読んだ本 Feed

2012年1月 2日 (月)

『なずな』堀江敏幸(集英社)を読んでいる

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■年末から『なずな』堀江敏幸(集英社)を読んでいたら、124ページ、142ページに思いがけず僕の大好きな絵本のことがでてきた。うれしいじゃないか。


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このマンロー・リーフの『おっとあぶない』『けんこうだいいち』渡辺茂男・訳は、最初は学研から出ていて、ぼくもブックオフで見つけて購入したのだが、確かに「白い表紙」の絵本だった。先ほど、この絵本が置いているはずの待合室の本棚を探したのだが、どうしても見つからないので、しかたなく、フェリシモから復刻されたほうの絵本を写真に撮りました。


でも、絵本作家マンロー・リーフといえば、花の好きな牛「ふぇるじなんど」が主人公の『はなのすきなうし』(岩波子どもの本)でしょう。もしかして、このあと小説に出てくるのかな?


ところで、あまり注目されていないのが不思議なのだが、この『なずな』の装丁は、なんと著者の堀江敏幸さんなのだ。クレヨンで子供がいたずら書きしたみたいな感じなのだが、すっごくいい。


この「著者自装」って、案外ありそうでいてそうはない。


ぼくが知っているのは、村上春樹『ノルウェーの森』(上・下巻)ぐらいかな。


■この小説『なずな』は、読みだしていきなり事件で始まる。状況が判らない読者はええっ?とビックリする。というのも、40代半ばの独身中年男が、ある日突然、生後2ヵ月半の乳児(女の子。名前は「なずな」)を一人で預かって育てるはめに陥るのだ。つまり、今で言うところの「イクメン」小説なのですね。


主人公が、どうして「そういう」境遇に陥ったのかは、読み進むうちに少しずつ少しずつ明かされてゆく。


現役小児科医が読者として読みながら注目した点は、ヒロイン「なずな」の年齢を、2ヵ月半に設定したことだと思う。これは絶妙だな。生まれて1ヵ月以内の赤ちゃんは、正直いって人間というようりも「うんち、おしっこ、おっぱい、ねる、泣く」を繰り返す動物だ。しかも、天上天下唯我独尊の世界で、おっぱいを与えるお母さんは、ほとんど一方的に奉仕させられるだけの召使いみたいなものだ。


でも、首がすわって、3〜4ヵ月健診に来る頃の赤ちゃんは全然ちがう。「母と子」の関係性が出来上がっていて、親子の愛着の絆の基礎がすでに出来上がっているのだ。


それまでの中間点である「2ヵ月半」というのは、微妙な月例だ。体重は5〜6キロとどんどん大きくなるが、夜中も3〜4時間ごとにおなかを空かせて泣くし、まだまだ新生児に近いんだけれど、母親の顔をじっと見つめて「にこっ」と笑ったりもする。つまりは、コミュニケーションの基礎である「応答」を求めているのだ。


■ところで、この主人公が暮らす地方都市「伊都川市」というのはたぶん、著者が生まれ育った岐阜県多治見市か、それとも中津川市のことだろうか。そうなると、高速道路から分岐する環状線とは、土岐ジャンクションから伸びる「東海環状自動車道」のことを指す。となると、インターチェンジ近くの巨大ショッピングモールとは、「土岐アウトレット」のことに違いない。


そうなると、風力発電の建設予定地はどこになるのか、いろいろと想像するのも楽しい小説だな。


読みながら感じることは、なんかとっても心地よいということだ。主人公を取り巻く人間関係が、なんかほのぼのとしていて暖かい。前に読んだ同じ著者の本『いつか王子駅で』(新潮文庫)と共通する懐かしさ、居心地のよさがある。悪人は誰一人登場しない。読みながら、そういう確信はある。


主人公と赤ちゃんを支える、小児科開業医も登場する。ジンゴロ先生だ。これまた愛すべきキャラに描かれていて、なんかうれしい。


2011年12月23日 (金)

『津波 TSUNAMI! 』キミコ・カジカワ再話、エド・ヤング絵(グランまま社)

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■長年お世話になっている「グランまま社」の田中尚人さんから、12月はじめに1冊の絵本が送られてきた。それがこの『津波 TSUNAMI! 』キミコ・カジカワ再話、エド・ヤング絵(グランまま社)だ。

ぼくは絵本の表紙とそのタイトルを見て、度肝を抜かれた。

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画家のエド・ヤングは中国系アメリカ人で、天津に生まれ上海で育った。今年は、同じく中華の血が流れる絵本作家、ショーン・タン(『アライバル』の著者)が注目を集めたが、絵本界におけるオリエンタリズムの本家は、何といってもこのエド・ヤングだ。


その卓越したセンスの画法が僕も大好きで、翻訳本が出ている『ロンポポ』と『七ひきのねずみ』は以前から持っていた。

だから、この絵本に「エド・ヤング」の名前を見つけてさらに「おおっ!」と思ったんだ。


上の写真を見ていただければ判るが、この本、かなりの大型の絵本だ。それには訳がある。作者には、このサイズがどうしても必要だったのだ。


このサイズで、さらに見開き一面となるとそうとうに大きい。しかも、全てが見開き一面の絵だ。まるで、映画館でワイドスクリーンを見ている感じ。エド・ヤングは様々な材質の色紙、写真、和紙などを切ってちぎって張って、コラージュのようにして画面を構成する。その圧倒的な迫力を、ぜひ本屋さんで実際にこの「絵本」を手にとって、実物大の絵をめくってみて欲しい。ほんとうに、ほんとうに凄いぞ。 特に、第10場面〜第12場面。


■こちらの「花のある風景(438)」を読むと、この時の地震と津波は、1854年12月23日に起こった安政東海南海大地震で、実際に和歌山であった話がもとになっているようだ。それを、小泉八雲が『生神様(A LIVING GOD)』という作品に残したのだ。


さらにそれを、キミコ・カジカワ(日本人の母とアメリカ人の父を持つアメリカ在住の作家)が、ある日の図書館で発見し感動して絵本用の原稿を書き上げる。絵はぜひエド・ヤングに描いて欲しいと、彼のもとに原稿を送ったのが「いま仕事がおしていて無理だし、あまり興味もないね」との冷たい返事が。それから10年経って、失望しすっかり諦めていた彼女のもとになんとエド・ヤングの「この絵」が届き、2009年2月、出版のはこびとなった。


そう、この絵本は 3.11 の「あの日」から2年も前にアメリカで出版されていたのだ。驚くべきことにね。


その翌年、日本での出版権を取った「グランまま社」の田中さんは悩んだ。そのあたりのことは「このインタビュー」に詳しい。


■なぜ、宮城県石巻市立「大川小学校」の子供たちに犠牲者が多かったのか?  「釜石の奇蹟」が、単なる奇蹟ではなく「必然的」だったのは、つね日頃どんな準備がなされていたからか?


人間は忘れやすいように出来ている。そうでないと、辛くて生きてゆけないから。


だからこそ、繰り返し繰り返し、しつこすぎるくらい日々繰り返し語り継ぐことが重要なのだな。しみじみそう思った。



2011年11月27日 (日)

『いまファンタジーにできること』グウィン(河出書房新社)

■昨日のつづきです。

先週の木曜日は、昼休み園医をしている竜東保育園に出向いて、年少組の内科健診。終了後、子供たちも保育士さんたちも、あっさりと健診終わりました、という雰囲気が漂う中で、ぼくは不自然にまだ園に残り、何となく去りがたそうな感じでいたら、仕方なく思ってくれたのか年配の保育士さんが「先生、もしかして絵本、読んでくれる時間あるんですか?」と言ってくれた。


そうそう、その一言を待っていたのだよ。


という訳で、午後3時のおやつを前に、3つある年少組の子供たちが全員、リズム室に集まってくれた。


<この日読んだ本>

1)『もけらもけら』山下洋輔・文、元永定正・絵(福音館書店)
2)『ちへいせんのみえるところ』長新太(ビリケン出版)
3)『ぼくのおじいちゃんのかお』天野祐吉、沼田早苗(福音館書店)
4)『なんでもパパといっしょだよ』フランク・アッシュ(評論社)
5)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)


1)と2)は、子供たちに大受け!
5)のオヤジギャグは子供たちには全く受けず、保育士の先生方には大受けだったよ。

読み聞かせ終了後は、子供たちとハイタッチ!

■さて、いま僕は『ゲド戦記』(本は買ってあるのだが、実は未だ読んでないのです)の著者『いまファンタジーにできること』グウィン(河出書房新社)を読んでいるのだ。面白いなぁ、この本。


例えば、41ページ。『批評家たち、怪物たち、ファンタジーの紡ぎ手たち』の書き出しは、こうだ。


 ある時期、みんながわたしにしきりにこう言っていた。すばらしい本がある。絶対読むべきだ。魔法使いの学校の話で、すごく独創的だ。こういうのは今までなかった、と。


 初めてその言葉を聞いたときは、白状すると、わたし自身が書いた『影との戦い』を読めと言われているのだと思った。この本には魔法使いの学校のことが出てくる。そして、1969年の刊行以来、版を重ねている。だが、それはおめでたい勘違いで、ハリーについての話を延々と聞かされる羽目になった。


最初のうち、そういう経験はつらかった。いささか浅ましい羨望を感じた。けれど、ほどなく、さほど浅ましくはない、単純な驚きが大きくなった。書評家や批評家は、このローリングの本を、前例のない、独特の現象であるかのように語っていた。(中略)


 しかし、本について書くほどの人であれば、読むことについてもいくらかの経験を有しているはずではないのか。<ハリー・ポッター>の独創性を讃えた人々は、この作品が属している伝統にまったく無知であることをさらけだしたのだ。その伝統には、英国のサブジャンル、「学校もの」の伝統だけでなく、世界的な大きな伝統であるファンタジー文学の伝統も含まれる。

こんなにも多くの書評家や文芸評論家が、フィクションの大ジャンルについて、こんなにも知識が乏しく、素養がなく、比較の基準をほとんどもたないために、伝統を体現しているような作品、はっきり言えば紋切り型で、模倣的でさえある作品を、独創的な業績だと思い込む ---- どうしてそんなことになるのだろう? (p42)


それから、167ページ。『メッセージについてのメッセージ』にはこんなことが書いてある。



 子どもやティーンのためのフィクションの批評はたいていの場合、それらのフィクションがちょっとしたお説教を垂れるために存在するかのように書かれている。曰く、「成長することはつらいけれど、必ずやりとげられる」。曰く、「評判というのはあてにならないものだ」。曰く、「ドラッグは危険です」。

 物語の意味というのは、言語そのもの、読むにつれて物語が動いていく動きそのもの、言葉にできないような発見の驚きにあるのであって、ちっぽけな助言にあるのではない (p169)


 フィクションの書き手であるわたしは、メッセージを語ることはしない。わたしは「物語」を語る。(p170)


 フィクションは意味がないとか、役に立たないとか言いたいのではない。とんでもないことだ。わたしの考えでは。物語ることは、意味を獲得するための道具として、わたしたちがもっているものの中でもっとも有効な道具のひとつだ。物語を語ることは、わたしたちは何者なのかを問い、答えることによってわたしたちのコミュニティーをまとまらせるのに役立つ。

また、それは、わたしは何者なのか、人生はわたしに何を求め、わたしはどういうふうに応えられるのかという問いの答を知るのに、個人がもつ最強の道具のひとつだ。(p171)


 理解や知覚や感情という点でその物語からあなたが何を得るかは、部分的にはわたし次第だ。というのは、その物語は、わたしが情熱をこめて書いた、わたしにとって重要な意味を持つものだから(物語を語り終わって初めて、何の話だったかわかるにしても)。

けれども、それは読者であるあなた次第でもある。読書もまた、情熱をこめておこなう行為だ。ダンスを踊ったり、音楽を聴いたりするときと同じように、物語を頭だけでなく、心と体と魂で読むならば、その物語はあなたの物語になる。

そしてそれは、どんなメッセージよりもはるかに豊かなものを意味するだろう。それはあなたに美を提供するだろう。あなたに苦痛を経験させるだろう。自由を指し示すだろう。読み直すたびに、違うものを意味するだろう。


 小説そのほか、子どもたちのために真剣に書いたものを、書評家に、砂糖衣をまぶしたお説教のように扱われると、悲しみと憤りを覚える。もちろん、子どものために書かれた道徳的教育的な本はたくさんあり、そういうものならそういうふうに論じても失うものはない。

しかし、子どものために書かれた本物の文学作品、たとえば『なぜなぜ物語』の「ゾウの鼻はなぜ長い」や『ホビットの冒険』を芸術作品として扱わず、単に考えを運ぶ乗り物として教えたり、評したりするならば、それは重大な誤りだ。芸術はわたしたちを解放する。そして言葉の芸術は、わたしたちを言葉で言えるすべてを超えた高みに連れていくことができる。(p173〜p174)


2011年11月26日 (土)

中日新聞夕刊コラム『紙つぶて』金曜日「知恵熱の記憶」堀江敏幸

■そもそもの始まりは、11月23日に行われた慶応大学「三田祭」でのイベント、杉江松恋、川出正樹、永嶋俊一郎氏による「海外ミステリ鼎談」に参加した人の感想を集めた「ツイートのまとめ」に目を通したことが事の発端だった。


これら現役大学生のツイートを読んでいて、ぼくはもの凄く違和感を憶えたのだ。なに言ってんだ、てめぇ〜ら。てね。


だから、たぶんぼくと同じ居心地の悪さを感じたであろうトヨザキ社長のツイートに、思わず「うんうん」と10回くらい続けて相づちを打ってしまったのだな。それはさらに、トヨザキ社長がリツイートした千野帽子さんの「保守的な俳人とモダンジャズ愛好家をとことん批判する」連続ツイートへと連なってゆく。これはこれで、とっても面白かった。教条主義的な石頭のジャズファンは、おいらも大嫌いだからさ。


■そんな一連のツイートを読んでの、今朝の「中日新聞」だったわけで。長野県版の5面には、昨日の金曜日の名古屋版「夕刊」の記事から連載コラム「大波小波」と「紙つぶて」が載っている。金曜日の担当は、作家の堀江敏幸氏だ。関心があることは不思議とリンクするのか、先日トヨザキ社長が言ってたことと全く同じ発言を堀江敏幸氏が書いていたのでビックリした。


でもたぶん、この堀江氏の文章はネットには掲載されていないだろうから、未許可でここに転載しますね。


<知恵熱の記憶>       堀江敏幸(中日新聞夕刊 11月25日付)


 言葉をひとつ原稿用紙の桝目に書き付けてその文字の形をしばらく見つめ、しかるのちに音にしてみる。次にどんな模様の、どんな響きの言葉が来るのかを考えながら、また同じ作業を繰り返す。私の言葉とのつきあいは昔からずっとそんなふうだったので、はじめになにを書くか、内容を決めることができない。

眼の前で形になりつつあるのは、言葉が重なってできた文章の連なりにすぎないのである。したがって、できあがった一定量の言葉の堆積を特定のジャンルに分けるのは無意味であり、小説や随想や批評としてくくられてしまっては、こちらの身体感覚と合わない。


 批評や創作を志す人たちと接しながら申し訳なさでいっぱいになるのは、自分自身がなにをやろうとしているのか、まさに書きながら考えている最中だからである。それでも「なにか」を書くのは、言葉を重ねていくうちに、あるいは消し去っていくうちに少しずつ高まってくる精神的な微熱に触れることが、大きな歓びだからだ。熱があることにすら気づかずに過ぎていく時間を、貴重なものだと思うからである。


 ただし、こうした感覚の源は、まちがいなく読書にある。自分の知力を超えた本、感性の守備範囲に収まらない本、つまり永遠の幼児のまま未地の言葉に触れ、繰り返し生じる知恵熱を記憶に刻んできた身体が、その再現を望んでいるらしいのである。だから、今日も明日も、読み、書く。私にはそれしかできないから。

2011年10月24日 (月)

アラン・シリトー『漁船の絵』を読んだ

■『長距離走者の孤独』アラン・シリトー著、丸谷才一・河野一郎訳(集英社文庫)を読んでいる。昨日は「アーネストおじさん」を読んだ。哀しいはなしだ。


第一次世界大戦に出征して、その時の体験のPTSDをずっと引きずったまま、何の生きる目的も希望もない中年男アーネスト。妻は呆れて家を出て行き、兄弟親戚からも見捨てられた孤独で淋しい男だ。ある日のカフェで遅い朝食をとっていた彼の席に、二人の幼い姉妹が同席する。無邪気を装ったしたたかなガキども。でも彼には自分の娘のような、生きる希望の天使に見えてしまったのだな。でも、現実はあまりに残酷だった……


「アーネストおじさん」というと、ぼくは即座に、ベルギーの絵本作家ガブリエル・バンサンの代表作「くまのアーネストおじさんとネズミのセレスティーヌ」のシリーズを思い浮かべてしまう。孤独な中年男のアーネストに拾われた、おてんば少女ねずみのセレスティーヌ。この二人が慎ましく生活する物語だ。もしかして、ガブリエル・バンサンはシリトーの「アーネストおじさん」を読んでいて、あまりに不憫に感じて「くまのアーネストおじさん」のシリーズを作ったのではないか? ふと、そう思った。

まんざら外れてはいないんじゃないか。


■さて、野呂邦暢氏が絶賛していた『漁船の絵』のこと。


先に読んだ「長距離走者の孤独」とはずいぶんと文章のタッチ、スピード感が違っていてまずは驚いた。先だってのロンドン暴動を彷彿とさせる、まだ10代の怒れる青年の語りと、50過ぎのしがない中年男の回想録では、おのずと文章は異なってくるものか。


以下、先日の僕のツイート。


●『長距離走者の孤独』アラン・シリトー著、丸谷才一・河野一郎訳(集英社文庫)より、ようやく「漁船の絵」を読了した。これ、凄いぞ! わずか32ページの短篇なのに、情けなくやるせない、不器用でもどかしい、その場の空気を読むこともすっかり忘れてしまって、ダメダメな展開に陥った元夫婦の物語(10月23日)


●なんかね、身につまされるんだ。『漁船の絵』。例えばこんな記述。

「ふーん」と、おれはいった。気持ちを隠したいときには、いつも「ふーん」というのだ。でも、これは安全な言葉だ。「ふーん」というときは、いつだって、もう他の言葉は出てこないからな。(129ページ)


●(続き)それにしても、この主人公の郵便配達夫。切なすぎるぞ。バカだ。お前!

「でも、真夜中に、寂しくってやりきれないときでも、自分のことはちょっぴり、キャスパー(元女房)のことはたっぷり、おれは考えた。おれが苦しんだよりもずっとひどい苦しみ方をあいつはしたんだ、ということが判った」(137ページ)

■以下、本文より少しずつ抜粋。


 二十八年間、郵便配達をしてきた。(中略)結婚したのも二十八年前だ。(中略)おれといっしょに暮らして、あいつは最初からしあわせじゃなかった。それに、おれだってそうだった。あいつの知ってる人がみんな ----- たいていは家族の者だ ----- 何べんも、おれたちの結婚は五分間しかつづかないといった(中略)


 でも、おれたちの結婚は、みんなが予言した五分間よりはつづいた。六年間つづいたんだ。おれが三十、むこうが三十四の年に、あいつは出て行った。(中略)


 あいつがかけおちしたペンキ屋というのは、テラスの向こうにある家に住んでいたのだ。(中略)近所の連中は、一年くらい前から二人があやしかったという話しを、おれに聞かせたくてたまらない様子だった ----- もちろん、かけおちが終わってからだ。あいつらがどこへ逃げたのか、誰ひとり知らなかった。たぶん、おれが追いかけてゆくと思ってたんだろう。でも、そんな考えは一ぺんだって思いつかなかったな。だって、どうすりゃあいいんだ。男をぶん殴って、キャスティーを、髪をつかんで引きずって来るか。やなこった。


 こんなふうに、生活ががらりと変わっても、いっこうに平気だったなんて書けば、そりゃぁもちろん嘘になる。六年間も同じ家に暮らした女なら、たとえどんなに喧嘩ばかりしていたって、やはり、いなくなれば寂しい。それに ----- おれたち二人には、やはり楽しいときもあったんだし。(中略)

 慣れてみると、こういう暮らしもまんざらじゃなかった。ちょっぴり寂しかったが、すくなくとも落ちつけたし、まあ、なんとなく月日がたった。(中略)


 十年間、こんな具合さ。あとで知ったことだが、キャスティーはペンキ屋といっしょにレスターに住んでたのだそうだ。それからノッティンガムに戻ってきた。ある金曜日の晩 ------ 給料日だから金曜日だ ------ おれを訪ねてきた。つまりこれはあいつのとって、いちばんいい時間だったわけさ。(中略)


 あいつは戦争中、毎週木曜日の晩に、だいたい同じ時間にやって来た。天気の話や、戦争の話や、あいつの仕事やおれの仕事のこと、つまりあまり大事じゃないことを、おれたちはすこしばかりしゃべった。おれたちはしょっちゅう、部屋のなかの離ればなれの位置から炉の火を眺めながら、長いあいだ椅子に腰かけていた。(中略)


 あいつはいつも同じ茶いろのオーバーを着ていたが、それがぐんぐんみすぼらしくなっていった。そして帰るときにはいつも、きまって、二シリングか三シリング借りていった。(中略)あいつを助けてやれるのは嬉しかった。それに、他に誰ひとり助けてやる人はいないんだからな、と自分で自分にいいきかせたものだ。住所を訊いたことなんか一度もなかった。もっとも、あいつのほうで一ぺんか二へん、今でもスニーントンのほうにいるような話をしたことはあった。(中略)


 やって来ると、あいつはきまって、サイドボードの上の壁にかかってる、あの艦隊の生き残りの漁船の絵を、ときどき、ちらっちっらっと見た。そして、何度も、とてもきれいだと思うとか、ぜったい手放しちゃいけないとか、日の出や船や女が実に真に迫っている、とかいい、すこし間を置いてから必ず、自分のものにして持っていたらどんなに嬉しいだろう、と謎をかけたけれど、それをすればけっきょく、質屋ゆきになることが判っていたから、おれは何もいわなかった。(中略)


 しかしとうとう最後に、はっきり、絵がほしいと切り出したし、それほど熱心なら、断る理由はべつになかったのだ。あいつがはじめてやってきた六年前のときのように、おれは埃をはらい、何枚かのハトロン紙に丁寧に包み、郵便局の紐でゆわえて、くれてやった。(中略)


 たいていの奴は、おれに判りはじめたことが判っちゃいねえ。それにしても、判ったってどうしようもないころになって、やっと判るなんて、おれはひどく恥ずかしい。(中略)


 ところがここまで来ると、真っ暗な闇のなかから晴れやかな考え方が、鎧を着た騎士みたいにあらわれてきて訊ねる。もしお前があの女を愛していたのなら ------ (もちろん、おれはものすごく愛していた) ------ もしそれが愛として思い出すことのできるものなら、そんならお前たち二人にできるのは、ただあれだけのことだったのだ。さあ、お前は愛していたか?(『漁船の絵』より抜粋)


■この郵便配達夫は、24歳で結婚して、それから28年間生きてきたワケだから、これを書いている「いま」は 52歳ってことか。なんか、しみじみしちゃうなぁ。俺、いま53歳。この郵便配達夫にすっごく似ている男だ。僕もよく女房に言われたものさ。



「あなたって、興奮すること、決してなかったわね、ハリー」
「うん」
とおれは正直に答えた。
「まあ、なかったな」
「興奮すればよかったのに」
 と、あいつは変にぼんやりした調子で、
「そしたら、あたしたち、あんなことにならなくてすんだのに」(120ページ)


■読み終わっても、いつまでも心の片隅に住み着いてしまって、忘れることのできない小説がときどきある。


最近では、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』がそうだった。ふと気が付くと、小説の主人公のことを考えていた。そうして、いましばらくは『漁船の絵』を一人語りした中年男がぼくに取り憑いてしまって離れないのだった。


ふと思い出したのは、成瀬巳喜男の代表作『浮雲』だ。腐れ縁の男と女。本当はもっと明るい未来が待っていたに違いない女が、戦時中の南洋で妻子ある男とデキてしまった。戦争が終わって、その男が女に会いに来た。拒めばいいのに女はズルズルと、その男と底なしの泥沼にはまってゆく。落ちに落ちて、彼女の終焉の地は屋久島だった。


この映画では、女がどうしようもなく馬鹿だが、この小説「漁船の絵」では、男がどうしようもないお人好しでバカだ。もう、イライラしてしまうじゃないか。ほんと、もう!


そう思ってしまうのも、この男がとても他人とは思えないからだ。ぼくが彼の立場だったら、きっと同じ行動を取るに違いないからね。


2011年10月18日 (火)

『本と怠け者』から『長距離走者の孤独』を読み始める

■昨日の続き。

『夕暮の緑の光』野呂邦暢・随筆選(みすず書房)には、『昔日の客』の著者、関口良雄氏がやっていた古本屋「山王書房」の話が2つ載っている。「S書房主人」(p60) と「山王書房店主」(p86) だ。どちらも同じ話なのだが、微妙に異なる。後者は『昔日の客』と『関口良雄を偲ぶ』を読んでから野呂邦暢が書いたもの。「昔日の客」とは、野呂邦暢のことなのだった。(『本と怠け者』37ページ参照)


『夕暮の緑の光』を読んでいると、42歳で急遽した野呂邦暢氏が、子供の頃から本当に本好きであったことがよくわかる。冒頭の「東京から来た少女」がいい。62ページ「貸借」には笑った。「古書店主」にはこんな一節があった。

 初めての店に踏み入れるときの心のたかぶりをどう説明したらいいものだろう。

 長い間、さがしていた本が見つかるかもしれない。思いがけない掘り出しものをするかもしれない。胸がしきりにときめくのである。ちょうど女と逢い引きするときのような、不安でいて甘美な期待に満ちた瞬間に似ている。薄暗い店にはいって、左側の棚からひとまずざっと見渡す。全部の本を見るのに五秒とかからない。それから元に戻って一冊ずつじっくりと点検する。

 勝負は最初の五秒で決するといっていい。どんな隅っこにあっても、自分の探している本はわかるものだ。本が「私はここに居ますよ、早く埃の中から救い出して下さい」とでもいいたげに呼びかけるからである。(『夕暮の緑の光』p59)


■注目したのは、6ページの「漁船の絵」だ。

『長距離走者の孤独』『土曜の夜と日曜の朝』で有名な英国の作家アラン・シリトーの作品の中で、野呂邦暢氏は「この一作」といわれたなら私はためらうことなく「漁船の絵」をあげる。と書いている。そして彼が書いた小説の第一作は「漁船の絵」からとって「壁の絵」と題されたのだった。


 平易な語り口というのは難解な文章の反対のことではない。話し言葉を多く使うことでもない。平明な語りが散文として体をなすには、作者の胸の裡に何か熱いものが蔵されているのでなければ意味がない。

「何か熱いもの」とは人生に対する愛情といいかえてもいい。シニカルでないことである。「漁船の絵」を読んで私はじっとしていることができなくなった。喫茶店をとび出して縦横無尽に町を歩きまわったことを覚えている。いい音楽を聴いたあと、心が昂揚するのに似ていた。やがて商店街にともった明りがとてつもなくきれいに見えたことを今も忘れない。(『夕暮の緑の光』7ページ)


■こんな文章を読んじゃうと、どうしても読みたくなるじゃないですか「漁船の絵」。で、近所の新古書店「ワンツーブック」へ行って探したら、文庫の100円コーナーにありました『長距離走者の孤独』アラン・シリトー著、河野一郎・訳(集英社文庫)。この短編集の中に「漁船の絵」が収録されていたのだ。ラッキー!


そう言えば、佐藤泰志の小説にもアラン・シリトーが出てきたっけ。でも、映画にもなった「The Loneliness of the Long-Distance Runner」は読んだことなかったので、まずは冒頭のこの小説から読み始めた次第。

いま読んでいるところは、主人公が友達のマイクと「パン屋を襲撃」する場面だ。


あれ? パン屋を襲撃するって、どこかで聞いたことある話だぞ。そうだ、村上春樹の短篇に「パン屋襲撃」と「パン屋再襲撃」があるじゃないか。ということは、村上春樹もアラン・シリトーの小説が好きだったのだろうか?


タッ、タッ、タッ。ハッ、ハッ、ハッ。ペタッ、ペタッ、ペタッ ----- 堅い土の上を足はひた走る。シュッ、シュッ、シュッ、腕と脇が灌木のあわれな枝にふれて鳴る。おれは十七、奴らがここから出してくれたら ------- (『長距離走者の孤独』p12)


あ、村上春樹さんはマラソン・ランナーだから、「この小説」を気に入っているのは間違いないな!


『長距離走者の孤独』の、17ページにはこんなことが書いてあった。

はっきり言って、おれは感化院ではぜんぜんつらい思いをしなかったからだ。さしずめおれの返事は、軍隊はどれくらいいやだったかと訊かれて、仲間の一人が答えた返事と同じだ。そいつは言ったものだ ------- 「いやじゃなかったぜ。食わしてくれ、着せてくれ、死物狂いで稼ぎでもしなきゃ手にはいらねえほどたっぷりの小遣い銭までくれ、たいていは仕事もさせてくれず、ただ失業手当支給所へ週に二回行くだけだもんな」


あれ? 同じような文章を最近どこかで読んだぞ。


あ、そうだ!『本と怠け者』83ページの「ワーキングプアと戦争」だ。


赤木智弘著『若者を見殺しにする国』(双風舎→朝日文庫)を読んでいて、わたしがおもいだしたのは、臼井吉見の次のような文章だった。

<田植の辛さにくらべれば演習など何でもないという農村出の兵、住みこみの奉公人の生活よりは軍隊のほうがよっぽどましだという職人や丁稚たち。食って、着て、寝るところのある軍隊生活を内心は喜んでいた多くの兵をぼくもまた知っている。>(『本と怠け者』87ページ)


なんだか、堂々巡りになってきたなあ。でも、もう少しだけお付き合いのほどを。


『本と怠け者』 127ページ「科学と宗教と文学の問題」を読むと、こんな一節が目に跳び込んできた。


 オウム真理教に会った宮内勝典は、信者たちがまったくといっていいくらい文学書に親しんでいなかったことに気づいたという。


荻原魚雷氏は「この意見はちょっとひっかかった。文学を読んでいれば、大丈夫なのか。」と否定的な見解を述べる。なるほど確かにそうかもしれない。

でも、まったく同じことを、数多くのオウム信者にインタビューした村上春樹氏も言っている(たしか『村上春樹全作品(1990~2000 7)約束された場所で』の作者解説か『村上春樹雑文集』にあったと思う。)のだ。だから僕は「このこと」は案外重要なんじゃないかと思っているのです。


■『本と怠け者』より、もう1ヵ所だけ抜粋。「批評のこと」より、292ページ。


 たしか、小林秀雄は、石にお灸のことわざを引き合いにし、自分がもっとも批判したい、面の皮が厚くて、ふてぶてしくて無自覚な人には批評は届かず、本来、自分がまったく批判する気のない人が深読みしすぎて、傷つけてしまうことがある、というようなことを書いている。


 ある種の論争も、正しさよりも、相手のいうことに聞く耳を持たず、打たれ強さ(何をいわれても平気)という人のほうが有利になってしまうことが、しばしばある。
 批評が勝ち負けの世界であれば、自分の考えを微塵も変える気がなく、相手を否定することに躊躇がない人のほうが強い。

 逆に、弱者が、弱者であることを盾に、相手を否定しまくるという場合もある。


このところのツイッターを見ていると、ほんと「そういう人」が多いよなぁ。


■追記:筑摩書房のPR誌「ちくま」に載った、浅生ハルミンさんの荻原魚雷氏『本と怠け者』紹介文「休まないで歩き続けること」

2011年10月17日 (月)

『本と怠け者』荻原雷魚(ちくま文庫)読了。

■荻原魚雷『本と怠け者』(ちくま文庫)を読了した。もったいないから、いとおしいから、少しずつ、ゆっくりゆっくり読んだ。堪能したなぁ。面白かったなぁ。読書の喜びとは、ふと思いがけず、こういう本と出会えることに違いない。


彼が最も敬愛する尾崎一雄のことを綴った「冬眠先生」で終わる前半の「怠けモノ文士列伝」がとにかく傑作だが、後半に置かれた「批評三部作」もなかなかに味わい深いぞ。真ん中の「精神の緊張度」は、結局なにを言いたいんだかよく分からなかったが、「限度の自覚」と「批評のこと」が素晴らしい。


■というツイートを先ほどアップしたばかり。ついでに、この本を読み始めた頃にアップしたツイートは以下。


金曜日は松本へ買い物に行った。妻とは別行動で、僕は例によって「ほんやらどお」で中古CDを物色し、そのあとパルコ地下の本屋リブロへ。探していた絵本『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)と『本と怠け者』荻原魚雷(ちくま文庫)を無事見つけて購入。(9月25日)


長谷川義史さんの『ラーメンちゃん』はね、TBS『情熱大陸』見て感動したから是非欲しいと思ってたんだ。


YouTube: 長谷川義史「ラーメンちゃん」


実際に手にしたら、予想以上の出来に驚く。何よりも「色使い」がいい。ラーメンちゃんのピンクがいい。地面の色の変化がいい。そして「こどもたちGo」が素晴らしい!今度、高遠第一保育園の内科健診のあと読んでみよう(9月25日)


荻原魚雷『本と怠け者』(ちくま文庫)を読んでいる。面白い!この人。まだ若いのに病弱なジジイみたいだ。ちょうど、つげ義春のマンガ『無能の人』に登場する古本屋店主、山井を思い出した。彼は、江戸末期に伊那谷を放浪して野垂れ死にした俳人「井上井月」を崇拝していた。(9月27日)


『本と怠け者』から「昔日の客と写真集」を昨日読んだ。大森にあった古本屋「山王書房」店主の関口良雄氏が出した幻のエッセイ本『昔日の客』に登場する文人たちの逸話の中から、野呂邦暢のはなし。いや、偶然だなぁ。ちょうどこの日、伊那市図書館で『夕暮の緑の光』野呂邦暢随筆選を借りてきたばかり(9月27日)

■というワケでもないけど、今夜は『昔日の客』をめぐる、ちょいとイイ話。


・最初は、「ジュンク堂・仙台ロフト店」に勤務する、佐藤純子さんの文章。これがいいんだ。ほんと。

       「往復書簡をはじめませんか 第2回」


・次は、意外な人の「ちょっとイイ話」


       てれびのスキマ「ピース又吉の邂逅の書」

       「夏葉社 島田潤一郎さんのブログに載った、ことの顛末」


あぁ、本好きの人たちは、いつかどこかで、必ず出会うようにできているんだな。

2011年10月 2日 (日)

荻原魚雷『本と怠け者』(ちくま文庫)を読んでいる

いま読んでいる『本と怠け者』荻原雷魚(ちくま文庫)が、とにかく面白い。


この著者の名前はずいぶん前から知ってはいたのだが、じつは「この本」で僕は初めて彼の文章を目にした。で、1ページ目からすっかり絡め取られてしまったのだった。巧いな。芸がある文章とはこういうのを言うのか。そう思ったのは、西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』(講談社文庫)以来だ。


表カバー裏の「著者近影」写真を見ると、眼力の無くなった「佐藤泰志」みたいで、思わず笑ってしまった。ごめんなさい。それにしても、荻原魚雷氏の文章は読み進むうちに知らずと僕の体を蝕んでいくのがリアルに感じられる危険な書物だ。あぶない。実にあぶない。オイラも怠け者の仲間だからか?


この人、まだ若いのに病弱なジジイみたいだ。ちょうど、つげ義春のマンガ『無能の人』に登場する古本屋店主、山井を思い出した。彼は、江戸末期に伊那谷を放浪して野垂れ死にした俳人「井上井月」の生き方に傾倒していたっけ。


希望をいえば、好きなだけ本を読んで、好きなだけ寝ていたい。
欲をいえば、酒も飲みたい。
もっと欲をいえば、なるべくやりたくないことをやらず、ぐずぐず、だらだらしていたい。

「怠け者の読書癖 ---- 序にかえて」(『本と怠け者』9ページ)


そうして彼は、しょっちゅう体調を崩し「あまり調子がよくない」と言いつつ「原稿を書いている時間以外は、ひたすら横になり、体力と気力を温存する(p112)」ねたり起きたりの毎日だ。


ここだけ読むと、なんだかとんでもなく無気力でやる気のない、単なる怠惰なダメダメ男かと思うかもしれないが、いや、それは違う。彼は確固たる信念でもって、かたくなに「こういう生き方」を実践しているのであり、そのための「理論武装」として、古書をあたり自分と同じような「怠け者」を過去の文士のなかから次々と見つけ出してくるのだ。


この本『本と怠け者』を読みながら、「正しい古本の楽しみ方」を初めて教えてもらった気がする。なるほどそうか。天変地異や想定外の人災。僕らが生きる時代や環境は目まぐるしく変わっていき、どう生きていったらいいのか分からなくなってしまっているのが現状だ。そういう時、僕らはどうしても「いま」のオピニオン・リーダーの言説に期待する。例えば、中沢新一氏が「緑の党」宣言をしたとか。


でも、荻原魚雷氏は違う。文明や科学がどんなに進歩したって、その中で生きている「人間」は、何万年も前から脳味噌の構造も変わらないままなのだから、考えることは昔の人も今の人も変わらないに違いない。とすれば、案外、古書をあたって昔の人の言説の中にこそ、現代を生き抜く英知が秘められているに違いない。たぶん、彼はそう考えているのではないか。(つづく)

2011年9月17日 (土)

『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)

■もしかして、この本「名著」になるんじゃないか。


いや、今夜は伊那中央病院の小児一次救急の当番だったのだが案外ヒマで、持っていったこの本『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)を読了したのだ。


堀井憲一郎氏の本が好きで、出れば買って読むようにしている。特に「落語本」に傑作が多くハズレがない。でも、読み終わって即効性の効果が期待できるという意味では、この本が堀井氏一番の「読んでためになる、おもしろ傑作本」となった。


昔から「文章読本」の類は数多あった。谷崎潤一郎、三島由紀夫、丸谷才一、井上ひさし、本多勝一などなど。でも読んでみたことなかったな。人は人、おいらはおいらだから。


いろんな人の文章を読んで、その度に彼等(例えば、東海林さだお、殿山泰司、伊丹十三、山下洋輔、椎名誠、嵐山光三郎、立川志らく、柳家喬太郎、いしいしんじ、北尾トロ、小西康陽、村上春樹、小林賢太郎、菊地成孔、須賀敦子、山登敬之、杉山登志郎、森岡正博、佐藤泰志、志水辰夫、島村利正などなど)の文体に影響されて、その混沌とした中から「ぼくの文体」が生まれた。

オリジナルじゃないのだ。所詮は「人まね」。それでいいじゃん。と、堀井憲一郎氏は「この本」の中で言ってる。


■「この本」の特筆すべきことは、文章を書くことの「身体性」を、初めて文章化したことだ。


「事前に考えたことしか書かれていない文章は失敗である」と、堀井氏は言い切る。


大切なのは、自分をとことん追い込んで初めて無意識から浮かび上がってくる「言葉」の即興性を大切にせよ! ということだ。さらに彼は言う。「文章は頭だけで書いても、ちっとも面白くない」

ここで大事なのは、即興性である。一回性でもいいや。いま、この瞬間にたまたまおもいついたことを大事にして、それを書く。事前に、文章をじっくり練らない。書いたあともじっくりいじらない。書いている寸館の、そのときにしか書けないことを書く。それが大事だった。(p152)


つまりは、シャーマンのごとく、天から「言葉」が降りてくるのを、日照りの中で「雨乞いの踊りをおどりながら」じっと待つのだ。


こういう話は、作家さんのインタビューとか、内田樹先生のブログとかで断片的には聞いてきた。でもこれほどまでセキララに「文章を書くことの身体性」を綴った文章に出会ったことはない。そのとおりだよな。書き始めると、その日の調子が良ければ勝手に手が動いて、文章を自動で筆記してくれるのだ。


あとで読み返してみて、俺ってこんなこと考えていたのか! って、自分でも驚くような表現をしてたりする。


文章を書くことの醍醐味は、「それ」に尽きるのではないか。


■以下、Twitter に書いた記事から追加。


『ウイスキーは日本の酒である』輿水精一(新潮新書)と『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)を、伊那のTSUTAYAで買う。堀井さんの文章が読みやすいのは、たぶん落語のリズム・テンポで文章が書かれているからだ。
9月13日


『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)を、毎日ちびりちびり読んでいる。この本は金言の宝庫だ。思わずボールペンで赤線を引きまくっている。例えばこんな一言。「文章は、発表した人のものではない。読んでくれる人が存在して、初めて意味がある。つまり文章は読み手のものである。」
9月17日

2011年8月24日 (水)

『そこのみにて光輝く』佐藤泰志(河出文庫)つづき

■先だっての日曜日、伊那市図書館へ行って「週刊読書人 8月19日号」を読む。「佐藤泰志ルネサンス」と題された特集は1〜2面全部を使ったたいへん力の入ったもので、作家の堀江敏幸氏と書評家岡崎武志氏との対談は非常に読み応えがあった。


同じく岡崎武志氏が、佐藤泰志の全作をレビューした『新刊展望6月号』は未読なので、なんとか読んでみたい。


あと、『本の雑誌8月号』の18ページには「すべての青春の人達へ」と題された、松村雄策氏による佐藤泰志トリビュートが載っている。この文章もいい。松村氏のいろいろな思いが込められていて実に読ませるぞ。


■以前にも書いたが、佐藤泰志は「男2人+女1人」が、あたかも偶然のように必然的に出会い、ひと夏を過ごす話(しかも、必ず彼らは海に行く)にこだわる。初期の傑作『きみの鳥はうたえる』の構造がまさにそうだ。これから読む予定の『黄金の服』は「男3人+女2人」の『ハチミツとクローバー』関係みたいだが。

そういう意味では『そこのみにて光輝く』は、まさにその「定型」に填め込んだ小説ではあるのだが、『きみの鳥はうたえる』とは作者は意識的に離れようと試みているところがまずは面白い。以下にその相違点をあげる。


1)舞台が東京近郊、中央線沿線「国分寺」あたりではなく、作者の生まれた故郷「函館」であること。

2)「男2人+女1人」が、決して三角関係にはならないという関係であること。つまりは、姉・弟とその友人。

3)「海」が出かけてゆく場所ではなくて、彼らの生活の場そのものであること。


4)『きみの鳥はうたえる』の3人が全員、21歳の青春真っ直中だったのに対し、この小説の主人公、達夫と千夏はやはり同い年ではあるのだが、既に青春とは言えない 29歳であること。


5)『きみの鳥はうたえる』の主人公は、いつも冷静でクールで、自分からは自らの状況を逆転するような思い切った行動は決してしない。そう、いつも俯瞰している傍観者なのだ。でも『そこのみにて光輝く』の主人公達夫は、いつも冷静でクールで無口ではあるのだが、自らの状況を自ら切り開いてゆく覚悟と決断力がある。


6)千夏と拓児の姉弟そして彼らの両親は、北海道の地方都市「函館」の中でも最も虐げられて蔑まれてきた、地元ではアンタッッチャブルな地域に居住する住人だ。この設定は、中上健次の「路地」の人々とつながってくる。しかし、中上健次の小説と決定的に異なることは、佐藤泰志の小説には「路地の熱狂」がないことだ。なぜなら、佐藤泰志の主人公は路地の外の人間であること。それから、千夏の家族以外の人々(親戚とか隣近所の住人)は一切登場しない。


■解説で福間健二氏が書いているが、『そこのみにて光輝く』という小説の最もすばらしいところは、「千夏」という女のキャラが立ちまくっていることだ。なんて「いい女」なんだ! バブル崩壊前の時代。すでに不況が始まり、函館最大手の企業「造船所」にもリストラの嵐が吹いていた。時代は忘れ去られた地方から翳りを見せていたのだ。そんな地方都市の郊外のゴミ貯めに、一点のみ「光輝く」のが、千夏なのだった。以下、読んでいて気に入った文章を引用する。

千夏が語気を強めて睨んだ。達夫は溜息をこらえた。千夏の顔を見た。女を感じた。怒りに満ちた眼が、整った顔だちをひときわ際立たせていた。たぶん、この女自身は知らないだろう。そう思うと欲望が達夫のなかで形を取りそうだった。


 千夏が煙草を砂に突き立てて消した。そして、もう若くはない、別に三十間近だからというわけではなく、青春はとっくに終わったわ、と話した。離婚のことをいっているのだ、と思った。


「何を考えているの」
 千夏が手を伸ばし、ついでおずおずと顔を胸に押しつけて来た。あの家を出たい、とささやいた。そのためなら何をしてもいい、と。


 眼の前で砂や小石の雪崩れている青黒い海面を見た。遠浅の浜のように構わず深みに足を運んだ。足元から不意に支えがなくなった。そのまま沈んだ。夏のざわめきとさっきの千夏の笑いが、あたりにまだ響いていた。どこまで落ちて行くのか。落ちろ、落ちろ、と叫ぶ声があった。両眼はひらいていた。砂や小石がどんどん流れ落ちてくる。底に足がついた。頭は海面に出ない。もっと落ちろ、という叫びが聞こえる。頭上を見上げる。鈍く陽が揺れていた。千夏が跳び込む姿が見え、海面が泡だつ。海水も陽も乱れた。跳び込んだ千夏の全身から、水泡が吹きでるように、一面を覆う。

 千夏は姉のように喋った。そして、顔をのぞきこんで、声を強めた。
「いいことなんて、ひとつもありっこないのよ。わかっているの。あんたもわたしももういい齢よ」

「いい気なもんだわ。男なんて腐るほど知っているのよ。たいてい腐っているわ、あんたもよ」

 達夫はヘッド・ホーンでひさしぶりにエリック・ドルフィを聴いた。まだひとりで暮らしていた頃の彼の唯一の愉しみだった。

■この時、達夫が聴いたエリック・ドルフィ。いったいどのレコードだったのだろう? と僕は思う。


これは断言できるのだが、けっして『アウト・トゥ・ランチ』ではない、ということ。
だとすれば、『ラスト・デイト』A面だろうな。


ブッカー・リトルとの「ファイブスポット」でのライヴ盤。vol.1 か、vol.2 のA面。
ぼくならそうするのだが。

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