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2014年5月 6日 (火)

ファレル・ウィリアムス『HAPPY』の動画を集める

■昨日、ファレル・ウィリアムスの新作CD『GIRL』を買った。で、もうずっと「HAPPY」を繰り返し繰り返し聴いている。いいんだ、これが!

「幸せなら手をたたこう」って歌う「この曲」のPVは、なんと!「24時間」続くのだ。ぼくは、2:20 p.m. ぐらいに登場する、男2人のタップ・ダンスチームが好きだ。

サイトはこちら。「http://24hoursofhappy.com」

We are from Paris - Happy - Welcome Pharrell #ParisIsHappy
YouTube: We are from Paris - Happy - Welcome Pharrell #ParisIsHappy

■さらには、「We Are Happy From ...」というサイトの「世界地図」から、世界各国、各都市(同じ街から複数の投稿あり)の住民が踊るヴァージョンを見ることができる。なんと!「南極大陸」もあるぞ。

日本版も、仙台(宮城学院女子大学)・名古屋・京都大学・大阪・東京に続いて、「原宿」(BEAMS 社長の踊りが何気に上手い!)「京都・大阪」「沖縄」版が最近登場した。動画のレベルもピンキリだが、上に挙げた「Paris Is Happy」のセンスと完成度がピカイチだと思う。

HAPPY World Down Syndrome Day / Welt Down Syndrom Tag #HAPPYDAY Pharrell Williams
YouTube: HAPPY World Down Syndrome Day / Welt Down Syndrom Tag #HAPPYDAY Pharrell Williams

■その他、ロンドン在住の回教徒のヴァージョンとか、この「ダウン症の人たち」のダンス版もじつにいい。

Pharrell Williams - Happy ( Split , Croatia )
YouTube: Pharrell Williams - Happy ( Split , Croatia )

#HAPPYDAY Supercut
YouTube: #HAPPYDAY Supercut

HAPPY - Walk off the Earth Ft. Parachute
YouTube: HAPPY - Walk off the Earth Ft. Parachute


Pharrell Williams -- HAPPY (We are from HIGH TATRAS SLOVAKIA)
YouTube: Pharrell Williams -- HAPPY (We are from HIGH TATRAS SLOVAKIA)


■じつを言うと、このGWに入るまで「ファレル・ウィリアムス」という人を、まったく知らなかったのです。連休中は遠出する予定がなかったし、仕事もいっぱい残ってたので、診察室でイヤイヤ仕事しながら、ネットにつないでツイッターを眺めていたら、ぼくのTLでふと「HAPPY」のPVをカヴァーした中東ドバイのヴァージョンを発見した。

「HAPPY」って何? ファレル・ウイリアムスって誰?

で、調べたら日本盤CDが4月30日発売になったばかりだったので「これは欲しいぞ!」と、伊那の TSUTAYA へ行って、彼の最新CD『GIRL』を購入したのでした。

■ロバート・グラスパーのCDを、最近繰り返し聴いていたので、聴いて「何の違和感もなかった」です。いやむしろ、懐かしい聴き慣れたサウンドがしていた。ロバート・グラスパーは、1990年代の「ネオ・ソウル」の雰囲気を目指していたのに対し、ファレル・ウイリアムスは、1980年代のマイケル・ジャクソンの曲調や、もう少し古く、ちょっとレトロな 1970年代全盛期のソウルの感じが「HAPPY」にあふれているように思ったのです。

ファレル・ウイリアムスは、キーボード奏者なのにとにかく声がいい。ファルセットを多用しつつ、地声も高めで艶があって、往年のサム・クックや、マービン・ゲイみたいな「男の色気」にあふれているのだ。それでいて、コテコテの脂ぎった音ではないんだな。そこが一番の特色。

彼の容姿を見ると、どうも「アジアの血」がクオーターぐらい混じっている。草食系の顔をしているんじゃないか? そのあたりも、ちょっと過激でとんがったヒップホップから離れて、コンテンポラリーでグローバルな万人受けする楽曲「HAPPY」を作り上げることができたポイントなんじゃないかな。

■ファレル・ウィリアムス「HAPPY」の多幸感って、Bメロ・バックコーラス「ハッピイー、イー、イー、イー」のコード進行がメチャクチャ気持ちいいことによる。基本はマキタスポーツ氏の言う「カノン進行」なのだが、でもちょっと変なコードなんだよ。

そのあたりのことは「スージー鈴木」氏が以前ツイートしていた。

ファレル・ウィリアムスの「HAPPY」は、ダフト・パンク「Get Lucky」同様、「奇妙さが生理的に気持ちいい」コード進行になっている。同じようなことを考えた音楽好きがギターでの弾き方を指南した映像。それにしても変な進行だ。 http://youtu.be/bDjiz_MypGs 

【C#maj7】→【Cm】→【Cm7】→【F】。ファレル・ウィリアムスHAPPY」の「奇妙だけれど生理的に気持ちいいコード進行」を聴いていると、「コード進行の全てのパターンは出尽くした」という、老獪な音楽評論家がよく言っていたことが、実は真っ赤なウソだったということを痛感する。

それから、スージー鈴木氏のブログより、この考察も面白いぞ。

20140208/ダフト・パンク《Get Lucky》は鳴り止まないっ。」

2014年4月 6日 (日)

「おかあさんの唄」こどものせかい5月号付録(にじのひろば)至光社

■月刊カトリック保育絵本を出している「至光社」さんから原稿の依頼があった。

「よぶ」というテーマで書いて欲しいという。

案外むずかしいテーマだ。正直困った。

四苦八苦して書き上げたのが以下の文章です。

『こどものせかい5月号:こんにちは マリアさま』牧村慶子/絵、景山あきこ/文(至光社)の折り込み付録「にじのひろば」に載せていただきました。ありがとうございました。

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『おかあさんの唄』           北原文徳(小児科医)

 アン・サリーの歌声が好きだ。ジャズのフィーリングとリズム感が抜群で、英語やポルトガル語の歌詞の発音もネイティブ並にいい。でも、聴いていて一番沁み入るのは、『星影の小径』や『満月の夜』などの日本語で唄った楽曲だ。

 最新CD『森の診療所』は、うれしいことに日本語の歌が多い。中でも映画『おおかみこどもの雨と雪』の主題歌が素晴らしい。ぼくは映画館で聴いて、それまで我慢していた涙が突然止めどなく溢れ出し、照明が点くのが恥ずかしくて本当に困った。映画は、子供の自立と、親の子別れの話だった。

 昨年の夏、児童精神科医佐々木正美先生の講演を聴いた。先生は以前から同じことを繰り返し言っている。子育てで一番大切なことだからだ。

「子供が望んだことをどこまでも満たしてあげる。そうすると子供は安心して、しっかりと自立していきます。ところが、親の考えを押しつけたり、過剰干渉すると、子供はいつまでも自立できません。」

「生後9ヵ月になると、赤ちゃんは安全基地である親元を離れて探索行動の冒険に出ます。母親に見守られていることを確信しているから一人でも安心なんです。ふと振り返り、母親を呼べば、いつでも笑顔の母親と視線が合う。決して見捨てられない自信と安心を得た子供だから、ちゃんと自立できるのです。」  

 アン・サリーの歌にも「おおかみこども」が母親を呼ぶ印象的なパートが挿入されている。優しいアルトの落ち着いた歌声。彼女自身、二人の娘の母親だ。レコーディングやコンサートに、彼女は必ず娘たちを連れて行くそうだ。

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■ついでに、1年前、福音館書店のメルマガ「あのねメール通信:2013年6月19日 Vol.142」に載せていただいた、「ぐりとぐらと私」

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2014年3月30日 (日)

復活「今月のこの1曲」 『Ballad of the Sad Young Men』

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■しばらく忘れていた「今月のこの1曲」を、ふと復活させようと思ったのだ。

「この曲」を初めて聴いたのは、「こちらのブログ」の筆者と同じく、コンテンポラリー・レーベルから出た、アート・ペッパーの復帰後3枚目のLP『ノー・リミット』でだった。最もハードでフリーキーなアート・ペッパーの演奏を記録したこのレコードの、A面2曲目に収録されていたのが「 Ballad Of The Sad Young Men」だ。

さんざん聴いたなぁ。この曲。

1950年代の軽やかで艶のある演奏と違って、ちょっとブッキラボウに、とつとつと途切れ途切れにフレーズを奏でるペッパーのバラード演奏は、ほんとうに沁み入った。アルトの音色が切なかった。

なんなんだろうなぁ、若い頃はブイブイ言わせて大活躍していたのに、麻薬禍から1960年代後半には知らないうちにジャズ界から消え去っていた。そんな彼が50歳をとうに過ぎて奇跡的に復活し、アルト・サックスで吹く「 Ballad Of The Sad Young Men」のメロディには、その一音一音に彼の特別な想いが込められているような気がしてならない。もう若くはない「いま」だからこそ、ようやく吹けるようになったのだ。

ちょうど、ビリー・ホリデイ『レディ・イン・サテン』の「I'm a Fool to Want You」を聴いた時と同じ印象。彼の(彼女の)人生(生きざま)が、そのままダイレクトに演奏に反映されていた。


YouTube: Art Pepper Quartet - Ballad of the Sad Young Men



■先達て松本へ行った際、久しぶりに「アガタ書房」へ寄って中古盤の2枚組『オール・オブ・ユー』キース・ジャレット・トリオ(ECM / HMCD)を入手した。2枚目のほうに、僕の大好きな曲が2曲も収録されていたからだ。

その2曲とは、「All The Things You Are」と「Ballad Of The Sad Young Men」。

このCDの原題は『Tribute』で、リー・コニッツ、ジム・ホール、ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ロリンズ、マイルス、そしてコルトレーンにそれぞれ曲が捧げられている。

で、ジャズ・ヴォーカリストのアニタ・オデイに捧げられていたのが「この曲」だった。僕は彼女が歌った「この曲」を聴いたことがなかったので、早速検察してみると、彼女が1961年にゲイリー・マクファーランド・オーケストラと録音した『All The Sad Young Men』の5曲目に収録されていることが判った。

さらにググると、ボズ・スキャッグスやリッキー・リー・ジョーンズ、それに、ロバータ・フラックも「この曲」を歌っているらしい。

YouTube には、ロバータ・フラックのヴァージョンがあった。それがコレだ。

Roberta Flack - Ballad of the Sad Young Men
YouTube: Roberta Flack - Ballad of the Sad Young Men


ロバータ・フラックがピアノの弾き語りで歌っている。冒頭の印象的なベースの弓引きは、ロン・カーター。アート・ペッパーの演奏は、このロバータ・フラックのアレンジを「そのまま」いただいていたんだね。そっくり同じだ。

こうして、初期のロバータ・フラックを聴いてみて感じるのは、同じピアノの弾き語りをしている「ニーナ・シモン」のことを、すっごく意識していることだ。ソウルフルでありながら、シンガー・ソング・ライターの楽曲をいっぱい取り入れている点。ジャニス・イアンとか、レナード・コーエンとかの曲をね。彼女のこのデビュー盤、なかなかいいじゃないか。

■さらに先週、東京に行って、新宿のディスクユニオンで「アニタ・オデイ盤」を中古で入手した。でも、凝ったアレンジがかえって邪魔してしまい、この曲のシンプルな切ない味わいが損なわれてしまっていて残念だったな。

曲のタイトルと、CDのタイトルが微妙に異なっているのには訳がある。

『All The Sad Young Men』というのは、『華麗なるギャツビー』の作者フィッツジェラルドの小説のタイトルなんだそうだ。なるほどね。

Radka Toneff - Ballad of the Sad Young Men (live, 1977)
YouTube: Radka Toneff - Ballad of the Sad Young Men (live, 1977)


あと、さらに検索を続けたら、ノルウェーの歌姫ラドカ・トネフのヴァージョンが見つかった。これもいいな。今までぜんぜん知らなかった人だ。CDも持ってない。北欧系の女性ジャズ・ヴォーカルは、このところけっこうフォローしてきたのにね。

調べてみると、30歳で自ら命を絶って、いまはもういない人だった。

2014年1月11日 (土)

ロバート・グラスパー『BLACK RADIO 2』(BLUE NOTE)

Let It Ride (Lyric Video)
YouTube: Let It Ride (Lyric Video)

今年は「ラジオ」の年だったな。『想像ラジオ』いとうせいこう(河出書房新社)『ラジオ』一色伸幸脚本(NHKドラマ)『BLACK RADIO2』ロバート・グラスパー(BLUE NOTE)。それから「1974年のサマークリスマス」林美雄&柳澤健(「小説すばる」集英社)。

■これは、昨年末に僕がツイートしたものだが、いとうせいこう『想像ラジオ』に関しては、以下で書いた。

・『想像ラジオ』いとうせいこう(河出書房新社)感想ノーカット版

『想像ラジオ』いとうせいこう(文藝 2013 春号)読了

■林美雄アナに関しては、ここに書いた。

『林美雄 空白の3分16秒』宮沢章夫(TBSラジオ)

『小説すばる 8月号』林美雄とパックインミュージックの時代

■昨年見たテレビドラマでは、『あまちゃん』を別格として最も素晴らしかったのが、一色伸幸:脚本、岸善幸:演出(テレビマンユニオン)NHK特集ドラマ『ラジオ』だった。3回見て、ラストシーンで3回とも泣いた。「某ちゃん、がんばれ!」

その話は、ずっと書こうと思っていて未だに書けずにいるのだが、いつかちゃんとした感想を書きたいと思っている。

Packt Like Sardines In A Crushd Tin Box (1 Mic 1 Take)

YouTube: Packt Like Sardines In A Crushd Tin Box (1 Mic 1 Take)


■ジャズ・ピアニスト、ロバート・グラスパーの名前は以前から聞いていた。ただ、あまりいい評判ではなかったから積極的に聴いてみようとは思わなかったのだ。ぜんぜん「ジャズ」じゃない、ヒップホップやブラック・コンテンポラリーの音楽を目指しているって聞いていたからね。その分野は、おいら苦手なんだよ。よく判らないから。

だから、上のビデオクリップを初めて YouTUbe で見た時には驚いた。「いいじゃん! この人」そう思った。なんだ、やっぱりジャズの人じゃん! てね。

で、あわてて他のビデオクリップを探してみたんだ。そしたら、いま現在の僕の心境に「ぴったしカンカン」ど真ん中の楽曲がいくつも見つかった。それがこれ。

I Stand Alone (Lyric Video)
YouTube: I Stand Alone (Lyric Video)


Robert Glasper Experiment - Calls ft. Jill Scott 
YouTube: Robert Glasper Experiment - Calls ft. Jill Scott

でね、思ったんだ。これ、ぜんぜんジャズじゃん! めちゃくちゃカッコイイぞ! ってね。

ホント、すんなり入って来たんだ、ぼくのココロに。すっごく自然にね。

■それから、こういう楽曲がいま、ニューヨークで流行っているんだ。そういう感じが、確かに実感できた。「いま・ここ」のホンモノの音。

■ぼくは基本、フェンダー・ローズの音色が好きなんだな。だから、ビル・エヴァンズの数あるレコードの中でも、一番好きなのが『From Left To Right 』 だし、『THE BILL EVANS ALBUM』も結構好き。

ロバート・グラスパーのエレピの気怠い、クールでアンニュイな響きは、ちょうど、好きで好きでたまらない映画、日活ロマンポルノ『マル秘色情めす市場』田中登監督作品の中でBGMに使われたエレピの感じに近いのだ。もろ、ぼくの好みだったワケ。(もう少し続く)

 

 

2014年1月 7日 (火)

2013年によく聴いたCDたち(その1)

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2014年1月 3日 (金)

12月31日の出来事(大瀧詠一氏を偲んで)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて、

【昨日から今日にかけての、ぼくのツイートのまとめ(一部改変あり)】

■ぼくが初めて大瀧詠一さんの歌を聴いたレコードは『中津川フォークジャンボリー'71』(ビクター)のB面ラストに収録されていた、はっぴいえんど「12月の雨の日」だった。加川良と吉田拓郎の「人間なんて」が聴きたくて買ったんだけどね。


だから、快晴の大晦日の午後、追悼を込めて「12月の雨の日」→「春よこい」「空とぶくじら」「恋の汽車ポッポ」→「ウララカ」「さよならアメリカ・さよならニッポン」の順番で聴こうとCDを準備していた。そしたら、高2の長男が来て「深呼吸すると右胸が痛いんだ」と言った。


僕は嫌な予感がした。実は朝から彼は右胸上背部の違和感を訴えていたのだ。「息苦しくはない」と言っていたから、その時は「大丈夫だよ」と軽く受け流した。しかし、やはりこれはマズいよな。で、慌てて聴診器を当ててみた。ちょっとだけ右肺の呼吸音が弱いような気もするが、自信がない。仕方ないのでレントゲンの電源を入れて胸部写真を撮った。


■医者というものは、自分自身と家族や身内に関しては客観的な医学的評価ができない。いつも良い方に無理矢理解釈してしまう。そういうものだ。今回もまさにそうだった。モニター画面に映った胸部写真を見ると、まぎれもなく右自然気胸だった。あっちゃぁ〜。ぼくは慌てて紹介状を書き伊那中央病院へ電話をした。


12月31日の午後4時前だったか。新しくなった伊那中央病院の救急部待合室にぼくはいた。幸い思いのほか待合室は混雑していなかった。少し待って、息子を診察してくださった畑谷先生に呼ばれた。「いま呼吸器外科の先生が来てくれますので」。

という訳で、息子は即入院となり、病棟でトロッカー・チューブを胸腔に挿入された。

伊那中央病院の呼吸器外科の先生の迅速な対応が、ほんとありがたかった。夜になって、息子は妻が届けたおせち料理と「こやぶ」の年越し蕎麦を食ったあと、NHK紅白歌合戦の「あまちゃん最終回」と「ゆく年くる年」まで病棟のベッドの上で見たらしい。


1月2日の晩、家族で泊まる予定だった温泉旅館は当然キャンセルされた。仕方ない。お正月で、しかも宿泊2日前という直前キャンセルにも関わらず「ご子息が入院されたとお聞きしましたので、キャンセル料は20%でいいです。」電話の向こうで女将はそう言ってくれた。ほんとうに有り難かった。

そういう訳で、今ようやく大瀧詠一追悼のため、ラジカセにCDをセットして例の「ウララカ」が鳴っているという次第。

■佐野史郎さんの追悼文が泣ける。「大瀧詠一さん、ありがとうございました」

清水ミチ子さんの追悼文も泣けた。

■申し訳ないが、ぼくは内田樹先生と違って「ナイアガラー」ではない。大瀧さんはあくまでも「はっぴいえんど」の人なのだ。ただ、内田先生や平川克美さんが羨ましいのは、大瀧さんから成瀬巳喜男の映画の魅力を直接たっぷりと聴いていることだ。


いまこうして、URCやベルウッドの「ベスト盤」聴いていると、何かほんとしみじみしてしまう。いま鳴っているのは「僕のしあわせ」はちみつぱい。その次が、西岡恭蔵「プカプカ」で、最後は「生活の柄」高田渡の予定。


でも何故か、いま鳴っているのは『土手の向こうに』はちみつぱい。あ、そうだ。この曲の別ヴァージョンを持っていたんだよ。

201413


あっ! 間違えた。収録されてたのは『塀の上で』だった。次の曲が、奥田民生『さすらい』。こうなったら、矢野顕子の『ラーメンたべたい』奥田民生ヴァージョンでも聴こうか。


このCDは凄いぞ! いま鳴ってるのは『横顔』大貫妙子・矢野顕子。次はやっぱり『突然の贈りもの』大貫妙子かな。

■スティーヴン・キング『11/22/63(上)』302ページまで読んだ。よくできた話だ。うまいなあ、キングは。ただ、1958年にカーラジオから流れる曲が分からない(週刊文春最新号で、小林信彦氏は「みんな判る」と書いているのにね)。雰囲気だけ味わいたくて『James Taylor / COVERS』を出してきて聴いているところ。 


■伊那の TSURUYAで前に買ってあった、GABAN「手作りカレー粉セット(各種スパイス20種詰)」と、フランス al badia社製「クスクス」を、今日の午後作ってみた。混ぜたカレー粉を炒めすぎて焦がしてしまったので、何だか焦げ臭くて漢方か薬膳料理みたく苦くなってしまった。それとカレーにはクスクスよりも、やっぱりご飯の方が相性がいいことが判った。午後からずっと時間かけて台所に居たのにイマイチだったな、残念。


でもカレーは、マンゴーチャツネを入れてゆで卵の輪切りを添えたら、渋谷道玄坂百軒店『ムルギー』の「玉子入り」みたいな色と、あの不思議な懐かしい味がちょっとだけした。いつも真っ白な割烹着で、江戸っ子口調の威勢がいい短髪(永六輔みたいな髪型)のおばあちゃん。それから、僕が注文する前に「ムルギー玉子入りですね!」と勝手に決めつけて去って行く店主のあの無表情を、ふと思い出した。

2013年8月25日 (日)

ドン・ロス 2013年ジャパン・ツアー at the 高遠福祉センター

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■今夜の高遠福祉センター「やますそ」での「ドン・ロス with 亀工房」本当に素晴らしかった。聴きに行ってよかった。最近ギターを始めて、押尾コータローや斉藤和義が大好きな中3の息子と妻との3人で聴いた。チラシを見た息子は、ハリー・ポッターのハグリットみたいだねと言った。実際でかい。


■最初に登場した「亀工房」。オープニングは「ジャーニー」だった。大好きなんなんだ、この曲。何故か前澤さんのギター・イントロが始まっただけで涙が出て来てしまうのだ。いつもそう。いい曲だなぁ。続いてアイルランド民謡3曲。曲名は不明。その次は『コーヒー・ルンバ』で『しゃぼんだま』。


続いて『ウイズ・ユー』。この曲も好き。CDは持っているからね。ラストは『ショー・マスト・ゴー・オン』。亀工房という、知る人ぞ知る、トラディショナル〜ルーツ・ミュージックのネオ・アコースティック・ユニットが、高遠を拠点としていることを、本当に誇りに思う

ぞ!


■さて、登場したドン・ロスは本当にデカかった。まさに、髪を切ったハグリットだ。抱えたギターが小さく見えた。演者との距離が10m未満だったからね。最初の曲は知らない曲だった。でもイイ曲だ。2曲目はボーカル入り。新曲だったので、カポし忘れてやり直し。でも、ドン・ロスほんといい声。

ぼくが知ってる曲もやってくれたよ。「Dracula and Friend part 1」とか「Michael, Michael, Michael,」とか。

あと2004年にドン・ロスが来日した際、再婚した美人で金髪の奥さんを同伴したのだが、彼女のことを曲にしたのが、

「Brooke's walz」で、この曲は実は、高遠の前澤さん家にドン・ロスと彼女が泊まった時にできた曲なのだそうだ。CDも持っているが、この曲はほんと

しみじみ良い曲だと思うぞ。



中3の息子に感想を訊いたら「無言」だった。想像以上にショックを受けたようだ。目の前で、世界最高峰のアコギ奏者を見ることができたのだからな。そりゃ、そうだろう。うらやましいぞ!

だって、僕が生まれて初めて「外タレ」のコンサートに行ったのは、大学生
になってからだった。しかも、冬の青森。弘前市民会館で「マービン・ピーターソン・カルテット」を旅の途中で見たのが初めてだ。国内では、中1の時に長野市民会館で、加川良&中川イサトを見たのが最初。次が「赤い鳥」伊那市民会館だったな。

2013年6月 2日 (日)

John Coltrane 『 sun ship the complete session 』

20130602

■1965年8月26日。マッコイ・タイナー(p)、ジミー・ギャリソン(b)、エルヴィン・ジョーンズ(drs) を擁した、ジョン・コルトレーン(ts) は、朋友であるディレクター(プロデューサー)ボブ・シールのもと、ニューヨークはRCA ビクター・スタジオにいた。彼の音作りを知り尽くした、ルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオではなかった。だから、サックスの音が割れてしまって、いつになく貧弱な音の録音だったのか。今にして思えば。

鉄壁の「黄金カルテット」と称された彼らの、図らずも最後のスタジオ録音(註:これは間違いで、1965年9月2日にニュー・ジャージー州にあるルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで収録された『first Meditations』が本当のラスト・レコーディング)がこれから行われるのだ。

これが世に言う「『サンシップ』セッション」なわけだが、結局この日の録音は、コルトレーンが生きているうちに発表されることはなかった。何故か「お蔵入り」にされてしまったのだ。

いや、決してデキが悪かった訳ではない。あの傑作の誉れ高い『トランジション』(1965年6月録音)だって「お蔵入り」にされていたのだから。


以前にも書いたが、1965年のコルトレーン・カルテットが一番素晴らしいと僕は信じている。だから「このレコード」は、まずは輸入盤で安く入手して、その後に国内盤の再発を買った。膨大なコルトレーンの作品群の中でも、個人的ベスト10には必ず入る大好きなレコードなのだ。

ただ、実際に聴くのはもっぱらA面ばかりだった。「SUN SHIP」「DEALY BELOVED」「AMEN」の3曲。

初っ端からフルパワー全速力のコルトレーン。何ていうか「音のすべて」が切実なのだ。「俺はもっともっと高い次元に到達したいのだ!」でも、思うようにならない苛立ちと焦燥感。そんなリーダーに必死で着いていこうとする、マッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズ。「でも、もうダメだぁ。おいらいち抜けた」と今にも言い出しそうな不協和音が漂い始めている。

まるで、離婚間近の夫婦みたいな、異様に張り詰めた息苦しいほどの緊張感が、びんびん伝わってくる演奏なのだ。だから、聴く方もスピーカーの前にきちんと正座して、この「音のかたまり」と対峙する覚悟が必要になる。いい加減な気持ちでは絶対に聴けないレコードなのだ。


■ところが、今回このCD2枚組『 sun ship the complete session 』を聴いてみて驚いた。案外和やかな雰囲気の中で収録が進められていたからだ。

それは、レコードには下を向いて何だか暗いマッコイ・タイナーと、疲れた表情のエルヴィン・ジョーンズの写真が載っていたのに、CDのパンフには「エルヴィンとマッコイが寛いでポットのコーヒーを飲んでいる写真」が最後に載っていて、これを見れば、この日、コルトレーン・カルテットが完全燃焼したことが一目で分かった気がした。

このシーンは、持てる力を出し切って、充実した時間を互いに過ごした戦友を讃え合う、満足しきった写真に違いない。


さらには、Disck2 の冒頭に収録された、コントロール・ルームにいるボブ・シールと、スタジオ内のコルトレーンとの愉快なやり取り。

レコードではB面2曲目に入っている「ASCENT」は、正直今までほとんど聴いたことがなかった。この曲は、この日のセッションでは4曲目に収録され、なんとこの日最多の「Take 8」 まで取り直しがされていた。


ボブ:「曲のタイトルを教えてくれ」
コルトレーン:「ASCENT だ
ボブ:「えっ!? アセンションだって? おちょくらないでくれよ。この間やったばかりの曲じゃないか。なんだって?違うの。スペルは何?」
コルトレーン:「ASCENT


■あと、ものすごく意外だったことは、コルトレーンのレコードなのに、最初から収録テープにハサミを入れて編集することを前提に、この日の収録が進められていたことだ。そうだったのか! 実際に、世に出たレコードでは、編集されていないのは「AMEN Take2」のみだった。

ASCENT 」では、最初のながーいジミー・ギャリソンのベースソロを省略して、いきなりコルトレーンのソロから収録された Take 4 〜 Take 8 が一番の聴き所だったな。変幻自在なコルトレーン。凄いぞ!

2013年1月11日 (金)

『東京ジャズメモリー』シュート・アロー(文芸社)(その2)

■『東京ジャズメモリー』の著者は、ぼくより4つ年下だ。だから微妙に「同じ渋谷」でも印象・記憶が少し違うのかもしれない。


ぼくが「BLAKEY」に通っていた頃は、第2章に登場する、渋谷「SWING」は、百軒店『ムルギー』左隣『音楽館』の斜向かいにあった。宇田川町の輸入レコード店「CISCO」の地下へ移転したのは、それから暫くしてからのことだ。

自由が丘の「ALFIE」は、ぼくも一度だけ行ったことがある。たしか、デヴィッド・マレイ『ロンドン・コンサート』が鳴っていた。

あと、この本でうれしいのは、巻末に載っている「昭和55年頃の渋谷ジャズ喫茶マップ」だ。そうそう、東急本店通り(今は何て言うんだ?)の右側のパチンコ屋横の狭い階段を地下に降りて行くと、ジャズレコード専門店「ジャロ」があったあった。南口から「メアリー・ジェーン」を探して行ったこともある。渋谷界隈限定のディープでローカルな「ジャズ体験」が個人的に泣けるのだなぁ。


■ちょうど、『ポートレイト・イン・ジャズ』村上春樹・和田誠(新潮文庫)を同時に再読していたから、余計にそう感じたのかもしれないが、センチメンタルでメランコリックで思い入れたっぷりの村上春樹氏の文章と比べて、『東京ジャズメモリー』の著者、シュート・アロー氏は案外あっさりとした文章を書く。いや、良い意味で「泥臭くない」のだ。

江戸っ子の粋とでも言うか、照れもあるからなのか、語りすぎないのだね。そこが「この本」のカッコイイところだと思った。


■それから、とにかく文章が上手い。さすがに音楽を生業としている人だけあって、読んでいて「息継ぎが楽な文章」を書く人だ。

氏の筆が乗ってくるのは、中盤の「田園コロシアム」の項あたりから「新宿西口広場のマイルス」のあたり。都会人でクールなはずのアロー氏が、思わず熱く熱く語ってしまっているのだ。(以下、引用)


 なお、ピクニック気分でビールを飲みながらジャズを楽しむというコンセプトの斑尾高原ジャズフェスティバルが(バドワイザーがスポンサー)、田コロにおけるライブ・アンダーの終焉に合わせたかのように、1982年から開催されたのは偶然なのであろうか。(中略)

 2010年代に至っては、バーはもちろん、居酒屋、食堂、ラーメン屋、すし屋といった飲食店以外にも、本屋、雑貨屋、美容院、床屋、ホテルのエレベータ内などなど日本中いたる所にジャズが溢れかえっている。

しかしジャズブーム、ジャズライブが盛況、CD販売好調、ジャズファンが増加といったニュースは聞いたことがない。あくまでも手軽で耳あたりの良いBGMになりさがってしまっている。

 一方、昔ながらの大音量でジャズを聴かせるジャズ喫茶に至っては、全くの瀕死状態だ。たまに本格派ジャズ喫茶に行くと客はほとんどが中高年の男性で、若い男女はほとんど見られない。というよりそもそも客がいないことが多い。

残念ながらジャズ喫茶はすでに過去の遺物、化石、マイク・モラスキー氏の『ジャズ喫茶論』で言うところの ”博物館” となりつつあるというか、なってしまった。(p91〜92)



■ぼくは田園コロシアムも復帰後のマイルスも、直接聴きに行ったことはない。(レコード・CDは持っている。)

斑尾ジャズ・フェスティバルは、ぼくが北信総合病院小児科に勤務していた夏に「第3回」が開催されて、見に行った記憶がある。1984年のことだ。斑尾のジャズフェスはその後もずいぶんと頑張って続いた。1989年〜1991年は、飯山日赤小児科に在籍していたので、3年間毎年見に行った。

僕が尊敬するジャズ評論家の大御所、野口久光氏にサインしてもらったのも、この時の斑尾(夜のジャムセッション)でだ。いま考えてみると、確かに信じられないくらい「いい時代」だったのだなぁ。

シュート・アロー氏が主張するように、1981年頃の日本のジャズ状況が「日本ジャズ史において恐らく最も多くの人々がジャズに親しみ、楽しみ、盛り上がった時代であり、少なくとも戦後におけるジャズブームのひとつとして語り継がれる必要があるはずである。」のかもしれない。


■ところで、この本の著者は、某楽器メーカー勤務の匿名サラリーマンなのだが、著者が新人時代に勤務した渋谷店が道玄坂にあったこと(いまはない)、本社が浜松にあること、著者がマイク・スターンやネイザン・イーストと懇意であることなどから考えると、シュート・アロー氏は「ヤマハ楽器」に勤務されているのではないか。うん、たぶんそうに違いない。

2013年1月 9日 (水)

『東京ジャズメモリー』シュート・アロー(文芸社)と、ジャズ喫茶「BLAKEY」のこと(その1)

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■この本『東京ジャズメモリー』のことを知ったのは、例によって『週刊文春』の読書欄「文春図書館」最終ページの連載『文庫本を狙え!』坪内祐三のコーナーでだった。以下、少しだけ引用する。

文芸社というのは自費出版を中心に刊行している版元で、文庫サイズのこの本も自費出版かもしれない。

 だがとても面白い。

 まず渋谷を中心とした東京本として楽しめる。

<僕が高校入学した昭和53年(1978年)は、渋谷三角地帯がまさに再開発され、109 が建設されている最中であった> と書いているから著者は昭和37年生まれ、私の4歳下だ。だから私の見て来た風景と重なる。(中略)

 

渋谷の百軒店にあった BLAKEY というジャズ喫茶(1977年開店 82年閉店)。「扉を閉めて外部からの光を遮断してしまうと、大袈裟ではなく真っ暗で何も見えないのである。一般に暗いとされる『占いの館』や遊園地のお化け屋敷よりも暗い」。

「目が慣れるまで暗くて全く何も見えないにも係わらず、マスターが席まで誘導するというごく当たり前な行為も一切なかったので、一応客であるはずの僕らは中腰で自ら手探り・足探り? で空いている席にたどりつかねばならなかった」。

「店内のところどころに客の気配、人影を感じるのだが基本的にほとんど動かず石のように固まっている。」

 1980年代の渋谷は白くピカピカしたイメージがあるがまだこのような空間も残っていたのか。(後略)

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■ぼくは、坪内氏の「この文章」を読んで、ビックリ仰天した。


大学に入りたての頃、茨城から週末になると常磐線に乗っては上京し、池袋文芸座で土曜の夜のオールナイトを見て、始発の山手線で寝ながら3周半ぐらいして、午前9時半の「ブレイキー」開店を待ったものだ。

もしくは、当時「目蒲線」西小山に住んでいた次兄の部屋に泊めてもらって、渋谷に出かけて行った。

ハチ公口からスクランブル交差点を渡って道玄坂を上がって行き、「百軒店」の看板を右折する。当時、そのすぐ左手には、グルメ評論家の山本益博氏が絶賛したことで有名になる前のラーメン店「喜楽」があった。(小綺麗なビルになっていまもある)

右手に「道頓堀ヌード劇場」。渋谷なのに、なぜ「道頓堀」なのか? いまだに謎だ。坂を登り切った正面が、印度料理店『ムルギー』だ。

『ムルギー』の話は、たぶん何度もしたので今日は省略する。

■今日の主題は、そう、ジャズ喫茶「ブレイキー」のこと。

当時、茨城県新治郡桜村在住だった僕が、たぶん一番ジャズの勉強をさせてもらった道場みたいな場所が、渋谷百軒店ジャズ喫茶「BLAKEY」だった。あの頃、筑波にはまだジャズ喫茶はなかったのだ。(『AKUAKU』がオープンしたのは、1979年9月9日のこと)

ネットで「BLAKEY」のことを検索しても、そのうちの半分は「ぼくが書いた文章」という有様。そうか、誰も知らないんだ、渋谷百軒店ジャズ喫茶「BLAKEY」のことなんて。

ぼくはずっとそう思ってきた。ところがどうだ! この本『東京ジャズメモリー』の巻頭に、いきなし「BLAKEY」が登場しているではないか!
ほんと、ビックリした。(amazon「クリック」なか見!検索で、その部分が読めます。)


で、とってもうれしかった。

僕だけじゃなかったんだ。あのジャズ喫茶で修業して、いまだに忘れられないでいるジャズ・ファンがいたんだ!

「ブレイキー」のことは、「2009/09/09」の日記  にも書いた。

1982年8月号の『Jazz Life』(写真)にも投稿した。以下転載。

 4月。久しぶりの渋谷。ハチ公口からスクランブル交差点を斜めにつっきって 109 方面へ。つぎつぎとすれ違う、都会のねぇちゃん達の群に感動したり、ため息ついたり。考えてみると、初めて、JAZZ を聴きにこの街へ来た5年前には 109 なんてなかったし、「道頓堀ヌード劇場」のわきの坂を登っていっても、すれ違うのは、上役サラリーマン風の男と、まだ顔のほてりを隠しきれない OL の2人づれぐらいだった。
 
 百軒店界隈もどんどん変わっていくねぇ、などと感心しながら、まずは『ムルギー』のたまご入りカレーで腹を満たす。よし、ここだけはまだ大丈夫。おっと、それからもう一軒。『音楽館』のかどを右へ折れると、目指す JAZZ喫茶『ブレイキー』。

 ……と、あれっ、ない。『ブレイキー』が無い! 音のしない2階の方をただポカンと見上げていると、人の良さそうなおじさんが階段を下りてきた。

「あ、ここ、今度、ふつーの喫茶店になるんだよ」 「つぶれちゃったんですか?」

 「……そーいう言い方しちゃいけないな。都合でやめたんだ。あんた、よく来てたの、そう、じゃあこれからもよろしくね」
 おじさんは忙しそうに、また2階へ消えていってしまった。

 「エ~~、ウッソ~~」ほんとうにそう言いたかった。日本じゅう、いろんな所を旅したけど、やっぱりここが一番、いつもそう思っていた。レイ・ブライアント、ジュニア・マンス、ワーデル・グレイ、リー・モーガン、ビリー・ホリデイの『レディ・イン・サテン』。それに、もちろん、ドルフィー、アイラー、コルトレーンにロリンズ。それからマレイ、アダムス、ビリー・バング。僕のレコード棚はみんな『ブレイキー』で聴いたレコードばっかしだ。

 ミンガスが消えた時も、モンクがいなくなった時も、ちっとも悲しくなんかなかった。だって、いつでもレコードで会えるもの。一体、どうしてくれるんだい、えっ、『ブレイキー』さん! JAZZ もとうとうおしまいだね、なんて深刻に考えてしまったではないですかい、えっ。わざわざ東京へ出ていっても、もう行くところがないんですよ、えっ。

 取り乱しちゃって失礼しました。最近、ちょっと酒乱ぎみなもので。まあ、でも、いつか知らない街角からあの ALTEC 612-C モニターのハード・ドライビング・サウンドが再び聞こえてくることを、切に願っている今日、このごろのわけで。
            (Jazz Life/ 1982年8月号)より

■ただ、ちょっと気になるのは、ぼくが通っていた頃は(1977年〜79年)何も見えないほど「真っ暗」ではなかったことと、マスターは小柄だけれど痩せていて、角刈り(五分刈り?)で黒縁の四角いメガネをかけていた。

だから、この本に登場するマスター(ボサボサの長髪で無精ひげをはやし、丸眼鏡をかけた小太りのマスター)と、とても同一人物とは思えないのだが。昼と夜とで人が交代してたんだろうか?

いや、確か夜行った時も「同じマスター」にしか会ったことはないぞ。
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