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2011年3月13日 (日)

パパズ絵本ライヴ(その76)喬木村椋鳩十記念館図書館


YouTube: 『Hard Times Come Again No More』矢野顕子+Gil Goldstein4/5


■喬木村からの帰りに、飯田市上郷のブックオフに寄ったら、このところずっと探していたCD『ウェルカム・バック』矢野顕子を見つけた。最もジャズ的な傑作CDで、しかも最高のメンツ、パット・メセニー(g) チャーリー・ヘイデン(b) ピーター・アースキン(drs)ときている。この中の数曲は、以前購入した30周年記念CD+DVDで聴いていたのだが、伊那への帰りの道すがら、さっそく車の中で聴いてみたら、CD8曲目の初めて聴いた英語の歌詞の曲に心を奪われた。実にシンプルな曲なんだけれど、人の心を動かす力がある。


「Hard Times, Come Again No More」って曲だ。この曲、ぼくは知らなかった。あの「おぉスザンナ」とか「スワニー川」などの作曲で有名な、アメリカの国民的作曲家フォスターの曲なのだそうだ。人類は理不尽で辛い困難な事態に今まで何度も何度も遭遇してきたけれど、でも、もうこれ以上、こんなにも不条理で理不尽な現実はごめんだ! そういう歌だ。ほんとうにそう思う。ただいたたまれなくなって、胸が苦しくなるばかりだが、でも、彼女(矢野顕子)の歌声には、微かではあるけれど、確かな希望があるよ! 絶対に。そうさ。そうに違いない。






YouTube: Yo-Yo Ma James Taylor - Hard times come again no more


こちらは、ジェイムス・テイラーとヨーヨー・マの「Hard Times, Come Again No More」。これも誠実で、じつにいい演奏だなあ。

ぼくにいまできることは、無駄な電気を消して、被災地の皆さんのために、ただただ祈るだけだ。

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■パパズ絵本ライヴ(その76)喬木村椋鳩十記念館図書館。こうした事態に加え、当地ではインフルエンザが流行中とのことで、それでも会場へは30数名の親子連れが集まってくれた。今日は、坂本さんが法事でお休みだったので、坂本さんの得意ネタ『どうぶつサーカスはじまるよ』を、ぼくが読ませていただく。坂本さん、ごめんなさい。

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1)『はじめまして』
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店) → 伊東
3)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏雄・作(福音館書店) → 北原
4)『かごからとびだした』(アリス館) → 全員

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5)『このすしなあに』塚本やすし(ポプラ社) → 宮脇
6)『ねこのおいしゃさん』 → 全員


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7)『ランドセルのはるやすみ』村上しい子・文、長谷川義史・絵(PHP研究所) → 倉科

8)『ふうせん』 → 全員
9)『世界中のこどもたちが』篠木眞・写真(ポプラ社) → 全員


2011年2月10日 (木)

佐野元春『月と専制君主』

『キュレーションの時代』佐々木俊尚(ちくま新書)が面白い。佐々木俊尚さんのことを知ったのは、つい最近のことだ。最先端のIT関連話題にたいへん詳しいジャーナリストとして、なんとなく Twitter をフォローし始めたのだ。

ところで、今をときめくイラストレーター松尾たいこさんが、Twitter で料理下手を弁解しつつ、でも、優しい「旦那さん」が作ってくれた手料理をときどき写真でアップしていて、それがまた実際にとても美味しそうな料理だったのだな。


で、松尾さんの「優しい旦那さん」って、いったいどんな商売をしているのだろう? て、ずっと気になっていたのだが、あの「さとなお」さんが、松尾さんと夕食を共にした時に、彼女の夫が佐々木俊尚氏であることを知り、ビックリしてツイートしたのを読んだ僕は、もっとビックリしたのだった。なんか、世の中せまいなぁ。不思議とリンクしてくんだねぇ。


佐々木俊尚氏の本を読んだのは初めてだが、特筆すべきことは、文章がとっても読み易いということだ。しかも、抽象的・観念的な論考になることを極力避けるように努力していて、分かり易い具体的な例を挙げて解説してくれる。しかも、ジョゼフ・ヨアキムの物語に始まって、いきなし、ブラジルの知る人ぞ知る音楽家エグベルト・ジスモンチ来日公演の話。


と思ったら、僕も大学生の時に映画館で観て衝撃を受けた日本映画の傑作『青春の殺人者』長谷川和彦監督作品のはなし。

あ、この人は「ぼくと同じ空気を吸った人」だ。瞬時にそう理解した。


■というワケで、毎朝早朝に連続ツイートされる佐々木俊尚氏の発言を、注意して読んでいたら、


「佐野元春セルフカバーアルバム「月と専制君主」。四半世紀ぶりぐらいに彼のアルバムを購入。痺れた。素晴らしすぎる・・。http://amzn.to/emLPD3  8:43 AM Jan 27th Seesmic Webから」


っていうツイートがあった。ぼくは「おっ!」って思った。

で、さっそくアマゾンで購入したんだ、佐野元春『月と専制君主』。ぼくも『VISITORS』以来 25年ぶりに彼のアルバムを購入したことになる。それから、毎日ずっと聴いている。

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■つい先だって、佐野元春特集号だったから、じつに久しぶりで買った『ミュージックマガジン2月号』の編集後記(高橋修編集長)を読んで驚いた。そこには、こう書かれていたのだ。


個人的に佐野元春は思い出深いアーティストだ。彼を初めて知ったのは、たぶん僕の世代には多いと思うのだが、TBSラジオの深夜放送「林美雄のパックインミュージック」でのことだった。その番組に、「光が当たっていない良い曲」という基準で、パーソナリティの林美雄が独断と偏見でランキング(応援)する「ユア・ヒットしないパレード」というコーナーがあり、」そこで佐野元春の「アンジェリーナ」が執拗にかけられていたのだ。


あ、そうか。ぼくが佐野元春のことを知ったのは、林美雄のパックインミュージックだったんだ。


でも、彼のLPを初めて購入したのは『ビジターズ』だから、1984年。ということは、この年のぼくは既に大学を卒業していて、小児科医になって2〜3年目、北信総合病医院小児科医員だったのかもしれないな。それから、佐野元春のシングル盤『ヤングブラッズ』を買ったのは、何時のことだったろう? ぼくの大好きな曲で、あの頃、カラオケに行けば必ず唄っていたな『ヤングブラッズ』。


あの頃、夜な夜な酔っぱらっては、アパートの大家さんにご迷惑をおかけしていたな。ごめんなさい、大家さん。あの晩も、深夜に大音量で佐野元春の『ヤングブラッズ』をJBLのスピーカーから大音量で流しながら踊っていたのです。ごめんなさい、ほんとうに。


そんなかんなを思い出しながら、先だって年末の「家族忘年会」のカラオケ・ボックスで久々に『ヤングブラッズ』を唄った。中学2年生の長男が言った。「おとうさん、音痴だね。でも、いい曲じゃん!」


で、つい先日、自家用車のHDに録音した『月と専制君主』の3曲目を、後部座席に乗った長男が聴いたんだ。そしたら彼が言った。

「あっ! 知ってるこの曲!」ってね。 うれしかったな。
佐野元春って、ほんとカッコイイんだぜ!


■ところで『月と専制君主』だが、聴き込むほどにジワジワとその良さが増してくる素晴らしいCDだ。こういうのをホンモノの「大人のロック」と言うんだな、きっと。

1曲目、「ジュジュ」。キャッチーなドドンパ・リズム(スティービー・ワンダーの名曲、 Isn't She Lovely のあと乗りリズムね!)佐野のちょっとルーズでくつろいだヴォーカルの感じが何とも心地よい。


3曲目、「ヤングブラッズ」。やっぱりこの曲が聴きたくて、このCDを買ったワケだし、確かに一番聴き応えがあった。54歳になった佐野元春の声量が落ちたこともあるのだろうが、変に力まずに「ふっ」と肩の力を抜いて軽やかに歌っていることに何よりも感動した。しかも、バックのリズムがサンタナみたいなラテン・ロックとでもいうか、『アリゲーター・ブーガルー』で60年代後半に流行したジャズ「ブーガルー」のリズムなのだな。これには驚いたよ。


でも、聴き込むうちに何ともこのリズムが「いまの自分」の心に沁みるのだなぁ。
ゆるいんだけれど、張り詰めた緊張感がある演奏。
付属のメイキングDVDを見ると分かるのだが、スタジオ・ライヴに近いような形で「なま音」にこだわって作られたことがよくわかる。

6曲名、タイトルにもなった「月と専制君主」。このリズムパターンは、80年代半ばに流行した、イギリスのスタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」の感じだな。懐かしくて、とっても心地よい。


8曲目、「日曜の朝の憂鬱」と、9曲目「君がいなければ」。これは双子のような曲だ。「君がいなければ」とか、「ときどき」とか、同じ言葉が頻回に使われている。でも、この2曲を聴いた印象はぜんぜん違うのだ。不思議だなぁ。

「日曜の朝の憂鬱」はアルバム『VISITORS』に収録されていて、LPで何度も聴いた懐かしい曲だ。「君がいなければ」は、今回初めて聴いた。これは本当にいい曲だね。しみじみいい曲だ。

   ときどき、なにも聞こえないふりをしてしまうけれど
   ときどき、なにも知らないふりをしてしまうけれど

   君がいなければ 君がいなければ
   切なさの意味さえ知らずに夢は消えていただろう。

2011年1月15日 (土)

わたしが一番きれいだったとき(その2)

■(前々回のつづき)ところで、「わたしが一番きれいだったとき」は、詩人・茨木のり子が1950年代末に発表した有名な詩だ。ぼくが持っている彼女の詩集は『おんなのことば』(童話屋)と『椅りかからず』(筑摩書房)の2冊だけだが、その中でぼくが一番好きな詩が「わたしが一番きれいだったとき」だ。もちろん、「ばかものよ!」と、茨木のり子さんに叱ってもらいたい時には『自分の感受性くらい』を繰り返し読むが……。


■茨木のり子さんは、1926年大阪に生まれた。一昨年の秋に他界したぼくの母が、1928年(昭和3年)生まれだから、ほとんど同じ世代だ。だからぼくは「この詩」を読むたびに母のことを想う。


ぼくの母は、伊那高等女学校(現・伊那弥生ヶ丘高校)を昭和20年3月27日に卒業している。母はまだ16歳で、昭和19年から学徒動員で名古屋の軍需工場でずっと働かされていた。卒業式は、伊那から卒業証書を抱えてやって来た校長先生を迎えて名古屋の寮の修養室の畳の上で行われたという。その間に東南海大地震が昭和19年12年7日に名古屋を襲い、連日連夜のB29の空襲で学友の飯島さんの命が奪われた。


母は名古屋の軍需工場で「ゼロ戦」を作っていた。


 昭和十九年、サイパン島玉砕の悲しい知らせが本土に届くころ私達四年生にもいよいよ学徒動員命令が下りました。今の高校一年生と同じ年頃だった私達は、まるで出兵兵士のような見送りを受けて何か悲壮な思いで動員の地名古屋へと向かいました。ものすごい暑さの中で二週間の訓練を受けた後、私達270人は、三つの小隊に分かれて、三菱航空機製作所の翼、胴体、総組立の三工場に配属されました。

 ジュラルミンの板に電気ドリルで穴をあけそれにエアハンマーで鋲を打ち込んだり、ドライバー片手に計器の取り付け等々、中々むずかしい仕事でした。中でも翼工場の人達は、方向舵を自分達だけの手で作り、伊那高女報国隊とネーム入りで機体に取り付けられているのを見るのは、他の工場の者には羨ましい限りでした。

今でこそ戦闘機などと聞いただけで身震いする程いやな思いですが、当時の私達は、毎日対岸の飛行場へと舟で運ばれる「零戦」や「爆撃機」を、まのあたりに見て、すっかり感激し、ずい分張りあいのある毎日でした。然し一日一生懸命働いて寮に帰りホッとしたとたん襲ってきたホームシックには、皆々すっかり参ってしまいました。毎晩先生方が夜回りにいらっしゃる頃を見はからっては、寝床の中から一、二の三で声を張りあげて「家へ帰してー」と叫んだこともありました。

『いのちありて 学徒勤労動員の記録 第二集』p186「戦争の中に過ごした女学生時代」北原妙子(加納)より。

■生前の母は、つらい当時のことをそれほど詳しくはぼくに語ってはくれなかったが、ぼくが未だ小学校1年生くらいの時だったか、母が話してくれたことが何故か印象に残っていて忘れられないのだった。

 まだ残暑が厳しい昼休みに、母たちが働く工場に一人の将校がやって来た。
女学生全員を集めて整列させ、その将校は敬礼したあと、悲壮な顔でこう云ったという。

「あなた方が作った零戦が、飛ばないのであります!」


小学性のぼくは大笑いしてしまった。
だってそうでしょう。女学生が作った零戦で、日本は戦争に勝てるわけがないもの。


でも、実際は、母たちが作ったゼロ戦に乗って、学徒動員で志願した優秀な大学生が多数、鹿児島の知覧基地から片道だけの燃料を積んで飛び立って行ったのだった。

ほんとうに、なんていう話だ。いまから、たかだか65年前のことだ。


2011年1月13日 (木)

『妙高の秋』島村利正を読む

『奈良登大路町 妙高の秋』島村利正(講談社文芸文庫)から「焦土」と「妙高の秋」を読む。どちらにも高遠がでてくる。やはり、高遠が舞台となる小説「仙醉島」「庭の千草」「城趾のある町」、それに「奈良登大路町」と読んできたので、まさにその続きのような私小説「妙高の秋」が特にしみじみと心に沁みた。いいなぁ。すごくいい。


島村利正氏は、江戸時代後期の内藤高遠藩で御用商人も務めた、高遠町本町にある老舗の海産物商店の長男として生まれた。明治45年3月25日のことだ。その日、彼の父親は秋葉街道沿いの下伊那郡大鹿村まで集金に行っていて留守だった。


 父は二日がかりの集金から帰ってきて私の出産を知り、女児ばかり三人続いたあとなので、両手をあげて喜んだそうである。そして首からかけていた財布をはずすと、懐中時計も一緒に枕もとへ置いて、これも坊のものだ、これも……と、云いながら、覗きこんだという。(p130)


老舗の商家の長男である。父親は島村氏が小学校を卒業したら、松本か諏訪の問屋へ見習い奉公に出すことに決めていた。家を継ぐ長男には学校はむしろ邪魔だったからだ。父親の期待も相当大きかったのだろう。

でも、長男の島村氏は家を継がずに、奈良の飛鳥園に行ってしまう。


そんな、父親と長男との確執と和解が「妙高の秋」の主題だ。

2011年1月12日 (水)

今月のこの1曲「わたしが一番きれいだったとき」ワサブロー

■まったく偶然に、ワサブローさんという京都出身の男性シャンソン歌手のことを知った。 と云うのも、ワサブローさんが、高遠町出身の作家、島村利正氏のことをぼくが書いたブログを読んでコメントを寄せて下さったからだ。「ここのコメント欄参照」 ワールドミュージック・ファンを自認するぼくだが、シャンソンは素人だ。 レコードで持っているのは、ジョルジュ・ムスタキと、宮崎駿『紅の豚』挿入歌「桜んぼの実る頃」で有名なコラ・ヴォケール、それに大御所エディット・ピアフ。それに、金子由香里ベストのみ。ダミアは持ってない。 そんなもんだから、ぼくは全く「ワサブローさん」のことを知らなかった。 で、どんな歌い手さんなんだろう? と、さっそく YouTube で検索してみた。あったあった。見つかった映像がこれだ。


YouTube: ワサブロー 『私が一番きれいだったとき』


YouTube: ワサブロー 『ヌガ』


YouTube: ドリプラジオ・2010/12/21放送 ワサブロー

2010年12月31日 (金)

今年よく聴いたCDたち

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<A-1> 『さすらい記』 ハンバートハンバート。今年一番よく聴いたCD大賞! ほんとにいいぞ! ちなみに、伊那のTSUTAYA でレンタルできます。<C-1>『シングル・コレクション』もね。


<A-2> 『Central Park East』 森山威男セクステット。どんどん進化してく森山さん、凄い!


<A-3> 『UTAU』 坂本龍一&大貫妙子 これぞ、大人の音楽だな。


<A-4> 『羊毛とおはな LIVE IN LIVING'10』「Mr.アンブレラ」が一番のお気に入り。


以下省略だが、


<B-2><C-2> は、高遠福祉センター「やますそ」で購入したCD。カナダのギタリスト、アントワン・デュフォール。ほんと、驚きのテクニックだった。  


<C-3> <C-4> は、ぼくの大好きなアルトサキソフォン奏者、マリオン・ブラウンのCD。彼は今年亡くなった。合掌。


■今年もあと35分。いろいろあった1年間。お付き合い、ほんとうにありがとうございました。


みなさま、よいお年をお迎えください。   


2010年10月27日 (水)

今月のこの一曲 「陽炎」ハンバートハンバート

■来月10日には、ニューアルバム『さすらい記』が発売になる男女デュオグループ、ハンバートハンバート。もちろん、すでに予約してあるのだが、CDが届くまで、『シングルコレクション 2002-2008』を毎日繰り返し繰り返し聴いているところだ。


YouTube: ハンバートハンバート「シングルコレクション 2002-2008」

いまは「Disc1」を集中的に聴いている。魅力的な曲が多々あるその中でも、最も印象的で不思議と心に引っ掛かってくるのが、15曲目に収録された「陽炎」という曲。ちょっとだけ試聴できます。 この曲には、中上健次かパトリシア・ハイスミスの短編小説のような雰囲気が漂う。さらには、ノワールの匂いを醸すフランス映画(ルイ・マル監督あたりの)でも見ている感じか。 いや、シンプルなメロディを淡々と歌う佐野遊歩のあっけらかんとしたヴォーカルだけをただ聞き流していると、あぁ、ハンバートハンバートの楽曲にはいつ聴いても癒されるんだよなぁなどと、とんでもなくお馬鹿な感想を抱く人もいるかもしれないけど、よーく歌詞を聴いてみると、めちゃくちゃノワールでハイスミスな物語が語られていて、ぼくは身震いしてしまうのだ。 おい、ちょっとヤバくね? 的な展開なのに、何故か不思議と透明でイノセントな気分になる。それはひとえに、佐野遊歩のヴォーカルに「悪人正機」的な救済の力があるからかもしれないな。 そうして、まず頭に浮かんだ映像があった。それは、19世紀のイギリス人画家ジョン・エヴァレット・ミレイの傑作『オフィーリア』だ。 Art03_01_big    それからもう一つ。ビル・エバンス&ジム・ホール『アンダーカレント』のレコード・ジャケット。 この写真を見る この写真を見る この写真は、まさしく『オフィーリア』を水面下から撮ったらこんな感じか?っていう写真に違いない。 ■最後にもう一つ。湖水の水面下に沈む女性の「顔」のイメージが圧倒的な短編小説がある。 『八月の暑さの中で ホラー短編集』金原瑞人編訳(岩波少年文庫)に収録された、「顔」レノックス・ロビンスン だ。 この小説も、イノセントで切なく懐かしい感じがする。オススメです。

2010年9月26日 (日)

新しい iPod Shuffle を買った

■愛用していた第2世代の iPod Shuffle(オレンジ色)だったが、ずっとだましだまし使ってきたけれど、とうとうどうにも動かなくなってしまった。そこで仕方なく買い換えようと思ったのだが、第3世代の iPod Shuffle は、コントローラーが本体になくて、付属のイヤホンのコードに付いているので、今まで使っていた Shure のイヤホンが使えない。

それは面白くないな。と困っていたら「第4世代の iPod Shuffle 」が新発売になった。見ると、コントローラーが再び本体に戻っているではないか! やったぁ。


というワケで、さっそく注文したのだった。

4,800円で、2ギガ。バッテリーも最大15時間駆動と伸びた。しかも、明らかに音が良くなっている。イヤホンが改良されたのか? これなら、SHURE のイヤホンを使わなくてもいいじゃん。なんだ。

これはマジでお買い得だな。

でも、ホント小さくなっちゃって、不器用なぼくの太い親指では、かえって操作しずらいぞ! それから、衣服に挟むクリップが第2世代に比べて開きが小さいので挟みにくい。ぼくはいつもトレーニング・ウエアーの首周りに挟むのだが、すべてセットアップしてから挟もうとするとコントローラーをクリックしちゃってうまくいかない。挟んでからスイッチ・オンしないとダメなんだ。そこが唯一の欠点か。

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■                                         今日の日曜日の夕食は、例の、飯島奈美『LIFE なんでもない日、おめでとう! のごはん』(ほぼ日刊イトイ新聞)82ページの「お休みの日のパパカレー」に再挑戦だ。今回は、オリジナル通りに豚肉をかたまりで500g(肩ロースはなかったので、豚バラの塊)。コレを入れました。豪華です! 

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カレー粉は、前回と同様に「S&B直火釜焙煎深みロースト・カレーフレーク中辛」と「ハウスジャワカレー辛口」のハーフ&ハーフ。タマネギは4個使った。タマネギを炒める時に、ハチミツを大さじ 1/2 入れること、仕上げに、おろし生姜を大さじ1、バターと醤油を小さじ1ずつ入れることがポイント。

待ちきれなくて、90分間ぐつぐつ煮込むところを70分に短縮したので、豚肉がいまひとつ柔らかくならなかったかな。でも、個人的にはすっごくうまくできた、と思うぞ。(何故か、カレーの写真はない。忘れてた)

2010年9月25日 (土)

Here and Now

■「懐かしのフォーク大全集」みたいな番組を、よくNHK BS2 でやってるじゃないですか。南こうせつが司会で。あれが嫌いなんだ。たいてい NHKホールでライブ収録されていて、カメラがステージから客席のアップに切り替わると、団塊世代の方々が気持ちだけ青春時代にタイムスリップしたふうで、「あの頃はよかったなぁ」って顔をみんなしているんだ。60歳前後の初老のおじさん、おばさんがね。

あの顔を見るのがイヤなんだ。格好悪いじゃん。拓郎の嬬恋もそうだし、小田和正のスタジオ・ライブも、ちょっとだけ年齢層は下がるが見た目はほとんど同じだな。まぁ、おいらだって同類のオヤジなのだが……


■ところが、ジェイムス・テイラーやキャロル・キングの最近のライブDVDを見ると、客席のオジサン、オバサンたちがみな、カッコイイのだよ。何なんだろうなぁ、この違い。


■でも、ステージで歌っているフォーク・シンガー(こういう括りでいいのかどうかは分からないが)たちは違うはずだ。自分が過去完了形だとは決して思っていないはず。大晦日の夜に、東京12チャンネルで「懐かしの歌声」のメンバーとして舞台には立ちたくないはずだ。だって、彼らは今日も「いま」&「ここ」で歌い続けているのだから。


例えば、友部正人。彼は若いミュージシャンからずっとリスペクトされてきた。古くは「たま」「ブルー・ハーツ」。彼は常に今の若いリスナーたちからも、依然として発見され続けているのだ。


それから、加川良。彼は今でもギターケース一つ抱えて全国各地の小さな会場を廻って、ほんの少数の観客の前でも歌い続けている。ぼくが観たのは、今から15年くらい前の諏訪大社(上社)前の喫茶店でのライブだったが、ぼくが中坊だったころ、一人で長野まで行って、長野市民会館での「加川良&中川イサト・コンサート」で聴いた歌声(ちょうどLP『やぁ!』のころだな)から、ぜんぜん違った唄い方に進化していてビックリしたものだ。でも、決してがっかりしなかったな。ぼくの記憶にある「昔の加川良」よりも、「今の加川良」のほうが、ずっとずっとカッコイイ! そう思ったから。


それは、北海道で亡くなる3ヵ月前に伊那に来て、「BASE」で たった20人の客の前で唄ってくれた高田渡さんにも感じたことだ。

彼らはみな、「いま・ここ」で唄っているのだよ。


だから逆に、若いのに変に老成して「昔はよかったねぇ」みたいな感じで、まるで過去を同時代で体験してきたみたいな口ぶりで語る人がいるけど、ぼくはこういう人が一番苦手だ。(落語なんかに関する物言いでは、ぼく自身がまさにそんな嫌な奴なわけだが……)

そうじゃないんだ。確かに、例えば、ジェイムス・テイラーはツアーに出ると毎晩「君の友達( You've got a friend )」を唄うことを強いられるという。でも、この曲をこの日初めて聴いて、なんていい曲なんだって気に入った若者がいるかもしれないし、かつてファンだった団塊の世代のおじさん・おばさん達も、40年以上ずっと現役のまま歌い続けてきたジェイムス・テイラーの生き様に感動し、さらにはこの日初めて聴いた「新しい曲」にも心響かせることができる。

シンガーにとっても、観客にとっても、「いま・ここ」である一期一会の「ライブ」体験とは、そういうものさ。


彼らの唄は、フリーズ・ドライされた過去の遺産なんかじゃない。彼らの唄はみな「いま・ここ」なんだよ。もっと、現在進行形で、切実なんだよ。


そんなかんなを、中川五郎さんの唄を聴きながら考えていた。知らなかったのだが、中川五郎さんの最新CDには、ハンバートハンバートの名曲「おかえりなさい」がカバー収録されているそうだ。

2010年9月23日 (木)

中川五郎ライヴ at The 仙醸蔵(高遠ブックフェスティバル)

■先だっての 9月19日(日)は、母の一周忌だった。

午前11時から建福寺本堂で法要をしていただき、その後、みんなでお墓参り。
お昼は、新町の四季亭「もりた」へ。

早いものだ。あれからもう一年が経つのか。

本当は飲まないつもりだったのだが、高遠の兄に「まぁ、付き合え」と言われてビールを注いでもらう。あぁ、うまいな。料理もみな美味かった。なんと、大きな生の松茸もでたよ。〆は稲庭うどんだった。


■この日は「高遠ブックフェスティバル」の2日目で、町中は人にあふれて妙に賑やかだった。息子たちが高遠町図書館へ行きたいと言うので、一休みしたあと、まずは旧北條ストアーで開催されている古書市へ。SF本が妙に充実していて『百億の昼と千億の夜』光瀬龍(ハヤカワ文庫)をオール300円コーナーで見つけ、中2の長男に「お前はこの本を読むべきだ。絶対に気に入るはず」と、勝手に購入。それから『SFの時代』石川喬司(日本推理作家協会受賞作全集36・双葉文庫)も300円で入手。あと、『すぺるむ・さいえんすの冒険 小松左京コレクション』(ボクラノエスエフ 福音館書店 ¥1890 )を500円で購入。この本は本日一番の戦勝品だったかな。


図書館へ行くと、2階への階段を上がったところで「南信こどものとも社」の坂本さんが月刊誌「こどものとも」のバックナンバーを販売していた。フェスティバルの期間中ずっと店番をしてなきゃならないので大変だな。『とうだいのひまわり』『くいしんぼうのあおむしくん』『たいこたたきのパチャリントくん』など7冊購入。フリー・ペーパーのコーナーには、わざわざ遠く屋久島からやって来た人もいたよ。


午後4時からは、図書館2階の和室で書評家・豊崎由美さんが「古今東西の古典名作に関するブックトーク」を行うとのことだったが、すでに予約がいっぱいで聴けなかった。でも、この日の夜7時から仙醸蔵で開催される「中川五郎&良原リエ・ライヴ」を事前にメールで予約が取れていたので、妻と子供らには先に伊那へ帰ってもらってぼくだけ高遠に残り、ライヴ終了後にバスで帰ることにしたのだ。すでにアルコールが入っていたからね。


ところが、日曜祭日のJRバス時刻表を確認したら、伊那市行きの最終便は午後6時発で、その後は1本もない。ええっ! ぼくが高校生だった頃には、夜10時発くらいの便があったじゃん。信じられないな。仕方ないので、高遠の実家に泊めてもらって翌朝妻に迎えに来てもらうことにした。そうなったらまた気が大きくなって、にんべん酒店へ行って缶ビールとワインを仕入れ、ライヴの時間までもう少し兄と飲む。

この日の早朝、成田を出て渋滞の中央道を車でやって来た次兄は、泊まらずに日帰りしなければならず、ビールは飲めず。ごめんなさいね、兄貴。


■夜7時の時間が近づいたので、歩いて仙醸蔵へ。もう40〜50人近い聴衆であふれているんじゃないかとイメージして行ったら、まだ数人しか来ていない。そうか、この時間だと伊那へは帰れないからね。高遠ブックフェスティバルへ1泊2日でやって来た人でも、ホテルが伊那市街地だったらライヴを聴くことは無理なんだな、自家用車かつノン・アルコールでなければ。


しばらくして、辰野町在住のシンガー・ソング・ライターで、豊南女子短大教授でもある三浦久氏が、奥さんといっしょにやって来て、ぼくのテーブルの後ろに座った。バンジョーのチューニングをしていた中川五郎氏は直ぐに三浦氏に気付き、客席に来て歓談。旧知の仲なんだね。三浦氏は、さかんにレナード・コーエンのロンドン・ライヴのCDの話を五郎さんにしている。ぼくのすぐ後ろでね。あ、その「レナード・コーエンのライヴDVD」ぼくも持ってます! 振り返って、よっぽどそう言おうかと思ったが、じっと我慢した。


そうして始まった中川五郎氏のライヴは、本当にすばらしかった。
若いなぁ、五郎さん。それに、昔よりもずっと、唄が上手くなっている。それに、歌声がすごく力強いのだ。

ぼくが生で彼のライヴを聴いたのは、今から30年以上前の都内のとあるカフェで行われた、友部正人とのジョイント・ライヴ以来だと思う。中川五郎さんと言えば「色男、金と力はなかりけり」といった風情で、何となく自信なさそうに、か弱く唄っている印象があったのだが、今回は違った。なんかすっごく説得力と自信にあふれていたのだ。それには、良原リエさんのアコーディオンによる絶妙の伴奏の影響も大きかったかもしれない。

「主婦のブルース」とかは聴いたことあったが、懐かしい名前の、ピート・シーガーとか、ボブ・ディランとかの曲も、この日初めて聴いた。みないい曲じゃないか。

そうこうするうちにライヴも終板となり、聞き覚えのある伴奏が流れ出した。

  あ! 「ミー・アンド・ボビー・マギー」だ! 

 中川五郎さんの唄の中で、ぼくが一番好きな曲だ。


ぼくは知らずといっしょに歌っていたよ。

 「自由っていうのは失うものが、なにもないことさ〜」
 「いい気持ちになるのは かんたんなこと〜」
 「ボビーがブルースを唄えば〜、それだけで俺たちゃご機嫌ん〜」

うれしかったなぁ。今日のこの日、高遠の仙醸蔵にいれて、本当によかった。心からそう思ったよ。


ありがとう! 中川五郎さん。

「ミー・アンド・ボビー・マギー」は YouTube にはなかったので、彼の「もうひとつ」の大好きな曲を紹介しようか。これだ。


YouTube: 中川五郎 その4


「ミー・アンド・ボビー・マギー」のあと唄ってくれたのが、この「ビッグ・スカイ」。
この曲もよかったなぁ。会場は大盛り上がりで、五郎さんはテーブルに上ってギターをかき鳴らし熱唱したよ。
もう、めちゃくちゃパワフルで感動してしまったなぁ。


YouTube: 中川五郎 その3

この話は、もう少し続く予定だが、
中川五郎氏は、自身のブログで「こう」書いているのでご紹介しておこう。あぁ、そうだったのか。知らなかったな。

しばらくはリンクがつながっているんじゃないかと思う。


■前述の三浦久先生のホームページにも「9月19日の日記」に写真入りで当日のライヴの様子がかかれているよ。

(つづく)


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