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2011年8月24日 (水)

『そこのみにて光輝く』佐藤泰志(河出文庫)つづき

■先だっての日曜日、伊那市図書館へ行って「週刊読書人 8月19日号」を読む。「佐藤泰志ルネサンス」と題された特集は1〜2面全部を使ったたいへん力の入ったもので、作家の堀江敏幸氏と書評家岡崎武志氏との対談は非常に読み応えがあった。


同じく岡崎武志氏が、佐藤泰志の全作をレビューした『新刊展望6月号』は未読なので、なんとか読んでみたい。


あと、『本の雑誌8月号』の18ページには「すべての青春の人達へ」と題された、松村雄策氏による佐藤泰志トリビュートが載っている。この文章もいい。松村氏のいろいろな思いが込められていて実に読ませるぞ。


■以前にも書いたが、佐藤泰志は「男2人+女1人」が、あたかも偶然のように必然的に出会い、ひと夏を過ごす話(しかも、必ず彼らは海に行く)にこだわる。初期の傑作『きみの鳥はうたえる』の構造がまさにそうだ。これから読む予定の『黄金の服』は「男3人+女2人」の『ハチミツとクローバー』関係みたいだが。

そういう意味では『そこのみにて光輝く』は、まさにその「定型」に填め込んだ小説ではあるのだが、『きみの鳥はうたえる』とは作者は意識的に離れようと試みているところがまずは面白い。以下にその相違点をあげる。


1)舞台が東京近郊、中央線沿線「国分寺」あたりではなく、作者の生まれた故郷「函館」であること。

2)「男2人+女1人」が、決して三角関係にはならないという関係であること。つまりは、姉・弟とその友人。

3)「海」が出かけてゆく場所ではなくて、彼らの生活の場そのものであること。


4)『きみの鳥はうたえる』の3人が全員、21歳の青春真っ直中だったのに対し、この小説の主人公、達夫と千夏はやはり同い年ではあるのだが、既に青春とは言えない 29歳であること。


5)『きみの鳥はうたえる』の主人公は、いつも冷静でクールで、自分からは自らの状況を逆転するような思い切った行動は決してしない。そう、いつも俯瞰している傍観者なのだ。でも『そこのみにて光輝く』の主人公達夫は、いつも冷静でクールで無口ではあるのだが、自らの状況を自ら切り開いてゆく覚悟と決断力がある。


6)千夏と拓児の姉弟そして彼らの両親は、北海道の地方都市「函館」の中でも最も虐げられて蔑まれてきた、地元ではアンタッッチャブルな地域に居住する住人だ。この設定は、中上健次の「路地」の人々とつながってくる。しかし、中上健次の小説と決定的に異なることは、佐藤泰志の小説には「路地の熱狂」がないことだ。なぜなら、佐藤泰志の主人公は路地の外の人間であること。それから、千夏の家族以外の人々(親戚とか隣近所の住人)は一切登場しない。


■解説で福間健二氏が書いているが、『そこのみにて光輝く』という小説の最もすばらしいところは、「千夏」という女のキャラが立ちまくっていることだ。なんて「いい女」なんだ! バブル崩壊前の時代。すでに不況が始まり、函館最大手の企業「造船所」にもリストラの嵐が吹いていた。時代は忘れ去られた地方から翳りを見せていたのだ。そんな地方都市の郊外のゴミ貯めに、一点のみ「光輝く」のが、千夏なのだった。以下、読んでいて気に入った文章を引用する。

千夏が語気を強めて睨んだ。達夫は溜息をこらえた。千夏の顔を見た。女を感じた。怒りに満ちた眼が、整った顔だちをひときわ際立たせていた。たぶん、この女自身は知らないだろう。そう思うと欲望が達夫のなかで形を取りそうだった。


 千夏が煙草を砂に突き立てて消した。そして、もう若くはない、別に三十間近だからというわけではなく、青春はとっくに終わったわ、と話した。離婚のことをいっているのだ、と思った。


「何を考えているの」
 千夏が手を伸ばし、ついでおずおずと顔を胸に押しつけて来た。あの家を出たい、とささやいた。そのためなら何をしてもいい、と。


 眼の前で砂や小石の雪崩れている青黒い海面を見た。遠浅の浜のように構わず深みに足を運んだ。足元から不意に支えがなくなった。そのまま沈んだ。夏のざわめきとさっきの千夏の笑いが、あたりにまだ響いていた。どこまで落ちて行くのか。落ちろ、落ちろ、と叫ぶ声があった。両眼はひらいていた。砂や小石がどんどん流れ落ちてくる。底に足がついた。頭は海面に出ない。もっと落ちろ、という叫びが聞こえる。頭上を見上げる。鈍く陽が揺れていた。千夏が跳び込む姿が見え、海面が泡だつ。海水も陽も乱れた。跳び込んだ千夏の全身から、水泡が吹きでるように、一面を覆う。

 千夏は姉のように喋った。そして、顔をのぞきこんで、声を強めた。
「いいことなんて、ひとつもありっこないのよ。わかっているの。あんたもわたしももういい齢よ」

「いい気なもんだわ。男なんて腐るほど知っているのよ。たいてい腐っているわ、あんたもよ」

 達夫はヘッド・ホーンでひさしぶりにエリック・ドルフィを聴いた。まだひとりで暮らしていた頃の彼の唯一の愉しみだった。

■この時、達夫が聴いたエリック・ドルフィ。いったいどのレコードだったのだろう? と僕は思う。


これは断言できるのだが、けっして『アウト・トゥ・ランチ』ではない、ということ。
だとすれば、『ラスト・デイト』A面だろうな。


ブッカー・リトルとの「ファイブスポット」でのライヴ盤。vol.1 か、vol.2 のA面。
ぼくならそうするのだが。

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