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2011年9月29日 (木)

NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』いよいよ最終週(その2)

■ただちょっと残念なのは、9月に入って、NHK朝ドラ『おひさま』の進行テンポが一気に減速した感があること。それから、ドラマの緊迫感(つまりは「リアリティ」ということ)が欠如し、やたらと間延びさせているような印象だ。


それは、最終週だというのに今週も当てはまる。


なんか、出演者のみなさん、言い残したことはありませんか?篇 みたい。
今日なんか、串田和美氏が一世一代の長台詞を初めてしゃべったぞ!
白川由実も久々に登場したし。

噂では、最終回に年とった「満島ひかり」役で、黒柳徹子が登場するらしい。ちなみに、年取った「真智子さん」は司葉子が演じるそうだ。


■このドラマ『おひさま』の魅力を、タイミングよく亀和田武氏が『週刊文春 9月29日号』103ページで文章化してくれている。なるほどなぁ、まさにそういうことなんだ。「ファンタジィ」なのだから「リアリティ」をドラマに求めること自体がそもそも間違いなのか。(以下引用)


 最終回まで、もう残りは僅か。朝の連続テレビ小説『おひさま』を欠かさず観る生活はまだ続いている。

 こんなことってあるんだなあ。NHKの朝ドラ的世界からもっとも遠い男が、半年もの時間、たっぷりドラマに浸ることができた。


 ヒロイン陽子(井上真央)の存在が、もちろんドラマの核だ。でも同じくらい観ていてうれしいのは、その周囲に集う人間までが、彼女と触れ合うことによって、幸福そうになっていくことだ。(中略)


 ドラマを貫く太い芯は、女学校時代からの親友、育子(満島ひかり)、真智子(マイコ)との変わらぬ友情だ。
 戦火に焼かれ、心に秘めた恋人を戦争で喪っても、彼女たちは自分の力と、陽子の優しさによって、はい上がってくる。


 半年の放送を振り返って思う。ああ、これは今の日本に住む者にとってのファンタジィなのだな、と。戦争の時代に、大切なものを奪われながらも、無垢な明るさと、強い生命力を持った ”おひさま” のようなヒロインがいたおかげで、みんな笑顔を絶やさずにいられた土地が、信州の一隅に奇跡的にあった。そんな日本人の切ない願望が込められていたから、多くの人が観つづけたのではないか。


 男たちは、誰もが控えめで誠実だ。陽子の夫、和成(高良健吾)は優しく家族を支え、野心も持たず、妙な自己主張もしない。黙って、魅力的な女性たちに接する男たちの姿は、静かな感動を誘う。(中略)


 脚本の岡田恵和は、しかし苦いテイストも一滴たらす。陽子の初恋の人、川原は、満州で妻に死なれ帰国した。酒に酔った彼は、幸福な人びとに叫ぶ。

「この国の連中は…… 忘れ過ぎだよ。あの戦争はすっかりなかったことになっているのか!」と川原は吠える。「俺は嫌だね、そんなの。たとえ日本中が忘れて幸せになっても、この気持ちのまま生きつづけて、この気持ちのまま死んでいく」


 こんな偏屈な男を登場させたことで、ドラマに深みが生まれた。十代半ばに、世間に対して覚えた違和を、いまもどこかに抱えて生きる私にも、ぐさり突き刺さった。

■団塊世代の亀和田さんは、ラストのセンテンスにほろ苦い気持ちを託したのだろうな。

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