Here and Now
■「懐かしのフォーク大全集」みたいな番組を、よくNHK BS2 でやってるじゃないですか。南こうせつが司会で。あれが嫌いなんだ。たいてい NHKホールでライブ収録されていて、カメラがステージから客席のアップに切り替わると、団塊世代の方々が気持ちだけ青春時代にタイムスリップしたふうで、「あの頃はよかったなぁ」って顔をみんなしているんだ。60歳前後の初老のおじさん、おばさんがね。
あの顔を見るのがイヤなんだ。格好悪いじゃん。拓郎の嬬恋もそうだし、小田和正のスタジオ・ライブも、ちょっとだけ年齢層は下がるが見た目はほとんど同じだな。まぁ、おいらだって同類のオヤジなのだが……
■ところが、ジェイムス・テイラーやキャロル・キングの最近のライブDVDを見ると、客席のオジサン、オバサンたちがみな、カッコイイのだよ。何なんだろうなぁ、この違い。
■でも、ステージで歌っているフォーク・シンガー(こういう括りでいいのかどうかは分からないが)たちは違うはずだ。自分が過去完了形だとは決して思っていないはず。大晦日の夜に、東京12チャンネルで「懐かしの歌声」のメンバーとして舞台には立ちたくないはずだ。だって、彼らは今日も「いま」&「ここ」で歌い続けているのだから。
例えば、友部正人。彼は若いミュージシャンからずっとリスペクトされてきた。古くは「たま」「ブルー・ハーツ」。彼は常に今の若いリスナーたちからも、依然として発見され続けているのだ。
それから、加川良。彼は今でもギターケース一つ抱えて全国各地の小さな会場を廻って、ほんの少数の観客の前でも歌い続けている。ぼくが観たのは、今から15年くらい前の諏訪大社(上社)前の喫茶店でのライブだったが、ぼくが中坊だったころ、一人で長野まで行って、長野市民会館での「加川良&中川イサト・コンサート」で聴いた歌声(ちょうどLP『やぁ!』のころだな)から、ぜんぜん違った唄い方に進化していてビックリしたものだ。でも、決してがっかりしなかったな。ぼくの記憶にある「昔の加川良」よりも、「今の加川良」のほうが、ずっとずっとカッコイイ! そう思ったから。
それは、北海道で亡くなる3ヵ月前に伊那に来て、「BASE」で たった20人の客の前で唄ってくれた高田渡さんにも感じたことだ。
彼らはみな、「いま・ここ」で唄っているのだよ。
だから逆に、若いのに変に老成して「昔はよかったねぇ」みたいな感じで、まるで過去を同時代で体験してきたみたいな口ぶりで語る人がいるけど、ぼくはこういう人が一番苦手だ。(落語なんかに関する物言いでは、ぼく自身がまさにそんな嫌な奴なわけだが……)
そうじゃないんだ。確かに、例えば、ジェイムス・テイラーはツアーに出ると毎晩「君の友達( You've got a friend )」を唄うことを強いられるという。でも、この曲をこの日初めて聴いて、なんていい曲なんだって気に入った若者がいるかもしれないし、かつてファンだった団塊の世代のおじさん・おばさん達も、40年以上ずっと現役のまま歌い続けてきたジェイムス・テイラーの生き様に感動し、さらにはこの日初めて聴いた「新しい曲」にも心響かせることができる。
シンガーにとっても、観客にとっても、「いま・ここ」である一期一会の「ライブ」体験とは、そういうものさ。
彼らの唄は、フリーズ・ドライされた過去の遺産なんかじゃない。彼らの唄はみな「いま・ここ」なんだよ。もっと、現在進行形で、切実なんだよ。
そんなかんなを、中川五郎さんの唄を聴きながら考えていた。知らなかったのだが、中川五郎さんの最新CDには、ハンバートハンバートの名曲「おかえりなさい」がカバー収録されているそうだ。
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