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2011年9月

2011年9月29日 (木)

NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』いよいよ最終週(その2)

■ただちょっと残念なのは、9月に入って、NHK朝ドラ『おひさま』の進行テンポが一気に減速した感があること。それから、ドラマの緊迫感(つまりは「リアリティ」ということ)が欠如し、やたらと間延びさせているような印象だ。


それは、最終週だというのに今週も当てはまる。


なんか、出演者のみなさん、言い残したことはありませんか?篇 みたい。
今日なんか、串田和美氏が一世一代の長台詞を初めてしゃべったぞ!
白川由実も久々に登場したし。

噂では、最終回に年とった「満島ひかり」役で、黒柳徹子が登場するらしい。ちなみに、年取った「真智子さん」は司葉子が演じるそうだ。


■このドラマ『おひさま』の魅力を、タイミングよく亀和田武氏が『週刊文春 9月29日号』103ページで文章化してくれている。なるほどなぁ、まさにそういうことなんだ。「ファンタジィ」なのだから「リアリティ」をドラマに求めること自体がそもそも間違いなのか。(以下引用)


 最終回まで、もう残りは僅か。朝の連続テレビ小説『おひさま』を欠かさず観る生活はまだ続いている。

 こんなことってあるんだなあ。NHKの朝ドラ的世界からもっとも遠い男が、半年もの時間、たっぷりドラマに浸ることができた。


 ヒロイン陽子(井上真央)の存在が、もちろんドラマの核だ。でも同じくらい観ていてうれしいのは、その周囲に集う人間までが、彼女と触れ合うことによって、幸福そうになっていくことだ。(中略)


 ドラマを貫く太い芯は、女学校時代からの親友、育子(満島ひかり)、真智子(マイコ)との変わらぬ友情だ。
 戦火に焼かれ、心に秘めた恋人を戦争で喪っても、彼女たちは自分の力と、陽子の優しさによって、はい上がってくる。


 半年の放送を振り返って思う。ああ、これは今の日本に住む者にとってのファンタジィなのだな、と。戦争の時代に、大切なものを奪われながらも、無垢な明るさと、強い生命力を持った ”おひさま” のようなヒロインがいたおかげで、みんな笑顔を絶やさずにいられた土地が、信州の一隅に奇跡的にあった。そんな日本人の切ない願望が込められていたから、多くの人が観つづけたのではないか。


 男たちは、誰もが控えめで誠実だ。陽子の夫、和成(高良健吾)は優しく家族を支え、野心も持たず、妙な自己主張もしない。黙って、魅力的な女性たちに接する男たちの姿は、静かな感動を誘う。(中略)


 脚本の岡田恵和は、しかし苦いテイストも一滴たらす。陽子の初恋の人、川原は、満州で妻に死なれ帰国した。酒に酔った彼は、幸福な人びとに叫ぶ。

「この国の連中は…… 忘れ過ぎだよ。あの戦争はすっかりなかったことになっているのか!」と川原は吠える。「俺は嫌だね、そんなの。たとえ日本中が忘れて幸せになっても、この気持ちのまま生きつづけて、この気持ちのまま死んでいく」


 こんな偏屈な男を登場させたことで、ドラマに深みが生まれた。十代半ばに、世間に対して覚えた違和を、いまもどこかに抱えて生きる私にも、ぐさり突き刺さった。

■団塊世代の亀和田さんは、ラストのセンテンスにほろ苦い気持ちを託したのだろうな。

2011年9月28日 (水)

NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』いよいよ最終週

■2011年9月も、あっという間に最終週を迎えた。


と言うことは、NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』も今週土曜日で最終回なのだな。


ぼくは基本的に、アバウトな構成を勢いだけで半年間突っ走る感じの、NHK大阪制作の朝ドラ(『ちりとてちん』『てっぱん』『ふたりっ子』『てるてる家族』など)が好きなのだが、この春は珍しく東京局制作の『おひさま』をずっと見てきた。


長野県松本市と安曇野市が舞台だったからね、それが見始めた動機。
だから、長野県での『おひさま』視聴率は平均して30%近くもあったのだそうだ。


ところが驚くべきことに、そんな信州以上に、福島県をはじめとする東北6県での『おひさま』視聴率が高いのだという。連日30%以上。その理由が「ここ」に載っているが、本当だろうか?


ぼくは案外「こんなところ」にその理由があるような気がする。


でも、何なんだろうなぁ。このドラマの魅力とは?


ヒロイン陽子の「おひさま」に照らされる周りの人々がみな、幸せになってゆくってことなんだろうなぁ。見ているぼくらも、その「おすそわけ」を毎日もらって、朝から何となくのほほんと幸せな気分になって、日々なんとか生きて来れたように思う。特にドラマ後半は、ほとんど東日本大震災とシンクロしていったから、福島県をはじめとする東北・北関東の人々は、ほとんど「我が身」のごとく「このドラマ」を見入ったのではないか。


このドラマには「悪人」が一人も登場しない。みんな「いい人」。


そのあたりの設定に、例えば名古屋の大矢さんなんかはすっごく違和感、嫌悪感を感じるらしいのだが、それはね、このドラマを最初からちゃんと見てないからです。違うんです。


悪人は何人も登場した。特に憎らしかったのが「ピエール瀧」演じる軍事教練担当の代用教員だ。これでもか、これでもかとヒロイン陽子をいじめまくったのだよ。それでも、ピエール瀧は最後の出演場面で「いい人」として散華してゆくのだ。この回の放送はもう、ボロボロ泣いてしまったよ。


あとは、そうだなぁ。平泉成。陽子の親友「真知子」の父親で、安曇野の帝王と言われた成金趣味の男。ところが、彼にも人には言えない苦労に満ちた人間ドラマがあったのだ。ぼくは「かあさん。星がきれいだなぁ!」そう、思わずしゃがれ声で声色をものまねしてしまうのだった。


それから、陽子の父親役の寺脇康文がとってもよかった。背筋をしゃんと伸ばして、いっつも正坐。とにかく姿勢がいい。それでいて、情けない「オヤジギャグ」を毎回かましてくれる。あはは! ほんと愛すべきキャラクターだ。


その、寺脇康文が毎夜松本の映画館に通って、とある映画を見続けたのだという。若くして亡くなった妻(原田知世)にそっくりな女優が出ていたからだ。


あれ? どこかで見たシーンだぞ。あ、そうだ。ビクトル・エリセ監督作品『エル・スール』じゃないか。スペイン北部に住む、一人の少女の物語だ。彼女の父親は、スペイン内戦の時はアンダルシアにいて人民戦線軍だった。この時彼は一人の女優と実らぬ恋に落ちた。今は北部地方で妻と一人娘と暮らす。そんな父が毎夜町に行き1本の映画を見ている。主演はあの女優だ。謎に満ちた父親の行動の真意を理解すべく少女は南(スール)へと旅立つ。(つづく)

2011年9月25日 (日)

NHK朝ドラ『おひさま』に登場する男集みたいに女性をたてる、ドン・ロスの「いなっせ」ライヴ

■主催者の前澤さんには、ほんとうに申し訳ないのだけれど、今年の「ドン・ロス、ジャパン・ツアー2011」Live at the 「いなっせ6階ホール」は、ぼくは正直いって不完全燃焼だった。もっと、もっと、もっと、ドン・ロスのギターを聴きたかったのだ。


ハードスケジュールの日本ツアー中ばで、疲れもピークと思われ、しかも前日の木曜日は、昼マチネ公演が「滋賀県守山市民ホール」であって、夜は名古屋市での公演。


で、翌日の金曜日を伊那市で迎えた彼らは、そんな疲労などまったく感じさせない圧倒的なパフォーマンスを聴かせてくれた。本当にすばらしかった。すばらしかったのだ。


ぼくはと言えば、午前中に妻と二人で松本に買い物に行って、午後4時からは伊那中央病院会議室で「信州小児科カンファランス」のネット・サテライト中継での参加。本会場の信州大学小児科をネットで県下5会場(長野市民病院・佐久総合病院・諏訪赤十字病院・伊那中央病院・飯田市民病院)を結んでの中継となった。「ネット会議」も試行錯誤のすえ、ずいぶんと進化してきたとは思うが、まだまだ実用化の道は厳しいというのが、申し訳ないが僕の感想だ。


■ネット・カンファランスはまだ1例目なのに既に1時間半以上を消費していたのに終結を見なかったので、悪いけれどぼくは途中下車。次の予定が入っていたからね。午後6時までに「いなっせ」に行かなければならなかったのだ。


慌てて「いなっせ」6階に行くと、思いのほか観客が少ない。あれっ? アコギ世界最高峰のドン・ロス公演だよ!?


3年前の伊那公演(2008/09/15)の時には、もっとこの日の3倍近く観客がいた。3月の大震災と原発事故以降、みな心のゆとりが無くなってしまったのだろうか? たぶん、そういう面もあったんだろうなぁ。残念だ。


■19時10分。オープニングで登場したのは、わが伊那市高遠町在住のミュージシャン「亀工房」だ。演奏曲目は以下のとおり。

1)「オープニング曲」(曲名不明)
2)「コーヒー・ルンバ」
3)「ブラーニー・ピルグリム~ロード・トゥ・リズドンバーナ」アイルランド民謡
4)「あんたがたどこさ」
5)「小さい秋みつけた」
6)「しゃぼんだま」
7)「マーブル・ホールズ」
8)「じんじん」
9)「ショウ・マスト・ゴー・オン」
10) 「ジャーニー」(この曲は、コンサートのオーラスで演奏された with Don Ross)


ぼくが彼らを聴いたのは、昨年6月の、高遠町福祉センター「やますそ」での、アントワン・デュフォール「ソロ・コンサート」以来だった。いつ聴いてもほんと素晴らしいな、亀工房。絶妙の夫婦のコンビネーションと、微妙な二人のズレが、これまたいいんだよ。


今回の演奏では、沖縄のわらべ唄が元になったという「じんじん」が一番印象に残った。
開演前に会場入口で助産師の池上道子さん「助産所:ドウーラ・えむあい」に会った。前澤さん家の6番目の男の子(現在、高遠第一保育園年中組?)を池上さんが取りあげて以来の縁なのだそうだ。それから、亀工房のライヴがある時には出来るだけ出向くようにしているとのこと。


■15分間の休憩の後、いよいよお待ちかね「ドン・ロス」の登場だ。


ところが驚いたことに、今回のライヴでは奥さんのブルック・ミラーの方が大きくメインにフューチャーされていて、ドン・ロス御大は、歌伴やバックコーラスでもって、夫として妻の歌を盛り上げることに専念していたのだ。だから、超絶ギター・テクニック炸裂のドン・ロス主役の曲は、この日の演奏の半分以下だったと思う。


ぼくの予想では、ブルック・ミラーはゲスト出演的な感じで、2〜3曲歌ってお終いかと思っていたのだが、とんでもない。ドン・ロスと全く対等な扱いで歌いまくったのだった。

いや、でも、ブルック・ミラーは、歌もギターもルックスも、めちゃくちゃカッコイイねぇちゃんだったなぁ。


この日の出で立ちは、ちょうど『ターミネーター2』の母親のような肩まるだしの黒のランニングシャツに、黒の革のパンツ。それでもって、右肩には「遠山の金さん」みたいに(桜吹雪じゃないが)大きな紅い薔薇(牡丹?)のタトゥーが映える。そんな黒ずくめのスレンダーなボディで、ブロンドのストレートロングヘアーを振り乱して熱唱するのだから堪りませんね。何がじゃ(^^;;


彼女の歌は、ジョニ・ミッチェルをもうちょっとアーシーに土臭くした感じとでも言えばよいか。なかなかに味わい深い歌を聴かせてくれた。オープニングの「You've Got My Attention」や、最新CDからのシングルカット曲「CANNONBALL」もよかったが、ぼくは「Two Soldiers」っていう曲が、シンプルでトラディショナルな響きがあって好きだな。

夫婦漫才とか、夫婦デュオの歌手とかは日本にもけっこういるが、夫婦ギター・プレーヤーで、夫婦共演で歌ってギター弾きまくるというのは珍しいんじゃないか。夫婦で目配せし合って気持ちよさそうに演奏する姿は、なんかとっても微笑ましくって、うらやましかったぞ。


■ドン・ロスが前回来日した 2008年にも、伊那市「いなっせ」でソロ・ライヴ(この時は奥さんぬき)があって、この時初めてぼくは彼の演奏を聴いたのだけれど、この時、ドン・ロスが自ら歌って聴かせてくれて、思いのほか体型に似合わず「歌が上手い」のでビックリした記憶があったが、今回のライヴでは、まさに彼のヴォーカル全開だったな。ドン・ロスが19歳の時に作ったオリジナルの歌も披露されたっけ。


コンサートの進行表は、彼(彼女?)の iPhone に記載されていて、それをチェックしながら交互に登場する感じだった。ドン・ロスが「マイケル・マイケル・マイケル」を熱演している後ろで、椅子に座ったブルック・ミラーが「その iPhone」で夫の後ろ姿の写メをフラッシュ焚いて何枚も撮ってたぞ。


■それから、英語力がとことん貧弱なぼくにはブルック・ミラーの曲の合間のトークがほとんど理解できなかったのだが、こんな話があった。


彼女が以前に夫に付いて伊那高遠を訪れた時(2008年 or 2004年?)本屋さんで一人の女性が彼女に話しかけてきたのだという。英会話を勉強中の彼女は、ブルック・ミラーを見て勇気を出して話しかけてきたのだそうだ。で、ブルック・ミラーがカナダのプリンス・エドワード島の出身と聞いて、その女性は、「知ってるわ。あの『赤毛のアン』の島ね!」と大盛り上がりになったそうだ。で、そのあと日本の伝統的なガーデニングの本とクッキングの本を送ってくれたとか何とかいう話だった。


ぜんぜん違ってたら、ごめんなさい。

■コンサート終演後、ブルック・ミラーの最新CD(カナダ本国でも未発売で、この日が世界初の販売だったそうだ)を購入し、めっちゃクールなCDジャケットに、ちゃっかり彼女に直筆サインをしてもらったのだった。えへへ。

2011年9月20日 (火)

ラーメンズの公演をナマで見たいものだ

知ってる人はよく知っていて、知らない人はぜんぜん知らないのが「ラーメンズ」だ。

1999年の春、NHKの『爆笑オンエアバトル』でテレビ・デビューした時には、いわゆるよくある「お笑いコンビの二人組」かと思われていたのだが、この頃の映像をいま見ると、やはり当初から「いわゆる普通のお笑い」ではないことが今さらながらによく判る。


たぶん彼らも、制限時間とか表現上のタブーとか、いろいろとやっかいな制約だらけのテレビ界とは相性が悪いことに早くから気付いていたのだろうな。その後の「ラーメンズ」の主な活躍の場は、劇場の「ナマ舞台の場」へと限られてゆく。彼らの舞台は、お笑いコントと言うよりも、二人芝居の演劇に近い点が評価されだしたし、コアな熱烈ファンも急増した。


この頃収録された『日本の形』が傑作だ。わが家にもDVDがある。この中の1本「鮨編」を YouTube で見ることができる。






YouTube: 日本の形『鮨』


■このように「お笑い」の新次元を前衛的に突き進んでいる「ラーメンズ」ではあるのだが、ぼく自身の評価は、浅草の舞台に立つ「コント55号」の「身体的なお笑い」を踏襲する、伝統に則った「お笑いコンビ」だと思うのだ。


コント55号のコントは、欽ちゃんがその全てを統括していて、ちょうどお釈迦様の手のひらで右往左往する孫悟空の役目が坂上二郎さんだ。この役割分担は、小林賢太郎(欽ちゃん)と片桐仁(坂上二郎)に、そのまま当てはまる。


小林賢太郎は、何度も綿密にリハーサルして計算し尽くして考え抜いた「理系のお笑い」を演じる。それはそれでとても面白い。例えば、最近NHKBSで放送された「小林賢太郎テレビ3」だ。


YouTube: 小林賢太郎テレビ3「のりしろ」「戸塚区」


これはこれで、ものすごくクオリティが高いお笑いで、感動モノではあるのだが、ぼくは「頭だけで成り立つお笑い」だと思ってしまう。小林賢太郎さん一人だと、どうしても「身体」が「おいてけぼり」になってしまうのだよ。


それは、欽ちゃん一人だと「ギャグ」が成り立たなくって、いろんな素人をいじって笑いを作っく方向へ向かったように、コント55号には坂上二郎さんが絶対的に必要だったのだ。それは、お笑いを「身体的」に変換する作業と一致する。お笑いは、頭ではない。身体だ。


まったく同じことが「ラーメンズ」でも言える。


「笑いの天才」と言われる小林賢太郎ひとりでは、頭だけの笑いになってしまうのだ。だから、身体性を精いっぱい、お釈迦様の手のひらの上で四苦八苦しながら、即興的な瞬発力でもってさまざまな表現しようとする、片桐仁(坂上二郎の代役)が絶対的に必要なのだ。ぼくはそう思う。


2011年9月17日 (土)

『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)

■もしかして、この本「名著」になるんじゃないか。


いや、今夜は伊那中央病院の小児一次救急の当番だったのだが案外ヒマで、持っていったこの本『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)を読了したのだ。


堀井憲一郎氏の本が好きで、出れば買って読むようにしている。特に「落語本」に傑作が多くハズレがない。でも、読み終わって即効性の効果が期待できるという意味では、この本が堀井氏一番の「読んでためになる、おもしろ傑作本」となった。


昔から「文章読本」の類は数多あった。谷崎潤一郎、三島由紀夫、丸谷才一、井上ひさし、本多勝一などなど。でも読んでみたことなかったな。人は人、おいらはおいらだから。


いろんな人の文章を読んで、その度に彼等(例えば、東海林さだお、殿山泰司、伊丹十三、山下洋輔、椎名誠、嵐山光三郎、立川志らく、柳家喬太郎、いしいしんじ、北尾トロ、小西康陽、村上春樹、小林賢太郎、菊地成孔、須賀敦子、山登敬之、杉山登志郎、森岡正博、佐藤泰志、志水辰夫、島村利正などなど)の文体に影響されて、その混沌とした中から「ぼくの文体」が生まれた。

オリジナルじゃないのだ。所詮は「人まね」。それでいいじゃん。と、堀井憲一郎氏は「この本」の中で言ってる。


■「この本」の特筆すべきことは、文章を書くことの「身体性」を、初めて文章化したことだ。


「事前に考えたことしか書かれていない文章は失敗である」と、堀井氏は言い切る。


大切なのは、自分をとことん追い込んで初めて無意識から浮かび上がってくる「言葉」の即興性を大切にせよ! ということだ。さらに彼は言う。「文章は頭だけで書いても、ちっとも面白くない」

ここで大事なのは、即興性である。一回性でもいいや。いま、この瞬間にたまたまおもいついたことを大事にして、それを書く。事前に、文章をじっくり練らない。書いたあともじっくりいじらない。書いている寸館の、そのときにしか書けないことを書く。それが大事だった。(p152)


つまりは、シャーマンのごとく、天から「言葉」が降りてくるのを、日照りの中で「雨乞いの踊りをおどりながら」じっと待つのだ。


こういう話は、作家さんのインタビューとか、内田樹先生のブログとかで断片的には聞いてきた。でもこれほどまでセキララに「文章を書くことの身体性」を綴った文章に出会ったことはない。そのとおりだよな。書き始めると、その日の調子が良ければ勝手に手が動いて、文章を自動で筆記してくれるのだ。


あとで読み返してみて、俺ってこんなこと考えていたのか! って、自分でも驚くような表現をしてたりする。


文章を書くことの醍醐味は、「それ」に尽きるのではないか。


■以下、Twitter に書いた記事から追加。


『ウイスキーは日本の酒である』輿水精一(新潮新書)と『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)を、伊那のTSUTAYAで買う。堀井さんの文章が読みやすいのは、たぶん落語のリズム・テンポで文章が書かれているからだ。
9月13日


『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)を、毎日ちびりちびり読んでいる。この本は金言の宝庫だ。思わずボールペンで赤線を引きまくっている。例えばこんな一言。「文章は、発表した人のものではない。読んでくれる人が存在して、初めて意味がある。つまり文章は読み手のものである。」
9月17日

2011年9月15日 (木)

今月の「もう一曲」。『満月の夕』

■中秋の名月はもう終わってしまったけれど、満月の夜には「この歌」を聴きたい。


YouTube: ソウル・フラワー・ユニオン 満月の夕

「この歌」は、1995年1月17日に起きた「阪神淡路大震災」当日の夜、神戸の海に上った満月を見て作られた、ソウル・フラワー・ユニオンのオリジナル曲なのだそうだ。ちょっと沖縄民謡のテイストがある名曲だ。ぼくは、アン・サリーのカヴァーで初めて聴いた。悲しいけれど、ホントいい曲だなぁ。しみじみ思ったよ。


YouTube: アン・サリー 満月の夕(ゆうべ)

あれから16年が経った今年の夏の終わりに、日本外来小児科学会が神戸であって行ってきたのだが、その爪痕の痕跡はまったく残ってはいなかった。ほんとビックリするほどに。 あの震災は無かったのか? 僕は、ふとそう思ってしまった。でも絶対に違うのだよ。通りすがりの旅人には分からないけれど、地元神戸に住んで生活している人たちは決して忘れはしまい。ことあるごとに「あの日」を思い出しているに違いないのだ。この曲にあるようにね。 さて、最近になって新たな「この曲」のカヴァーが YouTube に投稿された。これだ。


YouTube: 満月の夕 Noche de Luna Llena ラテンアメリカ連帯バージョン

歌っているのは、知る人ぞ知る「闘う、ラテン歌手」八木啓代さんだ。 キューバ、メキシコ、アルゼンチン、チリ。八木さんは中南米音楽・情勢の専門家であり、自らも歌う歌手。まだ、インターネットが始まる前から、ニフティのフォーラムでは「パンドラ」のハンドル名で一世を風靡していたし、当時から絶大な人気を誇っていた人だ。かく言う僕も、彼女の大ファンで、「ハバタンパ」のCDも購入したし、『パンドラ・レポート 喝采がお待ちかね』ほか彼女の著書を何冊も買って持っている。 最近は、例の前田特捜部検事の不祥事事件を追っている。頑張って欲しいと思うぞ。 ■あと、もう一人。忘れられたジャズ・シンガー「酒井俊」が「この曲」を「現地」で唱ったヴァージョンが素晴らしい! これだ。


YouTube: 酒井俊『満月の夕』東北関東大震災 チャリティーJAZZライブ

2011年9月13日 (火)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その83)木祖村地域図書館

■9月11日(日)午前10時半から、木曽郡木祖村小学校内、木祖村地域図書館での「伊那のパパズ絵本ライヴ」(その83)が行われた。木祖村地域図書館司書の三井さん、いろいろとありがとうございました。送っていただいた写真、すみません勝手に使わせていただきました。


当日、母の三回忌だった僕と、伊東パパは欠席で、倉科・宮脇・坂本の3人で頑張ってくれました。ありがとうね!


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倉科です。

木祖小学校、無事終わりました。


昨日は、小学校のプレイルーム、大人子供、計約40名くらい、
とても落ち着いて、よく聞いてくれました。久し振りの3人パパ’S、当日のメニューです。

1)『はじめまして』
2)『パパのしごとはわるものです』板橋 雅弘 ・文、吉田 尚令・絵 →坂本
3)『パンツのきまり』トッド・パール(フレーベル館) →宮脇

4)『カゴからとびだした』(アリス館)


5)『すいはんきのあきやすみ』村上しい子・作、長谷川義史・絵(PHP研究所)→倉科

6)『パンツのはきかた』岸田今日子・文。佐野洋子・絵(福音館書店) →全員


7)『うみやまがっせん』長谷川摂子・再話(福音館書店)→坂本
8)『へんしんマジック』あきやまただし(金の星社)→宮脇

9)『ふうせん』(アリス館) →全員
10)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社) →全員


ふうせん、二人で頑張ってくれましたよ。

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2011年9月10日 (土)

今月のこの1曲。 サケロック「やおや」

■作曲家としての星野源はスゴイ。 ぼくは個人的に、日本のセロニアス・モンクだと思っている。 あの独特のタイム感覚。絶対に誰にも真似できない音楽だ。 演奏家としての星野源は、マリンバ奏法がとにかく異常に上手い。 まるで谷啓みたいなトロンボーンを吹く浜野謙太(ハマケン)とのデュオ演奏には、なんとも言えない人生の情けなさと、どうしようもなさを。そうして、どうでもいいような日々のくだらなさと適当さの匂いがある。そうさ、人間そう毎日「有意義」には生きていないのだよ。だから、そんなに力まずに肩肘張らずに、何となくのほほ〜んて生きていければいいじゃん、ってことを、宣言してくれているような音楽なのだな。 そういう音楽って、いままでありそうでなかった。と思う。だから、サケロックは貴重だ。


YouTube: インストバンド / SAKEROCK(PV)


YouTube: SAKEROCK / 会社員と今の私 PV

■このところ毎日聴いているCDが、サケロックの『ホニャララ』。 中でも好きなのが、「老夫婦」と「やおや」だ。 でも、ネットで探しても画像も音源も無料ではないみたい。試聴はできます。 「こちら」で。 このCDの中では、ラストに収録された「エブリデー・モーニン」も実に味わい深い、なかなかの名曲であるぞ!

2011年9月 9日 (金)

伊那市で撮影された映画のこと

■映画『大鹿村騒動記』は、長野県下伊那郡大鹿村でオールロケされた。この映画に限らず、最近立て続けに伊那谷で映画のロケがあったそうだ。なぜそれほど東京から3時間以上もかかる「この田舎」に映画のロケ隊がやって来るのか? それは、

「伊那市フィルムコミッション」があるからです。

ここのブログには載っていませんが、このほかに、


・三谷幸喜監督作品『ステキな金縛り』で、主演の落ちこぼれ弁護士役の深津絵里と落ち武者幽霊役の西田敏行が高遠町にある「山室鉱泉」でロケしたそうです。この撮影で、すっかり高遠が気に入った? 三谷幸喜さんは、この8月に再び高遠を訪れ、WOWOW開局20周年記念ドラマ『ショートカット』を撮影したとのこと。主演は、中井貴一と鈴木京香。助演に、NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」で、貧乏なマンガ編集者を好演した、梶原善


・さらには、来年初頭に公開予定の、山崎貴監督作品『Always 3丁目の夕日 '64』で、吉岡秀隆クンが実家(長野県出身という設定だった)を訪れるシーンが高遠町で撮影されたとのことです。


ツイッターで拾った「いろんな噂」によると、天竜町の飲み屋街のバーのカウンターで吉岡秀隆が飲んでいたとか、高遠町の居酒屋で三谷幸喜が飲んでいたとか、高遠町の西澤ショッパーズで鈴木京香が買い物していたとか、ナイスロード沿いの雑貨屋「グラスオニオン」に、ふらりと梶原善が訪れたとか……

なんか、楽しいね。


今度、高遠にはキャイーン!の「ウドちゃん」が一遍上人役で来るらしいし。


■でも、この伊那谷でロケされた映画は過去にもいっぱいあったのです。


有名なところでは、鶴田浩二主演『聖職の碑』。三浦友和、大竹しのぶも箕輪町に来たみたいです。

そうして、佐分利信、岸恵子主演『化石』小林正樹監督作品で、高遠城趾公園の満開の桜のシーンが撮られた。


それから、市川崑監督作品『股旅』。主演:萩原健一。共演:小倉一郎、尾藤イサオ。長谷村の廃屋を使ってロケされたそうだ。この映画のナレーションは、佐藤慶じゃなかったっけ。あ、違うみたいだごめんなさい。でも、この映画は傑作だったなぁ。時代劇としても画期的だったし、なによりも青春映画として素晴らしかった。結局、尾藤イサオは切られた刀傷から破傷風に感染して、痙笑しながら死んでいったのだったよ。(ネタバレ御免)

最近の映画では、妻夫木聡主演の『さよならクロ』のラスト近くのアルプスの遠景は、北アルプスじゃなくって、伊那市西箕輪から見た南アルプス仙丈ヶ岳だ。


マイナーなところでは、ホラー映画『ひぐらしのなく頃に・誓』が、旧高遠町役場、鉾持神社、山室鉱泉、竜東線沿いのレストラン「アルハンブラ」などで撮影されたもよう。


■テレビドラマだと、まだまだあるぞ。


『思えば遠くへ来たもんだ』(TBS・1981年)主演:古谷一行 は、高遠町でロケされた(天女橋あたり)。

『坊さんが行く』(NHK・1998年)主演:竹中直人、沢口靖子では、確か高遠町勝間のしだれ桜でロケされたように記憶している。


ちょっと古いところでは、


『怪奇大作戦』(TBS・1968年)「第12話 霧の童話」は、高遠町旧河南小学校、建福寺、蓮華寺ほかでロケされた。

これは以前にも書いた記憶があるが、当時小学生だったぼくは、高遠町の竹松旅館に泊まっていた勝呂誉、松山省二を見に行った。ただこの時は、岸田森は高遠には来ていなかった。残念だ。暗くなっても1時間近く竹松旅館の前で友達の中嶋達朗くんといっしょに待っていたら、勝呂誉さんが一人わざわざ外へ出て来てくれて、ぼくらにサインしてくれたのだ。うれしかったなぁ。テレビに登場するスター(大空真弓の元夫)を直に見たのは、この時が初めてだったと思う。

2011年9月 3日 (土)

映画『大鹿村騒動記』を伊那旭座で見た。

■毎週水曜日の午後は休診にさせていただいている。


週の真ん中に、個人的に自由に出来る時間があると何かと便利なのだ。例えば、歯医者さんへの通院。実際いま、伊那市駅前の「中村歯科医院」へ水曜日の午後通っている。


ただ、この8月末から10月末までの2ヵ月間は、毎年「上伊那医師会付属准看護学院」での小児看護の講義が水曜日の午後3時半から5時まで計8回あって、講義の予習準備とか試験問題を作ったりとか、けっこう大変だったのだ。まる10年間お務めしたのでそろそろ引退したいと思い、伊那中央病院小児科の木下先生に講師を代わってもらえないか打診したら、思いがけず快く引き受けてくれたのだ。木下先生、ほんと有難うございました。


■という訳で、今年は准看護学院の講義が9月10月の水曜日の午後は入っていない。ありがたいなぁ、ほんと。


で、かねてから映画館で是非見たいと思っていた、原田芳雄さんの遺作『大鹿村騒動記』が伊那旭座にかかっていたので、早速今週の水曜日の午後に伊那旭座へ行って見てきました。東映配給だったんだね、知らなかった。しかも! 前売り券なしで入場料が1000円均一。これって、けっこう英断だよなぁ。映画を見る前からすっごく得した気分だ。


映画館に入ると、思いのほか入場者が多い。と言っても、ぼくより年配の方々が10数人、既に着席していた。伊那旭座にしては「大入り」のほうなんじゃないか?


■場内が暗転し、スクリーンに光が照射される。最初はお決まりの「不法録画防止啓発ビデオ」だ。その次は、次回上映の映画の予告編かと思ったら、いきなし本篇が始まった。


美しい大鹿村の遠景をバックに白字で『大鹿村騒動記』のタイトルが縦書きで現れる。けっこう癖のある字だが下手ではない。味がある字だ。これはエンドロールで明かされることなのだが、主演の原田芳雄さんが書いた字なのだそうだ。


映画『大鹿村騒動記』は、伊那市長谷市ノ瀬から南へ「ゼロ磁場」で有名な分杭峠を超えれば、下伊那郡大鹿村となるのだが、その長野県に実在する「大鹿村」でオールロケされた映画なのだった。変に気負いがなくて、フットワークも軽く何気なくさらっと撮影された映画なのだが、往年の名優そろいぶみの贅沢なキャスティングで、主演の原田芳雄をもり立てているのだ。

ああ、いいなあ。ほんといい映画だった。満足しました。評点は、ちょっとオマケして星4っつ半! ★★★★☆


■やはり、映画の基本は「男2人女1人」の三角関係だ。古くは『冒険者たち』って、同じ話を「佐藤泰志」の小説『君の鳥はうたえる』『そこのみにて光輝く』の感想文で書いたばかりだな。


で、「この映画」もちゃんと「それ」を踏襲しているのだ。

ただ、圧倒的に違うことは、主人公を含む3人組(原田芳雄、岸部一徳、大楠道代)が、青春真っ直中にあるのではなくて、団塊世代の既に60歳を超えた「年寄り」であることだ。


■じつは「大鹿歌舞伎」を題材にしたドラマと映画が以前にもあった。NHK長野局が制作した単発ドラマ『おシャシャのシャン!』(2008年1月放送)と、後藤俊夫監督の映画『Beautyうつくしいもの』だ。

この『おシャシャのシャン!』には、原田芳雄さんも重要な役どころ(ヒロインの父親で大鹿歌舞伎では主役を演じる)で出演していて、この撮影で原田さんは実際に大鹿村を訪れ「大鹿歌舞伎」を知ったのだった。


このドラマもなかなかよくできた脚本で面白かったのだが、舞台で演じられる歌舞伎の演目の内容と実際のストーリーが絶妙にリンクしてラスト盛り上がる『大鹿村騒動記』の方に軍配は上がるな。ほんと、荒井晴彦と阪本順治の脚本はよく書けている。


■映画の中で演じられる大鹿歌舞伎は「『六千両後日文章』 重忠館の段」で、原田芳雄さんが主役を務めるのが「平景清」。おお! 知ってるぞ「景清」。落語の演目にある、あの「景清」ではないか! 桂米朝と桂文楽のCDで持っているし、新宿末廣亭で四代目三遊亭金馬が演じたのを生で聴いた。それに、何よりもあのNHK朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』で、徒然亭草々が一生懸命稽古していた「ネタ」じゃないか。


落語では、腕のいい木工職人だった定次郎が失明してしまい、再び目が見えるようになりますようにと、清水の観音さんに願掛けで1000日通う。この観音さんは、むかし平家の落人の景清が「源氏の世は見たくない」と自分で両眼をくり抜いて納めたという所。その満願成就の日、結局定次郎の眼は見えるようにはならなかった。ところがその帰り道、空がにわかにかき曇り暗雲垂れ込め車軸の雨。ガラガラ、どしーん!と定次郎に雷が落ちた。さて、それから……


■映画に出ている役者がみな、一癖もふた癖もある渋い役者さんばかり。おけつ丸出しで温泉にダイブする岸部一徳、その鹿塩館の主人に小野武彦(「踊る大捜査線」スリーアミーゴスの人ですね)。そして、リニア新幹線誘致で対立する土建屋社長役の石橋蓮司と、中国の勤労研修生にバカにされている白菜農家の小倉一郎。久しぶりだなぁ、小倉一郎。『俺たちの朝』以来か。


あと、貫禄の三国連太郎。あのお歳で大鹿村のロケに参加されたのだなぁ。晩秋の大鹿村と青い空をバックに、三国連太郎が遠くシベリアの地で死に果てた友の墓に木彫りの仏を供えるシーンが重く美しい。


それから、何と言っても大楠道代がいい。原田さんと共演した鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』の時とぜんぜん変わらない色っぽさじゃないか。イカの塩辛の瓶詰め。いいなぁ。


若いところでは、松たか子もよかったが、『ちりとてちん』で徒然亭四草を演じて、一躍注目を集めた加藤虎之助がちゃっかり出ている。みなが一丸となって、主役の原田芳雄さんを盛り立てている。その雰囲気がスクリーンに溢れているのだ。


とにかく、スクリーンの原田芳雄さんがカッコイイ。

テンガロンハットにサングラス。それに黄色いゴム長靴。似合っているのだ。これ以外ないって感じでね。

彼は『ディア・イーター』という名前の鹿肉食堂をやっている。あはは! ディア・ハンターじゃなくってね。あと、原田さんが松たか子に「木綿のハンカチーフ」を歌って聴かせるシーンがあるのだが、何故か下手。あんなに歌が上手い人なのにね。可笑しかったな。


映画では案外、原田芳雄さんのアップシーンが少ない。わりと離れて画面の片隅に原田さんを配置している。アップは一番重要なシーンで使われるからだ。

もう一回、見にいってもいいかな。この映画。


【追伸】映画『大鹿村騒動記』の監督と脚本家「阪本順治 × 荒井晴彦 対談(前編)」  「阪本順治 × 荒井晴彦 対談(後編)」が、たいへん興味深かったです。


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