『物語論 17人の創作者が語る物語が紡がれていく過程』木村俊介(講談社現代新書)に載っていた「是枝裕和」インタビュー
■先だって、買ってきたまま「積ん読」だった『この本』が僕を呼んだのだ。たぶん、そうに違いない。廊下に積み上げられた本の山の底のあたりで、ちょっとだけ背表紙が飛び出して自己主張していたんだ。
■先だって、買ってきたまま「積ん読」だった『この本』が僕を呼んだのだ。たぶん、そうに違いない。廊下に積み上げられた本の山の底のあたりで、ちょっとだけ背表紙が飛び出して自己主張していたんだ。
■ゴールデンボンバー特集の『クイック・ジャパン』最新号に、是枝裕和監督初の連続テレビドラマ『ゴーイングマイホーム』に関するインタビュー記事が載っていると、ツイッターで知って、早速「いなっせ」1F「BOOKS ニシザワ」に行って立ち読みしてきた。いや、ももクロには興味があるけど、ゴールデンボンバーはね、ちょっと。だからごめん、立ち読みで済ませたんだ。(追記:でも正確を期すべく、結局もう一度行って買ってきたのだ)
◆『ゴーイング マイ ホーム』最終回直前 是枝裕和(監督・脚本)インタビュー <テレビを支配する「わかりやすさ」への回答>
面白かったのは、このドラマに関する批判として「テレビドラマに映画的手法を持ち込んだ勘違い」という、ほんとよくある切り口を、「うん、そう言ってる人は映画のこともテレビのこともよくわかっていないと思いますけど(笑)。」と、あっさり一蹴していることだ。爽快ですらある。
カンヌ映画祭で賞を取った日本の有名映画監督が、ちょっとテレビで「連続ドラマ」撮ってみたけれどみごと惨敗。的レベルでの批判は、ほんと底が浅い。
そういうことを言う人たちは、是枝さんのことをほとんど全くなんにも理解していないんだと思った。是枝さんは元々が「テレビの人」で、映画を撮るようになったのは後の話だ。
■なんて偉そうなこと言ったぼくも、実は『幻の光』も『歩いても歩いても』も『空気少女』も見ていないのだが。
【ポイント】は……
1)企画、脚本、演出、編集をすべて是枝監督一人でやったこと。
ふつう、テレビの連ドラは脚本家は一人だが、演出家は別に複数いて、例えば、NHK朝の連続テレビ小説の場合、週ごとに変わる。是枝監督は言う。
「今の連ドラってシステムとしては完全に確立されちゃってるじゃないですか。もちろん中には面白い作品もありますけど、『これが連ドラだよ』っていうものの捉え方が、作ってる側も観てる側も固まっていて、とても窮屈になってるように見える。
だから、こうやって脚本と演出を一人が兼ねて全話やるというかたちでも連ドラが成立するんだって思ってもらえたら。テレビの捉え方が広がるんじゃないかなって。それは、テレビドラマで育ってきた自分にとって、チャレンジし甲斐があることだと思ったんですよね。」
2)テレビの分かりやすさについての疑問
「そういうことはドラマに関わらず、テレビでドキュメンタリーを作っていた25年前から、ずっと言われ続けてきたことなんですよ。『どうせテレビなんてみんなちゃんと観てないんだから、集中して観てなくてもわかるように作らなきゃダメだ』とか『番組の中で同じことを三回言え』とか。局のプロデューサーの中には、本当に平気で『視聴者はバカだから』って言う人がいるから。
どうして自分の関わっているメディアなのに、そのお客さんを軽蔑しながら作るんだろうと、そこにはずっと違和感があった。
今回、なるべくセリフの主語や固有名詞を省いていて、『あれ』や『これ』で済ませているんです。日常生活では、『お砂糖取って』じゃなくて『それ取って』っていうでしょ。そういう演出がもし暴力的に映るとしたら、それはむしろ、もう一方の『わかりやすくわかりやすく』っていうテレビの暴力性こそむしろ浮き彫りにしているだけだと思います。」
「うん。だから、今回はそれを全部出そうと思った。テンポがゆったりしているとも言われるけど、全然そんなつもりはないんだよね。確かに表面だけ観ていたらストーリーは『ゆるい』かもしれないけれど、言葉にならない感情だったり表情だったりを画面からすくい取ろうとしている人にとって、この作品って相当な情報量が入ってる作品だと思うよ。
それをすくい取ろうとしている人にとっては一話があっという間に終わるし、そうじゃない人はテンポが遅く感じる。」
3)3.11. 以後のドラマ作りについて
「企画自体がスタートしたのは3年前なんですけど、明確にそういうテーマへと向かっていく話にしようと思ったのは、やっぱり震災があってからですね。放射能という『目に見えないもの』もどこかでそのテーマと繋がっていったし、自分達がこれまで送ってきた生活の方向性とは違うものを一方に置いて、それを意識し始める人達の話にしようって思いも生まれてきた。
それは、同じような経験が自分の中にも大きくあったからで、そこを前面に押し出そうとは思ってなかったけれど、今のほとんどのテレビドラマがあたかも震災などなかったかのようにドラマを作り続けている状況は、やっぱり恥ずかしいことだと僕は思うから。ドキュメンタリーであれだけやってるのに、なぜドラマだけが震災の前と後とで変わらないのかっていうのは、考えるべきことだと思うんですよ。」
4)偶然テレビを見ていて、もの凄いものを見てしまったという「出会いの経験」を視聴者にしてほしかった。
「ただ、映画と違ってテレビってシステムとして偶発性を孕んでいるじゃないですか。映画の場合、観客が劇場に観に行くのは、面白そうだと思った作品だけですけど、テレビの場合は人々の日常の中で、突然始まったり、突然終わったりするものだから。
人が意図しないで出会ってしまうというチャンスがテレビにはあるから。そこが一番面白いと思うし、そんな出会いをこのドラマでしてくれた人が、今まで自分達が観てきたものだけがドラマじゃないんだなって思ってくれて、何か違うものに手を伸ばしてもらうきっかけになればいいと思ってます。」
「自分が10代の時、NHKで佐々木昭一郎(当時NHK所属、現在テレビマンユニオン所属の演出家)さんの『四季・ユートピアノ』という作品が放映されたんですね。音楽を主題にした、一般の人が出てくるドキュメンタリーともドラマとも呼べないような作品なんですけど、それをたまたま観た時に『これはなんだ!』ってすごく衝撃を受けたんです。
映画だと日常があって、劇場という非日常があって、また日常に戻るわけですけど、テレビって日常の中で突然、そういった異なる時間、異なる体験が訪れることがある。
自分の作品を佐々木さんと比べるのはおこがましいですけど、その時、これは作り手が自分の本当に観たいものを作っているんだってことが圧倒的な説得力で伝わってきたんです。僕は、今のテレビにもそういうものがあってもいいと思うんです。」(『クイック・ジャパン vol.105』太田出版 p177〜p182 より抜粋)
■ゴンチチの「サントラ」を iTunes Store で購入した。槇原敬之「四葉のクローバー」もいっしょにダウンロードして最初と最後に入れ、CDに焼いて診療中にずっと流しているのだ。聞いていて、なんとも優しい気持ちになれる。
■ゴンチチの『ゴーイングマイホーム』サウンドトラックが、iTunes で発売になった。でも、2,000円かぁ。曲数は多いのだが、収録時間は短いんだよなぁ。だから、試聴だけでも大方聴けてしまったりするのだ。
■「上伊那医師会報」12月号に書いた原稿です。
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第14回上伊那医師会まつり
「亀工房」ハンマー・ダルシマー&アコースティック・ギター コンサート
旦那さんの前澤勝典さんは、知る人ぞ知るフィンガーピッキング・ギターの名手で、押尾コータローとは古くからの友人。さらには、日本爬虫両生類学会に所属する亀専門家でもあり、先達て亡くなった千石先生(TBS『どうぶつ奇想天外!』でエリマキトカゲを初めて紹介した人)は亀友だちで、全国各地を演奏旅行する合間に、その地域の亀の生息状況を実際に小川に入って調査したりしているそうです。もちろん高遠の自宅でも亀をたくさん飼っていて、だから「亀工房」なんですね。
奥さんの朱美さんは、大学1年生の長女から高遠第一保育園年長組に通う次男まで「6人」の子供たちを産み育ててきました。ちょっと紀子さまに似た佇まいと話し方をする上品な雰囲気の女性で、演奏の合間の旦那さんとの掛け合いトークでも、半テンポずれた天然ボケの感じが、自然とその場の空気を微笑ましく和ましてくれるのでした。
でも、ひとたび演奏に入ると、その集中力たるや相当なもので、あの小さな箱に弦がいっぱい張り巡らされた「ハンマー・ダルシマー」という厄介な楽器を、1音1音決してミスタッチすることなく完璧なバチさばきで演奏するのです。しかもこの楽器、小さなバチの裏表で音色がぜんぜん違ってくるし、弦の横に張られたテープによって、わざと弦が響かない設定にも出来たりと、なかなかに小技を効かせてくれるので驚きです。
後半は、童謡「あんたがたどこさ 〜 小さい秋みつけた」に、アイルランド民謡を続けて3曲「バディ・オブライエンズ 〜 スカッター・ザ・マッド 〜 あと曲名不明の1曲」。そして、沖縄の童謡「じんじん」。アップテンポのマイナー調の曲で、聴いていて気分が自然と高揚してきて会場からは大きな手拍子が起こりました。その興奮も覚めやらぬ間にラストは、野口雨情の「しゃぼんだま」。わが娘を喪った時に書かれた、実際は悲しい曲なんだけれど、明日への希望を感じさせる明るい曲調に彼らは仕上げていました。
■特にどうってことない回なんだが、何故か気に入って録画を繰り返し見ている。深夜、みなが寝静まってからリビングの照明を落とし、ワインでもちびちびやりながら一人『ゴーイングマイホーム』第9話を見る。
最高に贅沢な時間だ。もう4回は見たな。
■ゴンチチがマッキーのテーマ曲をインストロメンタルで弾くのは今夜が初めてなんじゃないか?『ゴーイングマイホーム』。
■今朝は雪も舞って、風ビュービューで寒かったなぁ。こんな冬空に集まってくれる人なんているのかなって、ちょっと心配になった今日の「南箕輪村図書館」でのパパズ。でも、ありがたいことに会場はこどもたちでいっぱいだ。お父さんの姿もたくさん!
ありがとうございました。
【今日のメニュー】
1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)
2)『いま、なんさい?』ひがし ちから(BL出版) → 伊東
3)『ぼうしとったら』tupera tupera・作(学研)→ 北原
4)『かごからとびだした』(アリス館)
5)『ねえ どっちがすき?』安江リエ、降矢なな(福音館書店)→坂本
■『ゴーイングマイホーム』(第8話)に関してのツイート。
いやぁ、号泣しながら笑ってしまったよ『ゴーイングマイホーム』。番組ラストの西田敏行と宮崎あおい父娘のやり取り。それから、常田富士男が、亡き妻の石膏で象られた上顎歯形を愛おしそうに指で優しく撫でるシーンにも泣いた。でも今回は何と言っても宮崎あおいだな。高遠町役場屋上で掌を太陽にかざす顔のアップとか。
続き)つれない元夫との別れ際に、さっと振り返って「横向きアップ」になった時の涙腺決壊寸前で魅せる眼力の強さ。しみじみすっごい女優だなぁ。
ところで、加瀬亮が働く牛舎。てっきり富士見町あたりで撮影されたとばかり思っていたのだが、なんと高遠なのか。高遠町下山田にある竹内牧場とのことです。
■ぼくが初めて見た、是枝裕和監督の映画は『ワンダフルライフ』だった。映画館で見た記憶がないから、レンタルビデオで見たのか? どうして借りて見ようって思ったのか、まったく記憶にない。
でも、圧倒されたのだ。この映画に。どこか都内の取り壊しが近い古いコンクリート造りの研究施設が舞台だった。季節は冬。ちょうど今朝のように、宮沢賢治の『永訣の朝』みたいな「みぞれ混じりの雪」が施設屋上に積もっていたように思う。
いまで言えば「北野ブルー」の冷たい冬の色調で統一された静かな画面。
たったいま死んだばかりの人たちが「この施設」に集まってくる。施設職員は、彼らから1週間かけて「生前の一番大切な思い出」を聞き出し、最終日にその場面を再現して「記念写真」を撮るのだ。
今にして思えば、是枝監督が追い求めてきたテーマは一貫しているのだね。つまりは、「死者に対する敬意」だ。だからこそ、あの 3.11. を経験して、テレビドラマ『ゴーングマイホーム』が作られたに違いない。
「クーナ」は、生者が忘れられない「愛しい死者」に引き合わせてくれる存在なのだから。
■つい最近、このTVドラマとは全く関係なく、映画『ワンダフルライフ』の1シーンが鮮明に甦った。ちょうど、本を読んでいたんだ。『なんらかの事情』岸本佐知子(筑摩書房)p42 『上映』だ。
死ぬ間際には、それまでの人生の思い出が走馬灯のように目の前に立ち現れるとよく言われる。
その走馬灯の準備を、そろそろしておいたほうがいいのではないかと最近思うようになった。
死ぬ時はたぶん苦しい。どこかが痛いかもしれないし呼吸もできないかもしれない。血とか内臓とかが出ていたりするかもしれない。だったらせめて目の前で上映されるシーンくらいは、楽しいものや愉快なもの、ドラマチックなものだけで構成されていてほしい。そのほうが気がまぎれるし、いい人生だったなあと思いながら死ぬことができようというものだ。
岸本エッセイでは、いつものようにこの後どんどん脱線してゆき、とんでもない着地点に降り立つことになるのだが、それはまた別のはなし。
■その次に見た是枝作品は『誰も知らない』。これは「伊那旭座」で見た。休診にしている水曜日の午後だった(2004年12月16日、18日の日記参照)
この映画も沁みたなぁ。育児放棄の YOUに無性に腹が立ち、長男として必死に妹弟たちを守ろうとする設楽君に涙した。
■つい先だって、風邪で受診した元気のいい男の子が言った。「おいさん! こないだ、沢保育園に来てくれた人だよね?」
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