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2011年9月17日 (土)

『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)

■もしかして、この本「名著」になるんじゃないか。


いや、今夜は伊那中央病院の小児一次救急の当番だったのだが案外ヒマで、持っていったこの本『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)を読了したのだ。


堀井憲一郎氏の本が好きで、出れば買って読むようにしている。特に「落語本」に傑作が多くハズレがない。でも、読み終わって即効性の効果が期待できるという意味では、この本が堀井氏一番の「読んでためになる、おもしろ傑作本」となった。


昔から「文章読本」の類は数多あった。谷崎潤一郎、三島由紀夫、丸谷才一、井上ひさし、本多勝一などなど。でも読んでみたことなかったな。人は人、おいらはおいらだから。


いろんな人の文章を読んで、その度に彼等(例えば、東海林さだお、殿山泰司、伊丹十三、山下洋輔、椎名誠、嵐山光三郎、立川志らく、柳家喬太郎、いしいしんじ、北尾トロ、小西康陽、村上春樹、小林賢太郎、菊地成孔、須賀敦子、山登敬之、杉山登志郎、森岡正博、佐藤泰志、志水辰夫、島村利正などなど)の文体に影響されて、その混沌とした中から「ぼくの文体」が生まれた。

オリジナルじゃないのだ。所詮は「人まね」。それでいいじゃん。と、堀井憲一郎氏は「この本」の中で言ってる。


■「この本」の特筆すべきことは、文章を書くことの「身体性」を、初めて文章化したことだ。


「事前に考えたことしか書かれていない文章は失敗である」と、堀井氏は言い切る。


大切なのは、自分をとことん追い込んで初めて無意識から浮かび上がってくる「言葉」の即興性を大切にせよ! ということだ。さらに彼は言う。「文章は頭だけで書いても、ちっとも面白くない」

ここで大事なのは、即興性である。一回性でもいいや。いま、この瞬間にたまたまおもいついたことを大事にして、それを書く。事前に、文章をじっくり練らない。書いたあともじっくりいじらない。書いている寸館の、そのときにしか書けないことを書く。それが大事だった。(p152)


つまりは、シャーマンのごとく、天から「言葉」が降りてくるのを、日照りの中で「雨乞いの踊りをおどりながら」じっと待つのだ。


こういう話は、作家さんのインタビューとか、内田樹先生のブログとかで断片的には聞いてきた。でもこれほどまでセキララに「文章を書くことの身体性」を綴った文章に出会ったことはない。そのとおりだよな。書き始めると、その日の調子が良ければ勝手に手が動いて、文章を自動で筆記してくれるのだ。


あとで読み返してみて、俺ってこんなこと考えていたのか! って、自分でも驚くような表現をしてたりする。


文章を書くことの醍醐味は、「それ」に尽きるのではないか。


■以下、Twitter に書いた記事から追加。


『ウイスキーは日本の酒である』輿水精一(新潮新書)と『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)を、伊那のTSUTAYAで買う。堀井さんの文章が読みやすいのは、たぶん落語のリズム・テンポで文章が書かれているからだ。
9月13日


『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎(ちくま新書)を、毎日ちびりちびり読んでいる。この本は金言の宝庫だ。思わずボールペンで赤線を引きまくっている。例えばこんな一言。「文章は、発表した人のものではない。読んでくれる人が存在して、初めて意味がある。つまり文章は読み手のものである。」
9月17日

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