ゴーイングマイホーム(第5話、第6話、第7話)ツイートのまとめ
【第6話】
【第5話に関して】
【第6話】
【第5話に関して】
黄金カルテット絶頂期の1964年頃には、アラン・グランドが司会する『ポートレイツ・イン・ジャズ』というWABC-FM(95.5MHz)のラジオ番組があり、毎週金曜日、ここ『ハーフノート』から生中継され、時代の音楽を流し続け好評を博した。スティーリー・ダンのキーボーディスト、ドナルド・フェィゲンもこの『ハーフノート』のコルトレーンのライヴとラジオの生中継をよく覚えている人物の一人だ。
「狭いカウンターの上にコルトレーンとドラムのエルビンが差し向かいで対峙して、阿吽の呼吸から丁々発止のアドリブの応酬だ。ホントに凄かったなあ。」
1965年3月26日には通称 ”ペダル・ブレイキングの曲”と呼ばれる『ワン・ダウン・ワン・アップ』が放送された。それは、エルヴィンが勢い余ってバスドラをキックしすぎ、ペダルを壊してしまった時の演奏である。その間ラジオは、バスドラムの音が聴こえないままコルトレーンとの応酬が進行してゆく様を生中継していたので、その名が付いた。エルヴィンのキック力は桁外れで、そのため彼のドラムセットの横にはつねに予備のペダルが二組も置かれていた。(p139)
『コルトレーン』藤岡靖洋(岩波新書)より。
■怒濤の「保育園、秋の内科健診月間」が、ようやく終わった。やれやれ。
どの保育園でも、健診の後に絵本を読ませてもらってくるのだが、今季は『しろくまのパンツ』ツペラツペラ(ブロンズ新社)『きょうのごはん』加藤休ミ(偕成社)の2冊を集中的に読んでみた。
年齢によって、保育園によって、それぞれもっと反応が違ってくるかなって予想してたんだけれど、そうでもなかったかな。こどもって、面白いね!
こうして、たくさんの子供たちの前で絵本を読ませてもらえる贅沢。ほんとありがたいねぇ。(以下、過去のツイートから抜粋。少しだけ改変あり)
昨日、可笑しかったのは、おじいちゃんのお祝いのお寿司の見開きページを見た1人の男の子。「その赤いの、赤いの好き!」って大きな声で言った。ぼくは「この鉄火巻きかい?」て指差したが違う。イクラ? 違う。マグロ? 違う。「えぇ〜、じゃどれ?」ってその子の目の前で絵本を広げたら、
■それにしても「ラーメンサラダ」なる食べ物が北海道にあるとは知らなんだ。いや、フジTV、火曜日よる10時『ゴーイングマイホーム』(第6話)のはなし。
宮崎あおいが、彼女と息子が暮らす町営住宅で阿部寛にご馳走するのが、この「ラーメンサラダ」。とにかく、このドラマに登場する料理は、どれもこれも旨そうで見ていて堪らなくなるな。
それもそのはず、山口智子が演じる、売れっ子「フードスタイリスト」のモデルになっているのが、実はこの飯島奈美さんで、彼女自身が「このドラマ」のフードスタイリストなのだった。そう、あのフィンランド・オールロケの映画『かもめ食堂』や『南極料理人』の料理を手がけた人ね。
イトイさんの「ほぼ日」で、初めて彼女のレシピが載ったのは、たしか「おとうさんの、ナポリタン」だったよな。これ、自分で作ってみたんだ。そしたらね、本当に美味しかったんだよ。たまげたね。
以来すっかり飯島さんのファンで、本もこのとおり4冊ある。
第6話で、確か山口智子が「焼きみそ」とか何とか言ってたような気がしたが、もしかして 10月24日の午後、伊那市上牧の「天竜みそ」でロケしていた話につながるのかな?
当日、我が家の長男がそのロケ情報を仕入れてきて、夕方上牧の「元・セブンイレブン」まで行ったのだけれど、すでにロケ隊は撤収したあとだったとのこと。残念。
■ところで、このドラマの「ロケハン」をコーディネートしたのが、「伊那谷フイルムコミッション」と「諏訪圏フィルムコミッション」だ。
伊那・高遠・辰野だけでなく、諏訪・富士見でも重要なシーンがたくさん撮影されていて、そのロケ地に関しては「富士見高原ペンション・ラクーン」さんの報告が詳しいです。
ぼくも富士見には3年間住んでいたけれど、「稗の底(稗之底)自然探索路 東出口湧水地」は知らなかったなぁ。すぐ近くまでは何度も行ってるのにね。
■今週火曜日の『ゴーイングマイホーム』(第4話)は、面白かったなぁ。
■8月お盆過ぎの一時期と、10月22日から今日11月4日までの2週間、当地(伊那・高遠・辰野・諏訪・富士見)で長期ロケが行われた、関西テレビ制作テレビドラマ『ゴーイング マイ ホーム』が、とにかく面白い。
主演の阿部寛は、映画『テルマエ・ロマエ』を見た時にも思ったけど、真面目な顔してすっとぼけたコメディを演じさせると、ほんと可笑しい。
■初回オンエアーを見ながら、「これって、もしかして是枝裕和監督による『東京物語』なんじゃないか?」って思った。
YOUは、そのまんま「杉村春子」だし、長男役の阿部寛は「山村聰」。その妻、山口智子は「三宅邦子」で、吉行和子は「東山千枝子」。夏八木勲が「笠智衆」だから、ここは『東京物語』と夫婦で役割が逆転している。西田敏行は、そうだなあ「佐分利信」か「東野英治郎」。
そうすると、もちろん宮崎あおいは「原節子」っていう訳だな。
映画では「中村伸郎」が演じた髪結の亭主役を、大泉洋が所属する演劇集団 TEAM NACS のメンバー安田顕(ヤスケン。昔は『水曜どうでしょう』でしか見たことなかったが、最近はピンでNHKを始めいろんなドラマに出ているねぇ)がやっていて、これまた「そんまんま」のいい味だしていて笑ってしまった。
買い物行ってレジ袋から歯ブラシが出てきたり、奥さんのYOUをベッドの上で丁寧にマッサージしたり、妻の実家で庭の水まいてたり。それから、倒れた義父が社長を務める会社の本社に出向いて「マツケンいるかな?」と本気で期待したり。なんか、そこはかとなく可笑しいのだ。第2話、第3話には登場しなかったのが淋しいぞ。今週の第4話に期待。
あと、阿部寛と彼の娘(蒔田彩珠ちゃん)が朝食をキッチンテーブルで食べずに、なぜかリビングのソファーに座って低いテーブルに並べたおかずを食べているのが妙で「あれっ?」と思ったのだが、じつはキッチンテーブルは「妻:山口智子の仕事場」であることが次のシーンで明かされる。
山口智子は売れっ子の「フードスタイリスト」で、今朝作った娘のお弁当も大切な商売道具の「作品」だったんだね。で、出来上がりをテーブルに載せて写真を撮る。
カメラは、山口智子のオシャレなエプロンを撮すようなふりをして、大胆にも山口智子の「大きなおしり」を正面から捕らえる。これって、小津安二郎が得意とした画面構成じゃん。女優の「おしり」を平気で映すのって。ちなみに、YOUの「おしり」もやっぱり撮している。
■このドラマ、すでに3話までオンエア済みだ。「ロンバケ」の山口智子と「篤姫」宮崎あおい共演なのに、視聴率は芳しくないらしい。ちなみに視聴率って、録画しておいて後から見る人も数に入ってるんだろうか?
それから、初回「2時間スペシャル」ってのが正直失敗だったな。
次の週にサッカー「日本 × ブラジル戦」生中継が入ってしまったために、こういう無理な編成になってしまったのだ。本来なら、第一話の最後で宮崎あおいが登場して、彼女は誰? って謎を残して次週の第二話をお楽しみに!っていう脚本だったんじゃないかな。
いま、録画しておいた初回『ゴーイング マイ ホーム』を見直しているところだが、前回見て気が付かなかったセリフやカットが、第二話、第三話を見てから初めて気が付く「伏線」になっていて、このドラマは録画で何度見ても、その度に新たな発見がある、まるで噛めば噛むほど味わいが増すスルメみたいなドラマだ。
その点でも小津安二郎の映画に似ている。
■ところで、このドラマは「ちょい役」でありながら毎回短時間だけ画面に登場し、主役を食う曲者の役者がいっぱい登場していて、そこも楽しみ。
富士見町「信濃境」駅前でいつも待っているタクシー運転手の阿部サダヲ。CMプロダクションの後輩、新井浩文。長野日報記者役の中村靖日と、JTのCMでタバコ吸ってる、巡査役の山中崇。あと、町立辰野病院の病棟看護婦役の「野田と申します」の人、江口のりこさん。それから、同じマンションに住むバカリズム。あの、バス停のシーンは好きだな。
長身の阿部寛の横に小柄なバカリズム。彼らの頭の先端を結んだ線の先に子供がいる。見事な幾何学的相似形だ。
■先だって、つい最近フォローした中村靖日さんのツイートを読んでたら、10月31日にこんなツイートがあった。
↓才能あるキムチを撮影中の新井浩文くん。と、山中崇くんの『松ヶ根』兄弟と呑んでるよー。殺されんように気をつけんと。pic.twitter.com/lsNZSn28
この元ツイートは、新井浩文さんで、これです。
https://twitter.com/araihirofumi/status/263585956823699457
■今日は、午前10時半から上伊那郡箕輪町「木下北保育園」で伊那のパパズ絵本ライヴ。
木下北保育園の園庭南端には、宮崎アニメ『となりのトトロ』に登場する、あの巨木そっくりの「木下のケヤキ」がある。樹齢1000年。それはそれは見事だ。この日は保育園の参観日。おとうさんがいっぱい来てくれたよ。
<本日のメニュー>
1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→ 伊東
3)『しろくまのパンツ』tupera tupera(ブロンズ新社)→ 北原
4)『かごからとびだした』(アリス館)→ 全員の手あそび歌
■土岐麻子『CASSETTEFUL DAYS』のCDを買った。
■ところで、河出文庫版『かめくん』は、徳間デュアル文庫版『かめくん』とは「全く同じ」ではない。ただ、
この宇宙のすべては、たったふたつの要素に分けることができる すなわち、甲羅の内と外。カメというものは、自らの甲羅のなかから外界を見るように出来ている。そうすることによって、自らの甲羅のなかに外界のモデルを構築する。それをもとにして、カメは世界を認識するのだ。つまり、甲羅の内部に形成された外界のモデルを操作することによってそれを推論し、そして行動を起こす。行動することによって得られた情報によって、甲羅のなかに作られた世界のモデルは更新される。そして、さらにそれを操作することで推論する。だから、じつはカメが外側だと感じているのは、自分の甲羅の内側に作られた外側の模型でしかないのではないか。かめくんは考える。
そういう意味で、カメというものは所詮、自分の甲羅から出ることが 出来ないものなのでは ----- 。(p255〜p256)
かめくんはかめくんである。かめくんはかめくんでしかない。だが、それと同時に、まちがいなくかめくんは、北野勇作自身でもあり、わたしたちのことでもあるのだ。
『かめくん』に描かれている、のほほんとした日常のようで、その実、殺伐としていたり酷薄であったりする世界、安穏としているようでいて、じつはただ生きてゆくだけでも、とても大変だったりしんどかったりする世界は、まちがいなく、われわれが生きる、この世界のことでもある。
『かめくん』が少しかなしいのは、「かめくんはかめくんでしかない」ことを、かめくん自身がよくわかっていて、そしてそれを受け入れているからだが、そのかなしみ、そのはかなさは、かめくんだけのものではない。
北野勇作の描く世界は、どれもこれも不思議ななつかしさに満ちているが、それはいわゆるレトロ・フューチャー的道具立てによるものというものというよりも、そこがいつもどこか、今ここ、に似ているからに他ならない。このような感じは『かめくん』以降の作品群において、着実に、より深められていって、現時点での最新作である、あのすこぶる感動的な「きつねのつき」へと至ることになるだろう。(p291〜292)
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