ぼくは読んだことないけど。)による「楽しくてやがて哀しき、ひと夏の出来事」という、いわゆる「青春もの」の鉄板設定だ。 この設定で一番有名なのは、フランス映画『冒険者たち』の、アラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカスの3人組で、その日本版が『八月の濡れた砂』藤田敏八監督作品(日活)だ。村野武範、広瀬昌助、テレサ野田の3人と、湘南の海。主題歌は石川セリだった。これは名曲! 男3人+女1人だと『俺たちの旅』中村雅俊、田中健、秋野太作+金沢碧。男3人+女2人だと『ハチミツとクローバー』で、応用編としては、女2人+男1人の『わたしを離さないで』カズオ・イシグロがある。どの作品でも共通して、彼らは「夏の海」へ行く。 でも、デフォルトは、仲好し男2人と新たに加わった女1人の3人組だな。トリュフォーの『突然炎のごとく』がオリジナルなのか? ポイントは、男子2人がまるでホモ・セクシュアルかと誤解してしまうくらいに密着していることだ。主人公と静雄は、冷凍倉庫のバイトで出会った。ある時、静雄が言った。   「俺たち、贋物のエスキモーのようだ」と。

思わず僕は笑った。そのときに、僕はあいつが好きになった。
 その夏が終わったときに僕は、共同生活をしないか、とあいつに持ちかけた。静雄はふたつ返事で承知した。すぐに静雄は、今の僕らの部屋に引っ越してきたが、持ちものといったら、レコードが何枚かと蒲団だけだった。僕はあのときにはあきれてしまった。そのレコードは全部ビートルズのレコードで、それは静雄が失業してから、古レコード屋に二足三文で売り払ってしまった。(中略) 引っ越してきた日、静雄はレコードを僕に見せ、財産はこれだけだ、といい、アンプもプレーヤーも部屋にないのを知って、くやしそうに舌を鳴らしたものだった。僕らはあのとき焼酎で乾杯した。あいつはプレーヤーがありませんので僕が唄います、とふざけて、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」を僕のために唄ってくれた。(p70)

静雄はこの時、どんなふうに「この曲」を唄ったのだろうか? サザンの桑田さんが唄ったバージョンはこれだ。


YouTube: 桑田佳祐 Keisuke Kuwa弾き語り生歌 The Beatles - And Your Bird Can Sing

ぼくは「この曲」を聴いたことがなかったのだが、なんとまぁ、いい曲じゃん! ジョン・レノンが作詞作曲した曲とのこと。なんとも不思議な歌詞だ。

JASRAC からの通告のため、歌詞を削除しました(2019/08/06)

■この歌を唄ったのは静雄だ。 ということは、You は僕で、Your Bird は、佐知子ということになるな。 『きみの鳥はうたえる』の解説で、井坂洋子氏はいう。 それにしても、「きみの鳥はうたえる」という作品は不思議だと。 ほんとにそうだ。ぼくも読んでいてそう思ったよ。 この主人公は変だ。 すっごく淋しがり屋で人恋しくて、常に親友におんぶに抱っこの関係を求めているのだけれど、でも、変に他人との距離を保つところがあって、親しいのに妙によそよそしかったりするのだ。 それは、佐知子との関係にも表れる。 この佐知子も、じつに不思議な女だ。いわゆる、ジョアンナ・シムカス的「ミューズ」なんだけれど、本人はさかんに否定しているが、どう見ても「尻軽女」なんだ。でも、バカじゃない。けっこう真面目だったりもする。トマトは包丁で切らずに丸ごとかじりつくのが好きで、林檎も丸ごとかじり、桃の皮を剥く姿がセクシュアルだったりする。それから、殴られた主人公が瞼に載せるのは、輪切りのレモンだ。なんか、妙に果物がいっぱいでてくる小説なのだ。 で、僕と静雄の蜜月関係に突然侵入してきた佐知子が言う。静雄は、芥川龍之介『蜘蛛の糸』のカンダタよ、と。さらに彼女は言う。静雄は子供でマザコンだと。 女は直感的に「その人の本質」を言い当てる。 でも、静雄といっしょに毎日暮らしてきた僕は、そんな静雄の一面に、全く気付くことがなかったのだ。 何故なら、密着しつつも、微妙な距離感を保ってきたので、結局は「本当の静雄の気持ち」をじつは全く理解していなかったのだな。佐知子のほうがよっぽど静雄を理解していた。そういう事実を、主人公は小説の最後に知ることになるのだった。 そのことは『草の響き』の主人公が、結局は暴走族のリーダー「ノッポ」のことを、あ・うんの呼吸で全て理解しているような気がしていたのに、じつは何にも分かっていなかった、という事実を最後に知ってショックを受けたことと、小説の構造的には同じだと思った。つまりは、歌のタイトルである「ユー・キャント・キャッチ・ミー」であり、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」なのだ。 でも、この主人公が味わう「おいてきぼり感」に、いま読んでも不思議とリアリティがあるように思う。

2011年5月28日 (土)

『きみの鳥はうたえる』佐藤泰志(河出文庫)読了

佐藤泰志氏は、昭和24年(1949年)4月26日函館生まれだ。いま生きていれば、62歳か。ぼくの兄貴と同い年だな。あと作家では、村上春樹、桐山襲、北村薫、亀和田武らがいる。矢作俊彦、内田樹、平川克美、高橋源一郎、中沢新一は、ひとつ下の学年になるようだ。いわゆる団塊世代では「少し遅れてきた青年」に属するのか。


■『きみの鳥はうたえる』(河出文庫)に収録された『草の響き』(1979)は、なんと「ランニング小説」だった。私小説とまでは言えないかもしれないけれど、著者の実体験をもとにしているらしいことが、文章を読みながらリアルに感じられる。


長距離ランナーとしても有名な同い年の作家(早生まれだから学年は一つ上)村上春樹氏が走り始めたのは、1982年の秋のことだ。ジャズ喫茶のマスターを辞めて、タバコも止めて、専業作家となる決意をして千葉に引っ越し、代表作『羊をめぐる冒険』を書き始めた頃のこと。村上氏は言う。当時まだジョギングはマイナーなスポーツで、皇居の周りを走る人もあまり多くはなかったようだ。


でも、佐藤泰志氏が走り始めたのはもっと古くて、1977年の春だった。この「年譜」によると、当時彼は28歳で、書店務めのあと、日本共産党の機関誌を印刷する「あかつき印刷」に就職するも、精神の危機的不調に陥るのだった。この頃の話が、小説『草の響き』となっているようだ。当時通っていた精神科の医者に「ランニング」を薦められ、佐藤氏は走り始める。住んでいた八王子の都営団地からほど近い「大正天皇陵」まで、雨の日も暑い夏の朝も、毎日毎日走り続けるのだった。


根が真面目だから、彼は黙々と走り続ける。まるで、シリトー『長距離ランナーの孤独』みたいに。走り始めた当初は、1.8km を13分強で走っていたのが、いつしか5キロを20分で走れるようになって、連日10km以上走ることが日課となっていったという。


小説『草の響き』の中で、ぼくが一番好きな場面は p184〜p191の、暴走族との出会いのシーンだ。淡々と走る主人公に無理して粋がって併走しようとする少年たち。BGMで「ユー・キャント・キャッチ・ミー」が彼らのラジカセから流れている。実際、彼について行ける者はほとんどいなかった。暴走族のリーダー「ノッポ」を除いて。


主人公と彼とはほとんど口をきかない。しかし、いっしょに走り終わったあと二人黙ってタバコを吸い合えば、言葉はなくとも全て分かり合える気がした。読んでいて羨ましいなって思った。正直。


村上春樹氏は、自作の中でランニングに関して語ることはほとんどない。でも、ぼくには『草の響き』の主人公が何故走るのか、痛いほど切実に伝わってくるのだ。そうだ、そうだよ! ぼくもおんなじさ。


足に力をこめて踏みだすと、ふくらはぎの筋肉がすばやく伸縮する。振り出しに戻るのはまっぴらだ。僕はこのまま走るだろう。(p224)


2011年5月19日 (木)

月刊『すばる』6月号「日本の大転換(上)」中沢新一

■Twitter のTLで話題になっていた、月刊『すばる』6月号「日本の大転換(上)」中沢新一を読む。内田樹先生が言っていた「原発は一神教の神である」という意味がよくわかった。なるほど、どちらも地球上の生態圏の「外部」から持ち込まれたものなのだ。ただ、どうもよく分からないのは、じゃぁ、グローバルに拡大を続ける「資本主義」も「外部」から持ち込まれたものかというと、どうもそうではないらしいのだな。


 さて、ここからが重要なところである。社会は自分の外部への回路を、さまざまなやり方で確保しようとしてきた。そうしないと、キアスム構造を内在させた社会は、うまく機能できなくなってしまうからである。

ところが、合理的システムとしての自律性を高めていった自己調節的市場は、しだいに自分の円滑な作動にとって不要な要素を、外部性として外に排除する傾向を強めていったのである。(中略)

 自己調節的市場はますます自分の内部に閉じこもるようになった。市場というものの本質をトポロジーで表現するとトーラスのかたちをした巨大な閉曲面のようなものになる。その巨大なトーラスが生態圏とのつながりを失ったまま、地殻の上に設置され、それは資本の求めるところにしたがって成長を続け、ますますトーラスの大きさは膨らんでいった(中略)

 外部への回路を失ったその自閉システムの内部に、莫大なエネルギーをたえまなく供給し続ける「炉」として、生態圏にとっては本物の外部性である核分裂の「炉」が設置されているのである。市場という外部のないシステムが、生態圏の内部に生まれた。
 なんというパラドックスだろう! (『すばる6月号』p199〜200)


■中沢新一氏の話は、平川克美さんの「ラジオデイズ」で4月5日に収録された鼎談(内田樹・中沢新一・平川克美)として聴くことができる。

「ここ」「ここ」にあったが、始まりと終わりのパートで、途中が聴けない。「ラジオデイズ」で有料版を聴くしかないかな。あとは、本『大津波と原発』を買うかだな。

2011年5月18日 (水)

絵本『アライバル』と、映画『ストーカー』のこと

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■先日の日曜の夜に、NHK教育テレビで放送された「ETV特集・ネットワークでつくる放射能汚染地図 ~福島原発事故から2か月~」は衝撃的だった。

「放射能」というものは、「目に見えない」ということが一番怖ろしい。しかも、今現在、大量の放射能を浴び続けていたとしても、痛くも痒くもないのだ。もちろん、10年もすれば寿命を全うして死んでゆく年寄りは関係ない。でも、これから人生が始まったばかりの子供たちはどうか? その危険性に正しく答える人は、文科省にも厚労省にも原子力安全保安院にも誰もいない。


福島第一原発の近隣住民として避難を余儀なくされた人たちの、避難先の浪江町赤宇木公民館の方が、避難してきた自宅よりも数十倍も放射能が高かったなんて、思わず笑っちゃう話じゃないですか。番組では、3万羽のニワトリを餓死させた養鶏場の経営主や、大正時代から続くサラブレッド産地の牧場主とかが、あまりに理不尽で不条理な仕打ちに文句も言えずにいる表情をカメラは捕らえていた。

いや、それは何も彼らだけではない。先祖代々生まれ育った土地を、ワケの分からない目に見えない放射能に汚染されたという政府発表だけで、集団移住を余儀なくされた人々。

もしかすると、20年経っても30年経っても、生まれ故郷はチェルノブイリと同様、人が住めない汚染地帯として閉鎖されたまま、帰ることができないのかしれないのだ。そう考えると、とんでもない事態が進行中なのだと気づき、怖ろしくなってしまった。


■この番組のラストシーンは、爆心地に近い自宅に残してきたペットの犬・猫に餌を与えに帰った老夫婦の車に同乗させてもらったNHKのカメラが、必死で飼い主の車をを追いかけ、とうとう諦めて立ち止まる愛犬(まるで、絵本『アンジュール』のようだった)を望遠でとらえたシーンで終わっていた。悲しかった。切なかった。日本という国は、いったい、どうなってしまったのだろうか。


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■写真は、アンドレイ・タルコフスキー監督作品の映画の中で、ぼくが一番好きな『ストーカー』LDの裏表紙から撮ったものだ。一番好きと言っても、見たことがあるのは『惑星ソラリス』『ノスタルジア』『サクリファイス』『僕の村は戦場だった』と、『ストーカー』だけなのだけれど。


■これはよく言われることだが、タルコフスキーは「水のイメージに異様に執着する作家」だ。


なかでも映画『ストーカー』は、ほとんど「みずびたし」の映画だった。


■ロシアの片田舎に巨大な隕石が落下したという政府発表があり、その周囲は危険な放射能が満ちているために周辺地域住民は強制退去させられ「ゾーン」と呼ばれる立ち入り禁止区域となった。

しかし、その「ゾーン」内には人間の一番切実な望みをかなえる「部屋」があるという噂があり、そこへ行きたいと願う作家と教授の2人を秘密裏に案内するのが、主人公の「ストーカー」の役目だった。

映画では「ゾーン」の外はモノクロ、ゾーン内に入るとカラーになるという仕掛けがあった。ゾーン内には「目に見えない」危険な区域がいっぱいあって、案内人のストーカーは「それ」を巧妙に回避しながらゴールの「部屋」へと向かう。


あの「部屋」へと至る彼らの行程は、福島第一原発の原子炉がメルトダウンし、放水を浴びながら、地下に汚染された水が何万トンと貯まった原子炉建屋の状況とまったく同じだ。ほんと怖ろしいほどに。どちらも徹底的に「みずびたし」じゃないか。


■もしかすると、タルコフスキーには「今回の事態が」目に見えていたのではないのか?

ほんと、そう思いたくなるほど「リアル」な映像が「この映画」には充ち満ちている。

2011年5月 7日 (土)

『コルトレーン ジャズの殉教者』藤岡靖洋(岩波新書)

■本は薄いのに、内容はメチャクチャ濃い。

著者は、大阪の老舗呉服店の旦那はん。でも、趣味とか道楽とかの時限を超越している人で、世界的に有名なジョン・コルトレーン研究家なのだった。著書は、この岩波新書が3冊目で、初の日本語で書かれた本だという。と言うことは、前の2冊は英語で書かれたコルトレーンの本なのだそうだ。凄いな。


この本の中で、ぼくが一番に注目したのは p115 に載っている「アンダーグラウンド・レイルロード」という曲に関する記載だ。

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■この曲は『アフリカ/ブラス Vol.2』に収録されていて、ぼくがジャズを聴き始めてまだ間もない頃、すごく気に入ってさんざん聴いた覚えがある。このLPジャケットにも見覚えがあったので、書庫のLP棚を探したが見つからない。もしかして所有してなかったのか? おかしいなぁ。で、ふと気がついたのだが、たぶんあのレコードは、ぼくが大学1年生だった時に長兄から借りた10数枚のジャズレコードの中の1枚だったに違いない。

だから、いまは手元にないし、どんな曲だったかすっかり忘れてしまった。しかも、残念なことに iTunes Store では取り扱っていない。仕方なく、amazonで輸入盤を注文することにした。ぜひ、もう一度じっくり聴いてみたい。まてよ? YouTube にならあるかもしれない。そう思って探したら、あったあった。そうそう、この曲だ。なんとまぁ、自信に満ち満ちた力強い演奏なんだ! ほんと、カッコイイなあ。






YouTube: John Coltrane - Song Of The Underground Railroad

いずれにしても、この本の一番の読みどころは「アンダーグラウンド・レイルロード」や「ダカール」「バイーヤ」「バカイ」「アラバマ」とタイトルされた曲の本当の意味が書かれている、第3章「飛翔」その2「静かなる抵抗」(p108〜p126)にあると思う。「音楽が世界を変える」と信じて、最後の最後まで力の限り演奏し続けたコルトレーンだが、その死から41年後になって、アメリカ初の黒人大統領が誕生することになるとは、さすがの彼でも想いもよらなかっただろうなぁ。


あと、この本を読んで面白かったことを、思いつくままに列挙すると、


・見たことのない珍しい写真や新事実が満載されている。
・南部で黒人教会の名高い牧師であった祖父からさんざん聴かされた黒人奴隷の話。
・信じられないくらい超過密な来日公演スケジュール。
・同郷の友を何よりも大切にするジャズマンたち。
・「ジャイアント・ステップス」にも収録された、カズン・メアリーのこと。
・戦後すぐ、ハワイ真珠湾で海軍の兵役につていたこと。
・その時、任務をサボって収録されたレコードを聴いたマイルズ・デイヴィスが
 コルトレーンをメンバーに招聘したこと。


・コルトレーンという名字は、アメリカでもすごく珍しい姓。
・母親が12回の分割払いで、息子のために中古のアルトサックスを買ってくれたこと。
・良き友であり、良きライバルであった、ソニー・ロリンズのこと。
・彼に白人の愛人がいたこと。その彼女が日記を残していたこと。
・アリス・コルトレーンのこと。
・名盤『至上の愛』誕生秘話。

・コルトレーン「でも、どうやって(演奏を)止めたらいいのか、わからないんだ」
 マイルズ  「サックスを口から離せばいいだけだ!」

・それから、巻末に収録された「当時のニューヨーク地図」。
 当時のジャズクラブの場所や、ジャズメンのアパートの位置が記入されていて、
 これは楽しかったな。そのうち、タイムマシンが実用化された時には、すっごく
 役立つ地図になると思うよ。

 そしたら僕は、1961年7月のドルフィー&ブッカー・リトル双頭コンボを見に、まずは
 「ファイブ・スポット」へ行くな、やっぱし。


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