John Coltrane 『 sun ship the complete session 』
■1965年8月26日。マッコイ・タイナー(p)、ジミー・ギャリソン(b)、エルヴィン・ジョーンズ(drs) を擁した、ジョン・コルトレーン(ts) は、朋友であるディレクター(プロデューサー)ボブ・シールのもと、ニューヨークはRCA ビクター・スタジオにいた。彼の音作りを知り尽くした、ルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオではなかった。だから、サックスの音が割れてしまって、いつになく貧弱な音の録音だったのか。今にして思えば。
鉄壁の「黄金カルテット」と称された彼らの、図らずも最後のスタジオ録音(註:これは間違いで、1965年9月2日にニュー・ジャージー州にあるルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで収録された『first Meditations』が本当のラスト・レコーディング)がこれから行われるのだ。
これが世に言う「『サンシップ』セッション」なわけだが、結局この日の録音は、コルトレーンが生きているうちに発表されることはなかった。何故か「お蔵入り」にされてしまったのだ。
いや、決してデキが悪かった訳ではない。あの傑作の誉れ高い『トランジション』(1965年6月録音)だって「お蔵入り」にされていたのだから。
■以前にも書いたが、1965年のコルトレーン・カルテットが一番素晴らしいと僕は信じている。だから「このレコード」は、まずは輸入盤で安く入手して、その後に国内盤の再発を買った。膨大なコルトレーンの作品群の中でも、個人的ベスト10には必ず入る大好きなレコードなのだ。
ただ、実際に聴くのはもっぱらA面ばかりだった。「SUN SHIP」「DEALY BELOVED」「AMEN」の3曲。
初っ端からフルパワー全速力のコルトレーン。何ていうか「音のすべて」が切実なのだ。「俺はもっともっと高い次元に到達したいのだ!」でも、思うようにならない苛立ちと焦燥感。そんなリーダーに必死で着いていこうとする、マッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズ。「でも、もうダメだぁ。おいらいち抜けた」と今にも言い出しそうな不協和音が漂い始めている。
まるで、離婚間近の夫婦みたいな、異様に張り詰めた息苦しいほどの緊張感が、びんびん伝わってくる演奏なのだ。だから、聴く方もスピーカーの前にきちんと正座して、この「音のかたまり」と対峙する覚悟が必要になる。いい加減な気持ちでは絶対に聴けないレコードなのだ。
■ところが、今回このCD2枚組『 sun ship the complete session 』を聴いてみて驚いた。案外和やかな雰囲気の中で収録が進められていたからだ。
それは、レコードには下を向いて何だか暗いマッコイ・タイナーと、疲れた表情のエルヴィン・ジョーンズの写真が載っていたのに、CDのパンフには「エルヴィンとマッコイが寛いでポットのコーヒーを飲んでいる写真」が最後に載っていて、これを見れば、この日、コルトレーン・カルテットが完全燃焼したことが一目で分かった気がした。
このシーンは、持てる力を出し切って、充実した時間を互いに過ごした戦友を讃え合う、満足しきった写真に違いない。
さらには、Disck2 の冒頭に収録された、コントロール・ルームにいるボブ・シールと、スタジオ内のコルトレーンとの愉快なやり取り。
レコードではB面2曲目に入っている「ASCENT」は、正直今までほとんど聴いたことがなかった。この曲は、この日のセッションでは4曲目に収録され、なんとこの日最多の「Take 8」 まで取り直しがされていた。
ボブ:「曲のタイトルを教えてくれ」
コルトレーン:「ASCENT だ」
ボブ:「えっ!? アセンションだって? おちょくらないでくれよ。この間やったばかりの曲じゃないか。なんだって?違うの。スペルは何?」
コルトレーン:「ASCENT 」
■あと、ものすごく意外だったことは、コルトレーンのレコードなのに、最初から収録テープにハサミを入れて編集することを前提に、この日の収録が進められていたことだ。そうだったのか! 実際に、世に出たレコードでは、編集されていないのは「AMEN Take2」のみだった。
「ASCENT 」では、最初のながーいジミー・ギャリソンのベースソロを省略して、いきなりコルトレーンのソロから収録された Take 4 〜 Take 8 が一番の聴き所だったな。変幻自在なコルトレーン。凄いぞ!
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