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2010年7月

2010年7月31日 (土)

小鳩園で絵本を読む。それから、板橋文夫のこと

■今週の水曜の午後は、園医をしている「小鳩園」に出向く日だった。小鳩園は、発達障害児や重度心身障害児が母親とともに通う伊那市の母子通所施設だ。ぼくは夏と冬の2回行って、お母さん方に話をしてくる。 この日は、手足口病などの「夏かぜ」の話と、Hibワクチン、7価肺炎球菌ワクチン(プレベナー)の話をした。そのあと、子供たちと園の先生方もいっしょになっての「絵本タイム」。ぼくが読んだ絵本は、  1)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏雄・作(福音館書店)  2)『ぐやんよやん』長谷川摂子・ぶん、ながさわまさこ・え(福音館書店)  3)『まるまるまるのほん』エルヴェ・テュレ作、谷川俊太郎・訳(ポプラ社) 『ぐやんよやん』を読み始めたら、すっごく反応のいい子が一人いて、ぼくがページをめくって「じんじ じんじ ずー」とか言うたびにキャッキャ言って喜んでくれた。それ見て、その子のお母さんと先生方がちょっと驚いたような反応を示した。しめしめ、やったね! 『まるまるまるのほん』は、子供たちに絵本をクリックさせたりタッチさせると「ぼくも私も!」と、みんな寄ってきて収集がつかなくなる。それがこの絵本の唯一の欠点だな。でも、幼い子も年長児も、障害のある子も関係なく、子供たちを夢中にさせる魅力がこの絵本には確かにある。 ■ナマの色川武大さんを一度だけ目撃したことがある。あれは何時だったか? 1978年〜1982年ころか。 場所は新宿ピットイン。板橋文夫トリオが出演した夜だった。周りの人は誰も特別視することなく、色川氏は一般客とごく自然に混ざって板橋文夫のピアノを聴いていたな。 板橋文夫と言えば、今年の2月に、東京FMのホールでクラシック・ピアノのソロコンサートを催したのだけれど、その日に演奏された「渡良瀬」の映像がネットにアップされている。これだ。 これは凄いな。数ある「渡良瀬」ソロ・ヴァージョンの中でも屈指の演奏なのではないか。 久々に板橋さんらしい演奏が見れてほんとうれしい。

2010年7月27日 (火)

名人文楽

■先日書いた、桂文楽の「区役所〜ぉ!」は、どの落語に出てくるかというと「王子の幇間」に登場するフレーズなのだった。神田の平助という野太鼓が主人公の落語。もう、ほとんどコイツの一人語りだ。ホントやな奴。それを八代目桂文楽は滑稽に、自虐的に、悲哀に満ちてしかも諧謔的に演じてみせる。こうなるともう、桂文楽の独断場だな。

旦那の家に来た平助。もう「よいしょ」のしまくり。でも、めちゃくちゃ毒がある。お手伝いさんから始まって、奥さん、子供たち。はては飼い猫に至るまで。今日、久々に聴いたが、思ったよりもテンポが速い。集中力が欠けると何言ってるか分からなくなってしまう。文楽は難しいぞ。よし、明日は「よかちょろ」を聴いてみよう。


■昨日の月曜の夜は、伊那中央病院の小児科一次救急当番だった。よる7時から9時までの2時間。でも、週の始めなので気分的にはけっこうキツイ。「とびひ」の4歳男児と、喘息の5歳児の2人を診ただけで終わった。ラッキー。おかげで本が読めた。『なつかしい芸人たち』色川武大(新潮文庫)の「歌笑ノート」。三遊亭歌笑は、三代目三遊亭金馬の弟子だった。

 右目は雲がかかって全く見えず、左目には星があって天気予報みたいだね、といわれた。(中略)なにしろ、極端な斜視で、口がばか大きくて、その間の鼻が豆粒のよう、ホームベースみたいにエラの張った顔の輪郭、これ以上ないという奇怪なご面相だ。醜男は愛嬌になるが、ここまで極端だと暗い見世物を見ているようで、笑うよりびっくりしてしまうのである。誰よりも当の本人が陰気で、一席終わるとしょんぼりという恰好でおりていった。立ってもチンチクリンの小男で、がりがりに痩せていた。

 それからしばらくして、二度目に出会った歌笑は、別人のように自分のペースを作っていた。登場すると、奇顔を見ていくらかどようめいている客席を見おろすようにして、歯肉までむきだして笑って見せる。それだけでドッと来た。プロになったな、と思ったものだ。『なつかしい芸人たち』色川武大(新潮文庫)p184


■同じく色川武大氏の落語エッセイには、こんなのもあった。

 暑いにつけ寒いにつけ、桂文楽を思い出す。(中略) つくづく思うけれども、昭和の落語家では文楽と志ん生が抜き出た存在だな。そのもっとも大きな理由は、二人ともそれぞれのやり方で、自分の落語を創りあげたことにあると思う。古典の方に自分から寄っていってしがみつくのではなく、自分の方に古典落語をひっぱり寄せた。

 古典というものは(落語に限らず)前代の口跡をただ継承しているだけでは、古典の伝承にはならない。前代のコピーでは必ずいつか死滅するか、無形文化財のようなものと化して烈しい命脈を失ってしまう。リレーというものはそうではないので、その時代に応じて新しい演者が、それぞれの個性、それぞれの感性で活かし直していく、それではじめて古典が伝承されていくのである。

 志ん生は天衣無縫の個性で、たくまずして新装した。志ん生の演じる「火焔太鼓」や「ずっこけ」や「風呂敷」や「お直し」は、それ以前の演者からは聞けなかった。私はあれは新作といっていいと思う。そうして志ん生自身がどう思っていたか知らないが、志ん生の口跡に残っている前代のコピー的部分は、どちらかといえば邪魔な部分だった。

 桂文楽は典型的な古典と思われているようだけれども、あれはコピーではないのである。速記本で前代の演者が同じ演目を演じているのを見ると、そのちがいがわかる。
 たとえば「寝床」は、往年は、周辺を辟易させる旦那の素人義太夫の方に力点がかかっていた。文楽のは旦那と長屋衆の心理のおかしさが見せ場になっている。「素人鰻」も、鰻をあやつるおかしさよりも、職人の酒癖と武家の主人の対応の話に主点が移されている。「鰻の幇間」や「つるつる」の主人公たちのわびしさ、「干物箱」の善公、「愛宕山」の一八、「明烏」の遊治郎ご両人、その他いずれの登場人物たちも前代のそれより陰影が濃くなっている。それはただワザの練達だけではない。

 権力機構からはずれた庶民、特に街の底辺に下積みで暮らさざるを得ない下層庶民の口惜しさ、切なさが、どの演目にもみなぎっている。その切なさの極が形式に昇華されて笑いになっている。「厩火事」のおしまいのちょっとしか出てこない髪結いの亭主だって、その影を話の上に大きく落としている。


 文楽の落語はいつも(女性が大役で出てきても)男の(彼自身)呟きだ。それが文楽の命題であったろう。
 
 そういえば志ん生の落語も男の語りである。ひと口に個性といっても、彼の個性は庶民のはずれ者に共通する広がりがある。落語は代々こうした男たちの呟きが形式化されたものなのであろうが、文楽と志ん生は、大正から昭和にかけてこうした男たちの代弁者になった。特に文楽は、命題に沿って意識的にアングルを変え、ディテールを変えている。古典落語と綱引をやるように互いに引っ張り合い、膂力で自分の命題の方に引き寄せてしまった。そうして結果的に古典落語を衰亡から守った。そこがすごい。

 落語はジャズに似ている。特に古典はジャズにおけるスタンダードのようなものか。もはや原曲のままでは通用しない。同じ材料から、各人各様の命題により、或いは個性により、独特の旋律を生みだす。それが、なによりも古典落語というものである。

 文楽は、演目がすくなかった。本質的には不器用の人ともいわれた。そうして、絢爛たるワザの人ともいわれている。もちろん、すばらしい表現力に感嘆するけれども、その手前に、古い話をどうやって自分の命題に沿った形に造り直すかという問題があったはずである。私はむしろ、その点が演目のすくない理由だったと思う。自分の命題に沿えない話は演じない。そのうえ、ジャズがあくまでジャズであるように、あくまで古典落語として造り直すのである。

 いったん造り直した落語を、形式的に昇華するまで練る。これにも時間がかかったろう。そうしてそんな命題を表面にはケも見せない。

 ワザだけの伝承者ならば、才のある人はまだ他にもい居る。いったん命題化し、それに沿って形象化するというむずかしい作業をやっている落語家が他に居るだろうか。不器用といわれ、たしかに時間がかかり、苦闘もしてけれど、それは当然のことではあるまいか。

 たとえば円生は、芸界の家に生まれ、芸に生きることを当然として育った。円生の芸は、芸の道を本筋として考える人の芸だったと思う。文楽や志ん生は、ただの庶民の子で、自分流の生き方をつかむまでじたばたし、手探りで芸の道に来た。せんかたないことながらそこがちがう。彼らはもともと特殊人ではなくて、普通人のはずれ者なのである。この点、当代の志ん朝と談志にはめると、どんなことがいえるだろうか。

『寄席放浪記』色川武大(河出文庫)p51〜54。


2010年7月24日 (土)

落語のフレーズ。その魅力とは?

■いろいろと、うまくいかない日々は続いている。
ストレスフルな毎日だ。


こういう場合、たいていみな「不眠症」に悩まされることになるのだが、
幸いなことに、ぼくには「その悩み」がない。


だから、こういう場合の常套手段であるところの「入眠導入剤」や本格的な「睡眠薬」のお世話になったことがない。


その代わり常用しているのが、八代目三笑亭可楽の落語CDだ(七代目じゃなくて八代目でしたスミマセン)。
もう効果絶大。さっきまで、あれやこれや細かいことに気を病んで後悔ばかりしてたのに、例えば、三笑亭可楽の夏の定番「たちきり線香」をポータブル・DVDプレーヤーで流せば、前半1/3 くらい聞いたところで、いつも意識がなくなってしまう。つまり、寝てしまうのですね。


だから、八代目三笑亭可楽の落語CDで、最後までちゃんと聴いて憶えているものは案外少ないかも。ごめんなさい。たしか、あの堀井憲一郎氏も寝る前に「子守歌」代わりに三笑亭可楽の「らくだ」をかけていると言ってたぞ。だから、堀井氏も、可楽の「らくだ」を仕舞までちゃんと聴いたことがないのだ。


これは、よく聞く話だが、上手い噺家の落語を聞いているうちに、なんだか心地よくなってきて、知らず知らずと寝てしまった、なんてことがよくあるらしい。


実際、8代目三笑亭可楽の落語は、聴いていて実に心地よいのだ。
リズム、テンポ。そして、お決まりの「フレーズ」。


人間、あまりにリラックスすると、寝てしまうのだね。


■お決まりの「フレーズ」と言えば、小さな子供たちが「同じ絵本」を何度でも繰り返し読んでもらいたがるのは、お気に入りの場面、お気に入りのフレーズが「その絵本」の中にあるからだ。長谷川摂子さんの講演会で聴いた話だが、長谷川さんが年少児に『どろにんぎょう』内田 莉莎子・著、井上洋介・絵(福音館書店)を何度も読んであげていて、子供たちは、物語の後半にヤギの角で「どろにんぎょう」のおなかが「ぱ〜ん!」て割れる場面がくるのをじっと待っているのだそうだ。そして、長谷川さんといっしょになって、大きな声で「ぱ〜ん!」と言って、とても満足そうな顔をするという。


ぼくはこの話を聴いて、落語も同じだなぁと思った。
同じ噺を何回聴いても、落語は面白い。飽きることがない。
桂文楽の「区役所〜ぉ!」が有名だが、落語も「フレーズ」で聴かせる芸なんじゃないかな。
そんなことを思ったのでした。

2010年7月19日 (月)

今月のこの一曲 「Hide and Seek」 by Imogen Heap

■この、アントワン・デュフォールの最新CDは、ある種の「カヴァー曲集」となっている。オリジナル曲も、誰それにインスパイアーされて作った曲だと紹介されていた。で、このCDに収録された楽曲のうち、ひときわ異彩を放っているバラードがあった。それが「Hide and Seek」だ。


YouTube: Hide and Seek (Imogen Heap) Solo Guitar by Antoine Dufour

彼はCDライナーノートの中で「この曲」をこう紹介している。

7. "Hide and Seek" Song by Imogen Heap. She's a Huge influence on my Music. Lately and is such an Amazing Composer. "Hide and Seek" is One-of-A-Kind. There's Nothing's like it. This Song is Pretty Deep and Intense. With a very Unique Sound.

220719 ■ところで、"Hide and Seek" とは「かくれんぼ」のことだ。つい最近知ったことだが、日本のかくれんぼとイギリス(ほか海外)の「かくれんぼ」はルールが違うらしい。外国の「かくれんぼ」では、隠れるのは「一人きり」で、残り全員が「おに」になるのだという。こっちの方が怖いんじゃないか。何か、ゾンビか吸血鬼に追われるみたいで。 ■この、イモージェン・ヒープという女性をぜんぜん知らなかったのだが、あのジェフ・ベックがプッシュしている英国の新人らしい。エフェクターを駆使して、多重録音「ひとりアカペラ」で歌った「この曲」は凄いぞ! 歌詞がなんだか全く理解できない。癒し系と勘違いしている人も多いみたいだが、かなり「刺々しい単語」が連なって、繊細で孤独ですっごく内省的な曲だと思うぞ。歌詞が載った YouTube がこれだ。


YouTube: Imogen Heap - Hide and Seek (With Lyrics)

イモージェン・ヒープが、ライヴで歌ったヴァージョンもいいね。 "


YouTube: Imogen Heap - "Hide And Seek"

同じライヴで歌った「この曲」も凄いな。


YouTube: Imogen Heap - "Just For Now"

■この「Hide and Seek」は、スコアーが出版されているみたいで、合唱グループがアカペラでいろいろとコーラスしている。


YouTube: Achordants - Hide and Seek

2010年7月15日 (木)

『ヤノマミ』国分拓(NHK出版) その2

■医師会の仕事が忙しくて、更新せずにそのままになっていたのだが、ずっと気にはなっていた。

医院の方はこのとこころ暇で患者さんが少ないから、昨日も午前11時半前には待合室に誰もいなくなったので、自宅リビングに戻って水出しアイスコーヒーを飲みながらテレビを付ける。チャンネルが、何故かCSになっていて、画像にに映し出されたのは、日本映画専門チャンネルで放送中の『台風クラブ』相米慎二監督作品だった。

封切り当時から、相米監督の最高傑作と言われながら、ぼくは今日まで「この映画」を観たことがなかった。でも、ふとオンしたチャンネルから映し出されたこの「映画」に吸い込まれるように、ぼくは思わず見入ってしまったのだ。なるほど傑作だ。映像にとてつもなく勢いがある。

映画はすでに終盤に達していた。台風が通過するという、中学生たちの「非日常」の興奮が、見事にフイルムに焼きつけられていたな。相米監督の不自然な「長まわし」が、いつもはすっごく気になるのに、この映画では全く気にならないのだ。もう一度最初からちゃんと見てみよう『台風クラブ』。


■ところで、NHKのドキュメンタリー映像「ヤノマミ」を見ただけでは、全くわからなかったことが、「この本」にはいっぱい書かれている。そのことが、すっごく重要だと思う。

1)この番組のディレクター、国分拓氏が、帰国後に嘔吐や下痢、夜尿症などの心身不調に長らく悩まされたこと。(ある種のカルチャー・ショックのためか?)


2)取材したヤノマミの集落では、当たり前のように「嬰児殺し」が実の母親の手(足)によってなされているが、重要なことがテレビカメラからは全く伝わってこなかった。というのは、他の集落に比べて、NHKが取材したこの集落での「嬰児殺し率」が際だって高いこと(本書にはその記載がある。197ページ)は、テレビ番組では全く触れられなかったからだ。

たぶん、以前は「嬰児殺し」の必要性はそうはなかったのではないか。でも、村の近くにブラジル政府が支援する「保健所」ができて、生まれた子供たちには必要な予防接種が全て行われるようになった。その結果、それまでは早死にしていた子供たちが生き延びる確率が飛躍的に伸びてしまったのだ。だから、文明人が介入する以前には、何も「人為的な作為」は必要なく、子供たちを育てることができた「ヤノマミ」だったのに、集団生活を行う仲間たちの生活を守るためには、新たに「人為的な作為」を「正しいこと」として、彼らの文化に組み込まれていったに違いないのだ。

そのことを思うと、ぼくは何とも複雑な気持ちになってしまう。


3)国分氏が滞在した集落ワトリキの酋長(村長)は、シャボリ・バタという老人だ。皆から尊敬されている偉大なるシャーマン。彼は30年以上も前からわれわれの文明と既に接触しているのだが、他のヤマノミと違って便利で楽な文明の力に溺れることなく、家族や仲間たちを率いて1万年以上前から続く伝統的な彼らの生活・文化を守り続けてきた。

ワトリキ集落の精神的支えであるシャボリ・バタが死んだとき、扇の要が外れたように皆バラバラになってしまうのではないか。そう国分氏は危惧していた。はたして、いま現在のワトリキ集落はどうなっているのだろうか?

2010年7月 7日 (水)

今年のツール・ド・フランスは大荒れだ

■今日の午前3時からは、サッカー・ワールドカップ「オランダ v.s. ウルグアイ」戦が始まるが、さすがに見ずに寝ます。


ツール・ド・フランス「第3ステージ」の後半をライヴでずっと見ていたが、凄いな!あの、狭い石畳コース。連日落車頻発で大荒れのツールだが、今日はなんと! フランク・シュレク(兄貴の方)が落車で鎖骨骨折。そのままリタイアとなってしまった。シュレク兄弟どうする? サクソバンクも作戦の立て直しが必要だぞ。カンチェラーラの役割も変わってくるかもね。


それにしても、今日の石畳コースに手こずって、ランス・アームストロングはトップから2分以上遅れてしまったし、コンタドールに至っては、チーム・メイトに忘れられて(裏切られて?)置いてきぼりを食い、なんと1分半近くも遅れた。万年2位に甘んじているカデル・エヴァンスは何気に3位でゴール。しばらくマイヨジョーヌをキープするかと思われた、フランス人シャバネルは、石畳で2度もパンクし、たった1日の天下に終わってしまった。これは予想外の展開だ。今後もますます荒れ模様の予感。


今日、一番よかったのは何と言っても区間優勝を果たしたフースホフトだろう。昨日の第2ステージではカンチェラーラに「まぁまぁ皆の衆」と制されて区間優勝できなかったからね。昨日の悔しさを見事果たして晴れ晴れとした笑顔で、機嫌を直したゴリラみたいでよかったな。しかも、狙っていた「緑色のジャージ」も手に入ったし。


新城も落車の難をを逃れてしっかり走りきったぞ。明日の第4ステージでは上位入賞に絡んで欲しいな。ガンバレ!


■ところで、昨年のツール・ド・フランスで大活躍した別府史之は、今シーズン、あのランス・アームストロング率いる「レディオシャック」に属している。ランス以下スター選手を数多く抱える「レディオシャック」では、別府史之はツール・ド・フランスのメンバーには選ばれなかった。これは仕方ないことだ。

「別府史之のブログ」を読んで、何だか泣けてきちゃったよ。ガンバレ!別府史之 応援してるぜ!!

2010年7月 4日 (日)

「People get ready」の話はまだ続くのだ

■ヨーロッパ勢は早々に消えて、南米勢だけでトップの座を争うのでは?
と思われたサッカー・ワールドカップだが、蓋を開けてみれば、決勝リーグから
いつの間にか、ブラジルもアルゼンチンもいなくなってしまったよ。

こうなったら、パラグアイに頑張ってもらわなきゃいけないよな。
なにせ、8年前の日韓同時開催の時には、パラグアイは松本でキャンプしたのだ。
例の有名なゴール・キーパー(名前を忘れた)が人気だったな。

このところ、深夜帯のテレビ放送は大変だ。NHK総合では、ウインブルドン女子決勝をやってたし、
TBS は「アルゼンチン v.s ドイツ」戦。CSの Jsports では、ツール・ド・フランス初日を放送中。


この時間帯は、Jsports だな。新城はもうゴールしたらしい。今年度は、残念ながら僕の大好きな別府史之は出場していない。


■ところで、「People get ready」のカヴァーで大切な曲を忘れていた。
ボブ・マーリーの数ある曲の中でも、ぼくが一番好きな「ワン・ラブ」がそれだ。
彼は「Peple get ready」にインスパイアーされて「この曲」を作ったのだそうだ。





YouTube: bob marley - one love


■さて、この曲をギターで弾くにはコード進行が分からないと困る。
「ハナレグミ」のコピー屋さんの映像を見ていると、みな
C Am F C のコードを使っている。

でも違うんじゃないかな。ぼくは、D Bm G D のコード進行の方が指が馴染むのだ。

幾つか映像を探したら、見つかったよ! これだ。





YouTube: Acoustic Guitar Lessons "People Get Ready" Tab Included

なるほど! 左手の指使いがよく判ったぞ。
おいらも、これで練習しよう。


2010年7月 2日 (金)

先月の忘れていたこの一曲「People get ready」

■このところ本を読む気力もわかず、ブログを更新するパワーもない。 まぁ、そういう時もあるさ。 そういう場合は、ただただ好きな音楽に身を浸す。それで、 少しだけ救われた気持ちになる。 ■しばらく前に、小坂忠『ほうろう2010』を買ったので、そればかり聴いていた。やっぱり小坂忠はいい。ほんとうに声がいい。で、久々に『People』も取り出してきて、しみじみ聴いてみる。みな心に沁みる歌ばかりだ。 中でもぼくのお気に入りは、12曲目。カーティス・メイフィールドの名曲「People get ready」。

People get ready 用意はいいか 荷物なしで   乗るだけでいい 行き先信じ   キップはいらない そして言うのさ thank the load

しばらく前まで、この曲のライヴ・ヴァージョンが YouTube にアップされていたが、 知らないうちに消去されていた。残念です。 本家、カーティス・メイフィールドが「The Impressions」で録音したオリジナル曲がこれだ。


YouTube: The Impressions - People Get Ready

この曲は、いろんな人がカヴァーしているが、有名なところでは、Jeff Beck and Rod Stewart か。


YouTube: Jeff Beck and Rod Stewart - People Get Ready (music video)

めずらしいところでは、この「ハナレグミ」のヴォーカルもいいね。


YouTube: ハナレグミ - People Get Ready

あと、スティングも歌っているが、これはイマイチかな。


YouTube: Jeff Beck w. Sting - People Get Ready - Madison Square Garden, NYC - 2009/10/29&30

このねえちゃん、なかなかカッコイイんじゃないか?


YouTube: People Get Ready Eva Cassidy

■いつか おいらも、自分でギター弾きながら唄ってみたい、あこがれの曲だ。

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