ラーメンズの公演をナマで見たいものだ
■知ってる人はよく知っていて、知らない人はぜんぜん知らないのが「ラーメンズ」だ。
1999年の春、NHKの『爆笑オンエアバトル』でテレビ・デビューした時には、いわゆるよくある「お笑いコンビの二人組」かと思われていたのだが、この頃の映像をいま見ると、やはり当初から「いわゆる普通のお笑い」ではないことが今さらながらによく判る。
たぶん彼らも、制限時間とか表現上のタブーとか、いろいろとやっかいな制約だらけのテレビ界とは相性が悪いことに早くから気付いていたのだろうな。その後の「ラーメンズ」の主な活躍の場は、劇場の「ナマ舞台の場」へと限られてゆく。彼らの舞台は、お笑いコントと言うよりも、二人芝居の演劇に近い点が評価されだしたし、コアな熱烈ファンも急増した。
この頃収録された『日本の形』が傑作だ。わが家にもDVDがある。この中の1本「鮨編」を YouTube で見ることができる。
■このように「お笑い」の新次元を前衛的に突き進んでいる「ラーメンズ」ではあるのだが、ぼく自身の評価は、浅草の舞台に立つ「コント55号」の「身体的なお笑い」を踏襲する、伝統に則った「お笑いコンビ」だと思うのだ。
コント55号のコントは、欽ちゃんがその全てを統括していて、ちょうどお釈迦様の手のひらで右往左往する孫悟空の役目が坂上二郎さんだ。この役割分担は、小林賢太郎(欽ちゃん)と片桐仁(坂上二郎)に、そのまま当てはまる。
小林賢太郎は、何度も綿密にリハーサルして計算し尽くして考え抜いた「理系のお笑い」を演じる。それはそれでとても面白い。例えば、最近NHKBSで放送された「小林賢太郎テレビ3」だ。
これはこれで、ものすごくクオリティが高いお笑いで、感動モノではあるのだが、ぼくは「頭だけで成り立つお笑い」だと思ってしまう。小林賢太郎さん一人だと、どうしても「身体」が「おいてけぼり」になってしまうのだよ。
それは、欽ちゃん一人だと「ギャグ」が成り立たなくって、いろんな素人をいじって笑いを作っく方向へ向かったように、コント55号には坂上二郎さんが絶対的に必要だったのだ。それは、お笑いを「身体的」に変換する作業と一致する。お笑いは、頭ではない。身体だ。
まったく同じことが「ラーメンズ」でも言える。
「笑いの天才」と言われる小林賢太郎ひとりでは、頭だけの笑いになってしまうのだ。だから、身体性を精いっぱい、お釈迦様の手のひらの上で四苦八苦しながら、即興的な瞬発力でもってさまざまな表現しようとする、片桐仁(坂上二郎の代役)が絶対的に必要なのだ。ぼくはそう思う。
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